千里鵝毛
せんりがもう
はるか一千里のかなたにいる知人へ、鵝毛のように軽く価値のないものを送ること。それでも友誼の心は伝えられるというのが「千里鵝毛」。送り手の心とともに受け手の感性も問われることばである。
いわれは唐の太宗のころ、長安へ向かうチベットからの遣使が、旅の途中で貢献のためにつれてきた珍禽の白天鵝に水を飲ませ羽毛を洗おうとした際に逃がしてしまった。残されたのは鵝毛のみ。遣使は接見の際にこれを献じ、詩を添えて事情を訴えた。太宗は罪とせず忠誠心をたたえてねぎらったという。
いまや鵝毛ならぬ電子メール(電子郵件)を送れる時代。送ったらすぐにREがついて返事がもどってくる。それでも年賀(賀年有奨)のハガキやカードにていねいに記された手書きのあいさつには、「千里鵝毛」の心が息づいているのが感じられてうれしい。それでもお互いに会うことはかなわない。やはり「千里迢々」(遥かなこと)であることに変わりはない。
欧陽修「梅聖兪寄銀杏」など