牛角掛書
ぎゅうかくかいしょ
「牛角に書を掛く」というのは、ゆったりとして忍耐づよく歩を運ぶ牛にまたがって、その角に書を掛けて読んだという故事からいわれる。隋代の李密が路を行きながら『漢書』を読んだ姿からで、瞬時を惜しんで勉学に励む例とされる。
角に書を掛けられて、路すがら耳元で「項羽伝」を聞かされた牛のほうは迷惑だったろう。牛にちなむ成語には「対牛弾琴」があって、正調の琴曲を聞かされてもいっこうに反応を示さなかったことから、意の通じない人物にいわれる。さらには会盟の際に牲(牛偏)にされ、血の誓いのために「牛耳」を執られては喘ぎ声を発せざるをえない。
この成語をとりあげたのは、移動途中の電車のなかで、瞬時を惜しんで書ならぬ電子機器をあやつる若者たちの姿をみるからで、将来は計り知れない質と量の電子世界が成立するのだろう。想像を絶する未来に牛のように喘ぐばかり。さりとて「牛角掛書」の意味あいが解らなくなることはないだろう。
『新唐書「李密伝」』より