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連載「四字熟語の愉しみ」 「web円水社+」
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2015年7月の「四字熟語の愉しみ」は
「高山流水」「美輪美奐」「出類抜萃」「心服口服」「浮瓜沈李」
を書きました。
「高山流水」(こうざんりゅうすい)2015・07・01
このおおらかな風物の四字熟語は、実景ではなく、とくに優れた古楽器演奏やかけがえのない友人をたたえる比喻として用いられています。先に記した「弦外之音」で、琴の名手だった伯牙が自分の曲想を深く理解してくれていた鐘子期が離世したと聞いたあと、琴を弾じなかったという故事「破琴絶弦」(『呂氏春秋「本味」』から)をみんながよく知っていて、「高山流水」(『列子「湯問」』から)は聞いて快いほめことばとして使われています。
筝(十三弦・有柱)と琴(七弦・無柱)との違いはそれとして、古琴十大名曲のひとつ「高山流水」が双方で演奏されています。琴筝の70%を制作している揚州市は、ことし4月「万花節」に合わせて歴史文化街区「古琴第一街」を開設しました。一方、古跡として「古琴台」(伯牙台)が残る武漢市では、「破琴」の物語「高山流水」の映画化を発表し、この8月にクランクインするといいます。
「美輪美奐」(びりんびかん) 2015・07・08
「奐」はあきらか、あざやかなこと。「美輪美奐」(『礼記「檀弓下」』から)は古くは建築物が壮大で美しいことにいわれましたが、建物の配置や装飾さらに彫刻などの芸術品にもいわれて、時代の変化の中で意味を拡大しながら用いられてきた四字熟語の一つといえます。いまや衛星から送られてきた映像や、世界遺産の古跡や、数万匹のホタルの飛翔(武漢東湖)や、詩情をたたえて演じられるバレーにまでいわれ、名寄市立天文台が撮影した低緯度オーロラも「美輪美奐」と紹介されていました。
美輪にかかわることでは、たとえばフォルクスワーゲン傘下になりましたが、英ベントレーの高級車などなら中古車でも「美輪美奐」のうちですし、洛陽市恒例の「国際牡丹花節」では牡丹園内を30万隻という風車で飾る「風車展」が開かれて、七彩の花田を現出してこれも「美輪美奐」です。そういえば、われらが美輪明宏さんは、み仏からさずかったというお名前で「美輪美奐」の現代例を実現しています。
「出類抜萃」(しゅつるいばっすい)2015・07.15
類から出る、あるいは萃から抜けるというのが「出類抜萃」(『孟子「公孫丑章句」』など)で、「萃」には草が集まる(くさむら)という意がありますから「抜粋」と記すと実情への誤解を生じます。
書物の中から優れた部分を抜き出すことに「抜萃」はよく使われています。人物なら衆人から品格や才能が抜きん出ていることに。孟子は孔子がとくに秀れていることの表現としました。「三国志」では蜀の張松が魏の許都に出かけた折り、楊修に人物のことを問われて、「その類に出て、その萃を抜く者は記すにたえず、数え尽くす能わず」(『三国演義「六〇回」』から)と誇る場面があります。
ニコン(尼康)のカメラやソニー(索尼)のデジカメやトヨタ(豊田)車の「出類抜萃」の機能の紹介や宣伝とともに、村上春樹の短編集『女のいない男たち』が「出類抜萃」ではないという批評に出くわしたりもします。
「心服口服」(しんふくこうふく)2015・07・22
「心服」は内心で納得し、「口服」は口頭で従うこと。したがって「心服口服」(『荘子「寓言篇」』から)となれば全幅の信頼であり、信服です。「口服」ばかりでなく、「心服して天下定まる」と荘子はいいますが、安保法案の衆議院での議論と採決をみていると、とても「天下定まる」ようには思えません。なかなか信服とはいかないことが多く、この成語はさまざまな場面で用いられることになります。
その点ではスポーツの世界は明解で、前日まで「口服」せずに「なでしこジャパン」のW杯連覇の夢を語っていたマスコミも、5-2という点差、身体能力、技術、戦術の差を見せつけられて、アメリカの強さには「心服口服」したうえに「甘拝下風」までせざるをえなかったようです。
といって、ドイツと日本を破ったアメリカのサポーターが、先の大戦の勝利と重ねて示す愛国主義には「心服口服」とはいかない思いを禁じえませんでしたが。
「浮瓜沈李」(ふがちんり)2015・07・29
瓜や李を冷水の中で冷やして食する「浮瓜沈李」(曹丕「与朝歌令呉質書」など)が、消夏遊楽の行事として伝えられています。魏の都、洛陽にいた曹丕は客人のもてなしのために「清泉に甘瓜を浮かべ、寒水に朱李を沈めて」と記していますし、宋の開封では孟元老の『東京夢華録』に巷の売り物として「雪檻に瓜を、冰盤に李を」と、いかにもすずしそうな風物を記しています。
甘瓜はまくわうりの類です。いま主流のスイカ(西瓜)は名前からも知られるように、原産地のアフリカからエジプト、インド、シルクロードを経て中国へ入ったようです。大きくとも西瓜も浮かびます。桃はどんぶらこと浮沈するのでしょうか。
李と桃は同じ中国が原産地です。春先に咲く美しい花は「年年歳歳」でも取り上げましたが、夏の果実はこの「浮瓜沈李」が話題です。「投桃報李」(『詩経「大雅・抑」』から)があって、桃を贈られ李を贈って季節の心を通じていました。
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2015年6月の「四字熟語の愉しみ」は
「泣涕如雨」「平易近人」「破鏡重圓」「亡羊補牢」
を書きました。
「泣涕如雨」(きゅうていじょう) 2015・06・03
声にこそ出さないものの、眼から雨のように大粒の涙を落として離別の悲痛に耐えることを「泣涕雨の如し」(『詩経「邶風・燕燕」』など)といいます。『詩経』ではふたたび会えない女性を、野に遠く見えなくなるまで送ったシーンでの涙ですが、幽明境を異にする場面での「泣涕如雨」は、「管鮑之交」で知られる管仲の姿にそのきわみをみます。管仲は自分をよく知り何度となく危機的困難を支えてくれ、みずからは下がって自分を宰相にしてくれた友人の鮑叔芽が死んだ時、低い声で哭き、抑えきれない涙が雨のように下ったといいます。「泣下如雨」ともいいますが、この管仲の姿は、「管鮑之交」ということばに込められたふたりの友誼の深さを伝えています。
柳田国男は、泣くことの少なくなった文明人はことばの力を過信している、「音声や『しぐさ』のどれくらい重要であったか」(泣涕史話、昭和15年)と、講演で言及しています。率直なボディ・ランゲイジ、男泣きの姿を見たいものです。
「平易近人」(へいいきんじん)2015・06・10
民衆とともに「同甘共苦」すること、群衆の中に入って親しくその心の声を聞くことを「平易近人」(巴金『随想録「二九」』など)といいます。もとは孔子も理想の政治家として慕った周公(姫旦)の治世の姿を、『史記「魯周公世家」』では「平易近民」と伝えています。「周公吐哺」というのは、賢人が訪ねてくると口にしていたものを吐いてまで会ったことにいわれます。食事中なのでといって断るようでは、この「平易近民」の意味は理解できないでしょう。
「平易近民」は周恩来総理の風姿を周公旦と重ねて用いられていましたから、以後の政治家には胡・温といった首脳に対しても遠慮して使わないようです。習近平主席の最近の著作も『平易近人 習近平的語言力量』というタイトルになっています。
「中国夢」で知られる女性歌手陳思思(全国政協委員)が、優美に平等と友愛の心を秘めて歌う「平易近人」が各地の大街小巷で歌われているようです。
「破鏡重圓」(はきょうじゅうえん)2015・06・17
仲のよかったご夫妻が故あって離散したり決別したのち、ふたたびまるく納まってめでたしめでたしというのが「破鏡重圓」(孟棨『本事詩「情感」』から)です。
時折り話題になりますが、典故になっている徐徳言と楽昌公主(南朝陳国皇帝の娘)の場合は故あって離散した例です。隋が遠征して南朝陳を滅ぼした際に、皇帝舎人であった徐徳言は、妻の楽昌公主と離別せざるをえなくなります。そこで銅鏡を割って半分ずつを持つことにします。あなたは才色兼備だから遠征軍の隋の楊家に収まるでしょうから、来年の正月一五日に鏡を街なかで売ってほしい。わたしが生き延びていればその鏡から消息をえてあなたに会う機会ができる。楽昌公主はそうします。
街なかで半分の鏡をえた徐徳言は詩をつくる。「鏡与人倶去 鏡帰人不帰・・」。楊素は情愛の深いふたりに動かされ、故郷の江南の地にかえします。隋の楊素の「成人之美(人の美を成す)」を示す挿話として残された「破鏡重圓」のお話です。
「亡羊補牢」(ぼうようほろう) 2015・06・24
羊は巧みに閉じ込められている小屋(牢)から逃げ出すようです。管理人は急いで小屋を繕うわけですが、逃げたあとですから落ち度をとがめられます。一方で、事後すみやかに解決の手立てを講ずることによって、以後の損失を免れることができるという意味合いで、「亡羊補牢」(『戦国策「楚策」』から)は「いまだ遅きとなさず」として用いられています。
「亡羊」のような例はいろいろあるので、よく使われます。ドイツ航空機事故のあとコックピット内の乗務を「常時二人態勢」にしたことや、上海・外灘広場での雑踏事故のあと、日本の明石事故後の雑踏警備やカウントダウンでは同じく100万人が集まる米タイムズスクエアの警備などが「他山の石」として活かされているのもその例です。未(ひつじ)年に因んで張謙卑が作詞・作曲した「亡羊補牢」を、著作権を盾にして他の歌手に使わせないというのは、いささか囲い込みに問題がありそうです。
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2015年5月の「四字熟語の愉しみ」は
「鶯歌燕舞」「失道寡助」「良禽択木」「正本清源」
を書きました。
「鶯歌燕舞」(おうかえんぶ) 2015・5・6
ウグイスのさえずりとツバメの舞いは、生きものが新たに生まれ育つ春の温潤な陽気を代表する情景です。唐の劉長卿は「鶯啼燕語報新年」(賦得 題作春思)とツバメの鳴き声のほうを聞いていますが、宋の蘇軾は「燕舞鶯啼春日長」(東玻集・七)とツバメの舞いを見ています。春の色鮮やかな「桃紅柳緑」には煙雨もまたよしで、桃紅に鶯、柳緑に燕は、詩情画意が動く風景です。
中国革命の建設期に「鶯歌燕舞」は勃興する明るい景象として詠われています。毛沢東主席の「水調歌頭 重上井岡山」詞にも38年ぶりに訪れた井岡山で、変わらぬ実景として「到処鶯歌燕舞」と出合っています。時代かわって習近平主席は、党幹部の民主生活のありようについて、鶯歌燕舞的であることに自省を促しています。
武漢出身の黄鶯黄燕さんという双子姉妹が留学生として来日し、NHKの中国語放送や古筝のデュエットで活躍して、「鶯歌燕舞」で人気になりました。
「失道寡助」(しつどうかじょ) 2015・5・13
道義にかなえば必ず多くの人びとの支援が得られ、道義にそむけば孤立無援になってしまうというのが、「得道多助、失道寡助」(『孟子「公孫丑下」』から)です。『孟子』には対句として記されておりますが、ここでは孤立することが懸念されるほうから取り上げてみます。
いま中国で「得道多助」として論じられていることに、中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB・亜洲基礎設施投資銀行)構想があります。「摩肩接踵」するようにして57か国まで創設国が増えました。将来は利益を分け合ってお互いに発展していこうというのが「得道多助」の理由です。とすると、参加を見合わせている日米は「失道寡助」として孤立することになります。安倍首相のアメリカでの「日米戦争」に対する「痛切な反省」と「日米の絆」演説は過剰といえる歓迎ぶりとなりましたが、両国の孤立が憂慮される光景でもあるのです。
「良禽択木」(りょうきんたくぼく) 2015・5・20
トリは良い木を択んで住みつき巣をいとなみますが、ここは良いトリは木を択ぶ「良禽択木」(『三国演義「一四」』など)ということで、賢能な人物は英明な君主を択んでつかえて大業をなすという意味合いで用いられています。後漢の創成期に光武帝劉秀につかえて名将として活躍した馬援は、「君が臣を択ぶ世ではありません、臣もまた君を択ぶ世なのです」といって逆指名して木を択んでいます。
木の側からは、優れた人材を得たい企業が人材を確保するにあたって良木であることを広報するときや不動産の広告にも見られます。このトリと木の関係は、名実ともにそなわったサッカー選手の移籍がわかりやすい例でしょう
これから求められる「良禽」としての条件というのは、マネジメント能力、外国語でのコミュニケーション能力、専門分野でのプロフェショナル能力だといいます。この国で、奇に出て笑いをとるエンタメ能力が優先するのとは異なるようです。
「正本清源」(せいほんせいげん) 2015・05・27
根源までさかのぼって問題を解決することを「正本清源」(『晋書「武帝紀」』など)といいます。「正本遡源」ともいいます。製品の品質が規格に合わないこと、薬品の成分表示、財政規律、精神的な腐敗など、問題が指摘されるさまざまな場面でよく用いられます。歴史の真相を究明することにもいわれて、50巻からなる『極東国際軍事裁判証拠文献集成』の発刊によって、4000件余の証拠が明かされ、日本の侵略・罪行に対する「正本清源」の研究が可能になったというふうにも使われています。
清源といわれれると、中国の伝統文化である囲碁を広めて、日本で「昭和の棋聖」と称され、本国でも知名であった呉清源さんが偲ばれます。お名前と人柄はこの成語を想起させました。昨年11月、100歳で亡くなり深く哀悼されています。
韓国では恒例の「新年希望の四字熟語」2015年に、この四字熟語が選ばれています。偽善と無責任からさよならしようというのが選んだ教授たちの理由です。
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2015年4月の「四字熟語の愉しみ」は
「済々一堂」「半晴半陰」「摩肩接踵」「奔走相告」「痛心疾首」
を書きました。
「済々一堂」(せいせいいちどう) 2015・04・01
目標を共にする多くの人がひとところに集まったようすを「済々一堂」(帰荘『静観楼講義「序」』など)といいます。
フレッシュマンの新入生や新入社員を迎えた学校や企業の式典は、春にふさわしい華やぎの「済々一堂」でいいものです。が、一方の秋の重陽の日(旧暦9月9日)には、地元の何十人ものお元気な「百齢眉寿」のお年寄りの集い「百歳宴」というのがあって、人生の深い味わいを感じさせます。北京の人民大会堂の三層の席を埋めつくした3000人に近い全人代代表が、報告を聞き会議する光景は、まさしく世界最大規模の「済々一堂」の情景です。全員賛成の表決の場面などは圧巻です。
「人才済々」もいいですが、さまざまな新製品の展示会もまた「済々一堂」の晴れの舞台です。新車の展示会には、家庭に二台目の需要も加わって、大衆車から高級車まで多彩な車種の展開が活発な経済活動のシンボルとなっています。
「半晴半陰」(はんせいはんいん) 2015・04・8
春になって桜が咲きだすころ、薄曇りの空模様から晴れるのかあるいは小雨になるのか定まらない天候を「半晴半陰」(劉禹錫「洛中早春」など)といいます。繊細な桜の花は烈しい風や冷たい雨は苦手ですが、このあいまいでぼんやりしていて、暖かく湿りのある天気が好きで、花の命を長らえるようです。江戸時代の「季寄せ」にも「半晴半陰これを花曇といふ、養花天はこれに同じ」とあります。
「半陰半晴」もあって、薄曇りから日差しが戻る気配。永井荷風はこの成語が好きだったようで、『断腸亭日乗』によく出てきます。戦中の昭和二十年「四月初八 日曜日。半陰半晴。隣人より食麺麭(食パン)を買ふ。一斤六圓」、戦後の昭和二十二年「五月十四日は半陰半晴。帰途八百屋にて覆盆子(いちご)を買ふ。一箱四十粒にて金四拾圓なり」とあります。また景気の動向が、ある業種が上向きで、ある業種が低迷している模様見のときにも用いられます。
「摩肩接踵」(まけんせっしょう) 2015・04・15
並んだ肩と肩をすり合わせ、踵に踵を接するほどに人が多く絶えないようすを「摩肩接踵」(黄庭堅『豫章先生遺文「三」』など)といいます。東京・浅草寺の仲見世や大阪・造幣局の桜の通り抜け(ことしは4月9~15日)。桜の花見は中国にもあって、武漢大学キャンパス内の500mほどの桜花大道が有名です。一人20元の入場料は大学にとって大きな収入源になっています。「摩肩接踵」は訪問客が多いこと、博物館の展示が人気なこと、優れた人材が多く集まることにも用いられます。
最近では中国が主導して設立した「アジアインフラ投資銀行」(AIIB・亜洲基礎設施投資銀行)の申請期限であった3月31日までに、48カ国が参加を表明したことに「摩肩接踵」がいわれました。日本はアメリカとともに創設メンバーには加わりませんでした。リスクはあるものの開発途上国が資金を借りやすくなることで発展が見込まれ、国際金融の秩序を変えると推測されています。
「奔走相告」(ほんそうそうこく) 2015・04・22
非常時や重大時などの緊迫した場面に、走りまわって知らせ合うのが「奔走相告」(韓愈『昌黎集「二四」』など)です。古くから任務として「告奔走」(『国語「魯語下」』)が知られます。嬉しいことの場合なら「喜笑顔開」しながらの「奔走相告」となります。裁判で無罪判決が出て、その報告をみんなで「欣喜若狂」して喜び合う姿などがいい例でしょう。中国では4月3日~5日が「清明節」の3連休でした。日本のサクラの評判を聞いてツアー客がどっと増えて、上野公園は昨年より40%も多い人出となり、どこでも中国語の歓声が聞かれたといいます。
肉声が届く口コミの範囲での喜びは共有できますが、いまやツイッター時代ですから電波が走ります。TPS(1秒ツイート数)が宮崎駿『天空の城ラピュタ』のTV放送時の14万回が話題になりました。グーグル検索数の「女性」は4億2500万件、「男性」は2億2000万件です。そのトップページは共有どころかあきれます。
「痛心疾首」(つうしんしつしゅ)2015・04・29
これ以上ないというレベルでの痛恨の嘆きを「痛心疾首」(『左伝「成公十三年」』など)といいます。歴史上の転換期に罪を負うことになった為政者はこういう思いで対処してきたようです。いま中国で職権乱用や違法蓄財で裁かれる被告も、裁判で有罪判決を受けて、「痛心疾首」といって代表して罪を背負う嘆きを伝えています。法をまもる立場にある弁護士が飲酒運転(知法犯法)で事故をおこして拘束1か月、1000元の処罰を受けて「痛心疾首」とするあたりには実感があります。
日本が伝統としている相撲、抹茶、畳、下駄などを、すべて中国起源ではないかといって「痛心疾首」する向きもあるようです。また気がかりなところでは、軍事戦略専門サイトが、近代に失った「十大領土」について、ロシア、蒙古、インドなどとの国境周辺とともに琉球、釣魚島を取り上げて「痛心疾首」としていることで、人民共和国(王朝)300年間での「蚕食鯨呑」の行方は想像もつきません。
2015年3月の「四字熟語の愉しみ」は
「胆大包天」「風花雪月」「挙世無双」「得意門生」
を書ました。
「胆大包天」(たんだいほうてん) 2015・03・04
キモが大きいことには際限がありません。「胆大包天」(欧陽予倩『荊軻「第四幕」』など)ともなれば何ごとも恐れることなし、大胆極まりないということで、いまは悪事など困ったことに使われます。白昼堂々と脱獄したり(米)、赤の広場のレーニン廟に酒をかけたり(露)、34年間無免許運転していたり(日)、派出所を狙って車を盗んだり(中)・・。魯迅は若い人の作品に「胆大心細」を求めていますから、新しいことをするに際しては「胆大心細」あるいは「胆大心雄」であってはじめて成就することは確かです。何かを恐れて「胆小如鼠」というのでは、社会も人生も変わらないどころか萎縮(デフレーション)していきます。
歴史上では「胆如斗大」が知られます。三国時代の蜀の武将姜維が死んで腹を開いたところ、胆が斗大(斗は10升)あったということから、万夫といえども恐れず闘うという武勇の人にいわれます。
「風花雪月」(ふうかせつげつ) 2015・03・11
「雪月花(せつげつか)」あるいは「月雪花(つきゆきはな)」は日本人の美意識の底に息づく三つの自然風物で、大伴家持や清少納言いらい歴代の詩歌人が文采を競って表現してきた素材です。ノーベル文学賞の受賞記念講演で、川端康成が「美しい日本の私」と題して紹介して話題になりましたし、筝曲や歌謡曲のタイトルにもなりますし、宝塚歌劇団の組名でも親しいもの。
中国ではもうひとつ「風」が存在として意識されて、「風花雪月」(邵雍『伊川撃壌集「序」』など)が四季変化を伝える風物として詩文に織り込まれています。といってわが国の風流人が風雲、風刺、風情を知らないわけではありませんが。
円安で中国からのパック旅行客が増えていますが、厳選極上の優雅な旅もあって、名湯、名宿の名物料理に、春は桜、夏は祭、秋は楓(ここに風が)、冬は雪の季節絶景。そして名宿では和倉温泉の加賀屋雪月花館が総合日本一に選ばれています。
「挙世無双」(きょせいむそう) 2015・03・25
世界にふたつとないまれにして貴ぶべきものが「挙世無双」(魯迅『故事新編「鋳剣」』など)です。史跡では唐代の長安城もそうですが、その名のとおり「莫高窟」は挙世無双の仏教遺跡です。世界を相手にこれから盛時にむかう現代中国がどれほどの優れた作品を生み出すかは想像もできませんが、その越えるべき作品の数々が日本に渡来して国宝として所蔵されていることは確かです。
「曜変天目茶碗」(静嘉堂文庫)、「潇湘卧游図」(東博)、「王羲之の喪乱帖(摸本)」(宮内庁)、「観音猿鶴図」(京都大徳寺)、「紅白芙蓉図」(東博)、「菩薩処胎経」(京都知恩院)など、いずれも日本の国宝であり「挙世無双」の神品です。
「挙世」の熟語のうちには「挙世皆濁」(「漁父辞」から)があります。国家の将来に絶望して世俗の塵埃を避けて去る楚の屈原が残したことばです。韓国の大学教授600人余が選んだ2012年の世相を示す「今年の漢字」でした。
「得意門生」(とくいもんせい) 2015・03・25
師がみずからその才能を納得して認めた弟子を「得意門生」(『児女英雄伝「第二回」』など)といいます。多くの学術や芸能はそうして世代を越えて引き継がれていくことになります。よく引かれる例が孔子門下で、七二賢とも十哲ともいわれますが、「得意門生」ということになれば徳行の顔回(子淵)と政事の仲由(子路)です。
孔家から遠くない陋巷に住んでつましく「一箪一瓢」で暮らした顔回は「聞一知十」といわれた俊才でした。いまに曲阜の孔廟には孔宅の井戸が残り、すぐに駆けつけられる距離にある顔廟には顔回が用いたという陋巷井が残されています。
2009年に孔子は2560年記念祭を、師と30歳違う顔回は生誕2530年を祝いました。顔回は病により早世し、子路は政治家として義に殉じています。どちらも師より先に離世しています。子路の末裔も73代の仲偉堅氏などが健在です。曲阜を訪ねた折に、人口60万余の市民のうち20%が孔姓だと聞いて驚きました。
2015年2月の「四字熟語の愉しみ」は
「日復一日」「春華秋実」「吉祥如意」「官官相護」
を書きました。
「日復一日」(にちふくいちにち) 2015・02・04
世に皇帝ともなれば、晩年には職務に倦んだり女色に溺れたりするものですが、後漢を興した光武帝劉秀は、「日復一日」(『後漢書「光武帝紀」』から)の勤務を怠ることなく生涯を終えました。「日また一日」はなにげないことばですが、事業をなしとげたあともその継続に意をつくすことにいいます。劉秀は深淵に臨むがごとく(如臨深淵)、薄氷を履むがごとく(如履薄氷)に精細にすごして、皇太子の荘が勤労のすぎるのをみて「優游自寧」を求めたときにも、「これを楽しんでいるのだから疲れはしないのだよ」といって聞きませんでした。
西暦57年2月初めに洛陽で62歳で崩じましたが、その正月に東夷倭奴国王の遣使の奉献を受けて「漢委奴国王」の金印を贈ってねぎらったのが最後の務めとなりました。日中交流の事績が、戦戦兢兢として日また一日を精勤にまっとうした皇帝劉秀の姿とともに残ったのは歴史の幸運でした。
「春華秋実」(しゅんかしゅうじつ) 2015・02・11
春には花が咲き、秋には実が熟れる。「春華秋実」(『顔氏家訓「三巻・勉学」』など)は成長と成熟の経過を示しています。自然にといいますが、いい実にするために植物だって務めているのです。人事にも「春生夏長、秋収冬蔵」がいわれて、司馬遷は『史記「太子公自序」』に四時への順逆の要を説いています。
学問・芸術・事業のはじめに当たって、秋での結実は平素からの努力のたまものであることが強調されます。そして成果の秋には、芸術分野では「春華秋実展覧(展演)」がみられ、事業では創設何年目かの「春華秋実」がいわれます。
日中の文化交流でもよく用いられます。友好都市では明石市が無錫市から友好記念として「春華秋実」旗を贈られています(2001年の20周年)が、民間の投資・貿易による秋実はなお先のことで、務めなければ時だけが流れて成果のない「春来秋去」や「春生秋殺」ということになります。
「吉祥如意」(きっしょうじょい) 2015・02・18
春節(ことしは2月19日)の賀詞として「吉祥如意」(張成「造像題字」など)は、「新年快楽」や「恭賀新禧」とともによく用いられています。たくさんの幸いごとが意のままになるようにという思いを込めています。「祥」も「善」も「美」も羊にちなむ文字ですし、『説文解字』には「羊は祥なり」とあって、吉羊は吉祥の意で用いられています。羊(未)年の「吉祥如意」ですから、良いことが多い一年でありますように。内容のいい四字熟語なので、テレビ劇や楽曲の名、料理や会の名などにも多用されています。
有名ホテルが「吉祥如意年夜飯」(日本のおせち)を提供して、離れて暮らしている家族が手狭な自宅ではなくホテルに集まって、NHKの「紅白歌合戦」にあたる「春晩」(CCTVの「春節聯歓晩会」)をみる「除夕」の過ごし方にも人気があるようです。各地放送局の同種の番組が好まれて、視聴率は10%ていどまで落ちていますが。
「官官相護」(かんかんそうご) 2015・2・25
官吏同士がお互いにかばい合うことを「官官相護」(馮夢龍『醒世恒言「一三」』など)といいます。良きにつけ悪しきにつけ官が官を助け合うことはあるわけですが、良い方の清廉な官吏同士の用例は少なくて、道理に合った執務が行われる「官清法正」がある程度。一方、かんばしくない方は、法が炉の火のように無情である「官法如炉」や官吏が虎狼のように残暴である「官虎吏狼」など、官吏が「官官相護」になることで民衆の造反を呼び起こす事例は歴史上で絶えることがありません。
「刑は大夫に上らず」(『礼記「曲礼上」』)というのは、大夫(高級官僚)は倫理的に鍛えられた素養を持っているので罪を犯すことなどありえないという前提で刑を免れる特権があったのですが、急激な経済成長の陰で表面上の清廉さを保つ「官官相護」が腐敗の温床になっているということで、いまは軍といえども“特区”はないという習近平政権下で、厳格な「反腐敗」告発が各地各界に広がっているようです。
2015年1月の「四字熟語の愉しみ」は
「羊続懸魚」「春回大地」「交口称賛」「一字一泪」
を書きました。
「羊続懸魚」(ようぞくけんぎょ)2015・01.07
今年の干支は乙未(おつび・きのとひつじ)。羊にちなむ四字熟語としては「羊頭狗肉」「羊腸九曲」「亡羊補牢」「多岐亡羊」などが知られますが、ここでは「羊続懸魚」(『後漢書「羊続伝」』より)を取り上げておきます。
羊続というのは後漢時代の官吏の名です。彼が南陽の太守になったばかりのころ、属下の者が当地の特産ですといって白河でとれた鯉を献じてきました。羊続が断ったのにむりやり置いていったので、屋外の柱に懸けておきました。この人物がさらに大きな鯉を持ってやってきたとき、羊続は屋外の柱で干し魚になった鯉を見せて、持って帰るよういったというのです。この話が伝わって「懸魚太守」と呼ばれ、以降だれも礼品を持ってこなくなり、羊家の蔵の中はふとんと破れた衣類と少量の塩麦だけだったといいます。「羊続懸魚」は賄賂を受けない清廉な官吏のこと。反腐敗闘争のつづく中国では、未年を迎えてこの成語を思い出したくない官吏もいるのでしょう。
「春回大地」 しゅんかいだいち 2015・01・14
新年を迎えて人も企業も団体も思い新たに一年の活動を始めますが、春がめぐってきて大地が温まる「春回大地」(李昭玘『楽静居士集「道中書懐三首」』など)には、陽暦一月にはまだ実感がありません。ですから1月15日も小正月と呼ばれて「成人の日」の祝日に当てられていましたが、これもハッピーマンデーに移って、いまや何事もない日となっています。正月飾りをまとめて焼却日とする所はあるようですが。
少なくはなりましたが、15日を豊作を祈る祭事として、とんど焼き(どんと焼き)や左義長が各地に残されていて、関東では大磯(ことしは1月11日)が有名です。
陰暦では新年の初日が春節(月齢零、2月19日)で、それから迎える最初の満月に農家が明かりをともして豊作を祈る。それが元宵節(ことしは3月5日)で、陰暦での農作業はじめの大切な行事です。台湾ではランタン・フェスティバルが盛んで、「平渓天燈節」は満月の夜のランタン飛ばしが幻想的で人気になっています。
「交口称賛」(こうこうしょうさん)2015・01・21
口をそろえてだれもがほめたたえることが「交口称賛」(姚雪垠『李自成「第一卷二十章」』など)です。みなが口をそろえるだけなら、「異口同声」や「衆口一詞」などがよく用いられますが、称賛する明るい話題となると、昨今あまり多くはありません。昨年12月11日のノーベル物理学賞の授賞式が思い出されます。世代が異なる赤崎勇(85)さん、中村修二(60)さん、天野浩(54)さんの3人がそれぞれ異なった場で研究した成果である青色発光ダイオードでの同時受賞は、「交口称賛」の好例といえるでしょう。
北京のスモッグは現代の大都市の課題です。北京を避けて家族連れで訪れた秦皇島北戴河(かつて幹部の避暑地でいまはリゾート地に)の海岸で、子どもたちは清新で湿潤な空気を胸いっぱい吸って喜ぶそうです。秦皇島市の大気汚染対策を「交口称賛」する情景は、環境への市民の「衆口一詞」の願いの表現でもあるようです。
「一字一泪」(いちじいちれい) 2015・01・28
漢字はその成り立ちからいって、一字がそれぞれの意味をもつことから、文中のひとつの文字に感極まってなみだするという「一字一泪」(李贄『焚書「書答」』など)には実感があります。「一言一泪」なら日本語の詩文にもありうるでしょう。
また文章が一字の増減も許さないほど達意で、一字に千金の値打ちがあることを誇示する「一字千金」もあります。秦の呂不韋は『呂氏春秋』を撰して都の咸陽の市門に掲げた時おおいに誇りとし、一字でも増減しうる者があれば千金を与えると豪語しました。「一字千鈞」のほうは重さ(「一言九鼎」は前出)ではなく、魂を揺するほどの詩品の高さをいいます。
また「一字一珠」はすばらしい詩文や歌声の円潤なことにいい、「一字見心」は書き手の思いは一字に読みとることができることにいいます。一字が「千金」「千鈞」「一珠」「見心」「一泪」とくれば、やはり「一字」は「一泪」に極まります。
2014年12月の「四字熟語の愉しみ」は
「五光十色」「一本万利」「手舞足踏」「山珍海味」「尺幅千里」
を書きました。
「五光十色」(ごこうじっしょく) 2014・12・03
南朝梁の江淹の「五光十色」(「麗色賦」から)は、初見の麗人の姿を、あたかも崖から彩雲が輝いて湧いて出たよう・・と描写したものですが、五と十の数字を合わせ用いることで、存在の鮮やかさ豊かさを巧みに伝えています。目を奪う情景です。
国際映画祭の開幕式に、レッドカーペットの上を色とりどりの衣装で次々に通過する女優たちは「五光十色」に輝いています。
山の木々の葉が明るい日差しを浴びて、さまざまな色に染まった「秋山如粧」のようすは、目を奪う「五光十色」の風景というにふさわしいでしょう。都市水辺の夜景はいうまでもありません。上海の黄浦江両岸はその代表でしょうが、広西チワン族自治区の南寧(体操の内村航平選手が個人男子総合で5連覇をはたした第45回世界体操選手権の開催地)の南湖では「五光十色慶佳節」で祝ってくれました。
もちろんモノばかりでなく、心の輝きの表現にも用いられます。
「一本万利」(いっぽんまんり) 2014・12・10
わずかな元手で大きな利潤を得ることを「一本万利」(李海観『岐路灯「三四回」』など)といいます。控えめに「一本十利」もありますが、万利に勢いがあります。
「一本万利」が得られる事業として結婚式とお葬式の請負があげられます。一生に一度の機会ということで、結婚するふたりは会場、衣装、料理、引き出物などにムリをしますし、逝去の人への外聞を気にして喪主がムリをするからです。お金持ちを願うなら「一本万利招財進宝」と刻んだ古銅銭を懐中にするのもいいでしょう。
歴史上では、一本どころか全財産をかけて人質だった子楚を「奇貨」として買い取って、秦の相国になった呂不韋のような豪快な「奇貨可居」もあります。現代中国では、一本どころか「無本万利」で、職権と利権を用いて巨額(兆円レベル)の蓄財をした規律違反の罪で、周永康前政治局常務委員が11月に党籍剥奪、送検されましたが、中国社会での公職と私利つまり汚職の根は深いようです。
「手舞足踏」(しゅぶそくとう) 2014・12・17
両手で舞いながら足を踏みならし跳びはねる。歓喜の極まったようすを「手舞足踏」(『詩経「周南・関雎」』など)といいます。時には興奮のあまり狂態に近い姿を示すこともあります。『水滸伝「三九」』で、宋江が狂蕩の思いにかられて「手舞足踏」し、筆をとって「西江月」の詞を白壁に書きつける場面などはその極みでしょう。
身近の例では、よさこい連とか、スペイン舞踊とか、はたまたEXILEを思う人もいるでしょう。親しいのは桜花の下で催す酔余のはての舞い踊り。女子バレーボールで接戦の末に勝利した瞬間のコートの舞、サッカーでゴールを決めた歓喜の瞬間は、さまざまな「手舞足踏」をつくりだしています。
心のうちの静かな表現にもなります。微妙なところでは、「リムパック」(環太平洋合同演習)に今年初めて中国海軍が参加して、船上でお互いの軍官が歓迎しあうようすにもそれが垣間見えました。
「山珍海味」(さんちんかいみ) 2014・12・24
わが国では「山海珍味」がふつうですが、中国では「山珍海味」(『紅楼夢「三九」』など)といいます。「山珍」と「海味」が合わさった形で、重慶や成都の「山珍」がいわれ、「海味」は香港の「海味街」が知られます。
「山海の珍味」といわれて、なにを思いますか。山珍ならマツタケ、スッポンの縁側、シカのアキレス腱・・とか、海味ならアワビ、フカヒレ、サメの唇・・とか。
珍しい山の幸、海の幸とそのおいしそうな盛り合わせは料理の精華として珍重されます。身近なコンビニに並んだおにぎりも、山珍(南高梅・きのこ)や海味(こんぶ・明太子)を巧みに取り合わせた和食の芸を感じさせます。
年末恒例の「おせち料理」は、世界遺産の和食の「山珍海味」の見せ場です。老舗料亭の京料理はもちろん、中華風おせちや和洋折衷おせちなども加わって、40品から50品が三段重や五段重に盛りつけされています。見るだけで満腹です。
「尺幅千里」(しゃくふくせんり) 2014・12・31
扇に画いた山水画のように、わずか1尺の画幅のうちに千里の景象を画くことができること、外形は小さくとも大きな内容をもっていることを「尺幅千里」(何紹基「与汪菊士論詩」など)といいます。わずか20字の詩のうちに前の10字で大意を尽くし、あとの10字に「尺幅千里」の勢いがあるというものです。
中国では春節(今年は2月19日)を前に「春聯」を書く風習があります。邪気を払って「吉祥如意」であるように、赤い紙に縁起のいい詩文を書いて門柱の左右や入り口の扉に貼るものです。印刷から伝統を守ろうと、天津市では書家が市民のために春聯を書く「辞旧迎新、尺幅千里」という活動をおこなっています。
日本ではクリスマスが終わって、12月27日(土)からの9連休にはいりましたが、中国では元旦は休みですが4日(日)は振り替え出勤です。春節には、大みそか(除夕)の2月18日(水)から24日までの7連休がお正月休みとなります。
2014年11月の「四字熟語の愉しみ」は
「日理万機」「優哉遊哉」「忍辱負重」「小家碧玉」
を書きました。
「日理万機」(にちりばんき) 2014・11・05
日ごと一万件の事務を処理することが「日理万機」(余継登『典故紀聞「三」』など)で、政務が繁忙である国家リーダーに対する敬意と慰労をこめた褒めことばです。近くは周恩来首相がその対象になっていました。反羲語は「無所事事」。
繁忙といっても閑を偸んで映画やテレビ番組をみて息抜きはしているようです。毛沢東、習近平主席はアメリカ映画ですが、温家宝元首相は日本映画をみています。中国公開の最初の外国映画となった「追捕(君よ憤怒の河を渉れ)」(高倉健・中野好子主演)から「三丁目の夕日」や「入殮師(おくりびと)」までみています。戦後日本の大衆の暮らしや共有する死生観を映画から理解しています。
世界一の「日理万機」の人といえば米国オバマ大統領でしょう。ゴルフと家族旅行と休暇での息抜きが、歴史上もっとも豪華で高価な大統領であるということで、国家リーダーの「日理万機」の違いとして指摘されています。
「優哉遊哉」(ゆうさいゆうさい) 2014・11・12
「優哉遊哉」(『詩経「小雅」』など)は、何ものにも煩わされず、悠々自適であることをいいます。日々をおだやかに迎えて一年を過ごすことを「優遊卒歳」といいます。後漢を興した劉秀に、皇太子の荘が勤労の過ぎるのをみて「優遊自寧」を求めています。「優遊」はあくせく暮らす自らのありようを省みて、悠々闲々であること、のんびりした生活を楽しむために、心に留めることばとしていいことばです。
さて日々しごとに追われている現代人は、どんなときにこのことばの意味合いを感じているのでしょう。「遊」に引かれてやはり旅行のようです。北欧にいってオーロラをみる。寒山寺へいって除夜の鐘をつく。トコトコ列車に乗って山間を走って放牧のようすを眺める。筏で川下りをする。キャンピングカーで家族で自在な旅をする。はては高層マンションの最上階に住んで下界を見下ろして暮らす。
なんともあわただしい「優哉遊哉」の情景です。
「忍辱負重」(にんじょく(にく)ふじゅう) 2014・11・19
俳優の高倉健さんが11月10日に亡くなりました。中国では文革のあと最初の外国映画となった「君よ憤怒の河を渉れ」(中国名「追捕」)の主演者として知られ、主人公の検事が着たコートは半月で10万着も売れたといいます。その後、「幸福の黄色いハンカチ」(「幸福的黄手帕」)や「遥かなる山の呼び声」(「遠山的呼喚」)があり、2005年には中国の張芸謀監督による合作「単騎、千里を走る」(「千里走単騎」)が撮影されています。張監督は、その公開にあたって、高倉さんは眼ではなく心で泣く(心在哭泣)演技者だったと紹介しています。
離世に当たっての「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」は、数多く演じた「忍辱負重」(辱めを忍んで重責を担う。『三国志・呉書「陸遜伝」』など)を思わせます。「不器用ですから・・どうぞお幸せに」(コマーシャル)といって去っていく姿を残して。健さん、天堂でどうぞお幸せに(幸福開心)。享年83歳でした。
「小家碧玉」(しょうかへきぎょく)2014・11・26
碧玉は人名です。大家名門ではない普通の家の出の美貌の娘のことを「小家碧玉」(郭茂倩『楽府詩集「碧玉歌二」』など)といいます。「大家閨秀」(名門の娘)は、教育を受け、しつけを教えられ、しとやかで喜怒哀楽を表に出さず、おとなから称賛をうけ、仲間の評判もいい。一方の「小家碧玉」は、ことばづかいがかわいくて、性格は柔和で活発で、両目は輝いて喜びを露わにする。動作は楚々として男性に「護花」の気持ちを起こさせます。どちらも「時代の花」であることに違いはありません。
例えとしては、アメリカ車やドイツ車が「大家閨秀」なのに対して、日本車が「小家碧玉」といわれます。実際にそういう宣伝をして売っています。ケイタイなら仔細な用途を巧みに埋め込んだものに。お寿司の盛り合わせや念を入れて醸造したお酒も。さらには丁寧に手入れされている庭のたたずまいもそのひとつ。最近はやりの内輪でコンパクトな結婚式にもいわれますが、やはり花束を抱えた「小家碧玉」が主役です。
2014年10月の「四字熟語の愉しみ」は
「文不加点」「無価之宝」「天下為公」「天外海角」「一塵不染」
を書きました。
「文不加点」 (ぶんふかてん) 2014・10・01
もっとも優れた文章が一気呵成に記されていることが「文不加点」(祢衡『鸚鵡賦「序」』など)です。それは文思にも修改の要のないことを示しています。至宝とされている書の名品の筆づかいは、どれもがそういうきびしい姿をしています。
王羲之(「羲之頓首」ではじまる「喪乱帖」)や王献之のもの、唐に渡った空海(書状の「風信帖」)や伝橘逸成のもの。顔真卿が心を鎮めて一行にしたためた「嗚呼哀哉」(ああ哀しいかな。「祭姪文稿」)は、文字は人なり(文如其人)の極みを教えてくれます。「顔体」は職人を通じて明朝体に採り入れられているといいます。
印刷されても原稿の一気呵成ぶりはおよそ理解できます。三島由紀夫や丹羽文雄が有名で、一方に大江健三郎の原稿は一字一字ていねいに記して、途中での修正は後ろに添えたり張ったりして繕って、欄外に吹き出しをつくらないようですから「文不加行」。一気呵成とは異質の幅と含みのある文体をつくっています。
「無価之宝」(むかじほう) 2014・10・08
金銭では測れない稀有珍貴なものを「無価之宝」(劉克荘『後村全集「宿山中十首」』など)といいます。婚約時に贈られた0.3カラット(30万円)のダイヤの指輪は、ご本人にとっては「無価之宝」でしょう。1905年に南アで採掘された3106.75カラットのダイヤ原石は、ご存じ英王室の王笏(530.2カラット)や王冠(317.4カラット)など9個にカットされています。最近同じ鉱山で採掘された232カラット原石が1000万ポンド(17.7億円)といいますから、ダイヤなら値が測れないことはないようです。
7月に東京の「特別展 台北故宮博物院 神品至宝」で特別展示された「翠玉白菜」(高さ19センチ、)は清・光緒帝に嫁いだ瑾妃が持参した翡翠の細密な彫刻で、白菜は純潔をバッタとキリギリスは多産を象徴するといいますから、やはり「無価之宝」です。一方で、詩人は山中の「月色と泉声」を「無価之宝」と詠っています。
「天下為公」(てんかいこう) 2014・10・15
『礼記「礼運」』にあるこの成語は、歴代の政治家が目標としてきました。孫文がよく揮毫したことで知られ、雄渾な直筆が南京・中山陵正門に掲げられ、原筆を所蔵する台湾の故宮博物院にも掲げられています。「辛亥革命100年」を記念する行事が各地で行われ、封建制(一家族の権力)を打破した民主革命に評価がありました。あとは優れた将相名賢が出て、「天下為公」の政治をどう展開するかです。「大道の行われるや、天下を公と為し、賢を選び能を与し・・故に外戸をして閉じず、是を大同と謂う」と。セキュリティのいらない社会ならわが国で実現していた記憶があります。
一方に「上下こもごも利をとれば国危し」(『孟子「梁恵王章句」』より)が知られます。みなが利をむさぼりとるとき、国は危うくなる。とくに上位のものが大きく奪うとき、国はいっそう危うくなる。麻生副総理の政策集団「為公会」は、公(格差を容認しない)の「大同」より「利」によって社会を動かそうとしているようです。
「天涯海角」(てんがいかいかく)2014・10・22
中国の「土中」には「土のなか」だけでなく「四方の土地の中央」の意味があります。周公旦が洛邑(いまの洛陽市)を「土中」として京師(都)に立て諸侯を四方に封じたことから地勢的・歴史的な中国の版図が意識されてきました。都が長安(西安)、南京、北京、東京(開封)と移っても、皇帝は常に「中原逐鹿」の勝利者でした。ですから「天涯海角」(曾鞏『北帰三首「其一」』など)は版図の果ての僻辺の地でした。
南方では海南島が「天涯海角」の地で、宋代に海南島に左遷された蘇軾は、戻るときに「天容海色」と詠じています。雲散って月明るい清澄な「天容」も「海色」も、ともに潔白であることの証しになっています。いま海南島に「天涯海角遊覧区」があって観光地になっています。突兀として立ち並ぶ巨石のうちに天涯と海角と呼ばれる巨石があって、仇敵だった家族の反対を押し切ったふたりの愛が化したと伝えられています。さて東方はどこが「天涯海角」なのでしょうか。
「一塵不染」(いちじんふせん) 2014・10・29
「一塵不染」(馮夢龍『喩世明言』など)は仏教で欲念を払う修行のことばから。官人として清廉であること、品格に汚点がなく高尚なこと。環境が清潔であることやものがきれいことなどにも広く用いられています。
「政冷経冷」とまでいわれながらも、中国からの観光客は回復しています。東京は浅草寺、天空樹(スカイツリー)、秋葉原、銀座。富士山は忍野八海、五合目ツアー。京都は清水寺、祇園。大阪は大阪城、心斎橋、道頓堀など。そして食はスシと日本ラーメン。伝統と現代をあわせ楽しんでいます。秋には紅葉が加わって7日2000元(3万円余)は安いです。観光客が一様に驚いたのは、公園やトイレなど公共施設が「一塵不染」なこと。その清掃員に中国人アルバイトがいることでした。
格差の広がった中国で、民衆の模範である公務員は勤倹節約、克己奉公につとめて「一塵不染」が求められていますが、生活での規律の緩みは深刻のようです。
2014年9月の「四字熟語の愉しみ」は
「虎落平川」「以訛伝訛」「敬老慈幼」「愛莫能助」
を書きました。
「虎落平川」(こらくへいせん) 2014・09・03
平川は山中ではなく平坦な土地のことで、「一馬平川」ならごくありふれた風景です。ところが平時なら山中深くにいるはずの虎が、人里近くに現れる「虎落平川」(『説岳全伝「四〇」』など)となると、山中での実権を失って流浪の旅に出た姿です。犬に囲まれて立ち往生ということになります。朝鮮での加藤清正の虎退治も、山深くの虎かこんな平川での虎との出合いかによって評価は変わることになります。
一方に「放虎山林」(『三国志「蜀書・劉巴伝」』から)があります。将来は危害を及ぼすかもしれない人物と知りながら、放って山に帰すこと。三国時代には益州の劉璋による劉備の処遇についていわれます。わが国では池禅尼のはからいで、命ながらえて伊豆に流された源頼朝が、平家を滅ぼすなどがいい例でしょう。
英国サッカーの雄マンチェスター・Uが「虎落平川」の趣のなかで香川真司を放出しましたが、彼は古巣ドルトムントへ戻って輝きを戻すことになるでしょう。
「以訛伝訛」(いかでんか) 2014・09・10
ここの「訛」は、なまりでなくあやまりです。あやまってものごとを伝えることが「以訛伝訛」(『紅楼夢「51回」』など)で、古今にその事例には事欠きません。むしろ真実をありのまま伝える「以真伝真」(伝真機はファックス)が機械的で味けないので、人命にかかわらなければ胸に収まりやすいほうでいいともいえます。人命に多大な影響を及ぼしかねなかった福島原発事故にかんする吉田昌郎所長と外部とのやりとりは、「以訛伝訛」が話題になりました。
中国とのかかわりで「以訛伝訛」といえば植物の「柏」で、これはすでに述べました。「小心」(気をつけて)も身近です。日本では「生サケ(サーモン・三文魚)を食べない」というのも中国では長くいわれてきました。寄生虫による重症の原因として江戸前のスシでサケを避けていたことはたしかです。いまはサーモンの登場で、イカと同じ並ネタになって「以訛伝訛」のひとつが消えたようです。
「敬老慈幼」(けいろうじよう) 2014・09・17
心から老人を尊敬し、子どもを愛護することが「敬老慈幼」(『孟子「告子下」』など)で、老幼はともに賓客と同等の扱いを受けます。「敬上愛下」も同じです。
毎年の9月第3月曜日が祝日の「敬老の日」(今年は9月15日)、9月15日が「老人の日」で、今年は同日です。中国では旧暦「重陽」の9月9日(今年は10月2日)が「老年節」、「国際高齢者デー」は10月1日です。9月を「敬老月間」「老人月間」「高齢者保健福祉月間」としている自治体もみられます。
いくつから「お年寄り」? 新聞社の調査では一般的には70歳からがいちばん多いようです。国際基準には65歳以上があって、その人口比率が「高齢化率」。わが国は25・9%で世界最速・最高です。毎年、新聞各紙とも「何の祝日?」というほど関連記事が少なくて、昨年はホームラン記録をつくった「バレンティン・デー」でした。今年は山口淑子(李香蘭、94歳)さんの死を伝えています。
「愛莫能助」(あいばくのうじょ) 2014・09・24
東京駅コンコースで人だかりに出合いました。天皇ご夫妻が新幹線を降りて構内を通って皇居への車寄せに向かうわずかな区間でしたが、国民に近く親しく会釈されながら寄りそうお二人の姿には「相思相愛」がふさわしい四字熟語です。
愛は溢れるほどあっても、力が足りないとか条件がきびしくて助けることができないことが「愛莫能助」(『聊齋志異「鍾生」』など)で、『詩経「大雅」』では「愛莫助之」といっています。
ご成婚のあと「テニスコートの愛」などともてはやされた美智子妃が、平民であるゆえの皇室内での孤立について、皇太子は「愛莫能助」であったようです。
「千年樹」が手入れの甲斐もなく枯れてしまったとか、泳げないので溺れる子どもを見ながらどうしようもなかったとか、子どもの自立を見守る母親とか。見るに忍びない情景もありますが、こういう事例はいつの世にも多いのでよく使われます。
2014年8月の「四字熟語の愉しみ」は
「一以貫之」「目迷五色」「夏雨雨人」「斤斤計較」
を書きました。
「一以貫之」(いちいかんし)2014・08・06
一貫した態度でひとつの道を歩むことをいいます。「吾道一以貫之」といったのは孔子です。弟子の曾参がそれを聞きました。あとで門人たちが「先生の一を以って之を貫くとは」と問うたのに対して、曾参は「忠恕のみ」と答えています(『論語「里仁」』より)。「忠」は心に素直であること、「恕」は思いやりです。
現代中国での孔子の復権とともに、このことばも復活しています。李克強首相が内外記者との会見の席で、改革を説明するに当たって「古人説(いう)」として用いてインパクトがありましたが、わが国では古くから知られて、政治家はいうに及ばず、すぐれた業績を残した経済人やスポーツ選手などが座右の銘としています。
やや頑なに独断専行でわが意を通す成語に「一意孤行」(『史記「酷吏列伝」』など)があって、最近はこちらのほうが目立ちます。ウクライナ問題でのプーチン大統領や軍国化に進む安倍首相の言動にも、もちろん用いられています。
「目迷五色」(もくめいごしき) 2014・08・13
色や香りは五感を刺激して脳を活性化しますと有名化粧品の宣伝にありましたが、先人は逆に「目は五色に迷う」(沈徳符『万暦野獲編「国師閲文偶誤」』など)といいます。老子は「五色は人の目を盲ならしむ」、荘子も「五色は目を乱す」といいます。
人為的に目立つ色に迷わされていると、色を失っていく夕暮れの風景が目にやさしく、モノクロ写真や映画の情感に深い味があるのに気づきます。「目迷五色」といっていいカラー写真の氾濫の中で、アラーキー(荒木経惟)が見撮った愛猫チロ(22歳)の写真は、けっして失われないもののあることを伝えていました。
古来、伝統の五色は青・赤(朱)・白・黒・黄で、これがいわゆる正色です。正色の朱に対して間色の紅や紫が際立つことを「紅紫は朱を乱す」といいます。たしかに朱の衣よりも紫の袈裟や紅裙(紅いもすそ)のほうが目立ちます。しかし正統というものはワンポイント目立たないところにあることを伝えています。
「夏雨雨人」 (かううじん) 2014・08・20
ほどよい「夏雨」は大地に潤いをもたらす天恵ですが、ことしは各地に豪雨の被害をもたらしました。本来は「春風風人、夏雨雨人」(劉向『説苑「貴徳」』から)と合わせて使われて、春風は人に温かさをつたえ、夏雨は人に潤いをもたらすということから、「春風夏雨」ともいいます。丁寧な教えを受けたり援助されて心から感謝したいときに用いられます。
斉の宰相管仲は「そうありたいのだが、できないことだ」(『説苑「貴徳」』)といっていますから、軽くは使えないようですが、夏休暇を利用して農村に支援にいく学生の運動もそういうようですから、夏休みを利用して東北の被災地にはいり、こつこつと復旧事業の手伝いをしている学生の活動は「夏雨雨人」といっていいでしょう。
8月夏雨といえば、広島、長崎の「黒い雨」が思い浮かびます。直後の雨による放射能被曝は福島へも継続している問題です。
「斤斤計較」(きんきんけいかく〈こう〉) 2014・08・27
かつて「斤斤」は名王の明察が細やかなようすにいいました(『詩経「周頌」』など)が、のちになって小利や小事に細かくかかわることを「斤斤計較」(魯迅『彷徨「弟兄」』など)というようになって、庶民もがさまざまな場面でよく用います。
お金に細かいことでは、まずしい村民なら三毛五毛をどうするかのつましい表現になりますし、大金持ちならドケチになります。心配りでは、男性が「斤斤計較」でないことが女性に好まれます。糖尿病の人なら飲食の細部にこだわることに。アメリカが中国に「斤斤計較」で細かい要求を出すのは衰落の証になります。
わが国では、「斤」は印刷用紙の厚さや競馬の負担重量として斤量が残っていますし、食パンの1斤(340g)も親しい。中国では1斤は10両で、日常的に用いられていますが、はかりには電子はかり、卓上はかり、天秤はかりとあって、なぜかどれもがやや少なぎみの「欠斤短両」が、世界計量日(5月20日)に話題になります。
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「四字熟語」の愉しみ web 「円水社+」の連載から 1214年2月
「牛角掛書」「三春之暉」「抜苗助長」「信言不美」
「牛角掛書」(ぎゅうかくかいしょ) 2014・02・05
「牛角に書を掛く」というのは、ゆったりと歩を運ぶ牛にまたがって、その角に書を掛けて道すがら読んだという隋代の李密の故事からいわれます。李密は煬帝に警戒されて遠ざけられ、後に唐を建てる李淵の下に居ることに甘んじず、「中原逐鹿」(天下争覇のこと)に敗れますが、道を行きながら牛角に掛けた『漢書』を読んだ姿は、瞬時を惜しんで学問に励む例とされています。角を使われ、耳元で「項羽伝」を読み聞かされた牛のほうは迷惑だったことでしょう。(『新唐書「李密伝」』より)
この成語をとりあげたのは、移動途中の電車のなかで瞬時を惜しんで電子機器をあやつる若者たちの姿と重なるからで、学校で得た知識ではなく、移動中に得た計り知れない質と量の知識によって、国境をこえた電子世界の知識人が時代を動かすことになるのだろうと推察されるからです。想像を絶する未来の姿に、牛のように喘ぐばかり。さりとて「牛角掛書」の意味合いが解らなくなることもないでしょう。
「三春之暉」 (さんしゅんのき)2014・02・12
「三春」は、孟春、仲春、季春。「三春の暉」は春三カ月の暖かい陽光のこと。長い旅に出る子どもが着る衣服(游子身上の衣)を、「立派になって帰っておくれ」という思いを込めてひと針ひと針と縫う母の愛を「三春の暉」にたとえていいます。暖かさではこれに過ぎる衣はないでしょう。手中に糸を操っている母の恩にどうやって報いればいいのだろう。この孟郊の詩「游子吟」を口ずさみながら、中国の子どもたちは自らの出立のことを思うのです。
父の恩については、李紳の詩「憫農」にきわまります。こちらは日中の強い陽光をあびながら、穀物をつくる畑の土に汗を滴らせて鋤をあつかう父。ひと粒ひと粒はみなその辛苦の成果「粒粒辛苦」であることを思うのです。
「游子吟」も「憫農」も、ともに中国の子どもたちがそらんじている唐詩であり、「三春の暉」も「粒粒辛苦」もともに親しい四字熟語です。
「抜苗助長」(ばつびょうじょちょう)2014・02・19
種から芽が出たものの苗の育ちが遅い。そこで早く育てようとひっぱって伸ばして枯らしてしまった農民の話が『孟子「公孫丑章句」』に記されています。いくら周辺から蔑視されていた宋国でも、農民がそんな愚かなはずはないのですが、孟先生は「助けて長ぜしむることなかれ」としてこの宋国の農民の失敗例を引いています。「抜苗助長」または「揠(あつ)苗助長」としてよく知られている故事成語です。ですから本来、「助長」には良い成果を求めて能力を伸ばす意味合いはないようです。
次世代の優れた才能を育てようと「助長」して枯らしてしまうことは、ひとつの金メダルの陰の“英才教育”として知られるところ。いま中国でも庶民の間で就学前3年の幼児園教育が問題になっています。社会常識や活動能力や情操教育をおろそかにして、文字を書かせたり算数の力をつけさせたりする就学前教育が両親の希望で優先される傾向があるからです。そこで「抜苗助長」がよく用いられます。
「信言不美」 (しんげんふび) 2014・2・26
老子は「信言不美」(信言は美ならず)といいます。対句として「美言不信」(美言は信ならず)とつづきます。李耳(老子。生没年とも不詳)は、人生の終わりに近く、衰亡の淵にあった都の洛陽を離れて西方へと隠遁の旅に発ちます。周室の蔵書の官として冊簡(文献)を読み解き、王都にいて現下の世情をつぶさに見て、人為を知り尽くした末の行動でした。
中原と西方の山地とを分けるのが函谷関。関を出てしまえば蓄積してきた知識ももはや何の意味もありません。老子の胸の奥にうごいた感慨を察して、関令の尹喜は熱く懇願します。李耳は関にとどまり五千余語の『道と徳の経』を残しました。そして最後の章に「信言は美ならず、美言は信ならず」(『老子「八一章」』から)と謙遜のことばを記して山中へと消えていきました。対比される孔子は弟子たちに囲まれて死にましたが、老子の最後は「終わるところを知るなし」なのです。
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「四字熟語」の愉しみ web 「円水社+」の連載から 1214年1月
「老馬識途」「山珍海味」「哀哀父母」 「濫竽充数」「歳寒三友」
「老馬識途」 (ろうばしきと) 2014・01・01
2014年・平成26年は甲午(きのえうま)。「馬」にかんする四字熟語には、すでに本稿にも「龍馬精神」「走馬看花」があり、「馬耳東風」「塞翁之馬」「伯楽相馬」「快馬加鞭」「害群之馬」など親しいものも数多くあります。
馬は路をよく覚えていて、帰りには主人が疲れたり泥酔したりして馬上で寝込んでしまっても間違えずにもどってきます。だから酒酔い運転の心配もない。「老馬識途」(『児女英雄伝「一三回」』ほか)といいこんな史話が残されています。
春秋時代に、斉の桓公の軍が春に遠征をし冬に帰国する行軍で道に迷った時のこと。臣の管仲が「老馬の智は用いるべきなり」(老馬之智)と提案して老馬を放ち、その後に従って国に戻れたといいます。知識や経験の豊かな高齢者を大いに用いようということです。ちなみに60歳を迎
える甲午生まれは、中畑清、松任谷由実、林真理子、清家篤、檀ふみ、志位和夫、安倍晋三、古舘伊知郎、片岡鶴太郎さんなど。
「山珍海味」(さんちんかいみ) 2014・01・08
「山珍海味」はいかにも中国ふうな表現の四字熟語です。盛大なようすに「堂堂正正」がよく使われます。日中の「四字熟語」には典故や経緯の違いから内容は同じで語順の異なるものがあるのに気づきます。左が中国で右が日本の用法。
山珍海味・山海珍味 雲消霧散・雲散霧消 灯紅酒緑・紅灯緑酒
賢妻良母・良妻賢母 粉身砕骨・粉骨砕身 異曲同工・同工異曲
不屈不撓・不撓不屈 堂堂正正・正々堂々 奪胎換骨・換骨奪胎
一部の文字が異なる「四字熟語」も挙げておきましょう。
安身立命・安心立命 異口同声・異口同音 異想天開・奇想天外
金科玉律・金科玉条 虎頭蛇尾・竜頭蛇尾 善男信女・善男善女
朝令夕改・朝令暮改 日新月異・日進月歩 燃眉之急・焦眉之急
中国には「一年一相」を止めた安倍政権を「虎頭蛇尾」と評する向きもあります。
「哀哀父母」 (あいあいふぼ) 2014・01・15
生み養い育ててくれた亡き父母の恩を思う「哀哀父母」(哀哀たる父母、『詩経「小雅」』)は古くから伝え継がれてきた成語です。みずからがその労苦を知るころには父母はすでにいなかった。ところがいま史上まれな長寿時代になって、高齢期をすごす父母に、生きているうちに親の恩に報いることが可能になっています。
そこで「哀哀父母」をふまえて「愛愛父母」という成語が生まれる。生きているうちに孝行をしようという明快さが「愛愛」にあります。時代とともに新たな味わいを付加しながら「四字熟語」も生き延びていくようです。
年初の『日本経済新聞「NIKKEIプラス1」』(1月11日付)で、「今年の抱負、四字熟語で」という読者応募の企画の発表があって、選者のひとりとして「人間関係」編に寄せられた応募作の中から「傑作」として推薦しました。1位になりわたしのコメントが付けられています。愛愛への展開もよく、世相をとらえてユニークです。
「濫竽充数」(らんうじゅうすう) 2014・01・22
「竽」(竹製の管楽器)の合奏者の中にうまく吹けない者が混じっていることをいう「濫竽充数」(『韓非子「内儲説上」』から)は、さまざまな意味合いでよく使われます。無能なのにいい地位にいる、実力以上の待遇や声価をえている、全員のレベルを乱している・・手ぬき品やブランド品のなかのニセモノにもいわれます。
竽の合奏を聞くのを好んだ斉の宣王は、吹き手を集めて合奏させました。そこで南郭先生が三百人の吹き手を集めて演奏したところ、王は喜んで国費で楽員を抱えたといいます。問題は宣王が死んで湣王が立ち、個人の演奏を好んだことにあります。演奏者として実力のない南郭先生が去ったのはいうまでもありません。
楽団がいい演奏をするには、全体の調整を図る指揮者やコンサートマスターが必要です。後者は演奏の名手ですが、中心にいて必要な指示を出していた南郭先生は指揮者に近い役割をしていたという解釈もあっていいようです
「歳寒三友」 (さいかんさんゆう) 2014・01・29
NHKの連続ドラマ「梅ちゃん先生」で有名になったのが、松、竹、梅の三つを指す「歳寒三友」(王質『雪山集「送鄭徳帰呉中」』など)です。姉の松子、兄の竹夫そして梅子という名前を、父の建造がきびしい寒期に松と竹は枯れず梅は寒中に花を咲かせる、その姿から付けた名前であると知らされて得心するシーンがありました。雪中の梅を高潔の士に見立てた「雪中高士」は昨年紹介しました。
人生の厳しい時期に頼れる友人がいれば心強い。唐の白居易は「琴・詩・酒」を三友としています。その詩を読んだ菅原道真は、琴と酒は「交情浅し好去(さよなら)だ」といい、詩だけが「独り留まる真の死友」(読楽天「北窓三友」詩)と詠じて生涯の友としています。
主の道真を慕って京から太宰府へ飛んだ「飛梅」が天満宮に残されていて、春先になって東風が吹くと白い花を咲かせています。
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「四字熟語の愉しみ」 円水社+ 連載 2013年12月
「三更半夜」 「松柏之茂」「陽春白雪」「掩耳盗鈴」
「三更半夜」 (さんこうはんや) 2013・12・04
旧暦では日暮れから日の出までを五つの刻みにわけて、初更~五更と呼んでいます。そうすると「三更」が真夜中であり「半夜」でもあることから「三更半夜」(『宋史「趙昌言伝」』)というのは、いわゆる午前さまです。
宋都の東京開封(「清明上河図」に画かれる)は、平和を謳歌して深夜まで夜市で賑わいました。いまにその伝統はつづいています。塩鉄税の徴収官であった陳象輿と財政官であった董儼らは、夕方から深更まで熱心に税談議をしていたといいます。そこで都の連中からは「陳三更、董半夜」といわれました。能吏に三更まで税徴収の談議などされたら、夜市を楽しめない者もあったことでしょう。
冬の夜の東京は明るい。とくに霞が関界隈は、官僚の残業で明るい一角です。かつては国土発展の予算配分で深更までしごとをしている明かりでしたが、いまや増税による予算づくり。その「三更半夜」の明かりとなると寒さがつのります。
「松柏之茂」(しょうはくのも) 2013・12・11
中国の「柏」は日本のカシワではなく和名「コノテガシワ」(児の手柏)のことで常緑樹です。カシワは落葉するので一見すれば違いがわかりますが、なぜか先人は「柏」の字にカシワを当ててきました。
他の植物が葉を落として新年を待つのに、松と柏は寒中にも葉を緑に繁らせて長寿であることから、「松柏の茂」(『詩経「小雅・天保」』など)は衰微せずに不変であることに例えられます。中国の旅行先で「古老柏」に出会うと実感します。
中岳嵩山の嵩陽書院内には漢の武帝によって将軍に封じられた「将軍柏」がいまも傾きながら雄姿をみせていますし、山西省太原市の晋祠や高平市には三千年柏もあります。実は南京の老樹「六朝松」が柏であるなど、中国でも松と柏をわけずに用いてきた例をみかけます。わが国に「柏」の老樹は多くありませんが、東京・国分寺市の祥應寺で樹齢六〇〇年を超える大樹をみることができます。
「陽春白雪」(ようしゅんはくせつ) 2013・12・18
北陸に大雪。ことしも本格的な冬のおとずれ。昨年の一二月一〇日には、山中伸弥教授の隣に文学賞の莫言氏と、雪のストックホルムのノーベル賞晩さん会会場には日中の名士が並びました。
「陽春白雪」というこの美しい四字熟語を、莫言氏はお好きなようです。恒例のストックホルム大学でのスピーチで、中国文学の現状を問われて、「陽春白雪と下里巴人」(楚辞「宋玉対楚王問」から)といって会場の笑声と掌声を誘っています。通訳には意味が分からず、自ら「高級な白酒を好む人もいれば普通の白酒を好む人もいる。それぞれ味わいがある」と受容の多様化を補足していました。
「陽春白雪」は高尚な楚の音曲の名で、一方の卑俗な音曲が「下里巴人」(巴蜀のひなびた里人)。「下里巴人」のほうは数千人が和して歌うのに「陽春白雪」は数十人。作品がどちらにも受け入れられている現状へのとまどいもみられます。
「掩耳盗鈴」 (えんじとうれい) 2013・12・25
「漢語盤点2013」(中国版「流行語大賞」)には、字は国内が「房」(部屋)、国際に「争」、詞は国内が「正能量」(前向きエネルギー、積極的な思いやり)、国際に「曼徳拉(マンデラ)」が選ばれました。昨年の詞は「釣魚島」でした。
「釣魚島(尖閣諸島)」は「カイロ宣言」(1943年12月1日。ことし70年目)で返還されたとする中国の立場は固い。そこで日本政府(安倍政権)の手法を「掩耳盗鈴」(沈徳符『万暦野穫編二』など。耳を掩いて鈴を盗む)といって譲りません。
盗もうとした鈴(鐘)が音をたてたので、聞かれるのを恐れて自分の耳をふさいで実行したというのが原意。F15の緊急発進もそう。中国側から「掩耳盗鈴」と呼ばれるかぎり、このままでは首脳会談など開けるわけがありません。
悪いと知りながら自分を欺く。わが国の有名ホテルの食材偽装などもそれ。中国でも事例にこと欠かず、よく使われます。古くは盗鐘だったのが、いまは盗鈴に。
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