ごあいさつ(2011年5月)

 いかがお過ごしでしょうか。
 3月11日の「東日本大震災」の折には、どこにいてどんな体験をされたのでしょう。
同じ太平洋プレート震源につらなる南九十九里のわが家には実害がなかったものの、実際には呆然自失(判断の停止・活動の休止)という状態に陥りました。
 壮絶なTV映像。
 大戦後の半世紀余をかけて粒粒辛苦して築いた町、家、そして家族を、瞬時のうちに奪い去った大津波の情景は、いくら「想定外の天災」と言い重ねても胸の中に収まってくれません。福島原発の事後対処を見るにおよんで、自然への畏敬の念を没却してきた現代日本への警鐘ではないのかという疑念を断つことができないのです。
 この国の「人禍」(戦禍)のあとの長い平和の日々は、大規模な「天災」(地震・津波)の不発によって保たれていたということになります。 

 2カ月を経て、「天災」とともに「天恵」に深く思いをいたしました。この国の自然への対応は、古来その両面の理解の上に成り立っています。当然のことなのですが、大きな「天災」によって「天恵」に思いいたったということでしょうか。
 農業にせよ漁業にせよ、まちづくりや観光にせよ、「高齢社会」の形成もまた、この国の四季のめぐりの恩恵なしには語れません。拙著『日本型高齢社会』では一章をもうけて、80年代以降に急速に失ってしまった「地域の四季」「地域の特性」の再生を高齢者のみなさんに強く要請したのでした。 

 ここで課題はいっそう重くなったのですが、「日本高齢社会」の形成と「東日本大震災」の復興とを結んだ場所から、小さくとも具体的な活動をはじめることといたしました。
 わたしは一介のジャーナリストにすぎませんが、生涯現役の観察者としての立場から「警世(警醒)の言」を発する役割をつづけなければと考えています。
このたびの活動は、15年間の個人ボランティアを越える覚悟のもとで、終生にわたっての務めになりますので、活動の面でも資金の面でも厚いご支援をお願いいたします。

「唐突に失礼な」とお思いになる方もおいでかと存じますが、来し方のどこかでお会いして、何かとお世話になった方々みなさんに訴えています。

2011・5・20
南九十九里にて 堀内正範