「四字熟語の愉しみ」連載中  「老馬識途」「山珍海味」「哀哀父母」・・・

「四字熟語」の愉しみ  web 「円水社+」の連載から   ~1214年1月

老馬識途」 (ろうばしきと)

2014年・平成26年は甲午(きのえうま)。「馬」にかんする四字熟語には、すでに本稿にも「龍馬精神」「走馬看花」があり、「馬耳東風」「塞翁之馬」「伯楽相馬」「快馬加鞭」「害群之馬」など親しいものも数多くあります。
馬は路をよく覚えていて、帰りには主人が疲れたり泥酔したりして馬上で寝込んでしまっても間違えずにもどってきます。だから酒酔い運転の心配もない。「老馬識途」(『児女英雄伝「一三回」』ほか)といいこんな史話が残されています。
春秋時代に、斉の桓公の軍が春に遠征をし冬に帰国する行軍で道に迷った時のこと。臣の管仲が「老馬の智は用いるべきなり」(老馬之智)と提案して老馬を放ち、その後に従って国に戻れたといいます。知識や経験の豊かな高齢者を大いに用いようということです。ちなみに60歳を迎える甲午生まれは、中畑清、松任谷由実、林真理子、清家篤、檀ふみ、志位和夫、安倍晋三、古舘伊知郎、片岡鶴太郎さんなど。

「山珍海味」(さんちんかいみ)

「山珍海味」はいかにも中国ふうな表現の四字熟語です。盛大なようすに「堂堂正正」がよく使われます。日中の「四字熟語」には典故や経緯の違いから内容は同じで語順の異なるものがあるのに気づきます。左が中国で右が日本の用法。

山珍海味・山海珍味  雲消霧散・雲散霧消  灯紅酒緑・紅灯緑酒
賢妻良母・良妻賢母  粉身砕骨・粉骨砕身  異曲同工・同工異曲
不屈不撓・不撓不屈  堂堂正正・正々堂々  奪胎換骨・換骨奪胎
一部の文字が異なる「四字熟語」も挙げておきましょう。

安身立命・安心立命  異口同声・異口同音  異想天開・奇想天外
金科玉律・金科玉条  虎頭蛇尾・竜頭蛇尾  善男信女・善男善女
朝令夕改・朝令暮改  日新月異・日進月歩  燃眉之急・焦眉之急
中国には「一年一相」を止めた安倍政権を「虎頭蛇尾」と評する向きもあります。

「哀哀父母」 (あいあいふぼ)

生み養い育ててくれた亡き父母の恩を思う「哀哀父母」(哀哀たる父母、『詩経「小雅」』)は古くから伝え継がれてきた成語です。みずからがその労苦を知るころには父母はすでにいなかった。ところがいま史上まれな長寿時代になって、高齢期をすごす父母に、生きているうちに親の恩に報いることが可能になっています。
そこで「哀哀父母」をふまえて「愛愛父母」という成語が生まれる。生きているうちに孝行をしようという明快さが「愛愛」にあります。時代とともに新たな味わいを付加しながら「四字熟語」も生き延びていくようです。
年初の『日本経済新聞「NIKKEIプラス1」』(1月11日付)で、「今年の抱負、四字熟語で」という読者応募の企画の発表があって、選者のひとりとして「人間関係」編に寄せられた応募作の中から「傑作」として推薦しました。1位になりわたしのコメントが付けられています。愛愛への展開もよく、世相をとらえてユニークです。

濫竽充数(らんうじゅうすう)

「竽」(竹製の管楽器)の合奏者の中にうまく吹けない者が混じっていることをいう「濫竽充数」(『韓非子「内儲説上」』から)は、さまざまな意味合いでよく使われます。無能なのにいい地位にいる、実力以上の待遇や声価をえている、全員のレベルを乱している・・手ぬき品やブランド品のなかのニセモノにもいわれます。

竽の合奏を聞くのを好んだ斉の宣王は、吹き手を集めて合奏させました。そこで南郭先生が三百人の吹き手を集めて演奏したところ、王は喜んで国費で楽員を抱えたといいます。問題は宣王が死んで湣王が立ち、個人の演奏を好んだことにあります。演奏者として実力のない南郭先生が去ったのはいうまでもありません。

楽団がいい演奏をするには、全体の調整を図る指揮者やコンサートマスターが必要です。後者は演奏の名手ですが、中心にいて必要な指示を出していた南郭先生は指揮者に近い役割をしていたという解釈もあっていいようです。

歳寒三友」 (さいかんさんゆう)

NHKの連続ドラマ「梅ちゃん先生」で有名になったのが、松、竹、梅の三つを指す「歳寒三友」(王質『雪山集「送鄭徳帰呉中」』など)です。姉の松子、兄の竹夫そして梅子という名前を、父の建造がきびしい寒期に松と竹は枯れず梅は寒中に花を咲かせる、その姿から付けた名前であると知らされて得心するシーンがありました。雪中の梅を高潔の士に見立てた「雪中高士」は昨年紹介しました。
人生の厳しい時期に頼れる友人がいれば心強い。唐の白居易は「琴・詩・酒」を三友としています。その詩を読んだ菅原道真は、琴と酒は「交情浅し好去(さよなら)だ」といい、詩だけが「独り留まる真の死友」(読楽天「北窓三友」詩)と詠じて生涯の友としています。
主の道真を慕って京から太宰府へ飛んだ「飛梅」が天満宮に残されていて、春先になって東風が吹くと白い花を咲かせています。

「蝿頭微利」(ようとうびり)

「蝿頭」を「ようとう」と読める人はどれほどいるのでしょう。ハエを見なくなったことも関係しているのでしょう。給食のパンに混入していて、食べても害がないとかで話題になりましたが。中国ではちっぽけな利益をいうのに「蝿頭微利」(口語では「蝿頭小利」)が用いられています。日本で少量をいう「雀の涙」と「猫の額」。「雀の涙」は見たことがないし、「猫の額」は尺度として範囲があいまいだからでしょうか、中国では見聞きしません。少量を代表するのはハエの頭とカタツムリの角。
「蝿利蝸名」は、わずかな利益とささやかな名声。宋の蘇軾は「蝸角虚名、蝿頭微利」(「満庭芳」から)といって、利得も名声もまとめて突き放しています。
ハエとカタツムリ。どちらも身近でなくなりましたが、ネコだけは健在です。ソファの上に寝そべるネコの狭い額を見て、転じてわが家の狭い庭を見ますと、なるほどと思える違和感のない巧みな表現なのですが。

「各有千秋」(かくゆうせんしゅう)

TOKYOはもちろん、2020年オリンピック招致の3都市は「各有千秋」で優劣つけがたかったといわれました。「千秋」は千年のこと。一つひとつの物事、一人ひとりの人間にはそれぞれに遠く久しい流伝があることを「各(おのおの)に千秋有り」(趙翼「瓯北誌鈔・絶句」など)といいます。
漢の李陵は、「三載(三年)は千秋となる」と詠ったとき、同じ時代の天の一隅に生きながら、もはや友人蘇武と再び遇えないという思いを込めました。「千古絶唱」といわれる唐の李白や杜甫の詩は、文字どおり千年を重ねて「名流おのおの千秋あり」を証明して読み継がれています。名も無き者の人生だって、それぞれ千年の来歴をたどって現在があるわけです。しかし現代四字熟語としての「各有千秋」は、ずっと軽くて、ものの特徴ややり方の特色といった意味合いで使われています。新車の外観や女性の髪型の特徴も、こそどろの手口だって「各有千秋」なのです。

「明日黄花」 (みょうにちこうか) 2013・10・16  円水社+

「明日」というのは、重陽節(旧暦9月9日・今年は10月13日)が過ぎたあとの日のこと。「黄花」は菊の花。重陽節には菊を観賞するならわしがあり、その日に合わせて花の盛りを迎えるよう栽培されます。ですから「明日黄花」(蘇軾「九日次韻王鞏」など)は、節日を過ぎて人びとの関心が薄れたあとの菊の花のことで、遅れて盛りを迎える花の場合には「役たたず」ということになります。
普及のはじめは独占状態だった人気デジタル商品が売れなくなるのが「明日黄花」。女子バレーで日本が中国を破って金星を挙げると、中国は「昔日の影もなし」で、日本は「遅れて今更」という意味で、「明日黄花」の評を受けたりします。
重陽節は中国では「老人節(敬老の日)」で、年老いた両親に会いにいきます。高齢化率1位の上海では10月の「敬老月」には敬老・愛老・助老といった「崇尚敬老」の行事がさかんです。気がつけばこの稿も節日をすぎており「明日黄花」でした。

猫鼠同眠」(びょうそどうみん) 2013・10・23 円水社+

猫と鼠がいっしょに眠る「猫鼠同眠」(『金瓶梅「七六回」』など)というのはありえない情景です。あればネコのほうに問題があることを示しています。これは王朝内では「猫鼠同処」(『新唐書「五行志」』など)ともいわれて、官吏の職務怠慢を戒めることばとして、しばしば使われてきました。
「猫鼠同眠」は今でも見られて、片目を開いて片目をつぶって製品検査をすることでの「互利互恵」がそれに当たります。とくに食品や医療部門の製品での管理者と被管理者の「灰色の黙契」によって問題が発覚すると、「猫鼠同眠」として騒がれることになります。「トムとジェリー」(猫和老鼠)でみるように、善悪より先に敏捷性も問題の要因で、警察官が犯人を捕えられないこともこの類ということになります。
さて十二支に猫がいない理由は、中国では歴代見られる猫的官吏が避けたのかもしれません、なぜなら漢字文化圏のベトナムでは兎のかわりに猫が入っています。

「来日方長」(らいじつほうちょう) 2013・10・30 円水社+

黒姫に居をかまえるC・W・ニコル(73)さん、熊野の山里に住むE・ハンソン(74)さん、そしてD・キーン(鬼怒鳴門、91)さん。それぞれに「来日まさに長し」の日本国籍をもつ知名人です。
こういう「来日」の読み方で、山東省の臨海都市のひとつ日照市(室蘭市の友好都市)は、わが日照市に来れば人は健康で長寿になり、投資企業は末長く発展しますと「来日方長」(汪由敦『瓯北初集序』など)を市の紹介と産業招致に用いています。
そこで、わが日本に来れば親しいオモテナシを受けて、順調に活躍しつつ長生きできますよ! と世界一の長寿国として、世界中の優れた技能者や教養人に長期滞在を呼びかけたらいい。それが来たる日々を豊かで明るい展望を持って過ごせる定住から永住につながる広報となり、三氏のような日本を日本人より良く知る人びとがいる国際文化立国にむかって、本来の「来日まさに長し」を示すことになります。