新情報-小論・まったなし「日本長寿社会」への展開

まったなし「日本長寿社会」への展開
堀内正範 朝日新聞社社友 
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三〇〇〇万人に達した高齢者

わが国の「高齢者」(六五歳以上)は、昨年九月「敬老の日」恒例の発表によると二九八〇万人となり、今年は三〇〇〇万人に達します。これは単にボリュームが大台に乗るというだけではなく、日本社会に質的な変容をもたらすという意味で注目されているのです。
すでに話題になってご存じのとおり、今年から毎年二〇〇万人余の「団塊の世代」のみなさんが「高齢者」の側に加わります。先の大戦での敗戦の後、昭和二二(一九四七)~昭和二四(一九四九)年に生まれた約七〇〇万人の人びと。本稿がとくに「平和団塊の人びと」というのは、両親から「平和のうちに生きて」という願いを託された戦後生まれ(一九四六~一九五〇)の約一〇〇〇万人の人びとをいいます。
昭和二二年生まれというと、ビートたけし、星野仙一、蒲島郁夫、鳩山由紀夫、千昌夫、荒俣宏、小田和正、北方謙三、西田敏行、池田理代子さんなどで、知識も技術も芸域も充実して、各界を代表する現役の人びとです。
平和ではあったものの平坦ではなかった六五年、戦後昭和の復興期から成長・繁栄期そして平成の萎縮期にいたるすべての局面を体験してきてなお元気で暮らしているみなさん。
「ごくろうさま」と声をかけたいところですが、むしろ気力を萎えさせずに、それぞれに蓄積してきた知識・技術・経験・資産を合わせ活かして、新たな存在である「支える高齢者」として過ごしてほしいと願うところでもあるのです。
アクティブ・シニア(支える高齢者)が登場
現実に、長命の両親(母親のみかも)を介護して支え、子どもの住宅ローンを支え、孫の物品の面倒をみるという家庭内でもそうですし、すでに現れはじめていますが、「シニア・ビジネス」の展開によって、高齢者対象の本物指向のモノとサービスが内需を支えることになるからです。
そして何よりも、意識して「支えられる高齢者」ではなく「支える高齢者」でありつづけること。アクティブ・シニアとして、自分なりのライフスタイルを案出して、熟成期の「時めきの人生」を送ること。孤立せずに、水玉模様のようにいくつものコミュニティに参加して多彩に暮らすこと。そんな意識と暮らしの変化が、「長寿社会」のありようを左右すると推測されているのです。
総不況と大災害による「平成萎縮」のあと、「支える高齢者」層がリードする「平成再生・創生」という局面が登場することになります。これがもたらす社会の質的な変容は、想像ではなくすでに構想の域にあります。
「長寿社会」の形成は、すべての世代(all ages)の人びとの参加によりますが、焦点を絞れば高齢者(older persons)が新たな形質を案出しながら達成する「すべての世代のための高齢社会」が中心になります。
高齢先進国の日本で、三〇〇〇万人の体現者がどういう新たな社会を創出するかは、「三・一一大震災」後の復興とともに国際的にも注目されるところです。
「高齢社会対策」担当大臣って誰?
年初の一月一三日に内閣改造がおこなわれて、「高齢社会対策担当大臣が替わりました。
蓮舫議員から岡田克也副総理に替わったことに気づいた人はほとんどいなかったでしょう。後任の大臣本人ですら担当に気づかないほどに存在感が薄いのです。
高齢者をめぐって新しい動きが想定される大事な時期に、こんなことでいいのでしょうか?
「大器晩成」を座右の銘とし、仔細にしごとをこなす岡田さんのあの満面に疲れが居座っているような表情を見れば一目瞭然ですが、内閣府での岡田副総理の担当職務はあまりに多く、個人が担える範囲と量を越えています。
行政改革、社会保障・税一体改革、公務員制度改革・・就任後の新聞発表をみても少子化対策や男女共同参画までで、年々の大きな予算をかかえる事業をもたない「高齢社会対策」は、現状では共生社会政策(村木厚子政策統括官)の一施策あつかいで、表に出ることがありません。
そしてこれも知られないままに、「高齢社会対策大綱」の見直しがおこなわれています。蓮舫さんが引き継いでくれたとは思うのですが、その後の内閣府記者会見で岡田大臣からの説明はないし、内閣府づめの記者からも質問が出るようすがありません。だからニュースとして出ることもないし、知るべき高齢者が知ることもないままで推移しています。
内閣府共生社会政策の一施策でいいのか
高齢者が増えつづけている「高齢化社会」の時期なら個人対策としての医療、介護、年金などの充実で済みます。ところが高齢者が増えて社会的な対策が必要な「高齢社会」になれば、みんなが社会的存在であることを意識して対応しなければ、みんなが安心して暮らせる高齢社会は、いくら待ってもやってはこない。これは高齢者の側の意識の問題です。
高齢者意識を持つ人びとが増え、「団塊の世代」の人びとも加わって、経済社会的な変容が目立つようになり、対策を講じる必要が生じる。そこで「すべての世代のための長寿社会」を政策の柱に据えて、政治リーダーがこの国を活性化する国民運動を起こす。これは政治家の実行力の問題です。
国民が動き、政治が動く。急には専任の担当大臣までは無理としても、「高齢社会対策」を担当する部署が太い動線として対応できるかどうか。いまはなお併任ばかり。本格的な「大綱」の見直しとともに、それに対処する機構の拡充があってもいいところです。これは内閣府の問題です。
いまなお名のみの「高齢社会対策」。
これは先行指標をヨーロッパ先進各国に学んで追随する国の政策が、医療、介護、年金など高齢者対策としての「社会保障」に重点を置いてきた成果であり、結果なのです。これまでに先行事例のない「高齢社会」をどうつくるかは、各国がそれぞれに独自の条件の下で対処すべき問題です。
「日本が沈みつつあることを実感している」
と内閣入りにあたって岡田さんはいい、「なんとか歯止めをかけたい」ともいいました。
日本浮上の知恵と支援はまず優れた先輩に求めたらよいのです。周りの人はいうまでもなく、中枢に近寄らずに身を処す「山中宰相」ともいうべき賢人たちにです。
各地各界に生き生きした「長寿社会」を達成するために、広く知ってもらうこと。岡田さんならできることです。
こう記して期待した矢先(二月一〇日)に、中川正春担当大臣に替わりました。中川さんも就任後の記者会見で「高齢社会対策」にはひとことも触れませんでした。
政治の側の周回遅れは歴然としています。 
「国際高齢者年」(一九九九年)には全国展開

唯一、「高齢社会対策」として国民に存在感を示したのは、一九九九年の「国際高齢者年」(International Year of Older Persons 1999)に、総務庁高齢社会対策室(小渕内閣)が中心になって関係省庁連絡会議を設けて、官民協働で全国展開をした関連事業のみといえます。
これはご記憶にある方も多いでしょう。ないとしたら「参加意識」が欠如していた証です。そして残念ですが、事業の趣旨が一般の高齢者にまで届かなかった証です。
国連が二一世紀に迎える国際的高齢社会を予測し、九〇年代の初めから各国に対処を訴えた活動でした。長寿で得た期間を生き生き過ごす「高齢者のための国連原則」としての、
「自立、参加、ケア、自己実現、尊厳」
という五原則や一〇月一日を「国際高齢者の日」とするといったメッセージが広報され、「すべての世代のための社会をめざして」がテーマでした。
当時、高齢者に関係する団体がこぞって参加し、地方公共団体が参加した広報・事業関係の実施件数は一〇八四件に及び、東京の二一一件をはじめ、北海道、埼玉、長野、大阪などでは五〇件をこえました。四月に知事に就任した石原慎太郎都知事も、一〇月一日の「国際高齢者年記念式典」で、
「この国を持ち直し、周囲からも尊敬される日本の社会をつくり直していくよう、お互いに頑張りましょう」
と訴えています。
みんなの関心を呼ぶイベントは一〇年不在
『高齢社会白書(平成一二年版)』や『国際高齢者年の記録』(平成一二年三月、総務庁高齢社会対策室)にはその成果とともに将来展望が記されています。
この年に始まった「みんなの体操」や「エイジレス・ライフ実践者表彰」は継続していますが、一般の高齢者が参加する目立った活動がなく、一九八八年に始まった「ねんりんピック」のほかはニュースにはならなくなったのでした。
国民の高い支持を受けて登場した小泉純一郎首相が「所信表明演説」(二〇〇一年五月)でいったことばが、世紀初めの「高齢者意識」のありようを伝えています。
「給付は厚く、負担は軽くというわけにいきません」
といって、負担増だけを取り上げたのでした。その後も国民を代表する政治リーダーは一貫して高齢者を「社会の扶養者」として扱い、小泉発言の後追いをしてきたのです。
そのことに「高齢社会対策」担当の官僚が気づいていなかったわけはないでしょう。が、国民や政治の側からの要請が出なければ動くこともできず、三年ほどの担当期間を過ごして、厚労省などの部局にもどるだけのことでした。
この一〇年の間、自治体関係者や民間の人びとによるボランティア(無報酬)の献身的な活動はつづいてきましたが、増えつづけた高齢者の多くは、定年後を「余生」とする旧態依然の通念にしたがって日々を過ごしてきたといえます。
ウオーキングをし、釣りをし、ゴルフをし、パチンコをし、孫をみ、展覧会にいき、小旅行をし、仲間と安酒で会して誰彼の病状を憂え、テレビのニュースだけを拾い見し、貯蓄の目減りを心配して、「平成萎縮」のなかで自分も萎縮して暮らしてきたのではないでしょうか。
新たな「社会の高齢化」(aging)という状況に対する新たな対応、高齢者を「社会の扶養者」とみる「二世代+α型」社会であるとともに、高齢者を自立した対象とする「三世代同等多層型社会への穏やかで緩やかな変容への対応、「AからB」ではなく「AとともにB」という多重型の対応を怠ってきた証なのです。そしてそれは、だれもが理解できる構想として掲げる役割を担う政治の側が負うべき「一〇年の失政」としてあったし、今もあるのです。 
一〇年ぶり「高齢社会対策大綱」を見直し
実は内閣改造前日の一月一二日に、内閣府では「高齢社会対策大綱見直しの有識者検討会が開かれ、「報告書素案」について、清家篤座長(慶応大学塾長)など六人の委員による議論がおこなわれていたのです。内閣改造はニュースでしたが、こちらはニュースになったようすはありません。
一〇年ぶりの大綱検討の主な理由は、刻み目の年であるとともに、やはり「団塊の世代」が六五歳に達して、経済社会情勢に変化が見込まれるためというものです。(一〇月一四日「高齢社会対策会議」での蓮舫担当大臣の趣旨説明)
内閣府には五年前の有識者検討会など内部蓄積があるとはいえ、六人の委員で五回の会議での決着では、共生社会政策の一施策としてのあつかいの域を出ないものです。
香山リカ、関ふ佐子、園田眞理子さんの三人の大学研究者、団塊の世代の漫画家弘兼憲史さん、前高浜市長の森貞述さん、それに前回の見直しに座長をつとめた清家さんがいるとはいえ六人の委員。オブザーバーは厚労省、文科省、国交省の課長・参事官。閣議もできる広い円形の会議室がどよめくような将来構想をめぐる議論が展開できるでしょうか。
検討された「報告書素案」にも、「団塊の世代」をふくめて「人生九〇年時代」の高齢者意識の変化が指摘されています。全世代型の参画、ヤング・オールド・バランス(世代間の納得)、シルバー市場の活性化(野田総理の指示に応えて)、そして互助(顔の見える共助)の必要性など、支えられる側におさまらないアクティブ・シニアによって、「高齢社会」が実態として動くという認識が示されているのです。
その後の議論で、六五歳からが高齢者という基準そのものが実情に合わなくなっているという指摘がされて、これはニュースになりましたが、いま国際基準である六五歳を動かす議論は、問題の解決を複雑にすることになりかねません。
広く公開討議を尽くして将来構想を
そして同じ一月一二日、内閣府にほど近い憲政記念館会議室では、高連協(高齢社会NGO連携協議会)による「高齢社会対策大綱の見直し」に当たっての「高連協提言」の発表会が開かれていました。高連協は一九九九年の「国際高齢者年」の活動を機に発足し、以来この一〇年余り、民間団体として一貫して高齢者活動の支援、実施に尽力してきました。
「高連協提言」はこう提言しています。
普遍的長寿社会は人類恒久の願望であり、高齢化最先行国として世界に示す施策とすべきこと、高齢者は能力を発揮して社会を活性化し充実感を持って生きること、就労の場の年齢差別の禁止、基礎自治体との協働、少子化社会対策、より良い社会を次世代に引き継ぐこと、そのほかを提案。将来像としては、世代間の平等、持続可能性等の観点から「釣鐘型社会」を想定しています。
参加者の議論があり、樋口恵子、堀田力両代表から提言者としての発言がありましたが、報道関係者の姿は少なく、これもニュースとして伝えられたかどうか。
「高齢化」は二一世紀の国際的課題として早くから予測されており、わが国でも一九八六年六月にはすでに「長寿社会対策大綱」を閣議決定(第二次中曽根内閣)しています。
その後、一九九五年一一月に「高齢社会対策基本法」を制定(村山内閣)し、対策の指針となる「高齢社会対策大綱」を一九九六年七月に閣議決定(橋本内閣)し、二〇〇一年一二月(小泉内閣)に見直しをおこないました。
そして今回、二〇一一年一〇月に野田内閣が一〇年ぶりの見直しを決めて、作業を進めている最中なのです。
高齢社会政策の中・長期の指針となる「大綱」そのものは、「報告書」を踏まえて府内で作成し、関係省庁の調整を終えて閣議決定されることになります。
決定する前にパブリック・コメントはもちろん、各界の「参加意識」を持つ高齢者が議論に参加する検討会を一般公開でおこなって、広く内容を告知する経緯を経ることも新しい動きに対応する手順のひとつとして想定されるのですが。 

国民意識の振り子はどう動くか

今世紀にはいって際立ってきた国民意識にかかわる重要な観点をひとつだけ確認して先にいきたいと思います。
いまは亡き人もふくめて、といっても記憶に残るほどの祖父母・父母たちとその世代の人びとのことですが、みんなが実直に粒粒辛苦して働いて、先の大戦後からこれまでの半世紀余の間にこしらえてきたこの国の資産は、社会資本にせよ個人資産にせよ、目を見張るものでした。
平和裏に「九割中流」(大同)という生活実感が共有されていた時期が長くつづきました。史上にも稀れなこの人生体験は先人に感謝して胸中に深く留めねばならないでしょうし、「平成再生」の内容はその時期への回帰でもあります。
いずれの地も凸凹させずに、「冨を等しく分かち合いながら、ともに豊かになる」という、わが国の先人が選んで目標とした「日本的よき均等性」の成果なのです。
だれもが等しく貧しかった時代、若者たちを大都市へ送り出し、地元に残って貧しさや不便さに耐えながら辛苦した人びとがいました。国を思い、地域の発展を思い、家族を思って「誠意」を尽くした人びとの努力を無視しては、現状の公平な豊かさに対する理解の公平さを欠くことになります。
「善く行くものは轍迹なし」
という先哲のことばがありますが、すべての業績を周囲の人に振り分けて轍の跡を残さず去っていった「善意」の人びとの姿を忘れることはできません。
かつて寺の鐘や指輪までを国のために拠出した一億玉砕意識の国民が、大戦後に一転して民主主義の国づくりを始めたときとは振り子が逆に振れようとしているのです。
人民としてか市民としてか国民としてか
国より企業のこと、企業より家庭のことを重視・優先するようになった人民は、国が超一〇〇〇兆円の赤字を抱える一方で、超一四〇〇兆円の家計黒字を保有するに至りました。
新世紀にはいって一〇年余、いまや先の戦時状況に近いところにまで国の財政は悪化しているのですが、人民は保有する家計資産を税として率先して納めようとはしません。近づく破綻を予見して国会が「国難」をいい、超一〇〇〇兆円の財政赤字を担保している家計黒字から補填するため、「消費税」ほか増税の前倒しによって調達しようとしているのを、醒めた目でみているのです。「増税支持」という世論は本意ではないでしょう。
「地域生活圏」での互助や共助、知った者同士や地域住民同士の助け合いは、モノ・場・しくみそれぞれに身近で機能しています。地域の公助には、これまでの「均衡ある発展」に重ねて「個性ある地域の発展」へと変わる素地があります。地方首長の動向はその表出であり、国より地域への政策を市町村民が求めている証でもあります。
野田・谷垣党首討論での口裏を合わせた「消費税増税」を納得するほどには国民意識の振り子は国のほうには振れていないのです。そこで「大連合政権」「憲法改正」「君が代」「国軍」などといった国意識の醸成に向かう力が働くことになります。そのことを確認して先にいこうと思います。
史上初の「日本長寿社会」の形成へ
「二一世紀初頭の日本は、平和憲法のもとでの長い平和時代の証として、みんなが安心して暮らせる高齢社会を達成した。それは後れて高齢化を迎える諸国の規範とされた・・」
と、歴史学者は記すにちがいありません。
平和であること、衛生と医術と食生活の改良が日進月歩で進み、みんなが等しく豊かになることを願ってきたわが国の半世紀のプロセスは、世界に誇るべき例証です。
その方向でいまあるべき姿は、国政が「社会保障増税」の論議を繰り返すのではなく、「日本長寿社会構想(国策)を衆議し、国民に提案することなのです。
それなのに、です。
理想家肌の鳩山由紀夫首相の発言に期待したのでしたが、二〇〇九年一〇月の所信表明演説では「無血の平成維新」といって勝利を誇ったものの、高齢者に参画を求める発言はしませんでした。さらに「いのちを、守りたい」と訴えた翌年一月の施政方針演説でも、「誰にもみとられずに死を迎える」いたましい事例を取り上げましたが、ご自分が属する還暦・定年期の仲間に参画を呼びかける発言はなかったのです。
菅直人首相も「強い社会保障」をいうばかりで、若い世代に後を託して去ってしまいました。
呼びかけを期待していた「支える高齢者」層にとっては何のメッセージもありませんでした。
「シニア・ビジネス」(モノとサービス)も活性化
野田総理はチャンスを得ているのです。
昨年一〇月一四日の「高齢社会対策会議」で、一〇年ぶりの「大綱」の見直しに際して、「高齢者の居場所と出番の用意」「高齢者の孤立の防止」「現役時代からの備え」という三つの基本的な視点を示したあと、
「あえてもう一つ付け加えるならば、『高齢者の消費をどう活性化していくのか』ということも大事な視点ではないかと思います」(会長発言)
といって、「高齢者の消費の活性化」を視点に加えました。野田さんが求めてもぐった方向は間違ってはいないのですが、論点も行程もなお底を究めていないのです。
国民の暮らしの現場を、高齢者の視点で見てください。
「モノの日本化」によってアジア途上国の人びとが得る生活上の便利さ豊かさのために、日本の高齢者は、みずからは足踏みをして「百均商品(用品)」に囲まれながら、「暮らしの途上国化」に耐えて待ってきたのです。かつて自分たちがこの国でたどってきた道だからで、これから自らと途上国の将来の高齢者が必要とする「安心して使える優良品」を作り出すために、温存してきた知識と技術を活かすことになるのです。ですから元気で生活意欲の旺盛な高齢者に向かって、「生産と消費の活性化」(内需)への参画を期待するというのが論点であり行程なのです。
地産・国産優良品」が暮らしを豊かに
現役世代よりも生活感性の高いシニア世代が求める「地産・国産優良品」を、どこまで速やかに市場化できるか、同時にその対策ができない「消費税増税」では消費の活性化は起きません。
「安心して使える地産・国産優良品」の製造者は、消費者でもある熟年技術者のみなさんです。製造者であり消費者であること。このことにも留意しなければならないのです。「モノとサービスの高齢化」は、時代感覚のいい企業の側ではもう動き出しているのです。
シニア社員・社友が力を合わせた新企画・リニューアル企画による新製品の製造、「シニア・ビジネス」としての流通やサービスの展開、そして商品・サービスと高齢者を直接に結ぶ展示会など、経済成長を支える「内需」にむけた事業が進んでいます。熟年技術者による「地産・国産優良品」の製造は、高齢者にモノの豊かさを提供し、後れて高齢化する国々の高齢者にとっては「期待する日本製品」の創出でもあるのです。
これらによる経済刺激と展開が、「増税」よりはるかに大きな「増収」の成果を持続的に生むことは必定です。
「天恵」としての「地域の四季」を活かす
「大天災」を受けることで気づいた「天恵」としての「地域の四季」を大切にする暮らしの掘り起こし、1980年ころの「九割中流」と呼ばれた 豊かな地域生活圏を想い起こして、「支える高齢者」層がリードする「平成再生」の構想が明らかになれば、わが国の高齢者は高年期の人生の充足をめざした地域活動を活き活きと始めるにちがいありません。
家計資産については、およそ三分の一を留保した上で、次世代のための支援に三分の一を、「長寿社会≧高齢社会」達成のためのモノ・居場所・しくみづくりなどに三分の一を出資することが日常化し、次第に「三世代が等しく支え合う(三世代同等多重型)社会」の姿が見えてきます。
「ケア」については「社会保障」政策によって進んでいる「地域包括ケア」の充実と医療・介護・福祉関連の機器の開発と普及は欠かせませんが、暮らしの必需品それぞれに高齢者仕様の配慮が仔細になされることになるでしょう。
「支える高齢者」が関心を持つ「健康(からだ)」・「知識(こころ)」・「技術(ふるまい)」の三つの要素に特化した成果は、次世代に将来への安心を与える資産ともなるものです。 
政治基盤が揺れている
この国の政治基盤が揺れています。マグニチュードはかなり大きい。
明治維新、大戦後に継ぐ今世紀初頭の「第三の国難」に立ち向かう変革者あるいは救済者として、憂国高齢議員が政治生命を賭けて国民にたちあがりを求めているし、地方首長・議員が市民に決起を促しています。既成政党の内部でも、もちろん市民の間でも議論は渦を巻いています。
しかし「三・一一大震災」後もなお多くの国民は、「そんなに深刻ぶることはない」「世の中はどうなっても自分は大丈夫」と思って暮らしているし、TV画面ではエンタテイナー(楽しませる人)が明るくバカ騒ぎをしているし、放射能を気にしながらも日々の食卓にモノを欠くこともない。気づかない人びとが気づいたときにしか時代は動きません。
二〇〇九年八月三〇日の衆院選では、女性高齢者層の動向(オカン・パワー)が左右したといわれます。
結果は「官僚主導から国民主導の政治へ」を訴えた民主党が圧勝し、四八〇議席のうち三〇八議席をえて「政権交代」をなしとげたのでした。が、その勢いの裏で何が際立ったかといえば、時代の変化に反応しない高齢オジン議員に替わって、三〇~四〇歳代の新人議員が数多く呼集されて国会内が若返ったことでした。
「小泉チルドレン」が「小沢ガールズ」に変衣変性したにせよ、選挙戦略としては「若年化」を演出したことに変わりはありません。また大敗した自民党内からも総裁選で「世代交代」が声高に叫ばれて、「政界の若年化」をさらに進めようとする気配も濃厚でした。
本稿は、若い人びとのなかに単純な「世代交代」を求める風潮がこれ以上に強まるのを憂慮しています。なぜなら高齢者層をないがしろにすることで、社会全体のパイを小さくしてしまうからであり、年長者に敬意をもたない社会が長つづきするはずがないからです。そしてそのことに若い人びとが気づきようがないからです。
「先輩のみなさんが先の大戦後に苦労して築いてくれた社会を安定させるために努めますから力を貸してください」
こういうふうに時代を広く読むことができる若手政治家なら高齢者は求めに応じて支援に向かうでしょう。
時流は「平成維新」だが本流は「平成掘起」
いま時流は地方から国家変革をめざす橋下徹氏などの「平成(大阪)維新」を中心にして動いていますが、本流(潮流)は高齢者ひとりひとりが保持・温存している知識・技術・経験・資産を駆使して、地域特性を掘り起こし再生する「地域再生・平成掘起」なのです。その活動がみんな(三世代)が住みやすい生活圏の達成につながるからです。
そして何より人生の「尊厳」(dignity)を大切にして暮らしている高齢者は、これ以上に不安が増し、自分たちの肩身が狭くなるような社会を許すわけにはいかないでしょう。
「次の国政選挙はわれわれが左右します」
と明確な意思表示(オジン+オトン・パワー)をして、高齢者の意思が活かせる代表を選び出すこと。頼れるオカン・パワーを合わせて三〇〇〇万人(票)の「衆志成城」のときなのです。
安心して暮らせる長寿社会をつくるために、もっともふさわしい候補に一票を投じること。それが地域基盤をつくり直し、国民主導の政治をさらに一歩進めることになるからです。今度こそ、まったなしの「日本長寿社会」のために「参加」せねばならないのです。    (二〇一二年三月一一日+補)
堀内正範 ほりうちまさのり
朝日新聞社社友
本丈人の会代表 
経歴 昭和一三(一九三八)年一一月一日、東京都渋谷区生まれ。終戦の昭和二〇(一九四五)年に小学校入学。福島・群馬・東京の小学校4、中学校2を転校。都立両国高校、早稲田大学文学部卒業。朝日新聞社社友。元『知恵蔵』編集長。平成六(一九九四)年に早期退社して中原の古都洛陽市へ。洛陽は倭の奴国王や卑弥呼の遣いが訪れた日中交流の原点。洛陽外国語学院外籍教授を経て日本学研究中心研究員。国際龍門石窟研究保護学会本部顧問。高連協オピニオン会員。「S65+」顧問。「アジアの総合性」「日本型高齢社会」が課題。
『著書』
『丈人のススメ 日本型高齢社会 「平和団塊」が国難を救う』
(武田ランダムハウスジャパン 二〇一〇年七月 一五〇〇円・税別)
『洛陽発「中原歴史文物」案内』(新評論)
『中国名言紀行・中原の大地と人語』(文春新書)
『人生を豊かにする四字熟語』(ランダムハウス講談社)
『日本と中国』(日中友好協会紙)に「平和の絆・友好都市ものがたり」
のあと「四字熟語ものがたり」を連載中。
「講演」のテーマ
日本型高齢社会」(平和日本の証として)
「人生を豊かにする四字熟語」(先人の営為に学ぶ)
「地域大学校推進」(地域を発展させる高齢者人材の養成)