現代シニア用語事典 #3個人の幸せと家庭内高年化

#3個人の幸せと家庭内高年化
#暮らしの中に太い動線を確保する
*・*マイホームに「マイ」がない*・*  
「企業中心の時代」
「企業戦士」
経緯からいえば、かつての「国家中心の時代」から「企業中心の時代」へ、そしてさらに「マイホーム中心の時代」へとたどってきた暮らしのすべてに体験をもつ人びとが、その後も一貫して「マイホーム中心」の立場に理解を示しつづけていることを見落としてはならないだろう。
国民意識の振り子が「一億玉砕」という「国家中心」の果てまで振れた末に敗戦国となったあと、企業の成長と成果がそのまま国の復興の基となり、企業の安定がそのまま家庭の安定につながると考えることができた人びとは、進んで「企業戦士」ともなったのだった。だから、企業戦士にとって「マイホーム」は休息の場であり、家族の幸せのよりどころとなった。
これは後の章でも論じる課題だが、国家も企業もわが家もどれも等しく重要なのであるから、三つが同時に等しく扱われることがあってほしいのだが実際にはむずかしい。個人の立場を重視する「民主主義」のもとで、半世紀に超一四〇〇兆円の個人資産をため込んだ一方で、超一〇〇〇兆円の財政赤字を抱えてしまった国家。それをなお軽視しつづけて、国民意識の振り子が「マイホーム中心」の果てまで振れたときにどうなるか。国家はおろか企業も立ちいかなくなってわが家だけが平穏でありうるものか。そこでまた記憶をたどって「国家中心」の方向へと振り子はもどろうとする。
「マイホーム中心の時代」
「核家族」
いまはなお「マイホーム中心の時代」。
マイホーム、耳にすると心安まる、なんともいえず響きのいいことばである。わが国でこれほどまでに生活感を内包しえたカタカナ語を、他に探すのはむずかしい。いま高年者となっている人びとがそれぞれの人生をかけて、二○世紀後半の五○年の間にその内容をつくった日本語なのである。だから細部の意味合いは個人によって異なる。個人として大切に保っているひよわなもの、よき(良き、好き、善き)ものを守る砦として、「マイホーム」は先行の「わが家」や「家庭」などとともに、それに負けない新鮮な温もりを日本語として持つに至っている。その分だけ「ホームレス」ということばが、孤独なわびしさを伝えてくる。
戦後っ子だったパパとママは「マイホーム主義」とからかわれながらも、狭いマイホームに身を寄せ合って暮らし、必死に働いて、ふたりの子どもを育ててきたのだった。夫婦と子どもふたりの家庭が都市型住民の典型となり、「核家族」と呼ばれ、「標準家庭」ともなったのだった。その後、職場まではいっそう遠くなっても、マイホーム・パパは、子どもたちそれぞれに一部屋をと考えて、団地からさらに郊外のプレハブ一戸建てに引越した。そういう体験をもつ人びとも少なくないだろう。
人生のはるか遠い地点までを見透かして、可能なかぎりの費用を工面して、マイホームを獲得し、いまそのころ見据えていた地点の近くに高年者として立っている。マイホームの当主としての存在感を確認するために、じっくりとわが家の中を見直してほしい。家族の希望をかなえることを優先して、そのぶんみずからの希望を抑えてきた結果、不相応な応接セットや家具といった家族共用品はあってもみずから求めた専用品というのは少なくて、「モノと場」に表わされた存在感が意外に希薄なのに気づくであろう。
「ヒカラビてる人」
「ヨボヨボ・ジジババ」
ここでは実際に両親と子ふたりの核家族マイホームを覗いてみよう。
娘と息子がパラサイト・シングル(寄生独身者)をきめこんで、親元から出て行かない家庭。イエローカード一枚といった子どもを持つ「団塊シニア」であるFさんに登場を願うとしよう。
Fさんの上の娘は短大を出てフリーター暮らし。かせぎはほとんど衣装と海外旅行に消えている気配。下の息子はごく普通の大学をごく普通に卒業して、親のひいき目でもしっかりしてきたように見えるのだが、就職試験を受けて勤めはじめた輸送関連の会社だったのに、短期でやめて家にいる。大学を出たのだからと本人の自主性にまかせているが、というより言っても聞かないから気儘にさせているが、同じ経緯をもつ友だちとパソコンやケイタイで情報のやりとりをして過ごしている。時折り出かけて「職さがし」はしているものの、「ニート化」(NEET。働くつもりのない若年無業者)への気配もあるという。
娘や息子の話を聞くともなく聞いていると、両親と同じ高年者を、「ヒカラビてる人」とか「ヨボヨボ・ジジババ」といっていることがある。時には父親を「アノヒト」、面とむかって母親を「キミ、元気かね」と呼ぶなど、軽くあしらわれていると感じることがたびたびある。
「この家はわたしが名義人なのだ」などというのも愚かしい。壁面に娘が貼った「のりか」(藤原紀香)のポスターほどには、底値までさがった土地の築二〇年という家の壁に存在感があるわけはない。
いわれてわが家の中を見直して見る。本だなの本が動いていない。耐久性のあるものは、どれも十年以上まえに購入したものばかり。一方、暮らしの表面を流れていく日用品は、百均やスーパーものが多くなった。なかにルイ・ヴィトン(バッグ)やプラダ(バッグ)やディオール(服装品)やシャネル(化粧品)などといったFさんにもわかるブランド品も少しあって、そのアンバランスさに父親であり夫である自分への無言の不満が隠されているように思える。Fさんのブランド品といえるものは、後にも先にもオメガ(OMEGA 終わりの意)の腕時計だけ。専用品の希薄さは、みずからのために生きることへの自負の欠落でさえある。
「マイホーム」のために努めてきたはずなのに、と思うのはFさんのほうの都合であって、最も優遇されている仲間を比較の基準とするジュニア側は、そうは思っていない。「ツカエナイ親!」として、おおかたは現状に不満なのである。 
「新宿ホームレス」
「家庭内ホームレス」
不満との葛藤を行動のエネルギーにしている子どもたちの「荒廃菌免疫」のありようを、つまりわが子の潜在的ワル度をFさんはつかめていない。当主として当然のこととしてきた家族への配慮が、「人生の第三期」にはいった自分を支える磁場の不在となってしまっていることには気づいている。
マイホームに「マイ」がない。では「新宿ホームレス」とどこが違うというのか。
たとえ不在であっても、当主の存在感を同居人にきちっと示しているような家庭内の拠点が必要なのだ。そのための専用スペースの確保。といって、夫婦と子ども二人で最低居住水準をぎりぎりクリアしている3LDKの住まいだから、当主として一部屋をなんて余裕はない。子どもたちが親ばなれせずにいるから、それぞれ一部屋、それに夫婦の一部屋である。部屋の確保を謀って追い出し(子どもの自立)を試みても、獲得に失敗した末に孤立してしまうようでは、拠点どころか「家庭内ホームレス」になってしまう。となると共用スペースであるリビング・ルームの一画となる。要は、たとえ不在であっても当主の存在感をきちっと示せるようなコア(核)をつくることにある。 
*・*「マイ・チェア」の即座の効用*・*
「当主不在の在」 
「家庭内リストラ(高年化)」
「家庭内の高年化」なのだから、されるのではなく、するものである。
たとえ不在であっても、当主の存在感を示せるような「当主不在の在」としての「わたしのもの」の存在。いまリビング・ルームを見渡しても、何もかもがそうであるようでそうでない。おおかたは家族共用品なのである。
「家庭内リストラ(高年化)」はこれまでそういう意図がなかったのだから、際立って「わたしのもの」といえるものなどないのが当たり前。亭主関白といわれながらも、意識して自分のものを置いているという人なら、もうここから先は読む必要のない「先駆的現代丈人」である。
おおかたのマイホーム・パパは、常人であることを率直に認めて、わが高年期人生を輝かせる「丈人モデル」型の能力を、傍らにあって支えてくれる「高年化用品」を意識して配置することにしよう。蓄えてきた知識や積んできた経験をさらに深化・発展させることに資する「わたしのもの」を、いつでも利用できる状態に置いておく。身近にあって「わたしのもの」といった役割を担えればいいのだから、高価なブランド品である必要はない。日ごろから愛用しており、「わたしのもの」という存在感があればいい。これと決めた「高年化用品」を基点にして「家庭内リストラ」をすすめ、高年期の住環境を整えようというのである。
まずはひと昔前まではNO・1の愛用品だった机と文具類。いまやパソコンとEメールの時代だから、久しく脇役に耐えていることだろうが、馴染んだ机は「高年者意識の据え置き場所」として確保して活かしたい。
「高年化コア(核)用品」
「パパのもの」
楽器、実用性を失ったがシャッター音と手触りの愉悦には変わりがないカメラ、それにオーディオといった愛用機器。あちらこちらに散在していたのを全員集合!をかけてあつめた一二〇冊ほどの愛読書。碁・将棋盤やゴルフ・釣り具セット。優れた手仕事に感じ入ってきた碗・皿・硯といった日用骨董品。明かり、時計、置物などのアンチーク(西洋古美術品)。日ごろ忘れがちな優美なものへの快さを呼びさましてくれる彫刻や絵画。造形や色彩が精細なものへむかう感覚を刺激してくれる貝や蝶。さらには地球儀、船・飛行機・汽車・車のミニチュア。素朴な木製アフロ・グッズ・・まだある。
どれも当主としてお気に入りの「高年化コア(核)用品」の候補だが、多くはいらない。五~七点を自分で納得して選び、置き場所を決めればいいことだ。これと決めた愛用品を際立たせることで、家庭内に高年期のステージが立ち上がる。静かな「家庭内リストラ」が動き出す。そのうちに同居人が「パパのもの」としてその存在に気づくだろう。
意想外に地球儀なんかがおもしろそうだ。東アジアの隅にある島国ではなく、太平洋リング(大洋弧)の一角にありながら、経済や文化の上で大きな貢献をして輝いている「優れた小国」であることを、宇宙飛行士の視点で納得することができる。「小日本(シャオ・リーベン)」は、「粗野な大国」よりはるかにあってほしいわが祖国の姿ではないか。
手にいれるのは困難な貴重種だそうだが、蝶の皇帝といわれる一頭の「テングアゲハ」なんかなら、華麗に舞う姿を思うだけで気分は晴れる。胡蝶に同化してひらひらと舞ったという壮年の荘子の「胡蝶の夢」は、味わって損はない。旨し「天の美禄」(酒)をとくとくと注ぐ「しりふくら」(徳利)でもいい。親ゆずりの高価な骨董品などがあれば、さりげなく実用にして活かす。高年期の願望を仮想空間に委ねる「わたしのもの」だから候補はいくらでもある。
なければこれといったモノを探すこととなる。
「SS(シニア・スペシャル)シート」
「マイ・チェア」
「団塊シニア」のひとり、Fさんには親ゆずりの骨董品など何もない。リビング・ルームを見直した末に、小さな庭と室内の双方が見渡せる窓際に、特別席「SS(シニア・スペシャル)シート」(高年者用特別シート)を据えることにした。会社でも窓際だし家でも窓際でと、居心地を合わせることにして。そして文字盤が気にいっている置き時計をサイドボードの隅に、旅先で入手したパピルスに画いた「狩猟図」と漢画像石の拓片「舞踏する熊」図を壁面の左右に飾ることにした。
Fさんの「SSシート」は、高年化時代を表現する「コア(核)用品」として、含みのあるいい選択のようである。重量感より意匠センスより何よりも座り心地を優先する。いうなればわが家の「玉座」「師子座」「座禅座」である。かつてインドでシャカムニが宝樹の下に座して思惟したように、わが人生の来し方と行く末を半跏思惟する座を自選するのだから、「マイ・チェア」として大切に扱うことにしよう。
すでに愛用のイスをお持ちのみなさんも「マイ・チェア」と呼んでください。「チェア」に座して高年期の人生の今日から明日へを静かに思惟する「半跏思惟」丈人となる。
「人間は誰しも『私の椅子』と呼べるような椅子を持つ必要があり、そうなって初めて自宅で本当に落ち着いた気分を味わえるのではないか」というのは、マイホームを建てたときから気にしていた建築家の提言で、まことにその通りと思っても、ローンをいっぱいに組み込んだFさんには、そこまでの「自己実現」の余裕はなかったし、家族思いの当主としてはそこまで自己主張をしなかった。
いまその実現の時なのだ。老い先長い高年期を通じて、愛着をこめて使い込むことによって座り心地を熟成させてゆく「マイ・チェア」。即座の効用としては、家庭内に存在をアピールする磁場となる「高年化コア(核)用品」として、格別の思いを込めてそれなりの費用を投じて得た「シニア特別席=SSシート」を、家の中でもっとも居心地のよい場所に据える。
一日のしごとを終えて、「やれやれ」と腰を落とし、心を静めてひとしきり一日をふりかえる。「さて」と気を改めて明日を思い、「よし」と意を決して立ち上がる。それでいい。
それが「マイ・チェア」の即座の効用なのだ。どっしりと座って、からだの重みとともに来し方への充足感、行く末への待望感を委ねる。時には座して陶然として、すべてを忘れる「坐忘」の境地にもひたる。それなくして何の人生か。
「座る文化」
「古希杖」
Fさんの調べによれば、さすがに「座る文化」の歴史が長い欧米の製品には値切っても世紀の長があって、実にさまざまに意匠をこらしていて、見るからによく、座り心地もよさそうだという。最高の座り心地を誇るのは頭と腰がほどよくフィットする北欧製のリクライニング・チェア。競うのはドイツ製スツール、イタリア製アームソファ、カナダ製スウィング・チェアなど。いずれ劣らぬ「八面威風」の居ずまいがあるし、値段も思いのほか幅があるそうだ。
長い高年期を安らいで過ごすための拠点が「マイ・チェア」なのだから、かつて恋する人を失った苦い思いを繰りかえさないために、これといったイスと出会ったら思い切って投資(浪費)をする。後半生が始まる五〇歳の誕生祝いに購入するのもいい。
そうそう「杖・ステッキ」も、おしゃれで品のいいフランス製やイタリア製やドイツ製、和風折りたたみ杖もあるが、名入りの彫刻をほどこした木製ステッキなら素敵な装身(護身)具になるにちがいない。五〇歳には「マイ・チェア」、六〇歳には「赤毛着衣」、七〇歳には「古希杖」、八〇歳には「傘寿がさ」といった通過記念の自祝品はどうだろう。どれも心躍る製品と出会えればいい記念になるだろう。 
「チェア博物館」
「新チェアマン」
二一世紀を貫く夢のひとつ。高年世代の人びとが、それぞれに座り心地がよい特選のイスをわが家に据える。家庭内の「モノと場の高年化」の拠点として存在感のある「マイ・チェア」として。各地にチェア工房が形成され、毎年の「チェア・コンペ(競技)」には、各国から腕よりの職人がやってきて技を競いあう。この国はそのまま「チェア博物館」となる。どうだろう、家の内と外、国中どこにでも座り心地のよいイスが据えられていたら、立ち疲れることもないし、優先されない優先席などいらない。二一世紀末の高年者たちは、世紀初頭に先々々代の「昭和人」が使い込んだ「チェア」に腰を据えて、愉快な座談が楽しめれば深く感謝するだろう。
たしか「チェアマン」(チェア・パーソン)というのは、議長や会長のことだが、高年化時代には、愛着をこめて自選・自作した「チェア」を保持して高年化社会の主役としての存在感を示す人のこと、といった「新チェアマン」の説明が加わることになる。
どっかりと座って、しっかりと座視することで、わがこととともに周りの人びとの「人生への希望」もまた、はっきりと見えてくる。
 *・*専用品をつなぐ暮らしの動線*・* 
「超人生耐久品」
「三世代ステージ化」
家庭内の「高年化コア(核)用品」として、前節ではFさんの「マイ・チェア」を紹介したが、高年期の自己目標に立ちむかう能力を支えてくれる愛用品でありさえすれば何でもいい。
とはいえ、傍らにおいて生涯にわたって愛用していく「コア(核)用品」となれば、数年でモデルチェンジするような消耗品では役不足。だから日進月歩で変化する電化製品や車などは高価であっても評価が成り立ちづらい。といって「千年杉」を細工した違い棚のような鮮やかな年代主張はなくともいい。どうだろう、ここでの「高年化用品」というのは、五〇歳から終生あるいはもう少し先の「超人生耐久品」(遺産として残るほど)といったものとして、およそ三〇~四〇年は傍らに置くというあたりをメドとしよう。「高年化」は「長年化」でもあって、だから高年者だけが利用するという狭い意味ではない。
家の中のオープン・スペースに置かれているのは多くは家族共用の調度品、つまり「三世代ミックス」型用品である。そのうちで花器や草花の鉢植えや観葉植物や床の間の軸といった季節の気配を屋内に取り込む用品・用具は「家庭内高年化」にはほどよい素材である。ソファなど高級家具はそろっていても季節の気配が動かないリビング・ルームや客間なら「丈人度ゼロ!」としての評価を下しておこう。「家庭内高年化」のありようは、祖父や父親の姿にみたような相続特権に裏打ちされていた厳父気取りとはほど遠いものである。中年期に得た人生経験の成果を、「モノと場」として家庭内にさりげなく配して、みんなに納得された上でわが高年期の暮らしの拠点とするのだから、高年者意識をしっかり立てて仔細に工夫をしないと思わしい結果がえられない。
家族構成にもよるが、「三世代同居」のお宅だと、孫(青少年)、子ども(中年)、自分(高年)の三世代がそれぞれ優先・専用する「三世代ステージ化」が課題になる。これまでの家族共用品はそのままとして、高年者むきに特化した生活空間を創出するにあったては、同居人の生活動線を考慮しよう。同居人から生活空間の自由を奪うものでないことが理解されないと先に進めないからだ。いくつかの「高年化コア(核)用品」を決めて、それを基点にして専用品「パパのもの」を随所に配する。「北辰(北極星)その所にいて衆星これに共(むか)う」ということになる。
「モノ同士のモノ語り」
「家庭内丈人度」
「高年化用品」を季(機・気)に応じて差し替えることで、わが家のリビングで四季折り折りの「モノ同士のモノ語り」が楽しめることになる。
こうしていくつかの「高年化コア(核)用品」とそれをめぐるいくつもの専用品(高年化用品)を配することで、存在感が希薄であった時に比べれば、当主としてのありようを喚起するしかけが見えてきたといえるだろう。同居人は、「チェア」や壁面飾りや日用品に示される当主の「家庭内丈人度」に関心を強める。それでいい。
外で優れたボランティア活動をしていても、わが家の中に高年者としての存在感がないようでは、ほんとうに優れた高年活動家とはいえない。
ここでは「丈人モデル型の能力」を支えてくれる国産品、わが家に親しい友人を迎えるような興奮を与えてくれる「高年化用品」を創り出してくれる各地の熟年技術者のみなさんに熱いエールを送ってから先にいくとしよう。
「高年男子必厨」
「銘入り出刃一丁」
次にはキッチンの情景。
高年男子が「食」を知らないでいては、いつまでたっても女性との長寿の差の七歳は縮まらない。そこで高年期に入った男子は、志を立てて厨房に入ることにしよう。
「高年男子必厨」丈人として、日本橋・木屋や京都・有次あたりの包丁三丁(出刃・刺身・菜切)くらいは吟味して入手する。「銘入り出刃一丁」は有用な「高年化コア(核)用品」である。タイまではいかなくとも、中型のイナダやシマアジなんかを手ぎわよくおろして食卓に供する。さらに「旬の食材」もみずから用意する。今夜の口楽であり生涯の悦楽である食の道楽。味覚とともに調理もまたきわまりなく熟達しつづけていく「丈人モデル」型の領域なのだから、おおいに腕を振おうではないか。家人も喜ぶ季節メニューが増えれば悦楽は倍になる。
食器も形や感触を楽しめる専用品だ。自作のものを含めて「これはパパのもの」という食器が、食のシーンでの存在感を示す役目を担う。
「男子必厨」丈人によるキッチンの「高年期のステージ化」は、なごやかに緩やかに形成すべき難題である。得意料理をつくるところから入らず、食器の片付けや用具の手入れや調味料の整理あたりから、さりげなく構築していくことに秘訣があるようだ。
 「丈人資格自己認定」
とこうして、いくつかの「高年化コア(核)用品」を基点として、いくつもの専用品をつないだ暮らしの動線が太く見えてくれば、「家庭内高年化」が成立したといっていい。マイホーム・リストラでの「丈人資格自己認定」ということになる。
「いまさら面倒やさかいに、わての人生はその三世代ミックスとやらで結構や」
という人もいるだろう。人それぞれの人生やさかいに、ご随意にどうぞ、といいたいところだが、結論は試みてからにしてほしい。苦労して得たマイホームで、当主としての充足感が時の移ろいとともにヒタ寄せる体験は思いのほか快いことなのだから。
高年者意識を静かにしかし熱く立てて、家庭内の「モノと場」の高年化構想を固める。
「パパとママは落ち目、明日はボクラのもの」と早合点していた若い世代に、本来あるべき姿としての高年世代の「第三期の人生」を認識させることになる。
ではもう一度、親しい友人を迎えるような終生愛用できる「高年化用品」を創り出してくれる各地の高年技術者のみなさんにエールを送って先にいくとしよう。 
 # 三つの世代を同等に意識
*・*近居より「三世代同等同居」が未来型*・* 
「エンプティ・ネスト」
「世帯同居」
団塊世代よりやや高年の方の場合には、哀楽をともにして暮らした子どもたちが巣立っていき、移り住んだころの幼い姿などを「不在の在」として想い見るほどのスペース(「エンプティ・ネスト」。空になった巣)を、そっとしておくことができているご家庭も多いことだろう。
中年期に家計をぎりぎりまで工面して借り入れをし、都市郊外に住宅を購入して子どもを育て、子どもがそれぞれに自立した後は夫婦ふたりで暮らしているマイホームは、「二世代住宅」と呼ぶことができる。父として母としての立場で内容は異なるだろうが、子育てのいくつもの困難をクリアしてきた父母としての側の感慨のスペースであるとともに、子どもたち、とくに娘にとってはひそかな生活戦略にかかわるスペースでもある。
このところの傾向として、「世帯同居」は減り続けてきて、高年者(ここは六〇歳以上)の四〇%が同居を望んでいるのに、実際に孫と同居している人はいまや二〇%ほどに。桑田佳祐の「TSUNAMI」がトップという時代に、大泉逸郎さんの歌った「孫」が場違いといった感じでベストテン入り(二○○○年度の一○位)したことがあったが、減少傾向はなお続いており、願望ははやり歌の背景に遠のきつつある。
孫はかぎりなくかわいい。「二世代住宅」に暮らしている父と母は、子どもが巣立ったスペースを今度は孫のためにしつらえ直して、三代目を養育する場を用意することになる。「近居」の場合は、離れて暮らしている分だけそれぞれの独立とプライバシーは損なわれることはないが、離れている分だけ問題回避型の接触とならざるをえない。幼い孫はかわいいし、張り合いをもたらしてくれる。そこで会うごとに何かと望みをかなえてやる、やさしいおじいちゃんとおばあちゃんになる。きちっとした孫育てには限界があるのはわかっていても、現状ではこのあたりが高年者にとっては標準的しあわせ家族となっている。
娘が結婚して世帯を持ち、子どもが生まれる。「できちゃった婚」が並みの時代だから、結婚後一〇カ月のハネムーン・ベビーより結婚六カ月後が最多とかで、案外はやく確実に「ベビー(孫)」がやってくる。この二五歳までの出産期をはずすと、あとは先延ばしして三〇歳代に。これでは少子化に歯止めのかけようがない。それでも三〇歳の大台に乗って、なんとか子どもをと覚悟はきめたものの、養育・教育費は家計の重圧になるというし、マスコミを賑わす子どもたちの反抗・犯罪を目の当たりにして、不安はつのるばかり。そこで、「カアさん力を借して」ということになる。
「新エンゼル・プラン」
「実家依存症」
子育てに母親の助力を期待しすぎると、国をはじめ夫婦ふたりによる「新エンゼル・プラン」を理想として子育てを推奨している自治体、若いカップルを囲いこんで子どものしつけを教えるしごとをしている側からは、「実家依存症」といわれかねない。
それでも子育てに母親の助力(家族の含み資産)を期待して両親と同居して暮らすことを考える娘夫婦がいる。かつてシュウトメにわずらわされない専業主婦を求めた母世代の「核家族」指向から、専業課長でありたい娘世代の「二世帯同居」へのUターンである。
孫世代までを想定した「三世代同居型住宅」は、子どもの側からばかりでなく、新しい大型戸建て住居に住むという両親の側からの要請も少なくない。
親世帯からは親子近居の解消、家屋の老朽化やバリアフリー化や大型住宅への願望などが主な理由で、加えてメーカー側の総合住宅指向、さらに融資や税の優遇もある。親世代の支援を受けて「少子化」を解消し、先人から引き継いできた「暮らしの知恵」を次世代にしっかり伝えられるような「三世代同居」型住宅が期待されることになる。
道路、橋、ハコ物という大型公共事業に頼ってきた建設業界も、地域住民の暮らしの基盤である住宅建設という基本に立ちかえる好機である。大都市型の「蜂の巣マンション」というのでは方向が逆である。地方都市の近郊農家の建て替えなどでは「三世代同居」型住宅がもっと指向されていい。三世代同居という「新・日本型標準住宅」を各地に展開して、新たな地域開発の潮流を起こすくらいでいい。国も「暮らしの知恵」を次世代に伝えられる「三世代同居」住宅政策を掲げて、思い切った税制や資金の優遇をおこなう必要があろう。
現状では政策も税の優遇も融資もそして世論の支援もケタが足りないのである。 
*・*暮らしの知恵を孫に伝える*・*
「三世代同居住宅」
「長寿社会対応住宅」
大都市近郊に住むWさん夫妻は、娘家族の要望もあって、建て替えの負担を覚悟して「世帯同居」型の住居を建築することにしている。
メーカーを通じて調べてみると、事例は決して少なくはない。各メーカーともユーザー側のさまざまな要望に対応できるノウハウを持っており、住宅内のバリアフリー化はすみずみまで意識されている。部屋の配置はもちろん、つまづいて転倒しないよう段差をなくしたり、手すりを設けたり、階段の勾配を緩くしたり、車イス(訪問客もある)を考慮して幅広廊下にしたり、少ない動作で開閉できる引き戸にしたり・・などが実現されている。「家族とともに成長する住まい」を提案しているメーカーもある。
すでに建て替えて「三世代同居住宅」に住んでいるお宅を実際に訪問する機会を提供しているメーカーもある。そこで、Wさんは参加してみた。古くからの由緒ある住宅地での建て替え住居だから外形も安定しており、街並みに落ち着きを与えていることがわかる。かなり大ぶりなサクラが庭の隅にあって、それを囲むようにL字型の二階家が建っている。
「家内の母が家族の成長記録とともに大事にしている樹でしてね」
Wさんの庭への視線を察して、ご主人がいう。夫妻のほかは高校生の娘と義母の四人家族。一階は母親の部屋と共用のスペース、二階に夫妻と娘の部屋と広いリビング。書斎もあって、「マスオさん」として「三世代同居」を成立させながら、マスオさんよりはずっと存在感があるように見受けられた。上下階の雰囲気に違和を感じさせなかったのは、母と娘の間に暮らし方の一貫性が保たれているからだろう。「三世代同居住宅」として申し分ないが、それでも義母の側の遠慮がちな気配が構造やモノに表われているのが気になったという。
住宅産業は、「長寿社会対応住宅」として「長寿社会対応住宅設計指針」(九五年、建設省)が出て一〇年余り、メーカーの配慮くらべで高年化対応がもっとも進んでいる業界である。住宅メーカーによって取り組み方は異なるが、どこも「世帯住宅」のノウハウを蓄積している。
そこまでは結構なのだが、せっかくの世帯同居型住宅にもかかわらず、どのメーカーの小冊子のモデル設計を見ても、共用スペースのつくりつけがミドル(+ジュニア)主体に寄りがちになっている。「三世代住宅」とは称しているものの、「離れた和室ひと部屋への高年世帯の引きこもり」が推測できるものが多くみられる。
これではほんとうの高年化対応住宅とはいえない。「人生の第三期」の主役として、長い高年期をゆったりと暮らす家ではない、とWさんも気づいている。孫とも接触がしやすく、祖父母からわが家の「暮らしの知恵」を伝えられる場としての共有のスペースはもちろん、「三世代のプライベート・スペース」を平等に織り込んだ住居と決めて設計にはいっている。
「三世代同等同居型住宅」
「ファミリー・ライフ・サイクル」
三世代それぞれの暮らしにバランスがとれた「三世代同等同居型住宅」は、高年者側が主体的に構築せねばならない。ジュニア(孫)との接触スペースなどは、可能なかぎり祖父母の側から提案すべきことである。高年者が自在に暮らす住宅としての具体的な要望が足りないために、メーカーから高年化対応に積極的な構造が引き出せないのである。
「三世代同等同居型住宅」は、三世代の暮らしの変化が構造に反映される「ファミリー・ライフ・サイクル」(家族変化の過程に応じる)住宅である。いまの家族の一まわり先を考慮した構造として表現される。三世代がそれぞれ三○年ほど先の姿とそこへ至るプロセスを想い描いてみるといい。もちろん「不在」の孫世代を参加させ、みずからの「不在」の時も考慮して。
メーカー側は、「世帯同居」型住宅は一〇〇年(センチュリー)、少なくとも六○年保証と自信をもっていう。いまの建築水準から耐用年限は五○~六○年は優にある。だから、およそ半世紀後に孫世代家族が中心で暮らす家や家並みをつくっていることになる。
傷んだ住宅を修理しながら住んでいる高年世代からすれば、「近居」や「隠居型同居」ではなく、三世代が同等に暮らせる「三世代同等同居型住宅」が「新・日本型標準住宅」として指向され、「家庭内の高年化」への新たな試みとして、知識も活力も資力も注入して参加するだろう。それぞれの家族の態様や地域の特性に応じた改造を加えながら「わが家」が形成される。ライフ・スタイルの異なる三世代が、それぞれ同等にプライベートな生活空間を持ち、お互いに工夫して「わが家三代の暮らしの知恵」を共有していくことになる。
Wさんは、ライフ・スタイルが異なる家族が出くわすさまざまな場面で、「いっしょに考えて解決することができますから」と期待をこめていう。「三世代同等同居型住宅」の実現をめざすWさんは、「世帯同居」丈人と呼ぶことにしよう。
子育て期の女性が男子社員と伍して能力を十分に発揮できるよう支援をする「三世代同等同居型住宅」は、企業の側からも歓迎すべきものとなる。そして何より孫世代にわが家の「暮らしの知恵」を伝える「母娘同居」という母系のつながりを有効に活かすことになる。母と娘がやりとりする継続性のある生活感、祖父母と接することによってもたらされる孫世代へのメリットには計り知れないものがある。
「うちのジージがね」といって自慢するジュニアが三分の一ほどいないと、この国の先人が残してくれた「暮らしの知恵」が次世代の子どもたちに伝わらなくなってしまう。同居しながら高年者をたいせつにするジュニアを育てる機会をもつ家族。これもまた「高年化社会」を構築するために重要な「三つのステージ化」の一環なのである。
*・*熟成期を共有する「シニア文化圏」*・*           
「シニア文化圏」
本稿では「丈人力」や「三世代のステージ」などとともに、「シニア文化圏」ということばを、強い把握力をもつ高年期キーワードとして位置づけている。
といっても現状のところでは、内容となるコア(核)は確かな感触でつかみとっているが、その奥行きも広がりも漠としたままになっている。広く理解されて成熟するとともに、やがて大小の水玉模様がどこまでも広がり重なりあうような印象の波紋を形成するという成長予測をもって期待していることばなのである。
そこでここでは、コア(核)となる意味合いを述べることになる。
「シニア文化圏」というのは、「人間五十年」を過ごして、それぞれに個性的にわが道での業績を積み上げてきた高年者が、異なった成果を得た人びとと出会い、お互いにみずからの経験や業績を語り合い、高年者同士でなければ味わい得ないレベルの理解を共有することを目途として集まった場(高年期の文化ステージ)、といった程のところだろうか。
少し排除的にいえば、「利」を望まずに、あるいは望んでも優先せずに、「文を以って友と会す」といったところ。加えていえば、ここでは「青少年(ジュニア)」や「中年(ミドル)」の存在を脇に置いて、おとながおとなの「文化を語って文化を生じる場」といったほうが分かりやすいかもしれない。そう気づいていないだけで、すでにさまざまな形で存在しているわけだから、とくに新しいことを言い出しているわけではない。
ここではそれを高年者意識の視点から捉え直すこと、これは「シニア文化圏」だと意識することで、高年化社会のなかにそれぞれに個別な特色をもって重なった水玉模様のような印象の存在として見えてくればいいのである。 
「シニア文化の内容」
語られる「シニア文化の内容」とはどういうものか。
「環境」とか「文化」というと、どうにでも広くも狭くもなるが、狭く考える必要はないだろう。学術的な領域から芸能・スポーツ、暮らしの知恵に至るまで、人為万般にわたってみんなが共有しているもっとも広い意味での「文化」のイメージでいい。少し限定するとすれば、五○歳を経た高年期にある人が関心をもって考え、語り、作り、表現した事象・事物を主に対象とする、ということぐらい。
たとえば五○歳で亡くなった夏目漱石の『心』や『明暗』、若くして自死した芥川龍之介(三五歳)の『侏儒の言葉』、三島由紀夫(四五歳)の『天人五衰』などは、若い日の濫読時代とは違って五〇歳をすぎた立場からの読み込みによって新たな発見がなされるはず。
同時代人として、吉本隆明さんのような並みならぬ思索の根っこを持つ人の、かつて妥協のない立場がぶつかり合った一九六〇年代の状況下で、ロゴス(統一法則を内包することば)の混乱にまきこまれながら柔軟で示唆的であった『共同幻想論』などから、思索の根っこを裸形のまま曝した『老いの流儀』などの新作にいたるまでの、中年期と高年期の作品を合わせて採り上げてみるのもおもしろい。また『蓮如』を書いた五木寛之さんの新作、古代インドの「四住期」から想をえて現代の高年者の第三の人生のありようを説く『林住期』も、個人の生き方の事例として理解されるのもいい。みずからの長年の思惟の到達点から発して試みられた井上靖さんの『孔子』や瀬戸内寂聴さんの『釈迦』といった史上の人物についての作品は、作品批評まで含めて、さまざまな角度から語り合える素材となる。
「親族シニア文化圏」
「学友シニア文化圏」
文化圏の「圏」としての大きさは、どうだろう。
テーマや参加する人にもよるだろうが、「最小規模の多数」である七~一一人といったところが基本だろうか。不可能とはしないが、四、五人では少ないために「文化」を生じるための変則や異見といった要素を含み込めないし、また多すぎると散漫になる。
メンバーが多い場合には七~一一人を代表発言者とし、テーマや時間を限って質疑などを通じて全員が参加するシンポジウム方式が有効のようである。
わかりやすい例としては、多くの会議や学会の総会そのものも高年者が中心の「シニア文化圏」ではあるが、むしろその後の「二次会」のほうを基本型と考えたらどうだろう。二次会なら談論風発、結論を出す必要もなく、話題はさまざまに移っていく。ひとつのテーマをめぐる場合もあるが、意見が二つに割れたり三つになったり、二つの話題が混ざって語られたり、また一つにもどったりする。その自在性の中に「最小規模の多数」による発見と味わいがある。
高年者同士が自由自在に「文化を語って文化を生じる場」が「シニア文化圏」であり、高年期の人生の成熟をともに実感しあえる愉快な「高年期のステージ」なのである。小規模で静かに開かれている「::先生を囲む会」などは、おだやかな老師を中心にして、「如座春風」(春風の中に座しているよう)というにふさわしい「シニア文化圏」として、参加者を暖かく包んで成立している。それぞれの立場で、いろいろな「シニア文化圏」に属していることに気づく。
冠婚葬祭の折りに、親族が集まる場で「シニア同士」で話し込んでみると、思いもよらない発見があるものだし、「親族シニア文化圏」といったものを意識し直すこともできる。同様にクラスメートとの「学友シニア文化圏」も長く親しい。同窓会では生涯にわたる絆をもった何人かの学友との出会いを経験しているだろう。
「地域シニア文化圏」
「職場シニア文化圏」
地域の知りあいとの「地域シニア文化圏」、職場の同僚との「職場シニア文化圏」、仕事での知人、ネットのウエブ・サイトで知り合った人びとも「シニア文化圏」として意識してみる。やや広がりをもったクラブ・同好会などはまさに「シニア文化圏」の典型といえる。ゴルフ、釣り、碁・将棋、郷土史、俳句ほかスポーツや趣味の仲間もまた改めていうまでもない。だれもがいくつもの水玉模様の重なりに似た「シニア文化圏」を大切にして暮らしている。
高年期になって親しくつきあえる人といえば、だれでも「学友」と「同僚」と「親族」の三点セットのうちに、幾人かの信頼する相手をもっているだろう。しかし実はこの三点セットだけでは長い高年期の人生を充足して送るには心もとないのである。心もとない理由は、どれも高年期になって自らが選んだものではなく、与えられた環境下で得た人びとであり、外に閉じた仲間だからだ。高年期に心躍る人生の充足を得るには、さらに地域や目標とする分野からあらたに加えて五つ~七つの「シニア文化圏」での活動が、高年期の人生に変化と厚みのある成果を刻んでいくことになる。 
「日本シニア文化圏」
といって、参加者がそれぞれの立場で自在に活動していればいいことだから、「シニア文化圏ネット」といったヨコ幅を広げる組織化を急いだりすることもない。それぞれに自立した「シニア文化圏」が多種多彩に活動し合い、お互いに存在を意識し合いながら豊かな「日本シニア文化圏」が総体として成り立っていればいいのである。
極端に閉じすぎた組織では先がないが、引退シニアであるSさんのような「引きこもり」にはいった人びとの一見、閉ざされた仲間うちの「閉鎖的シニア文化圏」もまた座位を少しずらした自律的な「シニア文化圏」として、その存在が理解されてくる。高年化社会の現役として、ともに熟成した豊かな人生のひとときを共有して過ごす。それなくして何の人生か。
「シニア文化圏」だからといって「青少年」や「中年者」を排することではない。中心になる構成メンバーが高年者であり、中心テーマが高年者を対象とするものということであって、とくに将来の成員である中年の人びとには開かれたものでいい。ほどよいほどの「シニア文化圏」の存在が、一人ひとりの「第三期の人生」の充足と重なるであろうことは確かである。