友好都市・産業の絆-石炭産業から新工業都市に

石炭産業から新工業都市に

いわき市―撫順市(遼寧省) 

わが国の戦国期の混乱を統一した徳川家康とほぼ同じころに、中国東北地区で部族抗争の激しかった女真族を統一したがヌルハチ(努爾哈斉)。その生誕の地であり、満州族清王朝発祥の地でもある撫順は、遼寧省の省都である瀋陽に次ぐ大都市である。

世界屈指の露天掘り炭鉱があり、「石炭の都」とも称されてきた。おもな産業は、石炭、天然ガス、オイルシェール、銅、鉄、マグネシウムなど豊富な地下埋蔵資源を背景にして、石油精製、電力、冶金、機械、電子、紡績といった工業都市に変貌している。撫順市には、人口は約二三〇万人。

同じ東北地方に位置して、石炭に縁のある工業都市同士という共通性から、いわき市の希望をもとに中日友好協会や中国大使館の斡旋によって、両市の友好都市締結は実現にむかったのだった。
訪中したいわき市代表訪中団(団長田畑金光市長)に正式に伝達されたのが一九八一年四月のことで、いわき市は同年八月に友好都市締結先遣団を送って事務事項の協議をおこない、八二年三月の市定例議会において満場一致で議決した。 

友好都市調印式は、八二年四月一五日に撫順市代表団を迎えて、いわき市でおこなわれた。全樹仁市長と田畑金光市長が議定書に署名した。ちなみに撫順市は、同じく石炭を基幹産業としていた夕張市とも友好都市提携をしている。

いわき市は、福島県東南部に位置し、常磐炭田と小名浜港を中心に発展してきた。現在は一五の工業団地を有し、東北第一位の出荷額を誇る中核市に変貌している。六〇キロに及ぶ海岸線の海水浴場や「いわき湯本温泉郷」を中心とした観光事業など、多様な産業が活発に展開されている。人口は約三五万人。

両市の主な交流は、市友好代表団や議会代表団を相互に派遣しているほか、経済、農業、教育、文化代表団も頻繁に行き来している。技術研修生の受け入れではとくに友好病院からの研修生が帰国後に幹部に登用されるなど、成果をみせている。そのほか小・中学生の書写交流訪問団や調理師交流、茶道・舞踊などの文化交流、スポーツ交流訪問団の派遣を地道におこなってきた。

いわき市の日中友好協会は五周年、一〇周年記念として「友好文庫を贈る運動」や、一五周年には「教育機器(パソコン)を贈る運動」を実行した。二〇〇二年の二〇周年には広く市民に呼びかけて、「山村の希望小学校建設に資金協力する運動」を展開し、五〇〇万円の資金支援を得て実現した。友好都市締結の時に、「単なるセレモニーに終わらせることなく、実り多いものに」と市長として誓った田畑さんは、同協会の会長として、二〇年後の〇二年四月、友好のシンボルとなる「撫順―いわき希望小学」の開校式に名誉校長として臨んだ。付麗華校長と並んで、将来の友好人士の育つのを期待してあいさつをし、祝った。 

〇五年の「一七回日中友好海辺の集い」には、縫製会社で働く中国女性一二人が初参加した。また南京城壁保存修復一〇周年式典には市から一一人が参加した。

〇七年の二五周年には、六月二六日に、いわき市で記念式典が開催され、撫順市から劉強市長をはじめとする撫順市友好交流代表団が来日し、市長みずから映像をまじえながら、歴史、産業、観光などについて紹介した。また九月二五日には撫順市で記念式典がおこなわれ、いわき市からは櫛田一男市長を団長とするいわき市友好交流代表団が出席した。八月にはいわき市小中学校書写交流訪問団が撫順市を訪問し、参加者は、中学校での交流や書道家の実技指導を受けた。(二〇〇八年九月・堀内正範)