『老後破産~長寿という悪夢~』(書評) 「日本高齢社会」は失敗モデルか

『老後破産~長寿という悪夢~』(書評)
NHKスペシャル取材班
新潮社刊
2015年7月10日発行
1300円(税別)
「老後破産」書評pdf
「日本高齢社会」は失敗モデルか
「長寿という悪夢」とはなんだ!

まずタイトルにしている「老後破産」とはどういう境遇の高齢者をいうのか。
ひとり暮らしになった高齢者で、年収が生活保護水準(約13万円)を下回っていても生活保護を受けていない(受けられない)人で、預貯金の蓄えがないか乏しく、年金(国民年金6万5000円+)だけでギリギリの生活をつづけている人。そして病気になったり介護が必要になったりすると、とたんに生活が破綻してしまう
――こういう境遇におかれた高齢者を、番組(NHKスペシャル)のプロデューサーが「老後破産」と呼ぶことにしたという。ざっと200万人余がおり、増えつづけている。
だから「長寿という悪夢」のサブタイトル(キャッチコピー)には、生きつづけることで追い詰められていく(「預金ゼロ」へのカウントダウンも)現実の苦しさ、厳しさ、虚しさが込められている。
いま、ひとり暮らしの高齢者に何かが起きており、そして現場からしか議論は始まらないとして取材班は撮影にはいった。そういう関心で、さまざまな問題をかかえて「老後破産」寸前にいる高齢者を取材対象に選んでいる。
――必死で働いてきたのに報われない老後――この取材班がキャッチしただれもが口にするつぶやきは、200万人にとどまるものではないだろう。
都営団地に住む80代の菊池幸子(仮名)さんは、その典型のような暮らしをしている。菊池さんは、8年前に40代で独身だったひとり息子を失い、3年前に夫をガンで失って、ひとりになった。夫の生前はふたりで13万円ほどの年金で暮らしていたが、いまは毎月8万円(国民年金6万5000円+)に。専業主婦だったから厚生年金はない。経費は、家賃(1万)、介護サービス(3万、要介護2)、生活費(公共料金を含む、7万)で、毎月3万円の赤字を預金(残り40万円に)を取り崩して充てており、「老後破産」へのカウントダウンが始まっている。週に1回の訪問看護と毎日1時間の生活介護サービスを受けている。リウマチがあって外に出られないし、室内の移動もままならない。自宅はないが預金がある間は生活保護は受けられない。というより、菊池さんもそうだが、「多くの高齢者はその権利(生活保護)を行使していない」と取材者は感じ取っている。
――「贅沢は敵」とばかりに、出費を切り詰め、耐え忍んでいる。生活保護を受けることは、「国の御世話になること」でもあり、罪悪感を伴うと訴える声も多い。――と報告する。
経費の節約は、食費を切り詰める以外にない。田代さん(83歳)は電気をとめられ、年金支給日まで冷麦の乾麺で食いつないでも暮らしを変えない。宮田さん(70代、仮名)はあんパンが食べたいといい、川西さん(83歳、仮名)は1食分100円ほどでやりくりする。
こういう高齢者の状況を「老後破産」といい、「長寿という悪夢」といえる現役世代には理解できない「人生の誇り」があるからである。
部屋でひとり、手のリハビリを兼ねて塗り絵を塗る菊池さん。童謡の「茶摘み」を歌いながら色鉛筆を動かす菊池さんの胸の中を流れている温かな感性は「悪夢」とはほど遠いものだ。
取材対象に80代が多いが、大正から昭和初年生まれの高齢者は、戦中・戦後のきびしい暮らしを自立してしのぎ、その後もみんなが等しく豊かになるために努めてきたから(九割中流社会)、菊池さんの夫も工務店の主人として、働く人たちみんなが豊かになることに配慮し、自らの老後のための預金を積むことなど考えていなかっただろう。
それを最後まで保てるような高齢社会対策を講じないで、「生活保護」という底の浅い「社会保障」で放置してきたのはだれか。1日でも長く生きることの命の尊さを知る人びとの願いを閉ざして、「もう生きたくない」と吐露する高齢者たち。本書は2014年9月に放送したNHKスペシャルが『老人漂流社会~『老後破産』の現実~』をベースに描き直したルポというが、こういう高齢者の声をいくら拾っても解決策は見えてこない。
率直にいえば、こういう本は、現役世代によって出されてはいけない本であり、売れてはいけない本である。しかし、こういう社会にしないために活動をしつづけている人びとの声は、売れる本にはならない。「高齢社会」に警鐘を鳴らすような本は売れないということになっている。曽野綾子、五木寛之、瀬戸内寂聴さんなど作家の高齢者本は別にして。
取材班の指摘を繰り返すが、
――一生懸命に働き、一生懸命に生きてきた普通の人たちが報われない、それが今の日本の老後の現実なのだ。――というところに止まらざるをえない。取材者が見定めえない解決法を即刻、明解に示して対処すべきであろう。
だれが? もちろんこういう社会を呼び寄せてしまった責任のある人びとである。この20年の政治リーダー・官僚であり、企業家、学者・研究者であり、マスコミ、そして活動家であろう。
絞れば、しくみの全容を見渡し見通せる立場にあり、その解決策を講じることができる政治リーダー・官僚である。1995年に「高齢社会対策基本法」(村山内閣)を制定し、1996年に「高齢社会対策大綱」(橋本内閣)を閣議決定して以来、20年に及ぶ「高齢社会対策」の延滞、強くいえば政治の欠如がある。平和時にあっても、歴史とは実に取り返しのつかない苛烈なものである。その間のすべての政治リーダーと関係官僚には重い責任がある。
いまや高齢者(65歳以上)は3300万人に達した。4人にひとりである。
一人ひとりの高齢者の「自立・参加・ケア・自己実現・尊厳」(国連・高齢者五原則)によって、「日本高齢社会」は国際的成功事例にむかうはずだ。
(『月刊丈風』8月号 堀内記)