友好都市・港が絆-地方都市の経済技術交流

地方都市の経済技術交流

佐世保市と厦門市(福建省) 

福建省と長崎県との交流の歴史は古く長く濃い。江戸初期いらい着実に現在にまで続いている。長崎市と福州市についてはすでに述べたが、省県それぞれの第二の都市である佐世保市と厦門市も友好都市となっている。

鎖国状態にあった江戸時代に、海外にわずかに開かれていた長崎に福建の人びとが唐船に乗って来航して以来、盛んな経済活動を営んできた。日中国交が回復し、友好都市提携がいわれるようになって、一九八〇年にはまず長崎市と福州市が友好都市となり、次いで八二年に福建省と長崎県の友好提携が成立している。 

立地条件の類似性をもつ省第二の厦門市と県第二の佐世保市との交流と友好都市提携は、八一年から双方で実現への努力がなされた。八三年一月には厦門市長から佐世保市との友好都市提携についての国務院承認が伝えられ、これを受けて市の委員会が「厦門市との友好都市締結は適切」との答申をおこなった。同年一〇月二八日、佐世保市に厦門市代表団を迎えて、桟橋熊獅市長と鄒爾均市長(代理李秀記副市長)が議定書に署名し提携が成立した。

佐世保市は、江戸時代までは静かな農漁村だったが、脚光を浴びたのは長崎県の北部に位置する良港として、一八八九年に佐世保鎮守府が開庁したことによる。翌年には構内に造船部を設置(今の佐世保重工業)、一九〇二年には村から一足とびに市制を施行した。

先の大戦中に戦災で市街の大半を焼失したが、戦後いちはやく造船や炭鉱産業で復活した。原潜「エンタープライズ」入港では騒動となった。その後「西海国立公園九十九島」や「ハウステンボス」を有する国際観光都市として展開している。「ハウステンボス」はオランダ語で「森の家」。オランダの町並みを再現したテーマパークである。「ひと、交流創造都市」が市の目標。人口は約二四万人。

厦門市は、福建省南部に位置する観光港湾都市である。九竜江の河口にあり、台湾の対岸に位置する。金門島に近い。明代に城堡が築かれて厦門と称した。

その後、外国船の来航がふえて、貿易拠点となった。一八四二年の南京条約により開港して発展し、ウーロン茶の積出港として知られた。一九〇二年に列強国の共同租界地となり、いまも町並みに異国情緒を残している。厦門島、コロンス島、九竜江北岸沿岸部からなる。経済特区に指定されて急速に発展。人口は約一三六万人。

佐世保・厦門両市の主な友好交流は、市代表団の相互訪問をはじめ、経済貿易交流、技術研修生受け入れ、教育・文化・スポーツ、青少年、音楽・雑技団公演、書画展など。当初は文化交流が主体だったが、地方都市同士の経済交流こそ新たな流れとして、九九年の一五周年を機に発足したのが佐世保厦門経済技術交流研究会である。技術研修生の受け入れ、両市の企業間の交流拡大を目的としている。

地元企業が研修生を受け入れ、技術研修とともに人的交流も担っている。「みんな温かで、困るとすぐ助けてくれる」と評判がいい。帰国した研修生が会社を設立するなどの成果を生んでいる。万里の長城や中華料理を楽しんで、中国を体験し交流した時代は終わり。これから一〇〇年は、商いを通じ、どう中国と関わるかが地方都市の大きなテーマ」と主張する厦門市の光武顕市長は、一歩先を読んで実践に移している。(二〇〇八年九月・堀内正範)