友好都市・産業の絆-石炭産業の遺産を活かす

石炭産業の遺産を活かす

大牟田市―大同市(山西省) 

わが国が繁栄への夢を共有していた明るい時代の記憶とともに、
「月が出た出た月が出た、三池炭鉱の上にでた・・」
ではじまる民謡「炭坑節」は、みんなの胸の中に懐かしく高鳴っているだろう。

エントツからもくもくと出る煙は、産業発展のシンボルだった。明治、大正、昭和とわが国の産業を支えてきた石炭、その象徴ともいうべき三池炭鉱が閉山したのは一九九七年三月のことだった。世紀をまたいだせいか遠い感がするが。

大牟田市は、福岡県南端に位置し、三池炭鉱とともに発展してきた鉱業都市である。石炭採掘は明治期から本格化し、化学コンビナートを形成して、わが国の近代化に貢献してきた。炭鉱閉山の後は、有明海に面した三池港など産業基盤を活かして、多機能型の快適環境都市をめざしている。人口は約一四万人。

大同市は、北京から西へ約三八〇キロ、鉱産資源に恵まれた山西省第二の都市である。とくに石炭は「石炭の海」といわれるほど豊富で、埋蔵量は七一八億トンといわれる。化学工業化が進み、北京市や天津市の電力を支える重要発電基地となっているが、石油化による深刻な影響を抱えている。人口は約三〇五万人。

大同市はまた北魏の都「平城」であった時代の仏教遺跡「雲岡石窟」(世界遺産に登録)が残る歴史文化名城である。とくに「曇曜五窟」の石仏は、新興の北方民族が中原にはいって担うことになる大きな責務を胸中に秘めた実に雄大な造形である。雲岡石窟を開鑿した北魏王朝は、のち五世紀のおわりころに、孝文帝に率いられて平城を出て中原にはいり、洛陽を都とするとともに、漢化した穏やかな風貌の龍門石窟の仏たちを生み出すことになる。

雲岡石窟は、敦煌の莫高窟、龍門石窟とともに中国が誇る三大石刻芸術宝庫とされている。

両市の交流は、七八年に大牟田市の三井三池製作所が大同市の大同市雲岡炭鉱から採炭プラントを受注したことから始まった。これを機会にして、炭鉱技術研修団がやってくるなど関係が深まり、七九年には大牟田市友好代表団が大同市を訪ねている。
友好都市提携は、八一年一〇月一六日、大牟田市でおこなわれた。関漢文市長ら大同市代表団を迎えた調印式で、黒田穣一市長は「石炭を基礎にし、大同市の豊富な埋葬量と大牟田市の採炭技術を活用し合いたい」と挨拶した。
その後、産業構造の激変に対応して公害対策を成し遂げてきた大牟田市は、大型の電力・化学工場が稼動する大同市の大気汚染や廃棄物処理といった公害克服のための技術を提供することとなった。専門家を派遣し、事業所や研究機関で研修員を受け入れるなど、人材育成にも協力している。

これまでの主な交流は、両市代表団の相互訪問、職員派遣、公害対策のほか農業、医療、ホテル管理などの研修生の受け入れ、大同市歌舞団の公演・書道展、物産展、美術展、友好校提携、仏跡巡拝の旅など幅ひろい。
二〇〇一年に迎えた二〇周年には、訪中団の式典参加や大牟田「大蛇山」と大同「龍灯舞」といったイベント交流とともに、雲岡石窟周辺の記念植林をおこなった。これはいまもなお続いている。
二〇〇六年は二五周年にあたった。大牟田市では、一〇月に、書や工芸品をふくむ「大同市写真展」や大同市で採掘された二億八〇〇〇万年前の石炭塊(二〇〇キロ)の展示もおこなわれた。(二〇〇八年九月・堀内正範)