友好都市・物産の絆-酒づくりの技を磨くまち

酒づくりの技を磨くまち

西宮市―紹興市(浙江省) 

西宮市と紹興市をつなぐ絆といえば、何を置いても「灘の生一本」と「紹興酒」である。これほど有名な名産物同士を絆とする友好都市は、あまり例がない。
まずは、お互いの旨し「天の美禄」で友好の乾杯となる。それからさまざまな交流の話が進むことになる。

西宮市の各界代表が参加した友好訪中団がはじめて紹興市を訪問したのは一九七九年一〇月だった。
その後、市民の間からも、
「古くからの酒造りのまちで景観の美しい紹興市との親善を深めよう」
という要望が高まった。  

そんな機運を受けて、八木米次市長が八三年一〇月に在日大使館に紹興市との友好都市提携の希望を伝え、市議代表団が八四年四月に紹興市を訪問し、王余良市長を招待した。同年八月には王市長が西宮市を訪れて両市の友好は深まった。

西宮市と紹興市の友好都市提携の調印式がおこなわれたのは、翌年八五年七月二三日のことだった。紹興市の王余良市長ら友好代表団が西宮市を訪れて、八木米次市長とともに提携の調印に臨んだ。 

紹興市は、上海から約二三〇キロ。浙江省に属する「歴史文化名城」であり「優秀観光都市」であり「中国で最も魅力ある都市一〇都市」のひとつにも選ばれている。まちには運河が縦横に走り、水郷風景が広がる。北は杭州湾に臨み、南に会稽山を負い、東には寧波市、西には杭州市に接する。
越王勾践が「臥薪嘗胆」してついに「会稽の恥」をそそいだ故事は有名。また書道家王羲之の「蘭亭集序」に縁りのある蘭亭、名園の沈園、ともに日本に留学し、近代革命に心血をそそいだ魯迅の生家、秋瑾の故居、周恩来の祖居などが残る名士の郷でもある。二〇〇余の重要文化財、史跡三六〇〇カ所があり、「壁のない博物館」ともいわれる。
そして何より「東洋名酒の冠」と称される「紹興酒」の産地である。毎年の秋には「黄酒まつり」が催される。人口は約四三四万人。

西宮市は、南は大阪湾、北に六甲山を負い、東に神戸市など、西に芦屋市。阪神地域の中央部に位置している。商売繁盛の「えべっさん」で親しまれる西宮神社、高校球児あこがれの甲子園球場がある。「全国から訪れる人がいる」ことが街の魅力という西宮在住のギタリスト、クロード・チアリさんは、ニース生まれのパリ育ちである。
そして何より山田錦と宮水でつくる清酒「灘の生一本」の産地である。酒蔵が残り、酒ミュージアムや宮水庭園が整備公開されている。二〇〇五年四月に市制八〇年を迎え、「文教住宅都市」づくりが進む。人口は約四六万人。

これまでの主な交流は、両市代表団の相互訪問、市民や中学生の友好訪中団の派遣、経済貿易訪問団や医学研修生の受け入れ。王羲之顕彰碑や北山緑化公園に「小蘭亭」や「墨華亭」の建設、日中友好桜林(一千本余り)の建設など。阪神淡路大震災の折りには義捐金が贈られた。紹興物産展、テレビ番組の交換、太極拳・空手の交流、書画展など。学文中学と紹興市元培中との友好校活動もある。

二〇〇五年は提携二〇周年に当たった。五月には山田和市長はじめ西宮市民一〇〇余人が紹興市を訪れて記念式典に参加、「西宮市書画展」を開催した。また一〇~一一月にかけては、紹興市から張金如市長らが西宮市を訪れ、両市合同の書画展が開かれた。(二〇〇八年九月・堀内正範)