友好都市・動物の絆-トキが舞う大空の下で

トキが舞う大空の下で

佐渡市と洋県(陝西省) 

トキ(Nipponia Nippon)が日本の空から完全に消えたのは、一九八〇年のことだった。八一年一月に、佐渡に生き残っていた野生のトキすべて(オス一羽、メス四羽)を捕獲して、新穂村のトキ保護センターで飼育することになったからである。以後センターでペアリングが試みられたが成功せず、メスの「キン」には中国陝西省洋県からペアのオスを借り受けたり、オスの「ミドリ」を洋県に送ったりしたが、ついにヒナは得られなかった。

最後の日本トキ「キン」が死んだのは、二〇〇三年一〇月一〇日のことだった。 

それより前の九八年一一月に、日本を訪問した江沢民国家主席から友好の印として贈られたのが、「友友」と「洋洋」のペア。九九年一月に佐渡へやってきた二羽はその春、日本で初めてのヒナを生み、「優優」と名づけられた。「優優」の花嫁として「美美」をプレゼントしてくれたのが二〇〇〇年に来日した朱鎔基首相である。

こうして日中友好と自然環境回復のシンボルとして、日本生まれのトキは順調に増え、〇八年には一二三羽(〇八年ふ化二九羽)が飼育されるまでになっている。
 トキを介して、トキ保護センターがある新穂村と「朱鷺救護飼養繁殖センター」がある洋県との交流が始まったのは、九四年だった。九八年六月二二日に洋県を訪れた平山新潟県知事の立会いの下で、新穂村と洋県の「友好協議書」の調印がおこなわれた。

 陝西省洋県は、西安から南へ約三〇〇キロ。秦嶺山脈を南に越えて、漢中平野に広がる農村地帯にある。絶滅とされていた野生のトキ七羽が八一年に発見されて以来、人工ふ化や保護によって数百羽にまで回復、ねぐらと餌場を行き来する姿が見られるようになった。

佐渡市は、〇四年三月に新穂村をふくむ島内一〇市町村が合併して発足した。面積約八五五平方キロ、人口約七万二〇〇〇人。同年七月二六日の新市誕生を祝う記念式典の折り、高野宏一市長と楊瑞良・代県長が新たな「友好協議書」に調印した。トキの保護・増殖の協力強化や農業技術の交流、小・中学生による交流も新市に継続されることになった。
野生復帰にむけた「順化訓練施設」の建設もすすみ、餌場の湿地やねぐらとなる林がある里山には、順化ケージ、繁殖ケージ、管理棟などを〇四年から三年で建設し、〇八年の試験放鳥をめざす。

二〇〇八年七月現在の国内でのトキ飼育個体数は、〇八年生まれの幼鳥二八羽を入れて一二二羽になっている。これらは、今後、佐渡トキ保護センターと野生復帰ステーションと東京・多摩動物公園に分けて飼育を続けることになる。
二〇〇八年の秋には、檻から自然環境への「試験放鳥」が初めておこなわれる、佐渡トキ保護センターの野生復帰ステーションでの準備は整った。あとは住民、NPO、小・中学生などの支援を受けて、カエル、ドジョウ、小魚といった餌を自力で採り、安全に暮らすことのできる環境ができて、「トキが大空を飛ぶ」ことが可能になる。トキの自然復帰に成功したとき、日中両国をつないで四半世紀をかけたプロジェクトが何であったかが理解されることになる。

国際保護鳥のトキが、日中友好の翼を広げて日本の空を舞う日も近い。(二〇〇八年九月・堀内正範)