居場所づくり(地域大学校)
「いなみ野学園」にみる高齢社会の人材養成
市町村合併と人材養成のかかわり
これまでの自治体合併の大義のひとつは、地域の発展を担う人材の養成にあった。
「明治の大合併」のときには、わが村の小学校が合併のシンボルとされた。村立の「尋常小学校」は子どもたちに多くの夢を与えた。その夢はいつしかお国のためとなり、半世紀の後には戦争へと子どもたちを駆り立てていったが。
(300~500戸の村に1校。教育、戸籍、徴税、土木、救済など。7万1314町村が39市1万5820町村に。明治21=1888年~明治22=1889年)。
「昭和の大合併」のときには、わが町の中学校が合併のシンボルとされた。子どもたちは町立の「新制中学校」を卒業すると、地元に残るよりも都会へ出ていって国の復興と高度成長の担い手となった。
(8000人の町に1校。教育、消防、保健衛生など。昭和28=1953~昭和31=1956年。9868市町村が3975市町村に)
さて「平成の大合併」(1000基礎自治体、12万人をめざす)で、新しい市は何を教育のシンボルにしようとしたか。合併のステップからいうと、人材教育については、単純化していえば、レベルとしては「わが市の大学校」が期待された。ただし「少子・高齢化」時代の養成対象としては、長い高齢期を地域で暮らすことになる高齢者であることも予測された。すでに先進的な「高年者大学校」の事例(兵庫県「いなみ野学園」など)はあったから、将来の地域発展のために活躍する人材を育成するために、地域性を加味したカリキュラムで構成される「地域高年者(シニア)大学校」が合併協議のなかで検討されても不思議ではなかった。
しかし財政難のもとでの合併協議の課題は、「地方分権」「生活圏の広域化」「少子・高齢化」であったものの、「少子・高齢化」については、どこも将来の社会保障サービスの低下への危惧が指摘され、生涯学習の充実とシルバー人材センターの拡充が当面の対応とされたが、「国土の均衡ある発展」から「個性ある地域の発展」(まちづくり)のための高齢者の知識・技芸を活かした養成機関の検討が広くなされることはなかった。
「平成の大合併」といわれた全国規模の市町村合併協議は、平成18(2006)年3月に一段落した。平成11(1999)年3月にあった3232の市(670)町(1994)村(568)は、平成18(2006)年3月には1821の市(777)町(846)村(198)になった。合併特例法(新法)による県主導での第2ステージがその後も続いている。
自治体合併の成果はこれからである。地域の風土・伝統の特徴を知り、それを活かした地域の再生・発展をはかるのは、どこもこれからである。そのための高齢者人材は欠かせない。地域大学校の成立の遅速は、地域発展の差となって現れるだろう。
先進的な「地域シニア大学校」の事例
まずは県レベルでの成功事例を、兵庫県が全国に先駆けて昭和44(1969)年に開設した高齢者大学校である「いなみ野学園」(加古川市)に見てみたい。
4年制の「高齢者大学講座」それに2年制の「大学院」があって、約1400人の高齢大学生が学んでいる。
中心になっているのは、4年制の「高齢者大学講座」で、生涯学習を通じて仲間づくりをするとともに、新しい生き方を創造し、地域社会の発展に寄与できるよう総合的、体系的な学習機会を提供するのが趣旨。運営は財団法人兵庫県生きがい創造協会。
資格は60歳以上の県在住者。入学金6000円、学習・教材費年額5万円(平成24年度)。障害保険2000円。
登校日は週1日、年間30回で120時間。専門学科は「園芸」、「健康福祉(健康づくり)」、「文化」、「陶芸」の4学科。専門学科別学習と教養講座を履修する。
朝の体操(9:40)からはじまり、午前は教養講座、午後は専門講座である。
学園の昼の食堂周辺は人生論に花が咲く。また週1回(水曜)はクラブ活動の日。30種余。囲碁、園芸、絵画、華道、ゲートボール、コーラス、ゴルフ、茶道、詩吟、写真、書道、水墨画、短歌、社交ダンス、テニス、能面、俳句、舞踊、盆栽、民謡、謡曲、表装、歌謡曲、探訪、英会話、グラウンド・ゴルフ、川柳、インターネット、太極拳、手描き友禅、将棋など。
「いなみ野学園」の何が優れているのかというと、専門講座の4つの学科にある。
・健康福祉科(健康づくり科)―健康な高齢者がもっている興味と実状を含めて福祉の
方に組み込む。卒業生は健常な高齢者として体の弱い人たちとの交流、ボランティア
活動に積極的に参加。高齢者が元気で活動してくれることが自治体にとって負担がな
いことになる。
・文化学科―郷土の歴史、伝統、文化を守りながら勉強する。そこで、卒業生はそれぞ
れの地元の伝統や歴史を研究し守っていくようになる。まちの年中行事が安定して遂
行されるようになる。
・園芸学科―自分の庭の草花、菜園、果樹について学ぶ。自家のことに始まり、近所、
公園と緑のまちづくりに繋がっていく。卒業生が多くなるほど街の緑が豊かになり、
大事にされるようになる。(個人も学園も収益を得る活動が可能)
・陶芸学科―手作り技術が得意な人たちによる陶芸を中心にして、他の技芸のうえでつ
ながりを形成する。さまざまな意匠の集積にあたっている。作品によって収益をうる。
(個人も学園も)
それぞれのセクションの講座を学んだ人たちは同窓生として、60歳からの“生涯の友人”をえることができる。また自治体は卒業生が多くなればなるほど「まちづくり」の人材が豊かになる。教養講座ではタカラ・ジェンヌや地元新聞の論説委員や郷土研究者を講師に迎え、税金や財産管理、予防医学など高齢者が興味を持つものをとり上げて工夫をこらしている。
個人には高年期の知識・技術の豊かな人生を、一方で自治体にはまちづくりの人材が増えることになる「いなみ野学園」方式は、単なる生きがい学習で終始している各自治体が学ぶべき先進性をみることができる。
この高齢者大学校のメッカともいうべき「いなみ野学園」にも運営のむずかしさがある。2万4000円であった学習・資料費を一気に6万円にしたところ定員割れを生じたという(24年度は5万円)。ほかの理由もあるであろうが、官民協働による文化事業として継続するためには、一般県民が期待し納得のできる公的な成果が問われることになるのだろう。
「いなみ野学園」は、1999年の「国際高齢者年」にあたって、「いなみ野宣言」(1999年11月19日)をおこなっている。日本高齢者が国際的な視点をもって活動していた「いなみ野学園」があったことは、世界に誇るべきことである。
いなみ野宣言
ここいなみ野学園に集う私たちは、本年を「国際高齢者年」とする国連決議及び高齢者のための国連原則「自立、参加、ケア、自己実現、尊厳」を認識し、「すべての世代のための社会をめざして」意識改革と社会参加及び世代間の交流を図り、共生の精神を高揚させ、希望あふれる21世紀に向けて、次の宣言を行います。
1 高齢期に対する自己及び社会一般の意識改革に努めます。
高齢期に見られる消極的で固定的な意識を改革するため、積極的に多世代との交流を深め、信頼と尊敬を得るよう、夢や生きがいを持って行動します。
2 心身ともに健康で、自立した生活づくりに努めます。
スポーツや食生活の改善を積極的に行い、自他ともに身体的、精神的に自立する健康な生活づくりに努めます。
3 新たな自己発見、自己実現をめざし、社会に貢献するよう努めます。
生涯を通じて学ぶ喜びを持ち続け、自己の可能性を発見し、自己実現に努めながら、地域の文化、伝統を大切にし、永年にわたって身につけた知恵と経験を生かして新しい社会の創造に努めます。
4 地域の人と自然との共生に努めます。
地域の人々との絆を深め、すべての世代が共生する優しい社会づくりと、美しい自然に恵まれた環境づくりに努めます。
5 英知を集め、21世紀へ夢と希望をもって行動します。
平和、平等、人権、地球環境など広く国内外の課題に目を向け、生き生きとした21世紀ビジョンを抱き、夢と希望の灯を高く揚げて行動します。
いなみ野学園ホームページ http://www.eonet.ne.jp/~inamino/guid.html
特集-七十古希
特集「七十古希」 ことば・賀寿期・人名録
[ ことば ] 「七十古希」
「人生七十は古来稀なり」と詠った杜甫の詩「曲江」から七〇歳を「古希」と呼ぶようになったという。唐代より前に何といっていたかは知らない。それでも「七十古希」はすでに一二〇〇年余の経緯をもつことばである。古来稀れなのだから七〇歳はよほど稀れだったのだろう。杜甫自身は旅先で貧窮のうちに五九歳で没している。杜甫が望んで詠ってたどりつけなかったことから「古希」がいわれ、七〇歳が長寿の証として納得されてきた。
杜甫の時代のみやこ長安は安禄山軍の侵入を受けて「国破れて山河在り、城春にして草木深し」(杜甫「春望」から)といったありさま。杜甫は意にかなわぬ日々を酒びたりで送っていたらしく、「酒債は尋常行く処に有り、人生七十は古来稀なり」(酒の付けは常にあちこちにあるけれど、あってほしい七〇歳は希にしかない)と有って困るものと望んでもかなわないものとを対比している。いまは酒もあるし古希もまれでなくなって両方がありあまる時代だからこの対比に味わいがなくても仕方がない。高級官人は七〇歳になると国中どこででも使える杖をもらって「杖国」と呼ばれたという。長安で生きた阿部仲麻呂は七〇歳を越えていたから立派な「古希杖」を拝受したことだろう。
ついでに「百齢眉寿」のこと。
「百齢」は百歳のこと。大正元年(一九一二)生まれの人がちょうど百歳である。わが国では百歳以上の人が五万人を超えてなお増えつづけており、いかに史上稀な長寿国であるかが知られる。「人生七十古来希なり」といわれ、七〇歳が長寿の証とされてきた。とすれば百歳ははるか遠い願望だったろう。「眉寿」は長寿のこと。老齢になると白い長毛の眉(眉雪)が生えて特徴となる。同じ唐の書家虞世南は「願うこと百齢眉寿」(琵琶賦)と記して百歳を願ったが、八〇歳を天寿として去った。それでも「七十古希」の杜甫は五九歳だったから、長寿への願望は遠くに置いたほうがいい。
[ 賀寿期 ]
先人は見定めえない人生の前方に次々に賀寿を設けて個人的長寿のプロセスを祝福してきました。いまも「何何先生の賀寿の会」はそれぞれに祝われています。しかし一人ひとりではなく、六〇歳以上の約三九○○万人(65歳以上は約3000万人)の高年者が多くの仲間とともに暮らして、励まし合いながら一つひとつの賀寿期を過ごして百寿期を目ざすのもいい。
***
還暦期(還暦60歳を含む。六〇歳~六九歳) 昭和二七年~昭和一八年
古希期(古希70歳を含む。七〇歳~七四歳) 昭和一七年~昭和一三年
喜寿期(喜寿77歳を含む。七五歳~七九歳) 昭和一二年~昭和八年
傘寿期(傘寿80歳を含む。八〇歳~八四歳) 昭和七年~昭和三年
米寿期(米寿88歳を含む。八五歳~八九歳) 昭和二年~大正一二年
卆寿期(卆寿90歳を含む。九〇歳~九四歳) 大正一一年~大正七年
白寿期(白寿99歳を含む。九五歳~九九歳) 大正六年~大正二年
百寿期(一〇〇歳以上) 大正元年以前
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昨年は10月4日に日野原重明さんが「百寿期」に達して話題になりました。今年は4月22日に新藤兼人さんが到達しましたが5月29日に亡くなりました。卆寿期には瀬戸内寂聴・水木しげる・鶴見俊輔さんが、傘寿期には樋口恵子・堂本暁子・岸恵子さん、石原慎太郎・五木寛之・仲代達矢さんが、そして古希期には小泉純一郎・小沢一郎・松方弘樹・松本幸四郎・青木功・尾上菊五郎さんが到達しました。七〇歳になったからといって老成することはありません。ご覧のとおりまだまだ先があります。仲間といっしょに人生の新たな経験・出会いを楽しむ日々が待っているのです。
[ 古希期の人びと ]
紹介できるのは少数ですが、これだけの優れた人びとが、長年かけてつちかった知識・技能・経験そして築き上げた人格を保って活躍している姿がみえないような社会を「本格的な日本高齢社会」というわけにはいきません。
古希期(70歳~74歳) 昭和17年~昭和13年
1938(昭和13)年 74歳
伊吹文明(1・9 政治家) 大林宣彦(1・9 映画監督) 渡辺武信(1・10 建築設計) 大津美子(1・12 歌手) 野沢那智(1・13 演出家) 和田春樹(1・13 ロシア史) 細川護煕(1・14 政治家) 石ノ森章太郎(1・25 漫画家) 松本零士(1・25 漫画家) 加藤諦三(1・26 心理学) 鶴見修治(1・29 体操) 永井多恵子(1・30 放送文化) 加藤剛(2・4 俳優) 木村太郎(2・12 ジャーナリスト) 清水哲男(2・15 詩評論) 境川尚(2・18 横綱佐田の山) 中島誠之助(3・5 鑑定家) 梅宮辰夫(3・11 俳優) 庭野日鑛(3・20 宗教家) 三澤千代治(3・29 住宅建築) 島倉千代子(3・30 歌手) 近藤昭仁(4・1 プロ野球) 内藤正敏(4・18 写真家) 三宅一生(4・22 服飾デザイン) 鎌田慧(6・12 ジャーナリスト) 下村満子(6・17 ジャーナリスト) 吉田ルイ子(7・10 ジャーナリスト) 与謝野馨(8・22 政治家) 野依良治(9・3 化学者) 堀江謙一(9・8 冒険家) 西尾勝(9・18 都市行政) 佐々木幸綱(10・8 歌人) 石井幹子(10・15 照明デザイン) 小林旭(11・3 俳優歌手) 三留理男(12・1 報道写真) 鏡山剛(11・29 横綱柏戸)
1939(昭和14)年 73歳
吉田光昭(1・1 薬学) 藤村志保(1・3 俳優) 西田佐知子(1・9 歌手) ちばてつや(1・11 漫画家) 市岡康子(1・21 映像記録) 佐々木史朗(1・22 映画・TV) 湯川れい子(1・22 音楽評論) 黒田征太郎(1・25 イラスト) 丹羽宇一郎(1・29 経営者・大使) 佐久間良子(2・24女優)高田賢三(2・27 ファッション) 西部邁(3・15 評論) 栗林慧(5・2 写真家) 山本晋也(6・16 映画監督) 加藤紘一(6・17 政治家) 鈴木忠志(6・20 演出家) 吉行理恵(7・8 詩人) 海野弘(7・10 美術評論) 中村玉緒(7・12 女優) 辺見じゅん(7・26 歌人) マッド・アマノ(7・28 パロディ) 平沼赳夫(8・3 政治家) コシノジュンコ(8・25 ファッション) 利根川進(9・5 遺伝学) 森本毅郎(9・18 キャスター) 田部井淳子(9・22 登山家) 前田又兵衛(10・7 建設) 加茂周(10・29 サッカー) 橋本照嵩(10・29 写真家) 長田弘(11・10 詩人) 徳大寺有恒(11・14 ジャーナリスト) 内田裕也(11・17 ロック) 市川猿之助(12・9 歌舞伎俳優) 小川真由美(12・11 俳優) 水森亜土(12・23 イラスト)
1940(昭和15)年 72歳
加藤一二三(1・1 将棋) 沢渡朔(1・1 写真家) 津川雅彦(1・2 俳優) 三井康有(1・2 防衛問題) 唐十郎(2・11 劇作家) 中村敦夫(2・18 俳優・政治家) 森田公一(2・25 作曲) 上条恒彦(3・7 歌手) 大空真弓(3・10 俳優) 鳥越俊太郎(3・13 ジャーナリスト) 片岡義男(3・20 作家) 志茂田景樹(3・25 作家) 本橋成一(4・3 写真家) 小林研一郎(4・9 指揮者) 村松友視(4・10 作家) 村田幸子(5・14 アナウンサー) 王貞治(5・20 プロ野球) 荒木経惟(5・25 写真家) 石弘之(5・28 環境問題) 立花隆(5・28 評論) 大鵬幸喜(5・29 大相撲) 田中尚紀(6・19 政治家) 張本勲(6・19 プロ野球) 扇田昭彦(6・26 演劇評論) 山本圭(7・1 俳優) 浅丘ルリ子(7・2 俳優) 土居まさる(8・22 キャスター) 麻生太郎(9・20 政治家) 清水旭(11・3 詩人) 池内紀(11・25 ドイツ文学) 篠山紀信(12・3 写真家) 露木しげる(12・6 キャスター)
1941年(昭和16)年 71歳
稲越功一(1・3 写真家) 天地総子(1・3 俳優) 岩下志麻(1・3 俳優) 横路孝弘(1・3 政治家) 有田泰而(1・31 写真家) 大宅映子(2・23 ジャーナリスト) 小林克也(3・27 DJ) 上原明(4・5 企業経営者) 小林忠(4・11 日本美術) 市川森一(4・17 脚本) 萩本欽一(5・7 TVタレント) 樺山紘一(5・8 西洋史) 日色ともえ(6・4 俳優) 石坂浩二(6・20 俳優) 長山藍子(6・21 俳優) 倍賞千恵子(6・29 俳優) 後藤明(7・22 アジア史 ) 柄谷行人(8・6 文芸評論) 粉川哲夫(8・15 メディア論) 安藤忠雄(9・13 建築) 大内延介(10・2 将棋) 佐藤允彦(10・6 ジャズ) 三田佳子(10・8 俳優) 砂川しげひさ(10・11 漫画家) 広瀬悦子(11・9 バイオリニスト) 坂田栄一郎(11・16 写真家) 栗本慎一郎(11・23 経済人類学)
1942(昭和17)年 70歳
落合信彦(1・8 ジャーナリスト) 角川春樹(1・8 出版) 小泉純一郎(1・8 政治家) 嵐山光三郎(1・10 作家) 中谷巌(1・22 経済理論) 須田春海(1・24 市民運動) 今井通子(2・1 登山家) 秋山亮二(2・23 写真家) 山下洋輔(2・26 ピアニスト) 李麗仙(3・25 俳優) 北の海勝昭(3・28 横綱) 林海峯(5・6 囲碁) 大竹英雄(5・12 囲碁) 小沢一郎(5・24) 三枝成彰(7・8 作曲) 佐々木毅(7・15 政治学) 松方弘樹(7・23 俳優) 松本幸四郎(8・19 歌舞伎俳優) 石井志都子(8・31 バイオリニスト) 青木功(8・31 プロゴルフ) 尾上菊五郎(10・2 歌舞伎俳優) 正田修(10・11 企業経営) 島田祐子(10・12 声楽) 日野皓正(10・25 ジャズ奏者) 浜畑賢吉(10・29 俳優) 南部鶴彦(11・6 産業組織) 寺田農(11・7 俳優) 藤井林太郎(12・16 企業経営)
高齢者(3000万人)が「日本長寿社会」を担うとき
高齢者(3000万人)が「日本長寿社会」を担うとき
政治家の構想力不在で「日本長寿社会」は10年遅れに
わが国議会(衆議院)は、2012年6月26日、「消費増税法案」の採決をおこないました。法案の衆議院通過に安堵したのは、国民ではなく成立につとめた財務省関係議員と財務省です。新世紀このかた10年余り、史上初であり国際的にも期待されている「日本長寿社会≧高齢社会」形成への構想を、わが国議会は衆議して国民に提案し、達成への参加を呼びかけることをしませんでした。無策できた「10年の失政」を顧みることなく、増税というしわよせを国民に、とくに高齢者層に負わせようとしているのです。それは政治家の構想力の不在によりますが、いうまでもなく国民の側とくに高齢者の沈黙の結果でもあります。
先の大戦後の日本社会を、粒々辛苦して復興し発展に尽くした人びと。その人びとの高齢期の暮らしに手厚く報いる「社会保障」(「支えられる高齢者」への医療・介護・福祉)では成果を積んできましたが、史上初で国際的には新しい「日本高齢社会」形成への対策としては見るべき成果がありませんでした。みんなが安心して暮らせる「高齢化社会」としては、構想としての活動がなかったのですから成果もありません。明らかな「政治不在」です。
「わが国は世界のモデルになりうる。何もしないまま極東の片隅で、お年寄りの多い元気のない国になるかの瀬戸際だ」(野田首相)などという発言はうつろに響きます。
年ごとに増えつづけて3000万人に達した高齢者(65歳以上)は、いまやみずからを成員とする「日本長寿社会」(「支える高齢者」層の主導による三世代同等多重型社会)の充実・達成にむかわねば、政治のツケを負ったうえ、若年層からは社会への無関心を責められることになります。
このまま進めば、さまざまなしわよせが高齢者層に迫ってくることが想定されます。高齢者への敬意が薄れ、尊厳を保って晩年を過ごすことができなくなります。その対応はいまや高齢者自身が存在感を高めておこなうよりありません。
3000万人に達する高齢者
わが国の「高齢者」(65歳以上)は、昨年9月の「敬老の日」恒例の発表によると2980万人となっており、今年は3000万人に達します。これは単にボリュームが大台に乗って存在感を増すというだけではなく、日本社会に質的な変容をもたらすという意味で注目されているのです。
すでにご承知のとおり、今年から「団塊の世代」のみなさんが「高齢者」の側に加わります。先の大戦での敗戦の後、両親から「平和のうちに生きて」という願いを託された毎年200万人余の戦後ッ子。昭和22(1947)~昭和24(1949)年に生まれた人びと。
昭和22年生まれというと、ビートたけし、星野仙一、蒲島郁夫、鳩山由紀夫、千昌夫、荒俣宏、小田和正、北方謙三、西田敏行、池田理代子さんなどで、知識も技術も芸域も充実して、各界を代表する現役の人びとです。
「ごくろうさま」と声をかけたいところですが、ここではむしろ新たな存在である「支える高齢者」として過ごしてほしいと願うところでもあるのです。
平和ではあったものの平坦ではなかった65年。戦後昭和の復興期から成長・繁栄期そして平成の萎縮期にいたるステージを体験してきてなお元気で暮らしているみなさん。長命の両親(母親のみかも)を介護して支え、子どもの住宅ローンを支え、孫の物品のめんどうをみるという家庭内でもそうですし、すでに現れはじめていますが、「シニア・ビジネス」の展開によって、シニアを対象とする本物指向のモノやサービスで内需を支えることになるからです。
アクティブ・シニア(支える高齢者)層が登場
これまでのような「支えられる高齢者」ではなく、「支える高齢者」として、それぞれ蓄えてきた知識・技術・経験・資産そしてみんなで豊かになろうという「大同意識」を合わせ活かして、熟成期の「時めき人生」を送ること。
水玉模様のようにいくつものコミュニティに参加して、多彩に愉快に自らのライフスタイルを案出して暮らすこと。そういうアクティブ・シニアの暮らしぶりが、「長寿社会」のありようを変えていくと推測されているのです。
総不況と大災害による「平成萎縮」のあと、「支える高齢者」層が推進する「地域・職域再生」という新たな局面が登場することになります。これが各地・各界にもたらす質的な変容は、推測ではなくすでに構想の域にあります。
みんなが安心して暮らせる「長寿社会」の形成は、すべての世代(all ages)の人びとの参加によりますが、焦点を絞れば高齢者(older persons)が新たに達成する「すべての世代のための高齢社会」がその中心になります。
世界のトップランナーである日本の3000万人の参加意識をもつ高齢者が、どういう新しい社会を創出するかは、「三・一一大震災」後の復興とともに国際的にも注目されているのです。(「まったなし”日本こ長寿社会”への展開」https://jojin.jp/429 ほかから 2012・7・1)
新情報-「高齢社会対策大綱」見直しが明かす10年無策
新情報-「高齢社会対策大綱」見直しが明かす 10年無策
第20回高齢社会対策会議
平成23(2011)年10月14日(金)、朝8時13分、首相官邸。
8時過ぎに官邸にはいった野田佳彦総理が会議場の中央の席について、定例閣議に先立って「高齢社会対策会議」(第20回)が開かれた。(「政府インターネットテレビ」でそのようすをみることができる)
金曜の定例閣議なら官房長官からの発議で始まるが、ここは担当大臣の発言から始まった。「高齢社会対策」担当大臣はだれか。知る機会がないから国民のほとんどが知らないにちがいない。実は蓮舫議員の兼任なのである。
このところ全閣僚がメンバーであるこの会議は、年に一度、持ち回りですませてきた。毎年発行する『高齢社会白書』の内容となる「高齢化の状況及び高齢社会対策の実施状況」と「次年度高齢社会対策」の承認のためだが、閣議の前とはいえ全閣僚がテーブルを囲んで開かれたのは、10年ぶりに対策の指針である「高齢社会対策大綱」の見直しを諮るための重要な会議だったからである。
国際的な高齢化先進国であるわが国の「高齢社会対策」のトップが、44歳のマルチタレントの兼任であることを知って、いかにこの国の政治が「高齢社会」達成への関心に乏しく、実態から遠いところにあるかに驚かされるだろう。驚きを通りこして、失望したり呆れたり腹を立てたり・・などしているヒマはない。
担当大臣は「仕分けのスター」蓮舫議員
蓮舫担当大臣のあのタテ板に水の趣旨説明がなめらかに流れる。
[ おはようございます。ただいまから第20回「高齢社会対策会議」を開催いたします。本日は新しい「高齢社会対策大綱」の検討についてお諮りいたします。「高齢社会対策大綱」とは「高齢社会対策基本法」六条にありますように、政府が推進すべき高齢社会対策の指針です。お手元に参考までに配布をいたしました「高齢社会対策大綱」・・政府が推進すべき「高齢社会対策」の中長期的な指針として、平成13年12月に閣議決定されたものです。・・]
遠く昭和61(1986)年に「長寿社会対策大綱」としてまとめられ、平成7(1995)年の「高齢社会対策基本法」の制定のあと、平成8年に「高齢社会対策大綱」となり、世紀をまたいで平成13(2001)年に「大綱」見直しの閣議決定。
蓮舫大臣は昭和42(1967)年に生まれて平成16(2004)年に初当選。内閣特命担当大臣として、「行政刷新」「新しい公共」「少子化対策」「男女共同参画」そして「公務員制度改革」の担当である。「高齢社会対策」は政策課題のひとつとして担当している。
タテ板の水はまだ途切れない。
[ ・・経済社会情勢の変化等を踏まえて、必要があると認めるときに見直しをおこなうものとされています。来年以降、団塊の世代が65歳に達し、わが国の高齢化率がさらに伸びることが見込まれています。こうした経済社会情勢の変化を受けまして、政策面では本年6月30日に「社会保障・税一体改革案」が取りまとめられたなどの進展がみられます。これらのことから、平成23年度内の閣議決定を目途に、新しい大綱の案を作成することにしたいと思います。この点についてまずご了承いただけるでしょうか。]
ここまで一気に。了承の声あり。
前回の平成13(2001)年の「大綱」の閣議決定の後も対策の背後で苦労している先人の姿を想い起こし、将来のために力を尽くして見直そうという気持ちの抑揚は、蓮舫大臣の発言には感じられない。だから後ろに並んでいる担当官僚にも緊張感は生じない。朝早い会議のせいばかりではないだろう。
「声振林木」という成語がある。歌声が心に響き、あたりの林木をも振るわせるようすをいうが、蓮舫さんなら演技ででもできそうなところ。10年ぶりにやってくれるかと期待した高齢者は、このあたりでまず意欲を削がれるのである。
[ それでは大綱の見直しに当たりまして、会長であります内閣総理大臣からお考えをお願いいたします。]
蓮舫大臣にうながされて、野田総理が立つ。シャッターの音しきり。
野田首相は将来の「肩車型高齢社会」を危惧
[ はい。おはようございます。]
野田総理の発言・・野田さんは、このあとだれにも解りやすい胴上げ・騎馬戦・肩車の例を引いて、いずれはひとりがひとりの高齢者の面倒をみることになる「肩車型高齢社会」の到来の情景を思いながら説明する。しかもこの三つの例にまんざらでない納得の表情を浮かべて。
見直しに期待を持った高齢者なら、そのステレオタイプな「高齢者は被扶養者」という高齢者観に失望してしまう。背負っているのがだれかという「実態」を知らないからだ。この人に「高齢社会対策大綱」の正確なつくり直しができるのだろうか。まさにそういう先入観を見直そうという時なのに。
騎馬戦や肩車に乗っているのはだれか?
世情をよく見てほしい。
いまや子や孫のめんどうをみているのは、高齢世代なのである。孫たちの学習机や自転車、パソコン・・、子どもの住宅ローン、家族旅行・・。
そんなことを重ね合わせ思いながら、あとを聞く。
[ ・・まさに人類史上、前人未到のスピードで高齢化が進んでいると思いますが、悲観的になるのではなく、高齢社会にしっかり向き合って、世界最先端のモデルを作っていくということが、この大綱作りの基本的な考え方になるだろうと思いますので、私のほうからは3点、基本的な視点を提示をさせていただきたいと思います。]
ここはいい。「高齢社会」にしっかり向き合って、世界最先端のモデルを作っていくというあたりには同意できる。だが、総理に「悲観的になるのではなく」といわれてしまうと、元気なシニアは戸惑わざるをえない。なぜ「悲観的」といわれねばならないのか。50歳代はじめのこの人の感覚では、高齢者になること、高齢者であることがそれほど「悲観的」なことなのか。戸惑う間もなく、話は三つの基本的な視点に及んでいる。
「高齢者の消費の活性化」を視点に加える
[ 一つは、高齢者の居場所と出番をどう用意するか、二つ目は高齢者の孤立をどう防いでいくか、三つ目は現役時代からどう高齢期に備えができるのか、・・以上三つが基本的な視点ですけれども、あえてもう一つ付け加えるならば、「高齢者の消費をどう活性化していくのか」ということも大事な視点ではないかと思います。]
基本的な三つの視点、「居場所と出番」「孤立防止」「現役時代からの準備」は、すでに言われてきた白書的課題である。そこへ付け加えたのが、「高齢者の消費の活性化」。
スピーチでのこの発言の意図はどこにあるのか。
野田さんがいう「消費の活性化」は、世にいわれる黒字1400兆円超の家計資産から赤字1000兆円超の負債をかかえる国家財政への兆円の移動、つまり「消費税増税」にかかわってのことと憶測される。
ねらいは貯蓄額の多い高齢者層の消費活動にある。しかし現役世代が考えているよりも高い生活感性を持つ高齢者層に、うるおいと充足をもたらすような製品(優良品)の提供がすみやかにできるかどうか。高齢者は途上国製の百均商品(日用品)にかこまれて暮らしてきて、いまや「やや高だけれども安心して使える国産優良品」の登場を待っているのである。高齢者の暮らしを支えるモノの必要性に言及したことには注目しよう。単なる消費税増税では高齢者は納得しないし、消費の活性化も起こらない。
[ こういう考え方をもとに大綱作りについてのご議論をキックオフしていければと思いますので、よろしくお願いをいたします。・・]
希望は失望へそして少しだけ希望へと折り返す。
蓮舫大臣の発言・・
[ありがとうございました。]
これが、「政府インターネットテレビ」の映像と「首相官邸ホームページ、総理の動き」から起こした蓮舫大臣と野田総理の発言の細部である。会議は8時31分に終わっているから、このあと15分ほどのやりとりがあったようだが、ここではこれ以上の詳細な内容を必要としない。若く有能な大臣と中庸・凡庸を装う総理の発言と元気な65歳+の高齢者の感想との間のギャップは、以上のように歴然としている。
そのあいだ終始途切れず、発言が聞きづらいほどに「シャリ、シャリ」とシャッター音がつづいていたが、どれほどの社が写真入り記事にしたかが気になった。
6人の有識者で「大綱」を見直し
よく聞くと、この第20回「高齢社会対策会議」で、決定者である蓮舫担当大臣は、大綱の見直しを「新しい大綱の案を作成する」とまでいっている。だが注意すべきは「23年度中」という点で、すでにハーフタイムを過ぎている時期からどれほどの検討をして23年度中に新しい大綱を作成しようというのか。
まずは素案の原案を作るために設けられる「高齢社会対策の基本的在り方等に関する検討会」の有識者委員の人選を見なければならない。
同じ「有識者会議」でも、他の分野と異なって高齢社会が対象なのだから、ここは大学の専門学者ばかりでなく、体現者である高齢者の代表、活動の実践者、シニア・グッズの生産者やサービスの提供者、団塊世代の代表、さらには東北の被災地でいまその課題に直面している人びとといった多方面の現場からの要望の集約が必要であろう。
前回の平成13年の時の検討会委員は各界からの13人であった。中間の平成17年~19年に「大綱見直し」の参考にする前提で開催された「今後の高齢社会対策の在り方等に関する検討会」(清家篤座長)では専門学者を中心に10人のメンバーが検討をおこなっている。その「報告書」は参考にすべきだが、だからといって10年ぶりの今回を「軽車で熟路」ですませるわけにはいかない。もっと各界からの声を多く聞き、多くの国民に理解をしてもらう機会とせねばならないからである。
ところがどうしたことか委員は6人に減らされている。6人の有識者委員というのは、次の方々である。
座長 清家篤 慶応大学塾長(1954~)
香山リカ 精神科医 立教大学現代心理学部映像身体学科教授(1960~)
関ふ佐子 横浜国大大学院国際社会科学研究科准教授
園田真理子 明治大学理工学部建築学科教授
弘兼憲史 漫画家(1947~)
森貞述 介護相談・地域づくり連絡会代表(前高浜市長)(1942~)
前回座長であった清家さんがいるとはいえ、このメンバーだけで見直しの素案を得ることに納得は得られないだろう。しかもわずか4回の会議で意見をまとめ、内閣府で整理して23年度中に「高齢社会対策会議」に報告するという「快馬に加鞭」ぶりである。
座長は当然のこと清家塾長が担当し、すでに10月21日、11月25日と2度おこなわれている。このあと年明けの1月12日には「素案」についての議論がなされ、2月2日には「報告書」のとりまとめをおこなうという。
5回の会議で「報告書」は決着
年初の内閣改造前日の1月12日に、内閣府では「高齢社会対策大綱」見直しの有識者検討会が開かれ、「報告書素案」について、清家篤座長(慶応大学塾長)など6人の委員(弘兼委員は初参加)による議論がおこなわれていた。内閣改造はニュースになったが、こちらは10年ぶりの指針の見直しというのに、メディアの関心を呼んだようすはない。
10年ぶりの大綱検討の主な理由は、刻み目の年であるとともに、やはり「団塊の世代」が65歳に達して、経済社会情勢に変化が見込まれるためというもの。(10月14日「高齢社会対策会議」での蓮舫担当大臣の趣旨説明)
内閣府には5年前の有識者検討会など内部蓄積があるとはいえ、6人の委員で5回の会議での決着では、共生社会政策の一施策としてのあつかいの域を出ないものといわれてもしかたがない。
香山リカ、関ふ佐子、園田眞理子さんの三人の大学研究者、それに団塊の世代の漫画家弘兼憲史さん、前高浜市長の森貞述さん、前回の見直しに座長をつとめた清家さんがいるとはいえ6人の委員。オブザーバーは厚労省、文科省、国交省の課長・参事官。社会に大きな変容をもたらす時期にむけての中・長期的な指針となる「高齢社会対策大綱」を検討するには、少人数であり、閣議もできる広い円形の会議室がどよめくような将来構想をめぐる議論が展開できるだろうか。
提案された「報告書素案」にも、「団塊の世代」をふくめて「人生65年時代」から「人生90年時代」への高齢者意識の変化が指摘されている。全世代型の参画、ヤング・オールド・バランス(世代間の納得)、野田総理の指示に応えたシルバー市場の活性化、そして互助(顔の見える共助)の必要性など、現役シニアによって、「高齢社会」が実態として動くという認識が示されている。さすがにどれもナットクいく内容である。
その後の議論で、65歳からが高齢者という基準そのものが実情に合わなくなっているという指摘がされて、これはニュースになったたが、いま国際基準である65歳を動かす議論は、問題の解決を複雑にすることになりかねない。
広く公開論議を尽くして中・長期の指針を
そして同じ1月12日、内閣府にほど近い憲政記念館会議室では、高連協(高齢社会NGO連携協議会)による「高齢社会対策大綱の見直し」に当たっての「高連協提言」の発表会が開かれていた。高連協は1999年の「国際高齢者年」の活動を機に発足し、以来この10年余り、民間団体として一貫して高齢者活動の支援、実施に尽力してきた。
「高連協提言」はこう提言している。
普遍的長寿社会は人類恒久の願望であり、高齢化最先行国として世界に示す施策とすべきこと、高齢者は能力を発揮して社会を活性化し充実感を持って生きること、就労の場の年齢差別の禁止、基礎自治体との協働、少子化社会対策、より良い社会を次世代に引き継ぐこと、そのほかを提案。将来像としては、世代間の平等、持続可能性等の観点から「釣鐘型社会」を想定している。
参加者の議論があり、樋口恵子、堀田力両代表から提言者としての発言があったが、報道関係者の姿は少なく、これもニュースとして伝えられたかどうか。
「高齢化」は21世紀の国際的課題として早くから予測されており、わが国でも1986年6月にはすでに「長寿社会対策大綱」を閣議決定(第2次中曽根内閣)している。
その後、1995年11月に「高齢社会対策基本法」を制定(村山内閣)し、対策の指針となる「高齢社会対策大綱」を1996年7月に閣議決定(橋本内閣)し、2001年12月(小泉内閣)に見直しをおこなった。
そして今回、2011年10月に野田内閣が10年ぶりの見直しを決めて、作業を進めている最中なのである。
この間の「高齢社会対策大綱」が指摘した対策の不在こそが「政治不在」として問われなければならない。
それなくして、高齢社会政策の中・長期の指針となる「大綱」そのものは、「報告書」を踏まえて府内で作成し、関係省庁の調整を終えて閣議決定されることになる。
これまでのように「支えられる高齢者」への対策ならそれでも許されるだろうが、多くの「ささえる高齢者」の参加が予見されるなら、決定する前にパブリック・コメントはもちろん、各界の「参加意識」を持つ高齢者が議論に参加する検討会を一般公開でおこなうなど、広く告知する経緯を経ることも、新しい時代に対応する手順のひとつとして要請されることになる。
(「まったなし”日本長寿社会”への展開」ほかから 2012・7・1)
四字熟語-乱点鴛鴦
乱点鴛鴦
らんてんえんおう
「鴛鴦」はオシドリのこと。鴛がオスで鴦がメスという(雌雄が逆の説も)。つがいで行動するようすはほほえましく、古来、「おしどり(愛し鳥)夫婦」といえば仲のいい夫婦の例えとされている。実際に水辺でみる姿は「相思」を思わせる。
そういう一般人の評価を崩すのが、群れている夜のうちにお互いの相手を取り替えて、昼間は何事もなくむつまじいという実見者の説である。人の世にも夫婦を交換する例があって、その過程が人生模様としておもしろいことから、演劇化した馮夢龍「喬太守乱点鴛鴦譜」(三組の未婚者)が人気になって、「乱点鴛鴦」の話がよく知られた。
ほんものは鳥取県の県鳥であり五〇円切手で親しいが、絶滅危惧種のレッドリストに指定している県もある。「乱点鴛鴦」の実態がどうなのかは、人工繁殖をしたり調査をしている人に聞けばわかるが、せっかく古来から「鴛鴦」が伝えてきた「相思相愛」や「連理之枝」の意味合いを崩すこともないだろう。
馮夢龍『醒世恒言』から
友好都市ものがたり 目次
友好都市ものがたり 目次
第一章 人物の絆 *都市名 提携年月日 *は複数の提携都市があるところ。
# 風雲流離のひと郭沫若 市川市―楽山市(四川省) 81・10・21
# 湘南の海に眠る聶耳の夢 藤沢市―昆明市(雲南省) 81・11・05
# 維新・革命の先駆を担う 鹿児島市―長沙市(湖南省) 82・10・30
# 藤野厳九郎と作家魯迅 あわら市―紹興市(浙江省)*83・05・18
# 孔子ゆかりの町づくり 足利市―済寧市(山東省) 84・09・21
# 船頭伝兵衛と喜兵衛 気仙沼市―舟山市(浙江省) 97・10・08
# 日中交流の原点に立って 岡山市―洛陽市(河南省)* 81・04・06
第二章 動物・植物・伝統物産の絆 *都市名 提携年月日 *は複数の提携都市があるところ。
# 伝統工芸が息づく古都 金沢市―蘇州市(江蘇省)* 81・06・13
# フタコブラクダも応援 秋田市―蘭州市(甘粛省) 82・08・05
# 金絲猴が結んだ古城の町 犬山市―襄樊市(湖北省) 83・03・13
# 大杏と林檎が友好の果実 北上市―三門峡市(河南省) 85・05・25
# 酒づくりの技を磨くまち 西宮市―紹興市(浙江省)* 85・07・23
# 「紙といえば」の産地同士 富士市―嘉興市(浙江省) 89・01・13
# 牡丹は群芳に冠たり 須賀川市―洛陽市(河南省)* 93・08・01
# トキが舞う大空の下で 佐渡市―洋県(陝西省) 98・09・22
# 鉄と福祉で「金蘭の友」に 大分市―武漢市(湖北省) 79・09・07
# 薬がもうひとつの絆 富山市―秦皇島市(河北省)* 81・05・07
# 石炭産業の遺産を活かす 大牟田市―大同市(山西省) 81・10・16
# 石炭産業から新工業都市に いわき市―撫順市(遼寧省)* 82・04・15
# 東北・盆地・物産が絆 山形市―吉林市(吉林省)* 83・04・21
# 最先端技術を駆使する古都 姫路市―太原市(山西省) 87・05・20
# 内陸盆地の鉱産都市 秩父市―臨汾市(山西省) 88・10・07
# 世界をめざす二つの瓷都 有田町―景徳鎮市(江西省)* 96・08・28
第四章 港という開かれた拠点
https://jojin.jp/201
# 友好都市の第一号として 神戸市―天津市* 73・06・24
# 近代開港ふたつの東方明珠 横浜市―上海市* 73・11・30
# 表玄関であるという自負と実力 大阪市―上海市* 74・04・18
# 環境国際協力に友好の成果 北九州市―大連市(遼寧省)* 79・05・01
# 海外に扉を開く自立都市 福岡市―広州市(広東省) 79・05・02
# 三方に開く海を恵みに 下関市―青島市(山東省) 79・10・03
# 四〇〇年の国際海路を繋ぐ 長崎市―福州市(福建省)* 80・10・20
# 新亜欧交流の東の拠点 堺市―連雲港市(江蘇省)* 83・12・03
# 地方都市の経済技術交流 佐世保市―厦門市(福建省)* 83・10・28
# 国際観光の優れた標識都市 別府市―煙台市(山東省)* 85・07・26
第五章 風土と都市形態の類似が絆
https://jojin.jp/217
# 中京と南京の史的役割 名古屋市―南京市(江蘇省) 78・12・21
# 環境保全と観光立市 熊本市―桂林市(広西荘族) 79・10・01
# 環日本海の「面」の交流 新潟市―ハルビン市(黒龍江省)*79・12・17
# 都市形態の類似性を活かす 久留米市―合肥市(安徽省) 80・05・12
# 東北同士の類似都市 仙台市―長春市(吉林省)* 80・10・27
# 北の大地と開拓者魂 札幌市―瀋陽市(遼寧省)* 80・11・18
# 「春華秋実」の旗を掲げて 明石市―無錫市(江蘇省)* 81・08・29
# 未来都市への基盤づくり さいたま市―鄭州市(河南省) 81・10・12
# 県・市・市民とともに 和歌山市―済南市(山東省)* 83・01・14
# 「天府」の豊かさを基に 甲府市―成都市(四川省) 84・09・27
# 洞庭の水駿河湾に連なる 沼津市―岳陽市(湖南省) 85・04・05
# 「龍馬精神」が生きる街 高知市―蕪湖市(安徽省) 85・04・19
# 同年の大災害を克服 酒田市―唐山市(河北省) 90・07・26
# 湖の恵みを知る開放都市 彦根市―湘潭市(湖南省) 91・11・01
第六章 歴史の絆
https://jojin.jp/233
# 千年交流史に新編を加える 奈良市―西安市(陝西省)* 74・02・01
# 世界歴史都市への視座 京都市―西安市(陝西省)* 74・05・10
# 「不再戦」と「友好下去」の碑 岐阜市―杭州市(浙江省)*79・02・21
# 友誼万年を願う鐘の音 長野市―石家荘市(河北省) 81・04・19
# 日中韓交流の回路を開く 唐津市―揚州市(江蘇省)* 82・02・22
# 軍港から開かれた商港へ 舞鶴市―大連市(遼寧省)* 82・05・08
# 「幻の都」と「東南仏国」 長岡京市―寧波市(浙江省)* 83・04・21
# 東北地区の戦傷を越えて 宇都宮市―チチハル市(黒龍江省)84・09・30
# 景観を誇る湖と歴史古跡 大津市―牡丹江市(黒龍江省) 84・12・03
# 歴史都市の「草の根交流」 宇治市―咸陽市(陝西省)* 86・07・24
# 六〇年なお戦禍を語り継ぐ 広島市―重慶市 * 86・10・23
# 同名都市である親しみ 南陽市―南陽市(河南省) 88・10・06
# 学校交流から友好区へ 東京都北区―宣武区(北京市) 93・04・22
月刊「丈風」2012年6月号
!!月刊 「丈風」2012年6月号
本文全面pdf版は「月刊丈風」8月号 「丈風」!12年8月号a をご覧ください。
2012年6月号 5日 芒種 21日 夏至 https://jojin.jp/506
高齢者不在のまま「社会保障・税一体改革」は増税先行に
◎緊急提案(請願)「“消費税”論議とともに“日本長寿社会”構想を!」https://jojin.jp/465
◎新情報 「社会保障・税一体改革」法案審議に当たって-民主党政権での「高齢社会対策担当大臣」は9人目です-https://jojin.jp/504
◎新情報 NHK日曜討論・経済活性化の底力に「元気な高齢者」が登場 https://jojin.jp/510
◎寄稿「人生2回時代におけるキャリア形成の標準モデル」岡本憲之(JTTA)https://jojin.jp/492
◎小論「まったなし“日本長寿社会”への展開」堀内正範 https://jojin.jp/429
ここまで2012年6月号印刷用PDFファイルに https://jojin.jp/519
◎現代シニア用語事典 https://jojin.jp/412
◎日本地域大学校名簿 https://jojin.jp/19
◎昭和シニア人名録(賀寿期5歳層別)https://jojin.jp/438
◎高齢者(60歳以上)生年別人口・流行歌・流行語 https://jojin.jp/437
◎S65+ジャーナル http://super65plus.jp/jurnal/
◎人生を豊かにする四字熟語 https://jojin.jpcategory/
ご意見や資料・原稿の転送はe-mail mhori888@ybb.ne.jp へどうぞ。
◎関連著書 『丈人のススメ 日本型高齢社会 -「平和団塊」 が国難を救う-』
256ページ 1500円(税別) 2010・7・1発刊 武田ランダムハウスジャパン
丈人は「アクティブ・シニア」(支える側の高齢者)のこと。まだ老人と呼ばれるには間がある熟年期の人びとです。平和団塊は両親から平和に生きることを託された戦後生まれ(1946~1950年・1000万人)の人びと。高齢者(65歳以上)の仲間に加わりつつあります。
*****編集人 堀 亜起良(堀内正範) 日本丈人の会代表 朝日新聞社社友
e-mail mhori888@ybb.ne.jp tel & fax 0475-42-5673 keitai 090-4136-7811
〒 299-4301 千葉県長生郡一宮町一宮9340-8
◎月刊「丈風」 史上初、わが国独自の長寿社会推進の拠点として刊行しています。 2012・6・12/6・26
月刊「丈風」2012年6月号(印刷用)
全面pdf版は「月刊丈風」8月号 「丈風」!12年8月号a をご覧ください。
月刊丈風6月号(印刷用)
◎目次
◎緊急提案(請願)「“消費税”論議とともに“日本長寿社会”構想を!」
◎新情報 「社会保障・税一体改革」法案審議に当たって
◎新情報 NHK日曜討論・経済活性化の底力に「元気な高齢者」が登場
!!!月刊 「丈風」2012年6月号pdf1a
◎寄稿「人生2回時代におけるキャリア形成の標準モデル」岡本憲之(JTTA)
!!!人生2回時代の標準モデルpdf1a
◎小論「まったなし“日本長寿社会”への展開」堀内正範
!!!『まったなし日本長寿社会』20120520pdf
新情報-NHK日曜討論・経済活性化の底力に「元気な高齢者」が登場
◎NHK日曜討論 経済活性化の底力に「元気な高齢者」が登場
6月10日のNHK日曜討論スペシャル「消費増税と一体改革」の議論のなかで、肝心の経済活性化をすすめる底力として「元気な高齢者」がはじめて登場しました。「たちあがれ日本」の藤井孝男議員が経済成長をどう実現していくかで取り上げたもの。
藤井議員は、司会者から経済活性化への具体的提案を問われて、まずは財政出動によって老朽化したインフラ整備をおこなうこと、そして世界に例をみない高齢化社会なのだから、高齢者のみなさんが自立した環境をつくること、元気な高齢者が働くこと自立することによって、税収にもつながるし雇用の機会を増やすことにもなるという可能性を指摘したのです。
NHKの司会者もふくめて、各党の出演者が「社会保障」問題の根っこにまで想像力が及ばないなかで、高齢議員が政治生命をかけて国民に立ち上がりを求めている「たちあがれ日本」の藤井議員だからこそ、一歩先んじて高齢者の実態と実感に気づいているということでしょう。3000万人に達した高齢者(65歳以上)にとってこれからの展開に期待できる発言でした。いずれは潮流となってこの国を変えていくはずです。
他党の出演者があいかわらず高齢者は年金・介護・医療の対象としてしか見ていないなかで、「元気な高齢者」の存在に触れたことは画期的な発言なのです。それは「たちあがれ日本」には具体的で総合的な「高齢社会」設計ができあがりつつあることを推測させるものでした。
しかし司会者には藤井発言の意味合いが伝わらず、議論はその先には進みませんでした。藤井議員はまた高齢者・現役・将来世代という三世代の存在と負担配分のバランスの必要にも触れていたし、「社会保障・税一体改革」の必要は認めながらも、社会保障については1年ほどかけて議論して結論を出すべきであると提案していました。
増税と歳出カットは当然のこと、同時に経済成長をどうするかが熱く議論されなくてはならない時なのに、他党の議員からは具体的政策についてめぼしい提案はなく、民主党の前原議員は開国とくにアジアとの関係やイノベーション(環境と農業)に努力するという抽象的であいまいな答えしか用意できていなかったのが対照的でした。
本稿でも繰り返しますが、いま地域の再生、経済成長への潜在力は、若年層にではなく元気な高齢者層にあります。みんなが安心して暮らせる「日本長寿社会≧高齢社会」の形成とともに進める「内需」の展開にあります。「社会保障」を置き去りにして「消費増税」だけを先行させる議論は、将来の暮らしに不安を増すだけの「失政」であることを、全国の高齢者のみなさんは「衆心成城」の声として地元選出の「国会議員」に伝えてほしいと願っています。本誌は「警世の衆口一詞」の拠点として、政治家・官僚・学者・報道関係の方々に、本稿ほかを警醒の一石として投ずることといたします。
(堀内正範 2012・6・10)
「月刊丈風・寄稿」人生2回時代におけるキャリア形成の標準モデル
人生2回時代におけるキャリア形成の標準モデル
岡本憲之
特定非営利活動法人 日本シンクタンク・アカデミー理事長
「平均寿命65歳」から「平均寿命90歳」時代へ
「平均寿命65歳」の時代には、いわゆる高齢者は介護や医療を必要とする虚弱者のイメージが強かった。また高齢期の人生についても、余生とか老後といったように否定的に捉えられがちであった。しかし「平均寿命90歳」も夢ではなくなった今、65歳以上を虚弱な高齢者として扱うことに多くの人が疑問を感じている。
実際、高齢者が虚弱である期間は比較的短く、高齢期の大部分の期間はほぼ健常である。しかも高齢期がここまで長くなってくると、もはやそれを余生とは呼べず、「2回目の人生」と呼ぶべきである。
ところで「2回目の人生」とはどのような人生なのか。それは単に定年延長によって従来の会社人生を引き伸ばす。あるいはより長い余生を送ることではない。新たにもう1回の人生を用意するのだ。高齢期の身体や精神の特性に適合し、今まで蓄積してきた知識や経験を活かせる活動を行うことである。社会を支えるための何らかの役割を持ち、生きがいのある新たな人生を始めてこそ2回目の人生といえる。
そのために必要なのは、高齢期の健康や能力の特性を把握し、若いうちから健康長寿を目指すことである。それらを踏まえ、高齢期の新たな職域開発、あるいは学習やキャリア形成はどうあるべきかなど、考えるべき課題は多い。これからの高齢社会では、若者にとっても、将来の「2回目の人生」に向けた人生設計の夢と希望が膨らむ。
「支える側の高齢者」としての人生設計
わが国では少子高齢化が進み、社会の人口構成も「平均寿命65歳」の時代から大きく変わってきた。そんな高齢社会を持続可能なものにしていくためにも、これまでのように高齢者を一律に「支えられる側」として捉えるのではなく、元気な高齢者には社会を「支える側」に回ってもらうことが望まれる。そのため人生設計の標準モデルも、高齢期に活躍することを前提としたものに変えていかなければならない。そして教育学習を通じたキャリア形成のあり方についても、従来の「1度きりの人生」時代の標準モデルではなく、「人生2回」時代の新たな標準モデルを考えていく必要がある(下図)。
教育学習・キャリア形成から見た人生設計の標準モデル
「1度きりの人生」時代の標準モデル(左)
「人生2回」時代の標準モデル(右)
・年齢別人口構成 ・キャリア形成
・1度きりの教育学習機会(左) ・2回の教育学習機会(右)
(JTTA「毎月コラム」2012年5月から)
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