本の出版 警世の書 現代の「立正安国論」として 『丈人のススメ 日本型高齢社会 -「平和団塊」が国難を救う-』

堀内正範による新著

丈人のススメ 日本型高齢社会 -「平和団塊」が国難を救う-
256ページ  1500円(税別)  2010・7・1発行
武田ランダムハウスジャパン 03-5256-5691
堀内正範による新著 『丈人のススメ 日本型高齢社会 -「平和団塊」が国難を救う-』
「 丈人のススメ 」を購入する
ここには直接「日蓮」の教えを説いてはいない。
終章「高齢社会」ではこう生きたらどうだろう の文中で、
「人ことごとく悪に帰す」という 『立正安国論』 の時代認識を借りて、
750年後の現代日本の世相を考証している。
街談巷議の関心が「シラジラしい善意よりもドスグロい悪意にある」
(売れるが勝ち)として、悪意、悲惨、狂気に満ちた情報を追いかけている
マスコミへの批判を込めた文脈で援用している。
そのうえ襲った3・11大震災と放射能汚染。
この「天災人禍」を合わせた国難を克服するには
日蓮の国難救済への信念に学ばねばという 覚悟から、
[ 現代の「立正安国論」として ] という旗幟を掲げた。
目次
はじめに
* 健丈な高齢者を重視する社会へ
世代交代が声高に叫ばれて
元気なら「みずから生きよ」が国の政策
「国際高齢者年十周年」の成果不在
序章 「高齢社会」ではどう生きたらいいのだろう
* 「高齢化率」二二%は世界最速・最高
「超高齢社会」がふつうの社会
「高齢社会」をみずからの問題として
「社会の高年化」を体現する
* 高年化時代の五つのステージ
「いさぎよい隠退」への異議
高年期のライフ・サイクル
「五つステージ」が人生の舞台
第一章Ⅰ まずは「家庭内の高年化」からはじめねば
* 「マイホーム中心」の時代
マイホームに「マイ」がない
「ツカエナイ親!」とはなんだ
「貯蓄ゼロの日」へのカウント・ダウン
* 専用品をつなぐ暮らしの動線
「マイ・チェア」即座の効用
「高年化コア(核)用品」の候補たち
家庭内の高年化」自己認定
* 近居より「三世代同等同居」が未来型
娘世帯が「実家」へUターン
「暮らしの知恵」を孫に伝える
「三世代同等同居型」住宅をつくる
*  熟成期を共有する「シニア文化圏」
「シニア文化圏」というのは
「語られるシニア文化」の内容
多種多彩な「シニア文化圏」
第一章Ⅱ 暮らしにうるおいをもたらす国産優良品
* 家庭用品の「途上国化」
暮らしの「途上国化」が一気にすすむ
アジア諸国の「日本化」と日本の「途上国化」
「国産優良品」の持つうるおい
* 「足踏み」して待つ熟練高年技術者
生涯現役の跡継ぎ二世の苦悩
「ほどほどの赤字人生」が男子の美学
「待ち受け状況」(閉塞状況)に耐える
* 「高年化国産優良品」の開発に活路
「国産品モニター」としての高年者
「高年化製品経済圏」が日本経済を上支え
「人生の夢、日本の夢」
*  「造る者」と「使う者」の出会い
「シニア用品展示会」の開催
「(仮)日本シニア用品展示会」構想
「(仮)地方シニア用品展示会」への展開
第二章 社員・社友はどこまで企業を守れるのだろう
*  九割中流社会の実現と崩壊
「維新期」「戦後期」「新世紀」の三つの変革期
九割が「中流と感じる社会」を実現
「日本経済の萎縮」をもたらす要因
* 「日本型企業」の特徴と見直し
「日本型企業」の特徴と優越性
「アメリカ型マネジメント」の旋風
持続可能な企業形態につくり直す
* 高年技術者の社内温存
社内に「モラル・ハザード」が広がる
「パラレル・キャリア指向」の有用性
「熟年高年社員・社友」の社内温存
* わが社が誇る「高年化優良品」
「わが社製品の高年化」を試みる
「職場の高年化」が「高年化製品」の基礎
「泉眼型の中小企業」に期待
* 世紀初頭に「第三の立国開化」
「社内ミドル化」と「社内シニア化」を両立
「SWIT型会議」が新・日本型マネジメント
「和の絆」(愛社意識)を組み込む
第三章Ⅰ 日本再生のヒントは「地域の四季」にある
* 地域特性と季節感
「双暦」に慣れる暮らし
高年期は「二五年・百季人生」に
「季節小物」の季節替え
* 「一年」とともに「四季」を折節の基本に
「自作五句」を自己選定
「八方時刻」を使いならす
「祭事・歳事・催事」に参加する
*  時節の変化を楽しむ暮らしの知恵
「倉持家の蔵の中」を覗く
「季節和装」が衣の趣向
「旬菜料理」と「口楽文化」
* 「四季型(通風)住宅」への回帰
「常春型(エアコン)」より「四季型(通風)」へ
「地域の四季」を演出する庭づくり
「外向的街並み」を実現する
第三章Ⅱ 「地域特性のあるまち」に住まう
* わがまちの「高年化地産品」
「日本的よき均等性」の成果
わがまちの「地域特性」を掘り起こす
熟練の手ざわり「高年化地産品」
* ふるさとを代表する「地域シニア会議」
「地域特性のあるまち」にするために
ふるさとの大地を踏み鳴らす
「地域シニア会議」と「地域三世代会議」
* 中心街は「モノと暮らしの情報源」
地域の中心街がシャッター通りに
失われる「地域の顔」
特性を際立たせる活性化
* 買い物と遊歩を楽しむ「四季型中心街」
歩行生活圏の中心に「買い物+遊歩空間」
「地域の四季」を組み込む演出
「三世代四季型中心街」をつくる
第四章  「官僚主導」で軽視されてきた健丈高齢者
* 高齢者は「社会の被扶養者」でいいのか
高齢者を「社会の被扶養者」と位置づける
「高齢化特任大臣」を置けない内閣府
「ユニバーサル・デザイン型」人生への異議
* 「次世代育成支援」に祖父母は不要なのか
「総人口減少」がはじまる
家族総出の子育てが基本
子育て支援の「都市型」と「地方型」
* 「合併新市」はシニア住民の参画を得たか
「平成の大合併」は終わりが始まり
生活圏の広域化と地域化
シニア住民が参画する場所
* 地域の人材養成は「(仮)地域シニア大学校」で
合併の大義は「地域を愛する人材」の養成
「新市の求心力」をどうつくるか
公立の「(仮)地域シニア大学校」
第五章 日本シニアだからできる国際貢献
* 「国際高齢者年十周年」の日本
二〇〇九年は「国際高齢者年十周年」
「高齢者のための国連五原則」
先駆的自治体の「高齢者憲章」
* 平和の証としての「日本国憲法」と「日本高齢社会」
平和と非暴力による「文明間の対話」
世界に誇れる「ふたつの平和の証」
国際平和の下で「憲法施行一〇〇周年」を祝う
終章 「高齢社会」ではこう生きたらどうだろう
* いらない高齢者にならないために
高年化活動への三つの契機
「高年者意識」を立てること
「職域と地域の高年化」の活動
* 高年期の人生を支える力
「日本列島総不況」と「老人力」
「日本高齢社会」と「丈人力」
「老化モデル」と「丈人モデル」
* 「三世代同等型」社会を意識する
「青少年期」(~二四歳)には国際力を養う
「中年期」(二五~四九歳)には「八面六臂」の活躍
「高年前期」(五〇歳代)は「パラレル・ライフ」
* 「時めき人生」と「意のまま人生」
「六〇歳~」は「時めき人生」
「高年後期」(七五歳~)は「意のまま人生」
全人標準としての「日本高齢社会」
おわりに
* 二〇〇〇年遡行の旅
「初志」というよりは「夢」として
日中交流の原点に立って
近・現代の日中交流
* 年たけてまた越ゆべきもの
綺羅星のごとき人びと
年たけてまた越ゆべきもの
本書目次止  本文254ページ
**********
堀内正範の他の著作についての情報は、NET検索「堀内正範」でお願いします。
**********
2010年8月15日のメッセージ
増税(消費税)より前に、社会参画(高齢社会)構想を!!
高齢期を迎えているみなさん、この国は高齢者が暮らしやすい『日本型高齢社会』へ向かっていますか?

ごあいさつ

「平和憲法」と「高齢社会」
2010年8月15日、65回目の終戦記念日を迎えました。前世紀に全世界を巻き込んだ戦争の記憶を、「恐怖の体験」として持つ人びとは65歳より上になりました。「戴白の老も干戈をみず」(髪の白くなった老人も戦争を知らない)という長い平和の時期が、先人の受けた戦禍によってもたらされたことを知らなくては、平和の意味は見失われます。「平和国家」の達成は、大戦の終結とともに国民が選び、世界に誓った「百年の大計」です。
その証は、旗幟のように掲げる「平和憲法」と、日また一日の事実として平和裏に形成する「高齢社会」です。高齢者が安心して暮らすことができ、後人から敬愛を受け、「尊厳」を持って人生を生き抜くことができる社会が、国際的に誇れる「平和の証」の姿です。先人(両親)から託されたこのふたつを輝かせつづけるのは、65年目の今を生きるわれわれのほかにありません。

世界最初の「本格的な高齢社会」を迎えて

ご承知のように、わが国は「世界最速」で高齢化が進んで、世界最初の「本格的な高齢社会」(国際基準・65歳以上の高齢者が21%を超える)を迎えています。にもかかわらず、高齢者(ここでは50歳以上の約5000万人)の存在感が乏しいのはなぜなのでしょうか。理由は、われわれが体現者としての意識をもって高齢期を暮らしやすい「本格的な高齢社会」の創出へと向かっていないからですが、何よりその前提となるはずの政治リーダーによる将来構想がなく、論を張る学者の声は弱く、ジャーナリズムの警鐘も鳴らないのでは、高齢者層から世論の湧きようがありません。

「政不在」ゆえの「官主導」

「官僚主導から政治(国民)主導へ」を掲げて政権党となった民主党に期待があつまっていますが、官僚を攻めたてて事業仕分けをする前に、「政治不在」ゆえの「官僚主導」であったことをまず自省すべきでしょう。政治リーダーに「高齢社会構想」がなかったゆえに、官僚による高齢化対策は、財政難のなかでは「社会保障」が精一杯でした。増えつづける健丈な高齢者に対しては、単純化していえば「元気ならみずから生きよ」として軽視・黙止してきたというのが経緯としての事実です。
その証として、内閣府は「少子化」には「少子化担当特命大臣」を置いて対処しても、「高齢化」に対しては専任の「高齢化担当特命大臣」を置くことができないでいます。これでは「本格的な高齢社会」対策の打ちようがありません。

「二世代+α型」から「三世代同等型」社会へ

国の将来にかかわるテーマで論議をつくすべき参院選後の国会でも、「消費税」と「政治とカネ」が中心で、基本となる「少子・高齢化社会」を論じることはありませんでした。政権党となった民主党の「マニフェスト」には「本格的な高齢社会」についての構想がなく、高齢化政策はいぜんとして医療、介護、福祉といった「社会保障」の範囲にとどまっています。菅首相が掲げる「強い社会保障」も2割ほどの高齢弱者を対象とする「二世代+α型」の施策であり、「青少年」「中年」「高年」が等しく参画する「三世代同等型」社会への視点を欠いています。この「政治不在」が問題です。
5000万人の高齢者層が参画することで達成する「日本型高齢社会」が経済・財政再建の契機であり、「三世代同等型」社会にむかう将来構想を示すことが、誰より国を憂慮する政治リーダーの役目でしょう。各政党に対して、「少子・高齢化社会」構想を提案し、国民の前で議論することを要請しましょう。

「平和団塊」の人びとの参画に期待

いまや先の世界大戦のあと1946~50年に生まれた「平和団塊の世代」(約1000万人)の人びとが還暦・定年の時期を迎えて、「高齢社会」形成の側に加わりつつあります。しごとを続けるにせよ、引退ぐらしをするにせよ、保持している知力、技術力、気力、資力を渋滞させず、萎えさせずに暮らすこと。これは当事者である「国民」の側にとっての問題です。
いま全国に水玉模様のように広がっている「高齢化活動」の力を集積する牙城のひとつとして、ここに「日本丈人の会」(個人参加)と「日本丈風の会」(団体参加)を立ち上げます。ぜひご参加ください。
黙してひっぺがされる(消費税)より、まず動いて参画(高齢化活動)です。
2010・8・15 記  堀内正範   南九十九里にて