エイジノミクス

シニア用語today
「エイジノミクス」
「高齢化」の進展は多様なシニア層が新たに生まれる変化でもある。新たなライフスタイルやワークスタイルあるいはエンディングスタイルが登場する。また高齢社会対応のインフラや「地域包括支援制度」など新たな社会システムへの移行、「共助文化」の醸成、あるいは世代間の連携や多世代共創による新たな相乗効果の創造など、すべてがイノベーションをもたらす。エイジングはまさにイノベーションの宝庫である。
「エイジノミクス」ということばは、2014年7月7日に、「第3回高齢化世界会議(WAA22)」招致推進の会(準備会、三菱総研会議室)の席上で発案された。岡本憲之氏の趣旨説明の途中で、林玲子氏が発言したものである。『知恵蔵』の元編集者としては新語が生まれた瞬間に立ち会った実感があった。これから岡本氏の論考を通じて流行語になるだろう。「老人力」が赤瀬川原平氏と藤森照信氏の発案であったように、おふたりの発案として扱うのがいい。「アベノミクス」に欠落している高齢者と高齢社会を対象とする新たな経済活動の表現として「エイジノミクス」は大きく羽ばたくだろう。(2014/11 堀内)
 
エイジノミクス序論 ― 高齢化をチャンスと捉え成長に変える経済
岡本憲之
日本シンクタンク・アカデミー理事長
2014/11/29
はじめに
人口ボーナス/オーナス論への反論
戦後の高度成長の要因として、しばしば生産年齢人口の増加が挙げられる。いわゆる人口ボーナス論である。そして現在の日本では、少子高齢化に伴い生産年齢人口の急速な減少が始まっている。それは経済の足かせになり、成長を阻害する要因となる。いわゆる人口オーナス論である。このまま行くと、日本の未来には暗く衰退する社会が待っている・・・・・?
しかし本当にそうだろうか。確かに生産年齢人口の増加は経済成長の1つの要因とはなろう。しかし経済学者の吉川洋氏は、戦後の高度成長のより大きな要因として世帯数の増加を挙げている。戦後、地方から都会に出て来た若者たちは、新たに多くの世帯を形成した。いわゆる核家族化である。この核家族化の流れが、車や家電製品などの各世帯への普及を通じて高度成長を牽引したと言うのである。
戦後の大家族から核家族への変化の本質は何かを問えば、その答えは新たな人生スタイルの登場ということになるのではないか。そして新たな人生スタイルの登場こそが、イノベーションを起こし成長をもたらしてきたのではないか。そう考えると今の高齢化の流れに対しては、生産年齢人口の減少とは違った見方ができるのではないか。それは長寿化に伴う高齢期の新たな人生スタイルの登場という大きな流れである。
今や高齢者の人生は、昔のように老後とか余生といった十把一絡げの言葉では片付けられない。人生における長い高齢期は、多様で新しい人生スタイルの登場を意味し、それらはイノベーションと成長のチャンスと捉えることができるかもしれないのだ。
必要とされるエイジノミクス論
多くの人は高齢化に対して、「暗い」あるいは「衰退」といったイメージを持っているようだが、それは先入観である。実際イノベーション(に伴う成長)は変化の過程で起きる。エイジングすなわち人口構造の変化、これはイノベーションの機会である。日本をはじめ世界的に高齢化が進む中、経済の持続可能な発展に向けた道筋を改めて探るべきではないか。まさにそれこそがエイジノミクスである。
 
先端医療技術の進歩など技術的ブレークスルーはイノベーションを生み出す。しかし技術だけではない。例えば高齢化は、分厚く多様でアクティブな高齢層が新たに生まれる変化である。新たなライフスタイルやワークスタイル、あるいはエンディングスタイルが登場する。また高齢社会対応のインフラや地域支援制度等新たな社会システムへの移行、共助文化の醸成、あるいは多世代共創による新たな相乗効果の創造など、すべてがイノベーションを生み出す機会となる。まさにエイジングはイノベーションの宝庫である。
いよいよ本格的な超高齢社会を迎える日本。これからの日本は、かつての1回きりの人生「単作時代」から、平均寿命90歳を超える人生「二毛作時代」へと向かう。そしてイノベーションの機会も2倍に増える。来るべき未来で待っているのは暗く衰退する社会ではない。イノベーションに満ち溢れた、明るく活力ある社会である。そして、それを実現する経済がエイジノミクスである。
 
 
 

「忍辱負重」(にんじょく[にく]ふじゅう)

「忍辱負重」(にんじょく(にく)ふじゅう) 2014・11・19
俳優の高倉健さんが11月10日に亡くなりました。中国では文革のあと最初の外国映画となった「君よ憤怒の河を渉れ」(中国名「追捕」)の主演者として知られ、主人公の検事が着たコートは半月で10万着も売れたといいます。その後、「幸福の黄色いハンカチ」(「幸福的黄手帕」)や「遥かなる山の呼び声」(「遠山的呼喚」)があり、2005年には中国の張芸謀監督による合作「単騎、千里を走る」(「千里走単騎」)が撮影されています。張監督は、その公開にあたって、高倉さんは眼ではなく心で泣く(心在哭泣)演技者だったと紹介しています。
離世に当たっての「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」は、数多く演じた「忍辱負重」(辱めを忍んで重責を担う。『三国志・呉書「陸遜伝」』など)を思わせます。「不器用ですから・・どうぞお幸せに」(コマーシャル)といって去っていく姿を残して。健さん、天堂でどうぞお幸せに(幸福開心)。享年83歳でした。
(連載「四字熟語」円水社+ http://www.ensuisha.co.jp/plus/ より)
 

シニア用語 TODAY 

『現代シニア用語事典 』=「月刊丈風」編集
シニア用語today

老中八策20150101
エイジノミクス
シニア用語TODAY集
[内容]
 ◎長寿時代のライフサイク
◎「賀寿期五歳層」のステージ
◎「体志行」三つのカテゴリー
◎「平均余命」
社会保障制度改革国民会議
「国際高齢者年」(1999年)「高齢者五原則」
大正生まれの歌
ぎんさんの4人娘
「敬老の日」と「老人の日」「老人週間」「全老連」
「高齢者憲章」(高連協、1999年)
「いなみ野宣言」(いなみ野学園、1999年)
三浦雄一郎 18
木村次郎右衛門
合計特殊出生率
なだいなだ・老人党 
『現代シニア用語事典』制作中
分載#4
現代シニア用語事典(全) 制作中

現代シニア用語事典  「人生90年時代」を生きることば

現代シニア用語事典
「人生90年時代」を生きることば
=「月刊丈風」編集=

2011.12.01 ~ 稿
「現代シニア用語today」は右上バーの「現代シニア用語事典」をクリックしてください        https://jojin.jp/418 

◎目次

 #1 「定年余生」から「現役長生」へ https://jojin.jp/382
#2 高齢者・高齢期・高齢社会  https://jojin.jp/398
#3 個人の尊厳と家庭内高年化  https://jojin.jp/399
#4 家庭用品「途上国産」と「国産・地産」  https://jojin.jp/400
#5 高齢化製品と企業再リストラ  https://jojin.jp/401
#6 日本再生と地域の四季  https://jojin.jp/403
#7 人民・市民・国民・国際人  https://jojin.jp/405
#8 「人生90年時代」の「三世代現役多重型社会」  https://jojin.jp/407

 

現代シニア用語TODAY 「長寿時代」のライフサイクル「賀寿期五歳層」のステージ「体志行」三つのカテゴリー

「長寿時代」のライフサイクル 
これまでライフサイクルというと「乳幼児期」「少年期」「青年期」「壮年期」「老年期」という五つのステージ(年齢階層)として説明されてきました。だれもが経験的に知って納得していることですから間違いというわけにはいきません。しかしこの階層の分け方は二五歳までに三つの階層があることからも知れるように、「発達心理学」からの階層分けであって、高齢期を暮らす人に配慮したライフサイクルではありません。高齢時代には「加齢学」的な観点から、逆に高齢期に三つを配するといった階層分けを考慮する必要があります。ここでは二五年間ずつ三つのステージを「三世代」に等しく割り振りながら、高齢期を暮らす人の実感に配慮したライフサイクルを提案しています。学問的にうんぬんするつもりはなく、実感として納得していただければいい。
青少年期   〇歳~二四歳 自己形成期
バトンゾーン 二五~二九歳 選択期
中年期    三〇~五四歳 労働参加・社会参加期
パラレルゾーン 五五~五九歳 高年期準備・自立期
高年期    六〇~八四歳 地域参加・自己実現期
長命期    八五歳~   ケア・尊厳期
(自立・参加・自己実現・ケア ・尊厳の五つは国連の「高齢者五原則」)
上の階層分けが、高齢者がみずからを顧みて納得できる「長寿時代のライフサイクル」といえるでしょう。
「バトンゾーン」というのは個人の特性によって生じる幅であり、青少年期にいれるか中年期にいれるか、モラトリアム期として過ごすかは個人が選択すればいい。
「パラレルゾーン」というのは「パラレル・ライフ」(ふたつの人生)期にあることで、「高年準備期」です。窓際族なんかでヒマつぶしをしている時期ではなく、二五年の高年期を自分らしく生きる(自己実現)のための模索(自立志向)期でけっこう多忙なはずなのです。
「定年後は余生」などとぼんやり考える旧時代の「老成」タイプの高齢者意識が、長寿時代にはいっているこの国の「高齢社会」形成に自然渋滞をもたらしているのです。「高年期」での地域参加・自己実現の二五年をどう体現して暮らすかの工夫が人生の豊かさの差をつくることになります。と同時に社会を活性化させることになります。もちろんその活動は高齢世代みずからのものであるとともに次世代のためのものであり、可能な範囲でなお中年・青少年を支援するものとなります。別のところでも引用しいていますが、「自分がその木陰で憩うことがない樹を植える」(W・リップマンのことば)という配慮は常に意識して暮らすことが肝要です。
「賀寿期五歳層」のステージ
これは「長寿時代」を前向き(パイオニア)に暮らすための指針であり、本稿の創見のひとつです。知ると知らないとでは高齢期人生に雲泥の差が生じますs。 本稿が提案している「長寿時代のライフサイクル」の「高年期」(60歳~)と「長命期」(85歳~)を、ひとつひとつの「五歳層」に分けて、その年齢階層らしく迎えて過ごす。なだらかな丘を同年層の仲間といっしょにゆっくりとマイペースでトレッキングするような爽快感があればいい。
「定年退職」のあとを「余生」と決めて、孤独な不安にも耐えて生きるのが男の美学というならそれでもよい。いつかは訪れる死はひとりのものだからです。中年期のしごとがつらかったから遊んで暮らしたい、人間関係に疲れたからひとりになりたいという人の自由を奪うことなどできません。
先人は見定めえない人生の前方に次々に「賀寿」を設けて個人的長寿のプロセスを祝福して楽しんできました。いまも「何何先生の米寿の会」「おばあちゃんの卆寿の会」は個人の「賀寿の会」としてそれぞれに祝われています。しかし六〇歳以上の約三九〇〇万人(六五歳以上の約三〇〇〇万人)の高年者が多くの仲間とともに暮らしているのだから、同年齢同士が励まし合いながら百寿期を目ざすのもいいのではないでしょうか。
還暦期(六〇歳~六九歳) 昭和二七年~昭和一八年
古希期(七〇歳~七四歳) 昭和一七年~昭和一三年
喜寿期(七五歳~七九歳) 昭和一二年~昭和八年
傘寿期(八〇歳~八四歳) 昭和七年~昭和三年
米寿期(八五歳~八九歳) 昭和二年~大正一二年
卆寿期(九〇歳~九四歳) 大正一一年~大正七年
白寿期(九五歳~九九歳) 大正六年~大正二年
百寿期(一〇〇歳以上)  大正元年以前
2011年には日野原重明さんが百寿期に達して話題になりました。2012年は新藤兼人さんが到達しましたがゴールして亡くなりました。卆寿期には瀬戸内寂聴・水木しげる・鶴見俊輔さんがいます。傘寿期には樋口恵子・堂本暁子・岸恵子さん、石原慎太郎・五木寛之・仲代達矢さんと多士済々です。そして古希には小泉純一郎・小沢一郎・松方弘樹・松本幸四郎・青木功・尾上菊五郎さん。七〇歳になったからといって老成することはないでしょう。仲間といっしょに人生の新たな出会いを楽しむ日々が待っているのですから。
「体志行」三つのカテゴリー
高年期にある人ならだれにもこれまで過ごしてきた「青少年期」と「中年期」の五〇年余の間に積み重ねてきた経験や知識や健康や有形・無形の資産があります。
それらを六〇歳からの「高年期」を意識した「からだ(体・健康)」と「こころ・こころざし(心・志・知識)」と「ふるまい(行・技術)」のそれぞれにしっかりとバランスよく活かして暮らすこと。
この三つ以外に人間(人生)としての存在はないというのが、東洋の哲学が持つ人間(人生)観なのです。そういう意味合いが納得できるのは、やはり「からだ(体)」のどこかに故障を生じる高年期になってからのことで、ここから「体・志・行」に配慮した「高齢期の人生」が始まります。人生を通じて右片上がりの能力をたいせつにする「丈人(別項)」であることを意識して、この三つをバランスよくすごすことによって、外面的に「老人」としてではなく「丈人」としての「健康・知識・技術」に配慮した暮らしが表現されることになります。この三つをバランスよく働かせた暮らしをしている人が、敬愛すべき「現代丈人」のみなさんです。スポーツ界では「心技体」として認識されているのは、スポーツでは心の構えが技・体の差をつくるからです。