「月刊丈風」2013年10月号

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四字熟語「蛙鳴蝉噪」「胸有成竹」「急流勇退」「平分秋色」

「円水社+ 四字熟語の愉しみ 連載中

平分秋色」(へいぶんしゅうしょく) 2013・09・25

昼夜がちょうど二分される秋分のころの穏やかな景観が「平分秋色」(李朴「中秋」など)です。「平分」は収穫した成果を平等に分け合って得ることに通じます。丹精した農作物をみんなで収穫する秋であり、のちには農業だけではなく、商業上の利益や声望などを分け合って、一半を得ることにもいうようになりました。

先人の残したさまざまな遺産を収蔵する博物館同士が、お互いの優れた収蔵品を出し合って展覧会を催すのも「平分秋色」。またサッカー戦などで激しく勝利を争いながら引き分けた熱闘を讃えあっての「平分秋色」。ちかごろは宴を盛り上げる白酒と葡萄酒の消費量が「平分秋色」になりつつあるといいます。

なにより平和の下での半世紀余。わが国は先行して得た技術や人材や資金を投入して、アジア途上諸国の人びとの暮らしの近代化に貢献しています。アジア各地でその成果が共有されている姿は、わが国が誇っていい「平分秋色」の景観です。

急流勇退」(きゅうりゅうゆうたい) 2013・9・18

しごとが順調で成果が現れており、将来がなお期待されている時に果断に勇退して自己の節義を保つことが「急流勇退」(『蘇東坡集「贈善相程傑」』など)です。

サッカーのベッカムや野球の松井秀樹などスポーツ選手の引き際もそれに近いですが、宮﨑駿(はやお)監督の進退の判断は「急流勇退」というにふさわしいでしょう。ベネチア国際映画祭に『風立ちぬ』(風起了)が出品中であったことで、「動画界のクロサワ」「日本のディズニー」の引退は一気に世界中に知られました。作品は金獅子賞を逃がしましたが商談は上々のようです。

公式引退の辞で、しごとの目安を「あと10年」、「ぼくは自由です」といいます。しごとをやるやらないの自由。昭和16(1941)年、戦争のさなかの生まれ、72歳での「急流からの勇退」は「生涯現役宣言」でもあるのです。宋の蘇軾も「急流勇退はあに人なからん」と、なかなかできないことだと述べています。

胸有成竹」(きょうゆうせいちく) 2013・09・11

暮らしの中に竹かんむりの字が多いことからも、竹はさまざまな用途をもった植物として利用されてきたことがわかります。まず筆がそうですし、竿、箒、箸、箱、籠、笛、笠・・節や筋や算もそうです。また竹はそのたたずまいを愛されて、詩画としても数多くの名品が残されています。

竹の画に秀でた人といえば北宋時代の文与可でしょう。四川に住んで、春秋、朝夕、晴雨といった自然の変化の中で、竹を仔細に観察しつくして描きました。同時代の文学者晁補之は「胸中に成竹あり」(『鶏肋集・八』から)と称賛しています。

ことをなす前に胸中にしっかりした結果が見えている(成算がある)例として用いられます。TPPへの日本の加入について、『人民網』は「賭博かそれとも胸有成竹?」の見出しを付けました。賭博はないでしょうが、といって政府に国民を納得させる「成竹」が胸中に描けているのかどうかはあやういところです。

蛙鳴蝉噪」(あめいせんそう) 2013・9・04

蛙が鳴いて蝉が噪ぐというのは、親しい夏の風物です。とくに蝉の声は、一声一声、短い生を知って生きることの謳歌、小さい命の大合唱です。ニイニイ、ヒグラシ(カナカナ)、ミンミンゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシ・・それぞれに鳴き声に特徴があり、現われる順もあるので、曲調は少しずつ移ろっていきます。

芭蕉の有名な句「閑さや岩にしみいる蝉の声」は旧暦5月末の山形・立石寺の作なので、ニイニイゼミと調査結果が出ているようです。荘子の「蟪蛄(けいこ・夏ゼミ)は春秋を知らず」は、凝縮された生へのいとおしさを掬いとっています。蘇軾の「蛙鳴青草の泊、蝉噪垂楊の浦」も人の賑わいの中に混じる生きものの声を聞いています。

蝉の声が途絶えて虫の音が引き継ぐ季節の転回。「蛙鳴蝉噪」(儲欣『唐宋八大家文評「韓愈・平淮西碑』など)が、比喩として低俗な文章や内容のない議論をいうのはなぜでしょう。炎熱の夏を終えて、成熟の秋に期待するということでしょうか。

 

「高齢社会」の達成が「平和国家」の証

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「高齢社会」の達成が「平和国家」の証
灯火管制の下で。
子どもの目に焼きついた戦争の鮮明な光景がある。その夜、灯火管制でうす暗い家の中が急にざわめいて、大人たちがみんな二階に駆けあがり、物干しや道路側の雨戸を細くあけて夜空を見上げた。わたしも雨戸の隙間からおそるおそる夜空を見上げた。何本かの探照灯に照らし出されたB29。迫っていく日本の戦闘機。高射砲弾の煙と音。子どもの目で距離感は測りようもなかったが、B29はゆうゆうと東京の上空を横切っていった。覗き見たあと、ひとり取り残されたわたしを振るわせていたのは、恐れではなく、ひそかに知った敗北感のようなものだった。軍歌を歌い、兵隊ごっこをし、戦闘機を画いて、強国ニッポンを信じていたのに。・・・・・・・