四字熟語-牛角掛書

牛角掛書
ぎゅうかくかいしょ

「牛角に書を掛く」というのは、ゆったりとして忍耐づよく歩を運ぶ牛にまたがって、その角に書を掛けて読んだという故事からいわれる。隋代の李密が路を行きながら『漢書』を読んだ姿からで、瞬時を惜しんで勉学に励む例とされる。
角に書を掛けられて、路すがら耳元で「項羽伝」を聞かされた牛のほうは迷惑だったろう。牛にちなむ成語には「対牛弾琴」があって、正調の琴曲を聞かされてもいっこうに反応を示さなかったことから、意の通じない人物にいわれる。さらには会盟の際に牲(牛偏)にされ、血の誓いのために「牛耳」を執られては喘ぎ声を発せざるをえない。
この成語をとりあげたのは、移動途中の電車のなかで、瞬時を惜しんで書ならぬ電子機器をあやつる若者たちの姿をみるからで、将来は計り知れない質と量の電子世界が成立するのだろう。想像を絶する未来に牛のように喘ぐばかり。さりとて「牛角掛書」の意味あいが解らなくなることはないだろう。

『新唐書「李密伝」』より

 

 

四字熟語-明日黄花

明日黄花
みょうにちこうか

「明日」は重陽(旧暦九月九日・今年は一〇月二三日)の後の日のこと。「黄花」は菊の花。重陽節には菊を観賞するならわしがあり、その日にむけて盛りを迎えるよう栽培される。節日を過ぎて萎れていく姿を「明日黄花」という。重陽節を終えて盛りになる花なら「役たたず」ということになる。
普及のはじめに独占状態だった人気商品が売れなくなる。女子バレーで日本が中国を破って金星を挙げると、中国では「明日黄花」(昔日の影もなし)という評価を受けることになる。
重陽の長寿を寿ぐ意味合いから、この節日を「敬老日」にあて、一〇月を「敬老月」として「崇尚敬老」の伝統の継承がはかられている。上海市の高齢化率は全国一で、一九八八年に「敬老節」を設けて今年二五回。新聞にも敬老・愛老・助老の記事が目立つ。わが国では「敬老の日」をハッピーマンデー(九月第二月曜日)にしたために存在感をなくしてしまっている。新聞をみても関連記事を見い出すのがむずかしい。

蘇軾「九日次韻王鞏」など

 

 

2012総選挙各党公約と高齢社会政策

各党選挙公約 pdf
2012総選挙各党公約(政権公約)と高齢社会政策(主要8党)
ここでの「高齢社会政策」は、①新「高齢社会対策大綱」(2012・9・7閣議決定)が指摘した「支える側の高齢者」を意識し対応する政策、②国連が提唱する「自立・参加・ケア・自己実現・尊厳」(高齢者五原則)を基本とする意識変革と社会参加をめざす政策、③地域・職域の高齢者がもつ知識・技術・資産を活用する政策をいう。
上記の三つの「高齢社会政策」に対応する公約を掲げたのは、自民党・みんなの党・維新の会だけで、多くの政党はなお旧来の高齢者は介護・医療などの対象(支えられる高齢者)とする政策の域をでていない。とくに左翼系の政党が推進してきた施策だが、いまや3000万人に達した高齢者の多くは現役シニア指向なのである。にもかかわらず、①高齢社会対策大綱を軽視、②国際的活動への遅滞、③「全員参加型社会」をいいながら高齢者(支える側の高齢者)には言及しないなど、現役シニアの潜在力への対応の不在が顕著である。
 

四字熟語-濫竽充数

濫竽充数
らんうじゅうすう

成語の意味は、竽(竹製の管楽器)の合奏者の中にうまく吹けない者が混じっているというもの。
斉の宣王は竽の合奏を聞くのを好んだ。三百人の吹き手を集めて合奏させたという。そこで南郭先生が吹き手を集めて演奏したところ王は喜んで、国費で楽員を抱えた。南郭先生は吹き手ではないが吹奏者から慕われていただろう。問題は宣王が死んで湣王が立ち、個々の演奏を好んだことにある。そこで演奏者として実力のない南郭先生が去ったのはいうまでもない。
この成語はさまざまな意味合いでよく使われる。無能なのにいい地位にいる、実力以上の待遇や声価をえている、全員のレベルを乱している・・もちろん手ぬき品やニセのブランド品などモノにも言われる。
楽団がいい演奏をするには、全体の調整を図る指揮者やコンサートマスターが必要である。後者は演奏の名手だが、必要な指示を出していた南郭先生は指揮者に近い役割をしていたという解釈はあっていい。

『韓非子「内儲説上」』から

 

 

新編集『現代シニア用語事典「人生90年代」を生きることば』が完成公開

新編集『現代シニア用語事典「人生90年代」を生きることば』が完成公開。 212ページ 580KB
!!『現代シニア用語事典』丈風用 pdf
堀内正範著のペーパー版 『丈人のススメ 日本型高齢社会 「平和団塊」が国難を救う』 (武田ランダムハウスジャパン・2010年7月刊)を項目別に編集しなおし補足しました。
◎高齢者みんなが安心してくらせる社会をどうこしらえるか。
◎まずは家庭内の高齢化をどうするかに具体的な提案。
◎経済の活性化のための高齢者起業(国産化)へのアドバイス。
◎日本再生は「地域と四季」の再生であること。
◎新「高齢社会対策大綱」を活かす官民事業の展開。
◎どうすれば国際的に先行し、将来モデルとなる高齢社会にできるか。
「丈人」=「三世代多重型社会」を達成する「支える側」の高齢者。
「丈人力」=丈人層が保持する生活力(生命力)。大丈夫!の気慨。
「平和団塊」=平和時代の証としての「日本高齢社会」達成の中心になる戦後(一九四六~五〇年)生まれの一〇〇〇万人の若き高齢者層。

現代シニア用語today-「 社会保障制度改革国民会議」「平均余命」ほか

現代シニア用語TODAY pdf
 社会保障制度改革国民会議 平均余命  国際高齢者年(1999)   長寿時代のライフサイクル 他
 「和して同ぜず」(和而不同)
衆議院選挙に一〇余党が乱立し、それぞれの公約を掲げて、この国の将来を決定づける一つの政権をめざすこととなりました。こういう時、「和して同ぜず」(『論語「子路」』から)が、君子(政治リーダー)の要諦とされてきました。「和」するけれども「不同」であるというのはどういうことなのか。
自分の主体的な立場や意見を保ちながら、相手の主体的な意見や立場を認めて「和」の姿を示すことにあります。主要課題である原発、TPP、社会保障・財政、憲法、外交・防衛などでどういう「和」の姿をつくれるのか。もちろん「不和不同」で政権はつくれません。
どの課題によって「和」の姿をつくるかで、この国の将来が決まることになります。
重要でも国論を分断するような課題ではありません。国論を一つにし、国民の活力を呼び起こす課題は何なのかを正確に見極めることにあります。わたしは国民みんなが力を合わせて形成する「長寿社会」(社会保障・財政)の姿が「和」の基盤と考えています。ですから「不動」であり「不同」の政策としてそれを掲げている党と人物を選びます。それで自分たちと後人の将来がきまることになるからです。(二〇一二年一二月一日)
時流は「平成維新」、本流は「平成掘起」

この国の政治基盤が揺れています。マグニチュードはかなり大きい。

明治維新、大戦後に継ぐ今世紀初頭の「第三の国難」に立ち向かう変革者あるいは救済者として、憂国高齢議員が政治生命を賭けて国民にたちあがりを求めているし、地方首長・議員が市民に決起を促しています。既成政党の内部でも、もちろん市民の間でも議論は渦を巻いています。

しかし「三・一一大震災」後もなお多くの国民は、「そんなに深刻ぶることはない」「世の中はどうなっても自分は大丈夫」と思って暮らしているし、TV画面ではエンタテイナー(楽しませる人)が明るくバカ騒ぎをしているし、放射能を気にしながらも日々の食卓にモノを欠くこともない。気づかない人びとが気づいたときにしか時代は動きません。
二〇〇九年八月三〇日の衆院選では、女性高齢者層の動向(オカン・パワー)が左右したといわれます。
結果は「官僚主導から国民主導の政治へ」を訴えた民主党が圧勝し、四八〇議席のうち三〇八議席をえて「政権交代」をなしとげたのでした。が、その勢いの裏で何が際立ったかといえば、時代の変化に反応しない高齢オジン議員に替わって、三〇~四〇歳代の新人議員が数多く呼集されて国会内が若返ったことでした。
「小泉チルドレン」が「小沢ガールズ」に変衣変性したにせよ、選挙戦略としては「若年化」を演出したことに変わりはありません。また大敗した自民党内からも総裁選で「世代交代」が声高に叫ばれて、「政界の若年化」をさらに進めようとする気配も濃厚でした。
本稿は、若い人びとのなかに単純な「世代交代」を求める風潮がこれ以上に強まるのを憂慮しています。なぜなら高齢者層をないがしろにすることで、社会全体のパイを小さくしてしまうからであり、年長者に敬意をもたない社会が長つづきするはずがないからです。そしてそのことに若い人びとが気づきようがないからです。
「先輩のみなさんが先の大戦後に苦労して築いてくれた社会を安定させるために努めますから力を貸してください」
こういうふうに時代を広く読むことができる若手政治家なら、高齢者は求めに応じて支援に向かうでしょう。
時流は「平成維新」(橋下徹氏など)を中心のひとつにして動いていますが、本流(潮流)は高齢者ひとりひとりが保持・温存している知識・技術・経験・資産を駆使して、地域特性を掘り起こし再生する「地域再生・平成掘起」なのです。その活動が「みんな(三世代)が住みやすい生活圏の達成につながるからです。
そして何より人生の「尊厳」(dignity)を大切にして暮らしている高齢者は、これ以上に不安が増し、自分たちの肩身が狭くなるような社会を許すわけにはいかないでしょう。
「次の国政選挙はわれわれが左右します」と明確な意思表示(オジン+オトン・パワー)をして、高齢者の意思が活かせる代表を選び出すこと。頼れるオカン・パワーを合わせて三〇〇〇万人(票)の「衆志成城」のときなのです。
安心して暮らせる長寿社会をつくるために、もっともふさわしい候補に一票を投じること。それが地域基盤をつくり直し、国民主導の政治をさらに一歩進めることになるからです。今度こそ、まったなしの「日本長寿社会」のために「参加」せねばならないのです。 (まったなしの「日本長寿社会」への展開 二〇一二年三月一一日)