現代シニア用語事典--支えられる高齢者(消費税増税)と支える高齢者(内需創出) 

支えられる高齢者(消費税増税)と支える高齢者(内需創出)
高齢者はだれでもいずれは医療や介護を受ける「支えられる高齢者」になります。その数は年々増えており、約1兆円の財政増が見込まれています。それを保持しつづけるのは国の善意の政策であり、だれもが認めざるをえません。財政難を理由に、安定した財源を得るための「増税」論議になります。一方、年々増加して、高齢者(65歳以上)の数は3000万人に達しました。そのうち医療や介護を受ける高齢者は2割ほどいますが、7~8割は元気な高齢者です。いまこういうアクティブ・シニア(アダルト)は、「支える高齢者」なのです。長命な父母を支え、子どものローンを支え、孫の物品を用意します。退職したあとも長い間につちかった知識・技術そして資産も保持していて、「支えられる高齢者」になるまでにはまだ間があります。経緯からみて、いま国政の場からはその存在が見えなくなっています。このすぐれた民力を理解せず、参加を呼びかけもせず、野田・谷垣党首討論での口裏を合わせた「消費税増税」をすすめているのです。増税だけを押し付けて、国民の活力を呼び起こすことはできません。
そのために命を懸けるという宰相とは何者なのでしょう? 近づく破綻を予見して、国会が「国難」をいい、超1000兆円の財政赤字を、担保している超1400兆円の家計黒字から補填するため、「消費税」ほか増税の前倒しによって調達しようとしているのを、国民は醒めた目でみているのです。「増税支持」という世論は本意ではないでしょう。

緊急情報 増税と亡国――消費税増税による平成亡国から救うみち

増税と亡国――消費税増税による平成亡国から救うみち
新世紀以降の国政の経緯からみて、民主党「増税反対」議員の活動に敬意を表します。それが民意だからです。
増税を重ねて栄えた国がありますか。増税だけを押し付けて、国民の活力を呼び起こすことができますか。消費税をあげて消費を活性化できますか。
そのために命を懸けるという宰相とは何者ですか?
いまや国政の場からは国民の本意が見えなくなっています。野田・谷垣党首討論での口裏を合わせた「消費税増税」を納得するほどには国民意識の振り子は国のほうには振れていないのです。
近づく破綻を予見して、国会が「国難」をいい超1000兆円の財政赤字を担保している超1400兆円の家計黒字から補填するため、「消費税」ほか増税の前倒しによって調達しようとしているのを、国民は醒めた目でみているのです。「増税支持」という世論は本意ではないでしょう。
先の衆院選で、国民は消費税増税に命を懸ける党首のいる民主党に期待したのではありません。「官僚主導から国民主導の政治へ」を訴えた民主党に期待し、480議席のうち308議席を与えて「政権交代」をなしとげたのでした。
自治体による「地域の公助」には、これまでの「均衡ある発展」に重ねて「個性ある地域の発展」へと変わる素地があります。「地域生活圏」での互助や共助、知人同士や地域住民同士の助け合いはモノ・場・しくみそれぞれに身近で機能しています。
国民としてよりも市(町村)民として地域主導の政策を求めているのです。地方首長の動向はその表出であり証でもあります。ここに国民の活力を呼び起こす可能性があり、それに期待しているのです。
時流は「平成維新」(橋下徹氏など)を中心のひとつにして動いています。しかし新世紀の本流(潮流)は、高齢者3000万人のひとりひとりが保持・温存している知識・技術・経験・資産を駆使して地域特性を掘り起こし再生する「地域再生・平成掘起」なのです。その活動が「みんな(三世代)が住みやすい生活圏」の達成につながり、地域の活力を呼びさまし、内需を拡大し、増税に勝る増益を産み出し、将来への希望を与えてくれるからです。
増税をいう前に(少なくとも訴えるとともに)、アクティブ・シニア(支える高齢者)に向かって「国難」救済への参画を呼びかけることです。
(2012・3・28 堀内正範 記)
 
 

四字熟語-花花世界

花花世界
はなばなせかい

春の野に見渡すかぎり一面に咲き誇る花々の世界。梅のあと杏、桃、櫻と季を追って各地に展開する。中国で「最も美しい郷村」と称しているのは江西省婺源で、金黄の菜の花と紅い桃と白い梨の花が特徴のある黒い屋根、白壁の建物を包んでひとしきり別世界を現出する。櫻だと鎮海(韓国)、吉野(日本)、無錫(中国)といったところ。

かつて「花花世界」といえば、宋代に都を追われて南遷した人びとが奪回しようとしてはたせず、夢にみた北方の東京(開封)や西京(洛陽)のことで、「中原花花世界」と呼んで慕った。

繁華な都市の爛熟する文化が生みだす戯れの花が「花花公子」(プレイボーイ)である。富家の出で正業に就かず、着飾って酒を飲み遊びに時を費やした若者たち。新中国には無縁だろうが、「花花公子」(アメリカの雑誌『PLYBOY』の中国名)は北京や上海の若者にも人気があり、性感美女の卡卡(ガガ)から捷豹(ジャガー)まで、現代都市を彩る花々は魅惑的である。

『説岳全伝「一五回」』など

四字熟語-走馬看花

走馬看花
そうばかんか

馬を走らせて花を看ることが「走馬看花」で、難関の科挙に通った高揚した気分で、馬を走らせて長安の街中の花を看てまわったという晴れやかな実景として唐の孟郊の詩に詠われている。明の于謙の場合は、任地でのしごとを無事におえて、都へもどる得意な心情を表現している。

後にはそういう高揚する心情での走馬の姿を離れて、清の呉喬になると、事物の観察が粗略である例えに引かれる。そこで仔細に観察する「下馬看花」が登場する。こうなるともう孟郊が走馬して看た花の実景の世界にはもどれない。

いまは移動が多くて風物はちょっと見ですますパック旅行や、観察がおおまかだったり、多用で仔細なしごとができなかった言い訳にも用いられる。聞くほうも印象が悪くないので納得しやすいせいだろう。高速道路を走るドライバーのよそ見運転にもいわれる。

そんな来歴を知るのも一興だが、日々を「走馬看花」に送る多忙なビジネスマンには無縁であろう。

『孟東野集「登科後」』から

 

四字熟語-三更半夜

三更半夜
さんこうはんや

年度末の東京の夜は明るい。とくに霞が関界隈では深更までしごとをしているからだといわれた。

旧暦では日暮れから日の出までを五つの刻みにわけて初更~五更と呼ぶ。すると三更が真夜中であり半夜でもあることから「三更半夜」といわれ、いわゆる午前さまである。

宋の塩鉄税の徴収官であった陳象輿と財政官であった董儼らは、夕方から趙昌言の屋敷に会して、深更まで熱心に談議していたという。それで都の連中からは「陳三更、董半夜」といわれた。

晩唐の詩人李商隠の「半夜詩」にあるように、「三更三点萬家眠る」という寝静まった長安と違い、宋都の東京開封(「清明上河図」に画かれる)は深夜まで夜市で賑わった。それでも能吏に三更まで税徴収の談議などされたら、おちおち眠れない者もあったであろう。

冬の夜の霞が関。かつての国土発展の予算配分ではなく、増税や予算を減らす「三更半夜」の明かりだと思うと寒さがつのる。

『宋史「趙昌言伝」』から

 

 

 

四字熟語-「雪中高士」

「雪中高士」
せっちゅうこうし

ご存じ松竹梅の三つを「歳寒三友」という。多くの植物が厳冬のさなかに息をひそめても、松と竹は姿あせずに過ごし、梅は寒中に花を咲かせる。三品の格を日中ともに高位の松から梅にいたるとするが甲乙はつけがたい。

「歳寒三友」は詩画はもちろん、磁器や織物の意匠としても好まれて名品を生んできた。だれもが親しい三友を持って暮らしている。

「雪中高士」というのは、雪中の梅の木を高潔の士に見立ててのもの。雪中の梅はたたずまいも花も香もよく、とくに寒に耐えて命を保つ風情は節を持する高士と呼ぶにふさわしい。

「梅花」九首のうちにこう詠じた明初の詩人高啓は、のち「十の行人去りて九は還らず、自ら知る清徹もとより愧じるなし」と覚悟して連座の死に赴いた。

高啓と花といえば、よく吟じられる「水を渡り復た水を渡る、花を看還た花を看る」(「胡隠君を尋ぬ」から)が有名だが、この花は春風江上の路でなので、江南の桃李であろう。

『高青邱詩集「梅花」』から

現代シニア用語事典-「賀寿期5歳層」のステージ

「賀寿期五歳層」のステージ
これは「長寿時代」をパイオニアとして暮らすための指針であり、本稿の創見のひとつである。知ると知らないとでは高齢期人生に雲泥の差が生じる。 本稿が提案している「長寿時代のライフサイクル」の「高年期」(60歳~)と「長命期」(80歳~)を、ひとつひとつの「五歳層」に分けて、その年齢階層らしく迎えて過ごす。なだらかな丘を同年層の仲間といっしょにゆっくりとマイペースでトレッキングするような爽快感があればいい。
「定年退職」のあとを「余生」と決めて、孤独な不安にも耐えて生きるのが男の美学というならそれでもよい。いつかは訪れる死はひとりのものだからだ。が、生き急ぐことはない。中年期のしごとがつらかったから遊んで暮らしたい、人間関係に疲れたからひとりになりたいという人の自由を奪うことなどできない。
先人は見定めえない人生の前方に次々に「賀寿」を設けて個人的長寿のプロセスを祝福して楽しんできた。いまも「何何先生の米寿の会」「おばあちゃんの卆寿の会」は個人の「賀寿の会」としてそれぞれに祝われている。しかし六〇歳以上の約三九〇〇万人の高年者が多くの仲間とともに暮らしているのだから、励まし合いながら百寿期を目ざすのもいいではないか。
還暦期(六〇歳~六九歳) 昭和二七年~昭和一八年
古希期(七〇歳~七四歳) 昭和一七年~昭和一三年
喜寿期(七五歳~七九歳) 昭和一二年~昭和八年
傘寿期(八〇歳~八四歳) 昭和七年~昭和三年
米寿期(八五歳~八九歳) 昭和二年~大正一二年
卆寿期(九〇歳~九四歳) 大正一一年~大正七年
白寿期(九五歳~九九歳) 大正六年~大正二年
百寿期(一〇〇歳以上)  大正元年以前
2011年は日野原重明さんが百寿期に達して話題になった。2012年は新藤兼人さんが到達したがゴールして亡くなった。卆寿期には瀬戸内寂聴・水木しげる・鶴見俊輔さんがいる。傘寿期には樋口恵子・堂本暁子・岸恵子さん、石原慎太郎・五木寛之・仲代達矢さんと多士済々。そして古希には小泉純一郎・小沢一郎・松方弘樹・松本幸四郎・青木功・尾上菊五郎さん。七〇歳になったからといって老成することはない。お仲間といっしょに人生の新たな出会いを楽しむ日々が待っているのである。
 

現代シニア用語事典-「長寿時代のライフサイクル」

「長寿時代のライフサイクル」 
これまでライフサイクルというと「乳幼児期」「少年期」「青年期」「壮年期」「老年期」という五つのステージ(年齢階層)として説明されてきた。だれもが経験的に知って納得していることだから間違いというわけにはいかない。しかしこの階層の分け方は二五歳までに三つの階層があることからも知れるように、「発達心理学」からの階層分けであって、高齢期を暮らす人に配慮したライフサイクルではない。高齢時代には「加齢学」的な観点から、逆に高齢期に三つを配するといった階層分けを考慮する必要がある。ここでは二五年間ずつ三つのステージを「三世代」に等しく割り振りながら、高齢期を暮らす人の実感に配慮したライフサイクルを提案している。学問的にうんぬんするつもりはなく、実感として納得していただければいい。
青少年期   〇歳~二四歳 自己形成期
バトンゾーン 二五~二九歳 選択期
中年期    三〇~五四歳 労働参加・社会参加期
パラレルゾーン 五五~五九歳 高年期準備・自立期
高年期    六〇~八四歳 地域参加・自己実現期 あり
長命期    八五歳~   ケア・尊厳期
(自立・参加・自己実現・ケア ・尊厳の五つは国連の「高齢者五原則」)
上の階層分けが、高齢者がみずからを顧みて納得できる「長寿時代のライフサイクル」といえるだろう。
「バトンゾーン」というのは個人の特性によって生じる幅であり、青少年期にいれるか中年期にいれるか、モラトリアム期として過ごすかは個人が選択すればいい。
「パラレルゾーン」というのは「パラレル・ライフ」(ふたつの人生)期にあることで、「高年準備期」である。窓際族なんかでヒマつぶしをしている時期ではなく、二五年の高年期を自分らしく生きる(自己実現)のための模索(自立志向)期でけっこう多忙なはずなのである。「定年後は余生」などとぼんやり考える旧時代の「老成」タイプの高齢者意識が、長寿時代にはいっているこの国の「高齢社会」形成に自然渋滞をもたらしている。「高年期」での地域参加・自己実現の二五年をどう体現して暮らすかの工夫が人生の差をつくることになる。と同時に社会を活性化させることになる。もちろんその活動は高齢世代みずからのものであるとともに次世代のためのものであり、可能な範囲でなお中年・青少年を支援するものとなる。別のところでも引用するが、「自分がその木陰で憩うことがない樹を植える」(W・リップマンのことば)という配慮を忘れないことである。
 

現代シニア用語事典-「地方大学シニア大学院」

「地方大学シニア大学院」
「教育立県」を宣言してもしてもいなくても、どこも地域活動のための人材の育成に力を入れている。シニア期になって「J+Uターン」をして地元回帰をし、地域の高齢社会事業に参加しようとする人びとのための「シニア大学院」や国際友好都市からの研修者に熟練技術を教える「国際交流大学院」といった需要に応えるあらたな施設による人材の育成は、地方大学の多角的事業として模索され成果をみせている。先行する都市部の私立大学の事例も、シニア向けカリキュラムの参考になっている。
「シニア大学院」は、県立大学や地方大学の公開講座をもとに、地方の文化発信・技術伝承の拠点として重要な機能をはたすことになる。地域経済、地場物産、地方文化・言語・歴史、伝統工芸など、地域で暮らす人びとの「シニア期の人生」を豊かにするための基本となる「地域関連シニア講座」が提供されるからである。個性のある魅力的な地方の風土と暮らしを実現するには、地元大学の「シニア大学院」が送り出した地域シニア修士の地道で幅広い参加と支援が欠かせないからだ。
同じ時期に同じキャンパスで、オヤジは「シニア大学院」で、ムスコは大学課程で学ぶというのは、「高齢社会」にあって当然とする大学構想である。六〇歳からのシニア期二五年を視野に入れた「シニア科講座」で、スキル・アップ(技能向上)をめざすオヤジや先輩たちの熱心な姿が、同じキャンパス内でグータラに過ごしていた現役学生に与える影響が大いに期待される。「大学重層化」のメリットである。
「シニア大学院」には五〇歳をすぎて「パラレル・キャリア」指向の人びとが学びにくるわけだから、大学側の名誉教授やシニア教授のスキル・ブラッシュ(さび止め)にも役立つことになる。八五歳の名誉教授の授業は人生の滋味を帯びた人気講座になる。
自治体による「地域シニア大学校」と合わせて「日本高齢社会」形成の基礎事業である。
 

現代シニア用語事典-「日本長寿社会」の国際的評価

「日本長寿社会」の国際的評価
「二一世紀初頭の日本は、平和憲法のもとでの長い平和時代の証として、みんなが安心して暮らせる高齢社会を達成した。それは後れて高齢化を迎えるアジア途上諸国の規範とされた・・」
と、歴史学者は記すにちがいありません。当事者の視点と歴史学者の視点とはちがいます。学者は主観性を排除して与件の経緯を精査して机上で記録し、当事者は客観性を懐疑して現場で述懐するからです。どちらの判断もおおよそ正しいのですが、どちらも幾分かの過ちをおかすことになります。
平和であること、衛生と医術と食生活の改良が日進月歩で進み、何よりもみんなが等しく豊かになることを願ってきたわが国の半世紀のプロセスは、世界にそして歴史に誇るべき例証です。
その方向でいまあるべき姿は、「社会保障増税」の論議を繰り返すのではなく、1995年の「高齢社会対策基本法」の立ち位置にもどって、1980年代の日本を継承する「日本長寿社会」の構想(国策)を衆議し、国民に提案することなのです。
それなのに、です。
民主党政権になって、理想家肌の鳩山由紀夫首相の発言に期待したのでしたが、二〇〇九年一〇月の所信表明演説では「無血の平成維新」といって勝利を誇ったものの、高齢者に参画を求める発言はしませんでした。さらに「いのちを、守りたい」と訴えた翌年一月の施政方針演説でも、「誰にもみとられずに死を迎える」いたましい事例を取り上げましたが、ご自分が属する還暦・定年期の仲間に参画を呼びかける発言はなかったのです。
菅直人首相も「強い社会保障」をいうばかりで、若い世代に後を託して去ってしまいました。
呼びかけを期待していた「支える高齢者」層にとっては何のメッセージもありませんでした。
野田総理はチャンスを得ているのに、逆の方向に動いています。
昨年一〇月一四日の「高齢社会対策会議」で、一〇年ぶりの「大綱」の見直しに際して、「高齢者の居場所と出番の用意」「高齢者の孤立の防止」「現役時代からの備え」という三つの基本的な視点を示したあと、
「あえてもう一つ付け加えるならば、『高齢者の消費をどう活性化していくのか』ということも大事な視点ではないかと思います」(会長発言)
といって、「高齢者の消費の活性化」を視点に加えました。野田さんが求めてもぐった方向は間違ってはいないのですが、論点も行程もなお底を究めていないのです。
国民の暮らしの現場を、高齢者の視点で見てください。
「モノの日本化」によってアジア途上国の人びとが得る生活上の便利さ豊かさのために、日本の高齢者は、みずからは足踏みをして「百均商品(用品)」に囲まれながら、「暮らしの途上国化」に耐えて待ってきたのです。かつて自分たちがこの国でたどってきた道だからで、これから自らと途上国の将来の高齢者が必要とする「安心して使える優良品」を作り出すために、温存してきた知識と技術を活かすことになるのです。ですから元気で生活意欲の旺盛な高齢者に向かって、「生産と消費の活性化」(内需)への参画を期待するというのが論点であり行程なのです。
現役世代よりも生活感性の高いシニア世代が求める「優良国産品」を、どこまで速やかに市場化できるか、その対策ができない消費税増税では消費の活性化は起きません。
「安心して使える優良国産品」の製造者は、消費者でもある熟年技術者のみなさんです。このことにも留意しなければならないのです。「モノとサービスの高齢化」は、時代感覚のいい企業の側ではもう動き出しているのです。
シニア社員・社友が力を合わせた新企画・リニューアル企画による新製品の製造、「シニア・ビジネス」としての流通やサービスの展開、そして商品・サービスと高齢者を直接に結ぶ展示会など、「内需」にむけた事業が進んでいます。熟年技術者による「国産優良品」の製造は、高齢者向けのモノの豊かさを提供し、後れて高齢化する国々の高齢者にとって「期待する日本製品」の創出でもあるのです。
これらによる経済刺激と展開が、増税よりはるかに大きな成果を持続的に生むことは必定です。
「大天災」を受けることで気づいた「天恵」としての「地域の四季」を大切にする暮らしの掘り起こし、「支える高齢者」層がリードする「平成再生」の構想が明らかになれば、わが国の高齢者は高年期の人生の充足をめざした地域活動を活き活きと始めるにちがいありません。
家計資産については、およそ三分の一を留保した上で、次世代のための支援に三分の一を、「長寿社会」達成のモノ・居場所づくりなどに三分の一を出資することが日常化し、次第に「三世代が等しく支え合う(三世代同等型)社会」の姿が見えてきます。
「ケア」については「社会保障」政策によって進んでいる「地域包括ケア」の充実と医療・介護・福祉関連の機器の開発と普及は欠かせませんが、暮らしの必需品それぞれに高齢者仕様の配慮が仔細になされることになるでしょう。
「支える高齢者」が関心を持つ「健康(からだ)」・「知識(こころ)」・「技術(ふるまい)」の三つの要素に特化した成果は、次世代に将来への安心を与える資産ともなるものです。
こうした高齢者参加への施策こそ国際的に先行する「日本高齢社会」のなすべき国際貢献なのです。いまの国政の意図する方向は、学んでほしくない事例になりつつあります。