次の首相になる資格

次の首相になる資格。

菅さんは震災後の首相として4つの過ちをおかしました。もちろん、本人は気づいておりませんが。
①福島原発へ飛んだこと、②若い人に後を託したこと、③遍路に出るといったこと。
宰相たるものは、大災難に遭遇したらみずからは現場へ動かず、対応の構想を示して現場は最良の人物に任せること。その人の成果とすべきです。超高齢社会での自分と60歳代の同世代に責任をもつこと、力不足をわびて、身近なすぐれた仲間に引き継ぐところです。そしてやめたらすぐに福島にゆくこと。
最大のあやまちは、④ぐずぐずしたために国民が求めていた政界あげての救国内閣ができなくなってしまったこと。

菅さんの要請発言はあったものの、50歳以下の人たちは誰であれ今回は出る幕ではありません。すぐれた先輩を支える側にまわるべきときです。そう発言して待つこと。それが見識です。

この国の首相は国会議員からしか選べません、それを旨として、まず20世紀後半に活躍し「9割中流」の社会をつくった各界の先輩に支援を求めること。政界の中での騒ぎから遠い賢人の声を聞くこと。そこから震災復興の救国内閣へのステップを踏み出すこと。歴史的視点からみて、そういう人が現れるときであり、本筋をはずしていないその人に注目です。

丈人論―「強い高齢社会」へのしくみづくり<6>―

◎「三世代同等型社会」をめざして 
8月15日は戦後66回目の「終戦記念日」です。ということは平和になった最初の年1946年に生まれた「平和の世代」が、65歳の高齢期を迎えたということになります。戦争のない平和の時代に生きることを両親から託された1946年生まれの人びとのなかには、仙谷由人、鳳蘭、宇崎竜童、吉田拓郎、北山修、柏木博、岡林信康、市川団十郎、田淵幸一、堺正章、坂東真理子、大島理森、菅直人、猪瀬直樹、藤森照信、倍賞美津子といった知名の人びとがいます。その後につづく1947~49年生まれのベビーブーマーである「団塊」(本稿では「平和団塊」)の人びとも60歳代になりました。 
戦後5年間(1946~50年)に生まれた1000万人を超えるみなさん(「平和団塊」の人びと)が、労苦して積み重ねてきた知力、技術力を萎えさせず、保持する資力を駆使して「自己実現」への人生を歩むこと。それが理念である「日本国憲法」とともに具体的な平和の証である「日本高齢社会」形成の道筋であるということはすでに述べたところです(6月5日・6月15日)。
心・技・体ともに充実して活動に実が入る「時めき人生」のまっただ中にあるみなさんの能力を温存できない企業、本来の「日本高齢社会」創成への道程を提案する政治リーダーの不在は、この国の不幸な現実です。現政権もなお「強い社会保障」に固執して、高負担(毎年約1兆円増)のそれを増税でまかなおうとしています。この高齢者を社会の「α(アルファ)」とする旧来の「二世代+α型」社会ではなく、高齢者が「自立」し、みずからを「ケア」しつつ「社会参加」することによる「三世代同等型」社会の形成が、平和裏に達成する「本格的な高齢社会」への道であることを、8月15日を機に改めて確認せねばなりません。
それによってはじめて高齢者が「尊厳」をもって長寿を喜んで生き、納得して次世代に後を託して生涯を終えることができるからです。8月15日、近代化のきびしい経緯を担い、戦禍に斃れた300万余の先人の霊に祷るのは、その悲痛な人生によってあがなわれた「平和の時代」であることを再確認するとともに、平和であるゆえに得た長寿をたいせつに生きること、高齢期を敬愛されて安心して暮らせる社会をつくること。
「東日本大震災」からの復興が世界の注目となるなかで、後に来る世界の途上国の人びとにとって「標準的モデル」となる高齢社会形成のフロントランナーであるわれわれは、国際的願いである「高齢者のための国連原則」(上の五つ。国連五原則。1991年採択)を胸に刻んで、60歳代~70歳代の高齢健丈者が中心となって新たな穏やかな生活圏である「三世代同等型社会」(本格的な高齢社会)のすみやかな達成をめざすことを、もう一度しっかりと誓えればいいと思います。(次は8月25日)
「S65+」ジャーナル 8月15日
堀内正範(カンファレンス・スーパーバイザー)                  

丈人論―「強い高齢社会」へのしくみづくり<5>―

 
◎水玉模様の重なりのような「参画の形
平和裏に半世紀をかけて築いてきたすべてを、一瞬にして瓦礫にしてしまった「大天災」に襲われて再確認したことがあります。それは、わが国の地域の暮らしを支えている活力は、四季折り折りに変化する風物との出会いがもたらしてくれる自然の恩恵「天恵」なのだということでした。
繰り返される季節との出会い――春には桜前線が北上し、秋には紅葉前線が南下する。南からは春一番が吹き寄せ、北からは木枯らしが吹き抜ける。八十八夜の晩霜を気にかけ、二百十日の無風を祈る。南の海に大漁を伝えていわし雲が湧き、北の海にぶり起こしの雷鳴が轟く・・。
 わが国の自然は、四季の変化に調和がとれていて、それはまた海の幸・野の幸・山の幸を豊富にもたらしてくれます。この「天恵」を等しく分け合い、奪うよりは譲り合い、見捨てるよりは助け合う、といった「国民性としての和の心」(穏和、調和、親和、平和・・)が、自然のうちに育まれていると、これは海外の日本研究者が等しく指摘するところです。
萎えた心を励まし、痛んだ身を癒してくれる風土・風物。それとともに先人が貯えてくれた歴史・伝統遺産。さまざまな知識や技術が人から人へと受け継がれ磨きあげられて、暮らしを豊かにしてきた「地場産業」や「お国ぶり」。
青少年期・中年期を過ごしおえて、「人生の第三期」である高年期を迎えている人びとが、もうひとつ上のうるおいのある暮らしを求めて、四季折り折りの暮らしにかかわる「高年者(自分)のためのモノと場としくみ」を新たに形づくること。それが「社会の高年化」であり、いっそう多種多彩にしていくのが「高齢社会」であり、そうして日々刻々と変容してゆく「家庭・地域・職域」の姿を総体としてみる場合が「日本高齢社会」なのです。地域からの改革です。
太陽光にせよ風力にせよ、「自然エネルギー」の活用も、地域の基本的な「四季変化のエネルギー」を考慮することによって有効性が増すことになります。
やや大胆にいえば、震災地以外の地域の再生も、1980年代までさかのぼって、その間に失われていった「地域の四季の特性」を回復することを試みる時期にあり、それが可能なのは経緯をよく知る高齢者が健在であるからです。「しくみの再生」の基本にその活力の参画は必須の要件です。
といって参画のしかたは、サッカーのサポーターのようにブルー一色の囲いの中でまとまっていきり立つことではないでしょう。そんなことはお互いに自立・自尊意識の強い高齢者にできっこありません。一人ひとりが孤立した「余生」ではなく、これまでなかった「日本高齢社会」の形成に、志をあわせて参画しているのだと意識して暮らしていることが実感できればいい。城というより大小の水玉模様がいくつも重なって広がっているような情景のほうがわかりやすいかもしれません。小さくともみんなそれぞれにいくつかの水玉模様をもっているというふうに。それでいいと思います。(次は8月15日)
「S65+」ジャーナル 8月5日
堀内正範(カンファレンス・スーパーバイザー) 

 
 

 

四字熟語「半部論語」

 半部論語 はんぶのろんご  

『論語』のうち量の半分あるいは内容の半分の理解でよいというもので、『論語』を国学経典として敬う立場からは論外とされる。

この読み方でもっとも有名なのが北宋草創期の宰相趙普で、彼は『論語』しか読まない人物といわれ、政治家として学問の狭さを指摘されていた。そこで太宗(趙匡義)が彼に理由を問う。趙普は「むかしその半を以って太祖(趙匡胤)を輔けて天下を定め、いまその半を以って陛下を輔けて太平を致さんと欲す」と答えた。以後、「半部論語治天下」として用いられる。

近代日本でこの読み方に徹したのが渋沢栄一で、実業に就くことを嘆く友人に、その公益性を「半部の論語」(『論語と算盤』)の読み方で説得した。これまでに孔子学院は世界一〇二カ国・地域に四三九校(七月現在)が開設され中国語・中国文化への国際的関心は高い。が、現政権下ではなお「さまよえる孔子」であり、その間、実業家の理念を支える「半部論語」読みが底流することになる。 

羅大経『鶴林玉露乙編』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・8・15号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語「七月流火」

七月流火 しちがつりゅうか

盛夏の七月をむかえて、暑気炎熱いよいよ激しい時節の形容として一般的に使われていた「七月流火」に対して、本来の意味合いは「向熱」ではなく「転涼」であるとして誤用を指摘したのは天文にかかわる人たちだった。 

この「火」は、さそり座のα星アンタレスで、旧暦(農暦)六月の南天に赤く輝いて現れるが、七月になると西空に傾いて沈んでいく。これが「流火」であって、「七月流火、九月授衣」とつないで、秋涼を指すのが原典の意だという。

旧来の原義はそれとして、現実の生活感に親しい意味合いでの使用を誤用というなら「八月流火」を使おうではないかというのが「現代漢語」派の意見である。ことばは時代の波にもまれて意味を変えて定着する(約定俗成)。

定着してはいても誤用の代表のように騒がれるとさすがにメディアでは扱いづらいらしい。日本で用いられないのは緯度が高いために「流火」の鮮やかさに欠けるからだろう。

『詩経「豳風七月」』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・8・5号
堀内正範 ジャーナリスト

四字熟語「経国大業」 

経国大業 けいこくたいぎょう 

「経国大業」といっても国を経営するために業を興すことではなく、国家のリーダーは優れた文人であらねばならないという中国の伝統を明らかに宣したことばなのである。書も巧みだし、弁も文も際立つこと。

「文章は経国の大業にして不朽の盛事なり」といったのは、曹操の長子で三国時代魏の皇帝となった曹丕である。父の曹操も文人であり、丕の弟の植と合わせて「三曹」といわれた。当時、曹氏のまわりには文人層が集まっていたのだろうが、曹操なきあと三国争覇の軍を統率していたのは司馬懿である。こちらは息子の師、昭の三人が軍議をこらす姿を「三馬同槽」といわれた。そんな司馬氏に対する牽制の意味合いもうかがえる。みずから最高の文人を称えた曹丕だが、文才では弟の曹植の方が勝るというのが衆目のみるところだったようである。

いずれにせよ、国を動かすほどの人物は優れた文章力、表現力を鍛えあげてこそ事業もまた不朽でありうるというのである。

曹丕『典論「論文」』から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・7・25号
堀内正範 ジャーナリスト

丈人論―「強い高齢社会」へのしくみづくり<5>―

◎水玉模様の重なりのような「参画の形
 平和裏に半世紀をかけて築いてきたすべてを、一瞬にして瓦礫にしてしまった「大天災」に襲われて再確認したことがあります。それは、わが国の地域の暮らしを支えている活力は、四季折り折りに変化する風物との出会いがもたらしてくれる自然の恩恵「天恵」なのだということでした。
 繰り返される季節との出会い――春には桜前線が北上し、秋には紅葉前線が南下する。南からは春一番が吹き寄せ、北からは木枯らしが吹き抜ける。八十八夜の晩霜を気にかけ、二百十日の無風を祈る。南の海に大漁を伝えていわし雲が湧き、北の海にぶり起こしの雷鳴が轟く・・。
 わが国の自然は、四季の変化に調和がとれていて、それはまた海の幸・野の幸・山の幸を豊富にもたらしてくれます。この「天恵」を等しく分け合い、奪うよりは譲り合い、見捨てるよりは助け合う、といった「国民性としての和の心」(穏和、調和、親和、平和・・)が、自然のうちに育まれていると、これは海外の日本研究者が等しく指摘するところです。
 萎えた心を励まし、痛んだ身を癒してくれる風土・風物。それとともに先人が貯えてくれた歴史・伝統遺産。さまざまな知識や技術が人から人へと受け継がれ磨きあげられて、暮らしを豊かにしてきた「地場産業」や「お国ぶり」。
 青少年期・中年期を過ごしおえて、「人生の第三期」である高年期を迎えている人びとが、もうひとつ上のうるおいのある暮らしを求めて、四季折り折りの暮らしにかかわる「高年者(自分)のためのモノと場としくみ」を新たに形づくること。それが「社会の高年化」であり、いっそう多種多彩にしていくのが「高齢社会」であり、そうして日々刻々と変容してゆく「家庭・地域・職域」の姿を総体としてみる場合が「日本高齢社会」なのです。地域からの改革です。
 太陽光にせよ風力にせよ、「自然エネルギー」の活用も、地域の基本的な「四季変化のエネルギー」を考慮することによって有効性が増すことになります。やや大胆にいえば、震災地以外の地域の再生も、1980年代までさかのぼって、その間に失われていった「地域の四季の特性」を回復することを試みる時期にあり、それが可能なのは経緯をよく知る高齢者が健在であるからです。「しくみの再生」の基本にその活力の参画は必須の要件です。
 といって参画のしかたは、サッカーのサポーターのようにブルー一色の囲いの中でまとまっていきり立つことではないでしょう。そんなことはお互いに自立・自尊意識の強い高齢者にできっこありません。一人ひとりが孤立した「余生」ではなく、これまでなかった「日本高齢社会」の形成に、志をあわせて参画しているのだと意識して暮らしていることが実感できればいい。城というより大小の水玉模様がいくつも重なって広がっているような情景のほうがわかりやすいかもしれません。小さくともみんなそれぞれにいくつかの水玉模様をもっているというふうに。それでいいと思います。(次は8月15日)
「S65+」ジャーナル 2011・8・5
堀内正範(カンファレンス・スーパーバイザー)