[市立高年大学校]の時代

「平成の大合併」ののち
新自治体は地域発展のため
人材を育成せねばならない。
地域性を加味した講座をもつ
独自のカリキュラムを競いあうのが
公立の高等教育機関
「市立高年大学校」 であろう。
そのすみやかな設立なくして
地域の「高年化社会」は成立しない。
就学するのは50歳をすぎた
活動的な高年者層の人びとである。
老い先長い人生を「自分らしく」すごす
知識や技術を習得する。
必修となる科目は、
「地域の歴史と伝統」「地域の地勢と産物」
「予防医学」「法律知識・遺産と遺言状」
選択科目やクラブ活動には、
「陶芸」「盆栽」「仏像彫刻」「書道」
「囲碁・将棋」「俳句・川柳」
「短歌」「謡曲」「民謡」「ダンス」・・・
活動的な高年者が学びあう「市立高年大学校」は、
ひとりひとりに豊かな人生を、
そして地域には新しい暮らしの場と活力を創出し
新たな地場産業を起こす原動力となるだろう。

「平成の大合併」のシンボル

市町村合併のたびに
新自治体は地域の一体感をつくり
将来を担う人材を育成するために
学校を設けたのだった。
「明治の大合併」のときには、
わが村の尋常小学校が
合併のシンボルとなり、
子どもたちに新時代への夢を与えた。
その夢はいつしかお国のためとなり、
半世紀の後には覇権戦争へと
子どもたちを駆り立てていったのだったが。
「昭和の大合併」のときには、
わが町の新制中学校が
合併のシンボルとされた。
町立中学校を卒業すると、
子どもたちは地元に残るより都会へ出て
高度成長の担い手となったのだった。
さて 「平成の大合併」 で、新しい自治体は
何を教育のシンボルにしようとしているのか。
合併ごとのステップからいうと、
公立の高等教育機関である
「市立高年大学校」 のように推測される。
50歳をすぎて知識も経験も豊かな高年者が、
地域の発展のために就学する。

市町村合併と高年者参画

「平成の大合併」といわれた
全国規模の市町村合併は、
3200ほどあった自治体を
1800ほどにまとめて一段落した。
合併をすすめた総務省や県は、
その主な理由として、
「分権化の進展」「生活圏の広域化」とともに
「少子・高齢化」 の到来をあげている。
高齢者人口が30%を超えて、
医療費・福祉対策費が増える一方で
生産年齢人口が減少して税収が減り、
財政がきびしくなっていき、
小さな自治体では現在と同じ行政サービスが
保てなくなるというのである。
ではどうしたらいいのかという段になると、
具体的なものが示されていない。
シルバー人材センターの充実や生涯学習の振興、
退職者ボランティア活動などが進むであろうが、
新たな社会構造の創出というわけにはいかない。
「高齢化社会」の到来とともに、
「介護者」や「ひとり暮らしの老人]が増えることによる、
医療費・福祉対策費増を危惧するだけでなしに
知識も技術もある健丈な「高年者の参画」を掲げて
新たなしくみや施設や物産をつくり出していくことが
「特性ある地域の創出と発展」に必要になる。

多重標準の時代

「多重標準」というと、
デジタル化した情報機器を
まず思い起こすだろう。
機能を個別に分担しながら
発展してきた家電・情報機器が、
ちかごろは「多重標準搭載」として
機能を集約する方向にむかっている。
われわれの暮らし方もまた、
「多重標準搭載」つまり「多重標準の人生」を
受容することができてはじめて、
うまく暮らすことができるのではないか。
ひとつのテーマに多重の対応を準備する
という意味あいにおいて、
暮らしの場での「多重標準」のいくつかを提示してみよう。
「少子・若年化」社会と「高齢・成熟化」社会
「陽暦国際化」と「陰暦(農暦)地域化」
「常温型(エアコン)住宅」と「四季型(通風)住宅」
「職域ミドル化」(リストラ)と「職域シニア化」
「途上国マスプロ廉価品」と「国産手作り高級品」
「都市集中化」と「田園分散化」
「国家」同盟と「姉妹都市・友好都市」提携
「国語教育」充実と「バイリンガル(トリリンガル)」
「戦争」と「平和」・・・
この先のことは、 『多重標準の時代』(制作中)をみてほしい。

総人口が減少に

個人が実感できることではないが、
わが国の総人口が減少にむかうところにきているという。
統計には幅があるのであろうが、
1億2774万人あたりがピーク。
人口減少へむかうぶん高年者がもつ潜在力を活かすことで、
国民の総活力を維持することになるだろう。
そこで次の「高年者五歳階級」表をみてほしい。
・・・・・・
50~54歳 844・5万人 昭和27(1952)~昭和31(1956)
55~59歳1078・6万人 昭和22(1947)~昭和26(1951)
60~64歳 806・4万人 昭和17(1942)~昭和21(1946)
65~69歳 752・0万人 昭和12(1937)~昭和16(1941)
70~74歳 675・6万人 昭和 7(1932)~昭和11(1936)
75~79歳 535・4万人 昭和 2(1927)~昭和 6(1931)
80~84歳 360・3万人 大正11(1921)~大正15昭和元(1926)
85歳~   305・0万人 大正10(1921)~
・・・・・・
昭和生まれの50歳以上だけで4500万人を超えている。
知識も経験も豊かなこれだけの高年者層が、本来あるべき存在感を
示していないことに問題がある。
文化的にも経済的にも新たな社会構造の創出が課題で、
それを「昭和丈人層」がなしとげるにちがいないというのが、
ここでのゆるぎない洞察と確信なのである。

高年者用キャリッジ

高年者の運転ミスによる
交通事故への非難が起きているが、
高年者から車を奪うのではなく、
高年者むけの「安全な車」の導入と
高年者を保護する法規やマナーが
求められているのである。
大都市では街中の道路に
自動車道、自転車道、歩行者道(舗道)
といった3つの分離帯ができて、
歩行者や運転者にも使い分けが明確になり、
移動のためのまちづくり(基盤整備)がすすんでいる。
日常生活の足として自転車とともに自転車道を共用するのが、
高年者用キャリッジである 「高年者用電動車」 である。
自転車と違って止まっても倒れないし、
スピードも人が走る程度に制限され事故も起こさない。
値段がほどよく設定できて、
地域カーナビや地域商店情報機器が搭載されれば
「高年化時代」の乗り物として定着するだろう。
自動車、自転車、高年者用電動車、
わが家三代の主要自家用車である。
将来の有力輸出商品になるだろう。

高年文化圏

[実現目標2020]
のひとつである
「高年文化圏」というのは、
「人間五十年」を過ごして、それぞれに
わが道での事績を積んできた高年者が、
異なった成果をえた人びとと出会い、
人生に達意の高年者でなければ
味わえないレベルの理解を共有する場。
少し排除的にいえば、「利」を優先させずに
「文を以って会す」ような場。
青少年や中年の存在を気にせずに、高年者同士が
「文化を語って文化を生じる」ような場。
「学友」と「同僚」と「親族」の3点セットだけでは
高年期の人生を充足して送るには心もとない。
心躍る人生をめざして、「地域」や「関心のある分野」での
いくつかを加えた5つ~7つのわが「高年期文化圏」。
そこでの活動が、人生に厚みと多様性のある成果を
刻んでいくことになる。
お互いに存在を意識し合いながらも、
それぞれに自立した地域や分野別の「高年期文化圏」が多種多彩に、
大小の水玉模様のようにどこまでも広がり重なるとき、
豊かな 「日本高年文化圏」 が
総体として成り立つことになる。

四季型(通風)住宅

実現目標2020
+世紀の夢2100
である「わが家」について。
内向きで閉鎖的な
「常温型(エアコン)住宅」から、
外向きに開放的に「季節感」を取り込んだ
「四季型(通風)住宅」 が主体になる。
地域の高年層の人びとが工夫をこらして
庭や垣根やアプロ-チを外向的にしつらえて、
街空間の形成にも参加する
エアコン+通風の新和風住宅である。
家は可能であれば世代それぞれの
特徴をとりこんだプライバシー空間をもつ
「三世代同等住宅」を指向する。
そういう「わが家」が増えることによって、
三世代がそれぞれに内でも外でも暮らしやすい
家、家並み、街並みが姿を現わすことになる。
季節感をシャットアウトし、
地方性を見失った家並みに代わって、
新幹線の車窓から「おらが地方の四季」を謳歌する
地域特有の街並みの展開が楽しめるまでには、
世紀のプロジェクトとなるだろう。

[和風街着]の復活

全国各地に展開した
前世紀の街空間は、
専門店が並ぶ商店街があって、
その中心に「銀座通り」があって、
地域住民に流行の新商品を提供した。
とくに若い女性たちの洋風ファッションは
各地の「銀座通り」を華やかな舞台にした。
さて、新たな世紀の街着はどうなるのだろう。
愉快な情景として想定されるのは、
地域の素材と意匠をいかした
四季折り折りの街着の復活と新製品。
日常着として楽しめる「和装街着」である。
街を風靡してきた女性ファッションに重ねて、
新たな世紀での「和装街着」を演出するのは、
新たな人生を模索する高年期の男たちだ。
着心地のよい 「和装男性街着」 が各地に定着し、
季節ごとに競われて話題になる。
隣家のジージが「春の街着ベスト・ドレッサー」なんて
あっていい情景である。
とくに洋風では過ごしずらい夏季シーズンには、
新たに個性的な地域衣装をつくり出し、
地域の街並みに似合う
ローカル・ファッションを楽しむ。
街着は和風洋風(欧風)折半ほどほどがいい。

「男子必厨」と「長寿料理」

日々の食事は
けっこういける
コンビニ食品に頼って、
誰かが作ったみんなのための<
与えられた味覚に慣らされてきた。
高年期の暮らしともなると、
似つかわしくもないし、
それで終わってはなるまい。
時節とともに店先に現れる
新鮮な旬の食材を求めて調理した
自作料理による自家味覚の創出をめざす。
「男子必厨」丈人 として
みずから包丁をとって調理に立ち、
素材を吟味して 「自作長寿料理」 を考案する。
寿命の男女差7歳は少しは縮まるだろう。
時には自宅に朋友を招いて、
できたての旬菜を前に並べて
「しずかに新酒の数盞を嘗め、酔って旧詩の一篇を吟じる」
(白楽天の詩から)のもいいではないか。
季節の恵みによるこれぞ贅をつくした
わが家の食のシーンである。
味覚は生涯にわたって成長する
右片あがりの能力である。