四字熟語 「決勝千里」

決勝千里 けっしょうせんり

米海軍特殊部隊による「ジェロニモ」作戦によって、パキスタンの隠れ家でオサマ・ビンラディンは死亡した。この作戦をオバマ大統領はワシントンの指揮室で見ていた。直接指揮したわけではないが、これで支持率が上がったという。

千里も離れた遠方での戦局を指揮して勝利することを「決勝千里」という。漢の劉邦は宿敵楚の項羽を破って皇帝に推された時、諸侯を集めて洛陽で宴を張った。その席で三人の臣下をほめ上げたのである。

まず帷幄のなかにいて戦略を立てて千里先での勝利を見通す戦略家としての張良。次に財政を安定させ軍兵への糧道を絶たない蕭何。そして攻める城は必ず落とす用兵に巧みな韓信。自分より優れている能力をもつ三人を用いることで天下がとれたのだと諸侯の前でほめ上げたのである。

こういう傑出した臣下三人を「人中三傑」というが、自分よりも能力が優れた部下がいたから天下がとれたのだといえる大将もさすがである。 

『史記「高祖本紀」』から。

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・6・5号
堀内正範 ジャーナリスト 

四字熟語 「一言九鼎」

一言九鼎 いちげんきゅうてい

トップリーダーである人の発言が軽すぎはしないか。仔細に配慮して心に響くことばによって安心を与えて国民を鼓舞するのが務めであり、その逆に混乱を増幅するようでは資格を問われることになろう。

「一言九鼎」という。一言が国家の宝器である九鼎の重みにも当たるという意味で、とくに将相たるものはそれだけの決定的な影響力を持つことを常に心底にとどめて発言しなければならないというのである。

「鼎」は三足をもつ器で、宗廟への供えものを盛ることから礼器となり、さらに青銅製の鼎は古代王朝の王権の証とされた。いまでも「問鼎軽重」(鼎の軽重を問う)というと、大きなしごとをこなすだけの実力の有無を問われる場面で使われている。「九鼎」は九州(全土のこと)から集めた青銅によって鋳造された鼎。質実ともにいかにも重い。

宰相にはそれだけの表現力が求められ、「九鼎」のような質実のあることばを吐露できる人物でなければ責務に耐えないのである。 

『史記「平原君列伝」』より

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・5・25号
堀内正範 ジャーナリスト 

四字熟語 「春山如笑」

春山如笑 しゅんざんじょしょう

季節の変化の気配を鋭く捉えてきた先人の感性は俳句の季語に多く見ることができる。春の季語に「山笑う」があって、子規にも「故郷やどちらを見ても山笑う」の句がある。春山を巧みに表現するこの季語は「春山如笑」が典拠である。

冬のあいだ睡っていた山が春の訪れを察知して動き出す。木々の芽がそれぞれいっせいに際立ってくると、山全体が日また一日とはなやいで「春山如笑」といった姿になる。山がひとまわり大きく見える。人の心もおおらかになる。

北宋時代の画家郭煕の「山水訓」には「春山澹冶にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして妝うが如く、冬山惨淡にして睡るが如し」とあって、四季の山の変化を巧みに表現している。

「夏山如滴」(山滴る)も「秋山如妝」(山妝う)も「冬山如睡」(山睡る)も、どれもみなそれぞれに味わいがある四字熟語だが、ひとつ選ぶとなると、やはり「山笑う」のもととなった「春山如笑」となるだろう。 

宋・郭煕「山水訓」から

『日本と中国』「四字熟語ものがたり」 2011・5・5号
堀内正範 ジャーナリスト  

四字熟語 「家書万金」

家書万金
かしょばんきん

この度の地震に際して、東京でも電車が止まり携帯電話が通じないため家族との連絡がつかないという経験をした人も多かった。

「家書」はわが家からの手紙。戦乱の中で別れ別れになってしまっている家族からの手紙は、どんなにお金(万金)を積んでもほしい貴重なもの。これはよく知られた杜甫の詩「春望」に出てくる。戦乱で破壊された都長安にとらわれの身であった杜甫は「家書万金に抵る」と家族の安否への思いを詠っている。

「天災人禍」は繰り返し起こって人民を苦しめてきた。最大の「人禍」は戦争だろう。「春望」は「国破れて山河在り、城春にして草木深し」で始まる。この詩句は先の大戦後の復興期によく引用された。戦禍のあと父も母も見たこの国の「青い山脈」は優しかった。

「天災人禍」合わせて襲った被災地で、いまなお家族と音信が途絶えたままでいる人びとの心中が思いやられる。「家書万金」の経験は平和な時代にも起こりうることなのである。

杜甫「春望」より

四字熟語 「能者多労」

能者多労
のうしゃたろう

大津波後の復興現場で、連日、中心になって事後処理に当たっている人の姿に胸がつまる。次々に持ち込まれる難題に対処するのは並みの能力ではできない。長く培ってきた知識や経験を駆使して、「能者は労多し」というのが実情だろう。

技芸に優れている人の技芸が労多しとせずに生涯にわたって熟成していくように、能ある人というのは「労多し」と感じていないところが救いである。

「巧者は労にして知者は憂、無能者は求める所なく飽食して敖遊」(『荘子』から)ということになれば、能あることが悩ましくさえ思えてくる。労をいとわない献身的な人びとの知識や技術が活かされて復興は進む。

まだ雪の残る北国の雑然とした事務室で、住民の切実な要望に応対する職員の背後の壁に「雪中送炭」(雪中に炭を送る)という色紙を見た。雪の中を炭を載せた車が行く情景は鮮やかで、率直に心を温めてくれる。困っている人に救済の手を差し伸べるはずの職員が多数行方不明だという。

『紅楼夢「一五回」』など

四字熟語 「年年歳歳」

年年歳歳
ねんねんさいさい

「大震災」の陰になって、例年のような花だよりが聞かれないまま桜の開花を迎えた。「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」という唐の劉奇夷の詩は、日本では桜花の華やぎの下での人事異動や入学式のあいさつで、年々歳々繰り返されてよく耳にする。

詩の花は桜ではなく、唐の東都洛陽の城東に咲き誇った桃李であった。花は毎年変わることなく咲くけれど、花の下に集う人びとは毎年変わっていく。むかし「紅顔の美少年」も、いまは白頭の翁に変わってしまった。過ぎし日に思いを馳せて、「人同じからず」とわが身を省みるのである。

ちなみに「花も同じからず」で、いま洛陽市の城北に咲き誇るのは牡丹である。四月下旬には「牡丹花会」が催され、全国からの訪客でにぎわう。

四季の移ろいを知る人は、新たな季の訪れに人生を省みる。春節もそうだが、花の季もそうである。ことしの桜前線のもとで、東北地方の人びとは心にどんな記憶を刻むのだろう。

劉奇夷「代悲白頭翁」より

四字熟語 「明鏡不疲」

明鏡不疲
めいきょうふひ

「明鏡は疲れず」というのは、磨きあげた鏡のような叡智は使って損うものではないというもの。そこで優れた師や先輩の叡智は、休ませずにどしどし使おうではないかということになる。しかしほんとうに疲れないのかは明鏡の側に立たないとわからない。

李白は「知らず明鏡の裏、何処にか秋霜を得たる」(「秋浦の歌」から)と白髪三千丈の姿を明鏡のうちに確かめている。くもりのない鏡と澄み切って静かな水のふたつをあわせた「明鏡止水」(『荘子』から)といった境地になれば、外界の姿もはっきりと心の底に映ることだろう。

意味合いの近いことばに「宝刀不老」(『三国演義「第七〇回」』から)がある。陣中で老人扱いされた劉備配下の黄忠が、「わが手中の宝刀は不老じゃ」と怒って決戦をいどむ場面がある。高年になっても気力、体力、判断力などに衰えをみせないことをいう。

戴白の将、黄忠は中国では老いてますます盛んな人物の代表である。

『世説新語「言語」』から

 

四字熟語 「投桃報李」

投桃報李
とうとうほうり

大地が少しずつぬくもって桃李の花の季節になった。古来から桃李は花を愛で実を喜ぶ果樹として親しい。桃を贈られたのに対して李を贈って報いることが「投桃報李」である。

「われに投ずるに桃を以ってし、これに報いるに李を以ってす」と『詩経』に記されていて、お互いに高価なものではなく、季節の訪れとともに友を思うほどのもののやりとりというところが快い。

同じ『詩経』に「投瓜報玉」があって、こちらは投じられた木瓜に報いるのに瓊琚(美しい色の玉)を以ってするということ。女性の愛の証としての木瓜に応じる男性の側の手厚い返礼の思いがこもる。また施された小さな恩義を忘れずに心をこめて厚く報いる場合にも用いられる。

さらに友誼のためのやりとりとはいえ、「投珠報玉」ともなると、お互い高価なもの同士ということになる。しかし実は珠玉のような詩の応酬だから、これはもっとも費用がかからない贈答なのである。 

『詩経「大雅・抑」』より

四字熟語 「温故知新」

温故知新
おんこちしん

北京天安門広場の東側に位置する中国国家博物館は三月に新装オープンするが、長安街に面した広場に「孔子立像」が建てられた。九・五メートルのブロンズの偉丈夫像である。「批林批孔」の時節をさまよいつづけた「国学大師」(題字)は、歴史と文化の殿堂の前に「温故知新」の象徴として立つことになる。

「故きを温ね、新しきを知る」と読んでよく用いられるこの成語は、『論語』に記されている。一方で先人の知恵・古例に学び、一方で現実の動勢をしっかり把握する。双方をきわめることによってはじめて時代を理解することができ、人の師ともなれる(以って師と為るべし)と孔子は説く。

書斎にこもって文献を漁り現実を知らない「温故型」、あるいは現実にのみ執着して先人の故事来歴から学ばない「知新型」。いずれも真実の姿をつかむことができず、人を教育し、リーダーとなる資格はない。

「孔子立像」は新中国がたどり着いたアイデンティティの本地を示している。

『論語「為政」』から 

四字熟語 「百齢眉寿」

百齢眉寿
ひゃくれいびじゅ

「百齢」は百歳のこと。今年は大正百年だから、元年(一九一二)生まれの人が数え年で百歳になる。わが国では百歳以上の人が二万人を超えてなお増えつづけており、いかに史上稀な長寿国であるかが知られる。

唐代に杜甫が詩「曲江」で「人生七十古来希なり」と詠ったことから「古希」がいわれ、七〇歳が長寿の証として納得されてきた。とすれば百歳ははるか遠い願望だったろう。「眉寿」は長寿のこと。老齢になると白い長毛の眉(眉雪)が生えて特徴となる。初唐の書家虞世南は「願うこと百齢眉寿」と記して百歳を願ったが、八〇歳を天寿として去った。「七十古希」の杜甫は五九歳だったから願望は遠くに置いたほうがいい。

白髪が増えると老いの訪れとして苦い思いで納得するが、眉に白いものが見えた時は長寿への証として喜ぶほうがいい。協会にも眉雪の顧問がおられるが、いまや稀でない「古希」を迎えたら、次には「眉寿」をめざして日また一日を過ごしたらどうだろう。

唐・虞世南「琵琶賦」より