「アジア民衆の共生」と「平和な長寿社会」のために

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「四字熟語の愉しみ」 円水社+ 連載 2013年11月

左右逢源」 (さゆうほうげん) 2013・11・6

同じ最終目標さえしっかりしていれば、意見や手法の違いから生じる左右の対立があっても、どんな激論をかわしても、ともに最終目標に達する成果が得られるというのが「左右逢源」(『孟子「離婁章句」』など)の考え方です。川の左岸をいっても右岸をいっても、いずれ同じ水源へ到達できるというのです。

安倍総理は、靖国神社の秋季例大祭に参拝せず、神前に「真榊」の奉納ですませました。「国のために戦い、命を落とした英霊に尊崇の念を示す」としながら、一方で「外交問題化している中で行く行かないをいうのは控える」という立場です。中韓両国はA級戦犯を合祀する靖国神社への閣僚参拝は、「歴史から学ばない」ルール違反として中止を求めています。この安倍総理の参拝態度について、中国側からは「左右逢源」がいわれます。同じ源に向かわないことは明解で、いずれ国内では保守派の信任を失い、隣国関係の修復にも利さないことになるという結果をみています。

可歌可泣」(かかかきゅう)2013・11・13

人の泣き方にもいろいろあって、「号」や「哭」は大声をあげるのに対して、「泣」は喜びも悲しみもともに極まって涙を流すことにいうようです。泣を歌によって開放するのが、「可歌可泣」(歌うべし泣くべし。趙執信『談龍録「二四」』など)です。だれもがそういう場面に出会うことが多いので、いまでもよく使われます。

美空ひばりは「悲しい酒」を歌うとき、きまって涙を流しました。涙のむこうに戦後の哀切な時代を思いおこして、共に涙した人も多かったのでしょう。「喜びにつけ悲しみにつけ、人は歌い泣く。そして手足を知らず鼓舞するものだ」と欧陽修はいいます。和歌や唐詩の多くは詠われたものですし、「人生白露」の憂愁を刹那に開放してみせる曹操の「対酒当歌」(酒に対せよ、歌に当たれ。短歌行)は圧巻です。

「可歌可泣」の極みは、他の命を救った殉身的行為や戦場での悲壮な事跡は愛唱歌や軍歌として伝えられ、国民や時代を動かしたそれは「国歌」のなかに込められています。

半部論語」 (はんぶろんご) 2013・11・20

北宋草創期の宰相趙普は、『論語』しか読まない人物といわれ、政治リーダーとして学問の狭さを云々されていました。そのことを太宗趙匡義に聞かれたとき、「その半を以って太祖(趙匡胤)を輔けて天下を定め(定天下)、いまその半を以って陛下を輔けて太平を致さん(致天下)」と答えました(羅大経『鶴林玉露巻七』)。その後、「半部論語治天下」として広く用いられています。

近代日本でこの読み方をしたのが渋沢栄一でした。実業に就くことを嘆く友人に、「半部の論語」(『論語と算盤』)の読み方で、「半部で身を修め、半部で実業界の弊風を正す」と説明しています。いま中国でも経済人(高級管理職)の渋沢型の論語読みが盛んになっています。経済人の倫理性が問われているからで、わが国も銀行の暴力団貸付、有名ホテルの食品偽称など、経済人の倫理性の低落が目立ちます。創業時に立ち返って、「半部論語」を座右にするときのようです。

美意延年」(びいえんねん) 2013・11・27

情意がのびやかであれば、みずからの人生を楽しみ、みんなの歓びも合わせることができ、寿命を延ばすことができるというのが「美意延年」(『荀子「致仕」』など)です。芸術の秋に、どこかで「美意延年」にふさわしい作品と出会えたでしょうか。四季折り折りの美しい風物との出会いも長寿の源に違いありません。

作家が短命で画家が長寿といわれるのも納得がいきます。小倉遊亀105歳、片岡球子103歳、奥村土牛101歳・・90歳まで生きた『広辞苑』産みの親新村出の追悼文集が「美意延年」として出ていますが、学者は長命のようです。

この成語は書道家に人気で、いろいろな人が書いていますし、落款でも見かけます。美酒もまたというので、江戸以来の白酒で知られる豊島屋の大吟醸酒に「美意延年」があります。のびやかな音楽もまた美意の源泉、ことしは中国合唱百年ということで「美意延年―記念中国合唱百年」(杭州市)も開かれました。

四字熟語「蛙鳴蝉噪」「胸有成竹」「急流勇退」「平分秋色」

「円水社+ 四字熟語の愉しみ 連載中

平分秋色」(へいぶんしゅうしょく) 2013・09・25

昼夜がちょうど二分される秋分のころの穏やかな景観が「平分秋色」(李朴「中秋」など)です。「平分」は収穫した成果を平等に分け合って得ることに通じます。丹精した農作物をみんなで収穫する秋であり、のちには農業だけではなく、商業上の利益や声望などを分け合って、一半を得ることにもいうようになりました。

先人の残したさまざまな遺産を収蔵する博物館同士が、お互いの優れた収蔵品を出し合って展覧会を催すのも「平分秋色」。またサッカー戦などで激しく勝利を争いながら引き分けた熱闘を讃えあっての「平分秋色」。ちかごろは宴を盛り上げる白酒と葡萄酒の消費量が「平分秋色」になりつつあるといいます。

なにより平和の下での半世紀余。わが国は先行して得た技術や人材や資金を投入して、アジア途上諸国の人びとの暮らしの近代化に貢献しています。アジア各地でその成果が共有されている姿は、わが国が誇っていい「平分秋色」の景観です。

急流勇退」(きゅうりゅうゆうたい) 2013・9・18

しごとが順調で成果が現れており、将来がなお期待されている時に果断に勇退して自己の節義を保つことが「急流勇退」(『蘇東坡集「贈善相程傑」』など)です。

サッカーのベッカムや野球の松井秀樹などスポーツ選手の引き際もそれに近いですが、宮﨑駿(はやお)監督の進退の判断は「急流勇退」というにふさわしいでしょう。ベネチア国際映画祭に『風立ちぬ』(風起了)が出品中であったことで、「動画界のクロサワ」「日本のディズニー」の引退は一気に世界中に知られました。作品は金獅子賞を逃がしましたが商談は上々のようです。

公式引退の辞で、しごとの目安を「あと10年」、「ぼくは自由です」といいます。しごとをやるやらないの自由。昭和16(1941)年、戦争のさなかの生まれ、72歳での「急流からの勇退」は「生涯現役宣言」でもあるのです。宋の蘇軾も「急流勇退はあに人なからん」と、なかなかできないことだと述べています。

胸有成竹」(きょうゆうせいちく) 2013・09・11

暮らしの中に竹かんむりの字が多いことからも、竹はさまざまな用途をもった植物として利用されてきたことがわかります。まず筆がそうですし、竿、箒、箸、箱、籠、笛、笠・・節や筋や算もそうです。また竹はそのたたずまいを愛されて、詩画としても数多くの名品が残されています。

竹の画に秀でた人といえば北宋時代の文与可でしょう。四川に住んで、春秋、朝夕、晴雨といった自然の変化の中で、竹を仔細に観察しつくして描きました。同時代の文学者晁補之は「胸中に成竹あり」(『鶏肋集・八』から)と称賛しています。

ことをなす前に胸中にしっかりした結果が見えている(成算がある)例として用いられます。TPPへの日本の加入について、『人民網』は「賭博かそれとも胸有成竹?」の見出しを付けました。賭博はないでしょうが、といって政府に国民を納得させる「成竹」が胸中に描けているのかどうかはあやういところです。

蛙鳴蝉噪」(あめいせんそう) 2013・9・04

蛙が鳴いて蝉が噪ぐというのは、親しい夏の風物です。とくに蝉の声は、一声一声、短い生を知って生きることの謳歌、小さい命の大合唱です。ニイニイ、ヒグラシ(カナカナ)、ミンミンゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシ・・それぞれに鳴き声に特徴があり、現われる順もあるので、曲調は少しずつ移ろっていきます。

芭蕉の有名な句「閑さや岩にしみいる蝉の声」は旧暦5月末の山形・立石寺の作なので、ニイニイゼミと調査結果が出ているようです。荘子の「蟪蛄(けいこ・夏ゼミ)は春秋を知らず」は、凝縮された生へのいとおしさを掬いとっています。蘇軾の「蛙鳴青草の泊、蝉噪垂楊の浦」も人の賑わいの中に混じる生きものの声を聞いています。

蝉の声が途絶えて虫の音が引き継ぐ季節の転回。「蛙鳴蝉噪」(儲欣『唐宋八大家文評「韓愈・平淮西碑』など)が、比喩として低俗な文章や内容のない議論をいうのはなぜでしょう。炎熱の夏を終えて、成熟の秋に期待するということでしょうか。

 

四字熟語-「一言九鼎」「山中宰相」「賢妻良母」「雨過天青」 

201308月別入稿原稿

「一言九鼎」(いちごんきゅうてい)
トップリーダーである人の発言が軽すぎはしないか。仔細に配慮して心に響くことばによって国民に安心を与え鼓舞するのが務めであり、その逆に国の内外で混乱を増幅するような発言をするようでは資格を問われることになります。
「一言九鼎」(範浚『香渓集・一八』など)というのは、将相たるものの一言は国家を象徴する宝器である「九鼎」の重みにも当たるという意味です。それだけの影響力を持つことばを常に心底にとどめて発言しなければならないのです。
「鼎」は三足をもつ器で、宗廟への供えものを盛ることから礼器となり、禹王が九州(全土のこと)から集めた青銅によって鋳造したと伝える「九鼎」は、古代王朝の王権の証とされました。いまでも「鼎の軽重を問う」(問鼎軽重)というと、大きなしごとをこなす実力の有無を問う場面で使われています。将相には「一言九鼎」の表現力が求められ、それに値する人物でなければ任に堪えないのです。

「山中宰相」(さんちゅうさいしょう)
都から離れて山中に「隠居」して出仕しない賢人をいいます。とくに王朝の衰退期には、優れた人物は政権の中枢には近寄らないで身を処したことから。それでも朝廷から丁重に諮詢されれば、きちんと対応をしました。それを都の人びとは敬愛をこめて「山中宰相」(『南史「陶弘景伝」』など)と呼びました。
南朝梁(都は建康いまの南京)の陶弘景の場合は、みずから華陽隠居と号して山中の館に篭もり、皇帝(粱の武帝)から礼をつくして招聘を受けても茅山の館からは出ませんでした。30歳代に致仕して以後、門弟たちに囲まれて医薬、道学などを講じ、琴棋書画を愉しみ、80歳余まで「山中宰相」でありつづけました。
「戦後日本」の形成に参画し、成果を後人にゆだねて退き、歴史・文化・伝統などに精通しながら「山中宰相」と呼びうるような暮らしをしている優れた先人から学ばずに、現代の政界人自身に何ができるというのでしょうか。

「賢妻良母」(けんさいりょうぼ)
日本では「良妻賢母」です。8・15「終戦記念日」に心から黙とうをささげる老いた女性の姿。戦場で兄や夫を失って以後、女性が「銃後」を支えてきたのです。中国では「賢妻良母」(馮玉祥『我的生活』など)といいます。この語順の違いに両国の女性観や女性の果たしてきた役割の違いがこめられている四字熟語なのです。
日本の場合は、明治維新のあと西洋から帰った啓蒙家が女子教育の指針としました。「富国強兵」で働く男子を支えて内助に努めて「良妻」となり、子女を薫育して「賢母」となる。初代の文部大臣森有礼は「良妻賢母教育こそ国是」といっています。
中国の場合は、日本に留学した康有為や梁啓超が「賢母良妻」教育として移入したのですが定着しませんでした。男女がともに働き、ともに子育てをし、平等の社会的役割を果たした革命中国では、自立意識を持つ「賢妻」であり優しい「良母」となることが志向されました。両国とも「賢良な妻と母」を必要としたことは確かです。

「雨過天青」(うかてんせい)
雨が去って雲が切れて、見る間に広がってゆく晴れやかな青空。世情を暗く覆い尽くしていた弊風を打ち破って、天命を革めて新たな時代を実現しようとして立った英傑のひとりが、五代後周の創成者、世宗柴栄でした。
その後「雨過天青」は、厳しい状況が大きく好転することの例えとされ、暗澹とした気分を吹きはらったあとの爽快な心情を伝えることばとなっています。「デフレーション(萎縮)」状態を脱して好況を呼びさまそうという「アベノミクス」がすべての国民にとってそうなるかは、国民の共感次第です。「雨過天晴」ともいいます。
柴栄は商家の出で、茶を商ったこともあったといいます。みずからの柴窯での磁器焼造にあたって、苦しい境涯の好転を願う思いをこめて、明朗な「雨過天青」(謝肇淛『文海披沙記』から)の釉色の器を求めたのでした。その願いは次の宋代に引きつがれ、官窯が焼造した「宋の青磁」は時代を画する逸品となりました。

 

四字熟語-堂堂正正

四字熟語ー堂堂正正
どうどうせいせい

盛大で整っているようすに「堂堂正正」はよく使われる。時代の力強い雰囲気を伝えるのにふさわしいからだろう。「四字熟語」のなかには典故や経緯の違いから語順の異なるものがあるのにお気づきだろう。

左が中国で右が日本。

山珍海味・山海珍味
雲消霧散・雲散霧消
灯紅酒緑・紅灯緑酒
賢妻良母・良妻賢母
粉身砕骨・粉骨砕身

「山珍海味」はいかにも中国ふう。「雲消霧散」や「灯紅酒緑」は実感や語感が優先する。「賢妻良母」は前に挙げたが経緯として収まりがいい。「粉身砕骨」は同じ用法がないではないが、一般的な使い方として挙げておこう。次のものは二字ずつが入れ替わっている。

異曲同工・同工異曲
不屈不撓・不撓不屈
堂堂正正・正々堂々
奪胎換骨・換骨奪胎
不省人事・人事不省

「異曲同工」「不屈不撓」「堂堂正正」はこちらに尽きるといっていい。「不省人事」は両用だが一般的な辞書はこちらを採用している。

『封神演義「九四回」』など

四字熟語-史不絶書

史不絶書
しふぜつしょ

つねに同類の事象が起こって歴史書の上で記載が絶えたことのないことを「史不絶書」という。中国人民が世紀の夢を遂行する新たな時代には、さまざまな「史不絶書」が次ぎ次ぎに出現することになる。

ご存じのように中国の正史は断代史であり、王朝は一家族の権力史でもあった。「上帝の天命」を受けた優れた人物が新たな時代を切り開き、傍らに「将相名賢」が現われて支えてきた。

習近平体制が固まったばかりの中華人民共和国だが、習氏は下放運動に参加した世代の代表ゆえに学問的ブランクをもつ。世界に立ち向かうにはそこを埋める次の世代が必要とされ、「史無前例」の優れた後継者たちが現われて支えることになる。現代の錯綜した状況を読み解いて「順天応人」の新たな歴史をつくる。毛主席は「上帝」は人民大衆だといったが、将来にはそういう能力をもつ「将相名賢」が人民によって選ばれて登場することもまた「史不絶書」として想定され期待されている。

『春秋左氏伝襄公二九年』

四字熟語-樹大招風 

樹大招風
じゅだいしょうふう

樹が大きくなれば風を招くというのは、実見する風景である。能力が目立ったり、事業が順調に成長したりすると、目標にされたり嫉妬されたりして風あたりも強くなる。そういう時節には気を引き締めなければならない。

途上大国の中国は「樹大招風」期にあるというのが、中国外交の認識であり、国際世論が「中国脅威論」という風にならないよう警戒と配慮がなされている。

一方で軍事的には「中国脅威論」は自衛戦力として容認される。艦船発射型対空ミサイル(海紅旗9A)や大陸間弾道ミサイル(東風41)の展開や「北斗」衛星の稼働などは「樹大招風」の実態として、アメリカの世界戦略に対抗するからだ。それで人民の安寧が確保されるのかどうか。

そのはざまで「日米安保」でアメリカの軍事戦略に加担する安倍外交で、わが国民の安心は担保されるのか。樹下に憩える国づくりは容易ではない。が、大地に根づいた人同士の交流と信頼には揺るぎがない。

『西遊記「三三回」』など

四字熟語-臨池学書

臨池学書
りんちがくしょ

日中国交正常化四〇周年記念特別展「書聖王羲之」展をみた。東京国立博物館平成館に一六三作品が展示されていたが、四世紀の東晋時代の王羲之原跡はないから、のちに精巧に臨摸された複製によって神髄をうかがうことになる。

今回も三〇〇年後に唐の太宗がみずからの昭陵に副葬させた有名な「蘭亭序」(行書)は、歴代の逸品のうち、わが国の博物館・美術館・個人が秘蔵する作品が合わせ展示されて、両国が共有する「書の文化」の奥深さを伝えていた。

王羲之が草書の目標として慕ったのが後漢時代の張芝。張芝は池に臨んで書の力を養い、池水が墨で真っ黒になったという。羲之もそれにならって盛名をえたことから「臨池学書」がいわれ、その古跡は「墨池」と呼ばれた。いま紹興市の「蘭亭」には「曲水の宴」の跡は残るが、池は「鵝池」だけ。しかし羲之が刻苦して書を学ぶ姿を後人が慕って、「臨池」というと書論や書学など書に関する学問を指すようになっている。

『後漢書「張芝伝」』から

四字熟語-天衣無縫

天衣無縫
てんいむほう

書店の雑誌コーナーで、「女性ファッション」誌のあまりの多さに驚くとともに違和を感じてこの成語を思い出した。天女や仙女が着けている「天衣」には縫い目がないことを「天衣無縫」という。たしかに飛天や仙女像をみると、衣装に縫い目(人為のあと)を見ない。内に秘められた美の表出には人為(ファッション)を排したのびやかで自然な衣がふさわしい。

そこから言行が自然で障りのないようす、詩文や書画が技巧の跡を感じさせずに造形されていること、事物のありように破綻がないことなどに、日中でひろく用いられている。

年初の北京でズービン・メータ指揮のイスラエル・フィル新年音楽会があり、演奏に合わせて書家の李斌権が「龍蛇走る(筆勢の洒脱で非凡なこと)」草書で毛沢東と李白の詩を揮毫した。この芸術合作を「完美無欠、天衣無縫」と伝えていたのをなるほどと思ったが、前記の違和感は、女性雑誌群から内なる美の表出を感じなかったからであろう。

牛嶠『霊怪録「郭翰」』など

 

四字熟語-千里鵝毛

千里鵝毛
せんりがもう

はるか一千里のかなたにいる知人へ、鵝毛のように軽く価値のないものを送ること。それでも友誼の心は伝えられるというのが「千里鵝毛」。送り手の心とともに受け手の感性も問われることばである。

いわれは唐の太宗のころ、長安へ向かうチベットからの遣使が、旅の途中で貢献のためにつれてきた珍禽の白天鵝に水を飲ませ羽毛を洗おうとした際に逃がしてしまった。残されたのは鵝毛のみ。遣使は接見の際にこれを献じ、詩を添えて事情を訴えた。太宗は罪とせず忠誠心をたたえてねぎらったという。

いまや鵝毛ならぬ電子メール(電子郵件)を送れる時代。送ったらすぐにREがついて返事がもどってくる。それでも年賀(賀年有奨)のハガキやカードにていねいに記された手書きのあいさつには、「千里鵝毛」の心が息づいているのが感じられてうれしい。それでもお互いに会うことはかなわない。やはり「千里迢々」(遥かなこと)であることに変わりはない。

欧陽修「梅聖兪寄銀杏」など

 

四字熟語-陽春白雪 

陽春白雪

ようしゅんはくせつ

外は雪のストックホルム。市庁舎内のノーベル賞晩さん会会場には、山中伸弥教授の隣に文学賞の莫言氏。日中の名士が並んだ。一二月一〇日のこと。

その前日、恒例のストックホルム大学でのスピーチで、中国文学の現状を問われた莫言氏は、「陽春白雪と下里巴人」といって会場の笑声と掌声を誘った。通訳には意味が分からず、自ら「高級な白酒を好む人もいれば普通の白酒を好む人もいる。それぞれ味わいがあるように文化の受容は多様化している」と補足した。

春の明るい陽光と白雪。この美しい四字熟語は、高尚な楚の音曲の名に与えられている。一方の卑俗な音曲は「下里巴人」(巴蜀のひなびた里人)。対比には文学者らしく気をつかって格差ではなく多様性といった。「下里巴人」は数千人が和して歌えるのに「陽春白雪」は数十人。自分の作品がどちらにも受け入れられている現状へのとまどいもみられる。双方を理解できる「雅俗共賞」の人は実はもっと少ないからである。

楚辞「宋玉対楚王問」