漢字文化圏が共有する「文温の絆」としての「四字熟語(成語)」

連載「四字熟語の愉しみ」 
web「円水社+」 http://www.ensuisha.co.jp/plus/
2018年は「日中平和友好条約締結40周年」でした。「四字熟語(成語)」は漢字文化圏の共有する文化遺産です。ささやかな友好の「文温の絆」として、このweb円水社+「四字熟語の愉しみ」が参加できたことを幸せに思います。(堀内正範)
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2018年1月~12月の月別の「四字熟語の愉しみ」です。これ以前、以降の項目は、 「円水社+」 http://www.ensuisha.co.jp/plus/ をご覧ください。
2018年12月の「四字熟語の愉しみ」は 「知者不言」「双喜臨門」「握手言歓」「迷途知返」 を書きました。
「知者不言」(ちしゃふげん) 2018・12・5
「知者不言、言者不知」(知る者は言わず、言う者は知らず。『老子「五六章」』)は知者である老子が残した信言です。真意を理解している者が言わず、言う者の論旨は時代の要請から遠くズレている。 老子はそれを知る者として言わずに、衰亡の淵にある周都洛陽を離れて隠遁の旅に出ます。函谷関の関令尹喜に懇請されて残した『道徳経(老子)』の最終章には「信言は美ならず、美言は信ならず」(2014・2・26)と記して。 唐の詩人白居易は、「知者であり黙するのなら、なんで五千文字もの著を残したのか」(『読老子「五章」』)といい、老君(老子)は自らを知者としていないという見方。「わたしは知者ではない。そう言うあなたと同じだ」という老子の声が聞こえます。 世紀初めのこの国の政界に世代交代の嵐が吹き荒れました。その後に国会に呼集されたチルドレンやガールズによる議論は時代の要請の深みに届かないにレベルに終始していると「知る者」は言わず、「言う者」は知らずに衰亡の淵に近づいていきます。
「双喜臨門」(そうきりんもん) 2018・12・12
ふたつの喜びごとが同時にやってくることが「双喜臨門」(『三侠五義「九二回」』など)です。新年や結婚のお祝の場に「喜」が並んだ図柄を見かけます。これが吉祥文様の「双喜臨門」です。 民間流伝によれば、宋代に王安石が二三歳のとき、科挙考試のために赴いた都の開封で結婚相手と考試トップである状元を得たことからといいます。 「双喜臨門」のまちといえば、異論なく双重慶祝のまち重慶のこと。また「双喜臨門」はお茶のなかに開いた花を楽しむ工芸花茶としても知られています。明るいイメージから連続TVドラマのタイトルにもなっています。 誕生日と合わせて喜びの重なる「双喜臨門」があります。一二月一〇日に横浜アリーナで行われた女子バレーボール世界選手権決勝ラウンドで、郎平率いる中国チームがオランダを破って三位になりました。当日は郎平監督の五八歳の誕生日。郎平を現役時代に目標にした日本の大林素子さんはそれを知っていてお祝をしたといいます。
「握手言歓」(あくしゅげんかん) 2018・12・19
反目しあったのちに和解し、親密さをこめて握手をしことばを交わすことを「握手言歓」(巴金『懺悔「両個孩子」』など)といいます。「握手言和」も日常的につかわれ、よくあることですからよく用いられています。南北朝鮮の金正恩・文在寅両首脳の出合いは典型的な事例です。米中両大国の首脳の握手は固いですがことばは少ない。特朗普(トランプ)・普京(プーチン)の「双普会」となると、親交と悪化が混在しているので印象は複雑です。安倍・プーチン、安倍訪中は「握手言和?」といったところ。 スポーツでは、サッカーなどではライバル同士が戦う前に双方のキャプテンが握手をしてゲームがはじまるときに、あるいは接戦ののち1-1で勝ち負けなしの引き分けでおわったときに、とくに握手とはかかわりなく「握手言歓」がいわれます。 伝統芸術と現代芸術の出合い、京都と西安、名古屋と南京といった時代を越えた友好都市の活動、かつて仇敵だった毛沢東と蒋介石の孫同士が台北で会って歓談するというのも「握手言歓」です。
「迷途知返」(めいとちへん) 2018・12・25  
途に迷ってしまったら知っている途に返ればよいというのが「迷途知返」(『梁書「陳伯之伝」』など)です。過ちを犯したと察したならば正しい途に改めればよいということは屈原(離騒)もいい、陶淵明(帰去来辞)もいい、朱憙(集注)もいう。時代を越えて先哲がいい、「過ちては則ち改むるに憚ることなかれ」(『論語「学而」』)はだれでも知っているし、世に言いならわされているのですが、時代を越えて過ちは繰り返されているのです。 アメリカの中国に対する経済制裁が貿易戦争といわれています。トランプ大統領が米国経済を悪化させることに気づいても国民の選択ですからもはや元の途に返れません。これに対する中国側の主張が「迷途知返」です。正しい途に返れというのです。第二次世界大戦の経験から国際協調がつづいて七〇年、ここで反転してまた米国一国主義が台頭しました。かつて第一次世界大戦後の国際協調を破ってアメリカが一国主義をとり、それが原因で大不況に陥った経緯を再現する過ちを改めることができないのです。
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2018年11月の「四字熟語の愉しみ」は 「玉露生寒」「楓林如火」「遮天蔽日」「名利双収」 を書きました。
「玉露生寒」(ぎょくろせいかん)2018・11・07
秋の深まりを一点に凝縮した「四字熟語」に「玉露生寒」(『李群玉集「秋怨」』など)があります。夏至から冬至にいたる日々を穏やかにすすむ秋は、「金風が暑を去り玉露が涼を生ずる」(『水滸伝「三〇回」』」)ことでその訪れを感知することになります。二四節気の秋分を挟んで白露と寒露とがあります。玉露は中国では美酒の例えにいわれますが、日本でのお茶の玉露は茶葉を露のように丸くして煎ったことからがいわれのようです。 移ろいながら人の目を驚かせる「秋色迷人」のきわみが「楓林如火」でしょうか。満山紅葉で火の海に踏み込んだような秋との出会いは鮮烈です。中国には四大賞楓地があって南京棲霞山、北京香山、蘇州天平山、長沙岳麓山がそれ。その中でも「深秋棲霞、楓林如火」といわれる南京の棲霞山が甲天下の名所です。山中にある棲霞寺(棲霞精舎)は南斉時代からのもので、ここから日本へ渡った鑑真の記念堂もあります。わが国では京都嵐山をはじめとする各地での「紅葉狩り」。季節は霜降から小雪へと移ろっていきます。
「楓林如火」(ふうりんじょか)2018・11・14
前回の「玉露生寒」の項で、満山紅葉で火の海に踏み込んだような「楓林如火」を紹介しましたが、種々の特徴があって四大賞楓地では言い尽くせていないようなのです。 たとえば石城村(江西省)では特色の黒瓦白壁の家々の上に高さ35mもある古楓の樹林が連なってあたかも一幅の長尺古画を見るようだといいますし、紅葉谷(吉林市長白山)では延々100kmもの紅葉や黄葉でさながら画巻のようだといいますし、浙江省温州市には元明時代から修復して村々をつなぐ70余条の紅楓古道が保存されているといいます。そしてアジアで最も美しい紅葉観賞地というのが四川省米亜羅。中国最大の紅葉風景区で北京香山の180倍、品種も多く色彩も層をなして広がっているといいます。 フランスに「楓丹白露」(朱自清『欧游雑記』から)という優雅な漢訳地名で呼ばれる宮殿があります。パリにある「フォンテンブロー」です。2015年3月に、楓丹白露宮中国館から清朝末に北京の圓明園から流失した展示品が盗まれて話題になりました。
「遮天蔽日」(しゃてんへいじつ)20181121  
広々とした天空に太陽が明るく輝いているところに、それを遮蔽するように自然現象が起こり、人間の営為が展開されることを「遮天蔽日」(『水滸伝「八三回」』など)といいます。 自然現象としては、イタリアのエトナ火山やハワイのキラウエア火山などの噴火では天高く噴煙がのぼり、マダガスカルでは異常気象でイナゴが大発生して空を蔽いつくすという情景も現出しています。なかには楊朔の『香山紅葉』に描かれる古松古柏の山路や「前人栽樹」によって繁茂する古樹の下で涼をとるといった穏やかな「遮天蔽日」もあります。 人為的な「遮天蔽日」では、『水滸伝』では遼兵の襲来を表現しています。現代の北京のスモッグ。ロシア戦勝記念日のモスクワ上空の編隊飛行と轟音などが存在感を示しています。権勢が天下を蔽って世の中に猜疑と欺瞞を生み、経営破綻、株の下落、大災害、領土問題、事故・事件・・社会不安がつのる兆候をみせています。「遮天」が国際協調の暗雲をいい、「蔽日」が日本を蔽うと読めば、将来を警告する「四字熟語」といえます。
「名利双収」(めいりそうしゅう) 20181128
「名を捨てて」とか「利を度外視して」ということで成功を収めるのがふつうですが、時代が大きく変貌するときには、名誉も利益も双方をともに収得する「名利双収」(『官場現形記「三四回」』など)を求めることが可能なようです。「名利兼収」ともいいます。 現代中国がまさにそういう時期で、「名利双収」でなければ成功とはいえないようです。まずは名を得るために有名大学を出て、のち官吏になって「昇官発財」の路線に乗ります。高官が名も利も多く得るしくみなのです。国民とかかわる高官自身は質素ですが、それにつながる親族や企業家が「名利双収」の実現者です。幹部の子は外国とくにアメリカの大学に留学します。習主席の娘明沢さんもハーバード大学出です。 庶民は姓名の画数で「名利双収」になれることに期待し、2022年寅年の夏生まれの子が「名利双収」の人生を送れるというので気にかけています。対比して禅(道元)の教えでは「名利(みょうり)共に休す」で、名利といった欲望を断つことを説いています。
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2018年10月の「四字熟語の愉しみ」は 「青黄不接」「雨霖鈴曲」「金玉不琢」「開門見山」「雁過留声」 を書きました。
「青黄不接」(せいおうふせつ)20181003
「青」は穀物の苗がまだ青々としていて熟すには間がある状態であり、「黄」は旧年にとれて蓄えておいた穀物のこと。「青黄不接」(『欧陽文忠公奏議集「一八」』など)というのは、保存しておいた穀物(黄)を食し尽くしてしまったのに、次の収穫(青)がまだ得られないことをいいます。天災で不作の場合もありますが、税の厳しい取り立てや兵乱による略奪という人禍によることもあります。こうなっては人民の暮らしは赤信号です。 最近は「後継無人」の意味で用いられます。『三国演義』や『水滸伝』の表演で知られた「評書」(講談)演員の袁闊成(86)が2015年3月に亡くなり、いままた独特のかすれ声で語る単田芳(84)が9月11日に亡くなって、「青黄不接」がいわれます。最盛期の1990年代には400放送局で1億人が聞き、子どもたちはその語りから忠臣の節羲や孝子のありようを学んだのでした。魯迅も『而已集「革命時代的文学」』で旧制度の挽歌から新制度の謳歌への「青黄不接」の革命的時期にあるといっています。
「雨霖鈴曲」(うりんれいきょく)20181010
「王朝の女人・楊貴妃」を演じて、華麗・艶麗な唐王朝の女性を体現してみせた美人女優范(範)冰冰(ファン・ビンビン)が146億円という多額の脱税を指摘されて、当局から“死を賜う”ことになりました。安史の乱で玄宗皇帝とともに長安を追われて蜀の地に逃れる途中、馬嵬で、一族とともに殺害されたとき楊貴妃は37歳でした。奇しくもいま范冰冰は37歳。玄宗に死を賜って縊死した楊貴妃と同年齢なのです。 楊貴妃にかんする四字熟語には、「明眸皓歯」(杜甫「哀江頭」)や「一笑百媚」(白居易「長恨歌」)、「解語之花」(開元天宝遺事)などがありますが、この「雨霖鈴曲」(明皇雑録補遺)は楊貴妃に死を賜ったあと、斜谷で長雨と馬の鈴の音の響きに亡き愛妃を思って玄宗がつくった楽曲の名です。玄宗には琴をつま弾く楊玉環の姿が見えていたでしょう。広く妻や女性をしのぶ曲にいいます。「寒蝉凄切」ではじまる宋の柳永の「雨霖鈴」詞には、相愛の「佳人」との別れの深い悲傷が覊旅の風景の中に詠いこまれています。
「金玉不琢」(きんぎょくふたく)2011017 
まことの玉(金玉)は琢磨する必要がなく、まことの珠(美珠)も色彩で修飾する必要がないというのが「金玉不琢、美珠不画」(桓寛『塩鉄論「珠路」』から)です。「白玉不琢、美珠不文」(劉安『淮南子「説林訓」』など)ともいいます。ふつうにはことわざにもあるように「玉磨かざれば光なし」であって、遠古から「玉不琢不成器、人不学不知道」(『礼記「学記」』)がいわれて、人びとは社会の要請に応えて有用な器になるために、道を知るために努めてきました。三字経にも「玉不琢、不成器」が挿入されています。 それはそれとして、もっとも大切なことは自からに内在する質朴さを失わないこと。それを礎にして活かして自己実現をはかることです。琢磨したつもりが自在性を失い、精細に学んだつもりが朴実さを失うなら、そんな要請は避けるのが後悔しない「金玉不琢」の人生のかまえ方といえるでしょう。皇帝の呼び出しに応じなかった李白が詩心を失わず、五柳先生(陶淵明)が常に栄利を離れて暮らして晏如とした人生を得たようにです。
「開門見山」(かいもんけんざん)20181024
門を開くとなんの障壁もなく峰々へとつらなる僧院のたたずまい、訪れる官吏の姿も多く見られたことから、唐の劉得仁は実景として「開門見数峰」(「青龍寺僧院」から)と詠っています。そして宋代の厳羽『滄浪詩話「詩評」』では李白の詩の趣き、とくに首句がそのまま「開門見山」であると評しています。それ以後は話や文章がずばり本題にはいることの比喩として用いられるようになりました。異和のある驚きの話題を述べるときに前置きとしていわれますが、いままた本筋にもどって、繁華な都会生活から離れて緑と深呼吸ができる空気とが用意された山居生活が「開門見山」として見直されています。 日本の合掌づくりを保存する白川村の紹介では「家家草屋、開門見山」という感嘆のことばになりますし、また東京観光を終えたあと富士山麓の旅館に泊って、正座して日本食をし、日本庭園をみ、温泉につかって、富士山をみる。雲ひとつない秋晴れの富士に出合えた客に、宿の主人がその幸運をいうとき、「開門見山」の喜びを感得することになります。
「雁過留声」(がんかりゅうせい)20181031
秋の空高く南に渡る雁の群れが一列やカギ形になって飛び去っていきます。あとに鳴き声を残して。また深まる秋の夜に孤雁の悲傷にも似た鳴き声を聞いて、去り行きし人を想うことも。実景としての「雁過留声」がそれで、馬致遠の元曲『漢宮秋「第四折」』では、元帝が匈奴単于に送ってしまった王昭君を想い出す場面で用いられています。 それは「人過留名、雁過留声」(『児女英雄伝「第三二回」』など)と連ねて、比喩としてこの世を去った人びとの思い出や業績や名声などについていわれるようになります。中国における死生観(生死観)として「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」(『論語「先進篇」』から)がいわれるように、死の意味は生の中に残ります。 雁といえばはるか天竺まで旅をした玄奘三蔵にちなむ西安の慈恩寺大雁塔が知られます。雁の群れから一羽が落ちてきて、菩薩の化身として埋葬し塔を建てたのがいわれで、唐代には進士に及第したエリートがここで名を留めたことから「雁塔題名」がいわれました。
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2018年9月の「四字熟語の愉しみ」は 「笑容可掬」「和而不同」「勝友如雲」「牝鶏無晨」 を書きました。
「笑容可掬」(しょうようかきく)2018・09・05  
掬は両手ですくうこと。両手ですくうような満面の笑みが「笑容可掬」(『警世通言「二巻」』など)です。ジャカルタ・アジア大会で6個の金メダルを取って最優秀選手にも選ばれた池江璃花子さんの笑み、表彰台もいいが、ゴールしたあと振りかえって電光掲示板で勝利を確認して思わずはじけ飛んだ笑みが「笑容可掬」にふさわしい。 「笑容可掬、焚香操琴」というのは、孔明が城楼の上に座し、香を焚き琴を操りながら笑みを浮かべている姿をみて、司馬懿が攻めあぐねるという場面が『三国演義「九五回」』」に描かれています。「面目可辨、笑容可掬」というのは、乾隆皇帝の妃魏佳氏孝儀純皇后の東陵が1928年に盗掘に遭い、皇帝溥儀が精査させたとき、153年を経て黄色龍袍につつまれた皇后の表情の艶やかさに驚いた官員の記したもの。TVドラマ「延禧攻略」の主役魏璎珞がその人です。トランプ大統領が習近平主席に北朝鮮問題で感謝していたころにも用いられましたが、「可掬」にそぐわない。こちらは「笑容満面」でいい。
「和而不同」(わじふどう)2018・09・12
日中平和(中日和平)友好条約締結40周年にちなんで、「“和而不同”国際書画展」(4月・東京)や「“和而不同”中日芸術家作品展」(8月・名古屋)が開かれています。東京展を訪れた村山富市元首相は中国の少年たちの作品に驚いたようです。 「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(君子和而不同、小人同而不和。『論語「子路」』から)と孔子はいいます。調和はするが同調はしないというのが「和」のありようで、お互いに相手の主体的な意見や立場を認めあうこと。「同じて和せず」というのは「雷同一律」のことで、確固とした意見や立場をもたず相手に同調すること。お吸い物は素材や調味料の持ち味を活かし、音楽は楽器の要素を引き出して成り立ちます。  習近平主席は「和」の文化の遠源にふれ「和而不同の社会観」の涵養を求めています。わが国はもとより「和」を尊しとする国。政治はむろんのこと、あらゆる分野で主体性をもちつつ中国との「和」をどう築いてゆくかが今後の課題になるでしょう。
「勝友如雲」(しょうゆうじょうん)  20180919
良き友がひとところに集まっているようすを「勝友如雲」(王渤「滕王閣序」から)といいます。文字通りでの「勝友如雲」といえば、先の総選挙大勝の自民党本部がそうでしたし、合格発表日の有名高校の教員室や大学の入学式や企業の入社式は「勝友如雲」そのもの。 典拠となる唐の王渤の「滕王閣序」には、秋の旬休(十日に一日の休み)に滕王閣(南昌にある江南三大名楼のひとつ)に登った「勝友如雲、高朋満座」のようすが画かれています。高いレベルの仲間が同座していますから事情が異なります。秋の全国展で優れた仲間の入選作をおさえて特選に選ばれた人は、そんな感慨にひたることができるでしょう。 嵩山小林寺のおひざもと鄭州市でおこなわれる太極拳国際大会にはまさしく世界各地からの代表が集まり「勝友如雲、高朋満座」といった会場で競技が展開されますし、2019年の「中国建博会」(中国国際建築貿易博覧会・上海虹橋)では、理念として「勝友如雲、高朋満座」を掲げています。1300年前のこのことばの活用はナウイようです。
「牝鶏無晨」(ひんけいむしん)  20180926  
新しい朝は高らかに晨(あした)を告げるオンドリの声から始まり、ややあって朝方の鐘の音(晨鐘暮鼓)が響く。村の一日が穏やかに始まる風景です。「牝鶏無晨」は「牝鶏が晨を告げることはない」というもの。この周の武王のことばは、「牝鶏が晨を告げるときは、家が索(つ)きるとき」(牝鶏之晨、惟家之索。『尚書「周書牧誓」』)とつづきます。古人言える有りとあり、民間にいいならわされてきたようです。  この「牧誓」は殷(商)の紂王を倒すための戦いに臨んだ武王の雄叫びとして発せられたもので、「牝鶏」というのは悪姫妲己(だつき)のことですし、家は殷(商)のこと。しかしその後ながく封建制での男子優先のしくみを支えることばになりました。いまや「ダイバーシティ」(多様性)が叫ばれる「牝鶏司晨」の時代。さすがに表だってこういえる男性(雄鶏)はいなくなりました。が、しごとのできない女性上司には陰の声は消えないようです。実力をつけての社会参加が求められているのです。 ***********
2018年8月の「四字熟語の愉しみ」は 「百折不撓」「安居楽業」「捲土重来」「群龍無首」「心中有数」 を書きました。
「百折不撓」 (ひゃくせつふとう) 20180801  
なにがなんでも頑強に「不撓不屈」をとおして譲らないというのは格好いいが成果はどうでしょう。複雑な要件に対処しつつ、ときには多少の挫折はあっても、本筋では意志堅固にして人品においては屈服しないこと。乱世の後漢末期に、蔡邕は「太尉橋玄碑」にみずからの立場を重ねて「百折不撓」と記しています。その娘蔡琰(文姫)ものちに生涯を翻弄されつづけた時代を曹操は「清平の奸賊、乱世の英雄」(許劭「月旦評」から)として生きています。毛沢東は「孫中山先生は広大な人民を領導し、不断の闘争を百折不撓のうちに進行した」(「中国人民大団結万歳」から)と讃えています。 都市もまた「百折不撓」をめざしています。重慶市は6月5日10時30分から42分まで防空警報を発します。前事不忘、後事之師としての「重慶大轟炸(爆撃)記念日」です。日本軍は中華民国臨時首都だった重慶に1938年2月から43年8月まで5年半爆撃を加えました。今の自衛隊の議論はアジアの平和の「百折不撓」とかかわっているのです。
「安居楽業」 (あんきょらくぎょう) 20180808  
安眠のできる家があり楽しんで従事できるしごとがあること。平和の国で暮らしていると当たり前に思えるこの「安居楽業」(『漢書「貨殖伝」』など)というふたつが、戦乱にあけくれた時代を生きた人びとにはどれほど得がたいことであったことか。 途上国として平和と経済の高度成長期に遭遇して、中国に暮らす人びとは歴史的にはじめて「小康社会」「安身立命」(『景徳伝灯録「巻一〇」』)の人生を現実のものにできているようです。日本の場合は仏教の影響を受けて四字熟語としては「安心立命」ですが、中国では生活感に裏打ちされた「安身立命」が基本です。ちなみに京都の立命館大の名の由来は孟子の「修身立命」(尽心上)にあるようです。 習近平政権は2020年までに「全民脱貧」という目標の達成をかかげましたが、米中経済摩擦の影響次第では、国民の生活上の充足感である「安居楽業」と将来への「安身立命」が確保されるかどうか、むずかしいところです。
「捲土重来」(けんどちょうらい)20180815  
夏の甲子園「第100回記念大会」に102年ぶりの全国制覇をめざした北神奈川代表の慶応高校。地方大会の一戦一戦に「四字熟語」を掲げて勝ち抜いてきたといいます。春のセンバツ初戦で彦根東高校に3-4で敗れた悔しさを晴らすべく、夏の初戦、中越高校戦に掲げたのがこの「捲土重来」でした。2-3サヨナラで勝って結果を示しています。 「捲土」は人馬が土を巻き上げて疾駆すること。ひとたび敗走してのち勢力を回復して攻め返すのが「捲土重来」(杜牧「題烏江亭」から)です。楚の項羽は劉邦の漢軍に垓下の戦いで敗れて、愛姫の虞美人に死を賜ったあと、長江北岸の烏江まで落ち延びます。しかしここで江東に還るのをはじとして自刎しました。(『史記「項羽本紀」』から) 夏の甲子園大会で覇を競う球児たちは、敗北したあと “甲子園の土”を袋につめて持ちかえります。その悔しさは全国制覇して晴らされるもの。慶応高校は激戦を勝ち抜いて優勝決定戦でこの「捲土重来」を掲げるべきだったでしょう。
「群龍無首」(ぐんりゅうむしゅ)20180822
近年のこの国は、毎年「首」(首相)をすげかえた「一年一相」の七年のあと、「一強五年」という変則の時期にあります 易では「群龍無首」(『周易「乾」』から)は本来「吉」であると説きます。天徳による治世がおこなわれていたころには、優れた能力をもつ人物(龍)がたくさんいて、お互いに補いあってしごとをしていたので、とりたてて「首」とする人物を置く必要がなかった(無首)のです。ところが時代がくだって龍ならざる俗人による治世になると、「群龍無首」は優れた指導者がいない(無首)ために何も決まらず先へ進めないことをいうようになります。そこでわれから天徳の命に迫ろうとして「首」(首相)をめざす人物が現れます。それでも成果があがらなければ首をすげかえすげかえして対応します。 次の首のすげかえでも吉卦の「群龍無首」に近づけず、いっそのこと「抜類超群」の人物を国民参加で政策(天の意思)を確かめつつ選び出す大統領制のほうが近道かもしれません。 
「心中有数」(しんちゅうゆうすう)20180829
日本では「心中」といえば、「しんじゅう」と読んで、許されぬ仲の男女が死を選んでともに命を断つことをいいます。もっともたいせつな命を捧げ合う愛の表現です。相思相愛のふたりばかりでなく一家心中や無理心中もあります。捧げるものは命とかぎらずに髪(断髪)や指(切指)などの場合もあります。「心中(しんちゅう)」の証に「心中(しんじゅう)」するといった意味での用い方は中国にはないようです。 「心中有数」(馮徳英『迎春花「八章」』など)は、心の中ではその意味合いや原因を了解していて解消への糸口は得ているものの、それをことばにしたり表示したりできていない状態をいいます。『荘子「天道」』には、「心に応ずれど口言う能わず、有数はその間に存り」と説かれています。前出の「胸有成竹」(2013・9・11)や「知己知彼」や「百無一失」などが横合いにあって説明してくれます。「心中無数」もあって、こちらは博学すぎて心の中にあまりにさまざまありすぎて分別収拾がつかない状態をいいます。
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2018年7月の「四字熟語の愉しみ」は 「一蛇吞象」「水落石出」「宝刀不老」「哀感中年」 を書きました。
「一蛇吞象」 (いちじゃどんぞう)  20180704
人間が持つ際限のない貪欲の表現として、時代を越えて用いられてきたのがヘビがゾウを呑み込むという「一蛇吞象」(『楚辞「天問篇」』など)です。  伝承では、かつて困窮の極みにあった人物が一匹の蛇の命を救ったことで、蛇から恩に報いるのに何かと望みをかなえてもらうことになります。はじめは衣食でしたが次第に欲が大きくなって官職を求めさらには宰相にしてくれるよう求め、ついには皇帝にまでおよびます。それを聞いた蛇は、人間の貪心というものに際限がないことを知って、その人物(宰相)を呑み込んでしまいました。「蛇呑相」は「蛇呑象」になりましたが、元気な現代IT企業が赤字の百年企業を呑み込む姿はこれでも足りないほどです。 「巴蛇呑象」(『山海経「海内南経」』から)というのは、古代伝説中の大蛇「巴蛇」は長さ800尺もあって象を呑み込むことができ三年を経て骨を吐き出すのですが、その骨は腹内疾病に効くと伝えています。漢方薬の竜骨(化石)に紛れているかもしれません。
「水落石出」(すいらくせきしゅつ)20180711   
渇水期に水底の石が露出する情景が「水落石出」(欧陽修『酔翁亭記』など)で、もとは季節の山間に見られる自然景観として詠われてきました。近年では貯水ダムの水が引いて石どころかかつてあった村が現われる「水落」のようすが話題になったりします。 見えないものが次第に現れることから、後になって比喩として真相があきらかになること(『紅楼夢「七三」』など)にいわれるようになります。 FIFAワールドカップでいうと、地域予選を勝ち抜いた代表32チームが本大会に参加します。本大会ではグループリーグを経てベスト16が決勝トーナメントをおこないますが、そこで2勝したフランス・ベルギー・クロアチア・イングランドといった四強あたりが「誇らかな石出」といったところでしょうか。製品の品質への信頼を誇ってきた日本企業では、なぜか神戸を露出させています。神戸製鋼は品質データの改ざんで、品質を厳選したはずの神戸牛に但馬牛が紛れていたりと「憂いある水落石出」の現場になっています。 
「宝刀不老」(ほうとうふろう)20180718    
ことしのウインブルドンで錦織圭選手はジョコビッチ選手に敗れてベスト8どまり(7月12日)でした。その陰で元トップ選手招待試合「インビテーション・ダブルス」に登場したのが、2003年女子ダブルスで優勝した杉山愛選手と個人2位のキャリアをもつ中国の李娜選手。アジア・リジェンドが組んで欧米組にストレート勝(7月10日)。引退後も技に衰えのない二人に「宝刀不老」の評価の声が聴かれました。 典拠は蜀の老将黄忠が「ご老体なお出陣なさるか」といわれて「なにをいう、わが手中の宝刀は不老じゃ」と答えて出陣したことから(『三国演義「七〇回」』)。そこから老いてなお元気に活躍する人を老黄忠と呼ぶようになりました。ですから本来は伝統工芸士のような人が年をとっても技能に衰えのないことをいうのでしょうが、もっと幅ひろく、サッカーのヴィッセル神戸のイニエスタや将棋の羽生善治の活躍でもいわれるでしょう。人ばかりでなく手入れのいいキャデラックなどを前にしてもいわれます。
「哀感中年」(あいかんちゅうねん) 20180725 
人生を三つの時期としてみた場合に「中年」はおよそ四〇、五〇歳とか。とすると上年は二〇、三〇歳で下年は六〇、七〇歳ということになります。東晋の謝安は友人の王羲之に「中年ともなると親しかった友と別れて鬱々と日をすごすこともあるし哀楽が心を傷つけるものだ」(『世説新語「言語」』から)と語っています。清の丘逢甲は「哀感中年謝公に遇う」と同感を示しています。しかし七五歳まで生きた唐の白居易は三〇、四〇は五欲に動かされて迷うし、七〇、八〇になると百病にまとわれて苦しい。してみると五〇、六〇は「恬淡清浄にして心は安然」と中年に充足の時期をみています。  NHK放送文化研究所のアンケート(2015年)が40歳から56歳くらいまでとしているのは60歳以上のサンプル数が少ないからでしょう。高齢化時代のおにいさん・おねえさん(成長期)からおじさん・おばさん(成熟期)へそしておじいさん・おばあさん(円熟期)へ。中年はやはり哀楽を主旋律とする時期といえるのでしょう。
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2018年6月の「四字熟語の愉しみ」は 「知法犯法」「馬到成功」「破釜沈舟」「扇枕温席」 を書きました。
「知法犯法」(ちほうはんぽう)20180606  
「知法犯法」(法を知りて法を犯す。『儒林外史「四回」』など)というのは、文字づらからも明らかなように、法を理解していながら故意に法を犯してしまうこと。知らずに犯してしまうことに比べれば、罪一等を加えられてもしかたがありません。 ルールを守ってフェアプレーが前提とされるスポーツの世界では反則は許されないのですが、ハイレベルのサッカーの試合をみていると、巧みな「反則の犯しあい」が勝敗を左右する場面に出くわします。観客も「イエローカード」や「レッドカード」のプレーを了解しているのですから紳士的なスポーツといえるのかどうか。日大アメフト部の悪質タックル問題が大学のガバナンスの課題に拡大していることが根の深さを示しています。 神戸製鋼では品質にかかわる製品データを改ざんしていた「知法犯法」で経営トップが謝罪し家宅捜査が行われて、日本企業への信頼をゆるがす問題になっています。庶民もまたスピード違反や優先席無視やらで日ごろから「知法犯法」に慣らされているのです。
「馬到成功」(ばとうせいこう) 20180613
馬が駆け付けたらただちに勝利する「馬到成功」(鄭廷為『楚昭公「第一折」』など)は、時代を越えていまも力のある人が着手すれば必ずすみやかに成功するという意味合いで用いられています。中国の大学統一入学試験「高考」が6月7・8日に全国でおこなわれて975万人が受験しましたが、激励もエスカレート。河北省のある中学校の門前には受験生の父親が乗った8頭の馬が登場、「馬到成功」で地元の受験生を激励しました。 古来、武将が駿馬にまたがって出陣する姿は猛々しい。名馬は東西に多く記録されますが、有名なのは項羽の愛馬だった騅、三国時代に呂布と関羽が戦場を駆ったという赤兎馬、アレクサンダー王の遠征を支えたブケバロス、アルプス越えのナポレオンのマレンゴ、宇治川の先陣争いを演じた池月と磨墨、川中島で上杉謙信が騎乗した放生月毛など。馬といえば「日本ダービー」(一着賞金2億円)。ことしは5番人気の「ワグネリアン」(福永祐一騎乗)が優勝しました。騎手の福永家にとっては悲願の優勝だったようです。
「破釜沈舟」(はふちんしゅう) 20180620   
自分よりも力のある相手に対して必死の覚悟で戦いに臨むこと、そして勝利したときに「破釜沈舟」(『史記「項羽本紀」』から)がいわれます。楚軍を率いた項羽にちなむもので、渡河した舟を沈めて退路を断ち、飯を炊く釜をこわして兵には三日分の食料を与えて「無一還心」(行ったきり)の覚悟で章邯の秦軍に決戦を挑んで勝利したことから(鉅鹿の戦)。『孫子「九地篇」』では「焚舟破釜」といいます。  スポーツの試合でよく使われ、FIFAワールドカップで八強まで進んだことのある実力上位のコロンビアに勝利した日本チームについてもいわれます。中国の自動車業界では第一汽車集団がトヨタ・マツダ・アウディなどとの合資製品に対して自主製品の収益がのびない状況を打開するのに「破釜沈舟」がいわれます。日本の電子産業では、ソニー、シャープ、東芝などの世界戦略の遅れが指摘されるなか、パナソニックの体質改善でのV字回復がおもに社員みずからの「破釜沈舟」によることを見落としてはいけないでしょう。
「扇枕温席」 (せんちんおんせき)  20180627
炎熱の夏には枕辺を涼しくするために扇であおぎ、厳寒の冬には冷たい寝床を身をもって温めて、親に孝敬を尽くすことを「扇枕温席」(『東観漢記「黄香伝」』など)といいます。典故になった黄香は、早く母を亡くし父親を大事にして暮らします。後に魏郡の太守になった黄香は、水災にあった人々のために奉禄と家産を出して救済活動をしています。人々は「天下無双、江夏黄香」と彼を称賛しました。「二十四孝」のひとりとして知られ、また『三字経』のなかの「香九齢、能温席」も黄香を指します。 30年以上つづいた一人っ子政策の結果、中国では子どもが小皇帝の存在となり、「扇枕温被」は逆に親が子のためになすべきことに。この環境の中で育った子どもは自己中心になり、親不幸な事件を引き起こし、習近平政権による官僚腐敗の根を取り除く政策の困難が予想されます。誕生祝、毎週の電話、再婚の支持といった具体的行動を掲げた「新“24孝”行動標準」によって孝文化を伝承し創新しようとしていますが。
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2018年5月の「四字熟語の愉しみ」は 「閉門謝客」「急功近利」「有声有色」「口蜜腹剣」「忘乎所以 」 を書きました。
「閉門謝客」(へいもんしゃかく) 20180502
門を閉じて外界との交渉を断ち客を謝絶するのが「閉門謝客」(『野叟曝言「二三」』など)です。さて閉門してどうするのか。「閉門思過」とくればみずから過ちを恥じて反省するため。「閉門読書」とくれば静かに学問をすることに。さらに「閉門覓句(べきく)」とくれば苦吟して詩作することに。わが内田百間の「忙中謝客」はこのあたりを装ってのもの。そして「閉門酣歌」となれば酒肴を前に女性をはべらせ歌舞享楽を尽くすことに。「閉門」もみずから門を閉じてすごす悦楽は捨てがたいもの。しかし江戸時代の「閉門」は邸の門を閉じ出入りを禁じた刑罰(個人への刑が「蟄居」)でした。 「閉門造車」(朱子『中庸或問「巻三」』など)は、門を閉ざして車を造り、その車が規格に合致して門外で利用できる(出門合轍)こと。仏教徒が内奥の真理を究めて外に出て布教をおこなうような場合で、門外の規格に合わない車は使いものにならない。のちには「閉門造車」は客観性を欠く主観的な立場や意見を指すようになりました。
「急功近利」(きゅうこうきんり)20180509 
功を急いで利に近づくのが「急功近利」(董仲舒『春秋繁露「巻九」』など)です。眼前の功利に動かされると失敗してしまいます。これは人の世の常のことですから歴代に事例を欠きませんし、よく使われる四字熟語です。「急功小利」とも。反義語は「深謀遠慮」。 「助長」の元になった「抜苗助長」(『孟子「公孫丑章句」』から2014・2・19)は、古代宋国の農夫が苗を早く成長させようと毎日引き伸ばして枯らしてしまったこと。ですから「助長」はいい意味では使いません。宋代の王安石の筆下にいた方仲永は五歳で詩を能くしましたが、ある人が親子をもてなしおカネを出して題詩を求めました。それがきっかけで郷里の人を訪ねては詩をつくった結果、十二歳のころには才を失い普通の人に。  現代の中国でも子育てに「助長」がみられます。中国のTV漫画がアメリカや日本に追いつこうと急ぐあまり、「童心」を失っているとの指摘があります。また人工知能の進展は国家戦略として一歩一歩がよく、アメリカ企業の投資には「急功近利」がいわれます。
「有声有色」(ゆうせいゆうしょく)2018・05・16  
声色(こわいろ)に生彩があるとともに表現に精彩があることに「有声有色」(汪藻『浮溪集一八「翠微堂記」』など)がいわれます。舞台や講演や文章表現などが生動・風雅・強記博聞であることでも。白楽天の「長恨歌」では楊貴妃の悲恋に「有声有情」となりますし、乱世にもてあそばれる文姫の物語では「有声有泪」になります。 一般には「世界野生動植物日」(3月3日)に虎豹などの保護活動をするといった特別な活動もありますが、子どもの安全教育や夏休みの課外活動といった有意義で精彩のある活動などもいいます。演唱会の舞台を彩る美人歌手レディーガガ(女神卡卡)や「春暖花開」を歌う伊能静(台湾)なら「絵声絵色」となります。反義語は「無声無息」。 日本料理の素材の持ち味を生かして際立たせる調理法は「有声有色」です。いま寿司ネタでは金槍魚(マグロ)に三文魚(サーモン。江戸前では寄生虫がいて中るサケを避けていました)が双璧です。「無声有色(食)」といったところ。
「口蜜腹剣」(こうみつふくけん)2018・05・23
口先では甘く優しいことをいいながら腹の中では裏腹に相手を陥れる策を講じていることを「口蜜腹剣」(『資治通鑑・唐紀「唐玄宗天宝元年」』から)といいます。唐の玄宗のころの宰相であった李林甫は、宋代の司馬光によって編まれた『資治通鑑』で「口有蜜、腹有剣」と評されました。陰険な人物だというのです。こういう「心口如一」ではない表裏のある人物が政治の現場に現れる時代があるようです。 「心口不一」であっても「口剣腹蜜」であればまだしもですが。母が魯迅と知り合いであったという画家・詩人の木心先生(孫璞)が魯迅を評した「口剣腹蜜」に触発された女性検察官たちがことば厳しく心優しく子どもや弱者を守る活動には同感できますが。  台湾の蔡英文総統は、朝鮮半島での「文金合意」から「対等、尊重、政治的前提を設けず」といいだし、大陸側から「九二共識」(1992年の「一つの中国」合意)を退けた「対等対話」は両岸関係を緊張させる「口蜜腹剣」だという評をくだされています。
「忘乎所以 」(ぼうこしょい) 2018・05・30
過度に興奮したり驕り高ぶって有頂天になり平常のときとは異なったふるまいをすることを「忘乎所以」(古華『芙蓉鎮「三章」』など)といいます。「忘其所以」とも。 初恋のときや観劇中に涙したことや新車に初乗りしたときの自分を思ってみればわかります。ひととき冷静さを失っていてもいずれは言行も平常に。日本をよく知る観光客は、東京では喧噪を楽しみながらお目当ての買い物をし、季節の富士を眺め、神戸では静かに和牛料理で至福の時をすごすそうで、こんな「忘乎所以」ならうらやましい。 さて核開発やミサイル発射で国際社会を騒がせ国民を過剰に鼓舞してきた金正恩委員長ですが、「米朝会談」を前にいつもの調子で盾突いて、トランプ大統領に「会談中止」のカードをつきつけられて「忘乎所以」。6月12日シンガポールでの会談本番で、「核保有国にあらず」という有無をいわせぬ「非核化」要求に国民を納得させる成果をえられるか。30代の大人物は国際舞台で「忘乎所以」の正念場をむかえています。
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2018年4月の「四字熟語の愉しみ」は 「噤若寒蝉」「一衣帯水」「閉月羞花」「滄海横流」 を書きました。
「噤若寒蝉」 (きんじゃくかんぜん) 20180404
蝉噪といわれるほどに夏秋を謳歌したセミも秋が深まり寒冷のときを迎えると黙し通して死に備えます。権力者におびえて真正面から反論して正論を述べることをせず、寒蝉のように口をつぐんで自己保身にひたすらな官人を「噤若寒蝉」(『後漢書「杜密伝」』から)と呼びます。官界がそうなってしまったとき社会正義の風潮は衰えざるをえません。 後漢時代の清官であった杜密は、宦官の子弟の違法行為を有罪としたことで故郷の頴川に移されます。同罪で故郷に帰っていた高官の劉勝が「閉門謝客」して世事を聞かず問わずにいることを知った杜密は、鳴かなくなった寒蝉と同じで官人としては社会的罪人であると責めたことからこの成語がいわれます。身近にも実例の存在を感じますし、金正恩独裁政権下の北朝鮮では常態として想定されます。歴史上ではすべての官人が「噤若寒蝉」のなかでひとり李陵を擁護して宮荊を受けた司馬遷の例をあげておきましょう。 政治向きでなく唐突ですが、歌麿の春画のやりとりにも「噤若寒蝉」は必要でしょう。
「一衣帯水」 (いちいたいすい) 20180411
「日中平和友好条約締結40周年」のささやかな記念として『日中友好文温の絆 四字熟語』を本稿をもとにしてまとめたい。そこになくてはならない一語がこの「一衣帯水」(『南史「陳後主紀」』から)です。一条の帯ほどの水流というので京都の鴨川ほどの帯を思い浮かべる人も多いのですが、実はこの川は対岸が霞んで見えない「長江」なのです。かつて隋の文帝楊堅が、全土統一の兵を率いて長江北岸に達したとき、「あに一衣帯水を限りて之(陳の民)を拯(すく)わざるべけんや」と臣下にいい渡河します。 海を隔てた日本と中国との交流の場で双方でよく使われます。行き来に困難は想定されるけれども展望をもって対処しようという覚悟の表現なのです。「日中両国は、一衣帯水の間にある隣国であり、長い伝統的友好の歴史を有する」(日中共同声明)のです。「いちい・たいすい」と切ると雨にでも濡れて水気を帯びた衣装を着ていることになってしまいますから、「いち・いたいすい」あるいは「いちいたい・すい」と読むこと。
「閉月羞花」(へいげつしゅうか) 20180418
ことしも4月にテレビ各局に入社した美人アナが話題になっています。ミス日本やモデルや乃木坂46やAKB48や気象キャスターなどですでに人気の人も新人アナとして入社。局別女子アナカレンダー・人気ランキングまで用意されています。競争率1000倍とか。 さて古今の美人を表現するにはこの「閉月羞花」(王実甫『西廂記「第一本第四折」』など)と「沈魚落雁」(『水滸伝「三二回」』など)が知られます。絶世の美人をみて、月は雲に隠れてしまい、花は恥じいってしぼみ、魚は泳ぐのを止めて沈み、雁は飛ぶのを忘れて落ちてしまうというのです。中国の四大美人はご存じのように西施(春秋時代。芭蕉に「象潟や雨に西施がねぶの花」がある)、虞美人(秦末)、王昭君(前漢)、楊貴妃(唐)。貂蝉(後漢末)を加えて王昭君を除く場合もあるようです。腋臭だったとか、足が大きかったとか、片方の肩が釣り合わなかったとか、口さがない陰の声があるようです。みんな逃げてしまったのですから、評価は男性文筆家の美文によるしかないのでしょう。
「滄海横流」 (そうかいおうりゅう)  20180425
「滄海」は大海原、「横流」は水が四方に揺れ動きあふれること。「滄海横流」(『晋書「王尼伝」』など)は政情が混乱して社会が不安定に揺れ動くようすをいいます。「王尼伝」では滄海横流、処処不安と記して時局の悪化を例えています。明代に書かれた『三国演義』では滄海横流、方顕英雄本色と記して、混乱ののちに曹操、劉備、孫権等の英雄を輩出したように「滄海横流」のときこそ本物の英雄が現れるという意味で用いています。郭沫若も「紅江江」で同様の意味合いで詠っています。1945年の蒋介石・毛沢東による重慶談判はまさに滄海横流、英雄本色の場面だったといえるのでしょう。  反義語は「歌舞昇平」(宋・曾鞏『元豊類藁「六」』など)で、宋代に民心の穏やかな太平の世を現出したことを伝えています。わが国の大戦後に、歌舞が世情を沸かせる「歌舞昇平」が達成された1980年代の歌謡への関心が、「滄海横流」へ傾く政情と交錯しているようです。すでに長淵剛の「とんぼ」は“政界横流”の世を予感しています。
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2018年3月の「四字熟語の愉しみ」は 「小心翼翼」「天府之国」「五湖四海」「東山再起」 を書きました。
「小心翼翼」(しょうしんよくよく)20180307
四字熟語の多くは日中で同形同義で用いられていますが、身近なことばでは「小心翼翼」(『詩経「大雅・大明」』から)が異なっている例としてあげられるでしょう。「翼翼」は謹慎厳粛であること、秩序がよく整っていること。『詩経』では周王朝の創始者である文王(姫昌)の言動が厳粛敬恭であったことにいわれており、いまも中国では「小心」は心を込めて語り、慎んで行動することにいわれます。明治時代の福沢諭吉の『学問のすすめ「二編」』では「小心翼々謹みて(法を)守らざるべからず」と同義で記しています。 わが国では気が小さいこと、「小心もの」はけなす意味なので、中国で人気の「共亨単車」(シェア・サイクル)の導入に日本は「小心翼翼」といわれると評価の理解に悩むところです。毎年国慶節を前に天安門楼上の毛主席画像を“換新”する作業員が「小心翼翼」であること、中国卓球協会が世界一をつづけるために「小心翼翼」であることはよく分かります。「小心」(シャオ・シン、お気をつけて)といわれて戸惑うことのないように。
「天府之国」(てんぷしこく) 20180314 
パンダを飼育する四川省成都大熊猫(ジャイアントパンダ)繁育研究基地に植樹した2000株の桜も開花の季節を迎えます。成都と友好都市の甲府市が2002年の日中国交回復30周年の折りに贈呈したものです。天然の要害の地で肥沃で物産が豊かな地方を「天府之国」(『史記「留侯世家」』など)といい、中国全土に九か所ほどありました。そのうち黄河上流の関中(西安を中心とした渭水盆地)をいうようになり、時代がくだって南の長江上流の成都を中心とした四川省をいうようになりました。 成都はご存じのように三国時代に劉備が拠って蜀漢をたてて「天府之土」としたことが知られます。甲斐に拠って天下をうかがったのが武田信玄。信玄が軍旗に掲げたのが「風林火山」。その「動かざること山の如し」の甲斐の山々が冬の睡りから覚めて動くのが春。詩作でも越後の上杉謙信と競った信玄に「春山如笑」と題する漢詩があります。新時代への躍動を伝えた詩の結句は「一笑靄然として美人の如し」と穏やかな美女の容姿に託しています。
「五湖四海」(ごこしかい) 20180321 
日本ではふつうに使われているけれど中国では難しいとされる四字熟語20項を『人民網』が取り上げています。全国各地をいう「津津浦浦」は海に囲まれている日本でこその言い方で、中国では「五湖四海」(唐・呂岩「絶句」)といいます。五湖は一般的には洞庭湖、鄱陽湖、太湖、巢湖、洪沢湖で、四海は東海、南海、黄海、渤海を指します。『論語「顔渕」』には「四海之内、皆兄弟也」とあります。また「岡(傍)目八目」(当事者は迷、傍観者は清)や「一言居士」(仏教にちなむ)は中国では難しい事情がわかります。 「切磋琢磨」(『詩経「衞風・淇奥」』から)は衞の武公が生涯精進を怠らなかったことを骨・象(牙)・玉・石を加工する切磋琢磨に託したことから。いま青少年の教育や「工匠精神」が叫ばれている折りから日中で同程度の用いられ方と推察されます。「魑魅魍魎」「臥薪嘗胆」「乾坤一擲」「切歯扼腕」などはわが国ではパソコンでも一発で出ますからよく用いられるうち。カナのない中国では書けない成語として忌避されてきたのでしょう。

「東山再起」(とうざんさいき)20180328 
一度引退した人が再び元の地位に戻って活躍することを「東山再起」(『晋書「謝安伝」』から)といいます。東晋時代の著名文人で名族陽夏謝氏の出であった謝安は、若い頃は著作郎として国史の編纂に従った程度で束縛されるのを嫌い、職を辞して浙江省会稽の東山に隠居して琅邪王氏の王羲之らと清談にすごしました。40歳になって仕官して以後、淝水の戦いに成功するなど東晋の安定に寄与しました。そのことから「東山再起」は再起する、巻き返すといった意味で広く用いられています。 政治的に知られるのは鄧小平の「東山再起」で、文革で3度も失脚しましたが、改革開放に成功しました。いま企業の「東山再起」といえば韓国楽天(ロッテ)それに索尼(ソニー)でしょうか。スポーツならアメリカのメジャーリーグで故障やスランプから復活した選手に「東山再起球員奨」(カムバック賞)が与えられています。そして文化なら宮崎駿監督が引退声明以来になる『毛虫のボロ』を3月公開、「東山再起」がいわれます。
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2018年2月の「四字熟語の愉しみ」は 「不速之客」「望子成龍」「雪上加霜」「元宵灯謎」 を書きました。
「不速之客」(ふそくしきゃく)2018・02・07 
とくに招いてもいないのに突然にやってくる客、したがって歓迎できない客を「不速之客」(『易経「需卦」』など)といいます。『易経』では「不速之客三人来、敬之終吉」とあって、懇切にもてなすことで結果は吉といいますが、ふつうには貶す意味合いで用いられています。人ではダボス会議に押しかけたトランプ大統領、自然現象では黄塵、冬将軍、生き物ではお茶で知られる雲南省普洱(プーアル)市の民家に野生の大象が食を求めてやってくるなど。歓迎どころか跳んで逃げることになります。 中国科学院院長・中日友好協会名誉会長をつとめた郭沫若は、祖国を離れる船上で潸潸(さんさん)と涙を流して日本に亡命した自分は意外な「不速之客」であったにもかかわらず、真から懇切な歓迎をうけた(『海涛集「跨着東海二」』)と記しています。滞在中に『中国古代社会研究』などを執筆した市川市の旧宅を移築・復元した「郭沫若記念館」が残され、生地四川省の楽山市(大仏で有名)は市川市と友好都市になっています。
「望子成龍」(ぼうしせいりゅう) 2018・02・14
農暦の1月1日(初一)が「春節」です。ことしは2月16日。東アジア漢字文化圏では日本を除いてどこも国の休日として祝っています。この日、ご存じのように中国では除夕(除夜)には家族で餃子を食べながら夜8時からの中央電視台(CCTV)の「春晩」(春節聯歓晩会)をみて年越しのカウントダウンを迎えます。 両親はわが子がいい成績で学業を終えて社会に出て傑出した人物になれるよう切望して「望子成竜」(周而復『上海之早晨「四部」』など。女性は「望女成鳳」)をいい、将来は北京大学か清華大学かに入れるよう圧歳銭(お年玉)1万元?を紅包(圧歳包)に収めて渡すのですが、本人には重圧になるようです。おおかたは失望に終わるわけですから。 林則除にこんなエピソードが残っています。父親に付き添われて科挙「童子試」に臨んだおり、父親が照れてこの子は「騎父作馬」(父を馬にして乗る)といったとき、すかさずにわが父は「望子成竜」ですといってのけたそうです。「望子成名」ともいいます。 「雪上加霜」(せつじょうかそう) 2018・02・21  
いまは災難の上に災難が重なることの比喩として「雪上加霜」はよく用いられます。平昌冬季オリンピックで食中毒(ノロウイルス)が起きたり、ロシア選手にドーピング疑惑が生じたりで、「雪上加霜」といったところです。禅宗語録には「頭上著頭、雪上加霜」(釈道原『景徳伝灯録「一九巻」』から)とあって重複が多い意味でいわれています。 子どもの将来のためにさまざまな援助をして「雪中送炭」(2016・1・20)につとめる両親の暮らしぶりは「雪上加霜」にならざるをえません。 上海の季風書園の閉店についても「雪上加霜」がいわれました。上海図書館地下の租借の継続ができず、といって上海の他の高価格の場所での営業はむりということで閉店をきめたもの。1月31日、改革開放後の多様な立場をみとめてきた「自由」の場の消失を惜しむ読者が集まりました。図書館側が地下の設備補修を実施したため館内は停電、人びとは暗闇の中でろうそくを点し、本を読み、歌を歌って、自由に過ごしました。
「元宵灯謎」(げんしょうとうめい)20180228  
満月に灯を点して豊作を祈り、満月に灯をささげて豊作を感謝する夜の灯の節日といえば「元宵節」(農暦1月15日。ことしは3月2日)と「中秋節」(農暦8月15日。ことしは9月22日)です。月のない「春節」(2月16日)を迎えたあと、夜空に三日月がのこり、半月になり、凸月になり、そして最初の満月が星空に昇ってきます。 元宵節には台湾では「平溪天燈祭」の何万というランタン飛ばしが幻想的な夜を演出して人気に、日本では「長崎ランタンフェスティバル」が開かれています。唐代の「観灯」では玄宗の父叡宗のときの「元宵灯節」が豪華で、灯輪を建て燃灯五万盞を掛けたといいます。玄宗も上陽宮中に灯楼をつくらせて貴妃や百姓(当日は開門)とともに鑑賞しています。灯に謎を書いて当てっこをする「元宵灯謎」(『武林旧事灯品』など)は故事成語とちがって農民の節日習俗から生まれた四字熟語です。夜市で賑わう宋都では詩詞や謎のほか抗議や戒律やコミカルな文も掲げられて道ゆく人を楽しませました。 ***********
2018年1月の「四字熟語の愉しみ」は 「一諾千金」「狗尾続貂」「冰魂雪魄」「半路出家」「高人一等」 を書きました。
「一諾千金」(いちだくせんきん)2018・01・03  
新年前夜の12月31日、習近平国家主席は報道機関を通じて「2018年新年賀詞」を発表し、その中で2017年を「天道酬勤、日新月異」という8字で回顧しています。「天道酬勤」は精出して勤務に奮闘する者は必ず報われるということ。「日新月異」は日々あらたな事物が出現し月々変化していくようす。日本では「日進月歩」というところです。とくに「慧眼」(X線天文衛星)打ち上げ、「C919大型旅客機」テスト飛行成功、国産空母「山東」建造、深海観測「海翼」号完成など科学技術の創新が際立ちます。 重点課題の展望では、2020年までに「全民脱貧」という史上実現をみなかった目標の達成を「一諾千金」といいきりました。「一諾千金」(『史記「季布伝」』など)はひとたび約束したことは絶対に守るということ。「黄金百斤を得るは季布の一諾を得るに如かず」(黄金百斤より季布の一諾のほうが価値がある)からで「季布一諾」ともいいます。国民が安心して暮らせる「小康社会」達成には欠かすことのできない事業だからです。
「狗尾続貂」(くびぞくちょう) 2018・01・10 
晋代の皇帝ははじめ侍従官の帽子の装飾に貂の尾を用いましたが、乱封で貂の尾が不足したため、犬の尾で代用したことから「狗尾続貂」(孫光憲『北夢瑣言「第一八巻」』など)という成語を残しました。先のものをふさわしくないもので補うこと。100歳のお祝いの銀杯をメッキにしたのはその事例。これでは国民の信頼はえられません。 「桀犬吠尭」(『晋書「康帝紀」』など)は、暴虐非道の君主桀の飼い犬が仁政を尽くした聖君主尭に吠えかかること。犬は飼い主の善悪にかかわらず、ひたすら主人のために吠えかかることから。「鷹犬塞途(鷹犬途を塞ぐ)」(魯迅「偽自由書・文章と題目」など))も同じ。鷹と犬はともに狩猟のために飼い馴らされ、主人のために死力を尽くすことから。孫文は死の前年一九二四年に神戸で、日本はアジアの一国として「西方覇道の鷹犬となるのか、東方王道の干城(守り手)となるのか」の選択を誤らないようにとの願いを込めた講演を残しました。戌年のはじめに犬(狗)に因む四字熟語から。
「冰魂雪魄」(ひょうこんせつはく)2018・01・17
白色の狩猟犬グレイハウンド(格力犬)が、雪原を時速70kmで兎を追う姿や零下40度の凹凸のある冰雪路面をなめらかに走る4駆車には「冰魂雪魄」(陸游『剣南詩稿「北坡梅」』など)と呼ぶにふさわしい気魄があります。人物評としても高潔で品格のあるようすをいいますが、厳しすぎるせいか用例にこと欠きます。遠路たずねた師の程頤(伊川先生)が瞑座しているので尺余の雪がつもる門外で目覚めるのを待ったという「立雪程門」の学生や雪あかりで書を読んだ「孫康映雪」の孫康などはこのうちでしょう。 周りの植物が春まで冬眠中も氷雪にめげずに開花する梅を愛でて「冰魂雪魄」をいいますが、その梅に高潔の志を託して「雪中高士」(2013・2・13)と呼ぶことは紹介しました。「世界三大雪まつり」といえば「さっぽろ雪まつり」、「ケベック・ウインター・カーニバル」それに「ハルビン国際冰雪節」で、ハルビンでは彫刻展示だけでなく寒中遊泳、球技、撮影会、結婚式などなど、市民の「冰魂雪魄」なしには運営できないでしょう。
「半路出家」(はんろしゅっけ) 2018・01・24 
仏教国ではない中国で、実際に仏教にひかれて出家するというニュアンスはなく、人生の途中でこれまで従ってきたしごとや立場を離れて新たなしごとや立場につくことを「半路出家」(『西遊記「四九回」』など)といいます。シャカが29歳で王族としての安逸な暮らしを離れて世俗界に身を投じたことに、みずから選んで悔いのない人生を送ろうとした覚悟の姿を見るのです。魯迅が医から文に、班固が文から武に転じたように。 自問しつつ新たな事業や活動に従事すること、いま中国はそういう時期にあることからよく用いられることばです。成功すれば「半路出家」による立志伝の人に。昨今では創業者や投資家が話題になります。ひと足早い日本では、たとえば建築家の安藤忠雄氏のように若い日に世界放浪の旅に出て、インドのガンジス河畔で生と死が混然一体となった世界に衝撃を受けて「生きること」を自問したことで、ファッションの三宅一生氏のように成功を固定化しないで深化・進化しつづける人などが注目されています。
「高人一等」(こうじんいっとう)2018・01・31
人より一段すぐれていることを「高人一等」(魯迅『阿Q正伝「三章」』など)といいます。この意味合いですでに『礼記「檀弓上」』に「加人一等」として表れますから、古今を通じて良し悪しで用いられてきたのでしょう。北京在住のバスケットボール選手の孫明明さんは身長が2・37mあって、これは文字通りコートでは「高人一等」です。 有名なものに郭沫若が怪異小説『聊斎志異』を書き残した蒲松齢の故居のためにしたためた「写鬼写妖高人一等 刺貪刺虐入骨三分」があります。貪虐は貪婪・暴虐な旧封建統治時代の貪官汚吏のこと。「入骨三分」は深く骨髄まで筆鋒が達しているということ。 昨年暮れに安倍首相が韓国野党・自由韓国党の洪準杓代表の表敬訪問を受けたとき、陪席していた河野外相と同じ一段低いイスに座らせたと韓国メディアが騒いだのも、逆の立場からの「高人一等」の事例ということになります。人ではなくモノの例なら、トヨタ製ランドクルーザーの堅牢さやソニー製TVの明るさなら「高人一等」です。価格もですが。

「アジア民衆の共生」と「平和な長寿社会」のために

下のそれぞれにアクセスをお願いします。

◎「人生を豊かにする四字熟語」
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◎「らうんじ・茶王樹・南九十九里から」
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「友好都市ものがたり」
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◎国連高齢者五原則
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「四字熟語の愉しみ」 円水社+ 連載 2013年11月

左右逢源」 (さゆうほうげん) 2013・11・6

同じ最終目標さえしっかりしていれば、意見や手法の違いから生じる左右の対立があっても、どんな激論をかわしても、ともに最終目標に達する成果が得られるというのが「左右逢源」(『孟子「離婁章句」』など)の考え方です。川の左岸をいっても右岸をいっても、いずれ同じ水源へ到達できるというのです。

安倍総理は、靖国神社の秋季例大祭に参拝せず、神前に「真榊」の奉納ですませました。「国のために戦い、命を落とした英霊に尊崇の念を示す」としながら、一方で「外交問題化している中で行く行かないをいうのは控える」という立場です。中韓両国はA級戦犯を合祀する靖国神社への閣僚参拝は、「歴史から学ばない」ルール違反として中止を求めています。この安倍総理の参拝態度について、中国側からは「左右逢源」がいわれます。同じ源に向かわないことは明解で、いずれ国内では保守派の信任を失い、隣国関係の修復にも利さないことになるという結果をみています。

可歌可泣」(かかかきゅう)2013・11・13

人の泣き方にもいろいろあって、「号」や「哭」は大声をあげるのに対して、「泣」は喜びも悲しみもともに極まって涙を流すことにいうようです。泣を歌によって開放するのが、「可歌可泣」(歌うべし泣くべし。趙執信『談龍録「二四」』など)です。だれもがそういう場面に出会うことが多いので、いまでもよく使われます。

美空ひばりは「悲しい酒」を歌うとき、きまって涙を流しました。涙のむこうに戦後の哀切な時代を思いおこして、共に涙した人も多かったのでしょう。「喜びにつけ悲しみにつけ、人は歌い泣く。そして手足を知らず鼓舞するものだ」と欧陽修はいいます。和歌や唐詩の多くは詠われたものですし、「人生白露」の憂愁を刹那に開放してみせる曹操の「対酒当歌」(酒に対せよ、歌に当たれ。短歌行)は圧巻です。

「可歌可泣」の極みは、他の命を救った殉身的行為や戦場での悲壮な事跡は愛唱歌や軍歌として伝えられ、国民や時代を動かしたそれは「国歌」のなかに込められています。

半部論語」 (はんぶろんご) 2013・11・20

北宋草創期の宰相趙普は、『論語』しか読まない人物といわれ、政治リーダーとして学問の狭さを云々されていました。そのことを太宗趙匡義に聞かれたとき、「その半を以って太祖(趙匡胤)を輔けて天下を定め(定天下)、いまその半を以って陛下を輔けて太平を致さん(致天下)」と答えました(羅大経『鶴林玉露巻七』)。その後、「半部論語治天下」として広く用いられています。

近代日本でこの読み方をしたのが渋沢栄一でした。実業に就くことを嘆く友人に、「半部の論語」(『論語と算盤』)の読み方で、「半部で身を修め、半部で実業界の弊風を正す」と説明しています。いま中国でも経済人(高級管理職)の渋沢型の論語読みが盛んになっています。経済人の倫理性が問われているからで、わが国も銀行の暴力団貸付、有名ホテルの食品偽称など、経済人の倫理性の低落が目立ちます。創業時に立ち返って、「半部論語」を座右にするときのようです。

美意延年」(びいえんねん) 2013・11・27

情意がのびやかであれば、みずからの人生を楽しみ、みんなの歓びも合わせることができ、寿命を延ばすことができるというのが「美意延年」(『荀子「致仕」』など)です。芸術の秋に、どこかで「美意延年」にふさわしい作品と出会えたでしょうか。四季折り折りの美しい風物との出会いも長寿の源に違いありません。

作家が短命で画家が長寿といわれるのも納得がいきます。小倉遊亀105歳、片岡球子103歳、奥村土牛101歳・・90歳まで生きた『広辞苑』産みの親新村出の追悼文集が「美意延年」として出ていますが、学者は長命のようです。

この成語は書道家に人気で、いろいろな人が書いていますし、落款でも見かけます。美酒もまたというので、江戸以来の白酒で知られる豊島屋の大吟醸酒に「美意延年」があります。のびやかな音楽もまた美意の源泉、ことしは中国合唱百年ということで「美意延年―記念中国合唱百年」(杭州市)も開かれました。

四字熟語「蛙鳴蝉噪」「胸有成竹」「急流勇退」「平分秋色」

「円水社+ 四字熟語の愉しみ 連載中

平分秋色」(へいぶんしゅうしょく) 2013・09・25

昼夜がちょうど二分される秋分のころの穏やかな景観が「平分秋色」(李朴「中秋」など)です。「平分」は収穫した成果を平等に分け合って得ることに通じます。丹精した農作物をみんなで収穫する秋であり、のちには農業だけではなく、商業上の利益や声望などを分け合って、一半を得ることにもいうようになりました。

先人の残したさまざまな遺産を収蔵する博物館同士が、お互いの優れた収蔵品を出し合って展覧会を催すのも「平分秋色」。またサッカー戦などで激しく勝利を争いながら引き分けた熱闘を讃えあっての「平分秋色」。ちかごろは宴を盛り上げる白酒と葡萄酒の消費量が「平分秋色」になりつつあるといいます。

なにより平和の下での半世紀余。わが国は先行して得た技術や人材や資金を投入して、アジア途上諸国の人びとの暮らしの近代化に貢献しています。アジア各地でその成果が共有されている姿は、わが国が誇っていい「平分秋色」の景観です。

急流勇退」(きゅうりゅうゆうたい) 2013・9・18

しごとが順調で成果が現れており、将来がなお期待されている時に果断に勇退して自己の節義を保つことが「急流勇退」(『蘇東坡集「贈善相程傑」』など)です。

サッカーのベッカムや野球の松井秀樹などスポーツ選手の引き際もそれに近いですが、宮﨑駿(はやお)監督の進退の判断は「急流勇退」というにふさわしいでしょう。ベネチア国際映画祭に『風立ちぬ』(風起了)が出品中であったことで、「動画界のクロサワ」「日本のディズニー」の引退は一気に世界中に知られました。作品は金獅子賞を逃がしましたが商談は上々のようです。

公式引退の辞で、しごとの目安を「あと10年」、「ぼくは自由です」といいます。しごとをやるやらないの自由。昭和16(1941)年、戦争のさなかの生まれ、72歳での「急流からの勇退」は「生涯現役宣言」でもあるのです。宋の蘇軾も「急流勇退はあに人なからん」と、なかなかできないことだと述べています。

胸有成竹」(きょうゆうせいちく) 2013・09・11

暮らしの中に竹かんむりの字が多いことからも、竹はさまざまな用途をもった植物として利用されてきたことがわかります。まず筆がそうですし、竿、箒、箸、箱、籠、笛、笠・・節や筋や算もそうです。また竹はそのたたずまいを愛されて、詩画としても数多くの名品が残されています。

竹の画に秀でた人といえば北宋時代の文与可でしょう。四川に住んで、春秋、朝夕、晴雨といった自然の変化の中で、竹を仔細に観察しつくして描きました。同時代の文学者晁補之は「胸中に成竹あり」(『鶏肋集・八』から)と称賛しています。

ことをなす前に胸中にしっかりした結果が見えている(成算がある)例として用いられます。TPPへの日本の加入について、『人民網』は「賭博かそれとも胸有成竹?」の見出しを付けました。賭博はないでしょうが、といって政府に国民を納得させる「成竹」が胸中に描けているのかどうかはあやういところです。

蛙鳴蝉噪」(あめいせんそう) 2013・9・04

蛙が鳴いて蝉が噪ぐというのは、親しい夏の風物です。とくに蝉の声は、一声一声、短い生を知って生きることの謳歌、小さい命の大合唱です。ニイニイ、ヒグラシ(カナカナ)、ミンミンゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシ・・それぞれに鳴き声に特徴があり、現われる順もあるので、曲調は少しずつ移ろっていきます。

芭蕉の有名な句「閑さや岩にしみいる蝉の声」は旧暦5月末の山形・立石寺の作なので、ニイニイゼミと調査結果が出ているようです。荘子の「蟪蛄(けいこ・夏ゼミ)は春秋を知らず」は、凝縮された生へのいとおしさを掬いとっています。蘇軾の「蛙鳴青草の泊、蝉噪垂楊の浦」も人の賑わいの中に混じる生きものの声を聞いています。

蝉の声が途絶えて虫の音が引き継ぐ季節の転回。「蛙鳴蝉噪」(儲欣『唐宋八大家文評「韓愈・平淮西碑』など)が、比喩として低俗な文章や内容のない議論をいうのはなぜでしょう。炎熱の夏を終えて、成熟の秋に期待するということでしょうか。

 

四字熟語-「一言九鼎」「山中宰相」「賢妻良母」「雨過天青」 

201308月別入稿原稿

「一言九鼎」(いちごんきゅうてい)
トップリーダーである人の発言が軽すぎはしないか。仔細に配慮して心に響くことばによって国民に安心を与え鼓舞するのが務めであり、その逆に国の内外で混乱を増幅するような発言をするようでは資格を問われることになります。
「一言九鼎」(範浚『香渓集・一八』など)というのは、将相たるものの一言は国家を象徴する宝器である「九鼎」の重みにも当たるという意味です。それだけの影響力を持つことばを常に心底にとどめて発言しなければならないのです。
「鼎」は三足をもつ器で、宗廟への供えものを盛ることから礼器となり、禹王が九州(全土のこと)から集めた青銅によって鋳造したと伝える「九鼎」は、古代王朝の王権の証とされました。いまでも「鼎の軽重を問う」(問鼎軽重)というと、大きなしごとをこなす実力の有無を問う場面で使われています。将相には「一言九鼎」の表現力が求められ、それに値する人物でなければ任に堪えないのです。

「山中宰相」(さんちゅうさいしょう)
都から離れて山中に「隠居」して出仕しない賢人をいいます。とくに王朝の衰退期には、優れた人物は政権の中枢には近寄らないで身を処したことから。それでも朝廷から丁重に諮詢されれば、きちんと対応をしました。それを都の人びとは敬愛をこめて「山中宰相」(『南史「陶弘景伝」』など)と呼びました。
南朝梁(都は建康いまの南京)の陶弘景の場合は、みずから華陽隠居と号して山中の館に篭もり、皇帝(粱の武帝)から礼をつくして招聘を受けても茅山の館からは出ませんでした。30歳代に致仕して以後、門弟たちに囲まれて医薬、道学などを講じ、琴棋書画を愉しみ、80歳余まで「山中宰相」でありつづけました。
「戦後日本」の形成に参画し、成果を後人にゆだねて退き、歴史・文化・伝統などに精通しながら「山中宰相」と呼びうるような暮らしをしている優れた先人から学ばずに、現代の政界人自身に何ができるというのでしょうか。

「賢妻良母」(けんさいりょうぼ)
日本では「良妻賢母」です。8・15「終戦記念日」に心から黙とうをささげる老いた女性の姿。戦場で兄や夫を失って以後、女性が「銃後」を支えてきたのです。中国では「賢妻良母」(馮玉祥『我的生活』など)といいます。この語順の違いに両国の女性観や女性の果たしてきた役割の違いがこめられている四字熟語なのです。
日本の場合は、明治維新のあと西洋から帰った啓蒙家が女子教育の指針としました。「富国強兵」で働く男子を支えて内助に努めて「良妻」となり、子女を薫育して「賢母」となる。初代の文部大臣森有礼は「良妻賢母教育こそ国是」といっています。
中国の場合は、日本に留学した康有為や梁啓超が「賢母良妻」教育として移入したのですが定着しませんでした。男女がともに働き、ともに子育てをし、平等の社会的役割を果たした革命中国では、自立意識を持つ「賢妻」であり優しい「良母」となることが志向されました。両国とも「賢良な妻と母」を必要としたことは確かです。

「雨過天青」(うかてんせい)
雨が去って雲が切れて、見る間に広がってゆく晴れやかな青空。世情を暗く覆い尽くしていた弊風を打ち破って、天命を革めて新たな時代を実現しようとして立った英傑のひとりが、五代後周の創成者、世宗柴栄でした。
その後「雨過天青」は、厳しい状況が大きく好転することの例えとされ、暗澹とした気分を吹きはらったあとの爽快な心情を伝えることばとなっています。「デフレーション(萎縮)」状態を脱して好況を呼びさまそうという「アベノミクス」がすべての国民にとってそうなるかは、国民の共感次第です。「雨過天晴」ともいいます。
柴栄は商家の出で、茶を商ったこともあったといいます。みずからの柴窯での磁器焼造にあたって、苦しい境涯の好転を願う思いをこめて、明朗な「雨過天青」(謝肇淛『文海披沙記』から)の釉色の器を求めたのでした。その願いは次の宋代に引きつがれ、官窯が焼造した「宋の青磁」は時代を画する逸品となりました。

 

四字熟語-堂堂正正

四字熟語ー堂堂正正
どうどうせいせい

盛大で整っているようすに「堂堂正正」はよく使われる。時代の力強い雰囲気を伝えるのにふさわしいからだろう。「四字熟語」のなかには典故や経緯の違いから語順の異なるものがあるのにお気づきだろう。

左が中国で右が日本。

山珍海味・山海珍味
雲消霧散・雲散霧消
灯紅酒緑・紅灯緑酒
賢妻良母・良妻賢母
粉身砕骨・粉骨砕身

「山珍海味」はいかにも中国ふう。「雲消霧散」や「灯紅酒緑」は実感や語感が優先する。「賢妻良母」は前に挙げたが経緯として収まりがいい。「粉身砕骨」は同じ用法がないではないが、一般的な使い方として挙げておこう。次のものは二字ずつが入れ替わっている。

異曲同工・同工異曲
不屈不撓・不撓不屈
堂堂正正・正々堂々
奪胎換骨・換骨奪胎
不省人事・人事不省

「異曲同工」「不屈不撓」「堂堂正正」はこちらに尽きるといっていい。「不省人事」は両用だが一般的な辞書はこちらを採用している。

『封神演義「九四回」』など

四字熟語-史不絶書

史不絶書
しふぜつしょ

つねに同類の事象が起こって歴史書の上で記載が絶えたことのないことを「史不絶書」という。中国人民が世紀の夢を遂行する新たな時代には、さまざまな「史不絶書」が次ぎ次ぎに出現することになる。

ご存じのように中国の正史は断代史であり、王朝は一家族の権力史でもあった。「上帝の天命」を受けた優れた人物が新たな時代を切り開き、傍らに「将相名賢」が現われて支えてきた。

習近平体制が固まったばかりの中華人民共和国だが、習氏は下放運動に参加した世代の代表ゆえに学問的ブランクをもつ。世界に立ち向かうにはそこを埋める次の世代が必要とされ、「史無前例」の優れた後継者たちが現われて支えることになる。現代の錯綜した状況を読み解いて「順天応人」の新たな歴史をつくる。毛主席は「上帝」は人民大衆だといったが、将来にはそういう能力をもつ「将相名賢」が人民によって選ばれて登場することもまた「史不絶書」として想定され期待されている。

『春秋左氏伝襄公二九年』

四字熟語-樹大招風 

樹大招風
じゅだいしょうふう

樹が大きくなれば風を招くというのは、実見する風景である。能力が目立ったり、事業が順調に成長したりすると、目標にされたり嫉妬されたりして風あたりも強くなる。そういう時節には気を引き締めなければならない。

途上大国の中国は「樹大招風」期にあるというのが、中国外交の認識であり、国際世論が「中国脅威論」という風にならないよう警戒と配慮がなされている。

一方で軍事的には「中国脅威論」は自衛戦力として容認される。艦船発射型対空ミサイル(海紅旗9A)や大陸間弾道ミサイル(東風41)の展開や「北斗」衛星の稼働などは「樹大招風」の実態として、アメリカの世界戦略に対抗するからだ。それで人民の安寧が確保されるのかどうか。

そのはざまで「日米安保」でアメリカの軍事戦略に加担する安倍外交で、わが国民の安心は担保されるのか。樹下に憩える国づくりは容易ではない。が、大地に根づいた人同士の交流と信頼には揺るぎがない。

『西遊記「三三回」』など

四字熟語-臨池学書

臨池学書
りんちがくしょ

日中国交正常化四〇周年記念特別展「書聖王羲之」展をみた。東京国立博物館平成館に一六三作品が展示されていたが、四世紀の東晋時代の王羲之原跡はないから、のちに精巧に臨摸された複製によって神髄をうかがうことになる。

今回も三〇〇年後に唐の太宗がみずからの昭陵に副葬させた有名な「蘭亭序」(行書)は、歴代の逸品のうち、わが国の博物館・美術館・個人が秘蔵する作品が合わせ展示されて、両国が共有する「書の文化」の奥深さを伝えていた。

王羲之が草書の目標として慕ったのが後漢時代の張芝。張芝は池に臨んで書の力を養い、池水が墨で真っ黒になったという。羲之もそれにならって盛名をえたことから「臨池学書」がいわれ、その古跡は「墨池」と呼ばれた。いま紹興市の「蘭亭」には「曲水の宴」の跡は残るが、池は「鵝池」だけ。しかし羲之が刻苦して書を学ぶ姿を後人が慕って、「臨池」というと書論や書学など書に関する学問を指すようになっている。

『後漢書「張芝伝」』から

四字熟語-天衣無縫

天衣無縫
てんいむほう

書店の雑誌コーナーで、「女性ファッション」誌のあまりの多さに驚くとともに違和を感じてこの成語を思い出した。天女や仙女が着けている「天衣」には縫い目がないことを「天衣無縫」という。たしかに飛天や仙女像をみると、衣装に縫い目(人為のあと)を見ない。内に秘められた美の表出には人為(ファッション)を排したのびやかで自然な衣がふさわしい。

そこから言行が自然で障りのないようす、詩文や書画が技巧の跡を感じさせずに造形されていること、事物のありように破綻がないことなどに、日中でひろく用いられている。

年初の北京でズービン・メータ指揮のイスラエル・フィル新年音楽会があり、演奏に合わせて書家の李斌権が「龍蛇走る(筆勢の洒脱で非凡なこと)」草書で毛沢東と李白の詩を揮毫した。この芸術合作を「完美無欠、天衣無縫」と伝えていたのをなるほどと思ったが、前記の違和感は、女性雑誌群から内なる美の表出を感じなかったからであろう。

牛嶠『霊怪録「郭翰」』など

 

四字熟語-千里鵝毛

千里鵝毛
せんりがもう

はるか一千里のかなたにいる知人へ、鵝毛のように軽く価値のないものを送ること。それでも友誼の心は伝えられるというのが「千里鵝毛」。送り手の心とともに受け手の感性も問われることばである。

いわれは唐の太宗のころ、長安へ向かうチベットからの遣使が、旅の途中で貢献のためにつれてきた珍禽の白天鵝に水を飲ませ羽毛を洗おうとした際に逃がしてしまった。残されたのは鵝毛のみ。遣使は接見の際にこれを献じ、詩を添えて事情を訴えた。太宗は罪とせず忠誠心をたたえてねぎらったという。

いまや鵝毛ならぬ電子メール(電子郵件)を送れる時代。送ったらすぐにREがついて返事がもどってくる。それでも年賀(賀年有奨)のハガキやカードにていねいに記された手書きのあいさつには、「千里鵝毛」の心が息づいているのが感じられてうれしい。それでもお互いに会うことはかなわない。やはり「千里迢々」(遥かなこと)であることに変わりはない。

欧陽修「梅聖兪寄銀杏」など

 

四字熟語-陽春白雪 

陽春白雪

ようしゅんはくせつ

外は雪のストックホルム。市庁舎内のノーベル賞晩さん会会場には、山中伸弥教授の隣に文学賞の莫言氏。日中の名士が並んだ。一二月一〇日のこと。

その前日、恒例のストックホルム大学でのスピーチで、中国文学の現状を問われた莫言氏は、「陽春白雪と下里巴人」といって会場の笑声と掌声を誘った。通訳には意味が分からず、自ら「高級な白酒を好む人もいれば普通の白酒を好む人もいる。それぞれ味わいがあるように文化の受容は多様化している」と補足した。

春の明るい陽光と白雪。この美しい四字熟語は、高尚な楚の音曲の名に与えられている。一方の卑俗な音曲は「下里巴人」(巴蜀のひなびた里人)。対比には文学者らしく気をつかって格差ではなく多様性といった。「下里巴人」は数千人が和して歌えるのに「陽春白雪」は数十人。自分の作品がどちらにも受け入れられている現状へのとまどいもみられる。双方を理解できる「雅俗共賞」の人は実はもっと少ないからである。

楚辞「宋玉対楚王問」