現代シニア用語事典ー「国際高齢者年」(一九九九年)

 「国際高齢者年」(一九九九年)のあと
みんなの関心を呼ぶイベントは一〇年不在 
唯一、「高齢社会対策」として国民に存在感を示したのは、一九九九年の「国際高齢者年」(International Year of Older Persons 1999)に、総務庁高齢社会対策室(小渕内閣)が中心になって関係省庁連絡会議を設けて、官民協働で全国展開をした関連事業のみといえます。
これはご記憶にある方も多いでしょう。ないとしたら「参加意識」が欠如していた証です。そして残念ですが、事業の趣旨が一般の高齢者にまで届かなかった証です。
国連が二一世紀に迎える国際的高齢社会を予測し、九〇年代の初めから各国に対処を訴えた活動でした。長寿で得た期間を生き生き過ごす「高齢者のための国連原則」としての、
「自立、参加、ケア、自己実現、尊厳」
という五原則や一〇月一日を「国際高齢者の日」とするといったメッセージが広報され、「すべての世代のための社会をめざして」がテーマでした。
当時、高齢者に関係する団体がこぞって参加し、地方公共団体が参加した広報・事業関係の実施件数は一〇八四件に及び、東京の二一一件をはじめ、北海道、埼玉、長野、大阪などでは五〇件をこえました。四月に知事に就任した石原慎太郎都知事も、一〇月一日の「国際高齢者年記念式典」で、
「この国を持ち直し、周囲からも尊敬される日本の社会をつくり直していくよう、お互いに頑張りましょう」
と訴えています。
この年に始まった「みんなの体操」や「エイジレス・ライフ実践者表彰」は継続していますが、一般の高齢者が参加する目立った活動がなく、一九八八年に始まった「ねんりんピック」のほかはニュースにはならなくなったのでした。
国民の高い支持を受けて登場した小泉純一郎首相が「所信表明演説」(二〇〇一年五月)でいったことばが、世紀初めの「高齢者意識」のありようを伝えています。
「給付は厚く、負担は軽くというわけにいきません」
といって、負担増だけを取り上げたのでした。その後も国民を代表する政治リーダーは一貫して高齢者を「社会の扶養者」として扱い、小泉発言の後追いをしてきたのです。
そのことに「高齢社会対策」担当の官僚が気づいていなかったわけはないでしょう。が、国民や政治の側からの要請が出なければ動くこともできず、三年ほどの担当期間を過ごして、厚労省などの部局にもどるだけのことでした。
この一〇年の間、自治体関係者や民間の人びとによるボランティア(無報酬)の献身的な活動はつづいてきましたが、増えつづけた高齢者の多くは、定年後を「余生」とする旧態依然の通念にしたがって日々を過ごしてきたといえます。
ウオーキングをし、釣りをし、ゴルフをし、パチンコをし、孫をみ、展覧会にいき、小旅行をし、仲間と安酒で会して誰彼の病状を憂え、テレビのニュースだけを拾い見し、貯蓄の目減りを心配して、「平成萎縮」のなかで自分も萎縮して暮らしてきたのではないでしょうか。
新たな「社会の高齢化」(aging)という状況に対する新たな対応、高齢者を「社会の扶養者」とみる「二世代+α型」社会であるとともに、高齢者を自立した対象とする「三世代同等型」社会への穏やかで緩やかな変容への対応、「AからB」ではなく「AとともにB」という多重型の対応を怠ってきた証なのです。そしてそれは、だれもが理解できる構想として掲げる役割を担う政治の側が負うべき「一〇年の失政」としてあったし、今もあるのです。
(まったなし「日本長寿社会」への展開 2012・3・11) 

現代シニア用語事典ーアクティブ・シニア(支える高齢者)

三〇〇〇万人に達した高齢者
アクティブ・シニア(支える高齢者)が登場 

わが国の「高齢者」(六五歳以上)は、昨年九月「敬老の日」恒例の発表によると二九八〇万人となり、今年は三〇〇〇万人に達します。これは単にボリュームが大台に乗るというだけではなく、日本社会に質的な変容をもたらすという意味で注目されているのです。
すでに話題になってご存じのとおり、今年から「団塊の世代」のみなさんが「高齢者」の側に加わります。両親から「平和のうちに生きて」という願いを託された毎年二〇〇万人余の戦後ッ子です。先の大戦での敗戦の後、昭和二二(一九四七)~昭和二四(一九四九)年に生まれた人びと。
昭和二二年生まれというと、ビートたけし、星野仙一、蒲島郁夫、鳩山由紀夫、千昌夫、荒俣宏、小田和正、北方謙三、西田敏行、池田理代子さんなどで、知識も技術も芸域も充実して、各界を代表する現役の人びとです。
平和ではあったものの平坦ではなかった六五年、戦後昭和の復興期から成長・繁栄期そして平成の萎縮期にいたるすべての局面を体験してきてなお元気で暮らしているみなさん。
「ごくろうさま」と声をかけたいところですが、むしろ気力を萎えさせずに、それぞれに蓄積してきた知識・技術・経験・資産を合わせ活かして、新たな存在である「支える高齢者」として過ごしてほしいと願うところでもあるのです。
現実に、長命の両親(母親のみかも)を介護して支え、子どもの住宅ローンを支え、孫の物品の面倒をみるという家庭内でもそうですし、すでに現れはじめていますが、「シニア・ビジネス」の展開によって、高齢者対象の本物指向のモノとサービスが内需を支えることになるからです。
そして何よりも、意識して「支えられる高齢者」ではなく「支える高齢者」でありつづけること。アクティブ・シニアとして、自分なりのライフスタイルを案出して、熟成期の「時めきの人生」を送ること。孤立せずに、水玉模様のようにいくつものコミュニティに参加して多彩に暮らすこと。そんな意識と暮らしの変化が、「長寿社会」のありようを左右すると推測されているのです。
総不況と大災害による「平成萎縮」のあと、「支える高齢者」層がリードする「平成再生」という局面が登場することになります。これがもたらす社会の質的な変容は、想像ではなくすでに構想の域にあります。
「長寿社会」の形成は、すべての世代(all ages)の人びとの参加によりますが、焦点を絞れば高齢者(older persons)が新たな形質を案出しながら達成する「すべての世代のための高齢社会」が中心になります。
高齢先進国の日本で、三〇〇〇万人の体現者がどういう新たな社会を創出するかは、「三・一一大震災」後の復興とともに国際的にも注目されるところです。
(まったなし「日本長寿社会」への展開 2012・3・11)

現代シニア用語事典Ⅱ #3家庭用品の「アジア共栄」

Ⅱ #3家庭用品の「アジア共栄
*・*日本製「高年化優良品」に活路*・*
「家庭用品の途上国化」
「途上諸国の日本化」
家庭用品の「途上国化」と「国産化」も顕著にみられる多重標準である。「家庭用品の途上国化」が日に日に進んできたのは、「えッ、これもか」というほどに、暮らしの中の「MADE IN KOREA」や「MADE IN CHINA」や「MADE IN THAILAND」といったアジアの国々からの日用品の増加によって実感されてきた。「百均」(一〇〇円均一ショップ)が成り立つほどに製品が多種多様になって、それも「安かろう、悪かろう」というローコストの時期をすぎて、品質が安定してきている。アジア諸国の人びとの暮らしに大きな変化をもたらしているが、といってわが国の高年者の暮らしが便利で快適になったわけではない。「日本の製品を使って日本人のように暮らしたい」というアジア諸国の人びとの希望が叶いつつある。その間、わが国の高年者は、実質的には足踏みしていることになる。
「日本の途上国化」と「途上諸国の日本化」がしばらくつづき、「アジアの共生」がすすむ。それとともに国産の「やや高い」けれど品質が安定しており、「安心」もいっしょに買うことができた日用品が手に入らなくなって、不便になったところもある。いまや日用品の中に「MADE IN JAPAN」を見つけると、ほっとするほどだ。
暮らしの中の「モノの途上国化」は、衣料品や食料品からはじまって、「ついにこれまで」と驚く精密機器にも及んでいる。一〇年ほどの間にここまで一気に進んだのは、「グローバル化」によって急激な業績悪化に見舞われた日本企業が、サバイバル(生き残り)をかけて選択した荒療法が、社内リストラと生産拠点の途上国シフトだったことによる。それが目前の利益を確保しようとする応急の処方として有効に見えたからである。「グローバル化」という時流は、わが国の家庭を「日用品の途上国化」という形で直撃した。
だからといって優れた生活感性を持つわが国の高年者層が、このままこれ以上に途上国製品に埋もれてしまうことなどありえない。高級品を指向する必要はないが、優れた生活感性をもつ高年者大衆にとっての「わたしのもの」となりうる優良品への要請が、遠からず「高年化用品の国産化」を求める声として、「雨過天青」といった明快さでこの国を覆うだろう。
「欧米追随の一国先進化」
「アジア主導の途上国化」
前項でみたように「グローバル化」の対応に日本企業がサバイバル(生き残り)をかけて選択した荒療法が、社内リストラと生産拠点の途上国シフトだった。両方ができる企業はそれを急ぎ、できない企業は社内リストラだけをしながら萎縮(デフレーション)に耐えてきた。二〇世紀にアジア地域でただひとつ「欧米追随の一国先進化」をなしとげたわが国の企業は、とくにアジアの途上国にノウハウを移して途上国の需要者にも受け入れられる日本ブランド品にシフトした。その結果として、国内の経済活動が萎縮し、途上国製の日本ブランド品が増えつづけ、それとともに日本の企業が正社員でもたなくなり、アルバイトや派遣社員で支えるという「アジア主導の途上国化」対応が進んだのは、現れて当然のグローバル化症候群ともいうべき変化であった。
この間に経験したように、電球や電池は安くなった。でもすぐ切れるようになった。メーカーを見ると日本を代表する企業である。「日本企業はこんな製品をつくっているのか」という評判が立たざるをえない。これはアジア共存のための「日本の途上国化」であり、「余儀なき評判」である。かつて成長の途次にたどった地点(「ふり出し」までとはいわないが)にもどっておこなうアジア共存のための「共同歩調」としての対応であり、日本のなすべき責務なのである。踊り場で足踏みして待たされることになった日本の高年熟練技術者に直接の責任はないし、被害をこうむった上に、「家庭用品の途上国化」のために技術や意欲まで失うことではない。
「安価な輸入食品」
「やや高安心の国産食品」
急激なグローバル化が一般家庭の暮らしの場にもたらしたものは、総不況で稼ぎ手の収入が不安定になり、実質的に減ったところを、家族みんなが安い途上国製品で補いあって収支を合わせ、「家庭内国際化」(途上国化)を時代の趨勢として受け入れてきたことといってよい。
ひところは東京でも明治屋や紀ノ国屋やデパートでしか入手できなかった海外の山海珍味が、いまや各地の大型スーパーの食品売り場で見慣れたものとなった。食品には産出地が記されているから、世界中から運ばれてきているのが分かる。それを逆にたどれば、現地の人びとの暮らしを便利にしている日本商品がたどり着いた水際の広大さが知られる。
その対価として運ばれてきた「安価な輸入食品」は、「飽食の時代」といわれるまでに食卓を豊かにした。その中にあって、日本各地からの食材は苦戦を強いられたが、モモ(山梨)もリンゴ(青森・長野)もサクランボ(山形)も産地の努力がうかがえるほどに質の差が歴然とし、価格がほどほどに収まっていれば、「やや高の国産食品」は品が良く安心な季節ものとして受け入れられている。
一次産品でもそうなのだから、他の商品ならなおさらそうだろう。高年消費者は、「消費意識の途上国化」に歯止めをかけている。暮らしの中の「モノの途上国化」には納得しても、国内の身近なところで生産活動から活気が失われ、優れた技術を持ち良質な製品をつくってきた企業の倒産が続出し、国内の技術が失われる現実をみているからだ。購買者として、底なしの「生活水準の途上国化」は何としても押し止めねばと思っている。
「待ち受け状況」(閉塞状況)
「家庭内高年化用品」
長い「待ち受け状況」(閉塞状況)に耐えて、景気の回復を待ってふんばってきたのは、生活の成熟を願う高年者と、下請け孫請けとして「日本製品」の良質さ、多彩さ、繊細さを支えてきた中小企業である。中小企業の親父さんはその両方にかかわって焦慮に近い暮らしを続けてきた。親会社が応急の「生き残り」を理由にこれまで共有して蓄積してきたはずの製品化ノウハウを勝手に海外に移転し、自国の下請け会社には設備投資で発生した経理残高の処理を押しつける。そんな理不尽な「生き残り」策がつづくならば、中小企業の現場から再生への意欲を失わせ、息の根を止めることになりかねない。消費者として、だれもが自分たちの生活を支えてくれてきた中小企業の生産者と技術の将来を危惧しているのである。
「自力で製品を開発することで対抗しよう」として、東京・大田区や隣接する川崎市の高度な技術を持つ「町工場」が、インターネットのウエブ・サイトで製品の広告をし、独自に共同受注を始めたことなどは、広く消費者からも応援の拍手がわく生産者側の「攻めのリストラ」への転機を示している。評判の高いIMABARIのタオルは、生き残りをかけて「世界一」に挑戦した地元技術者の結晶であるが、この地域産出のスグレモノこそが本稿でいう「高年化製品」であり、高年者ユーザーが期待して待っている国産の生活用品なのである。
家庭用品の途上国化に歯止めをかけ、成熟する「日本高年化社会」を支える「モノの高年化」を担うのは、高度成長期をともにしてきた中小企業の高年技術者と高年消費者のほかにいない。「家庭用品の途上国化と国産化」という多重標準による暮らしを安定させる。そういう国産の優れた家庭用品製品の生産活動に契機を与えるのは、五〇〇○万人の高年者の消費動向である。ひと味ちがう暮らしをめざす高年者が、「家庭内高年化用品」(丈夫で長持ちする一生ものの優良品)を要求すること。優れた生活感性を持つわが国の高年者層が、途上国製品に埋もれてしまうことなく、生活感性を生かすための「わたしのもの」を要請する。
「使いやすく、品質が良く、長持ちする」という日本の中小企業が自負してきた製品である。企業内の熟年技術者は、自社製品の基本に立ち返り、「高年化優良品」の開発・生産に取り組む。「日本高年化社会」へ自主参画する意思を固め、得意な技術を生かして高年世代の暮らしを豊かにする製品を着想し、成員全員が底力を発揮して事業化をすすめる。各地で熟練技術者が奮起した姿とその成果としての優れた「高年化用品」に出合えることになる。
*・*優れたモニターとしての日本高年者*・*
「中年輸入品ユーザー」
「高年輸出品モニター」 
日進月歩にある途上国産の家庭用品は、安価で便利な日用品として、おもに若年・中年世代が「家庭内の国際化」の筋で担う。とくに「中年輸入品ユーザー」として「アジア途上国製品」を支援する。その一方で、安心して生涯を通じて愛用できる日用品は、おもに高年世代が家庭内の高年化のために「国産品モニター」としての役を担う。ひと味違う質の良さを表現する「国産品」のユーザーという分担である。品格と品質とで優れる「高年化国産品」によって家庭内に高年化ステージを実現する。パパのものはさすがにパパのものだ。この家庭内用品をめぐる多重標準が、国内外の経済活動を支えることになる。
少し遅れて差をつめてきたアジア友好国の家庭が、いずれ近い将来には求めるであろう日本製の「優良高年化用品」を、一足先にモニターしておく必要がある。「高年輸出品モニター」として、アジアの途上諸国ではまだまだ手薄な「高年化商品」の開発をモニターをしながら進めること。日本高年者の生活意欲と中小企業が留保している技術力による新製品の展開が、アジア的な視野でみて優位な時期にある。激走してきて一休み(ペースダウン)している日本経済が、アジア各国との友好関係のなかで次の先進的位置を確保するための未来戦略である。
「高年化製品経済圏」
高年者が肌で感じられるほどの「モノの地域化・国産化」が安定した存在感を示すとき、「日本高年化社会」を下支えする「高年化経済活動」の安定した姿が見えてくる。
再度確認しておくが、優れた生活感性を持つわが国の高年者層が、このまま途上国製品に埋もれてしまうなど決してありえない。「高年化社会」を支える良質なモノの創出に乗り出す供給者ともなり、利用する需要者ともなる「昭和丈人層」が活動を活発化する。家庭用品のアジア・エリア内での先進性を確保するレベルを意識して、「高年化コア(核)用品」(一生ものの優良品)を生産者に要請する。各地各種の中小企業は、自社の高年技術者を中心にして成員全員の力を結集して「高年化優良品」を開発することに挑む。引退した社友も参画して、みんなで愛着をもって使える国産品を支えていく。
現有の経済圏にさらに「高年化製品経済圏」を上乗せする「子ガメの上に親ガメ」といった趣きの経済活動が展開されることになる。地域の持ち場で可能な「高年化製品」の開発に成功した業種がふえることで地域の高年者の生活を多彩にし豊かにし、それによって内需を安定させ、将来は海外の高年者が求める良質で丈夫で長持ちする日本製の「高年化用品」を準備し、「加工貿易立国」としての信頼を引き継ぐ。
「人生の夢日本の夢」
「高年者優遇リストラ」
さらにこれがもっとも重要なことだが、世界中の高年者が一生に一度は訪れてみたい、「人生の夢日本の夢」を満たすような高年者優先の街並みや施設を、高年化先進国として全国各地に創出することができるかどうか。
推進役はいうまでもなく全国津々浦々の「丈人層」のみなさんである。みずからが暮らしやすい「社会の高年化」を構想し先行して築く。こういう「構造改革」が可能なのは、優れた能力と気力と倫理性をもつ「昭和丈人」のみなさんが広範に健在でいる時代だからである。日本高年者の持つこういう「世紀の役割」を感知できず、能力を発揮する環境を整えることなく渋滞させてしまったのは、だれか。高年者が「尊厳を保ちながら自立して参加し、自己実現を果たす場」の形成を怠ったのは、だれか。
日本企業の苦境脱出のために再逆転の思考「高年者優遇リストラ」(企業経営の若年者優遇から高年者優遇へ)が求められている。
グローバル化(アメリカ化・途上国化)に対応するため若手・女性・中年の主導によってなされた「逆転」の契機は、今度は「高年化」に対応する再逆転として、先人が残してくれたわが社の「高年化優良品」を契機として、高年社員主導ですすめられる。
企業にとっての多重標準は、製品の「若年化」「女性化」と「高年化」であり、「国際化」と「国産化」である。高年消費者にやさしい自社製品を通じて、「社是」にあるような社会的存在としての自負と自信を取り戻し、成員全員が力を尽くして内外の風圧に耐えうる「新・企業樹形」を形づくる。その過程そのものが「終身雇用」や「年功序列」という伝統の愛社意識による新たな表現であり、「日本型マネジメント」の真髄である。愛社意識を醸成しながら「再逆転」に立ち向かうには、なによりも「和の絆」によって培われた新製品の開発でのわが社の来歴に学ぶことだ。これで負けたらしかたがない日本企業の「伝家の宝刀」なのである。
*・*造る者と使う者の出会い*・*
「造る者と使う者の出会い」
中小企業の高年技術者の努力で、優れた「高年化国産品」が考案され、製造され、発売されたとしよう。それを必要としている高年者ユーザーもいる。だが、その手元に「高年化製品」情報として届かなければ、さらには購買意欲を動かすことができなければ、「高年化商品」として消費には結びつかないし、「高年化用品」として家庭に入らない。
逆にまたユーザーとしての要望があっても、商品の所在がわからず、メーカーの現場に届かず、製品化の検討がなされなければ、「高年化国産品」が生まれるチャンスを失う。一方的に造る側によって使う側が支配されるスーパーやコンビニ商品では人生を楽しむ「家庭内の高年化」などできない。「造る者と使う者の出会い」による優良品の製造と流通。その実現はたやすくはないが、できないことではない。
まずはネットのウエブ・サイトの充実。しかし何といっても、造る側と使う側の高年者が直接に「モノ」に触れながらタテ・ヨコ・ナナメに情報を交換しあえる場としては、「商品展示場(会)」がその場を提供するであろう。二〇二〇年を待つまでもなく、それほど遠くない時期での開催が想定されるのは、年ごとの「高年化用品展示会」である。
「高年化社会」を支える丈人層のみなさんの年ごとの「モノと場の成果」を表現する場となり、高年者がワンサと会場へおしかけて、みずから利用するための専用日用品を求め、さらに次回のために斬新な企画や要望や議論がユーザー側とメーカー側の間で活発に展開される。いうまでもなく、ここでの高年者は、「人生の第三期」を物心ともに豊かに愉快に過ごそうという「丈人力の旺盛な高年者」のみなさんである。
「国際福祉機器展」
「高年化用品展示会」
すでに一〇月一日を「福祉用具の日」として、三〇回を越えて「老人と障害者の自立のための国際福祉機器展 HCR」(社会福祉協議会・保健福祉広報協会)が、着実な歩みを続けているのは心づよいことだ。ここでは健丈な高年者層が対象だから、内容も時期も先行の同展などを下支えする立場、たとえていえば二重丸の外丸といった性格の展示会になる。
「豊かなあすを拓く高年化優良品展」をテーマにかかげて、新製品を選りすぐって、「高年化用品展示会」といった形での開催が予見される。おおいに想像をたくましくしてほしい。
この展示会は、「日本高年化社会」を体現して暮らす人びとの要望に応えるさまざまな新製品を展示するとともに、各ブースには参加者が新製品のための企画アイデアを持ち込んで製品化につなげる談論コーナーも設けられるだろう。高年世代が年々、共感をもって参加できる場となるとともに、将来の「高年化社会」の形質を先取りして表現していくことになる。
フェアの内容や規模や開催時期は、実務の人びとが、すでに開催しているものとの間合いを計りながら、収支予測などもふくめて綿密に進めていくことになるだろう。
ステージに立つ顔ぶれも見えてくる。高年者を購買層とする新商品を成功させた企業、住宅関連の企業、観光、カルチャー関連、ファッション、広告、健康・スポーツ、高齢者雇用といった業界・分野。さらに先進的な高年者活動を展開している自治体や商工会、高年者の活動組織。そしてマスコミ・関連官庁などがメンバーに連なるだろう。
将来の「高年化用品展示会」のシンボル的な存在となることを意識し意図して、柔軟な構想力と豊かな表現力をもつ各界代表と消費者代表が構成する「(仮)高年化用新製品懇談会」が公開討議を重ねて「高年者用品フェア」構想を練りあげる。クリエイティブで愉快な「シニア文化圏」のひとつとなる。
これが最良でありすべてといえるわけもないが、二〇二〇年を見透かして、みなさんの要望を想定し、実現が可能と思われる
囲で、いくつかのブースを設定してみよう。もちろん単独ブースでの開催でもいいのだが、ここは大振りに一六ブースを揃えてみた。「高年化社会」を支えるモノと場のありようを集約する展示ブースである。
*・*「(仮)日本高年化用品展示会」の開催*・*
「(仮)日本高年化用品展示会」
本稿の各所で二〇二〇年への実現目標として提案している「高年化社会」への構想を、下支えする「モノと場」のありようを、展示ブースの形で集約したものが「(仮)日本高年化用品展示会=NIPPON  SINIA―SPECIAL―GOODS FAIR=NSSGフェア」である。
それにしても「高年化社会」として避けて通れない課題とはいえ、その体現者として期待する高年者層の姿が不確かな時期に、いささか大振りな構想に踏み込みすぎたかもしれない。二〇二〇年への近未来構想なのだから、大きいことはいいことだ。小振りにするならいつでもいくらでもできる。そこでここはとびきり大振りに一六ブースを揃えてみた。
 
1 「高年期五歳層の日」(五〇~五四歳の日や六〇~六四歳の日や七〇~七四歳の日など)
同世代講演会、同世代コンサート、五歳層別スポーツ競技、五歳層別の健丈度
2 「高年化新用品」発表会
ひとつ上のレベルのリニューアル用品、「超人生」用品、高年期起業、能力再開発
3 「三世代同等同居型住宅」と「四季型(通風)住宅」展示
自然との共生、ファミリー・サイクルと住宅、関連設備、建築相談
4 「シニア・チェア」と高年化対応の室内用品の制作・展示即売
「チェア」製作コンテスト、室内用「高年化対応「コア(核)用品」、専用家具
5  「高年化地域特産品」と「三世代四季型商店街」フエア
「高年化地域特産品」の即売、地方の「三世代四季型商店街」フェア
6 生涯学習・高年期活動報告
まちづくり報告、高年期活動報告、「地域シニア会議」 カルチャーセンター
7 「四季」の暮らし
春・夏・秋・冬展、ボンサイ、生花、四季の花鉢、「四季花軸」・四季カレンダー
8 高年者街着ファッションショー
地域の四季ファッション、和装街着ファッション、高年者向け衣装、小物、化粧品
9 高年者用装身具・日用品小物の展示・即売
帽子、杖・ステッキ、メガネ、カバン、時計、シューズ、筆記具
10 なつかしの名器・名機・古書・骨董の展示・即売
カメラ、古時計、SP機器、レコード、オルゴール、模型、陶磁器、古書
11 観光・観賞旅行案内
熟年ツアー、世界遺産の旅、「還暦富士登山」、「古希泰山登頂」ツアー
12 「シニア文化圏」のつどい
講演、演奏や工芸家の実演、句会、「高年大学校」「シニア大学院」
13 高年者向けメディア
高年者向け情報誌、高年者向け放送番組、保存版図書、シニア・ネットの会
14 「健康と食品」の実演・販売
旬料理と食材、薬膳料理・茶の実演、包丁・道具類、健康食品、予防医学機器
15 高年者用キャリッジ
高年者用仕様車、電動付車両
16 高年者の健康スポーツ
健康スポーツ、碁・将棋・麻雀
各ブースの参加コーナーでは、高年化用品の新企画、高年化用品の人気投票、健丈度診断などなど・・。
「(仮)国際高年化用品展示会」
「(仮)地方高年化用品展示会」
さて、人気投票によるベスト・スリー「高年者三種の神器」はどんなものだろう。
「高年期五歳層の日」は華やかで知的に、同世代であることをたたえ合う場に。「チェア製作コンテスト」は、世界から優れた技術者を招いて。「和風街着ファッションショー」は、各地の衣装製作者と高年者の晴れ舞台に。
以上の三つのイベントをフェア盛り上げの核にして、一年間の成果を示す展示会とする。仲間の一年間の成果をたたえあう場面がみられるだろう。演出は優れた高年演出家にゆだねよう。
メーカーとユーザー双方の交流の場として、高年者の暮らしの「モノと場」の現在を示すことになる。右のような「(仮)日本高年化用品展示会」の開催を成功させることができればさらには海外のシニア世代に呼びかけて「(仮)国際高年化用品展示会(WSSG・フェア)」を日本の大都市を開催地として行う。年に一度の日本訪問を、世界中のシニア世代の人びとが「人生の夢」としてやってくるような。そして何より本稿が期待しているのは、県都レベルでの「(仮)地方高年化用品展示会(LSSGフェア)」の展開である。地域特性をたくみに取り込んで演出した「高年化地域特産品」の展示会は、全国各地の「モノと場の高年化」の熱意と豊かさの表現となるからである。

現代シニア用語事典Ⅱ #2長寿ぐらしは孫との同居

 Ⅱ #2長寿ぐらしは孫との同居
*・*マイホームに「マイ」がない*・*
「国家・企業・マイホーム」
「財政赤字と家計黒字」
長寿である戦前生まれのすべての人が「国家中心の時代」から「企業中心の時代」へ、さらに「マイホーム中心の時代」へと三つの時代を体験してきた。そうしてたどってきた暮らしのすべてに体験をもつ人びとが、いまも一貫して「マイホーム中心」の立場に理解を示しつづけていることを見落としてはならないだろう。国民意識の振り子がひとたび「一億玉砕」という「国家中心」の果てまで振れた末に敗戦国となった。そのあとは、企業の成長と成果がそのまま国の復興の基となり、企業の安定がそのまま家庭の安定につながると考えることができた人びとは、進んで「企業戦士」となったのだった。戦士という生き方がステージを変えてつづいた。だから企業戦士にとって「マイホーム」は休息の場であり、家族の幸せのよりどころとなった。
国家も企業もわが家もどれも等しく重要なのであるから、三つが同時に等しく扱われることがあってほしいのだが実際にはむずかしい。個人の立場を重視する「民主主義」のもとで、半世紀に超一四〇〇兆円の個人資産をため込んだ一方で、超一〇〇〇兆円の財政赤字を抱えてしまった国家。それを軽視して振り子がさらに「マイホーム中心」の果てまで振れつづけたときにどうなるか。国家はおろか企業も立ちいかなくなって、わが家だけが平穏でありうるものか。そこでまた記憶をたどって「国家中心」の方向へと振り子はもどろうとするのか。穏やかに推移するとは思えない。
「マイホーム主義」
「核家族」
いまはなお「マイホーム中心の時代」。
マイホーム、耳にすると心安まる、なんともいえず響きのいいことばである。これほどまでに生活感を内包しえたカタカナ語を、他に探すのはむずかしい。いま高齢者となっている人びとがそれぞれの人生をかけて、二○世紀後半の五○年の間にその内容をつくった日本語なのである。だから細部の意味合いは個人によって異なる。個人として大切に保っているひよわなもの、よき(良き、好き、善き)ものを守る砦として、「マイホーム」は先行の「わが家」や「家庭」などとともに、それに負けない温もりを日本語として持つに至っている。そのぶん「ホームレス」ということばがわびしさを伝えてくる。
戦後っ子だったパパとママは「マイホーム主義」とからかわれながらも、狭いマイホームに身を寄せ合って暮らし、必死に働いて、ふたりの子どもを育ててきたのだった。夫婦と子どもふたりの家庭が都市型住民の典型となり、「核家族」と呼ばれ、「標準家庭」ともなったのだった。その後、職場まではいっそう遠くなっても、マイホーム・パパは、子どもたちそれぞれに一部屋をと考えて、団地からさらに郊外のプレハブ一戸建てに引越した。そういう体験をもつ人びとは少なくないだろう。
人生のはるか遠い地点までを見透かして、可能なかぎりの費用を工面してマイホームを獲得し、いまそのころ見据えていた地点の近くに高齢者として立っている。マイホームの当主としての存在感を確認するために、じっくりとわが家の中を見直してほしい。家族の希望をかなえることを優先して、そのぶんみずからの希望を抑えてきた結果、不相応な応接セットや家具といった家族共用品はあってもみずから求めた専用品というのは少なくて、「モノと場」に表わされた当主の存在感が意外に希薄なのに気づくであろう。
「ヒカラビてる人」
「ヨボヨボ・ジジババ」
ここでは実際に両親と子ふたりの核家族Fさんのマイホームを覗いてみよう。娘と息子がパラサイト・シングル(寄生独身者)をきめこんで、親元から出て行かない家庭。イエローカード一枚といった子どもを持つ「団塊シニア」であるFさんに登場を願うとしよう。
Fさんの上の娘は短大を出てフリーター暮らし。かせぎはほとんど衣装と海外旅行に消えている気配。下の息子はごく普通の大学をごく普通に卒業して、親のひいき目でもしっかりしてきたように見えるのだが、就職試験を受けて勤めはじめた有名輸送会社だったのに、短期でやめて家にいる。大学を出たのだからと本人の自主性にまかせているが、というより言っても聞かないから気儘にさせているが、同じ経緯をもつ友だちとパソコンやケイタイで情報のやりとりをして過ごしている。時折り出かけて「職さがし」はしているものの、「ニート化」(NEET。働くつもりのない若年無業者)への気配もある。
娘や息子の話を聞くともなく聞いていると、両親と同じ高年者を、「ヒカラビてる人」とか「ヨボヨボ・ジジババ」といっていることがある。時には父親を「アノヒト」、面とむかって母親を「キミ、元気かね」と呼ぶなど、軽くあしらわれていると感じることがたびたびある。
「この家はわたしが名義人なのだ」などというのも愚かしい。壁面に娘が貼った「のりか」(藤原紀香)のポスターほどには、底値までさがった土地の築二〇年という家の壁に存在感があるわけはない。
「わが家のブランド品」
わが家の中を見直して見る。本だなの本が動いていない。耐久性のあるものは、どれも十年以上まえに購入したものばかり。一方、暮らしの表面を流れていく日用品は、百均やスーパーものが多くなった。なかに妻や娘のルイ・ヴィトン(バッグ)やプラダ(バッグ)やディオール(服装品)やシャネル(化粧品)などといったFさんにもわかるブランド品も少しあって、そのアンバランスさに父親であり夫である自分への無言の不満が隠されているように思える。Fさんのブランド品といえるものは、後にも先にもオメガ(OMEGA 終わりの意)の腕時計だけ。専用品の希薄さは、みずからのために生きることへの自負の欠落でさえある。
「マイホーム」のために努めてきたはずなのに、と思うのはFさんのほうの都合であって、最も優遇されている仲間を比較の基準とするジュニア側は、そうは思っていない。「ツカエナイ親!」として、おおかたは現状に不満なのである。
「家庭内ホームレス」
両親には不満との葛藤を行動のエネルギーにしている子どもたちの体内に蓄積された「荒廃菌免疫」のありようを、つまりわが子の潜在的ワル度をFさんはつかめていない。当主として当然のこととしてきた家族への配慮が、「人生の第三期」にはいった自分を支える磁場の不在となってしまっていることには気づいている。
マイホームに「マイ」がない。では「新宿ホームレス」とどこが違うというのか。たとえ不在であっても、当主の存在感を同居人にきちっと示しているような家庭内の拠点が必要なのだ。そのための専用スペースの確保。といって、夫婦と子ども二人で最低居住水準をぎりぎりクリアしている3LDKの住まいだから、当主として一部屋をなんて余裕はない。子どもたちが親ばなれせずにいるから、それぞれ一部屋、それに夫婦の一部屋である。部屋の確保を謀って追い出し(子どもの自立)を試みても、獲得に失敗した末に孤立してしまうようでは、拠点どころか「家庭内ホームレス」になってしまう。となると共用スペースであるリビング・ルームの一画となる。要は、たとえ不在であっても当主の存在感をきちっと示せるようなコア(核)をつくることにある。
*・*「マイ・チェア」の即座の効用*・*
「当主不在の在」
「家庭内リストラ」
「家庭内の高年化」なのだから、されるのではなく、するものである。たとえ不在であっても、当主の存在感を示せるような「当主不在の在」としての「わたしのもの」の存在。いまリビング・ルームを見渡しても、何もかもがそうであるようでそうでない。おおかたは家族共用品なのである。
「家庭内リストラ(高年化)」はこれまでそういう意図がなかったのだから、際立って「わたしのもの」といえるものなどないのが当たり前。亭主関白といわれながらも、意識して自分のものを置いているという人なら、もうここから先は読む必要のない「先駆的現代丈人」である。
おおかたのマイホーム・パパは、常人であることを率直に認めて、わが高年期人生を輝かせる「丈人モデル」型の能力を、傍らにあって支えてくれる「高年化用品」を意識して配置することにしよう。蓄えてきた知識や積んできた経験をさらに深化・発展させることに資する「わたしのもの」を、いつでも利用できる状態に置いておく。身近にあって「わたしのもの」といった役割を担えればいいのだから、高価なブランド品である必要はない。日ごろから愛用しており、「わたしのもの」という存在感があればいい。これと決めた「高年化用品」を基点にして「家庭内リストラ」をすすめ、高年期の住環境を整えようというのである。まずはひと昔前まではNO・1の愛用品だった机と文具類。いまやパソコンとEメールの時代だから、久しく脇役に耐えていることだろうが、馴染んだ机は「高年者意識の据え置き場所」として確保して活かしたい。
「高年化コア(核)用品」
デジタル化で実用性を失ったがシャッター音と手触りの愉悦には変わりがないカメラ、部品の揃わないオーディオといった愛用機器。楽器。それにあちらこちらに散在していたのを全員集合!をかけてあつめた一二〇冊ほどの愛読書。碁・将棋盤やゴルフ・釣り具セット。優れた手仕事に感じ入っていた碗・皿・硯といった日用骨董品。明かり、時計、置物などのアンチーク(西洋古美術品)。日ごろ忘れがちな優美なものへの快さを呼びさましてくれる彫刻や絵画。造形や色彩が精細なものへむかう感覚を刺激してくれる貝や蝶。さらには地球儀、船・飛行機・汽車・車のミニチュア。素朴な木製アフロ・グッズ・・まだある。
どれも当主としてはお気に入りの「高年化コア(核)用品」の候補だが、多くはいらない。五~七点を自分で納得して選び、置き場所を決めればいいことだ。これと決めた愛用品を際立たせることで、家庭内に高年期のステージが立ち上がる。静かな「家庭内リストラ」が動き出す。そのうちに同居人が「パパのもの」としてその存在に気づくだろう。
意想外に地球儀なんかがおもしろそうだ。東アジアの隅にある島国ではなく、太平洋リング(大洋弧)の一角にありながら、経済や文化の上で大きな貢献をして輝いている「優れた小国」であることを、宇宙飛行士の視点で納得することができる。「小日本(シャオ・リーベン)」は、「粗野な大国」よりはるかにあってほしい慕わしいわが祖国の姿ではないか。
手にいれるのは困難な貴重種だそうだが、蝶の皇帝といわれる一頭の「テングアゲハ」なんかなら、華麗に舞う姿を思うだけで気分は晴れる。胡蝶に同化してひらひらと舞ったという壮年の荘子の「胡蝶の夢」は、味わって損はない。旨し「天の美禄」(酒)をとくとくと注ぐ「しりふくら」(徳利)でもいい。親ゆずりの高価な骨董品などがあれば、さりげなく実用にして活かす。高年期の願望を仮想空間に委ねる「わたしのもの」だから候補はいくらでもある。なければこれといったモノを探すこととなる。
「シニア・スペシャル(SS)シート」
「マイ・チェア」 
「団塊シニア」のひとり、Fさんには親ゆずりの骨董品など何もない。リビング・ルームを見直した末に、小さな庭と室内の双方が見渡せる窓際に、特別席「シニア・スペシャル(SS)シート」(高年者用特別シート)を据えることにした。会社でも窓際だし家でも窓際でと、居心地を合わせることにして。そして文字盤が気にいっている置き時計をサイドボードの隅に、旅先で入手したパピルスに画いた「狩猟図」と漢画像石の拓片「舞踏する熊」図を壁面の左右に飾ることにした。
Fさんの「SSシート」は、高年化時代を表現する「コア(核)用品」として、含みのあるいい選択のようである。重量感より意匠センスより何よりも座り心地を優先する。いうなればわが家の「玉座」「師子座」「座禅座」である。かつてインドでシャカムニが宝樹の下に座して思惟したように、わが人生の来し方と行く末を半跏思惟する座を自選するのだから、「マイ・チェア」として大切に扱うことにしよう。すでに愛用のイスをお持ちのみなさんは「マイ・チェア」と呼んでください。「マイ・チェア」に座して高年期人生の今日から明日へを静かに思惟する「半跏思惟」丈人となる。
「人間は誰しも『私の椅子』と呼べるような椅子を持つ必要があり、そうなって初めて自宅で本当に落ち着いた気分を味わえるのではないか」というのは、マイホームを建てたときから気にしていた建築家の提言で、まことにその通りと思っても、ローンをいっぱいに組み込んだFさんには、そこまでの「自己実現」の余裕はなかったし、家族思いの当主としてはそこまで自己主張をしなかった。いまその実現の時なのだ。老い先長い高年期を通じて、愛着をこめて使い込むことによって座り心地を熟成させてゆく「マイ・チェア」。即座の効用としては、家庭内に存在をアピールする磁場となる「高年化コア(核)用品」として、格別の思いを込めてそれなりの費用を投じて得た「シニア特別席=SSシート」を、家の中でもっとも居心地のよい場所に据える。
一日のしごとを終えて、「やれやれ」と腰を落とし、心を静めてひとしきり一日をふりかえる。「さて」と気を改めて明日を思い、「よし」と意を決して立ち上がる。それでいい。 それが「マイ・チェア」の即座の効用なのだ。どっしりと座って、からだの重みとともに来し方への充足感、行く末への待望感を委ねる。時には座して陶然として、すべてを忘れる「坐忘」の境地にもひたる。それなくして何の人生か。
「座る文化」
「古希杖」
Fさんの調べによれば、さすがに「座る文化」の歴史が長い欧米の製品には値切っても世紀の長があって、実にさまざまに意匠をこらしていて、見るからによく、座り心地もよさそうだという。最高の座り心地を誇るのは頭と腰がほどよくフィットする北欧製のリクライニング・チェア。競うのはドイツ製スツール、イタリア製アームソファ、カナダ製スウィング・チェアなど。いずれ劣らぬ「八面威風」の居ずまいがあるし、値段も思いのほか幅があるそうだ。
長い高年期を安らいで過ごすための拠点が「マイ・チェア」なのだから、かつて恋する人を失った苦い思いを繰りかえさないために、これといったイスと出会ったら思い切って投資(浪費)をする。後半生が始まる五〇歳の誕生祝いに購入するのもいい。そうそう「杖・ステッキ」も、おしゃれで品のいいフランス製やイタリア製やドイツ製、和風折りたたみ杖もあるが、名入りの彫刻をほどこした木製ステッキなら素敵な装身(護身)具になるにちがいない。五〇歳には「マイ・チェア」、六〇歳には「赤毛着衣」、七〇歳には「古希杖」、八〇歳には「傘寿がさ」といった通過記念の自祝品はどうだろう。どれも心躍る製品と出会えればいい記念になるだろう。
「チェア博物館」
二一世紀を貫く夢のひとつ。高年世代の人びとが、それぞれに座り心地がよい特選のイスをわが家に据える。家庭内の「モノと場の高年化」の拠点として存在感のある「マイ・チェア」として。各地にチェア工房が形成され、毎年の「チェア・コンペ(競技)」には、各国から腕よりの職人がやってきて技を競いあう。この国はそのまま「チェア博物館」となる。どうだろう、家の内と外、国中どこにでも座り心地のよいイスが据えられていたら、立ち疲れることもないし、優先されない優先席などいらない。二一世紀末の高年者たちは、世紀初頭に先々々代の「昭和人」が使い込んだ「チェア」に腰を据えて、愉快な座談が楽しめれば深く感謝するだろう。
たしか「チェアマン」(チェア・パーソン)というのは、議長や会長のことだが、高年化時代には、愛着をこめて自選・自作した「チェア」を保持して高年化社会の主役としての存在感を示す人のこと、といった「新チェアマン」の説明が加わることになる。どっかりと座って、しっかりと座視することで、わがこととともに周りの人びとの「人生への希望」もまた、はっきりと見えてくる。
*・*専用品をつなぐ暮らしの動線*・*
「超人生耐久品」
「三世代ステージ化」
家庭内の「高年化コア(核)用品」として、前節ではFさんの「マイ・チェア」を紹介したが、高年期の自己目標に立ちむかう能力を支えてくれる愛用品でありさえすれば何でもいい。
とはいえ、傍らにおいて生涯にわたって愛用していく「コア(核)用品」となれば、数年でモデルチェンジするような消耗品では役不足。だから日進月歩で変化する電化製品や車などは高価であっても評価が成り立ちづらい。といって「千年杉」を細工した違い棚のような鮮やかな年代主張はなくともいい。どうだろう、ここでの「高年化用品」というのは、五〇歳から終生あるいはもう少し先の「超人生耐久品」(遺産として残るほど)といったものとして、およそ三〇~四〇年は傍らに置くというあたりをメドとしよう。「高年化」は「長年化」でもあって、だから高年者だけが利用するという狭い意味ではない。
家の中のオープン・スペースに置かれているのは多くは家族共用の調度品、つまり「三世代ミックス」型用品である。そのうちで花器や草花の鉢植えや観葉植物や床の間の軸といった季節の気配を屋内に取り込む用品・用具は「家庭内高年化」にはほどよい素材である。ソファなど高級家具はそろっていても季節の気配が動かないリビング・ルームや客間なら「丈人度ゼロ!」としての評価を下しておこう。「家庭内高年化」のありようは、祖父や父親の姿にみたような相続特権に裏打ちされていた厳父気取りとはほど遠いものである。中年期に得た人生経験の成果を、「モノと場」として家庭内にさりげなく配して、みんなに納得された上でわが高年期の暮らしの拠点とするのだから、高年者意識をしっかり立てて仔細に工夫をしないと思わしい結果がえられない。
家族構成にもよるが、「三世代同居」のお宅だと、孫(青少年)、子ども(中年)、自分(高年)の三世代がそれぞれ優先・専用する「三世代ステージ化」が課題になる。これまでの家族共用品はそのままとして、高年者むきに特化した生活空間を創出するにあったては、同居人の生活動線を考慮しよう。同居人から生活空間の自由を奪うものでないことが理解されないと先に進めないからだ。いくつかの「高年化コア(核)用品」を決めて、それを基点にして専用品「パパのもの」を随所に配する。「北辰(北極星)その所にいて衆星これに共(むか)う」ということになる。
「モノ同士のモノ語り」
「家庭内丈人度」
「高年化用品」を季(機・気)に応じて差し替えることで、わが家のリビングで四季折り折りの「モノ同士のモノ語り」が楽しめることになる。こうしていくつかの「高年化コア(核)用品」とそれをめぐるいくつもの専用品(高年化用品)を配することで、存在感が希薄であった時に比べれば、当主としてのありようを喚起するしかけが見えてきたといえるだろう。同居人は、「チェア」や壁面飾りや日用品に示される当主の「家庭内丈人度」に関心を強める。それでいい。
外で優れたボランティア活動をしていても、わが家の中に高年者としての存在感がないようでは、ほんとうに優れた高年活動家とはいえない。ここでは「丈人モデル型の能力」を支えてくれる国産品、わが家に親しい友人を迎えるような興奮を与えてくれる「高年化用品」を創り出してくれる各地の熟年技術者のみなさんに熱いエールを送ってから先にいくとしよう。
「高年男子必厨」
「銘入り出刃一丁」
次にはキッチンの情景。
高年男子が「食」を知らないでいては、いつまでたっても女性との長寿の差の七歳は縮まらない。そこで高年期に入った男子は、志を立てて厨房に入ることにしよう。
「高年男子必厨」丈人として、日本橋・木屋や京都・有次あたりの包丁三丁(出刃・刺身・菜切)くらいは吟味して入手する。「銘入り出刃一丁」は有用な「高年化コア(核)用品」である。タイまではいかなくとも、中型のイナダやシマアジなんかを手ぎわよくおろして食卓に供する。さらに「旬の食材」もみずから用意する。今夜の口楽であり生涯の悦楽である食の道楽。味覚とともに調理もまたきわまりなく熟達しつづけていく「丈人モデル」型の領域なのだから、おおいに腕を振おうではないか。家人も喜ぶ季節メニューが増えれば悦楽は倍になる。
食器も形や感触を楽しめる専用品だ。自作のものを含めて「これはパパのもの」という食器が、食のシーンでの存在感を示す役目を担う。
「男子必厨」丈人によるキッチンの「高年期のステージ化」は、なごやかに緩やかに形成すべき難題である。得意料理をつくるところから入らず、食器の片付けや用具の手入れや調味料の整理あたりから、さりげなく構築していくことに秘訣があるようだ。
「丈人資格自己認定」
とこうして、いくつかの「高年化コア(核)用品」を基点として、いくつもの専用品をつないだ暮らしの動線が太く見えてくれば、「家庭内高年化」が成立したといっていい。マイホーム・リストラでの「丈人資格自己認定」ということになる。
「いまさら面倒やさかいに、わての人生はその三世代ミックスとやらで結構や」という人もいるだろう。人それぞれの人生やさかいに、ご随意にどうぞ、といいたいところだが、結論は試みてからにしてほしい。苦労して得たマイホームで、当主としての充足感が時の移ろいとともにヒタ寄せる体験は思いのほか快いことなのだから。
高年者意識を静かにしかし熱く立てて、家庭内の「モノと場」の高年化構想を固める。
「パパとママは落ち目、明日はボクラのもの」と早合点していた若い世代に、本来あるべき姿としての高年世代の「第三期の人生」を認識させることになる。ではもう一度、親しい友人を迎えるような終生愛用できる「高年化用品」を創り出してくれる各地の高年技術者のみなさんにエールを送って先にいくとしよう。
*・*近居より同居が未来型*・*
「エンプティ・ネスト」
「二世代住宅」
団塊世代よりやや高年の方の場合には、哀楽をともにして暮らした子どもたちが巣立っていき、移り住んだころの幼い姿などを「不在の在」として想い見るほどのスペース(「エンプティ・ネスト」。空になった巣)を、そっとしておくことができているご家庭も多いことだろう。
中年期に家計をぎりぎりまで工面して借り入れをし、都市郊外に住宅を購入して子どもを育て、子どもがそれぞれに自立した後は夫婦ふたりで暮らしているマイホームは、「二世代住宅」と呼ぶことができる。父として母としての立場で内容は異なるだろうが、子育てのいくつもの困難をクリアしてきた父母としての側の感慨のスペースであるとともに、子どもたち、とくに娘にとってはひそかな生活戦略にかかわるスペースでもある。
このところの傾向として、「世帯同居」は減り続けてきて、高年者(ここは六〇歳以上)の四〇%が同居を望んでいるのに、実際に孫と同居している人はいまや二〇%ほどに。桑田佳祐の「TSUNAMI」がトップという時代に、大泉逸郎さんの歌った「孫」が場違いといった感じでベストテン入り(二○○○年度の一○位)したことがあったが、減少傾向はなお続いており、願望ははやり歌の背景に遠のきつつある。
「孫育て」
孫はかぎりなくかわいい。「二世代住宅」に暮らしている父と母は、子どもが巣立ったスペースを今度は孫のためにしつらえ直して、三代目を養育する場を用意することになる。「近居の場合」は、離れて暮らしている分だけそれぞれの独立とプライバシーは損なわれることはないが、離れている分だけ問題回避型の接触とならざるをえない。幼い孫はかわいいし、張り合いをもたらしてくれる。そこで会うごとに何かと望みをかなえてやる、やさしいおじいちゃんとおばあちゃんになる。きちっとした「孫育て」には限界があるのはわかっていても、現状ではこのあたりが高年者にとっては標準的しあわせ家族となっている。娘が結婚して世帯を持ち、子どもが生まれる。「できちゃった婚」が並みの時代だから、結婚後一〇カ月のハネムーン・ベビーより結婚六カ月後が最多とかで、案外はやく確実に「ベビー(孫)」がやってくる。この二五歳までの出産期をはずすと、あとは先延ばしして三〇歳代に。これでは少子化に歯止めのかけようがない。それでも三〇歳の大台に乗って、なんとか子どもをと覚悟はきめたものの、養育・教育費は家計の重圧になるというし、マスコミを賑わす子どもたちの反抗・犯罪を目の当たりにして、不安はつのるばかり。そこで、「カアさん力を借して」ということになる。
「新エンゼル・プラン」
「実家依存症」
子育てに母親の助力を期待しすぎると、国をはじめ夫婦ふたりによる「新エンゼル・プラン」を理想として子育てを推奨している自治体、若いカップルを囲いこんで子どものしつけを教えるしごとをしている側からは、「実家依存症」といわれかねない。
それでも子育てに母親の助力(家族の含み資産)を期待して両親と同居して暮らすことを考える娘夫婦がいる。かつてシュウトメにわずらわされない専業主婦を求めた母世代の「核家族」指向から、専業課長でありたい娘世代の「二世帯同居」へのUターンである。
孫世代までを想定した「三世代同居型住宅」は、子どもの側からばかりでなく、新しい大型戸建て住居に住むという両親の側からの要請も少なくない。親世帯からは親子近居の解消、家屋の老朽化やバリアフリー化や大型住宅への願望などが主な理由で、加えてメーカー側の総合住宅指向、さらに融資や税の優遇もある。親世代の支援を受けて「少子化」を解消し、先人から引き継いできた「暮らしの知恵」を次世代にしっかり伝えられるような「三世代同居」型住宅が期待されることになる。
道路、橋、ハコ物という大型公共事業に頼ってきた建設業界も、地域住民の暮らしの基盤である住宅建設という基本に立ちかえる好機である。大都市型の「蜂の巣マンション」というのでは方向が逆である。地方都市の近郊農家の建て替えなどでは「三世代同居」型住宅がもっと指向されていい。三世代同居という「新・日本型標準住宅」を各地に展開して、新たな地域開発の潮流を起こすくらいでいい。国も「暮らしの知恵」を次世代に伝えられる「三世代同居」住宅政策を掲げて、思い切った税制や資金の優遇をおこなう必要があろう。
現状では政策も税の優遇も融資もそして世論の支援もケタが足りないのである。
*・*暮らしの知恵を孫に伝える*・*
「世同居住宅」
「長寿社会対応住宅」
大都市近郊に住むWさん夫妻は、娘家族の要望もあって、建て替えの負担を覚悟して「世帯同居」型の住居を建築することにしている。
メーカーを通じて調べてみると、事例は決して少なくはない。各メーカーともユーザー側のさまざまな要望に対応できるノウハウを持っており、住宅内のバリアフリー化はすみずみまで意識されている。部屋の配置はもちろん、つまづいて転倒しないよう段差をなくしたり、手すりを設けたり、階段の勾配を緩くしたり、車イス(訪問客もある)を考慮して幅広廊下にしたり、少ない動作で開閉できる引き戸にしたり・・などが実現されている。「家族とともに成長する住まい」を提案しているメーカーもある。すでに建て替えて「三世代同居住宅」に住んでいるお宅を実際に訪問する機会を提供しているメーカーもある。そこで、Wさんは参加してみた。古くからの由緒ある住宅地での建て替え住居だから外形も安定しており、街並みに落ち着きを与えていることがわかる。かなり大ぶりなサクラが庭の隅にあって、それを囲むようにL字型の二階家が建っている。
「家内の母が家族の成長記録とともに大事にしている樹でしてね」
Wさんの庭への視線を察して、ご主人がいう。夫妻のほかは高校生の娘と義母の四人家族。一階は母親の部屋と共用のスペース、二階に夫妻と娘の部屋と広いリビング。書斎もあって、「マスオさん」として「三世代同居」を成立させながら、マスオさんよりはずっと存在感があるように見受けられた。上下階の雰囲気に違和を感じさせなかったのは、母と娘の間に暮らし方の一貫性が保たれているからだろう。「三世代同居住宅」として申し分ないが、それでも義母の側の遠慮がちな気配が構造やモノに表われているのが気になったという。
住宅産業は、「長寿社会対応住宅」として「長寿社会対応住宅設計指針」(九五年、建設省)が出て一〇年余り、メーカーの配慮くらべで高年化対応がもっとも進んでいる業界である。住宅メーカーによって取り組み方は異なるが、どこも「世帯住宅」のノウハウを蓄積している。
そこまでは結構なのだが、せっかくの世帯同居型住宅にもかかわらず、どのメーカーの小冊子のモデル設計を見ても、共用スペースのつくりつけがミドル(+ジュニア)主体に寄りがちになっている。「三世代住宅」とは称しているものの、「離れた和室ひと部屋への高年世帯の引きこもり」が推測できるものが多くみられる。
これではほんとうの高年化対応住宅とはいえない。「人生の第三期」の主役として、長い高年期をゆったりと暮らす家ではない、とWさんも気づいている。孫とも接触がしやすく、祖父母からわが家の「暮らしの知恵」を伝えられる場としての共有のスペースはもちろん、「三世代のプライベート・スペース」を平等に織り込んだ住居と決めて設計にはいっている。
「ファミリー・ライフ・サイクル」
三世代それぞれの暮らしにバランスがとれた「三世代同等同居型住宅」は、高年者側が主体的に構築せねばならない。ジュニア(孫)との接触スペースなどは、可能なかぎり祖父母の側から提案すべきことである。高年者が自在に暮らす住宅としての具体的な要望が足りないために、メーカーから高年化対応に積極的な構造が引き出せないのである。
「三世代同等同居型住宅」は、三世代の暮らしの変化が構造に反映される「ファミリー・ライフ・サイクル」(家族変化の過程に応じる)住宅である。いまの家族の一まわり先を考慮した構造として表現される。三世代がそれぞれ三○年ほど先の姿とそこへ至るプロセスを想い描いてみるといい。もちろん「不在」の孫世代を参加させ、みずからの「不在」の時も考慮して。
メーカー側は、「世帯同居」型住宅は一〇〇年(センチュリー)、少なくとも六○年保証と自信をもっていう。いまの建築水準から耐用年限は五○~六○年は優にある。だから、およそ半世紀後に孫世代家族が中心で暮らす家や家並みをつくっていることになる。傷んだ住宅を修理しながら住んでいる高年世代からすれば、「近居」や「隠居型同居」ではなく、三世代が同等に暮らせる「三世代同等同居型住宅」が「新・日本型標準住宅」として指向され、「家庭内の高年化」への新たな試みとして、知識も活力も資力も注入して参加するだろう。それぞれの家族の態様や地域の特性に応じた改造を加えながら「わが家」が形成される。ライフ・スタイルの異なる三世代が、それぞれ同等にプライベートな生活空間を持ち、お互いに工夫して「わが家三代の暮らしの知恵」を共有していくことになる。
「三世代同等同居住宅」 
Wさんは、ライフ・スタイルが異なる家族が出くわすさまざまな場面で、「いっしょに考えて解決することができますから」と期待をこめていう。「三世代同等同居住宅」の実現をめざすWさんは、「世帯同居」丈人と呼ぶことにしよう。子育て期の女性が男子社員と伍して能力を十分に発揮できるよう支援をする「三世代同等同居住宅」は、企業の側からも歓迎すべきものとなる。そして何より孫世代にわが家の「暮らしの知恵」を伝える「母娘同居」という母系のつながりを有効に活かすことになる。母と娘がやりとりする継続性のある生活感、祖父母と接することによってもたらされる孫世代へのメリットには計り知れないものがある。
「うちのジージがね」といって自慢するジュニアが三分の一ほどいないと、この国の先人が残してくれた「暮らしの知恵」が次世代の子どもたちに伝わらなくなってしまう。同居しながら高年者をたいせつにするジュニアを育てる機会を家族。これもまた「高年化社会」を構築するために重要な「三つのステージ化」の一環なのである。

現代シニア用語事典Ⅱ「まったなし日本長寿社会」目次

現代シニア用語事典Ⅱ
「まったなし日本長寿社会」
目次Ⅱ#
Ⅱ#1老人か丈人か高齢者か
Ⅱ#2長寿ぐらしは孫との同居
Ⅱ#3家庭用品の「アジア共栄」
Ⅱ#4新スグレモノと再リストラ
Ⅱ#5地域開化と四季のめぐり
Ⅱ#6人民・市民・国民として
Ⅱ#7三世代同等型社会をこう生きる
Ⅱ#8昭和丈人の多重思考 

現代シニア用語事典Ⅱ #1老人か丈人か高齢者か

Ⅱ#1老人か丈人か高齢者か
*・*「七十古希」から「百齢眉寿」へ*・*
「長寿社会」と「高齢社会」
「普遍的長寿社会」は人類の願望である。すべての個人にとって、健康で安心して暮らせる「長寿人生」が目標であることにも変わりはない。「長寿社会」というのは、青少年・中年・高年者すべてにかかわることがらであるが、「高齢社会」は高齢化に遭遇している高齢者が体現者として努めて形成する社会である。何も努めなければそれは「高齢者社会」でしかなく、次世代にとってはいずれ負担となる。三〇〇〇万人に達したわが国の高齢者(六五歳以上)が参加して形成する「日本高齢社会」は、わが国独自の経済、文化、伝統のもとで、独自のプロセスを案出しながら達成される。それは史上で世界で初の「高齢社会」であり、高齢化途上国にとってのモデルとなる。
「長寿時代のライフサイクル」 
これまでライフサイクルというと「乳幼児期」「少年期」「青年期」「壮年期」「老年期」という五つのステージ(年齢階層)として説明されてきた。だれもが経験的に知って納得していることだから間違いというわけにはいかない。しかしこの分け方は二五歳までに三つの階層があることからも知れるように、発達心理学からの階層分けであって、高齢期を暮らす人に配慮したライフサイクルではない。高齢時代には加齢学的な観点から、逆に高齢期に三つを配するといった階層分けを考慮する必要がある。ここでは二五年間ずつ三つのステージを「三世代」に等しく割り振りながら、高齢期を暮らす人の実感に配慮したライフサイクルを提案している。学問的にうんぬんするつもりはなく、実感として納得していただければいい。
***
青少年期  〇歳~二四歳 自己形成期
バトンゾーン二五~二九歳 選択期
中年期   三〇~五四歳 労働参加・社会参加期
パラレルゾーン 五五~五九歳 高年準備・自立期
高年期   六〇~八四歳 地域参加・自己実現期
長命期   八五歳~   ケア・尊厳期
(自立・参加・自己実現・ケア ・尊厳は国連の「高齢者五原則」)
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といったあたりが、高齢者がみずからを顧みて納得できる「長寿時代のライフサイクル」といえるだろう。「バトンゾーン」というのは個人のライフ・スタイルによって生じる幅であり、青少年期にいれるか中年期にいれるか、モラトリアム期として過ごすかは個人が選択すればいい。「パラレルゾーン」というのは「パラレル・ライフ」(ふたつの人生)期にあることで、「高年準備期」である。窓際族なんかでヒマつぶしをしている時期ではなく、二五年の高年期を自分らしく生きる自己実現のための模索(自立志向)期でけっこう多忙なはずなのだ。「定年後は余生」などと考える旧時代の「老成」タイプの高齢者意識が、長寿時代のこの国の「高齢社会」形成に自然渋滞をもたらしている。「高年期」での地域参加・自己実現の二五年をどう体現して暮らすかの工夫が人生の差をつくることになる。もちろんその活動は、高齢世代みずからのものであるとともに次世代のためのものであり、可能な範囲でなお中年・青少年を支援するものでなければならない。別のところでも引用するが、「自分がその木陰で憩うことがない樹を植える」(W・リップマンのことば)という配慮を忘れないこと。
「賀寿期五歳層ステージ」
これはパイオニアとして「長寿時代」を暮らすための知恵であり、本稿のウリのひとつである。知ると知らないとでは高齢期人生に雲泥の差が生じる。前項の表の「高年期」と「長命期」をひとつひとつの「五歳層」に分けて、その年齢層らしく迎えては過ごす。なだらかな丘をゆっくりとマイペースでトレッキングするような爽快感があればいい。「定年」のあとを「余生」と決めて、孤独な不安にも耐えて生きるのが男の美学というならそれでもよい。いつ訪れるか知れない死はひとりのものだからだが、生き急ぐことはない。中年期のしごとがつらかったから遊んで暮らしたい、人間関係に疲れたからひとりになりたいという人の自由を奪うことなどできない。先人は見定めえない人生の前方に次々に賀寿を設けて個人的長寿のプロセスを祝福して楽しんできた。いまも「何何先生の賀寿の会」はそれぞれに祝われている。しかし六〇歳以上の約三九○○万人の高年者が多くの仲間とともに暮らして、励まし合いながら百寿期を目ざすのもいいではないか。
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還暦期(六〇歳~六九歳) 昭和二七年~昭和一八年
古希期(七〇歳~七四歳) 昭和一七年~昭和一三年
喜寿期(七五歳~七九歳) 昭和一二年~昭和八年
傘寿期(八〇歳~八四歳) 昭和七年~昭和三年
米寿期(八五歳~八九歳) 昭和二年~大正一二年
卆寿期(九〇歳~九四歳) 大正一一年~大正七年
白寿期(九五歳~九九歳) 大正六年~大正二年
百寿期(一〇〇歳以上)  大正元年以前
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昨年は日野原重明さんが百寿期に達して話題になったが、今年は新藤兼人さんが到達する。卆寿期には瀬戸内寂聴・水木しげる・鶴見俊輔さんが、傘寿期には樋口恵子・堂本暁子・岸恵子さん、石原慎太郎・五木寛之・仲代達矢さん。そして古希には小泉純一郎・小沢一郎・松方弘樹・松本幸四郎・青木功・尾上菊五郎さん。七〇歳になったからといって老成することはない。ご覧のとおりまだまだ先がある。仲間といっしょに人生の新たな出会いを楽しむ日々が待っているのである。
「七十古希」
「人生七十は古来稀なり」と詠った杜甫の詩「曲江」から七〇歳を「古希」と呼ぶようになったという。唐代より前に何といっていたかは知らない。それでも「七十古希」はすでに一二〇〇年余の経緯をもつことばである。古来稀れなのだから七〇歳はよほど稀れだったのだろう。杜甫自身は旅先で貧窮のうちに五九歳で没している。杜甫が詠ってたどりつけなかったことから「古希」がいわれ、七〇歳が長寿の証として納得されてきた。
杜甫の時代の長安は安禄山軍の侵入を受けて「国破れて山河在り、城春にして草木深し」(杜甫「春望」から)といったありさま。杜甫は意にかなわぬ日々を酒びたりで送っていたらしく、「酒債は尋常行く処に有り、人生七十は古来稀なり」(酒の付けは常にあちこちにあるけれど、あってほしい七〇歳は希にしかない)と有るものと無いものとを対比している。いまは酒もあるし古希もまれでなく両方がありあまる時代だからこの対比に味わいがなくても仕方がない。高級官人は七〇歳になると国中どこででも使える杖をもらって「杖国」と呼ばれたという。阿部仲麻呂は七〇歳を越えて生きたから立派な「古希杖」を拝受したことだろう。
「百齢眉寿」
「百齢」は百歳のこと。大正元年(一九一二)生まれの人がちょうど百歳である。わが国では百歳以上の人が五万人を超えてなお増えつづけており、いかに史上稀な長寿国であるかが知られる。
「人生七十古来希なり」といわれ、七〇歳が長寿の証とされてきた。とすれば百歳ははるか遠い願望だったろう。「眉寿」は長寿のこと。老齢になると白い長毛の眉(眉雪)が生えて特徴となる。同じ唐の書家虞世南は「願うこと百齢眉寿」(琵琶賦)と記して百歳を願ったが、八〇歳を天寿として去った。「七十古希」の杜甫は五九歳だったから、長寿への願望は遠くに置いたほうがいい。
「転結の青春期」
「日々これ青春」という人生があってもいい。大きな富士山型の山ひとつの人生ではなくて、二〇年ごとの起伏を繰り返す連山型人生として、八〇歳までに四つの青春を生きたひとりに数学者の森毅さん(一九二八~二〇一〇)がいる。八〇年間を二〇年ごと四つのリフレインを意識した点に創意がある。ここではひとつずつ山波ごとに次のような五つの特徴を付けて呼んでいる。
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初の青春期 〇歳~一九歳
起の青春期 二〇~三九歳
承の青春期 四〇~五九歳
転の青春期 六〇~七九歳
結の青春期 八〇歳~
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とすれば、森さんは「結の青春期」を過ごさずに山を下りたことになる。六〇歳からの「転の青春期」二〇年は、これまでに蓄積してきた知識や経験を活かして新たな人生展開を楽しみながら暮らすいい時期である。その成果によって「まとめ(結)の時期」もまた愉快なものになる。 
「体志行の三つのカテゴリー」 
家人がだれもいない時に、裸形の自分を三面鏡に映してみよう。六〇歳+のからだが眼前にある。上・下半身とながめて、男性なら腹部に女性なら胸部に手をやるのが自然なふるまい。そしてこんなものと納得するのが心の動き。この「からだ=体(健康)」それに「こころ・こころざし=心・志(知識)」それに「ふるまい=行(技術)」という三つが人間(人生)としての存在であり、この三つ以外にないというのが、東洋の哲学が教える人間(人生)観なのである。
そういう存在の意味合いが納得できるのは、やはり体のどこかに故障を生じ、行動が鈍くなり、物忘れが重なるといった自覚が現れる高齢期になってからのこと。そこから「体・志・行」に配慮した人生を始めればよい。健康に留意し、人生を通じて右片上がりの知識や技能をたいせつにして暮らすこと。この三つをバランスよく働かせることによって、高齢期の人生は楽しいものになる。
「青少年期」「中年期」の五〇年間に積みあげてきた健康や知識や技術や有形・無形の資産には差があり特徴がある。それらをバランスよく活かしながら暮らしている人が、敬愛すべき「現代丈人」のみなさんである。スポーツ界では「心技体」として認識されているのは、スポーツでは心の構えが技・体の差をつくるからである。高齢期が「体志行」なのは、体が志行を左右するからである。 
*・*「老人力」から「丈人力」へ*・*
「日本列島総不況」
一九四五(昭和二〇)年八月一五日、三〇〇万人を超える犠牲者を出し、「国敗れて山河在り」という戦禍を残して大戦は終わった。戦禍はみんながこうむったが、とくに大正生まれの人びと(終戦時に二〇歳から三三歳だった)は、戦場で仲間を失い、一家の柱を失った家族を傍らに見て支え、運よく生き延びた思いを噛みしめて、恒久平和を骨に刻み、主権在民を心に銘じて、粒粒辛苦して働きづめに働いてきたのだった。
実直な立場からすれば、「昭和元禄」とか「飽食の時代」とか評されるような繁栄には違和感があったが、みんなが等しく貧しさを克服し豊かさを共有できる「社会主義的・平等主義的・自由経済の国」(大正人でソニー会長だった盛田昭夫さんのことば)としての成果をほぼ成し遂げたのだった。九割中流を実感した人びとである。
これから高齢期の人生を迎えようとしていた功労者を、「日本列島総不況」が襲ったのは、前世紀末のころだった。このことばを使って全国の中小企業への不況の到来を表現したのは、当時の経企庁長官だった堺屋太一さんである。
「がんばらない老人力」
働きづめに働いてきて、以後をどう暮らすかに思い悩んでいた高齢労働者を慰労してくれたことばが「老人力」(建築家の藤森照信さんと画家の赤瀬川原平さんによる命名)だった。人生の晩期を迎えて、衰えていく自分の姿をすなおに見極めながら、がんばりすぎずに巧みにクールダウンしてゆく自己認識の能力を「老人力」と呼んだ同時代人のことばに納得して、多くの高齢者はみずからの判断で体を休め、疲れを癒した。多くの人が納得することで、「老人力」は流行語になった。これは誤解のないように別の項で詳しく述べるが、戦争ののち一貫して加工貿易国として「丈夫で長持ちする」優れた中級製品を提供してきたわが国の丈夫で長持ちする熟練高年労働者が「がんばらない」ことが、遅れて追い上げてくる途上諸国の近代化のために必要だったのである。日本の高齢者が足踏みをすることで、この国に「若年化と女性化と途上国化」をもたらすことになった。新世紀になって、この国の「若年化と女性化と途上国化」が一段落したところで、現役としてなお社会参加をつづけようという熟年技術者が数多く登場している。「老人力」に収まらない積極的な活動を求める人たちである。
「老化モデル」と「丈人モデル」
五〇歳どころか「三○歳すぎれば右片下がり」に少しずつ老化・衰弱していくというのが、ごく一般の「老化モデル」として知られてきた。実際に体力の限界や視力の低下などで体験するものだから、だれもがそう思い込んでいる。それに変わりがあるわけではないが、それに重ねて、「人間は生涯を通じて発達する存在であり、機能低下は死の直前になって直角的に起こる」という「終末低下モデル」が示されている。学問的には「ジェロントロジー(加齢学・老年学)」というが、この統合的な学問分野から高年期に関する体系的で臨床的な成果が次第に明らかにされるだろう。人生を着実に歩んできたという自負をもつ高年者の方なら、生涯を通じて発達する能力を実感として認めることができるはず。生きる意欲を支えて生涯にわたって右上がりである能力を、本稿は「丈人モデル」と呼んで大切に扱っている。ここでの「老化モデル」と「丈人モデル」もまた、高年期の能力を理解する上での多重標準なのである。
五十歳代パラレル・ライフ
「人間五十年」をすぎれば、だれもが右片下がりの機能(老化モデル)があるのに気づく。髪に白いものが増えるし、人生での自分の到達点におよそ見定めがつく。その一方で、多方面にわたる経験や蓄えてきた知識によるバランスのよい判断や洞察、手づくり技術の錬磨、芸能・芸術の表現といった、生涯どこまでも発展・熟達する機能(丈人モデル)のあることにも気づく。そして何より人間(自己と他者)への想い、さらには歴史や伝統への関心と理解などといった、生涯どこまでも深化してゆく能力の存在を認めることができる。いまは「人間五十年」はそれを限りとしてというよりも、後半生への見通しをつける刻みとして、健康保持や人生設計といった観点での準備はじめの時として意識されている。ここいらあたりからが「ふたつの人生」である「中年期」から「高年期」へのパラレルゾーンであり、「高年者意識」のはじまりの時期といえよう。五○歳代後半が「中年期」から「高年期」へと移行するパラレルゾーンといっても、どちらに重心があるかは職域や地域に対する個人の意識の度合いによる。
いずれにしても体力も知力も技術力も資力も充実した六〇歳代の「時めきの人生」への準備期間なのだから、「窓際族」なんていわれて能力を確保するチャンスを閉ざして過ごすことはあってはならない。五〇歳代の人びとの停滞と萎縮は、一人ひとりの人生にとってマイナスであるばかりか、総体としての「日本高齢社会」達成のためにも手痛い損失になってしまうからである。  
「三〇〇〇万人の衆志成城」
このまま推移したら、高齢者はどう扱われるのだろう。すでにあちらこちらで顕在化しはじめているように、中年者層の人びとに負担を強いることになって、経済のグローバル化で苦闘している中年世代を支援するという時代の要請にも応じられなくなってしまうのである。次第にはっきりしてきたことは、「格差」を容認することになった社会のもとで、公的支援や個人の善意のとどく限度を越えたところで広がる弱者への軽視・黙視。家族内のあるいは一人暮らしの「老齢弱者への虐待」の事例が潜在して増えることになる。
「こんな社会をつくるために苦労したわけではなかった」とつぶやきながらも、「でも自分の余生だけは」と考える。「こんな社会は許さない」(丈人モデル)ではなく「自分だけは」(老化モデル)という利己的な声を認めて沈黙するとき、「悪事は千里を行く」という通り魔的風潮がはびこる時代にむかうことになる。高齢者みんなが動かず変わらずに、現状のまま「ゴムひも型高齢人生」を送ることで先方に見えてくる情景である。将来を不安なままに国の施策にゆだねて「自分だけは」と願いながら暮らすなら、そうならざるをえない。他を見て見ぬふりをするというのは弱者の思考であり、結局は切り捨てられる側にあることを後に知ることになる。「現代丈人」に属するひとりとして、それを知って黙って見過ごすわけにはいかない。みずからが意識して現状を切り開くとともに、三〇〇〇万人(票)の高齢者の意思をひとつにして存在感を示し、「三〇〇〇万票の衆志成城」をもって国の施策に変革を迫る時期を逸してはならない。
*・*街談巷議の関心は悪意にある*・*
「荒廃の末のXデー」(暴動?)
「なまぬるい幸せなんか押しつけないでほしい。不幸な体験だってしてみたい」
「戦場に生きるなんて実感は、人生の極みじゃないか」
「善意なんて何も生まないよ。悪意が行動のエネルギー源なんだ」
「遊んでるくせして、うるさいじいさんはいらない」
一回きりの人生だから、気ままにいろいろな体験をしてみたいという若者に、幸せであることを願いすぎることも、平和であることを望みすぎることもできない。人間のもついくつもの本性が歴史をくりかえす。よしそれが愚かな選択だとしても。
昭和一○(一九三五)年生まれで、いまやちっとも稀れではない「古希」を通過したTさんは、時代の行く先のまだ見えないらせん階段の上の方から、姿が見えないデーモン(悪魔)の叫ぶ声が聞こえるという。近ごろは、父母や自分が蒙った戦時中の惨禍や戦後の混乱を、繰り返してほしくない体験として後人に伝えるという営為が、無力であり無益であるとさえ思うようになった。進み出したら引き戻せない「惨禍へのプロセス」を、またたどることになる気配。だれも回避する術を持ちえなくなって、不幸な結末を負うことになるのは、何も知らない子どもたち。
海外とくに途上国への進出や先端技術の開発によって、マクロ経済的にはしばらく現状維持するものの、社会的にはあれこれの格差や亀裂が生じて内部荒廃へむかうとする予測に実感があるとTさんはいう。このまま推移すれば、巷に敵意があふれて、ある日、予測Zが的中して「荒廃の末のXデー」(暴動?)がやってくる。もっとも「予測」をする連中は、丘の上から阿鼻叫喚を見下ろしていられるのだから、Tさんが憂慮するような現実に直面しても「予測的中!」を納得して傍観できる立場にある選ばれた少数の人びとだ。そんな連中のご高説に耳を貸す時期はもう過ぎている。
「金輪際、わたしはつきあうことはないが」と、Tさんはまっ白くなった髪を掻きあげながら、緊張感を解いた顔で結論づけて引きこもる。Tさんの歴史意識を覆すのはむずかしい。 
「荒廃ベクトル用語」
経済アナリストの分析よりはもっと荒々しいのが、夕刊紙や週刊誌(女性雑誌も)やマンガ雑誌である。その多くは、一般市民が「荒廃の末のXデー」(暴動?)を迎えるにあたっての免疫抗体を体内に造り出すために、毎号毎号、悪逆非道な人物たちを探し出しては、手を替え品を替えて内幕を暴きつづけてきた。より強い「流行性荒廃菌」に対しては、より強い免疫抗体を体内に形成するためにである。
拾えばページから溢れるほどあるものの、ここでは三~四行分だけ、週刊雑誌の類から「荒廃ベクトル用語」をもった見出し語を並べてみよう。
狂気 抗争 挑発 怒号 罵声 悲惨 惨劇 醜悪 堕落 嫌悪 悪意 破壊 下流 地獄 逆襲 不法 非道 欺瞞 汚辱 凄絶 悪徳 横領 餓鬼 殺人鬼 修羅場 非常識 犬畜生 羊頭狗肉 魑魅魍魎 暴く ぶっ壊す 騙す 危ない 破る 淫ら 潰し 酷い 大嫌い スッパ抜き いじめ ハレンチ アホ バカ クビ ウソ ワースト ハルマゲドン・・
「街談巷議」の関心が「シラジラしい善意よりドスグロい悪意」にあるというので、記者たちは悪意、悲惨、狂気に満ちたニュースを、鬼神に魅入られでもしたように競って追いかけているが、ひと昔まえまで「オニ記者」というのは、「巨悪もおそれぬ閻魔王のような記者」ではなかったか。それにしても「悪徳の栄え」ならまだしも、「悪徳すら堕落」とでもいうべき風潮を拡大する「悪をあばく者」としてのしごとが愉快であるはずはない。
おもに「週刊」というメディアの場で、表現の自由をよりどころに「悪をあばく者」としての編集長やデスク(副編集長)は、迫りくる「地獄の季節」に備えて、読者が「免疫力」を養っておくことの「負の公益」を、しごとの支えとしているのだろう。阿鼻叫喚の渦の中へ記者たちをのみ込んで、奈落へむかう大海嘯の勢いは衰えを知らない。
さあたいへん。本稿も、「丈人という欺瞞」など、前出の見出しの三つ四つを貼り付けられて濁流にのみ込まれることを覚悟せねばならず、「仕っ方ないすよ」と同情されることになるだろう。部数は遠く及ばずとも、刊行をずらした隔週刊や月刊誌や通販誌のなかに、高年者を対象として誠実に着実に情報を送りつづけているメディアがあることは救いであるが。
「悪事は千里を行く」
Tさんは、昭和のはじめに、世界不況のただなかで、国際的孤立と挙国一致の軍国主義化がすすむ中で、四人の子どもの末っ子として生まれて育った。国民の意識と活動の振り子が、家庭から国家へと大きく振れていく中で、両親は明るい将来を約束できなかったことだろうが、明るいことばが飛び交う家庭だったと記憶している。父は戦時中に死に、父方のいなかに疎開して、都会育ちの母は子どもたちには分からない苦労をしながら子どもたちを育てた。Tさんは兄や姉やいなかのいとこや仲間たちと、戦争ごっこをやめ、譲ってもらった教科書を黒く塗って、戦争責任などまるで関係のない戦後っ子として伸び伸びすごした。どこにいってもみんな貧しく、だれもがひもじかったけれども。
いままた不況下での閉塞感、財政難、そして軍事化と国際的孤立の気配。それに構想力を感じさせることばで語りかける優れたリーダーの不在。両親が直面していたとよく似たシーンに、いま自分が立ち会っているのではないかと感じている。不幸な事件との再会の予感。衣装を替えた登場人物によって「歴史悲劇の再演」ということになるのか。
「好事は門を出ず、悪事は千里を行く」という時代風潮。歴史に稀れな高齢化の時代に生きているから、「歴史の証人」として、同じ方向へのらせん的転回をふたたび目の当たりにすることになるのか。孫の翼くんや翔ちゃんは、こういう風潮に柔らかい膚をモロに曝しているのだからたいへん。先生から「名前のように大空を飛ぶような夢をもって」などといわれても、素直に「ハイ」とはいえない。コマーシャルで「残酷な時代を生きる君へ」と呼びかけるオトナの社会へのバリアをつくって、子どもたちはやさしくない心根の服を身に着けて家を出る。
*・*世代間に広がる亀裂*・*
「もう待てない中年現役世代」
政治の「アメリカ一極化」と経済の「グローバル化」(世界同一化)の力によって、きしみながら新世紀へと舞台は回った。この一〇年ばかりの間、日本社会が受けた激しく際立った変容は、若年化とIT化と女性化だったから、パソコンとケイタイを駆使する若い娘はいつしか、「わたしが主役!」として振る舞うようになり、「世の中はますます悪くなる」とグチりつづけて定年を迎える父を脇役とみるようになった。わずかこの一〇年ばかりのことである。
つつがなく進んで二一世紀に迎えるはずであった国際社会の課題は「高齢化」であった。
それを覆してしまったのが、政治のアメリカ一極化の突風とひた寄せる(途上国主導の)経済グローバル化の波濤であった。ヨーロッパの先進諸国とともにわが国もまた「高齢化」が予測されていたにもかかわらず、まともな「高齢社会」への構想とてないままに対応が遅れていたところへ、相撲取りがボディーブローをまともにくらった態の日本企業が、自衛策としてあわてふためいてとった「再構築」(リストラ)の手段が、若年化と女性化とIT化、そしてやや遅れての途上国進出であった。角度を変えて言い添えれば、一歩送れて成長期にはいった途上諸国とつきあうための「途上国化」であった。
「先進国型の高齢社会」への推移を迎えるはずが「途上国型の若年社会」に出くわして、二重の災難に見舞われることになった高齢者。その上に身に覚えがない財政難による年金の減額や医療費の負担増、予想される消費税大幅増税といったシワヨセとヒッペガシ。さらに「団塊世代の高齢化」による多数派の形成。静かに推移するはずだった老後に、渦まくほどに状況悪化が予測されるに及んで、「おちおちしていられない高齢者」が急増しているのである。そこに「もう待てない」と言い出して、いらだちに近い懸念や要請を示しはじめたのが、企業の生き残りのために身を挺することを余儀なくされた中年の現役世代だった。
「資産塩づけ論」
企業の生き残りのためとはいえ、ことあるごとに成果主義を強いられれば、同僚との間でも同業社間でも、親和の感性が磨り減って働かなくなる。実質賃金の目減りにも黙々と耐えてきた中年層の人びとの胸の奥に、将来への不安とともに高年者への不満がわだかまる。
高齢者は現役世代がムリして負担している年金を受け取りながら、次の時代に、「われ関わり知らず」として暮らしているのではないか。あいまい模糊としていたいらだちは、次第にふたつの方向に要約されて、懸念や要請として納得されることになった。
ひとつは、家計の金融資産とされる約一四〇〇兆円で、そのうち五〇歳以上の世帯が七五%までを保有しており、多くを抱えた高齢者が次の時代に関わりなく「引きこもり」の余生を送っている。アメリカやヨーロッパでは時代の推移と連動しながら人も動くしカネも動く。アメリカなら株式・出資金にまわるものが、日本では現金・預金(半分を越える)のままで動いていない。そのため起きているのが資産の塩づけ。時代の動きに対する高年層の人びとの不安や無関心が経済活動の効率を悪くし、企業活動の手足をしばっているというのが「資産塩づけ論」である。
「資産移譲論」
消費を活発にするためには、使わない高年者から使い手の若年者へ資産をトランスファー(移譲)すべきではないのかという「資産移譲論」が力を増す。
いくら構造改革であがいても、景気回復でもがいても、いっこうに進まない要因が、高年者層の支援の欠如にあるというものである。「塩づけ資産移譲論」には若手の現役世代からもおおいに賛同の拍手がわきそうな懸念や要望である。だが、「待ちたまえ、諸君が高年者になった時のことを思えば、そう簡単にいえることではない」と、企業内では脇役を余儀なくされている定年間近の団塊世代のひとり、Fさんは眉間にシワを寄せて真顔になっていう。「世代間の亀裂」がひろがる。
*・*「ツカエナイ親」とはなんだ*・*
「ひっぺがし」
「塩づけにできる資産などどこにもありはしないし、いまでさえ家庭では子どもたち、とくに娘によって、強奪に近い形で資産移譲が行われているのだから」
と、娘をもつ団塊世代のFさんはいう。女性が国の経済、社会の担い手といいながら、どれほどの若い女性が自分の実力(かせぎ)で暮らしているのだろうかと、ローライズ・パンツ(体型ギリギリのヘソ出し衣装)からいそいそとディオールのパーティー・ドレスに着替えて、自在に「変衣変性」する娘の姿をみながら、際限なしの「女性化」に懸念をもっているのである。「時代の花」として娘たちを擁護し、社会の女性化を推進する立場からは、無条件に、両親や祖父母の「六つの財布」からうまくせしめるのも実力のうちとする意見もあり、何より娘たちは「ひっぺがし」が当然と考えている。
「ツカエナイ親」
人並みに応じられないと、「ツカエナイ親!」としてあしらわれる。「ツカエナイ娘」といいかえせない。うかうかしていると、心優しい高年者からまず、居る場所もない、おカネもないになりかねないのである。新世紀になって、若い女性やIT青年たちとともに輝いているはずだった高年者が居場所すらなくなるとは何たる仕打ち!
職場ではIT音痴と軽視され、売れ筋ヤング製品の現場からはずされ、はてはリストラの対象となる。「ハローワーク」(公共職業安定所)の窓口の混雑ぶりや、上野公園や新宿などの「ホームレス」用の青テントの群れや炊き出しに集まっていた人びとを思うたびに、Fさんには、高齢者だけが子どものころに見た戦後の「ふりだし」へと戻って行くように思えてくる。いったいだれが振った賽の目が悪かったのか。
「家庭内ホームレス」
高年者が暮らすのにふさわしいステージは「ふりだし」の位置、つまり「ステージレス」の状態にあるといえる。家に居場所がなくなって「家庭内ホームレス」に、そして屋外でも「ステージレス」である原因はどこにあるのか。このまま推移していては、高年者のだれもが不安なく暮らせる社会、少なくともそこへ向かっていると感じられる社会は、招き寄せようもない。
おちおちなんかしていられない。といって、高齢者だけが犠牲になっているわけではないことにも注意しておこう。決して少なくはない優れたIT青年たちが、技術開発の内向的な作業の中で行方を見失い、使い捨てにされて社会と断絶していく。若い女性も華やいでばかりはいない。アルバイトや派遣社員なのに能力にあまる荷重な実務を引き受けて体調を崩し、ときには鬱病に陥り、外界との関係を遮断していく。繊細な感性の持ち主ほど傷ついているのである。引きこもりの傾向は、即戦力を期待されて入社したものの適性に不安をつのらせて出社しなくなる「新入社員ニート化」としても広がっている。
そんな状況に包囲されて、現状を支えている中年世代の人びとは、いつしか「自己チュー」(自己中心主義)に陥ってしまう。しかしここはこれ以上に世代間の亀裂を深めることは止めようではないか。
とくに中年社員はこれから論じる「高年世代による高年時代のためのステージの創出」に期待して、先輩の果敢な挑戦を見守るのがいいと思う。得られる経済波及効果は将来にわたって大きいし、その成果はいずれは次世代の人びとの資産となるのだから。
*・*いさぎよい隠退の功罪*・* 
「君子的ひきこもり」
現役世代が負担している年金を受け取りながら、次の時代に「われ関わり知らず」として「引きこもり」の暮らしをしている、といわれてみれば、高年齢者は誰にもそういう傾向があることを否定できないだろう。
かつては業績を残した先輩の「いさぎよい進退」が、後輩に活動の場を残し、将来への安心感と励ましを与えてきた。だれもが穏やかに「余生」に入れたころはもちろん、いま企業や組織の「高齢者リストラ」がすすめばさらに、すぐれた知識、経験、人格をもった決して少なくはない人びとが、潔く職場を去っていったにちがいない。後輩として、だれもがそういう君子然として去って「君子的ひきこもり」にはいった先輩の姿を思い浮かべることができる。しかしそれは「余生」が短かったころのことで、高齢時代においては美談でもなんでもない。
「隠退ウーピーズ」(豊かな高年者層)
Sさんは、君子然といえるほどの風采ではないが、広い額に細い目でとくに笑い顔が安心感を与える温和な人柄の高年者である。超ではないが並一流の企業を定年退職してのち、残りの人生を楽しんで暮らせると計算を立てた「君子的ひきこもり」の高年者。しんがりとはいえ自分ではいまでも「隠退ウーピーズ」(豊かな高年者層)だと思っている。会社人間だったから地域に知り人はいないが、しごとや学生時代からの親しい友人たちがいて、それにつかず離れずに暮らす妻と子ども。趣味も多く、ひと一倍広い額に汗しての「旬の野菜は自作」の菜園が自慢である。
肝心の生活費はどうか。公的・私的年金のほかに資産収入もあって、娘の結婚、病気や不慮のできごと、車の買い換えや築二〇年を越えた住宅・設備の修繕などといった特別な出費のための「退職金」(預金と国債・株式が半々)は崩さないでも、小遣いは月五万円以上。現状では引きこもりに不服も不安もない。正直にいえば、不安はなくはないのだが、「わたしが地獄へゆくのならみんないっしょだ」と考えることで安心することにしている。住居のほかは子どもに資産を残すつもりはないから多彩な趣味を楽しみ、旅行でも観劇でも食事でも会合でも、必要な時には積極的に参加し、出費もする。ドック検査による健康状態も良好で、れっきとしたウーピーズぶりに思える。
「高年期じり貧人生」
Sさんは時代が下降し頽廃期へむかう時期にあると感じているので、「われ関わり知らず」と固く決めて、後輩が知恵を借りにやってくるのに対しても、「いまさら、こんな世の中のために、わたしまで引き出すのはやめてくれよ」 と、冗談としてではなくいって態度を崩さない。それでも後輩から声がかからなくなり、みずからも気力・体力の衰えを実感する日はさみしい。そんな日はテレビ批評もせず新聞も読まず、終日、気分の晴れないこともある。「君子的ひきこもり」の独居を楽しむ境地にはなお遠い。
ウーピーズといったところで、父祖伝来の土地を切り売りして億単位の資産を得て安全圏にいる都市近郊の「金満農家」と違って「零細資産家」だから、日本経済の「萎縮」(デフレーション)によって頼みの資産が目減りするのを気にかけている。朝方にはきょう一日の「万事大吉」を願い、晩方にはあすの「一陽来復」を祈るという日が重なっていく。
Sさんは、「老人と呼ばれたくない」とは思っているが、「現代丈人」という意識をもっていないから、ここでは「一陽来復型の高年者」と呼んでおこう。
「一陽来復型の高年者」が沈黙している間に、Sさんのような人が資産を「塩漬け」しているとする世論を背景にして、現役官僚はさまざまな手法で高年者の預貯金を切り崩す政策を取り始めた。そのことをSさんは、「後人として、あるまじき行為!」として憤懣を隠さない。といって、引きこもりに徹した生き方を変えるつもりはなく、思いのほか早々とやってきた「高齢期じり貧人生」とつきあう覚悟だけは固めている。本稿が甘く推察してみても、このままの状況で推移すれば、Sさんほどの人ですら生涯を安穏にすごしきることはむずかしい。
*・*「貯蓄ゼロの日」へカウント・ダウン*・*
「生涯現役の跡継ぎ二世」
「親孝行進学」
一方にはIさんのように、父親の後を継いで中小企業の経営者になった「生涯現役の跡継ぎ二世」の高年者がいる。Iさんは二〇年ほど前、四〇歳代なかばに二代目経営者となった。創業者の父親が元気だった高度成長・繁栄期といわれた時期もやたら忙しかっただけで、すこし羽振りがよかった程度で、とりわけ家が豊かになったわけではなかった。周囲の人びとが世間並みに暮らせるようにと、父親がひたすら心を砕いているのをみてきた。
父親は経営者として教育(学歴)がなかったことを生涯の負い目と感じていたから、「おまえは大学を出にゃいかん」と口癖にいって、家業の手伝いを強いず、子どもが高等教育を受けて意気揚々とした人生を送ることに期待しつづけた。晩年には「親孝行進学」で大学を出た息子が期待していた人生を歩んでいないことを知ることとなったが。
わが国の大戦後の製造業がたどった経緯からみて、戦後復興期から高度成長期(一九五五~七四年)のころに設立され中小企業では、Iさんのような跡継ぎ二世は決して少なくないだろう。技術力を尽くして質の良い日本製品をつくりあげてきた父親と労苦をともにしてきた社員に囲まれて育ち、いまは子どもとしてその跡目を継いでいる。同じような経緯をもつ機械製造の子会社(親会社ではない)から下請け品を求められれば、資金繰りをして設備投資を重ねても求められる製品を納めてきた。そして迎えた列島総不況。Iさんも人を減らしながら景気回復を待ちつづけてきたが、父親には申し訳ないが、ここ五年ほどのきびしい経緯からみて、もはや再生の手立てはないところにきた。
「ほどほどの赤字人生」
「生涯現役の跡継ぎ二世」のIさんが楽しみとしていた草野球の紅白戦も、若者が減って成り立たなくなった。「中小企業退職金共済」で定年は設けているが、父親のころから技術と意欲があってしごとができるうちは文字通りの終身雇用である。だから効率のいいしごとが減り収入が減っても従業員には減収にならないよう給与は払いつづけてきた。がそれにも限度がある。このまま推移していては、いつまでも借入金を返済する余力が出ない。高齢になって先が読めなくとも「われ関わり知らず」などといってはいられない。というより引くことなどできない。
「男というものは、きちんと仕事をすれば、どこで何をしていても、ほどほどの赤字ぐらしをするものだ」というのが、父親がよく口にし、自分も受け継いだIさんの負け惜しみ半分の人生哲学である。製造ノウハウを持つ親会社が生き残るために、まずは主要なパーツ以外は中国や東南アジアの途上国に生産拠点をシフトした。ついには製品化までとなれば、子会社ともども回復どころではない。「ほどほどの赤字人生」などといっていられない。独自でのしごとにメドがたたず、下がりつづけた担保資産との見合いの末に、不良債権の処理対象として銀行から見放され、こちらの意欲が萎えるまでは、会社と社員と家族を守るつもり。さしたるぜいたくもせず、「先憂後楽」の心意気を貫いて、沈没船の船長よろしく自分だけは地獄へでもどこへでもゆくつもり。
「先憂後楽型の高年者」
Iさんは、ゼロに始まってゼロに返る人生を納得する男子のみごとな生き方ともいえるが、「高年化社会」を多彩に豊かにする基礎となる「高年化用品」のユーザーであり、「高年化製品」のメーカーであるという点でもまたゼロの人なのである。Iさんが蓄積してきた技術力を、高年者の暮らしを豊かにする用品のために活かして活路を開くことが要請される。Iさんのように、良質な製品の製造に努めて現場で自得した完璧主義を崩すことなく、引き場のない人生を送っている篤実な熟年技術者を、「先憂後楽型の高年者」と呼んでおきたい。
*・*戦々兢々の高年期生活*・*
「大幅増税と貯蓄取り崩し」
大多数の給与所得者は、定年が六二歳(~六五歳)まで延びたものの、退職を前にして業務替えになったり、収入減を余儀なくされながら「待ちの日々」を送っている。充実した日々には遠い。このままなんとか定年まで勤めて、行く末が不安な程度の退職金と年金を合わせ計算しながら暮らすことになる。
Yさんは、技術畠ひとすじに三〇年余を勤めた会社を定年退職したばかり。退職後も前職をいかして仕事があればと願っているが、このリストラ時代。「ハローワーク」には求職の登録をせず、失業率には計算されない潜在的求職者のひとりである。だから失業率五%以下などという数字を信じてはいない。少ない退職金から、少なくはない住民税を支払って急に重量感を失った貯蓄から、さっそく定期的収入が減った分の「貯蓄取り崩し」がはじまった。
先行きの不安は身辺に渦を巻いている。財政負担を軽減するためのデフレ(物価下落など)や成長率低下を理由にした「公的年金」のカット。次第に現実味を帯びてきた「消費税の大幅増税」。いつ身に降りかかるかしれない「医療費」の自己負担。企業業績の不振による「企業年金」の減額。まだ五年つづく住宅ローン。そしていつまでも独立できない子どもへの支援出費・・。「ペイオフ」(預金の限度内払い戻し)に届かないほどの額だから、長生きすればいつか必ず訪れるにちがいない「貯蓄ゼロの日」への不安。
退職したあと職さがしをしているYさんは、旅行や観劇、書籍・雑誌の購入、外食などを減らして「選択的支出の削減」に努めている。それでも生活用品や日常経費、医療費や税負担とくに際立つ健康保険料など「基礎的支出」が確実に増えることから、家計の先行きはとめどなくきびしい。「貯蓄ゼロの日」へのカウント・ダウンは始まっているのだ。「薄氷を履む」ような日々が続くことになる。Yさんは多数派である「戦々兢々型の高年者」のひとり。「さして優れたことはしてこなかったけれど、必死で働いてきたつもりの自分までが、高齢者になって見捨てられることはないだろう」と国の施策を信じている。長生きすればいつかまた「スイトン時代」がやってくるかもしれないが、それでも平和なら生きられるだろうとYさんは思っている。
Yさんは、通信機器関連の技術労働者であり、いまも会社の主力製品のひとつになっている機器の発案製作者。といって発明対価を求めるのは違うと思っている。
「将来への希望は現場の活力にある」と技術者であった経験から確信している。
自分は細身だったのでヘルメットは似合わなかったが、「プロジェクトX・挑戦者たち」(NHKの人気シリーズ番組だった)で、工夫を重ねて事業に邁進した人びと、いかにもヘルメット姿が似合いそうな人びとの話を聞くのが楽しみだった。番組が終了してずいぶん経つというのに、胸の奥に刻まれたように、気がつくといまも中島みゆきが歌ったテーマ曲の一節「つばめよ、地上の星はいま何処にあるのだろう」が体の中を繰り返し流れているという。仲間との苦闘のあとを思いながら、溢れる涙をじっとこらえていた技術者たちの顔顔顔はいまも忘れられない。
「バブル・不良債権」
「デフレ・スパイラル」
「戦々兢々」といってもYさんにはいまも活かせる技術がある。「先憂後楽」のIさんにはチャンスが残っている。「一陽来復」のSさんにはなお余裕があるではないか。老後の生活設計など立てられず、ぎりぎりの年金だけを頼りに先の見えない不安な日々をすごしている高年齢者が時々刻々と増えているのだ。傷んでも家の修繕なんかにとてもお金をまわせない。
それなのに、将来の展望や不況脱出の契機を語るのは、数字には強いが人間味が感じられない経済学者や横文字だらけのアナリストであったり、大蔵省や日銀の関係者であったり、実務体験の希薄な経営者であったり、現場の臭いのしないジャーナリストであったりした。司会者も含めて、いずれ安全な「経済学の丘」の上からの展望者であり、どうみても現場の痛みがわかるような人びとではなかった。だから将来の方策も不況脱出の方途も、痛みを感じている人びとを優先するものとはならないだろうことは推測できた。
「バブル・不良債権」で一〇年あまりを騒ぎつづけ、次には「デフレ・スパイラル」(物価下落、所得減少、需要減退、物価下落というらせん状の悪循環)をこね回し、億兆円を差し引きする人びとのご託宣は、夢の中にまで押しかけてくるほどに聞かされた。九○年代から新世紀を通じて日本経済の退潮は持続して実感されてきたから、一般市民はその間、右下がりの暮らしを納得させられてきたのである。「数値に裏付けされたさまざまな分析が、みんな正しかったとしても、国民を対処に立ち向かわせる人的パワーを燃え立たせる変革に結びつかなかったのではないですか」と、Yさんは静かに、Sさんは熱して不服に思う。
*・*七〇歳が稀でなくなった稀な時代*・*
「元気印のおばあちゃん」
「お年寄りと聞いて何歳以上を思い浮かべますか」という新聞社の世論調査によると、「八〇歳以上」が一一%、「七〇歳代」が五四%、「六〇歳代」が三〇%だった。合わせて六割を超える人びとが七〇歳以上に実感を持つようになったのは、高齢化とともに元気なお年寄りが着実に増えている証し。男性より七年も女性が長寿だから、どこのお宅にも「元気印のおばあちゃん」がいる時代。
いままた詩史を詠う杜甫の「人生七十古来稀なり」に古希を迎えて出合って半世紀をいる。「人生七十」が稀ではなくなった稀な時代に遭遇してのことである。
杜甫は意に適わぬ日々を酒びたりで送っていたらしく、「酒債は尋常行く処に有り、人生七十は古来稀なり」(酒のツケは行くところあちらこちらに有るけれど、人生七〇歳というのは古来から稀なこと)と詠った。無くなってほしい酒債と有ってほしい「人生七十」を対比している。七五八年のこと。四七歳の時にこう詠った杜甫だったが、本人は「古希」にはほど遠い五九歳で、旅先で都長安へ帰る日を思いながら死を迎えた。酒債なしに健康で「古希」をむかえ、祝い酒を味わえるこの国の高年者は、わが身の幸せの一盞を杜甫にもささげてほしい。
「古希丈人」
唐代の杜甫と阿倍仲麻呂といえば、日本人にとって親しい歴史上の人物である。奇しくも同じ七七〇年に生涯を終えた。、阿倍仲麻呂は、異郷の長安で故国の「三笠の山に出でし月」を思いながら亡くなったであろう。仲麻呂は七〇歳を迎えていたから、当時としては稀な長寿をまっとうしたことになる。
七〇歳のことを「杖国」というのは、国事に当たる大夫が七〇歳になって、国中どこででも使える杖を賜ったことからいわれる。さて、唐の長安で七〇歳を迎えた「七十杖国」の阿倍仲麻呂は、どんな杖を賜ったのだろう。歴史論議の場ではないから細部には向かわないが、現代が、だれもが杖を贈られて「七十古希」を祝うことができるという意味での「古来稀なり」な時代であり、それ故に「古希丈人」もまた、時代を超えてここに装い新たに登場することになる。「昭和」に生まれて、疾風怒濤の「昭和時代」を生き抜いてきた「古希丈人」である人なら、「脇役や老け役を演じていてどうなるのだ」と、自問しつつ主役を演じて暮らしているのではないか。
「介添え識者」
テレビ画面を見ていると、これが熟成した文化をもつ国の姿を表現しているメディアだろうかと思う。時代の花ではあるが「一知半解」の女性アナウンサーの傍らでにこにこしながら初歩的な解説を繰り返している「介添え識者」の存在が気にさわる。
「逆じゃないのか。なんで唯々諾々と脇役を演じているんだ」と、日々を「君子的ひきこもり」で送ることに決めたはずのSさんは、画面にむかって文句を放ち、リモコンの「消音」を押して横をむく。「介添え識者」の意思を殺したけだるい声が消えて静かになった家の中を見回す。家の外を見やる。テレビ画面ほどにいらつくステージではむろんない。高齢識者が本音で語れる番組がなぜつくれないのか。
「第三ステージの主役登場」
いま高齢期を迎えている人びとが、中年時代に粒々辛苦して築きあげてきたものは「中年期のステージ」であって、高年時代のための「高年期のステージ」はまだないというのが現実なのである。史上になかった時代のいわばパイオニアなのだからしかたがない。手狭な今のステージに納まろうとするから中年者の目ざわりになるのではないかと遠慮する。気力は萎える。孫から押し込まれる。「昭和」に生まれて疾風怒濤の「昭和時代」を生き抜いてきて、なお健康で潜在力をもっている「昭和丈人」である人びとが、引きこもりに身を固めて存在感を薄くする時期ではない。新世紀の日本を舞台に「第三ステージの主役登場」のときなのである。ステージで何を演じるかは個人の勝手だが、高年者になることが味わい深く、高年者であることが誇らしいような暮らしの場の創出。そんな活動が見えてくれば高年期の人生はおもしろい。
暮らしの場としては庭がその表現の場になるだろう。庭師にまかせるのではなくて、庭師に学んで庭木と語る。高年者がみんなで共有する「高年期のステージ」が各所にあるような「地域の高年化」。そこからはじめる。いま「グローバル化」で苦闘している中年世代が高年期を安心して迎えられるような「モノと場としくみ」を実現してやろうという心意気である。有形・無形の伝統資産を守り、再生することもいい。町に成熟した風気を醸成して。「現代丈人」の実例は、芸能や技能の継承者、学者、芸術家、宗教者、文学者などの姿のうちにいくらでも感知することができる。政治家とジャーナリズムを除けば。身のまわりには頼もしい無名の「古希丈人」がたくさんいる時代なのだ。
 

現代シニア用語事典 #1高齢期(二世代+α型)をどう生きる

#1高齢期(二世代+α)をどう生きる
*・*「七十古希」から「百齢眉寿」へ*・*
「丈人」 
「老人」と呼ばれて収まりがいい人ならそのままいけばいい。が、率直な実感としてみずからを高齢者と認めながらも、いま通用している意味合いで「老人」と呼ばれたくない、呼ばれるにはまだ間がある、あるいはなんとなく違和感がある、という人は多いだろう。
そんな場面で「丈人」と呼んでみてほしい。こちらも見慣れない、聞き慣れないことばだから、はじめは違和感があるだろう。が、使い慣れるうちに「老人」よりは収まりがよくなる。「老人」であるとともに「丈人」であること、そして「老人」であるよりも「丈人」であることに安らぎを見い出す。
「頑張ろう!」と「大丈夫!」のふたつが、「2011・3・11大震災」後の被災地で、お互いの励ましのことばとしてどれほど飛び交ってきたことか。この「大丈夫!」の「丈夫」が内に包みもつ強い気慨が「丈人」のものなのである。「頑張ろう!」が外向きなのに対して、「大丈夫!」は内にある力を呼びさます。
「春秋丈人」
「丈人」ということばは現代に呼びさまされた古語である。『論語「微子篇」』には、孔子を「四体勤めず、五穀分かたず、たれをか夫子といわんや」といって批判する人物として記されている。からだを使って穀物をつくらず暮らす自分を批判した人物を丁重にあつかっている孔子と、師をおとしめた人物として黙止してきた後の儒学者との違いに留意する必要があるが、ここはその場でないから深入りはしない。れっきとした古語であることと、「春秋時代」の腐敗しきった体制に抗して、みずから「四体勤め、五穀分かつ」ことをよしとして生きたこの健丈な老者を、「春秋丈人」のひとりとして認識しておけばいい。
昭和丈人」
21世紀のはじめに高齢期を迎えている昭和生まれの人びとを「昭和丈人」と呼ぶのは、先の大戦後(1945年~)の復興・成長・繁栄を「企業戦士」として体験し、九割中流社会を実感し、アジア地域で唯ひとつ先行して欧米型の近代化を達成したあと、列島総不況と経済のグローバル化(途上諸国の日本化・日本の途上国化)に見舞われているわが国の半世紀余の経緯を共有しているからである。史上にまれな高齢化を体現しながら、平和のうちに生きて、わが国独自の「高齢社会」を達成しつつある昭和生まれのみなさんを、敬意をもって「昭和丈人」と呼ぶ。「昭和丈人」のみなさんは、自分の中で「丈人」を感じるとき、その現場が実は政治不在という「人禍」によって生じていることにも気づくことになる。政治不在のために露呈している不都合な場面を、それぞれの活動(丈人力による)で乗り越えて、史上に新たな時代を築いている人びとを励ますことばとして、「昭和丈人」は納得がえられるように思える。  
「丈人力」
青少年期、中年期を通じて長い期間をかけて積み上げてきた知識や技術やさまざまな能力を、、どこまでも発展・熟達・深化させようとして働く力、ふつふつと涌いて出る強い生活力あるいは生命力を、本稿では「丈人力」(jojin ryoku)と呼んでいる。青少年や中年層からも敬愛される昭和生まれの「昭和丈人」層の「丈人力」によって、はじめて史上まれなそれでいて親しく住みやすい「日本型高齢社会」は達成されるにちがいないというのが本稿の確信を秘めた時代観察なのである。 
「高齢時代のライフサイクル」 
だれの人生にも、「乳幼児期」「少年期」「青年期」「壮年期」「老年期」という五つのステージ(年齢階層)があることを体験的に知っている。しかしこれは二五歳までに三つの階層をもつ発達心理学からの階層分けで実感もあるのだが、高齢化時代には加齢学的な観点から、逆に高齢期に三つを配する階層分けを考慮する必要がある。ここでは二五年間ずつの三つのステージを「三世代」に等しく割り振りながら高齢期に配慮したライフサイクルを基準にしている。
青少年期   〇歳~二四歳  自己形成期
バトンゾーン 二五~二九歳  選択期
中年期    三〇~五四歳  労働参加・社会参加期
パラレルゾーン五五~五九歳 自立期
高年期    六〇~八四歳  社会参加・自己実現期
長命期    八五歳~     ケア・尊厳期
といったあたりが、高齢者がみずからを顧みて納得できる「人生五つのステージ」といえるだろう。「バトンゾーン」というのは個人のライフ・スタイルによって生じる幅である。「パラレルゾーン」というのは、ふたつの人生期で、高年期への準備期でもある。「定年後は余生」と考える旧時代の「老人」タイプの高齢者意識が、「高齢社会」形成への自然渋滞をもたらしている。「高年期」での社会参加・自己実現期の二五年をどう体現して暮らすかの工夫が人生の差をつくることになる。
「賀寿期五歳層」のステージ
「高年期」そして「長命期」の日また一日を愉快に迎えて過ごすには、「賀寿期五歳層のステージ」の考え方が有効に働くだろう。先人は見定めえない人生の前方に次々に賀寿を設けて個人的長寿のプロセスを楽しんできた。いまは多くの仲間とともに励まし合いながら百寿期を目指せばよい。(2011年)
還暦期(六〇歳~六九歳) 昭和二六年~昭和一七年
古希期(七〇歳~七四歳) 昭和一六年~昭和一二年
喜寿期(七五歳~七九歳) 昭和一一年~昭和七年
傘寿期(八〇歳~八四歳) 昭和六年~昭和二年
米寿期(八五歳~八九歳) 昭和元年~大正一一年
卆寿期(九〇歳~九四歳) 大正一〇年~大正六年
白寿期(九五歳~九九歳) 大正五年~大正元年
百寿期(一〇〇歳以上)  明治四四年以前
六〇歳以上の約三九〇〇万人の高年者が活き活きと暮らす姿が「高齢社会」である。七〇歳の「古希」になったからといって生き急いで老成することはない。まだまだ先がある。人生の新たな出会いに期待する日々が待っているのである。
「七十古希」
「人生七十は古来稀なり」と詠った杜甫の詩「曲江」から七〇歳を「古希」と呼ぶようになったという。だから「七十古希」はすでに一二〇〇年余の経緯をもつことばである。それ以前のことはわからない。古来稀れなのだからよほど稀れだったのだろう。杜甫が詠ってたどりつかなかったことから「古希」がいわれ、七〇歳が長寿の証として納得されてきた。
そのころ長安は安禄山軍の侵入を受けたあとで、「国破れて山河在り、城春にして草木深し」(杜甫「春望」から)といったありさま。杜甫は意にかなわぬ日々を酒びたりで送っていたらしく、「酒債は尋常行く処に有り、人生七十は古来稀なり」(酒の付けは常にあちこちにあるけれど、あってほしい七〇歳は希にしかない)と有るものと無いものとを比較している。いまは両方がある時代だからこの対比に味わいがなくなったが。。杜甫自身は旅先で貧窮のうちに五九歳で没している。高級官人は七〇歳になると国中どこででも使える杖をもらって「杖国」と呼ばれたという。阿部仲麻呂は七〇を越えて生きたから拝受したのだろう。
「百齢眉寿」
「百齢」は百歳のこと。二〇一一年は大正百年だから、元年(一九一二)生まれの人が数え年で百歳である。わが国では百歳以上の人が二万人を超えてなお増えつづけており、いかに史上稀な長寿国であるかが知られる。
杜甫が「人生七十古来希なり」と詠ったことから「古希」がいわれ、七〇歳が長寿の証として納得されてきた。とすれば百歳ははるか遠い願望だったろう。「眉寿」は長寿のこと。老齢になると白い長毛の眉(眉雪)が生えて特徴となる。同じ唐の書家虞世南は「願うこと百齢眉寿」(琵琶賦)と記して百歳を願ったが、八〇歳を天寿として去った。「七十古希」の杜甫は五九歳だったから、長寿への願望は遠くに置いたほうがいい。
白髪が増えると老いの訪れとして苦い思いで納得するが、眉に白いものが見えた時は長寿への証として喜ぶほうがいい。いまや稀でない「七十古希」を迎えたら、次には「百齢眉寿」を目標にして日また一日を過ごしたらどうだろう。
「起承転結の青春期」
「日々これ青春」という人生があってもいい。大きな富士型のひとつ山の人生ではなくて、二〇年ごと繰り返しの連山型人生として、八〇歳までに四つの青春を生きたひとりに数学者の森毅さん(一九二八~二〇一〇)がいる。八〇年間を二〇年ごと四つのリフレインと意識した点に創意がある。
ここではひとつずつ山波ごとに次のような五つの特徴を付けて呼んでいる。
初の青春期  〇歳~一九歳
起の青春期  二〇~三九歳
承の青春期  四〇~五九歳
転の青春期  六〇~七九歳
結の青春期  八〇歳~
六〇歳からの「転の青春期」二〇年は、これまでに蓄積してきた知識や経験を活かして新たな人生展開を楽しみながら暮らすことになる。その成果によって「まとめ(結)の時期」もまた楽しいものになる。 
「体志行の三つのカテゴリー」
高年期にある人ならだれにもこれまで過ごしてきた「青少年期」と「中年期」の五〇年間に積み重ねてきた経験や知識や健康や有形・無形の資産がある。それらを六〇歳からの「高年期」を意識した「からだ(体・健康)」と「こころ・こころざし(心・志・知識)」と「ふるまい(行・技術)」のそれぞれにしっかりとバランスよく活かして暮らすこと。この三つ以外に人間(人生)としての存在はないというのが、東洋の哲学が持つ人間(人生)観なのである。そういう意味合いが納得できるのは、やはり「からだ(体)」のどこかに故障を生じる高年期になってからのことで、ここから「体・志・行」に配慮した「丈人人生」が始まる。人生を通じて右片上がりの能力をたいせつにする「丈人」であることを意識して三つをバランスよくすごすことによって、外面的に「老人」としてではなく「丈人」としての「健康・知識・技術」が表現されることになる。この三つをバランスよく働かせた暮らしをしている人が、敬愛すべき「現代丈人」のみなさんである。スポーツ界では「心技体」として認識されているのは、スポーツでは心の構えが技・体の差をつくるからである。
(制作中・つづきます)

現代シニア用語事典 #2高齢者(昭和丈人)と高齢社会

 #2高齢者(昭和丈人)と高齢社会
*・*街談巷議の関心は悪意にある*・*                                                            
「荒廃の末のXデー」(暴動?)
「なまぬるい幸せなんか押しつけないでほしい。不幸な体験だってしてみたい」
「戦場に生きるなんて実感は、人生の極みじゃないか」
「善意なんて何も生まないよ。悪意が行動のエネルギー源なんだ」
「遊んでるくせして、うるさいじいさんはいらない」
一回きりの人生だから、気ままにいろいろな体験をしてみたいという若者に、幸せであることを願いすぎることも、平和であることを望みすぎることもできない。人間のもついくつもの本性が歴史をくりかえすのだ。よしそれが愚かな選択だとしても。
昭和一〇(一九三五)年生まれで、いまやちっとも稀れではない「古希」を無事に通過したTさんは、そう思う。時代の行く先のまだ見えないらせん階段の上の方から、姿が見えないデーモン(悪魔)の叫ぶ声が聞こえるという。近ごろは、父母や自分が蒙った戦時中の惨禍や戦後の混乱を、繰り返してほしくない体験として後人に伝えるという営為が、無力であり無益であるとさえ思うようになった。進み出したら引き戻せない「惨禍へのプロセス」を、またたどることになる気配。だれも回避する術を持ちえなくなって、不幸な結末を負うことになるのは、何も知らない子どもたち。
「金輪際、わたしはつきあうことはないが」とTさんは、まっ白くなった髪を掻きあげながら、緊張感を解いた顔で結論づけて引きこもる。Tさんの歴史意識を覆すのはむずかしい。他人のためばかりでなく、みずからの安全のために、「経済学の丘」の上から内外の優れた分析家たちが、日本経済の先行きと社会のありようにさまざまな予測を下している。甲乙ABCとあるから、だれかの予測が的中することになるだろう。
総じての発展は望み薄。海外とくに途上国への進出や先端技術の開発によって、マクロ経済的には現状維持するものの、社会的にはあれこれの格差や亀裂が生じて内部荒廃へむかうとする予測あたりに実感がある。このまま推移すれば、巷に敵意があふれて、ある日、予測Zが的中して「荒廃の末のXデー」(暴動)がやってくる。丘の上の人びとは、他人の阿鼻叫喚を見下ろしていられるわけだから、Tさんが憂慮するような現実に直面しても、「予測的中!」を納得して傍観できる立場にある。ハルマゲドン(世界終末の争い)ですら予知して生き延びられる、選ばれた少数の人びとなのだ。そんな人びとのご高説に耳を貸す時期はもう過ぎている。 
「荒廃ベクトル用語」
経済アナリストの分析よりはもっと荒々しいのが、夕刊紙や週刊誌(女性雑誌も)やマンガ雑誌である。その多くは、一般市民が「荒廃の末のXデー」(暴動)を迎えるにあたっての免疫抗体を体内に造り出すために、毎号毎号、悪逆非道な人物たちを探し出しては、手を替え品を替えて内幕を暴きつづけてきた。より強い「流行性荒廃菌」に対しては、より強い免疫抗体を体内に形成するためにである。
拾えばページから溢れるほどあるものの、ここでは三~四行分だけ、週刊雑誌の類から「荒廃ベクトル用語」をもった見出し語を並べてみよう。
 狂気 抗争 挑発 怒号 罵声 悲惨 惨劇 醜悪 堕落 嫌悪 悪意 破壊 下流 地獄 逆襲 不法 非道 欺瞞 汚辱 凄絶 悪徳 横領 餓鬼 殺人鬼 修羅場 非常識 犬畜生 羊頭狗肉 魑魅魍魎 暴く ぶっ壊す 騙す 危ない 破る 淫ら 潰し 酷い 大嫌い スッパ抜き いじめ ハレンチ アホ バカ クビ ウソ ワースト ハルマゲドン・・
「街談巷議」の関心が「シラジラしい善意よりドスグロい悪意」にあるというので、記者たちは悪意、悲惨、狂気に満ちたニュースを、鬼神に魅入られでもしたように競って追いかけているが、ひと昔まえまで「オニ記者」というのは、「巨悪もおそれぬ閻魔王のような記者」ではなかったか。それにしても「悪徳の栄え」ならまだしも、「悪徳すら堕落」とでもいうべき風潮を拡大する「悪をあばく者」としてのしごとが愉快であるはずはない。
おもに「ウイークリー」というメディアの場で、表現の自由をよりどころに「悪をあばく者」としての編集長やデスク(副編集長)は、迫りくる「地獄の季節」に備えて、読者が「免疫力」を養っておくことの「負の公益」を、しごとの支えとしているのだろう。阿鼻叫喚の渦の中へ記者たちをのみ込んで、奈落へむかう大海嘯の勢いは衰えを知らない。
 さあたいへん。本稿も、「丈人という欺瞞」など、前出の見出しの三つ四つを貼り付けられて濁流にのみ込まれることを覚悟せねばならず、「仕っ方ないすよ」と同情されることになるだろう。部数は遠く及ばずとも、刊行をずらした隔週刊や月刊誌や通販誌のなかに、高年者を対象として誠実に着実に情報を送りつづけているメディアがあることは救いであるが。 
「悪事は千里を行く」
Tさんは、昭和のはじめに、世界不況のただなかで、国際的孤立と挙国一致の軍国主義化がすすむ中で、四人の子どもの末っ子として生まれて育った。国民の意識と活動の振り子が、家庭から国家へと大きく振れていく中で、両親は明るい将来を約束できなかったことだろうが、明るいことばが飛び交う家庭だったと記憶している。父は戦時中に死に、父方のいなかに疎開して、都会育ちの母は子どもたちには分からない苦労をしながら子どもたちを育てた。Tさんは兄や姉やいなかのいとこや仲間たちと、戦争ごっこをやめ、譲ってもらった教科書を黒く塗って、戦争責任などまるで関係のない戦後っ子として伸び伸びすごした。どこにいってもみんな貧しく、だれもがひもじかったけれども。
いままた不況下での閉塞感、財政難、そして軍事化と国際的孤立の気配。それに構想力を感じさせることばで語りかける優れたリーダーの不在。両親が直面していたとよく似たシーンに、いま自分が立ち会っているのではないかと感じている。不幸な事件との再会の予感。衣装を替えた登場人物によって「歴史悲劇の再演」ということになるのか。
「好事は門を出ず、悪事は千里を行く」という時代風潮。歴史に稀れな高齢化の時代に生きているから、「歴史の証人」として、同じ方向へのらせん的転回をふたたび目の当たりにすることになるのか。孫の翼くんや翔ちゃんは、こういう風潮に柔らかい膚をモロに曝しているのだからたいへん。先生から「名前のように大空を飛ぶような夢をもって」などといわれても、素直に「ハイ」とはいえない。コマーシャルで「残酷な時代を生きる君へ」と呼びかけるオトナの社会へのバリアをつくって、子どもたちはやさしくない心根の服を身に着けて家を出る。 
*・*世代間に広がる亀裂*・* 
「途上国型若年社会」
政治の「アメリカ一極化」と経済の「グローバル化」(世界同一化)の力によって、きしみながら新世紀へと舞台は回った。この一〇年ばかりの間、日本社会が受けた激しく際立った変容は、若年化とIT化と女性化だったから、パソコンとケイタイを駆使する若い娘はいつしか、「わたしが主役!」として振る舞うようになり、「世の中はますます悪くなる」とグチりつづけて定年を迎える父を脇役とみるようになった。わずかこの一〇年ばかりのことである。 
つつがなく進んで二一世紀に迎えるはずであった国際社会の課題は「高齢化」であった。
それを覆してしまったのが、政治のアメリカ一極化の突風とひた寄せる経済グローバル化の波濤であった。ヨーロッパの先進諸国とともにわが国もまた「高齢化」が予測されていたにもかかわらず、まともな「高年化社会」への構想とてないままに対応が遅れていたところへ、相撲取りがボディーブローをまともにくらった態の日本企業が、自衛策としてあわてふためいてとった「再構築」(リストラ)の手段が、若年化と女性化とIT化、そしてやや遅れての途上国進出であった。角度を変えて言い添えれば、一歩送れて成長期にはいった途上諸国とつきあうための「途上国化」であった。
「先進国型高齢社会」への推移を迎えるはずが「途上国型若年社会」に出くわして、二重の災難に見舞われることになった高年者。その上に身に覚えがない財政難による年金の減額や医療費の負担増、予想される消費税大幅増税といったシワヨセとヒッペガシ。さらに「団塊世代の高齢化」による多数派の形成。静かに推移するはずだった老後に、渦まくほどに状況悪化が予測されるに及んで、「おちおちしていられない高齢者」が急増しているのである。 そこに「もう待てない」と言い出して、いらだちに近い懸念や要請を示しはじめたのが、企業の生き残りのために身を挺することを余儀なくされた中年の現役世代だった。 
「塩づけ資産移譲論」
企業の生き残りのためとはいえ、ことあるごとに成果主義を強いられれば、同僚との間でも同業社間でも、親和の感性が磨り減って働かなくなる。実質賃金の目減りにも黙々と耐えてきた中年層の人びとの胸の奥に、将来への不安とともに高年者への不満がわだかまる。
現役世代がムリして負担している年金を受け取りながら、次の時代に、「われ関わり知らず」として暮らしているのではないか。あいまい模糊としていたいらだちは、次第にふたつの方向に要約されて、懸念や要請として納得されることになった。
ひとつは、家計の金融資産とされる約一四〇〇兆円で、そのうち五〇歳以上の世帯が七五%までを保有しており、多くを抱えた高年者が次の時代に関わりなく「引きこもり」の余生を送っている。アメリカやヨーロッパでは時代の推移と連動しながら人も動くしカネも動く。アメリカなら株式・出資金にまわるものが、日本では現金・預金(半分を越える)のままで動いていない。そのため起きているのが資産の塩づけ。時代の動きに対する高年層の人びとの不安や無関心が経済活動の効率を悪くし、企業活動の手足をしばっているというのが「資産塩づけ論」。
そこで消費を活発にするためには、使わない高年者から使い手の若年者へ資産をトランスファー(移譲)すべきではないのかという「資産移譲論」。
いくら構造改革であがいても、景気回復でもがいても、いっこうに進まない要因が、高年者層の支援の欠如にあるというものである。「塩づけ資産移譲論」には若手の現役世代からもおおいに賛同の拍手がわきそうな懸念や要望である。だが、「待ちたまえ、諸君が高年者になった時のことを思えば、そう簡単にいえることではない」と、企業内では脇役を余儀なくされている定年間近の団塊世代のひとり、Fさんは眉間にシワを寄せて真顔になっていう。「世代間の亀裂」がひろがる。          
*・*「ツカエナイ親」とはなんだ*・* 
「ひっぺがし」
「塩づけにできる資産などどこにもありはしないし、いまでさえ家庭では子どもたち、とくに娘によって、強奪に近い形で資産移譲が行われているのだから」
と、娘をもつ団塊世代のFさんはいう。女性が国の経済、社会の担い手といいながら、どれほどの若い女性が自分の実力(かせぎ)で暮らしているのだろうかと、ローライズ・パンツ(体型ギリギリのヘソ出し衣装)からいそいそとディオールのパーティー・ドレスに着替えて、自在に「変衣変性」する娘の姿をみながら、際限なしの「女性化」に懸念をもっているのである。「時代の花」として娘たちを擁護し、社会の女性化を推進する立場からは、無条件に、両親や祖父母の「六つの財布」からうまくせしめるのも実力のうちとする意見もあり、何より娘たちは「ひっぺがし」が当然と考えている。 
「ツカエナイ親」
人並みに応じられないと、「ツカエナイ親!」としてあしらわれる。うかうかしていると、心優しい高年者からまず、居る場所もない、おカネもないになりかねないのである。新世紀になって、若い女性やIT青年たちとともに輝いているはずだった高年者が居場所すらなくなるとは何たる仕打ち!
職場ではIT音痴と軽視され、売れ筋ヤング製品の現場からはずされ、はてはリストラの対象となる。「ハローワーク」(公共職業安定所)の窓口の混雑ぶりや、上野公園や新宿などの「ホームレス」用の青テントの群れや炊き出しに集まっていた人びとを思うたびに、Fさんには、高齢者だけが子どものころに見た戦後の「ふりだし」へと戻って行くように思えてくる。いったいだれが振った賽の目が悪かったのか。 
「家庭内ホームレス」
「新入社員ニート化」
高年者が暮らすのにふさわしいステージは「ふりだし」の位置、つまり「ステージレス」の状態にあるといえる。家に居場所がなくなって「家庭内ホームレス」に、そして屋外でも「ステージレス」である原因はどこにあるのか。このまま推移していては、高年者のだれもが不安なく暮らせる社会、少なくともそこへ向かっていると感じられる社会は、招き寄せようもない。
おちおちなんかしていられない。といって、高年者だけが犠牲になっているわけではないことにも注意しておこう。 
決して少なくはない優れたIT青年たちが、技術開発の内向的な作業の中で行方を見失い、使い捨てにされて社会と断絶していく。若い女性も華やいでばかりはいない。アルバイトや派遣社員なのに能力にあまる荷重な実務を引き受けて体調を崩し、ときには鬱病に陥り、外界との関係を遮断していく。繊細な感性の持ち主ほど傷ついているのである。引きこもりの傾向は、即戦力を期待されて入社したものの適性に不安をつのらせて出社しなくなる「新入社員ニート化」としても広がっている。 
そんな状況に包囲されて、現状を支えている中年世代の人びとは、いつしか「自己チュー」(自己中心主義)に陥ってしまう。しかしここはこれ以上に世代間の亀裂を深めることは止めようではないか。
とくに中年社員はこれから論じる「高年世代による高年時代のためのステージの創出」に期待して、先輩の果敢な挑戦を見守るのがいいと思う。得られる経済波及効果は将来にわたって大きいし、その成果はいずれは次世代の人びとの資産となるのだから。  
# いさぎよい隠退の功罪 
*・*長すぎる「余生」は余生でない*・* 
「君子的ひきこもり」
「隠退ウーピーズ」(豊かな高年者層)
現役世代が負担している年金を受け取りながら、次の時代に「われ関わり知らず」として「引きこもり」の暮らしをしている、といわれてみれば、高年齢者は誰にもそういう傾向があることを否定できないだろう。
かつては業績を残した先輩の「いさぎよい進退」が、後輩に活動の場を残し、将来への安心感と励ましを与えてきた。だれもが穏やかに「余生」に入れたころはもちろん、いま企業や組織の「高齢者リストラ」がすすめばさらに、すぐれた知識、経験、人格をもった決して少なくはない人びとが、潔く職場を去っていったにちがいない。後輩として、だれもがそういう君子然として去って「君子的ひきこもり」にはいった先輩の姿を思い浮かべることができる。しかしそれは「余生」が短かったころのことで、高齢化の時代においては美談でもなんでもない。
Sさんは、君子然といえるほどの風采ではないが、広い額に細い目でとくに笑い顔が安心感を与える温和な人柄の高年者である。超ではないが並一流の企業を定年退職してのち、残りの人生を楽しんで暮らせると計算を立てた「君子的ひきこもり」の高年者。しんがりとはいえ自分ではいまでも「隠退ウーピーズ」(豊かな高年者層)だと思っている。会社人間だったから地域に知り人はいないが、しごとや学生時代の親しい友人たちがいて、それにつかず離れずに暮らす妻と子ども。趣味も多く、ひと一倍広い額に汗しての「旬の野菜は自作」が自慢である。
肝心の生活費はどうか。公的・私的年金のほかに資産収入もあって、娘の結婚、病気や不慮のできごと、車の買い換えや築二〇年を越えた住宅・設備の修繕などといった特別な出費のための「退職金」(預金と国債・株式が半々)は崩さないでも、小遣いは月五万円以上。現状では引きこもりに不服も不安もない。正直にいえば、不安はなくはないのだが、「わたしが地獄へゆくのならみんないっしょだ」と考えることで安心することにしている。住居のほかは子どもに資産を残すつもりはないから多彩な趣味を楽しみ、旅行でも観劇でも食事でも会合でも、必要な時には積極的に参加し、出費もする。ドック検査による健康状態も良好で、れっきとしたウーピーズぶりに思える。 
「一陽来復型の高年者」
「高年期じり貧人生」
Sさんは時代が下降し頽廃期へむかう時期にあると感じているので、「われ関わり知らず」と固く決めて、後輩が知恵を借りにやってくるのに対しても、
「いまさら、こんな世の中のために、わたしまで引き出すのはやめてくれよ」
 と、冗談としてではなくいって態度を崩さない。それでも後輩から声がかからなくなり、みずからも気力・体力の衰えを実感する日はさみしい。そんな日はテレビ批評もせず新聞も読まず、終日、気分の晴れないこともある。「君子的ひきこもり」の独居を楽しむ境地にはなお遠い。
 ウーピーズといったところで、父祖伝来の土地を切り売りして億単位の資産を得て安全圏にいる都市近郊の「金満農家」と違って「零細資産家」だから、日本経済の「萎縮」(デフレーション)によって頼みの資産が目減りするのを気にかけている。朝方にはきょう一日の「万事大吉」を願い、晩方にはあすの「一陽来復」を祈るという日が重なっていく。
Sさんは、「老人と呼ばれたくない」とは思っているが、「現代丈人」という意識をもっていないから、ここでは「一陽来復型の高年者」と呼んでおこう。
「一陽来復型の高年者」が沈黙している間に、Sさんのような人が資産を「塩漬け」しているとする世論を背景にして、現役官僚はさまざまな手法で高年者の預貯金を切り崩す政策を取り始めた。そのことをSさんは、「後人として、あるまじき行為!」として憤懣を隠さない。といって、引きこもりに徹した生き方を変えるつもりはなく、思いのほか早々とやってきた「高年期じり貧人生」とつきあう覚悟だけは固めている。
本稿が甘く推察してみても、このままの状況で推移すれば、Sさんほどの人ですら生涯を安穏にすごしきることはむずかしい。 
*・*「貯蓄ゼロの日」へカウント・ダウン*・* 
「生涯現役の跡継ぎ二世」
「親孝行進学」
一方にはIさんのように、父親の後を継いで中小企業の経営者になった「生涯現役の跡継ぎ二世」の高年者がいる。Iさんは二〇年ほど前、四〇歳代なかばに二代目経営者となった。創業者の父親が元気だった高度成長・繁栄期といわれた時期もやたら忙しかっただけで、すこし羽振りがよかった程度で、とりわけ家が豊かになったわけではなかった。周囲の人びとが世間並みに暮らせるようにと、父親がひたすら心を砕いているのをみてきた。
父親は経営者として教育(学歴)がなかったことを生涯の負い目と感じていたから、「おまえは大学を出にゃいかん」と口癖にいって、家業の手伝いを強いず、子どもが高等教育を受けて意気揚々とした人生を送ることに期待しつづけた。晩年には「親孝行進学」で大学を出た息子が期待していた人生を歩んでいないことを知ることとなったが。
わが国の大戦後の製造業がたどった経緯からみて、戦後復興期から高度成長期(一九五五~七四年)のころに設立され中小企業では、Iさんのような跡継ぎ二世は決して少なくないだろう。技術力を尽くして質の良い日本製品をつくりあげてきた父親と労苦をともにしてきた社員に囲まれて育ち、いまは子どもとしてその跡目を継いでいる。同じような経緯をもつ機械製造の子会社(親会社ではない)から下請け品を求められれば、資金繰りをして設備投資を重ねても求められる製品を納めてきた。そして迎えた列島総不況。Iさんも人を減らしながら景気回復を待ちつづけてきたが、父親には申し訳ないが、ここ五年ほどのきびしい経緯からみて、もはや再生の手立てはないところにきた。 
「ほどほどの赤字人生」
「先憂後楽型の高年者」
「生涯現役の跡継ぎ二世」のIさんが楽しみとしていた草野球の紅白戦も、若者が減って成り立たなくなった。「中小企業退職金共済」で定年は設けているが、父親のころから技術と意欲があってしごとができるうちは文字通りの終身雇用である。だから効率のいいしごとが減り収入が減っても従業員には減収にならないよう給与は払いつづけてきた。がそれにも限度がある。このまま推移していては、いつまでも借入金を返済する余力が出ない。高齢になって先が読めなくとも「われ関わり知らず」などといってはいられない。というより引くことなどできない。
「男というものは、きちんと仕事をすれば、どこで何をしていても、ほどほどの赤字ぐらしをするものだ」というのが、父親がよく口にし、自分も受け継いだIさんの負け惜しみ半分の人生哲学である。製造ノウハウを持つ親会社が生き残るために、まずは主要なパーツ以外は中国や東南アジアの途上国に生産拠点をシフトした。ついには製品化までとなれば、子会社ともども回復どころではない。「ほどほどの赤字人生」などといっていられない。独自でのしごとにメドがたたず、下がりつづけた担保資産との見合いの末に、不良債権の処理対象として銀行から見放され、こちらの意欲が萎えるまでは、会社と社員と家族を守るつもり。さしたるぜいたくもせず、「先憂後楽」の心意気を貫いて、沈没船の船長よろしく自分だけは地獄へでもどこへでもゆくつもり。
Iさんは、ゼロに始まってゼロに返る人生を納得する男子のみごとな生き方ともいえるが、「高年化社会」を多彩に豊かにする基礎となる「高年化用品」のユーザーであり、「高年化製品」のメーカーであるという点でもまたゼロの人なのである。Iさんが蓄積してきた技術力を、高年者の暮らしを豊かにする用品のために活かして活路を開くことが要請される。Iさんのように、良質な製品の製造に努めて現場で自得した完璧主義を崩すことなく、引き場のない人生を送っている篤実な熟年技術者を、「先憂後楽型の高年者」と呼んでおきたい。 
*・*戦々兢々の高年期生活*・* 
「貯蓄取り崩し」
「消費税の大幅増税」
大多数の給与所得者は、定年が六二歳(~六五歳)まで延びたものの、退職を前にして業務替えになったり、収入減を余儀なくされながら「待ちの日々」を送っている。充実した日々には遠い。このままなんとか定年まで勤めて、行く末が不安な程度の退職金と年金を合わせ計算しながら暮らすことになる。
Yさんは、技術畠ひとすじに三〇年余を勤めた会社を定年退職したばかり。退職後も前職をいかして仕事があればと願っているが、このリストラ時代。「ハローワーク」には求職の登録をせず、失業率には計算されない潜在的求職者のひとりである。だから失業率五%以下などという数字を信じてはいない。少ない退職金から、少なくはない住民税を支払って急に重量感を失った貯蓄から、さっそく定期的収入が減った分の「貯蓄取り崩し」がはじまった。
先行きの不安は身辺に渦を巻いている。財政負担を軽減するためのデフレ(物価下落など)や成長率低下を理由にした「公的年金」のカット。次第に現実味を帯びてきた「消費税の大幅増税」。いつ身に降りかかるかしれない「医療費」の自己負担。企業業績の不振による「企業年金」の減額。まだ五年つづく住宅ローン。そしていつまでも独立できない子どもへの支援出費・・。「ペイオフ」(預金の限度内払い戻し)に届かないほどの額だから、長生きすればいつか必ず訪れるにちがいない「貯蓄ゼロの日」への不安。
 退職したあと職さがしをしているYさんは、旅行や観劇、書籍・雑誌の購入、外食などを減らして「選択的支出の削減」に努めている。それでも生活用品や日常経費、医療費や税負担とくに際立つ健康保険料など「基礎的支出」が確実に増えることから、家計の先行きはとめどなくきびしい。「貯蓄ゼロの日」へのカウント・ダウンは始まっているのだ。「薄氷を履む」ような日々が続くことになる。
Yさんは多数派である「戦々兢々型の高年者」のひとり。
「さして優れたことはしてこなかったけれど、必死で働いてきたつもりの自分までが、高齢者になって見捨てられることはないだろう」と国の施策を信じている。長生きすればいつかまた「スイトン時代」がやってくるかもしれないが、それでも平和なら生きられるだろうとYさんは思っている。
Yさんは、通信機器関連の技術労働者であり、いまも会社の主力製品のひとつになっている機器の発案製作者。といって発明対価を求めるのは違うと思っている。
「将来への希望は現場の活力にある」と技術者であった経験から確信している。
自分は細身だったのでヘルメットは似合わなかったが、「プロジェクトX・挑戦者たち」(NHKの人気シリーズ番組だった)で、工夫を重ねて事業に邁進した人びと、いかにもヘルメット姿が似合いそうな人びとの話を聞くのが楽しみだった。番組が終了してずいぶん経つというのに、胸の奥に刻まれたように、気がつくといまも中島みゆきが歌ったテーマ曲の一節「つばめよ、地上の星はいま何処にあるのだろう」が体の中を繰り返し流れているという。仲間との苦闘のあとを思いながら、溢れる涙をじっとこらえていた技術者たちの顔顔顔はいまも忘れられない。
 「バブル・不良債権」
「デフレ・スパイラル」
「戦々兢々」といってもYさんにはいまも活かせる技術がある。「先憂後楽」のIさんにはチャンスが残っている。「一陽来復」のSさんにはなお余裕があるではないか。老後の生活設計など立てられず、ぎりぎりの年金だけを頼りに先の見えない不安な日々をすごしている高年齢者が時々刻々と増えているのだ。傷んでも家の修繕なんかにとてもお金をまわせない。
それなのに、将来の展望や不況脱出の契機を語るのは、数字には強いが人間味が感じられない経済学者や横文字だらけのアナリストであったり、大蔵省や日銀の関係者であったり、実務体験の希薄な経営者であったり、現場の臭いのしないジャーナリストであったりした。司会者も含めて、いずれ安全な「経済学の丘」の上からの展望者であり、どうみても現場の痛みがわかるような人びとではなかった。だから将来の方策も不況脱出の方途も、痛みを感じている人びとを優先するものとはならないだろうことは推測できた。
「バブル・不良債権」で一〇年あまりを騒ぎつづけ、次には「デフレ・スパイラル」(物価下落、所得減少、需要減退、物価下落というらせん状の悪循環)をこね回し、億兆円を差し引きする人びとのご託宣は、夢の中にまで押しかけてくるほどに聞かされた。九○年代から新世紀を通じて日本経済の退潮は持続して実感されてきたから、一般市民はその間、右下がりの暮らしを納得させられてきたのである。「数値に裏付けされたさまざまな分析が、みんな正しかったとしても、国民を対処に立ち向かわせる人的パワーを燃え立たせる変革に結びつかなかったのではないですか」と、Yさんは静かに、Sさんは熱して不服に思う。  
# 有史以来という「少子・高齢化」
*・*分離できない「少子化」と「高齢化」*・* 
「総人口減少」
「少子・高齢化社会」
EUや日本など先進諸国でひとしく明らかになってきた「有史以来の少子・高齢化」というのはどういう事態で、高齢者にとっては何が問題なのか。文字通りの意味からすれば、生まれる子どもの数が減り、相対的に高齢者比率が増し、その高年者がこれまでより以上に長生きをする事態ということになる。推測では他の途上国も次第に高齢者比率が増してゆくという。
わが国の人口統計によれば、二〇〇五年の一億二七七七万人をピークにして二〇〇六年からは「総人口減少」に転じた。「総人口減少」の事態に対して国は将来の活力維持のために「少子化」に歯止めをかけねばならず、若年者支援の細かな対策を自治体や企業の現場に求めている。また経済のグローバル化の波に遭遇してアメリカや途上国の活力に接することになった現役世代の人びとの関心が「高齢化」を置いて「少子化」に寄ってしまって、若者中心の暮らしを優先することになっている。企業もまた採算を急いで、製品の主軸を若年層に移している。
先進国が史上はじめて迎えた「少子・高齢化」という事態を、わが国は「少子化」と「高齢化」に分けて対処しようとしている。これでは「少子・高齢化社会」にはならない。ここでの大事な点は、これまでとは異なる構造の社会を登場させるにあたって、高年者が主体者として現役で暮らしているという体感をもてるかどうかにある。 
「過剰老齢人口」
「役に立たない高齢者」
現状のままの社会を保持すればいいという立場の人びとの中には、日本の人口は減ったほうがいいという意見がある。明治のはじめには三〇〇〇万人であったが、大正のはじめには五〇〇〇万人に、戦後直後は七〇〇〇万人に、そして昭和四二(一九六七)年には一億人に達した。一〇〇年で三倍になったことになる。その間、急激な増加による「過剰人口」(厚生白書)への対応が政策課題とされたころもあったのだから、「過剰老齢人口」という事態は同様に政策課題として避けられないというのである。
そういう逆風を察した高齢者の側は、後人に迷惑をかけることなく、静かに生きて介護を受けずに死ねれればいい、と願って暮らしている。そんな高齢者が事故や急病でぽっくり死んでくれると、資産は即座に次世代にもたらされる。日々のやりくりに苦しい中年層にとって、それはアリガタイことなのだ。本音は「役に立たない高齢者」の急死は歓迎なのである。不幸な情景だが、何もしない高年齢者の存在が後人に歓迎されなくなっているのだ。 
そんなことはあってはならないが、それを知らなくてはならない。
当事者である高年齢者の存在が「少子・高齢化社会」の形成のために役に立っていない。いまがどういう事態で何をすべきなのかを高年齢者の側がわかっていない。先述したとおり「逆水行舟」の時代なのであって、なにもしないで同じ場所にいるつもりが、後人にめいわくな方向へ流されているのだ。 
「三世代多重同等型社会」
単純化しすぎると異見を生じるが、こう考えてみよう。
いま暮らしている社会構造をいま現役である中年世代の人びとのものとして置いてみる。その上で新たに子どもたちの居場所と自分たちの居場所を多重化して作り出さねばならないのである。青少年世代との共有の場。それが新たな「第三期の人生」のためのステージとなる。いまある社会構造に重ねて、「少子化」と「高齢化」をつなぐ新たな社会構造を高年者の活動によって多重的に形成することで、「三世代同等型の社会」が実現する。これが有史以来という「少子・高齢化」に対応する高年者側からの「構造改革」なのである。
いまある「中年世代」中心の社会構造をたいせつにしながら、「高年世代」が活動することによって、「三世代」がそれぞれに「多重標準」を意識しながらさまざまな場を形成していくことが肝要なのである。「少子・高齢化社会」への推移のなかで、高年者と青少年が主体的に発揮する潜在力は大きい。社会が高年化する時代にあっては、高年者が現状のまま何もせずに過ごすわけにはいかないと知るべきなのである。
「次世代育成」の事態に対しては、子どものことだから対策は若年層にまかせればいいとはならない。高年者は二重丸の外丸の位置にいて子育て環境の改善を支援すること、つまり「高齢化」と「少子化」との双方に関わる視野での活動が求められている。
「少子・高齢化」の事態はいわれて久しく、なお進行しつづけているが、高年者側からの顕著な動きは見えない。したがって高年者の存在基盤はなおもろいままなのだ。
一回きりの人生のかけがえのない高年期を、三世代がともに暮らしやすい新たなステージ「三世代多重型の社会」の創出にかける。そういう目標をかかげた「現代丈人層」の人びとの着実な活動からはじまり、そういう日々を送る人びとの活動の総和として持続可能な「日本高年化社会」は引き寄せられるのである。 
*・*七〇歳が稀でなくなった稀な時代*・* 
「元気印のおばあちゃん」
「人生七十は古来稀なり」
「お年寄りと聞いて何歳以上を思い浮かべますか」という新聞社の世論調査によると、「八〇歳以上」が一一%、「七〇歳代」が五四%、「六〇歳代」が三〇%だった。合わせて六割を超える人びとが七〇歳以上に実感を持つようになったのは、高齢化とともに元気なお年寄りが着実に増えている証し。男性より七年も女性が長寿だから、どこのお宅にも「元気印のおばあちゃん」がいる時代。
長らく七〇歳を「古希」と呼んできたのは、唐代に詩人杜甫が詠んだ、「人生七十は古来稀なり」という詩句からとされている。そのころ唐の都であった長安(いまの西安)は、反乱軍の乱入で荒れはてて、「国破れて山河在り、城春にして草木深し」(「春望」から)といったありさま。この「国破れて山河在り」はわが国でも、前世紀の敗戦後に戦火によって焦土となった大地に立った人びとによって、実感をもって語られた詩句であった。
半世紀をすぎて、いままた詩史を詠う杜甫の「人生七十古来稀なり」に古希を迎えて出合っている。「人生七十」が稀ではなくなった稀な時代に遭遇してのことである。
杜甫は意に適わぬ日々を酒びたりで送っていたらしく、「酒債は尋常行く処に有り、人生七十は古来稀なり」(酒のツケは行くところあちらこちらに有るけれど、人生七〇歳というのは古来から稀なこと)と詠った。無くなってほしい酒債と有ってほしい「人生七十」を対比している。七五八年のこと。四七歳の時にこう詠った杜甫だったが、本人は「古希」にはほど遠い五九歳で、旅先で都長安へ帰る日を思いながら死を迎えた。酒債なしに健康で「古希」をむかえ、祝い酒を味わえるこの国の高年者は、わが身の幸せの一盞を杜甫にもささげてほしい。 
「古希丈人」
「介添え識者」
 唐代の杜甫と阿倍仲麻呂といえば、日本人にとって親しい歴史上の人物である。奇しくも同じ七七〇年に生涯を終えた。、阿倍仲麻呂は、異郷の長安で故国の「三笠の山に出でし月」を思いながら亡くなったであろう。仲麻呂は七〇歳を迎えていたから、当時としては稀な長寿をまっとうしたことになる。
七〇歳のことを「杖国」というのは、国事に当たる大夫が七〇歳になって、国中どこででも使える杖を賜ったことからいわれる。さて、唐の長安で七〇歳を迎えた「七十杖国」の阿倍仲麻呂は、どんな杖を賜ったのだろう。歴史論議の場ではないから細部には向かわないが、現代が、だれもが杖を贈られて「七十古希」を祝うことができる「古来稀なり」の時代であり、それ故に「古希丈人」もまた、時代を超えてここに装い新たに登場することになる。「昭和」に生まれて、疾風怒濤の「昭和時代」を生き抜いてきた「古希丈人」である人なら、「健丈な高年者が、中年世代の人びとの手狭なステージの周辺で、脇役や老け役を演じていてどうなるのだ」と、自問しつつ暮らしているのではないか。
だからテレビ番組で、時代の花ではあるが「一知半解」の女性アナウンサーの傍らでにこにこしながら初歩的な解説を繰り返している「介添え識者」の存在が気にさわる。
「逆じゃないのか。なんで唯々諾々と脇役を演じているんだ」と、日々を「君子的ひきこもり」で送ることに決めたはずのSさんは、画面にむかって文句を放ち、リモコンの「消音」を押す。「介添え識者」のけだるい声が消えて静かになった家の中を見回しても、家の外を見やっても、高年者優先のステージといえるものなどどこにもない。 
「第三ステージの主役登場」
ここで整理しておこう。いま高年期を迎えている人びとが、中年時代に粒々辛苦して築きあげてきたものは「中年期のステージ」であって、高年時代のための「高年期のステージ」は不在というのが現実なのだ。「昭和」に生まれて疾風怒濤の「昭和時代」を生き抜いてきて、なお健康で潜在力をもっている「昭和丈人」である人びとが、引きこもりに身を固めて存在感を薄くする時期ではない。新世紀の日本を舞台に「第三ステージの主役登場」のときなのである。ステージで何を演じるかは個人のものだが、高年者になることが味わい深く、高年者であることが誇らしいような暮らしの場の創出。そんな活動が見えてくれば高年期の人生はおもしろい。 
暮らしの場として高年者がみんなで共有する「高年期のステージ」が各所にあるような「地域の高年化」、いま「グローバル化」で苦闘している中年世代が高年期を安心して迎えられるような「モノと場としくみ」を、高年者として実現してやろうという心意気である。有形・無形の伝統資産を守り、再生すること。町に成熟した風気を醸成して。「現代丈人」の実例は、芸能や技能の継承者、学者、芸術家、政治家、宗教者、文学者などの姿のうちにいくらでも感知することができる。名をなさずとも身のまわりには頼もしい無名の「古希丈人」がたくさんいる時代なのだ。 

現代シニア用語事典 #3個人の幸せと家庭内高年化

#3個人の幸せと家庭内高年化
#暮らしの中に太い動線を確保する
*・*マイホームに「マイ」がない*・*  
「企業中心の時代」
「企業戦士」
経緯からいえば、かつての「国家中心の時代」から「企業中心の時代」へ、そしてさらに「マイホーム中心の時代」へとたどってきた暮らしのすべてに体験をもつ人びとが、その後も一貫して「マイホーム中心」の立場に理解を示しつづけていることを見落としてはならないだろう。
国民意識の振り子が「一億玉砕」という「国家中心」の果てまで振れた末に敗戦国となったあと、企業の成長と成果がそのまま国の復興の基となり、企業の安定がそのまま家庭の安定につながると考えることができた人びとは、進んで「企業戦士」ともなったのだった。だから、企業戦士にとって「マイホーム」は休息の場であり、家族の幸せのよりどころとなった。
これは後の章でも論じる課題だが、国家も企業もわが家もどれも等しく重要なのであるから、三つが同時に等しく扱われることがあってほしいのだが実際にはむずかしい。個人の立場を重視する「民主主義」のもとで、半世紀に超一四〇〇兆円の個人資産をため込んだ一方で、超一〇〇〇兆円の財政赤字を抱えてしまった国家。それをなお軽視しつづけて、国民意識の振り子が「マイホーム中心」の果てまで振れたときにどうなるか。国家はおろか企業も立ちいかなくなってわが家だけが平穏でありうるものか。そこでまた記憶をたどって「国家中心」の方向へと振り子はもどろうとする。
「マイホーム中心の時代」
「核家族」
いまはなお「マイホーム中心の時代」。
マイホーム、耳にすると心安まる、なんともいえず響きのいいことばである。わが国でこれほどまでに生活感を内包しえたカタカナ語を、他に探すのはむずかしい。いま高年者となっている人びとがそれぞれの人生をかけて、二○世紀後半の五○年の間にその内容をつくった日本語なのである。だから細部の意味合いは個人によって異なる。個人として大切に保っているひよわなもの、よき(良き、好き、善き)ものを守る砦として、「マイホーム」は先行の「わが家」や「家庭」などとともに、それに負けない新鮮な温もりを日本語として持つに至っている。その分だけ「ホームレス」ということばが、孤独なわびしさを伝えてくる。
戦後っ子だったパパとママは「マイホーム主義」とからかわれながらも、狭いマイホームに身を寄せ合って暮らし、必死に働いて、ふたりの子どもを育ててきたのだった。夫婦と子どもふたりの家庭が都市型住民の典型となり、「核家族」と呼ばれ、「標準家庭」ともなったのだった。その後、職場まではいっそう遠くなっても、マイホーム・パパは、子どもたちそれぞれに一部屋をと考えて、団地からさらに郊外のプレハブ一戸建てに引越した。そういう体験をもつ人びとも少なくないだろう。
人生のはるか遠い地点までを見透かして、可能なかぎりの費用を工面して、マイホームを獲得し、いまそのころ見据えていた地点の近くに高年者として立っている。マイホームの当主としての存在感を確認するために、じっくりとわが家の中を見直してほしい。家族の希望をかなえることを優先して、そのぶんみずからの希望を抑えてきた結果、不相応な応接セットや家具といった家族共用品はあってもみずから求めた専用品というのは少なくて、「モノと場」に表わされた存在感が意外に希薄なのに気づくであろう。
「ヒカラビてる人」
「ヨボヨボ・ジジババ」
ここでは実際に両親と子ふたりの核家族マイホームを覗いてみよう。
娘と息子がパラサイト・シングル(寄生独身者)をきめこんで、親元から出て行かない家庭。イエローカード一枚といった子どもを持つ「団塊シニア」であるFさんに登場を願うとしよう。
Fさんの上の娘は短大を出てフリーター暮らし。かせぎはほとんど衣装と海外旅行に消えている気配。下の息子はごく普通の大学をごく普通に卒業して、親のひいき目でもしっかりしてきたように見えるのだが、就職試験を受けて勤めはじめた輸送関連の会社だったのに、短期でやめて家にいる。大学を出たのだからと本人の自主性にまかせているが、というより言っても聞かないから気儘にさせているが、同じ経緯をもつ友だちとパソコンやケイタイで情報のやりとりをして過ごしている。時折り出かけて「職さがし」はしているものの、「ニート化」(NEET。働くつもりのない若年無業者)への気配もあるという。
娘や息子の話を聞くともなく聞いていると、両親と同じ高年者を、「ヒカラビてる人」とか「ヨボヨボ・ジジババ」といっていることがある。時には父親を「アノヒト」、面とむかって母親を「キミ、元気かね」と呼ぶなど、軽くあしらわれていると感じることがたびたびある。
「この家はわたしが名義人なのだ」などというのも愚かしい。壁面に娘が貼った「のりか」(藤原紀香)のポスターほどには、底値までさがった土地の築二〇年という家の壁に存在感があるわけはない。
いわれてわが家の中を見直して見る。本だなの本が動いていない。耐久性のあるものは、どれも十年以上まえに購入したものばかり。一方、暮らしの表面を流れていく日用品は、百均やスーパーものが多くなった。なかにルイ・ヴィトン(バッグ)やプラダ(バッグ)やディオール(服装品)やシャネル(化粧品)などといったFさんにもわかるブランド品も少しあって、そのアンバランスさに父親であり夫である自分への無言の不満が隠されているように思える。Fさんのブランド品といえるものは、後にも先にもオメガ(OMEGA 終わりの意)の腕時計だけ。専用品の希薄さは、みずからのために生きることへの自負の欠落でさえある。
「マイホーム」のために努めてきたはずなのに、と思うのはFさんのほうの都合であって、最も優遇されている仲間を比較の基準とするジュニア側は、そうは思っていない。「ツカエナイ親!」として、おおかたは現状に不満なのである。 
「新宿ホームレス」
「家庭内ホームレス」
不満との葛藤を行動のエネルギーにしている子どもたちの「荒廃菌免疫」のありようを、つまりわが子の潜在的ワル度をFさんはつかめていない。当主として当然のこととしてきた家族への配慮が、「人生の第三期」にはいった自分を支える磁場の不在となってしまっていることには気づいている。
マイホームに「マイ」がない。では「新宿ホームレス」とどこが違うというのか。
たとえ不在であっても、当主の存在感を同居人にきちっと示しているような家庭内の拠点が必要なのだ。そのための専用スペースの確保。といって、夫婦と子ども二人で最低居住水準をぎりぎりクリアしている3LDKの住まいだから、当主として一部屋をなんて余裕はない。子どもたちが親ばなれせずにいるから、それぞれ一部屋、それに夫婦の一部屋である。部屋の確保を謀って追い出し(子どもの自立)を試みても、獲得に失敗した末に孤立してしまうようでは、拠点どころか「家庭内ホームレス」になってしまう。となると共用スペースであるリビング・ルームの一画となる。要は、たとえ不在であっても当主の存在感をきちっと示せるようなコア(核)をつくることにある。 
*・*「マイ・チェア」の即座の効用*・*
「当主不在の在」 
「家庭内リストラ(高年化)」
「家庭内の高年化」なのだから、されるのではなく、するものである。
たとえ不在であっても、当主の存在感を示せるような「当主不在の在」としての「わたしのもの」の存在。いまリビング・ルームを見渡しても、何もかもがそうであるようでそうでない。おおかたは家族共用品なのである。
「家庭内リストラ(高年化)」はこれまでそういう意図がなかったのだから、際立って「わたしのもの」といえるものなどないのが当たり前。亭主関白といわれながらも、意識して自分のものを置いているという人なら、もうここから先は読む必要のない「先駆的現代丈人」である。
おおかたのマイホーム・パパは、常人であることを率直に認めて、わが高年期人生を輝かせる「丈人モデル」型の能力を、傍らにあって支えてくれる「高年化用品」を意識して配置することにしよう。蓄えてきた知識や積んできた経験をさらに深化・発展させることに資する「わたしのもの」を、いつでも利用できる状態に置いておく。身近にあって「わたしのもの」といった役割を担えればいいのだから、高価なブランド品である必要はない。日ごろから愛用しており、「わたしのもの」という存在感があればいい。これと決めた「高年化用品」を基点にして「家庭内リストラ」をすすめ、高年期の住環境を整えようというのである。
まずはひと昔前まではNO・1の愛用品だった机と文具類。いまやパソコンとEメールの時代だから、久しく脇役に耐えていることだろうが、馴染んだ机は「高年者意識の据え置き場所」として確保して活かしたい。
「高年化コア(核)用品」
「パパのもの」
楽器、実用性を失ったがシャッター音と手触りの愉悦には変わりがないカメラ、それにオーディオといった愛用機器。あちらこちらに散在していたのを全員集合!をかけてあつめた一二〇冊ほどの愛読書。碁・将棋盤やゴルフ・釣り具セット。優れた手仕事に感じ入ってきた碗・皿・硯といった日用骨董品。明かり、時計、置物などのアンチーク(西洋古美術品)。日ごろ忘れがちな優美なものへの快さを呼びさましてくれる彫刻や絵画。造形や色彩が精細なものへむかう感覚を刺激してくれる貝や蝶。さらには地球儀、船・飛行機・汽車・車のミニチュア。素朴な木製アフロ・グッズ・・まだある。
どれも当主としてお気に入りの「高年化コア(核)用品」の候補だが、多くはいらない。五~七点を自分で納得して選び、置き場所を決めればいいことだ。これと決めた愛用品を際立たせることで、家庭内に高年期のステージが立ち上がる。静かな「家庭内リストラ」が動き出す。そのうちに同居人が「パパのもの」としてその存在に気づくだろう。
意想外に地球儀なんかがおもしろそうだ。東アジアの隅にある島国ではなく、太平洋リング(大洋弧)の一角にありながら、経済や文化の上で大きな貢献をして輝いている「優れた小国」であることを、宇宙飛行士の視点で納得することができる。「小日本(シャオ・リーベン)」は、「粗野な大国」よりはるかにあってほしいわが祖国の姿ではないか。
手にいれるのは困難な貴重種だそうだが、蝶の皇帝といわれる一頭の「テングアゲハ」なんかなら、華麗に舞う姿を思うだけで気分は晴れる。胡蝶に同化してひらひらと舞ったという壮年の荘子の「胡蝶の夢」は、味わって損はない。旨し「天の美禄」(酒)をとくとくと注ぐ「しりふくら」(徳利)でもいい。親ゆずりの高価な骨董品などがあれば、さりげなく実用にして活かす。高年期の願望を仮想空間に委ねる「わたしのもの」だから候補はいくらでもある。
なければこれといったモノを探すこととなる。
「SS(シニア・スペシャル)シート」
「マイ・チェア」
「団塊シニア」のひとり、Fさんには親ゆずりの骨董品など何もない。リビング・ルームを見直した末に、小さな庭と室内の双方が見渡せる窓際に、特別席「SS(シニア・スペシャル)シート」(高年者用特別シート)を据えることにした。会社でも窓際だし家でも窓際でと、居心地を合わせることにして。そして文字盤が気にいっている置き時計をサイドボードの隅に、旅先で入手したパピルスに画いた「狩猟図」と漢画像石の拓片「舞踏する熊」図を壁面の左右に飾ることにした。
Fさんの「SSシート」は、高年化時代を表現する「コア(核)用品」として、含みのあるいい選択のようである。重量感より意匠センスより何よりも座り心地を優先する。いうなればわが家の「玉座」「師子座」「座禅座」である。かつてインドでシャカムニが宝樹の下に座して思惟したように、わが人生の来し方と行く末を半跏思惟する座を自選するのだから、「マイ・チェア」として大切に扱うことにしよう。
すでに愛用のイスをお持ちのみなさんも「マイ・チェア」と呼んでください。「チェア」に座して高年期の人生の今日から明日へを静かに思惟する「半跏思惟」丈人となる。
「人間は誰しも『私の椅子』と呼べるような椅子を持つ必要があり、そうなって初めて自宅で本当に落ち着いた気分を味わえるのではないか」というのは、マイホームを建てたときから気にしていた建築家の提言で、まことにその通りと思っても、ローンをいっぱいに組み込んだFさんには、そこまでの「自己実現」の余裕はなかったし、家族思いの当主としてはそこまで自己主張をしなかった。
いまその実現の時なのだ。老い先長い高年期を通じて、愛着をこめて使い込むことによって座り心地を熟成させてゆく「マイ・チェア」。即座の効用としては、家庭内に存在をアピールする磁場となる「高年化コア(核)用品」として、格別の思いを込めてそれなりの費用を投じて得た「シニア特別席=SSシート」を、家の中でもっとも居心地のよい場所に据える。
一日のしごとを終えて、「やれやれ」と腰を落とし、心を静めてひとしきり一日をふりかえる。「さて」と気を改めて明日を思い、「よし」と意を決して立ち上がる。それでいい。
それが「マイ・チェア」の即座の効用なのだ。どっしりと座って、からだの重みとともに来し方への充足感、行く末への待望感を委ねる。時には座して陶然として、すべてを忘れる「坐忘」の境地にもひたる。それなくして何の人生か。
「座る文化」
「古希杖」
Fさんの調べによれば、さすがに「座る文化」の歴史が長い欧米の製品には値切っても世紀の長があって、実にさまざまに意匠をこらしていて、見るからによく、座り心地もよさそうだという。最高の座り心地を誇るのは頭と腰がほどよくフィットする北欧製のリクライニング・チェア。競うのはドイツ製スツール、イタリア製アームソファ、カナダ製スウィング・チェアなど。いずれ劣らぬ「八面威風」の居ずまいがあるし、値段も思いのほか幅があるそうだ。
長い高年期を安らいで過ごすための拠点が「マイ・チェア」なのだから、かつて恋する人を失った苦い思いを繰りかえさないために、これといったイスと出会ったら思い切って投資(浪費)をする。後半生が始まる五〇歳の誕生祝いに購入するのもいい。
そうそう「杖・ステッキ」も、おしゃれで品のいいフランス製やイタリア製やドイツ製、和風折りたたみ杖もあるが、名入りの彫刻をほどこした木製ステッキなら素敵な装身(護身)具になるにちがいない。五〇歳には「マイ・チェア」、六〇歳には「赤毛着衣」、七〇歳には「古希杖」、八〇歳には「傘寿がさ」といった通過記念の自祝品はどうだろう。どれも心躍る製品と出会えればいい記念になるだろう。 
「チェア博物館」
「新チェアマン」
二一世紀を貫く夢のひとつ。高年世代の人びとが、それぞれに座り心地がよい特選のイスをわが家に据える。家庭内の「モノと場の高年化」の拠点として存在感のある「マイ・チェア」として。各地にチェア工房が形成され、毎年の「チェア・コンペ(競技)」には、各国から腕よりの職人がやってきて技を競いあう。この国はそのまま「チェア博物館」となる。どうだろう、家の内と外、国中どこにでも座り心地のよいイスが据えられていたら、立ち疲れることもないし、優先されない優先席などいらない。二一世紀末の高年者たちは、世紀初頭に先々々代の「昭和人」が使い込んだ「チェア」に腰を据えて、愉快な座談が楽しめれば深く感謝するだろう。
たしか「チェアマン」(チェア・パーソン)というのは、議長や会長のことだが、高年化時代には、愛着をこめて自選・自作した「チェア」を保持して高年化社会の主役としての存在感を示す人のこと、といった「新チェアマン」の説明が加わることになる。
どっかりと座って、しっかりと座視することで、わがこととともに周りの人びとの「人生への希望」もまた、はっきりと見えてくる。
 *・*専用品をつなぐ暮らしの動線*・* 
「超人生耐久品」
「三世代ステージ化」
家庭内の「高年化コア(核)用品」として、前節ではFさんの「マイ・チェア」を紹介したが、高年期の自己目標に立ちむかう能力を支えてくれる愛用品でありさえすれば何でもいい。
とはいえ、傍らにおいて生涯にわたって愛用していく「コア(核)用品」となれば、数年でモデルチェンジするような消耗品では役不足。だから日進月歩で変化する電化製品や車などは高価であっても評価が成り立ちづらい。といって「千年杉」を細工した違い棚のような鮮やかな年代主張はなくともいい。どうだろう、ここでの「高年化用品」というのは、五〇歳から終生あるいはもう少し先の「超人生耐久品」(遺産として残るほど)といったものとして、およそ三〇~四〇年は傍らに置くというあたりをメドとしよう。「高年化」は「長年化」でもあって、だから高年者だけが利用するという狭い意味ではない。
家の中のオープン・スペースに置かれているのは多くは家族共用の調度品、つまり「三世代ミックス」型用品である。そのうちで花器や草花の鉢植えや観葉植物や床の間の軸といった季節の気配を屋内に取り込む用品・用具は「家庭内高年化」にはほどよい素材である。ソファなど高級家具はそろっていても季節の気配が動かないリビング・ルームや客間なら「丈人度ゼロ!」としての評価を下しておこう。「家庭内高年化」のありようは、祖父や父親の姿にみたような相続特権に裏打ちされていた厳父気取りとはほど遠いものである。中年期に得た人生経験の成果を、「モノと場」として家庭内にさりげなく配して、みんなに納得された上でわが高年期の暮らしの拠点とするのだから、高年者意識をしっかり立てて仔細に工夫をしないと思わしい結果がえられない。
家族構成にもよるが、「三世代同居」のお宅だと、孫(青少年)、子ども(中年)、自分(高年)の三世代がそれぞれ優先・専用する「三世代ステージ化」が課題になる。これまでの家族共用品はそのままとして、高年者むきに特化した生活空間を創出するにあったては、同居人の生活動線を考慮しよう。同居人から生活空間の自由を奪うものでないことが理解されないと先に進めないからだ。いくつかの「高年化コア(核)用品」を決めて、それを基点にして専用品「パパのもの」を随所に配する。「北辰(北極星)その所にいて衆星これに共(むか)う」ということになる。
「モノ同士のモノ語り」
「家庭内丈人度」
「高年化用品」を季(機・気)に応じて差し替えることで、わが家のリビングで四季折り折りの「モノ同士のモノ語り」が楽しめることになる。
こうしていくつかの「高年化コア(核)用品」とそれをめぐるいくつもの専用品(高年化用品)を配することで、存在感が希薄であった時に比べれば、当主としてのありようを喚起するしかけが見えてきたといえるだろう。同居人は、「チェア」や壁面飾りや日用品に示される当主の「家庭内丈人度」に関心を強める。それでいい。
外で優れたボランティア活動をしていても、わが家の中に高年者としての存在感がないようでは、ほんとうに優れた高年活動家とはいえない。
ここでは「丈人モデル型の能力」を支えてくれる国産品、わが家に親しい友人を迎えるような興奮を与えてくれる「高年化用品」を創り出してくれる各地の熟年技術者のみなさんに熱いエールを送ってから先にいくとしよう。
「高年男子必厨」
「銘入り出刃一丁」
次にはキッチンの情景。
高年男子が「食」を知らないでいては、いつまでたっても女性との長寿の差の七歳は縮まらない。そこで高年期に入った男子は、志を立てて厨房に入ることにしよう。
「高年男子必厨」丈人として、日本橋・木屋や京都・有次あたりの包丁三丁(出刃・刺身・菜切)くらいは吟味して入手する。「銘入り出刃一丁」は有用な「高年化コア(核)用品」である。タイまではいかなくとも、中型のイナダやシマアジなんかを手ぎわよくおろして食卓に供する。さらに「旬の食材」もみずから用意する。今夜の口楽であり生涯の悦楽である食の道楽。味覚とともに調理もまたきわまりなく熟達しつづけていく「丈人モデル」型の領域なのだから、おおいに腕を振おうではないか。家人も喜ぶ季節メニューが増えれば悦楽は倍になる。
食器も形や感触を楽しめる専用品だ。自作のものを含めて「これはパパのもの」という食器が、食のシーンでの存在感を示す役目を担う。
「男子必厨」丈人によるキッチンの「高年期のステージ化」は、なごやかに緩やかに形成すべき難題である。得意料理をつくるところから入らず、食器の片付けや用具の手入れや調味料の整理あたりから、さりげなく構築していくことに秘訣があるようだ。
 「丈人資格自己認定」
とこうして、いくつかの「高年化コア(核)用品」を基点として、いくつもの専用品をつないだ暮らしの動線が太く見えてくれば、「家庭内高年化」が成立したといっていい。マイホーム・リストラでの「丈人資格自己認定」ということになる。
「いまさら面倒やさかいに、わての人生はその三世代ミックスとやらで結構や」
という人もいるだろう。人それぞれの人生やさかいに、ご随意にどうぞ、といいたいところだが、結論は試みてからにしてほしい。苦労して得たマイホームで、当主としての充足感が時の移ろいとともにヒタ寄せる体験は思いのほか快いことなのだから。
高年者意識を静かにしかし熱く立てて、家庭内の「モノと場」の高年化構想を固める。
「パパとママは落ち目、明日はボクラのもの」と早合点していた若い世代に、本来あるべき姿としての高年世代の「第三期の人生」を認識させることになる。
ではもう一度、親しい友人を迎えるような終生愛用できる「高年化用品」を創り出してくれる各地の高年技術者のみなさんにエールを送って先にいくとしよう。 
 # 三つの世代を同等に意識
*・*近居より「三世代同等同居」が未来型*・* 
「エンプティ・ネスト」
「世帯同居」
団塊世代よりやや高年の方の場合には、哀楽をともにして暮らした子どもたちが巣立っていき、移り住んだころの幼い姿などを「不在の在」として想い見るほどのスペース(「エンプティ・ネスト」。空になった巣)を、そっとしておくことができているご家庭も多いことだろう。
中年期に家計をぎりぎりまで工面して借り入れをし、都市郊外に住宅を購入して子どもを育て、子どもがそれぞれに自立した後は夫婦ふたりで暮らしているマイホームは、「二世代住宅」と呼ぶことができる。父として母としての立場で内容は異なるだろうが、子育てのいくつもの困難をクリアしてきた父母としての側の感慨のスペースであるとともに、子どもたち、とくに娘にとってはひそかな生活戦略にかかわるスペースでもある。
このところの傾向として、「世帯同居」は減り続けてきて、高年者(ここは六〇歳以上)の四〇%が同居を望んでいるのに、実際に孫と同居している人はいまや二〇%ほどに。桑田佳祐の「TSUNAMI」がトップという時代に、大泉逸郎さんの歌った「孫」が場違いといった感じでベストテン入り(二○○○年度の一○位)したことがあったが、減少傾向はなお続いており、願望ははやり歌の背景に遠のきつつある。
孫はかぎりなくかわいい。「二世代住宅」に暮らしている父と母は、子どもが巣立ったスペースを今度は孫のためにしつらえ直して、三代目を養育する場を用意することになる。「近居」の場合は、離れて暮らしている分だけそれぞれの独立とプライバシーは損なわれることはないが、離れている分だけ問題回避型の接触とならざるをえない。幼い孫はかわいいし、張り合いをもたらしてくれる。そこで会うごとに何かと望みをかなえてやる、やさしいおじいちゃんとおばあちゃんになる。きちっとした孫育てには限界があるのはわかっていても、現状ではこのあたりが高年者にとっては標準的しあわせ家族となっている。
娘が結婚して世帯を持ち、子どもが生まれる。「できちゃった婚」が並みの時代だから、結婚後一〇カ月のハネムーン・ベビーより結婚六カ月後が最多とかで、案外はやく確実に「ベビー(孫)」がやってくる。この二五歳までの出産期をはずすと、あとは先延ばしして三〇歳代に。これでは少子化に歯止めのかけようがない。それでも三〇歳の大台に乗って、なんとか子どもをと覚悟はきめたものの、養育・教育費は家計の重圧になるというし、マスコミを賑わす子どもたちの反抗・犯罪を目の当たりにして、不安はつのるばかり。そこで、「カアさん力を借して」ということになる。
「新エンゼル・プラン」
「実家依存症」
子育てに母親の助力を期待しすぎると、国をはじめ夫婦ふたりによる「新エンゼル・プラン」を理想として子育てを推奨している自治体、若いカップルを囲いこんで子どものしつけを教えるしごとをしている側からは、「実家依存症」といわれかねない。
それでも子育てに母親の助力(家族の含み資産)を期待して両親と同居して暮らすことを考える娘夫婦がいる。かつてシュウトメにわずらわされない専業主婦を求めた母世代の「核家族」指向から、専業課長でありたい娘世代の「二世帯同居」へのUターンである。
孫世代までを想定した「三世代同居型住宅」は、子どもの側からばかりでなく、新しい大型戸建て住居に住むという両親の側からの要請も少なくない。
親世帯からは親子近居の解消、家屋の老朽化やバリアフリー化や大型住宅への願望などが主な理由で、加えてメーカー側の総合住宅指向、さらに融資や税の優遇もある。親世代の支援を受けて「少子化」を解消し、先人から引き継いできた「暮らしの知恵」を次世代にしっかり伝えられるような「三世代同居」型住宅が期待されることになる。
道路、橋、ハコ物という大型公共事業に頼ってきた建設業界も、地域住民の暮らしの基盤である住宅建設という基本に立ちかえる好機である。大都市型の「蜂の巣マンション」というのでは方向が逆である。地方都市の近郊農家の建て替えなどでは「三世代同居」型住宅がもっと指向されていい。三世代同居という「新・日本型標準住宅」を各地に展開して、新たな地域開発の潮流を起こすくらいでいい。国も「暮らしの知恵」を次世代に伝えられる「三世代同居」住宅政策を掲げて、思い切った税制や資金の優遇をおこなう必要があろう。
現状では政策も税の優遇も融資もそして世論の支援もケタが足りないのである。 
*・*暮らしの知恵を孫に伝える*・*
「三世代同居住宅」
「長寿社会対応住宅」
大都市近郊に住むWさん夫妻は、娘家族の要望もあって、建て替えの負担を覚悟して「世帯同居」型の住居を建築することにしている。
メーカーを通じて調べてみると、事例は決して少なくはない。各メーカーともユーザー側のさまざまな要望に対応できるノウハウを持っており、住宅内のバリアフリー化はすみずみまで意識されている。部屋の配置はもちろん、つまづいて転倒しないよう段差をなくしたり、手すりを設けたり、階段の勾配を緩くしたり、車イス(訪問客もある)を考慮して幅広廊下にしたり、少ない動作で開閉できる引き戸にしたり・・などが実現されている。「家族とともに成長する住まい」を提案しているメーカーもある。
すでに建て替えて「三世代同居住宅」に住んでいるお宅を実際に訪問する機会を提供しているメーカーもある。そこで、Wさんは参加してみた。古くからの由緒ある住宅地での建て替え住居だから外形も安定しており、街並みに落ち着きを与えていることがわかる。かなり大ぶりなサクラが庭の隅にあって、それを囲むようにL字型の二階家が建っている。
「家内の母が家族の成長記録とともに大事にしている樹でしてね」
Wさんの庭への視線を察して、ご主人がいう。夫妻のほかは高校生の娘と義母の四人家族。一階は母親の部屋と共用のスペース、二階に夫妻と娘の部屋と広いリビング。書斎もあって、「マスオさん」として「三世代同居」を成立させながら、マスオさんよりはずっと存在感があるように見受けられた。上下階の雰囲気に違和を感じさせなかったのは、母と娘の間に暮らし方の一貫性が保たれているからだろう。「三世代同居住宅」として申し分ないが、それでも義母の側の遠慮がちな気配が構造やモノに表われているのが気になったという。
住宅産業は、「長寿社会対応住宅」として「長寿社会対応住宅設計指針」(九五年、建設省)が出て一〇年余り、メーカーの配慮くらべで高年化対応がもっとも進んでいる業界である。住宅メーカーによって取り組み方は異なるが、どこも「世帯住宅」のノウハウを蓄積している。
そこまでは結構なのだが、せっかくの世帯同居型住宅にもかかわらず、どのメーカーの小冊子のモデル設計を見ても、共用スペースのつくりつけがミドル(+ジュニア)主体に寄りがちになっている。「三世代住宅」とは称しているものの、「離れた和室ひと部屋への高年世帯の引きこもり」が推測できるものが多くみられる。
これではほんとうの高年化対応住宅とはいえない。「人生の第三期」の主役として、長い高年期をゆったりと暮らす家ではない、とWさんも気づいている。孫とも接触がしやすく、祖父母からわが家の「暮らしの知恵」を伝えられる場としての共有のスペースはもちろん、「三世代のプライベート・スペース」を平等に織り込んだ住居と決めて設計にはいっている。
「三世代同等同居型住宅」
「ファミリー・ライフ・サイクル」
三世代それぞれの暮らしにバランスがとれた「三世代同等同居型住宅」は、高年者側が主体的に構築せねばならない。ジュニア(孫)との接触スペースなどは、可能なかぎり祖父母の側から提案すべきことである。高年者が自在に暮らす住宅としての具体的な要望が足りないために、メーカーから高年化対応に積極的な構造が引き出せないのである。
「三世代同等同居型住宅」は、三世代の暮らしの変化が構造に反映される「ファミリー・ライフ・サイクル」(家族変化の過程に応じる)住宅である。いまの家族の一まわり先を考慮した構造として表現される。三世代がそれぞれ三○年ほど先の姿とそこへ至るプロセスを想い描いてみるといい。もちろん「不在」の孫世代を参加させ、みずからの「不在」の時も考慮して。
メーカー側は、「世帯同居」型住宅は一〇〇年(センチュリー)、少なくとも六○年保証と自信をもっていう。いまの建築水準から耐用年限は五○~六○年は優にある。だから、およそ半世紀後に孫世代家族が中心で暮らす家や家並みをつくっていることになる。
傷んだ住宅を修理しながら住んでいる高年世代からすれば、「近居」や「隠居型同居」ではなく、三世代が同等に暮らせる「三世代同等同居型住宅」が「新・日本型標準住宅」として指向され、「家庭内の高年化」への新たな試みとして、知識も活力も資力も注入して参加するだろう。それぞれの家族の態様や地域の特性に応じた改造を加えながら「わが家」が形成される。ライフ・スタイルの異なる三世代が、それぞれ同等にプライベートな生活空間を持ち、お互いに工夫して「わが家三代の暮らしの知恵」を共有していくことになる。
Wさんは、ライフ・スタイルが異なる家族が出くわすさまざまな場面で、「いっしょに考えて解決することができますから」と期待をこめていう。「三世代同等同居型住宅」の実現をめざすWさんは、「世帯同居」丈人と呼ぶことにしよう。
子育て期の女性が男子社員と伍して能力を十分に発揮できるよう支援をする「三世代同等同居型住宅」は、企業の側からも歓迎すべきものとなる。そして何より孫世代にわが家の「暮らしの知恵」を伝える「母娘同居」という母系のつながりを有効に活かすことになる。母と娘がやりとりする継続性のある生活感、祖父母と接することによってもたらされる孫世代へのメリットには計り知れないものがある。
「うちのジージがね」といって自慢するジュニアが三分の一ほどいないと、この国の先人が残してくれた「暮らしの知恵」が次世代の子どもたちに伝わらなくなってしまう。同居しながら高年者をたいせつにするジュニアを育てる機会をもつ家族。これもまた「高年化社会」を構築するために重要な「三つのステージ化」の一環なのである。
*・*熟成期を共有する「シニア文化圏」*・*           
「シニア文化圏」
本稿では「丈人力」や「三世代のステージ」などとともに、「シニア文化圏」ということばを、強い把握力をもつ高年期キーワードとして位置づけている。
といっても現状のところでは、内容となるコア(核)は確かな感触でつかみとっているが、その奥行きも広がりも漠としたままになっている。広く理解されて成熟するとともに、やがて大小の水玉模様がどこまでも広がり重なりあうような印象の波紋を形成するという成長予測をもって期待していることばなのである。
そこでここでは、コア(核)となる意味合いを述べることになる。
「シニア文化圏」というのは、「人間五十年」を過ごして、それぞれに個性的にわが道での業績を積み上げてきた高年者が、異なった成果を得た人びとと出会い、お互いにみずからの経験や業績を語り合い、高年者同士でなければ味わい得ないレベルの理解を共有することを目途として集まった場(高年期の文化ステージ)、といった程のところだろうか。
少し排除的にいえば、「利」を望まずに、あるいは望んでも優先せずに、「文を以って友と会す」といったところ。加えていえば、ここでは「青少年(ジュニア)」や「中年(ミドル)」の存在を脇に置いて、おとながおとなの「文化を語って文化を生じる場」といったほうが分かりやすいかもしれない。そう気づいていないだけで、すでにさまざまな形で存在しているわけだから、とくに新しいことを言い出しているわけではない。
ここではそれを高年者意識の視点から捉え直すこと、これは「シニア文化圏」だと意識することで、高年化社会のなかにそれぞれに個別な特色をもって重なった水玉模様のような印象の存在として見えてくればいいのである。 
「シニア文化の内容」
語られる「シニア文化の内容」とはどういうものか。
「環境」とか「文化」というと、どうにでも広くも狭くもなるが、狭く考える必要はないだろう。学術的な領域から芸能・スポーツ、暮らしの知恵に至るまで、人為万般にわたってみんなが共有しているもっとも広い意味での「文化」のイメージでいい。少し限定するとすれば、五○歳を経た高年期にある人が関心をもって考え、語り、作り、表現した事象・事物を主に対象とする、ということぐらい。
たとえば五○歳で亡くなった夏目漱石の『心』や『明暗』、若くして自死した芥川龍之介(三五歳)の『侏儒の言葉』、三島由紀夫(四五歳)の『天人五衰』などは、若い日の濫読時代とは違って五〇歳をすぎた立場からの読み込みによって新たな発見がなされるはず。
同時代人として、吉本隆明さんのような並みならぬ思索の根っこを持つ人の、かつて妥協のない立場がぶつかり合った一九六〇年代の状況下で、ロゴス(統一法則を内包することば)の混乱にまきこまれながら柔軟で示唆的であった『共同幻想論』などから、思索の根っこを裸形のまま曝した『老いの流儀』などの新作にいたるまでの、中年期と高年期の作品を合わせて採り上げてみるのもおもしろい。また『蓮如』を書いた五木寛之さんの新作、古代インドの「四住期」から想をえて現代の高年者の第三の人生のありようを説く『林住期』も、個人の生き方の事例として理解されるのもいい。みずからの長年の思惟の到達点から発して試みられた井上靖さんの『孔子』や瀬戸内寂聴さんの『釈迦』といった史上の人物についての作品は、作品批評まで含めて、さまざまな角度から語り合える素材となる。
「親族シニア文化圏」
「学友シニア文化圏」
文化圏の「圏」としての大きさは、どうだろう。
テーマや参加する人にもよるだろうが、「最小規模の多数」である七~一一人といったところが基本だろうか。不可能とはしないが、四、五人では少ないために「文化」を生じるための変則や異見といった要素を含み込めないし、また多すぎると散漫になる。
メンバーが多い場合には七~一一人を代表発言者とし、テーマや時間を限って質疑などを通じて全員が参加するシンポジウム方式が有効のようである。
わかりやすい例としては、多くの会議や学会の総会そのものも高年者が中心の「シニア文化圏」ではあるが、むしろその後の「二次会」のほうを基本型と考えたらどうだろう。二次会なら談論風発、結論を出す必要もなく、話題はさまざまに移っていく。ひとつのテーマをめぐる場合もあるが、意見が二つに割れたり三つになったり、二つの話題が混ざって語られたり、また一つにもどったりする。その自在性の中に「最小規模の多数」による発見と味わいがある。
高年者同士が自由自在に「文化を語って文化を生じる場」が「シニア文化圏」であり、高年期の人生の成熟をともに実感しあえる愉快な「高年期のステージ」なのである。小規模で静かに開かれている「::先生を囲む会」などは、おだやかな老師を中心にして、「如座春風」(春風の中に座しているよう)というにふさわしい「シニア文化圏」として、参加者を暖かく包んで成立している。それぞれの立場で、いろいろな「シニア文化圏」に属していることに気づく。
冠婚葬祭の折りに、親族が集まる場で「シニア同士」で話し込んでみると、思いもよらない発見があるものだし、「親族シニア文化圏」といったものを意識し直すこともできる。同様にクラスメートとの「学友シニア文化圏」も長く親しい。同窓会では生涯にわたる絆をもった何人かの学友との出会いを経験しているだろう。
「地域シニア文化圏」
「職場シニア文化圏」
地域の知りあいとの「地域シニア文化圏」、職場の同僚との「職場シニア文化圏」、仕事での知人、ネットのウエブ・サイトで知り合った人びとも「シニア文化圏」として意識してみる。やや広がりをもったクラブ・同好会などはまさに「シニア文化圏」の典型といえる。ゴルフ、釣り、碁・将棋、郷土史、俳句ほかスポーツや趣味の仲間もまた改めていうまでもない。だれもがいくつもの水玉模様の重なりに似た「シニア文化圏」を大切にして暮らしている。
高年期になって親しくつきあえる人といえば、だれでも「学友」と「同僚」と「親族」の三点セットのうちに、幾人かの信頼する相手をもっているだろう。しかし実はこの三点セットだけでは長い高年期の人生を充足して送るには心もとないのである。心もとない理由は、どれも高年期になって自らが選んだものではなく、与えられた環境下で得た人びとであり、外に閉じた仲間だからだ。高年期に心躍る人生の充足を得るには、さらに地域や目標とする分野からあらたに加えて五つ~七つの「シニア文化圏」での活動が、高年期の人生に変化と厚みのある成果を刻んでいくことになる。 
「日本シニア文化圏」
といって、参加者がそれぞれの立場で自在に活動していればいいことだから、「シニア文化圏ネット」といったヨコ幅を広げる組織化を急いだりすることもない。それぞれに自立した「シニア文化圏」が多種多彩に活動し合い、お互いに存在を意識し合いながら豊かな「日本シニア文化圏」が総体として成り立っていればいいのである。
極端に閉じすぎた組織では先がないが、引退シニアであるSさんのような「引きこもり」にはいった人びとの一見、閉ざされた仲間うちの「閉鎖的シニア文化圏」もまた座位を少しずらした自律的な「シニア文化圏」として、その存在が理解されてくる。高年化社会の現役として、ともに熟成した豊かな人生のひとときを共有して過ごす。それなくして何の人生か。
「シニア文化圏」だからといって「青少年」や「中年者」を排することではない。中心になる構成メンバーが高年者であり、中心テーマが高年者を対象とするものということであって、とくに将来の成員である中年の人びとには開かれたものでいい。ほどよいほどの「シニア文化圏」の存在が、一人ひとりの「第三期の人生」の充足と重なるであろうことは確かである。
 

現代シニア用語事典 #4家庭用品の「途上国化」と「国産化」

#4家庭用品の「途上国化」と「国産化」
#職域と製品の高年化
*・*日本製「高年化優良品」に活路*・* 
「日本の途上国化」 
「途上諸国の日本化」
家庭用品の「途上国化」と「国産化」も顕著にみられる多重標準である。
「家庭用品の途上国化」が日に日に進んできたのは、「えッ、これもか」というほどに、暮らしの中の「MADE IN KOREA」や「MADE IN CHINA」や「MADE IN THAILAND」といったアジアの国々からの日用品の増加によって実感されてきた。
「百均」(一〇〇円均一ショップ)が成り立つほどに製品が多種多様になって、それも「安かろう、悪かろう」というローコストの時期をすぎて、品質が安定してきている。アジア諸国の人びとの暮らしに大きな変化をもたらしているが、といってわが国の高年者の暮らしが便利で快適になったわけではない。「日本の製品を使って日本人のように暮らしたい」というアジア諸国の人びとの希望が叶いつつある。その間、わが国の高年者は、実質的には足踏みしていることになる。
「日本の途上国化」と「途上諸国の日本化」がしばらくつづき、「アジアの共生」がすすむ。
それとともに国産の「やや高い」けれど品質が安定しており、「安心」もいっしょに買うことができた日用品が手に入らなくなって、不便になったところもある。いまや日用品の中に「MADE IN JAPAN」を見つけると、ほっとするほどだ。
暮らしの中の「モノの途上国化」は、衣料品や食料品からはじまって、「ついにこれまで」と驚く精密機器にも及んでいる。一〇年ほどの間にここまで一気に進んだのは、「グローバル化」によって急激な業績悪化に見舞われた日本企業が、サバイバル(生き残り)をかけて選択した荒療法が、社内リストラと生産拠点の途上国シフトだったことによる。それが目前の利益を確保しようとする応急の処方として有効に見えたからである。「グローバル化」という時流は、わが国の家庭を「日用品の途上国化」という形で直撃した。
だからといって優れた生活感性を持つわが国の高年者層が、このままこれ以上に途上国製品に埋もれてしまうことなどありえない。高級品を指向する必要はないが、優れた生活感性をもつ高年者大衆にとっての「わたしのもの」となりうる優良品への要請が、遠からず「高年化用品の国産化」を求める声として、「雨過天青」といった明快さでこの国を覆うだろう。
 「欧米追随の一国先進化」
「アジア主導の途上国化」
前項でみたように「グローバル化」の対応に日本企業がサバイバル(生き残り)をかけて選択した荒療法が、社内リストラと生産拠点の途上国シフトだった。両方ができる企業はそれを急ぎ、できない企業は社内リストラだけをしながら萎縮(デフレーション)に耐えてきた。二〇世紀にアジア地域でただひとつ「欧米追随の一国先進化」をなしとげたわが国の企業は、とくにアジアの途上国にノウハウを移して途上国の需要者にも受け入れられる日本ブランド品にシフトした。その結果として、国内の経済活動が萎縮し、途上国製の日本ブランド品が増えつづけ、それとともに日本の企業が正社員でもたなくなり、アルバイトや派遣社員で支えるという「アジア主導の途上国化」対応が進んだのは、現れて当然のグローバル化症候群ともいうべき変化であった。
この間に経験したように、電球や電池は安くなった。でもすぐ切れるようになった。メーカーを見ると日本を代表する企業である。「日本企業はこんな製品をつくっているのか」という評判が立たざるをえない。これはアジア共存のための「日本の途上国化」であり、「余儀なき評判」である。かつて成長の途次にたどった地点(「ふり出し」までとはいわないが)にもどっておこなうアジア共存のための「共同歩調」としての対応であり、日本のなすべき責務なのである。踊り場で足踏みして待たされることになった日本の高年熟練技術者に直接の責任はないし、被害をこうむった上に、「家庭用品の途上国化」のために技術や意欲まで失うことではない。
「安価な輸入食品」
「やや高の国産食品」
急激なグローバル化が一般家庭の暮らしの場にもたらしたものは、総不況で稼ぎ手の収入が不安定になり、実質的に減ったところを、家族みんなが安い途上国製品で補いあって収支を合わせ、「家庭内国際化」(途上国化)を時代の趨勢として受け入れてきたことといってよい。
ひところは東京でも明治屋や紀ノ国屋やデパートでしか入手できなかった海外の山海珍味が、いまや各地の大型スーパーの食品売り場で見慣れたものとなった。食品には産出地が記されているから、世界中から運ばれてきているのが分かる。それを逆にたどれば、現地の人びとの暮らしを便利にしている日本商品がたどり着いた水際の広大さが知られる。 
その対価として運ばれてきた「安価な輸入食品」は、「飽食の時代」といわれるまでに食卓を豊かにした。その中にあって、日本各地からの食材は苦戦を強いられたが、モモ(山梨)もリンゴ(青森・長野)もサクランボ(山形)も産地の努力がうかがえるほどに質の差が歴然とし、価格がほどほどに収まっていれば、「やや高の国産食品」は品が良く安心な季節ものとして受け入れられている。
一次産品でもそうなのだから、他の商品ならなおさらそうだろう。高年消費者は、「消費意識の途上国化」に歯止めをかけている。暮らしの中の「モノの途上国化」には納得しても、国内の身近なところで生産活動から活気が失われ、優れた技術を持ち良質な製品をつくってきた企業の倒産が続出し、国内の技術が失われる現実をみているからだ。購買者として、底なしの「生活水準の途上国化」は何としても押し止めねばと思っている。
「待ち受け状況」(閉塞状況)
「家庭内高年化用品」
長い「待ち受け状況」(閉塞状況)に耐えて、景気の回復を待ってふんばってきたのは、生活の成熟を願う高年者と、下請け孫請けとして「日本製品」の良質さ、多彩さ、繊細さを支えてきた中小企業である。中小企業の親父さんはその両方にかかわって焦慮に近い暮らしを続けてきた。親会社が応急の「生き残り」を理由にこれまで共有して蓄積してきたはずの製品化ノウハウを勝手に海外に移転し、自国の下請け会社には設備投資で発生した経理残高の処理を押しつける。そんな理不尽な「生き残り」策がつづくならば、中小企業の現場から再生への意欲を失わせ、息の根を止めることになりかねない。消費者として、だれもが自分たちの生活を支えてくれてきた中小企業の生産者と技術の将来を危惧しているのである。
「自力で製品を開発することで対抗しよう」として、東京・大田区や隣接する川崎市の高度な技術を持つ「町工場」が、インターネットのウエブ・サイトで製品の広告をし、独自に共同受注を始めたことなどは、広く消費者からも応援の拍手がわく生産者側の「攻めのリストラ」への転機を示している。評判の高いIMABARIのタオルは、生き残りをかけて「世界一」に挑戦した地元技術者の結晶であるが、この地域産出のスグレモノこそが本稿でいう「高年化製品」であり、高年者ユーザーが期待して待っている国産の生活用品なのである。 
家庭用品の途上国化に歯止めをかけ、成熟する「日本高年化社会」を支える「モノの高年化」を担うのは、高度成長期をともにしてきた中小企業の高年技術者と高年消費者のほかにいない。「家庭用品の途上国化と国産化」という多重標準による暮らしを安定させる。そういう国産の優れた家庭用品製品の生産活動に契機を与えるのは、五〇〇○万人の高年者の消費動向である。ひと味ちがう暮らしをめざす高年者が、「家庭内高年化用品」(丈夫で長持ちする一生ものの優良品)を要求すること。優れた生活感性を持つわが国の高年者層が、途上国製品に埋もれてしまうことなく、生活感性を生かすための「わたしのもの」を要請する。
「使いやすく、品質が良く、長持ちする」という日本の中小企業が自負してきた製品である。企業内の熟年技術者は、自社製品の基本に立ち返り、「高年化優良品」の開発・生産に取り組む。「日本高年化社会」へ自主参画する意思を固め、得意な技術を生かして高年世代の暮らしを豊かにする製品を着想し、成員全員が底力を発揮して事業化をすすめる。各地で熟練技術者が奮起した姿とその成果としての優れた「高年化用品」に出合えることになる。
 *・*優れたモニターとしての日本高年者*・*
「中年輸入品ユーザー」
「高年輸出品モニター」 
日進月歩にある途上国産の家庭用品は、安価で便利な日用品として、おもに若年・中年世代が「家庭内の国際化」の筋で担う。とくに「中年輸入品ユーザー」として「アジア途上国製品」を支援する。その一方で、安心して生涯を通じて愛用できる日用品は、おもに高年世代が家庭内の高年化のために「国産品モニター」としての役を担う。ひと味違う質の良さを表現する「国産品」のユーザーという分担である。品格と品質とで優れる「高年化国産品」によって家庭内に高年化ステージを実現する。パパのものはさすがにパパのものだ。
この家庭内用品をめぐる多重標準が、国内外の経済活動を支えることになる。
少し遅れて差をつめてきたアジア友好国の家庭が、いずれ近い将来には求めるであろう日本製の「優良高年化用品」を、一足先にモニターしておく必要がある。「高年輸出品モニター」として、アジアの途上諸国ではまだまだ手薄な「高年化商品」の開発をモニターをしながら進めること。日本高年者の生活意欲と中小企業が留保している技術力による新製品の展開が、アジア的な視野でみて優位な時期にある。激走してきて一休み(ペースダウン)している日本経済が、アジア各国との友好関係のなかで次の先進的位置を確保するための未来戦略である。 
 「高年化製品経済圏」
高年者が肌で感じられるほどの「モノの地域化・国産化」が安定した存在感を示すとき、「日本高年化社会」を下支えする「高年化経済活動」の安定した姿が見えてくる。 
再度確認しておくが、優れた生活感性を持つわが国の高年者層が、このまま途上国製品に埋もれてしまうなど決してありえない。「高年化社会」を支える良質なモノの創出に乗り出す供給者ともなり、利用する需要者ともなる「昭和丈人層」が活動を活発化する。家庭用品のアジア・エリア内での先進性を確保するレベルを意識して、「高年化コア(核)用品」(一生ものの優良品)を生産者に要請する。各地各種の中小企業は、自社の高年技術者を中心にして成員全員の力を結集して「高年化優良品」を開発することに挑む。引退した社友も参画して、みんなで愛着をもって使える国産品を支えていく。
現有の経済圏にさらに「高年化製品経済圏」を上乗せする「子ガメの上に親ガメ」といった趣きの経済活動が展開されることになる。地域の持ち場で可能な「高年化製品」の開発に成功した業種がふえることで地域の高年者の生活を多彩にし豊かにし、それによって内需を安定させ、将来は海外の高年者が求める良質で丈夫で長持ちする日本製の「高年化用品」を準備し、「加工貿易立国」としての信頼を引き継ぐ。
「人生の夢日本の夢」
「高年者優遇リストラ」
さらにこれがもっとも重要なことだが、世界中の高年者が一生に一度は訪れてみたい、「人生の夢日本の夢」を満たすような高年者優先の街並みや施設を、高年化先進国として全国各地に創出することができるかどうか。
推進役はいうまでもなく全国津々浦々の「丈人層」のみなさんである。みずからが暮らしやすい「社会の高年化」を構想し先行して築く。こういう「構造改革」が可能なのは、優れた能力と気力と倫理性をもつ「昭和丈人」のみなさんが広範に健在でいる時代だからである。日本高年者の持つこういう「世紀の役割」を感知できず、能力を発揮する環境を整えることなく渋滞させてしまったのは、だれか。高年者が「尊厳を保ちながら自立して参加し、自己実現を果たす場」の形成を怠ったのは、だれか。
日本企業の苦境脱出のために再逆転の思考「高年者優遇リストラ」(企業経営の若年者優遇から高年者優遇へ)が求められている。
グローバル化(アメリカ化・途上国化)に対応するため若手・女性・中年の主導によってなされた「逆転」の契機は、今度は「高年化」に対応する再逆転として、先人が残してくれたわが社の「高年化優良品」を契機として、高年社員主導ですすめられる。
企業にとっての多重標準は、製品の「若年化」「女性化」と「高年化」であり、「国際化」と「国産化」である。高年消費者にやさしい自社製品を通じて、「社是」にあるような社会的存在としての自負と自信を取り戻し、成員全員が力を尽くして内外の風圧に耐えうる「新・企業樹形」を形づくる。その過程そのものが「終身雇用」や「年功序列」という伝統の愛社意識による新たな表現であり、「日本型マネジメント」の真髄である。愛社意識を醸成しながら「再逆転」に立ち向かうには、なによりも「和の絆」によって培われた新製品の開発でのわが社の来歴に学ぶことだ。これで負けたらしかたがない日本企業の「伝家の宝刀」なのである。    
*・*造る者と使う者の出会い*・* 
「造る者と使う者の出会い」
中小企業の高年技術者の努力で、優れた「高年化国産品」が考案され、製造され、発売されたとしよう。それを必要としている高年者ユーザーもいる。だが、その手元に「高年化製品」情報として届かなければ、さらには購買意欲を動かすことができなければ、「高年化商品」として消費には結びつかないし、「高年化用品」として家庭に入らない。
逆にまたユーザーとしての要望があっても、商品の所在がわからず、メーカーの現場に届かず、製品化の検討がなされなければ、「高年化国産品」が生まれるチャンスを失う。
一方的に造る側によって使う側が支配されるスーパーやコンビニ商品では人生を楽しむ「家庭内の高年化」などできない。「造る者と使う者の出会い」による優良品の製造と流通。その実現はたやすくはないが、できないことではない。
まずはネットのウエブ・サイトの充実。しかし何といっても、造る側と使う側の高年者が直接に「モノ」に触れながらタテ・ヨコ・ナナメに情報を交換しあえる場としては、「商品展示場(会)」がその場を提供するであろう。二〇二〇年を待つまでもなく、それほど遠くない時期での開催が想定されるのは、年ごとの「高年化用品展示会」である。
「高年化社会」を支える丈人層のみなさんの年ごとの「モノと場の成果」を表現する場となり、高年者がワンサと会場へおしかけて、みずから利用するための専用日用品を求め、さらに次回のために斬新な企画や要望や議論がユーザー側とメーカー側の間で活発に展開される。いうまでもなく、ここでの高年者は、「人生の第三期」を物心ともに豊かに愉快に過ごそうという「丈人力の旺盛な高年者」のみなさんである。
「国際福祉機器展」
「高年化用品展示会」
すでに一〇月一日を「福祉用具の日」として、三〇回を越えて「老人と障害者の自立のための国際福祉機器展 HCR」(社会福祉協議会・保健福祉広報協会)が、着実な歩みを続けているのは心づよいことだ。ここでは健丈な高年者層が対象だから、内容も時期も先行の同展などを下支えする立場、たとえていえば二重丸の外丸といった性格の展示会になる。
「豊かなあすを拓く高年化優良品展」をテーマにかかげて、新製品を選りすぐって、「高年化用品展示会」といった形での開催が予見される。
おおいに想像をたくましくしてほしい。
この展示会は、「日本高年化社会」を体現して暮らす人びとの要望に応えるさまざまな新製品を展示するとともに、各ブースには参加者が新製品のための企画アイデアを持ち込んで製品化につなげる談論コーナーも設けられるだろう。高年世代が年々、共感をもって参加できる場となるとともに、将来の「高年化社会」の形質を先取りして表現していくことになる。
フェアの内容や規模や開催時期は、実務の人びとが、すでに開催しているものとの間合いを計りながら、収支予測などもふくめて綿密に進めていくことになるだろう。
ステージに立つ顔ぶれも見えてくる。高年者を購買層とする新商品を成功させた企業、住宅関連の企業、観光、カルチャー関連、ファッション、広告、健康・スポーツ、高齢者雇用といった業界・分野。さらに先進的な高年者活動を展開している自治体や商工会、高年者の活動組織。そしてマスコミ・関連官庁などがメンバーに連なるだろう。
将来の「高年化用品展示会」のシンボル的な存在となることを意識し意図して、柔軟な構想力と豊かな表現力をもつ各界代表と消費者代表が構成する「(仮)高年化用新製品懇談会」が公開討議を重ねて「高年者用品フェア」構想を練りあげる。クリエイティブで愉快な「シニア文化圏」のひとつとなる。
これが最良でありすべてといえるわけもないが、二〇二〇年を見透かして、みなさんの要望を想定し、実現が可能と思われる範囲で、いくつかのブースを設定してみよう。もちろん単独ブースでの開催でもいいのだが、ここは大振りに一六ブースを揃えてみた。「高年化社会」を支えるモノと場のありようを集約する展示ブースである。
 *・*「(仮)日本高年化用品展示会」の開催*・* 
「仮)日本高年化用品展示会」
本稿の各所で二〇二〇年への実現目標として提案している「高年化社会」への構想を、下支えする「モノと場」のありようを、展示ブースの形で集約したものが「(仮)日本高年化用品展示会=NIPPON  SINIA―SPECIAL―GOODS FAIR=NSSGフェア」である。
それにしても「高年化社会」として避けて通れない課題とはいえ、その体現者として期待する高年者層の姿が不確かな時期に、いささか大振りな構想に踏み込みすぎたかもしれない。二〇二〇年への近未来構想なのだから、大きいことはいいことだ。小振りにするならいつでもいくらでもできる。
そこでここはとびきり大振りに一六ブースを揃えてみた。 
1 「高年期五歳層の日」(五〇~五四歳の日や六〇~六四歳の日や七〇~七四歳の日など)
      同世代講演会、同世代コンサート、五歳層別スポーツ競技、五歳層別の健丈度
2 「高年化新用品」発表会
  ひとつ上のレベルのリニューアル用品、「超人生」用品、高年期起業、能力再開発
3 「三世代同等同居型住宅」と「四季型(通風)住宅」展示
  自然との共生、ファミリー・サイクルと住宅、関連設備、建築相談
4 「シニア・チェア」と高年化対応の室内用品の制作・展示即売
  「チェア」製作コンテスト、室内用「高年化対応「コア(核)用品」、専用家具
5  「高年化地域特産品」と「三世代四季型商店街」フエア
  「高年化地域特産品」の即売、地方の「三世代四季型商店街」フェア
6 生涯学習・高年期活動報告
  まちづくり報告、高年期活動報告、「地域シニア会議」 カルチャーセンター
7 「四季」の暮らし
  春・夏・秋・冬展、ボンサイ、生花、四季の花鉢、「四季花軸」・四季カレンダー
8 高年者街着ファッションショー
  地域の四季ファッション、和装街着ファッション、高年者向け衣装、小物、化粧品
9 高年者用装身具・日用品小物の展示・即売
  帽子、杖・ステッキ、メガネ、カバン、時計、シューズ、筆記具
10 なつかしの名器・名機・古書・骨董の展示・即売
   カメラ、古時計、SP機器、レコード、オルゴール、模型、陶磁器、古書
11 観光・観賞旅行案内
   熟年ツアー、世界遺産の旅、「還暦富士登山」、「古希泰山登頂」ツアー
12 「シニア文化圏」のつどい
   講演、演奏や工芸家の実演、句会、「高年大学校」「シニア大学院」
13 高年者向けメディア
   高年者向け情報誌、高年者向け放送番組、保存版図書、シニア・ネットの会
14 「健康と食品」の実演・販売
   旬料理と食材、薬膳料理・茶の実演、包丁・道具類、健康食品、予防医学機器
15 高年者用キャリッジ
   高年者用仕様車、電動付車両
16 高年者の健康スポーツ
    健康スポーツ、碁・将棋・麻雀
  各ブースの参加コーナーでは、高年化用品の新企画、高年化用品の人気投票、健丈度診断などなど::。
「(仮)国際高年化用品展示会」
「(仮)地方高年化用品展示会」
さて、人気投票によるベスト・スリー「高年者三種の神器」はどんなものだろう。
「高年期五歳層の日」は華やかで知的に、同世代であることをたたえ合う場に。
「チェア製作コンテスト」は、世界から優れた技術者を招いて。
「和風街着ファッションショー」は、各地の衣装製作者と高年者の晴れ舞台に。
以上の三つのイベントをフェア盛り上げの核にして、一年間の成果を示す展示会とする。仲間の一年間の成果をたたえあう場面がみられるだろう。演出は優れた高年演出家にゆだねよう。
メーカーとユーザー双方の交流の場として、高年者の暮らしの「モノと場」の現在を示すことになる。右のような「(仮)日本高年化用品展示会」の開催を成功させることができればさらには海外のシニア世代に呼びかけて「(仮)国際高年化用品展示会(WSSG・フェア)」を日本の大都市を開催地として行う。年に一度の日本訪問を、世界中のシニア世代の人びとが「人生の夢」としてやってくるような。そして何より本稿が期待しているのは、県都レベルでの「(仮)地方高年化用品展示会(LSSGフェア)」の展開である。地域特性をたくみに取り込んで演出した「高年化地域特産品」の展示会は、全国各地の「モノと場の高年化」の熱意と豊かさの表現となるからである。