『月刊丈風 高年時代』(日本丈風の会) 2022年11月  日々更新

きょうの丈風memo

2022年(壬寅) 令和(後平成)4年11月2日
睦月如月弥生卯月皐月水無月文月葉月長月神無月●霜月師走 
秋分寒露霜降10・23●11・7立冬小雪大雪
 月齢7.7 日の出6:03 日の入り16:45 東京  
年初から306日ー59日年末 
  日復一日 アクセス数 154695

未公開トーク 追悼:半藤一利藤井裕久 歴史探検家と政界顧問が憂慮する「平和から新戦間期へ」の萌芽  半藤・藤井対話 ダウンロード 

半藤 「国益」は何かといったら、ここまで70年間戦争をしなかったということ。これは世界の国々がある程度わかっている。日本がそういう国でありつづけること。これは最大の「国益」だと思いますよ。
藤井 やっぱり大先輩だ。ありがとうございます。

 再録「10月1日 国際高齢者デー」 
   「三世代平等長寿社会の日」宣言 日本丈風の会

 平和裏に迎える「高齢化」を21世紀の国際的潮流と見通した国連は、20世紀末の1999年を「国際高齢者年」とし、10月1日を「国際高齢者デー」と定めて、世界の高齢者が自立して「すべての世代のための社会をめざして (towards a society for all ages)」の活動に参加するよう呼びかけました。
 わが国も当時の総務庁を中心にして、自治体や民間団体が参加して、全国で1084件の事業を実施しています。

 その日から20年余、この間に際立ったことといえば、世代交代、GDP・賃金の停滞、非正規社員化、日用品の劣化、格差の定着、”愛痴”化(バカ化)も・・などでした。
「高齢化」で先行するわが国(高齢化率29.1%)には、「高齢社会」の国際的モデル事例が期待されているのです。ですが、現状はその達成に向かっているといえません。
 ・・・・・・・・・・・
 政府の対策としては「医療・介護・福祉・年金」といった「高齢者(ケア)対策」においては、欧米と比較しつつ成果を収めてきました。
 しかしどこにも先例がない「高齢社会(参加)対策」については、基本構想として「高齢社会対策基本法」(1995年に村山内閣が制定)を掲げて、対策内容としては「高齢社会対策大綱}(1996年に橋本内閣が閣議決定、5年ごとに見直し)を検討していても、実現する「高年世代」(アクティブシニア)が広範に登場するまでは進展をみませんでした。
 未萌の姿を模索しながら活動した先人は、将来を憂慮しつつ去っていきました。惜別の声が聞こえます。
 
 これからの20年、世界最速で高齢化率25% (65歳以上の人口4分の1に、2013年) に達したわが国は、青少年世代、中年世代とともに第三の現役である「高年世代」を成立させて、平和を保持するとともに、潜在力(知識・技術・資産・人脈・・など)を活かして新たな三世代平等の「高齢社会」(モノ・サービス・しごと・しくみ・居場所・住環境・移動・高齢社会庁・・など)を創出し、世代交流、GDP伸長、賃金安定、正社員化、日用品地産化、格差是正、文化熟成に向かわねばならないのです。
 一人ひとつの人生をかけて。
 細目:略  2019年10月1日~2022年10月1日
 国連の「高齢者五原則」は 自立・参加・ケア・自己実現・尊厳  20191001~20221001

上の宣言にご賛同のうえお仲間に転送してください。一人ひとつの人生でどれほどのことが可能かは知れませんが、小さくとも水玉模様のように重なり広がれば・・

11月2日  calendar・・・・・  
 有馬大茶会(2~3) 唐津くんち(2~4) 白秋忌(北原白秋・1942) 阪神タイガース記念日(1985) 習字の日(2013) 『読売新聞』創刊(1874) 石井・ランシング協定(1917) 上野に国立科学博物館開館(1931) 「国民服令」公布(1940) 日本社会党結成(1945) 日米貿易経済合同委員会開催(1961) 柏戸と大鵬が横綱に(1961) 「貿易外取引管理令」公布(1963) 沖縄即時無条件返還要求県民大会開催(1967) 有馬温泉旅館火災(1968) 金鐘泌首相が来日(金大中事件謝罪・1973) トイレット・ペーパー買いだめパニック(1973) 阪神タイガース38年ぶり日本一に(1985) ゴルバチョフ書記長がソ連史総括演説(1987) 政官界人へのリクルートコスモス未公開株譲渡発覚(1988) ラグビーワールドカップ日本大会閉幕(2019) 中央公論社が読売新聞社に資産譲渡(1998) 年金改革関連法案(支給65歳に)成立(1994) 北原白秋(57・1942) 徳富蘇峰(94・1957) 山川菊榮(89・1980) 足利惇氏(82・1983) 田村泰次郎(71・1983) 山上武夫(70・1987) 河野進(86・1990) 式守伊之助(77・2005 第27代) 加藤治子(92・2015) Wikipediaなどから

・・・・・ news  
コロナ感染第7波(11月1日23:59 NHK)  昨日1日の感染者は東京都6520人。全国6万5280人。死者は計4万6711人(+52人)。ワクチン接種状況(人口割合) 第一回81.4% 第二回80.4% 第三回66.1%。第7波。感染者が全国的に縮小。下げ止まり

ロシア軍ウクライナ侵攻と北方領土  
2月24日、「特別軍事作戦」として侵攻し首都キーフに迫る。3月2日、国連特別総会(193カ国)でロシア軍撤退決議案を141カ国賛成で可決。3月23日、ゼレンスキー大統領が日本の国会(オンライン)で支援を訴え。東部制圧へ戦術転換。8月5日、オデーサ港から穀物船が出航。9月3日、ザポリージャ原発をIAEAが調査・管理に。ウクライナが東部・南部で反転攻勢。ロシアが予備役動員。東部南部占領地4州で住民投票しロシアに編入。クリミア大橋爆破。10月7日、ウクライナ議会が北方領土はロシアによって占領された日本の領土であると確認する決議を採択。10月12日、国連緊急特別総会で、4州での「住民投票」と「併合」を違法とする決議を143カ国の賛成で採択、反対は5カ国。

7月8日、安倍晋三元首相が奈良で参院選街頭演説中に銃撃され死去。7月22日、閣議で9月27日に武道館での「国葬」を決定 
7月29日、日本人の平均寿命(2021年)男性81.47歳、女性87.57歳。男女とも前年を下回る。厚労省調査
8月10日、岸田改造内閣成立 旧統一教会関係者排除に配慮。
9月8日、「閉会中審査」で国葬について説明
9月8日、エリザベス2世が死去(96歳)。19日に国葬。ウエストミンスター寺院にて       
9月27日、安倍元首相の葬儀(国葬)。日本武道館で開催。参列者4183人。献花2万3000人。市民グループの反対集会、国会議事堂周辺、日比谷公園、武道館周辺・・NHK関東地区視聴率9.7%。費用概算16億6000万円。
9月29日、日中国交正常化50周年の日(1972)
10月1日 国際高齢者デー
10月3日、国会(第210臨時会・69日)開会 10月24日、山際経済再生担当相が旧統一協会問題で辞任
10月22日、中国共産党大会が閉幕。習近平総書記が三期目にはいる

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*2022・10・17~10・24~月曜掲載・日々更新
安倍元首相の「国葬」のあり方について 

 歴史的国家的セレモニーである「国葬」として、安倍晋三元首相の葬儀は、 “ヒロシマ”がそうであるように、「民主主義国」日本からの「国際平和へのメッセージ」を発現する舞台となりえたのかどうか。

 繰り返し述べていますが、国際平和を守る役割の国連で、戦争を回避するための「恒久的権利(拒否権)」を付与されているのが国連安保理常任理事国(戦勝5カ国)です。あろうことか、その立場にあるロシアによる武力侵攻という新事象に直面しているのです。

 ここでこそ今、平和国家の「国際的新事例」を実現している日本からの”国民的総意”としての「国際平和へのメッセージ」は重要であり、とくに来年から非常任理事国を務める日本にとっての外交信条でもあるのです。
 ところが葬儀を主宰する岸田首相は、その根幹である”国民的総意”の形成を優先して考慮せず、海外での個人的実感を通じて「国葬」としたことで、「国葬でないほうがよかった」という国民の過半の評価を生じることになりました。外国からの賓客は、形をつくろうほどには来てくれましたが。
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「地球儀を俯瞰する外交」を自負して安倍氏が訪れた国・地域は80、のべ176に及ぶといいます。これは「日本国民と歴代首相たち+外務省」という戦後「平和外交」のラインに重なる実績として評価すべきもの。国民の「軍事力なき国づくり」へのたゆまぬ努力と日本外交でつちかった「歴代首相たち+外務省」による国際平和の保持においては、安倍元首相の足跡は“国民的総意”となりうるものだったといえます。

 兵役を知らず兵器をみない国の保持は、「戦禍の記憶」を胸中に刻んだ先人によってもたらされてきたのですが、「軍事力なき国」に暮らす国民と「平和・自由・立憲・民主」をめざす政界の諸会派が、合わせて世界に例のない「恒久平和の国づくり」への賛同と共有の場としての「国葬」に参集できれば、「日本国と日本国民」への敬意の表現として訪れてくる世界の国々の代表によって納得されたでしょう。 

 首相のリーダーシップのもとで、大局観に立った”国民的総意”を異見を包括して形成して、「成熟した民主主義国」での「国葬」でありえたならば、その一歩すすんだ姿を国際的に発現する歴史的国家的パフォーマンスとなりえたのです。この一点に政治生命をかける政治家岸田文雄の言動が国論を左右する局面として注目されたのです。「国葬」にあらざる「国葬」ゆえに、遺骨をかかえて右往左往している昭恵夫人の姿は痛々しいかぎりです。


活動できる期間「余命」について 
 高齢者むけ統計データというと、医療・介護・認知症・フレイル(日常生活への支障)といった高齢弱者(2~3割)を対象としたケアに関するものが多い。それもたいせつですが、100歳をめざして活動している健丈で多数派の高齢者(アクティブシニア)にかかわるデータこそたいせつなのです。これから活動できる期間(平均余命)の確認もそのひとつでしょう。
 
 平均寿命が60歳(男性1951年、女性1950年)から70歳(男性1971年、女性1960年)へ、そして男女とも80歳(男性2013年、女性1984年)を越えて2022年には男性81歳、女性87歳に達しています。
 81歳の男性の余命は8.63年(89歳でさらに4.75年)、87歳の女性の余命は7.36年(94歳でさらに4.00年)。ですから、平均的に健康を保ちつづければ、男性は93歳+、女性は98歳+ということになります。より健康であれば、100歳は視野のうちなのです。 (資料:厚生労働省)
 培ってきた知識・技術を活かして、積年のテーマの自己実現を果たし、お仲間とともに多彩な分野で社会参加して、新たな「日本高齢社会」の一隅を担っていけるのです。20221010 

・・・・・最新記事

10・1 国際高齢者デー
9・19 敬老の日 高齢者人口 3627万人に 
9・15 老人の日 100歳以上過去最多の9万0526人
9・5 再論:アジア途上国の「日本化」と日本の「途上国化」
8・22 大戦後77年の平和ニッポンを活かす道 
8・8 安倍元首相の国葬のこと 
7・11 緊急公開 追悼:半藤・藤井トーク 
7・4 参院選後を見据えて  
6・21 「9党党首による討論会」から 
6・13 12回目の国連安保理理事国として


*2022・9・26~10・3~月曜掲載
10・1「国際高齢者デー」  
 三つの高齢者記念日。9月15日は「老人の日」(家庭・クラブ・地域団体を中心に)、9月第三月曜日は「祝日・敬老の日」(国・自治体・企業で)、そして10月1日は「国際高齢者デー」(1990年の国連総会で採択)。国連は迎える新世紀が平和のうちに経過し、国際的に増大する高齢世代が新たな社会を形成することを希求して1991年から実施しました。
 最速で高齢化がすすむわが国では、世代を超えた共生社会の創出をめざす活動の成果を確認する日に。それとともに、先行事例を国際発信する役割が期待されているのです。20221001

*2022・9・12~9・19~月曜掲載 
高齢者人口
 9月19日、敬老の日(9月第三月曜日)での高齢者人口(65歳以上)は3627万人(前年より6万人増) 女性2053万人 男性1574万人 高齢化率29.1% 総務省推計
100歳以上の人口 
 9月16日に、厚労省が 9月15日「老人の日」での100歳以上の人口を発表しました。過去最多の9万526人で女性が8万161人、男性が1万365人。昨年から4016人増えました。2022年度中に100歳になる人は4万5141人。女性の最高齢は大阪府柏原市の巽フサさんで115歳、男性の最高齢は広島県神石高原町の中村茂さんで111歳。

*2022・9・5~月曜掲載 再論:
「アジア途上諸国のニッポン化」のため
「ニッポンの途上国化」に耐えて

「日本はいま衰退・埋没のプロセスにある」と言いすぎないほうがいい。 
“歴史的現在”を中・長期的に見ている本稿からすると、前世紀後半にアジアで唯一の先進国化を成し遂げたわが国は、21世紀の20年、グローバル化のなかで同じ道程をたどるアジア発展途上国(人びと)とともに「豊かさの共有」をするために、「踊り場」で待っている状態といえるからです。
 
海外に進出した企業は、「利己利人」を旨としながらも「損己利人」のプロセスをたどらざるをえず、「アジア途上諸国のニッポン化」のための「ニッポンの途上国化」(GDPの停滞、日用品の劣化、非正規社員化、格差の定着、”愛痴化”も・・)による現象が、「ニッポンの衰退・埋没」に見えるからなのです。
 リスク(収益未確定)を覚悟して海外に進出をした企業は、ノウハウを移出し優れた人材を提供し資金を投じて、「made in **」製品を現地で製作して、ニッポン市場に送り込んできたのです。ひとしきり日本の家庭は安価だが品質の劣る”百均用品”に囲まれ、企業は非正規雇用によって影響を吸収しながら、もどり道を確保しつつ、ともに繁栄するアジアのために”善意”に向きあって努めてきたのです。現地の人びとの「アリガトー」は静かな国際語になっているのです。 
 
アジア地域での成果 言うまでもないことですが、日本(人)主導の民主主義的手法による現地での「日進月歩」の成果は、歴史的現実としてアジア地域に姿を現すことでしょう。言って置きたいのは、日本回帰した多くの企業はそれぞれに努力したものの収益はおもわしくない結果であったこと。私利のために「損人利己」すら是とするアメリカ・マーケットで事業をする企業とは異質な企業人の働きであったこと。

*2022・8・29~月曜掲載 
立憲民主党が世代交代型から世代交流型へ
大臣経験のベテラン議員が執行部に復帰して

 野党の中核である立憲民主党は、8月26日の両院議員総会で、幹事長に岡田克也元副総理、政調会長に長妻昭元厚生労働相といったベテラン執行部人事を承認しました。経験や実績を重視し、参院選で敗北した党の立て直しをめざした布陣であり、とくに全国的に展開する「地域共生社会」づくりをすすめるためにも、来年の地方選を視野にいれた「世代交流」型の活動の強化をめざしたものといえるでしょう。本稿からいえば、もう一歩、菅直人氏や海江田氏といった戦後世代の潜在力を活かした護憲の”平和な社会”づくりに立ち向かう野党の姿勢が見えたほうがいい。これこそ保守・後退ではなく平和をまもる革新・進歩なのですから。

*2022・8・22~月曜掲載 
大戦後77年のニッポン外交を活かす道
「国際平和へのメッセージ」
を送ること

“国民の総意”が得られない安倍元首相個人の「足跡」への評価は、のちに歴史的に後人による補正にまかせるとして、“歴史的現在”のセレモニーとして、国際平和のシンボルとなっている”ヒロシマ”がそうであるように、”国際的総意”を受けて実施できるかどうか。
・・・・・・・・・・・
戦後「平和国家の新事例」 大戦後70年、国際的に評価される「平和国家の新事例」として成立し、なお成熟にむかう「民主主義国」日本からの「国際平和へのメッセージ」を発現する舞台が成立しうるかどうかです。実施の理由を、岸田首相は海外からの評価を考慮したと実感をこめて強調していますし、「軍事力なき国づくり」の実態と長年の日本外交での「歴代首相たち+外務省」による国際協調の保持においては、安倍首相の足跡は”国民の総意”となりうるからです。演じるのは時代認識の浅い「平和ぼけ」+「平 和づけ」の俳優たちによる歴史劇であるとしても。

軍事力なき国づくり」 70年余り、大戦乱の犠牲者6000万人から託された「戦禍の記憶」を胸中に刻んだ先人によって保持されてきた「軍事力なき国づくり」と「自由・立憲・民主・平等」をめざしている政界のありようは、世界に例のない「恒久平和」の国づくりの事例として、「国葬」に訪れてくる世界の国々の代表に確認されるでしょう。兵役を知らず兵器をみない国民が「七十古希」に達してなお活き活きと暮らしている敗戦国日本の姿を実見して。
・・・・・・・・・・・
 繰り返して述べますが、国際平和をまもる役割の国連で、戦争を回避するのための「恒久的権利(拒否権)」を付与されているのが5戦勝国(国連安保理常任理事国)です。あろうことか、その立場にあるロシアによる武力侵攻という新事象に直面しているのです。「国際的新事例」を実現している「民主主義国」日本からの「国際平和へのメッセージ」は、来年から非常任理事国を務める日本にとっての外交信条です。 
「地球儀を俯瞰する外交」として安倍氏が訪れた国・地域は80、のべ176に及ぶといいます。それは「首相たち+外務省」の「平和外交」のラインに重なる実績として評価し継承すべきもの。
 多岐にわたる異見を包摂し調整しての「成熟した民主主義国」での「国葬」が、その一歩すすんだ姿を国際的に発現するすパフォーマンスとなるのかどうか。
 この一点に政治生命をかける岸田首相の言動に注目です。(つづきます) 

*2022・7・11未公開トーク 半藤・藤井両氏を追悼して 
歴史探検家と政界顧問が憂慮する「平和から新戦間期へ」の萌芽 

国家の品格は「平和」を守ること 

半藤 一利(はんどう かずとし)1930・5・21~2021・1・12 90歳
藤井 裕久(ふじい ひろひさ)1932・6・24~2022・7・10 90歳
2018年6月5日 芝白金台・藤井裕久事務所にて 
半藤・藤井対話 ダウンロード

見出し 
まずは乾杯。「東京大空襲」では死ぬところ
角栄さんは真底から平和主義者であった  
「繰り返す歴史」(戦争)への憂慮 
国際協調の潮目がまたアメリカから反転
中国侵略の発端は「民族的な悪い癖」
悲惨だった日露戦を知る軍人は非戦論者に
戦禍を知らない世代に平和は守れない
ニッポンは地政学的に守りづらい国
「日本国憲法一〇〇年」を国際的に迎える
野党とマスコミの役割は国民をあおること
人間としての自衛官をつくる防衛大学校
公正中立の軸を見失った国家公務員
「民族的な悪い癖」の歴史検証が優先事項
軍隊とは独断専行するもの
戦争へむかう小さな芽を摘みつづける
「国家の品格」(国益)は平和を守ること 

*2022・7・19~月曜掲載 
戦禍の記憶を持つ人びと 

 わが国の平和が70年を超えてつづいてきたのは、戦禍の記憶をもつ人びとの長寿に負っているといえます。胸中に戦禍の記憶を持つ人びとは、外に平和を求めるからです。一方で胸中に平和の記憶しかない人びとは、それを守るために外に軍事力を求めるのです。国民のあいだに後者の割合が次第に確実に増えていきます。

「太平洋戦争への道というのは明らかに戦争の悲惨さを知らない人たちが起こしたもの」と半藤さんはいいます。そういう芽を早めに摘んでいくしかない。お互いやり合っているのはいいんですよ。それはかまわない。しかし「生活の中で戦争への芽が出たらプチンとつぶしていくことが大事」といっています。「平和は自衛隊ではなく日本人が国家の品格として外に対して守ってきたんです。それが何より勝る国益です」と言い残しておられます。
 1957(昭和32)年生まれで7月29日に65歳になる岸田文雄氏は、「もはや戦後ではない」といわれた時期に育って、兵役を知らずに青年期を過ごしてきた「平和づけ」のひとり。いまや政界の主流は新世紀に「世代交代」を訴えて出てきた後人層ですから、軍事力増強はすすむでしょう。

 戦後平和から新戦間期への萌芽-ー芽のうちにプチンと摘み取るしかない。
 その力は、戦後生まれの”平和団塊”のみなさんにあるはず。早々と顧問になど収まっていないで、100歳現役をめざして発言し行動すべきときではないでしょうか。

7・11 緊急公開 追悼:半藤・藤井トーク 
7・4 参院選後を見据えて  
6・21 「9党党首による討論会」から 
6・13 12回目の国連安保理理事国として

2022・7・4~11~月曜掲載
軍事力増強と改憲論議を見据えて  
  軍事力を国際紛争を回避する抑止力として用いるのが「恒久の権限(拒否権)」を有する国連安保理常任理事国の役割。あろうことか、ロシアは平和を破壊する戦力として用いたのです。 
 ですから、ウクライナ侵攻に対して、世界の各所へ出向いて非難する岸田首相の姿は、「軍事力なき国づくり」を70年にわたって実現してきた日本の外交として、ありうべき姿であり、特筆されてよいレベルのものでしょう。アジアを代表して来年から2年間、安保理非常任理事国を務める日本の立場を、鮮明に、加盟国193カ国に「和平へのメッセージ」として発信したものだからです。

 日本の役割は国際的平和保持  
 課題はこれからにあります。 
 これから「平和へのメーセージ」の内容をひろく実質的に国外へ伝えるのは日本国民の努めであり、参院選後の国会の党派を超えた課題です。7月10日に起きた安倍元首相銃撃事件は、民主主義の成熟して安定した対応によって衝撃をはねかえす特異な事例として理解すべきでしょう。 
 わが国の「軍事力なき国づくり」が「平和への抑止力」としての常任理事国アメリカの軍事力に負ってきたことは確かです。その成果はアメリカの軍事力を背後で支えている平和指向・国際協調維持のアメリカ市民と共有すべきものでありその援護となること(軍事面だけで見ない)、一方でロシアと中国の大多数の平和指向の市民層から共感をえられるアプローチであること(国だけで見ない)は、「新事例」の「民主主義国」の党派を超えた論議の 基本的前提です。

「平和の100年・100年の人生」の実現  
 アメリカ軍の「核の傘」のもとで隣国3国の軍事進攻に備える、ECと同列のGDP2%への軍事費増額、憲法九条への自衛隊明記といった”戦禍”に根の届かない論拠による内向的安全保障の議論からは、国際世論に訴えられるレベルの国論は得られないでしょう。護憲・論憲・加憲・改憲の論議をつくして、「軍事力によらない国づくり」の実例を提供し、国連加盟の中小国にむかって「世界平和」への実効力のある呼びかけをすることは 「一国(自国)優先」へ向かおうとする世界の潮流を「国際協調」の本流に引き戻す歴史的大事業であり、日本列島が沸き立つ時なのです。
 兵役のない暮らしを守り、だれもが長寿の人生を享受できる「平和の100年・100年の人生」の実現をめざすこと。世界の市民に希望を与えることができ、先の戦乱で犠牲になった6000万人ひとりひとりの残した心火に応えることができる、人類規模の「恒久の平和」への貢献なのです。

*2022・6・20~27~月曜掲載 
「9党党首による討論会」から 
Ⅰ 際立つ「消費税」への認識不足
Ⅱ 高齢社会庁構想の不在
 

Ⅰ 際立つ「消費税」への認識不足 
6月21日に、7月10日投開票の参院選にむけて、日本記者クラブ主催の「9党党首による討論会」がひらかれました。自民・公明・立憲・維新・国民・共産・れいわ・社民・N党の9党党首によるもので、党の公約・主催者質問を合わせて多様な課題が論じられました。が、昨年の「総選挙」のときと同様に、「社会の高齢化」にかんする論議はありませんでした。 
 物価高対策としての「消費税減税」が各党から重ねていわれ、わずかに反対した自民・公明から社会保障の財源対応がいわれたくらいで、「消費税」への政界の認識不足が際立ちました。

「高齢者3経費」の目的税 前世紀末のころの政治家や官僚の高齢者温存への配慮が思われます。戦後がんばってこの社会を建て直した人たちの晩年に報いるために、若い人も恩恵を受けているのだからと、「消費税」を社会保障の目的税にしてくれたのでした。「高齢者3経費」(高齢者介護・高齢者医療・年金)の目的税にして、それ以外に使えないようにしたのです(宮沢蔵相、6・28忌日)。そのときに「子育て」を加えて4経費になり、もうひとつ高齢者医療だけでなく一般医療に広げたので「医療保険」にも使えるようにしたのでした。(6・21 つづきます)

Ⅱ 高齢社会庁構想の不在
 討論会のテーマとして、「少子高齢化」は「少子化」(少子化対策、出産育児一時金、子育て家庭支援、教育国債、こども家庭庁・・など)が論議されました。が、「一億総活躍」「人生100年」がいわれて、高齢化率(65歳以上の人口比)が28%+になり、4人にひとり(3640万人)に達して、世界初の第三世代「高年世代」(青少年~30歳、中年~60歳に次ぐ)が構成している「高齢化社会」については、喫緊の重要課題として取り上げられていないのです。
 年々増えつづける高齢者への対策としては、社会保障費(介護・医療・年金・・など)として「高齢者社会」は認知されていますが、「高齢化社会」(モノ・サービス・しごと・しくみ・居場所・住環境・移動・高齢社会庁・・など)は高齢者が潜在力(知識・技術・資産・人脈・・など)を活かして「地域共生社会(世代交流)」づくりのなかで自主展開せよというのでしょうか。
 
「高齢社会庁」は世紀初めの事業 1999年の国連「国際高齢者年」以後の高齢社会形成にむけての経緯を「高連協」(JANCA、高齢社会NGO連携協議会、高齢者憲章)の動きとして見据えてきた本稿の立場からすれば、「高齢社会庁」は世紀の初めに設置されるべきでした。が、世紀初めに政界を襲った「世代交代」の激流に翻弄されて以後、政策(高齢社会対策大綱)はあっても実現主体不在の連鎖によって、「社会の高齢化」事業は底流に押しやられて延滞してきたのです。

・・・・・・・・・・・ 
 西欧の先進諸国は「高齢化途上国」
「社会の高齢化」事業は西欧先進国から学ぶことはできません。イタリアが高齢化率23%で日本に次いで第二位です。このグループと並走していたのでは、実態として周回遅れになってしまいます。わが国は断トツのトップランナーとして独走態勢を保持して、独自の「高齢化社会」の姿をモデル化せねばならないのです。政治家と官僚は、イギリスからグラットン女史を招聘するといった横文字コンプレックスの後進性を排して、自国の先達の意見を聞くべきでしょう。
「地域共生社会(世代交流)」づくり 自治体・地元中小企業がリードする「地域共生社会(世代交流による)」づくりが、コロナ感染・ウクライナ侵攻後を見据えた対応です。これからやってくる国際的横波をはねっかえす「命とくらし(医療と経済)」を守る防波堤づくりです。横比べで”水玉内需”を展開し、日復一日、地域の自立・国力の回復(GDPの伸長、日用品の安定、正規社員化、格差の是正、“愛痴化”脱皮も・・)がなされて、だれもが安心して暮らせる「平和の100年・100年の人生」(ニッポン人のゆめ)が現実になるとともに、再びジャパンミラクルの評価をえるでしょう。(6・27)

*2022・6・13~月曜掲載  
12回目の国連安保理理事国
70年余の平和を具現している国民として

信任票184を獲得 日本国は、インドに代わって、来年2023年1月1日から2年間、国連安全保障理事会の非常任理事国をつとめます(12回目)。9日の総会の投票(193カ国)で信任票184を獲得して。いうまでもなく今回はこれまでとはちがいます。国とともに主権者の国民にも新たな出番が求められているのです。 
 世界大戦後の戦禍の残るなかで、「国際紛争を解決する手段」としての「武力の行使」は「永久に放棄する」という条文を憲法に掲げた国として、「恒久の平和、非軍事の国づくり」を70年余り具現している立場で、国も国民も軍事力によらない国際平和の堅持を国際的に際立たせる機会にしなければならないからです。
  
「拒否権」の意味 先の世界大戦は6000万人余(ロシアは1395万人、ウクライナは685万人・・日本は310万人)という多大な犠牲者を出し、わが国へは原爆という巨大な殺傷力をもつ核兵器を使用を受けて終戦を迎えたのでした。そのあと「国際平和」という人類の悲願をこめて登場したのが国際連合(UN、 United Nations)です。 
 国々の意向を調整しつつ国際平和をめざす国連で、軍事力を保持し使用できる「恒久の立場(拒否権)」を付与されているのが5常任理事国です。紛争の解決にあたって軍事力が抑止力になるからで、兵を現地に送っても戦わないで紛争を解決する「有征無戦」の役割を望めるからなのです。 

プーチンのロシアが暴挙 その常任理事国の立場にあるプーチンのロシアが、みずから軍事力を用いてウクライナに侵攻し、市民を殺し都市を破壊したことは、国連の存在意義を根元から揺るがす暴挙です!
 日本はそのことを世界の平和指向の各国市民に訴える役割に任じて活動に臨まなければならないのです。常任理事国入りはその活動の成果の先にあるのです。2022・6・13記 次につづきます。

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日本独自の役割  
 先の大戦のあと70年余り、戦後に生まれて「成人」として兵役を知らず、「古希」を迎えて戴白の老となった今まで干戈を見ず、戦死者を一人も出さなかったニッポン。
 世界中から修学やビジネスや観光でやってきた人びとは、国の隅々まで平等で、親子孫の三世代が配慮しあって暮らしている姿を見て、日本が紛れもない平和志向の国であり、市民が遠来の客に対してみな友好的であることを知って、羨望の念を抱いてもどっていくに違いありません。できれば住みたいと思う国なのです。 
 
アメリカの軍事力 日本がたどった戦後平和のプロセスが、常任理事国である戦勝国アメリカの軍事力に負っていることは確かです。駐留する米軍に対する日本国民の執拗なまでの反対闘争が、米軍を背後で支えている本国アメリカの平和指向の国民(市民)と日本の国民(市民)が国際平和へのプロセスを共有していることの証しであることを見落とすわけにはいきません。
 
各国市民に共感される活動 いまや「恒久の平和、非軍事の国づくり」を指向する日本国(市民)の存在は、アメリカばかりか、戦勝国すべて(もちろんロシアも中国も)が守るべき「平和の核」であり、多数の平和指向の国々の市民を支え鼓舞しているのです。国連事務総長も期待するように、日本の役割はそういう国同士の連携を、国連を通じて造成することにあるといえます。憲法九条はその旗じるしであり、自衛隊併記をする場ではないのです。
 新兵器開発の現状からみて、次の大戦となれば犠牲者は億人レベルに達するでしょう。人類の存亡すらかかる「国際協調」の確保、各国の市民に共感される活動の展開によって、核兵器の増強がプーチンがいうように「鏡のなかの花」であり、「鏡花水月」にすぎないことを当事者に同時に納得させなければならないのです。2022・6.14 次につづきます。

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憲法論議を尽くして  
 とはいうものの、日本の現政府は、それは現実的でないと一蹴するでしょう。ロシア・中国・北朝鮮の武力行使を想定しその備えとしてアメリカの「核の傘」の下に収まって軍事力を増強するという内向的な安全保障を前提にして憲法論議を起こそうとしています。「戦禍」を知らない現役政治家の論拠の根があまりに浅いのです。「恒久の平和、非軍事の国づくり」を現実的でないとする意見が勢いを増しているのです。
 
 主権者の国民(市民)としてどうすべきでしょうか。 
 国政選挙の折りに全国の選挙区で候補者と論議をつくして、「非軍事による国づくり」保持の意志の固いことを確認して国会に送り出すことです。次回の国会では日本国民の総意として決議して世界に発信すべきでしょう。胸中に「戦禍」の記憶をもつ高齢者を中心にここまでは主権者として実現できるところです。
 戦死者を一人も出さなかったこと。これからもそうであるように・・。  

「恒久平和」を世紀の烽火に 
「国際協調」が後退し、「一国(自国)優先」が台頭してくるとき、わが国がこれまでの「平和軍備」を越えて自衛を理由に軍事力(戦力)を増強するのでは国際平和へのメッセージにはなりえません。 
 先の大戦の6000万人余という犠牲者の、なお歴史的現在を生きつづける心火と、戦禍に遭遇し戦後に労苦しつつ将来に希望をつないで去っていった先人の願望。それを熱くとどめて灯りつづけている「恒久平和」の明かりを、世紀の烽火とするには、わが国が「国際協調」の潮流に勢いを与えること、託されている後人として国民(市民)一人ひとりが国際交流を通じて底流を厚くすることによるのでしょう。2022・6.15

*2022・6・6~月曜掲載
新世紀20年の日本の役割 
途上国の”日本化”と日本の”途上国化” 

日本の”途上国化” グローバル化の新世紀この20年、アジアで唯一の先進国として、途上諸国の”日本化”(モノと暮らしの豊かさ)のために日本の”途上国化”(GDPの停滞、日用品の劣化、非正規社員化、格差の定着、愛痴化も・・)を受容してきました。それぞれに事情はあっても海外進出した日本企業は、資金・ノウハウ・人材を投じて誠実に事業を展開し、踊り場で待つようにしてアジア途上諸国のモノと暮らしの豊かさの共有化に寄与してきました。アメリカだけを対象にしてきた経済人や政治家には理解のとどかない日本の役割として。
 その間、国内では「世代交代」による社会の若年化がすすみ、働きすぎていた高齢者はひと休みして、それぞれに保持している知識・技術・人脈・資産を社会の変容に活かせませんでした。先人は潜在力を保持したままこの国の将来を憂慮しながら去っていったのです。 

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生活必需品の「自給」 
 大戦後70年つづいてきた「国際協調」の潮流を「自国優先」という横流で乱したのは他でもないアメリカです。コロナ禍・ロシアのウクライナ侵攻を合わせて、経済の一国主義の時流を顕在化させています。時差での予見を含みますが、アメリカ進出の企業ばかりでなく、その対応のために海外進出した日本企業の国内回帰が相次ぎ、国レベルよりも自治体主導の「地域住民の命と暮らし」をまもる「モノづくり」「しくみづくり」(「世代交流」による全員参加で)に関わることになります。自治体ごとの生活必需品の「自給」を高める”水玉内需”を競ってすすめ、そのうちのスグレモノは将来、高齢化途上国が求める優れたMADE IN JAPAN製品として輸出されるようになるでしょう。 
 こうして年々すすむ国力の回復(GDPの伸長、日用品の安定、正規社員化、格差の是正、愛知化も・・)は、再びジャパンミラクルの評価をえるに相違ありません。  

アクティブシニアの出番 「コロナ弱者」としてベンチで出番を待っていた3600万人の高齢者のうちのアクティブシニア(日曜は1日だけ)のみなさんが、培ってきた生活感性を活かして仲間とともに円熟した地域生活圏を構想し、三世代みんなが安心して暮らせる「地域共生社会」の創出に積極参加すること。こうして国際的に先行する新たな社会づくりの成功事例を体感できるのは、何より喜ばしい長寿人生の自己実現といえるでしょう。

*2022・5・30~ 月曜掲載
AMERICAN DREAM 中国夢 に比しての
ニッポン(人)のゆめ といえば
「平和の100年・100年の人生」

「七十古希」を過ぎてなお健丈に暮らしている「戦後世代」(本稿の”平和団塊”、1946~1950年生まれ)1000万人のみなさん。その一人ひとりの長寿人生は、なおこれから四半世紀、初代体現者として「100年人生」をめざすとともに、両親から託された「非軍事平和の国づくり」を実証する歴史的事業として成し遂げることになります。 

 これまでなかった新たな「高年世代」(高齢化率=65歳以上の人口比率が25%・人口の4人にひとりで形成、日本はダントツの28%+)の中核として日本社会の高齢化を体現しているみなさんが「人生100年」に達したとき、「平和国家」と「三世代平等社会」が同時に実現されることになります。 
 この21世紀最大のクールジャパン(和風事業)である成果は、かならずや高齢化後進諸国(イタリアが2位で高齢化率23%+、あとヨーロッパ主要国が続々)がモデル事例として後追いするに違いありません。
 青少年・中年世代のみなさんは、みずからの長寿を願うとともに、日本オリジナルの世紀の事業達成を熱く見守りつづけてほしいのです。 
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「平和の100年・100年の人生」の体現者として、本稿がとくに注目する「戦後世代(平和団塊)」のみなさんの姿を垣間見るために、現役でご活躍の知名の方々のお名前をお借りいたします。

(1946)宇崎竜童・美川憲一・堺正章・坂東真理子・菅直人・秋山仁・田淵幸一・藤森照信・倍賞美津子  (1947)橋本大二郎・ビートたけし・尾崎将司・鳩山由起夫・千昌夫・荒俣宏・中原誠・寺島実郎・小田和正・北方謙三・金井美恵子・西田敏行・森進一・池田理代子・布施明  (1948)高橋三千綱・毛利衛・里中満智子・赤川次郎・五木ひろし・赤松広隆・江夏豊・上野千鶴子・井上陽水・橋爪大三郎・糸井重里・由起さおり・舛添要一・管義偉・内田光子  (1949)村上春樹・鴨下一郎・林望・海江田万里・高橋真梨子・平野博文・武田鉄矢・高橋伴明・ガッツ石松・尾身茂・矢沢栄吉・佐藤陽子・堀内孝雄・森田健作・テリー伊藤・尾身茂  (1950)残間里江子・舘ひろし・和田アキ子・坂東玉三郎・東尾修・中沢新一・池上彰・姜尚中・八代亜紀・辺見マリ・塩崎恭久・梅沢富士男・岩合光昭・綾小路きみまろ・神田正輝・・(72歳~76歳に)



*2022・5・3~9 月曜掲載
75年目の「憲法記念日」に 

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1 憲法論議がひろがる
 今、ヒトとコロナウイルス(COVID19)が世界中で戦っていて、犠牲者が600万人を超えました。かつて、ヒトとヒトが争って、世界中でこの10倍に及ぶ犠牲者6000万人+(日本は310万人)という第2次世界大戦があり、未曽有の不幸な体験を繰り返すまいという自省と国際的悲願を託されて、戦禍の残る敗戦国日本で制定されたのが「日本国憲法」です。昭和22(1947)年に施行され、この年生まれの戦後っ子が75歳、兵役を知らず干戈を見ずに「七十古希」を過ごして、75年目の記念日を迎えました。

 5月3日の「憲法記念日」は、日本のものであり日本だけのものでない「非軍事平和の国づくり」が、戦勝国占領軍(米軍)を向こう側で支えている平和指向の人びとと共有しているプロセスであることを確認する機会でもあるのです。日本国民一人ひとりが「非軍事平和の国づくり」を体現していることが、世界中の平和指向の人びとの人生に希望を与えているのです。
 ウイズコロナの禍中にあって、例年のようには集会での議論になりづらかったようですが、5月3日の新聞一面全面の「非戦」市民意見広告(2003~)は、いかなる政党・政治団体にも属さないという市民1万人が参加した「紙上デモ」として存在感がありました。 
「憲法改正」の手続きを定めた国民投票法の改正案が自民、公明、立憲民主各党の賛成多数で可決していますから、参院選を機に憲法論議がひろがる気配をみせています。
(5・3 次につづけます) 

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2 国際性と片務性が重要な論点 
「日本国憲法」の論議は、内向きにではなく、「非軍事平和に徹する国づくり」というプロセスの国際性と片務性を論じなければ本質に迫れないでしょう。 
「国際性」というのは、世界大戦の敗戦国日本の戦禍の残る中で制定されたという経緯から、戦争はどちらも傷つく「両敗倶傷」の惨事であることを訴えること。「片務性」というのは、日本に託された人類の恒久的平和への願望としての「九条」が掲げられているということ。終戦の後に軍事力を保持して国際平和を守る恒久的地位(拒否権)を 与えられているのが、国際連合安全保障理事会常任理事国なのです。

 75年間、ひとりの戦死者も出すことなく、若者に兵役を課すこともなく、恒久的平和に徹した国づくり(自衛のための平和軍備のみ)を貫いている日本。その主意を国際的に見守る立場にある国連安保理常任理事国のロシアが、軍事力で街を破壊し市民に犠牲者を出すなどあってはならない論外なこと。国連特別総会(加盟193カ国)がウクライナからのロシア軍即時撤退を要求する決議案を141カ国の賛成で可決したのは当然のことなのです。(5・5 次につづけます)  

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3 全員参加で「非軍事平和の国づくり」を実現 
 軍事力を抑止力として世界の平和を守る恒久的地位(国連安保理の拒否権)にあるロシアがウクライナに軍事侵攻するという異常事態を起こして、日本の首相や外相が軍隊の撤退を求めて各国首脳と合議をすることは当然として、同時にわが国が主導して、平和指向の各国の市民に訴えて、市民同士が連帯する国際的活動を並行して進めることが要請されるのです。

 日本国民はこの75年、兵役につくことなく全員参加で「非軍事平和の国づくり」を実現してきました。一方では国民として他方では地域住民として、平和な国づくり・地域づくりのために日々さまざまな選択をしながら暮らしています。自助を礎にして、互助、共助、公助をあわせ受容しながら共生社会とかかわって、多重性(多様性とは異なる)をもつ判断をかさねて、「平和の100年・100年の人生」を実感し享受できるところまできています。(5・7 次につづけます)
 
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4 だれもが「平和の100年・100年の人生」を享受 
 戦争のはじまりは帰り道がわかるほどのできごとではじまり、それが長期化深刻化してついには行き着くところまで行き着いて終わるというのが、軍事力による国際紛争の経緯です。ですから芽のうちに対処すること。戦場での兵士の残虐性には想像を絶するものがあります。被災者は無辜の人びとです。第2次世界大戦の惨劇を二度と繰り返さないという国際信義を具現化するのが「日本国憲法」の主意であり日本国民としての歴史的責務です。 

 その精神を先人から引き継いで、一人ひとりが「非軍事平和の国づくり・地域づくり」を体現し、施行から100年を保持して、2047年には各国の平和指向の市民とともに「日本国憲法制定100年記念祝典」を催すことになるでしょう。その主宰者の中心になるのは、平和の証として100歳を迎える戦後世代のみなさんです。

 25年後に、広く世界中の平和指向の市民のスタンディング・オベーションを受けて、世紀の祝典をおこなうこと。先人の遺志を合わせて世紀をまたいで「100年の非軍事平和の国づくり」に努めて、その達成を披露するのが平和の証として「100歳の人生」を体現する戦後世代のみなさんであり、持って生まれた歴史的役割なのです。 
 6000万人+の犠牲者の心火によって灯りつづけている恒久的平和への明かり。その保持を国際的片務とする日本は、内向きの安全保障を理由に「九条」の世紀の輝きを閉ざすことがあってはならないのです。(5・9) 

*2022・5・2~月曜掲載
国は高齢者に4回目のワクチン接種を準備 

自治体は特性を活かした「地域共生社会」を指向

 コロナ禍の2年半、高齢者は子どもたちのような生計上の補填を受けることなく、医療負担が増えないように「コロナ弱者」として不要不急の外出を止めて、4回目のワクチン接種を待ちながら「ステイホーム」を余儀なくされています。 
「医療と経済」の並立で”後出し”政策で精一杯の政府には高齢者が保持している潜在力を活かすことなど考慮の外のようす。右顧左眄せずに住民の「命と暮らし」を守るために将来への“先手”を 打てるのは、地元の自治体のほうなのです。

 自治体はいま、地域の青少年・中年とともに高年世代の特性を活かして「地域共生社会」をつくることに努めています。高齢者は100年人生の高年期の「新しい日常(ニューノーマル)」の在り方として、コロナ前に戻ろうとするのではなく、新たな三世代平等の社会に踏み出す企図をもって参加する必要がありそうです。
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「世代交流」を基本とした地域協議体
 そのためにはこれまで新世紀20年の時流となってきた「世代交代」による国づくり(国政選挙も)にかえて、これから20年、三世代による「世代交流」を基本として「地域共生社会」の形成を手探りしながら、地域の特性を活かしたさまざまな事業・活動を展開する必要があるのです。 
 主体となるのは住民一人ひとりですが、発揮された自助・互助・共助・公助の活動を自治体として対応するしくみ「協議体」(衆知を集めて構成)がどう集積し、どう行政に活かしてゆくかが緊急の課題になります。 

 現下の全国の自治体では、ボランティア、NPO、社協、民間企業、協同組合など多様な主体が参加して、住民の生活支援のための「生活支援体制整備事業」(推進するために個人の「生活支援コーディネーター」と「協議体」を設けて)を進めています。取り組みに遅速があるようですが、先進的に「地域協議体」が成立しているところは、その「協議体」を中核として推進会議を形成することができるでしょう。成立していなければ賛同する有志とともに首長直属で準備会議を設けて、独自の「(仮)地域共生社会推進会議」をつくることになります。今まさに先手必勝の局面なのです。

・「生活支援体制整備事業の地域協議体」 だれもが住み慣れた地で支え合って安心して暮らせるよう自治体ごとに設けられているしくみ。住民みんなが協力して自助・互助・共助・公助につとめて総体として成立することから、個人として「生活支援コーディネーター」と多様な活動主体が参加した「協議体」が設けられて実務に当たっています。自治体の取り組みに遅速があるため、住民の理解に較差が生じているようです。わが町の実情がどうなのかを確認してください。

 
 *2022・4・25~月曜掲載 
自治体が横比べに競う
「(仮)地域共生社会推進会議」の課題 

 「(仮)地域共生社会推進会議」は、次の課題(先行して指向されている)のなかからできるところから検討・実施することになります。一歩また一歩、自治体同士が横比べに競って。(*印はのちに解説いたします) 
・独自の「緊急事態宣言」と「アラート」基準 
・24時間体制のパトロール(期限設定) 
・24時間体制の対応(電話・mail) 
・「新しい日常(ニューノーマル)」提案 
・「共生社会推進3センター」体制  
  「包括支援センター」(健康・暮らし) 医療・介護  
  「生涯学習センター」(知識・経験) 高齢人材確保 大学校* 
  「シルバー人材センター」(技能・しごと) 生涯現役*まちづくり活動  
・歩行圏の「商店街」と車行圏の「スーパー」 日用品流通の多重化 
・「三世代四季型商店街*」 居場所・通い場所・集い場所  
・「地産品流通スクエア*」 
・「地産経済活動」 日用品の地産地消化  
・「三世代交流会館」と「三世代交流会議」 
・「公教育」 認定こども園・小学校・中学校・高等学校・大学校*(60歳以上) 
・「町議会の構成(クオータ制*)」 青少年3中年6高年3女性3の15人体制。・・

*2022・4・11~月曜掲載 
コロナ禍・ウクライナ侵攻の長期化で
海外商品の流通に渋滞がはじまる

遠からずモノ(日用品)の自給率が課題に
 アメリカ発出の自国優先の横流がほどなくして途上諸国にまで及ぶとき、これまで百均商品であった日用品やスーパーの安値海外商品の流通に渋滞をもたらします。ですから先手を打って日用品の地産地消をすすめて自給率をあげること。準備と実施は「地域協議体」が住民の意向を的確にとらえて自治体が担うことになります。 
 本稿が今、自治体ごとの日用品の地産地消を説くのは、市民・住民としての立場で「命と暮らし」(医療と経済)を守る自衛(平和維持)のために「先手を打つ」ことを提案しているからです。

 コロナウイルス変異株による感染の長期化、中東ウクライナでの国家対峙(西欧型国際協調的民主主義と大ロシア専制的社会主義)による軍事紛争の長期化がもたらす将来の情景は未萌ですから、本稿の提案がすぐに広い理解を得ることはむりでしょうが、新世紀20年のこの国の高齢化対応を見据えてきた立場で先行して実見している20年後の情景なのです。
 新しい世代として登場している高齢者(高齢化率28%+)の潜在力を活かして、世紀の本流というべき「世代交流」(国連が「1999国際高齢者年」に21世紀の潮流として提唱した)によって青少年・中年・高年三世代のみんなが「地域共生社会」の創出に参加することが肝要になってきました。GDP回復のための内需拡大をはからねばならないのです。

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「一億総中流」のころを想い起こして
 自治体はそれぞれの地域の四人に一人の高齢者がもつ潜在力を活かした「長寿社会」の創出を競うことになります。が、後に詳述しますが、高齢者は1970~80年ころの「一億総中流」の助け合い・支え合い生活を想い起こして、自治体での「モノづくり」「しくみづくり」の再生・創出に潜在力を発揮すべきときを迎えようとしているのです。可能なかぎり、作る者は使う人の、使う者は作る人の暮らしに思いを寄せて。「100年人生」の生きがいとして地域での暮らしに先手を打つことで、25年後の「平和日本100年」への烽火を掲げることになるでしょう。

参考年表 大正・昭和・平成 三世代年表 
!三世代年表(大正元~平成3)20210820.pdf


*2022・4・4~月曜掲載 
・・・・・先人の事跡に習う四字熟語 
「名垂後世」(めいすいこうせい)  

 本来は名声が後世まで伝わることを「名垂後世」(『史記「越王勾践世家」』から)といいます。歴代のリーダーは「歴史が証明する」といい、歴史を知り尽くした司馬遷は「范蠡(はんれい)は越斉陶と三遷して皆栄名有りて名垂後世」と記しています。 
 よく知られた「名垂」には、諸葛孔明が周瑜を霊前で悼んだ「命は三紀(三六歳)に終えるとも名垂百世」(『三国演義「五七」』から)があります。「名垂千秋」「名垂万古」「名垂竹帛」「名垂青史」など、歴史はそれぞれの場面で「名垂後世」を伝えています。その司馬遷は、天道の大経は「春生夏長、秋収冬蔵」であるのに、人間の世は善人の伯夷叔斉が餓死をし悪党の盗跖が長寿を全うしたのは何ゆえなのか、「天道是か非か」(「太史公自序」から)と悲痛にも似た疑問を人間と人類史に投げかけています。それから二千年を経た現代に「名垂」にあらざる三遷、ヒトラー、スターリンそしてプーチンと、無辜の民への凄惨な歴史がくり返されようとしています。(円水社+「四字熟語の愉しみ」より 2022/4/6)

*2022・3・28~月曜掲載 
自治体は「世代交代」を省みて 
世代交流による「地域共生社会」の創出を

コロナ後の「新しい日常(ニューノーマル)」
「ウクライナ侵攻」の戦況がただならぬなかで、「ウイズコロナ」第6波の収まりきらぬうちに、わたしたちは「新しい日常(ニューノーマル)」をつくることを求められています。 
 この2年余の「国難」ともいわれるコロナ禍への対応で確かめられたことは、生活圏での「命と暮らし(医療と経済)」を守るのに、 “後出し政策”しか実施できない政府に「国民」として全幅の信頼を寄せることができないこと、右顧左眄しない自治体のほうに「市民」として期待ができ、将来の安心を託せること。「新しい日常(ニューノーマル)」はコロナ前に戻ろうとするのではなく、新たな社会に踏み出す意図をもって当たらねばならないようです。 
 それゆえに新世紀の時流だった「世代交代」による国づくり(国政選挙も)を省みて、本流というべき「世代交流」によって青少年・中年・高年の三世代のみんなが「地域共生社会」の創出に参加することが肝要になってきました。 
 

*2022・3・21~月曜掲載 
ロシア軍によるウクライナ侵攻は 
大戦後平和期から新戦間期への兆候か(2)

 アメリカ追随(軍事的連携)を強めながら、G7各国の出方をうかがったうえで足並みをそろえていくという対応(外交)が岸田政権下の日本の姿です。先の大戦の当事国として、メルケル首相引退後のドイツほどには存在感を示すことなく、国際紛争解決のための武力使用を放棄した「憲法九条」を掲げる平和国家としては、きわめて消極的です。本来であれば率先してG7の先頭に立つべき時と所、原発施設の安全性確保や核兵器使用への言動については、リーダーとしての立場を期待されているはず、唯一の被爆国として、70年の平和保持国として。 
 日本有事の狭い内向きの国防ではなく、先の大戦の犠牲者(6000万人+)から託された国際戦争の回避・平和維持のリーダー役を担うべきでしょう。

 このまま“後出し政策”で推移すれば、多くの中小国に失望を与えて支持を失い、国際的発言力の低下を招きます。国際協調をいいながら何もできない中小国のひとつとして。 
 敬愛する中小国家の代表としての配慮を得られなくなれば、近い将来に、多くの物品の原材料や製品の調達が思うようにいかなくなります。どこの国も国際経済のひずみとすぼみのなかで、必死で自国の生産と消費の調整を進めていくからです。 
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 何より日本経済に大きなダメージをもたらすのは、いうまでもなくアメリカ国内の自国優先の経済動向でしょう。追随する日本のアメリカ依存が、中国排除とアジア嫌いという世情のなかでどこまで耐えられるのか。アメリカ追随経済が渋滞・破綻したとき、一方で日中経済にどう影響していたかを知ることになります。中国は「中国夢」という自国中心の時流のなかにあり、日本側の中国嫌いが日本離れを加速させるのを覚悟せねばならないからです 
 それが鮮明になる前にかしこい株価が反応して、乱高下の末に暴落の局面を迎えます。国内的には右顧左眄して“後手政策”しか実施できない政権には、恐慌状態の対処に的確な手を打つことなど期待できないのです。 
 国際協調が後退して現れる戦間期への兆候を打ち消せない今、市民としてどう対応すればよいのでしょうか。最後の砦になる自治体の「地域共生社会」の構築を急がねばならないのです。

*2022・3・14~月曜掲載 
ロシア軍によるウクライナ侵攻は 
大戦後平和期から新戦間期への兆候か(1)

 国際協調が後退する世界の現況をあまり楽観的に捉えすぎないほうがいい。といって、この見出しが悲観的なのではなく、戦争のはじまりは帰り道がわかるほどのできごとことではじまり、それが長期化深刻化してついには行き着くところまでいって終わるというのが「戦争(国際紛争)」の経緯だからです。新型武器の投入からみて、犠牲者は増大するでしょう。といって 第三次世界大戦を言うのは早計にすぎるでしょうが。
 戦禍を受けて犠牲になり苦労するのはいつでも無辜の人民です。どこかでウクライナ和平への妥協が見い出せるとしても、70年つづいた大戦後平和期から戦間期への経緯として捉えることで、将来の戦禍を回避する方途を先手をうって想定し準備できるのではないか・・。  
 2022年2月24日のロシア軍によるウクライナ侵攻はそのはじまり。先の大戦後に成立した国際連合(加盟193カ国)は70年余にしてはじめて、3月2日に緊急特別会合を開催、ウクライナからのロシア軍の完全撤退などを要求する総会決議案を141カ国の賛成で可決しました。 
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 武力による紛争解決を選択したロシアに対して、アメリカなど西側諸国が主導して可決したのが国連総会の戦争反対決議。ロシアのプーチン大統領(1952年10月生まれ)は要求している条件が満たされないかぎり戦闘をやめ(られ)ないでしょう。プーチンはソビエト崩壊は体感していても世界大戦の体験者ではないからです。アメリカ国内の一国主義の台頭に西側の国際協調の退潮を見抜いています。その起因であるアメリカのトランプ前大統領が「われわれのリーダーは無能だが彼は賢い」などとということこそオソロシイ。 
 
 かつて第一次世界大戦の反省により成立した国際連盟の国際協調を崩したのはアメリカの国内優先主義でした。その反省に立って成立した第二次大戦後の国際連合は、戦後70年余にして再びアメリカの国内優先主義の台頭によりロシアの武力による紛争解決を引き起こしたのです。反省しても歴史は繰り返されます。反省できなければ必然です。わが国を含めて反省できない人物が衣装を替えて登場して戦争の悲劇を繰り返すのです。歴史悲劇の再演を楽観的にみてはいけないのです。(2へつづきます)

・・・・・これまでの記事から 
2・21~コロナ閑録「円熟期の高年時代」について 
2・14~コロナ閑録 安保世代の「安歩当車」 
2・7~ 「負」の「シルバー民主主義」にかんして 
1・31~「民主主義」「中国的民主」の差異にかんして 
1・24~ 高齢社会フォーラム(オンライン)内閣府主催 高齢社会フォーラム202001 ダウンロードで
1・17~ 「tel&mail(テル&メール)新三密活動」のすすめ 
1・10~ 人生100年にかんして 「七十古希」から「百齢眉寿」へ 
1・3~ 「日本(人)の夢」といえば「平和100年・100年人生」 
1・11 若いきみたちに 「平和な国」づくりの世代伝承・1・11「平和な国」づくり 
*令和4年に米寿(88歳)・傘寿(80歳)を迎える方々 賀寿を迎える方々 
*令和4年 壬寅 元旦 2020年賀 ダウンロードで 


*2022・2・21~コロナ閑録 
円熟期の高年時代」について 

 本稿がタイトルに掲げている「高年時代」は、成長期の青少年時代と成熟期の中年時代をすごしたあと、これまでになかった「100年人生」を設計できる第三の現役、円熟期の「高年時代」に遭遇して、みずから享受するとともに後人に新たな地域資産を残そうという呼びかけなのです。 
 とくに際立ったことはせずに、長年かけて培ってきた知識や技術を活かして、暮らしの場に高年期の生活感性に見合った環境をつくろうというのです。何もしない日々を送っているといずれは後人の負担を生じます。高齢者がみんなで自分らしく日々をすごしていくうちに「三世代」による地域共生社会が新しく形成されていくのに違いありません。 
 それを本稿では将来を見据えて「三世代平等長寿社会」と呼んでいますが、立場により「生涯現役」社会とか「多毛作」時代と呼ぶこともできるでしょう。 
 
*2022・2・14~先人の事跡に習う「四字熟語」 
安保世代の「安歩当車」 

 戦禍のあと15年目の1960年に、わが国の社会はかつてない国民運動の嵐に揺れました。「安保闘争」です。あれから60年。運動の中心にいて学生だったみなさんは平和のうちに「古希」をすぎて暮年を過ごしていることでしょう。自分の人生を揺さぶりつづけてきたあれは何だったのだろうと省みながら。大戦後の国際協調(平和)の証しである憲法「九条」をみずからの生活のうちで確認し米軍のむこうにいる平和志向の市民との連帯・・。  
 ここでの「あんぽ」は安歩です。「ゆっくり歩行することが車行に勝る」ということ。古来、言い伝えられてきた「安歩当車」は人生を豊かにする四字熟語のひとつです。健康寿命を延ばすためのランニングや速歩での20分や2000歩もあるようですが、日課として、むかし馴染みの地区内の学校道を生垣や花樹をながめながら安歩して、商店街の茶舗や和菓子屋や書店を訪れて店主や旧知と語りあう。そのあと学校帰りの子どもたちの見守りを兼ねながらの並行は、長寿と平和の世代伝承の活動となり、「安歩当車」のメリメリットは尽きません。

*2022・2・7~月曜掲載 
「負のシルバー民主主義」にかんして 

 コロナ禍で際立つ若者層の現状への不公平感と将来不安の理由づけに「シルバー民主主義」がいわれます。わかりやすい解説を見てみますと・・。

・有権者全体のなかで高い割合を占める高齢者向けの施策が優先される政治のこと。日本ではとくに2000年代後半に団塊の世代が定年退職の時期を迎え、有権者に占める高齢者の比率が上昇した。しかも20~30歳代の有権者の投票率が低いことから、政治家も高齢者の声に耳を傾けがちになり、「高齢者の声が通りやすい政治」が現出した。・・日本大百科全書(ニッポニカ)「シルバー民主主義」の解説。  
・少子高齢化の進行で有権者に占める高齢者(シルバー)の割合が増し、高齢者層の政治への影響力が増大する現象。選挙に当選したい政治家が、多数派の高齢者層に配慮した政策を優先的に打ち出すことで、少数派である若年・中年層の意見が政治に反映されにくくなり、世代間の不公平につながるとされている。主に民主主義体制の先進国で見られる。・・知恵蔵mini「シルバー民主主義」の解説。

 世界に例を見ない「高齢化」をそのままにしておくと、わが国は若年層に不利な社会が形成されるという危機感が共有されています。 
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 自らを主役とする「シルバー・デモクラシー」は世紀初めのころ、内田満(1930~2007)氏らが論じておられ、そのあと団塊世代の寺島実郎(1947~)氏などが引き継いでいますが、国民的ひろがりを形成しているとはいえません。その不在の土壌から生じた「負」の意味合いで若者層の意識の表層をすくって流行語になっているのが、いまの「シルバー民主主義」。  
 本稿の 令和日本安国論考 『平和100年・100年人生  ~戦後団塊が「三世代平等社会」を達成~』 その第五 新世紀二〇年に渋滞した高齢化 でその近因を論じていますので、ごらんください。


*2022・1・31~月曜掲載
「民主主義」と「中国的民主」の差異にかんして

 去る12月9日から10日にかけて バイデン米大統領が主宰した「民主主義サミット」では、中国の「民主」を “専制主義”として西側の「民主主義」の優位性を示そうとしたものでした。中国は12月4日に白書「中国的民主」(国務院新聞弁公室)を発表して詳細に特徴と両者の差異を論じています。

 中国ではすでに2000年前に「民為邦本」(『書経「五子之歌」』から)の民本思想が培われ、その実現の道程は障害や挫折をともなう「艱難険阻」(『春秋左氏伝「僖公二十八年」』から)であることも熟知していたのでした。が、始皇帝による全土統一の際に機能した一家族の権力による封建専制(各王朝も)のもとで、広範な労働人民は長く最低層として圧迫と搾取を受けてきました。
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 辛亥革命から110年、馬克思(マルクス)主義に「中国的民主」の覚醒を受けた共産党の結党から100年。「民主」は全人類の共同の価値であり、国際的な政治文明は「各有千秋」の国々による多様で多彩な”文明の百花園”のようなもので、中国は「安居楽業」の小康社会を実現して、さらに果てしない「民主」の探索と実践に 「艱難険阻」を乗り越えて進もうというのです。(連載「円水社+」四字熟語の愉しみ「艱難険阻」から)
 中国には反対党も野党もなく、あるのは「共産党が領導する多党派合作・多党派参政」と言い切られてしまうと、絢爛たる”文明の百花園”はむずかしいのではないかと、民主主義の雑草地からはひとことあるのです。

*2022・1・24~月曜掲載 
年中行事・高齢社会フォーラム 内閣府主催

令和3年度
高齢社会フォーラム オンライン
令和4年1月17日(月)13:00~16:30 
『リアルもデジタルも』いきいきとつくる
豊かな長寿社会
高齢社会フォーラム202001 ダウンロードで
コロナ禍のつづくなか、オンラインで3分科会に分かれて実施されました。
基調講演は近藤勝則氏、コーディネーターは第1分科会樋口恵子氏、第2分科会松田智生氏、第3分科会澤岡詩野氏。

*2022・1・17~月曜掲載 
「ステイホーム」をチャンスに 
「tel&mail(テル&メール)新三密活動」のすすめ 

 いま高齢者は、コロナ弱者として不要不急の外出を止められ、三回目のワクチン接種を待ちながら「ステイホーム」しています。「日曜日は一日だけ」というみなさんにとっては辛いというよりも惜しい。で、リアルとデジタル(オンライン)とともに、同時発生的に期待されているのが「tel&mail(テル&メール)新三密活動」です。 

 電話によってことばを交わすことで、生きていることの輝きを認めあい、お互いの願いの涯を確かめあい、安堵しあえる。これはコロナ禍下でのチャンスです。「三密(密閉・密集・密接)」の回避により屋外で失った「密による温かな交流」を屋内からの発信でとりもどし、あわせて「新しい日常(ニューノーマル)」をつくる契機にできるのですから。
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「新三密」(親密・綿密・内密?)がいいのですが、「元三密があって新三密ではいささか過密」というご意見もあって、ここは「新密活動」一筋ということで。誰に対しても親密に接して、綿密に課題を共有して、少しばかり内密な話題を添えて。一人ひとりの力は水玉のように小さくとも、それが重なり合って地域を覆い広がる。遠からず「高年世代」による「高年ネット社会」が形成されるでしょう。円熟した地域文化環境を創出することに。閑居しているみなさんが日々「新密耳福」のひとときを重ねて過ごすことから始まります。

*2022・1・10~
人生100年にむかって
「七十古希」から「百齢眉寿」へ

「人生七十古来稀なり」と詠った杜甫の詩から70歳を「古希」と呼ぶようになったといいます。ですから「七十古希」は千年余の経緯をもつ四字成語なのです。
 そのころ長安は安禄山軍の侵入を受けて「国破れて山河在り、城春にして草木深し」(杜甫「春望」から)といったありさま。日々を酒びたりの杜甫は、「酒債は尋常行く処に有り、人生七十は古来稀なり」と身近にある酒のツケとあり得ない長寿とを比較しているのです。杜甫は旅先で59歳で去世しています。
 高級官人は70歳になると国中どこでも使える杖を拝受して「杖国」と呼ばれたといいます。日本にもどれず「三笠の山に出でし月」を想って客死した阿部仲麻呂は70を越えて生きましたから拝受ことしたでしょう。  

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「百齢眉寿」の「百齢」は百歳。2022年には大正11年生まれの人が百齢に達します。昭和元年生まれが96歳であと一息です。わが国では100歳以上の人が 8万6510人(女性7万6450人、男性1万0060人。2021年9月15日、厚労省)に達してなお増えつづけており、国際的に誇るべき長寿国のシンボルになりつつあります。 
 七十歳が「古希」といわれ長寿とされてきましたから、百歳はなおはるか遠い願望だったのでしょう。老齢になると白い長毛の眉(眉雪といいます)が生えて長寿の特徴となります。村山富市元首相のような。眉雪の方に「百齢眉寿」を伝えてあげてください。 
 
 同じ唐代の人で書家として知られる虞世南は、「願うこと百齢眉寿」(琵琶賦)と記して百歳を願いましたが、80歳を天寿として去りました。「七十古希」の杜甫は59歳、「百齢眉寿」の虞世南は80歳でしたから、長寿への願望は遠くに置いたほうがいい。 
 人生100年時代。いまや稀でない「七十古希」を迎えたら、次にはまだ稀な「百齢眉寿」を目標にして日復一日を過ごすことをおすすめします。  

*2022・1・3~月曜掲載
日本国憲法制定100年記念国際祝典」 
正夢としての「100年の人生」とともに

「American Dream」や「中国夢」に比しての「ニッポン(人)のゆめ」といえば、「平和の100年・100年の人生」でしょうか。
 いまそのプロセスを70歳「古希」で迎えた「戦後生まれ」のみなさん(1946昭和21年~1950昭和25年、934万人)が体験しつつ実現しつつ過ごしています。わたしは100歳まではなどといわず、あと25年を健丈に過ごして、2047年「日本国憲法制定100年記念国際祝典」を100歳のお仲間と主宰することに。わが国主催の今世紀最大の国際平和イベントになるでしょう。

 代表して国際平和の聖火を掲げて走るのは「戦後生まれ」のみなさんの役目だとしても、それを支えるのは高齢者だし、それを引き継ぐのは若者たちです。制定70年の「憲法議論」の衆議をつくして、国民の心を揺さぶる国家事業として据えなおすことになるのでしょう。
 本会は活動gとして、 「2047 平和憲法100年記念国際祝典推進会議」 の準備に参加します。

*2022・1・11 成人の日
若いきみたちに (亜起良のつぶやき)  
「平和な国」づくりの世代伝承
   
 だれもが「七十古希」(人生七十古来まれなり・杜甫)まで生きられる史上まれな長寿の時代。長寿を得た人びとが70年余り、この国の「戦後平和」を史上まれな長さに保持してくれているのです。「戦禍と戦後復興」を体験した人びとの胸中に刻まれた外には見せないつらい記憶の存在。その一人ひとりのつらい記憶は、できることなら「平和」に生きるきみたちに知らせたくない記憶として胸の奥に留めてきたのです。
 
  黙したまま去世してゆく先人に、兵役もなく「平和」な時代の記憶しか持たないきみたちは、深く感謝しなければ。先の世界大戦(犠牲者6000万人+)での敗戦国日本(犠牲者310万人)には、人類の悲願として、国際的紛争の解決に武力を用いないという国際的偏務としての「恒久平和」の国づくりが託されているのです。その実証であり誇るべき事例がきみたちの人生なのです。
2022・1・11「平和な国」づくり ダウンロードで

*別項  2020・8・17  「終戦記念日」にちなんで
「現役学生」であること 自衛と軍備    
 漢語の「現役」の原義は兵役に服していること、軍務についている人のことです。ですから「現役学生」といえば兵役にかかわっている学生のことを意味します。ただし日本語での意味は異なっています。大戦後の国際的偏務としてひたすらに「非軍事平和国家」をめざすわが国では、単に学生であることにいい、上の漢語に合わせれば積極的に「平和の国づくり」にかかわっている学生という意味になります。 
2020・8・17「現役学生」1 ダウンロードで

2022(令和4)年に 
米寿(88歳)を迎える方々
1934(昭和9)年生まれ
財津一郎(2・22 俳優) 藤子不二雄A(3・10 安孫子素雄・漫画家) 宇野亜喜良(3・
13 イラストレーター) 松平直樹(3・22 歌手) 島村 宜伸(3・27 政治家) 坂口力
(4・1 政治家) 堀田力(4・12 弁護士・福祉事業家) 田原総一朗(4・15 評論家) 宝
田明(4・29 俳優) 広中和歌子(5・11 政治家) 中村メイコ(5・13 女優) 堤義明
(5・29 実業家) 田中克彦(6・3 言語学者) 山田太一(6・6 脚本家) 宇能鴻一郎
(7・25 作家) 司葉子(8・20 女優) 小中陽太郎(9・9 作家) 樋口陽一(9・10 憲
法学者) 筒井康隆(9・24 作家) 美智子上皇后(10・20 明仁上皇) 東陽一(11・14
映画監督) 日比野弘(11・20 ラグビー)


2022(令和4)年に 
傘寿(80歳)を迎える方々
1942(昭和17)年生まれ 
角川春樹(1・8 実業家) 小泉純一郎(1・8 政治家) 嵐山光三郎(1・10 作家) 中
谷巌(1・22 経済学者) 今井通子(2・1 登山家) 坂口征二(2・17 プロレスラー)
秋山亮二(2・23 写真家) 山下洋輔(2・26 ピアニスト) 北の富士克昭(3・28 大
相撲) 林海峯(5・6 囲碁) 山東昭子(5・11 政治家) 大竹英雄(5・12 囲碁)
小沢一郎(5・24 政治家) 北野大(5・29 化学者タレント) 三枝成彰(7・8 作曲
家) 佐々木毅(7・15 政治学者) 中尾彬(8・11 俳優) 松本白鸚(8・19 歌舞伎
役者) 青木功(8・31 プロゴルファー) 尾上菊五郎(10・2 歌舞伎役者) 正田修
(10・11 実業家) 島田祐子(10・12 声楽家) 日野皓正(10・25 ジャズ奏者) 浜
畑賢吉(10・29 俳優) 南部鶴彦(11・6 経済学者) 寺田農(11・7 俳優) 十朱
幸代(11・23 女優) 藤井林太郎(12・16 実業家 
*2022(令和4)年中に米寿・傘寿を迎える方々 ダウンロードで 

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 賀正
 2022年 令和4年 壬寅 元旦

2022年賀 ダウンロードで
「日本の夢」のこと。 
「American Dream」や「中国夢」に比しての「日本の夢」といえるものは「平和の100年・100年の人生」でしょうか。 
G型ライフサイクル」 Gerontology(老年学・加齢学)に依り高年期に配慮した実人生プロセス。エリクソン以来のものが定着していて成長期・発達途上国に対して有効ですが、成熟期・高齢化先進国の実人生には別個のものが必要です。 
晨星期」 晩年に暁に輝く星のように次の世代・時代に影響を及ぼす時期 
高齢者五原則」 21世紀の国際的潮流を「平和裏の高齢化」とみる国連は1999年を「国際高齢者年」とし、10月1日を「国際高齢者デー」とし、「高齢者五原則」を指針とするよう提案しました。

2021年~ 2022年  

2021・12・29  来る年は壬寅(みずのえとら ) 

・・・・・先人の事跡に学ぶ 四字熟語 
孫文が見たもの 「虎視鷹瞵」(こしようりん)
 
 来る年は壬寅(みずのえとら)。十二支のうちに虎に狙われて勝てる動物はおりません。「竜虎」の竜は架空の生き物ですから別にして。それでも「竜争虎闘」「竜吟虎嘯」ですから力量互角です。「虎視眈眈」は恐ろしくて正面からは直視できません。一方、空から獲物を狙うのが鷹です。陸と空から獲物に襲いかかる鋭い眼差しを「虎視鷹瞵」(孫文「興中会宣言1894」から)といいます。 
 孫文は19世紀の末に列強諸国が中国を奪い合う姿に「虎視鷹瞵」を見たのです。狙われたそれを孫文は「中華五金之富、物産之饒」といっています。その後、1905年に東京で中国革命同盟会を立ち上げています。10月9日の「辛亥革命110周年記念大会」の講話で、習主席は孫文のこのことばを引用して「振興中国の責任」を果たそうと呼びかけています。問題は国を豊かにし国民に「安居楽業」をもたらす「民主」の姿にあります。中国の伝統社会における「民主」が欧米型の「民主主義」と異なるところが理解されないのです。 (連載「 円水社+ 四字熟語の愉しみ」 2021・12・29から)

*2021・12・27~
「世代交代」の20年を省みて
地域共生社会を現出する 「世代交流」を

 ご記憶にあるように、新世紀のこの20年、「世代交代」による激しい改革が叫ばれ優先されてきましたから、街なかやTV画面でみるように、若者化・IT化・愛痴化(バカ化、これも要素)がすすんで世相は様変わりしました。が、静かな「世代交流」による「日本長寿(高齢)社会」達成の事業は構想が共有されずに渋滞・遅延しつづけています。その間に優れた知識・技術・人脈・資産といった潜在力をもつ先人は、それらを活かすことなく将来の日本を憂慮しながら去っていきました。
 
  一人あたりGDPは1995年5位から最近は30位まで落ちています。高齢化社会づくりで経済成長経済伸長が可能なのですが。いまや大学ランキングでは東大が22位とか。コロナ禍を機に新しい日常ニューノーマルとして、若者化・愛痴化(バカ化)・途上国化を脱して(その成果は活かして)、「世代交流」による「地域共生社会」づくりを競って、成熟・円熟した地域、品格のある先進国を現出せねば。

*2021・12・20~  
「こども家庭庁」 より「高齢社会庁」を  
周回遅れの高齢社会対策こそ優先

 わが国の「高齢社会」(社会の高齢化)は欧米先進諸国に比して周回遅れです!と声高に叫んでみても、いまの国会周辺ではなんの反応も得られないといっていいでしょう。コロナ禍下とはいえ、総選挙のテーマにも上らず、国会で審議もされず、放っておいて達成されるとでもいうのでしょうか。「こども家庭庁」のほうは姿を見せようとしていますが。  
 高齢者が増えつづけて「高齢化率」(65歳以上の人口比率)が25%を超えて「高年世代」が成立しているといえる先進国は日本だけ(28%、2位のイタリアが21%)。欧米諸国はなおゆっくり高齢化している高齢途上国なのです。そこに同列で並走していて先行しないことを周回遅れに等しいといっているのです。

 新世紀を迎えるにあたって、「長寿をすべての国民が喜びの中で迎え、高齢者が安心して暮らすことのできる社会」(前文)をめざして、「高齢社会対策基本法」を制定したのが1995年11月でした(村山富市内閣)。それから4半世紀、日本社会はその目標に向かっているといえるのでしょうか。新世紀20年、「世代交代」で当選してきた国会議員によって、世界初、歴史初の「日本高齢社会」は底流に追いやられて渋滞しているのです。 

*2021・12・13~
「高齢者対策」は成熟しても
「高齢社会対策」が未熟のまま


「高齢化」の指標のうち、医療・介護・福祉・年金といった「高齢者対策」は欧米比較ですすめてきましたから引けを取らない水準にありますが、「高齢社会対策」は各国独自の事情もあり比較しづらい面もありますが、その努力をしないで形成できるわけはありません。それでも他国からとやかくいわれないでしょうが、その遅れのひずみはすでに高齢者の暮らしに表れているのです。

「社会の高齢化」のためになすべき事業を掲げた中期目標として「高齢社会対策大綱」を閣議決定(1996年7月、橋本龍太郎内閣)して5年ごとに見直しをしています。が、みずから実現する高齢者層が動かないために推進できないでいるのです。コロナ後の「いのちと暮らし」を守る「地域共生社会」づくりに高齢者が積極参加して「世代交流」に努めること。20年優先してきた「世代交代」の成果を活かしながら 「世代交流」の潮流を起こすことで実現が可能なのですから。

「社会の高齢化」に関する課題は山積しています。生涯現役ができる就業、高齢期起業、高齢者対応のモノ・サービス、居場所・通い場所、生涯学習のしくみ、安全な街や移動・・なにより高齢者層が保っている知識・技術・資産・人脈といった潜在力を活かした「地域生活圏」(持続可能な地域共生社会)の形成を図らなければならないときなのです。「青少年」「中年」「高年」の三期 三世代それぞれの長寿活動をすすめるためには 「こども家庭庁」 と「高齢社会庁」とがともに必要なのです。

*2021・12・6~ 
「高齢社会」がテーマにない総選挙 
 報道機関の側に問題意識が欠落

4年ぶり新世紀20年を省みて(?)の総選挙が、コロナ(五波)後の10月31日、行われました。1000人余の各候補は、これまでに議論となったコロナ対策・経済再生・憲法改正・外交防衛・消費税減税・夫婦別姓・こども庁・・を選挙民に訴えましたが、世界初のモデル事例となる「日本長寿(高齢)社会」は課題にのぼりませんでした。なぜか。  
 選挙前の各種討論の場で、質問を用意した主催者(NHKはじめ報道機関)側に問題意識が欠落していたからです。人口の4人にひとりを超えた「高年世代」の3640万票の意向を現場で確かめて、国会で 「日本長寿(高齢)社会」 を衆議して達成に向かう時期を迎えているのですが、「世代交代」を優先してきた政界にその認識がなく、「社会の高齢化」は20年底流したままなのです。

 省みれば、新世紀の国際潮流を「高齢化」と見定めた国連は、世紀末1999年の「国際高齢者年」(International Year of Older Persons 1999)に、そのテーマを「すべての世代のための社会をめざして」(towards a society  for all ages)として、各国に活動を要請したのでした。わが国も21世紀に迎える国家事業としてスタートを切ったのでした。  
 しかしながら新世紀のこの20年、「世代交代」による改革が叫ばれ優先されてきたために、静かな「世代交流」による「日本長寿(高齢)社会」(本稿の「三世代平等長寿社会」)達成の事業は遅延しつづけているのです。

*2021・11・8~ 
コロナ後は「国民」より「市民」として  
自治体とともに「いのちと暮らし」を守る  

 コロナ禍を機に、自治体では地域住民の「いのちと暮らし」を守る「地域共生社会」づくりが急務となりましたが、同時に内閣府には「少子化」対策を一元化する「こども庁」とともに「高齢化」の課題に対処する「 高齢社会庁 (高齢者庁)」を設置し、専任大臣と政策統括官を置くべきときなのです。「人生100年」は三世代それぞれにとってのテーマなのですから。

*2021・11・1~
多様性に逆行する衆院議後の国会  
40~60代の男性議員が77%に 
 国民からの信を得られなかった野党第一党の立憲民主党は、「地域共生社会」をつくる “和”の基本に立ち返って、みんなで「革新政党」をつくる「世代交流」の公開の場を率先してもうけて、若手議員(30代)、女性議員、高齢議員(菅 直人・海江田万里議員など団塊世代や岡田克也議員などを含めて)の声をよく聞いてから代表を選ぶべきでしょう。 新衆議院議員の77%が40~60代男性では、この国が女性化にも高齢化にも向かっているとはいえません。この流れに立憲民主党がどう立ち向かえるか。本物の革新への一歩です。これまでと同じ「世代交代」の先に本物の革新はありません。
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 10・31 投票率は前回よりやや高55%。国民は変化を求めず自民党の単独過半数に。対決型選挙区では敗れても比例区当選での復活が多く、一人区ではなく二人確定区が目立ちます。女性議員は増えず、引退・落選もあって高年ベテラン議員が少なくなりました。40~60代男性議員が77%に。 新世紀20年に際立ってすすめた「世代交代」を修整して、静かに底流している「世代交流」によって、第一世代の若者の参加をうながし、第二世代の女性議員を多くしながら、第三世代の高齢議員を残すようにしないと、それぞれの声が国政に反映されなってしまうでしょう。

*2021・10・18 ~25~
新世紀20年を省みる総選挙を  
初の「日本高齢社会」を論じるとき

10・14衆議院解散 10・ 19選挙公示 10・ 31投開票
10月14日の本会議で衆議院が解散されました。19日公示・31日の投開票で4年ぶりに総選挙が行われます。これまでの議論で出てきた争点は、コロナ対策、経済再生、憲法改正、外交防衛、消費税減税、夫婦別姓、こども庁・・などで本稿が訴える世界初のモデル事例となる「日本長寿(高齢)社会」はありません。選挙前討論の場で質問を用意する主催者(NHKはじめ報道機関)に問題意識が欠けてしまっているのです。3640万票の高齢者票で意思表示をしないと無視・軽視しつづける結果になってしまうでしょう。

 19日に選挙戦がはじまりました。9党の1000人余の候補者が全国で選挙活動にはいっていますが、高齢者の身辺には何の変化もありません。政治はこの国をどこへ導こうというのでしょう。

三世代平等長寿社会

憲法70年・高連協20年・コロナ禍2年
令和時代の新しい日常(ニューノーマル)

令和日本安国論考 
「平和100年・100年人生
  戦後団塊が「三世代平等社会」を達成~』

目次  ダウンロードしてご覧ください
はじめに 「平和団塊」が体現する長寿モデル   
その第一 みんなが「古希」という稀な時代
その第二 多様性を担う女性と家族のかたち
その第三 丈夫で長持ちする良質の中級品
その第四 特性が息づくわがまちで暮らす  
その第五 新世紀二〇年に渋滞した高齢化
その第六 初の「三世代平等社会」を達成
その第七 「和」の心を伝える おもてなし   
おわりに 平和の100年・100年の人生 
付:日本の社会 将来の姿 このひとの声を
『平和100年・100年人生 ~戦後団塊が「三世代平等社会」を達成~ 』は 9月1日~10月1日に逐次公開いたしました。

「10月1日 三世代平等長寿の日」宣言 日本丈風の会

 平和裏に迎える「高齢化」を21世紀の国際的潮流と見通した国連は、20世紀末の1999年を「国際高齢者年」とし、10月1日を「国際高齢者デー」と定めて、世界の高齢者が自立して「すべての世代のための社会をめざして (towards a society for all ages)」の活動に参加するよう呼びかけました。
 その日から20年、「高齢化」において先行するわが国は、その先進的なモデル事例を期待されているのです。政府の対策としては「医療・介護・福祉・年金」といった「高齢者(ケア)対策」においては公私をあげて対応して成果を収めてきました。しかしながら世界に先例のない「高齢社会(参加)対策」においては、実現する「高年世代」が登場するまでは対策構想(高齢社会対策大綱)は検討してiいるものの進展をみませんでした。
 これからの20年、世界最速で高齢化率25% (人口の4分の1) に達したわが国は第三の現役である「高年世代」を成立させて、青少年世代、中年世代とともに先人未踏の「三世代平等長寿社会」をこしらえて、後人から敬愛され「尊厳」(国連五原則)をもって生涯を送れる国際的モデル事例を実現せねばならないのです。細目:略 2019年10月1日
国連の「高齢者五原則」は 自立・参加・ケア・自己実現・尊厳

2021年10月  記事

*2021・10・11 ~
総選挙で 「長寿(高齢)社会」の「 長寿社会庁 (高齢者庁)」を課題

 9月29日に自民党総裁選がおこなわれて岸田文雄氏が選出され、10月4日に第100代新内閣が成立しましたが、実質的には何もかわらないことが次第に明らかになりました。
新世紀20年の経緯を見定めてきた本稿の立場からすれば、国会は「 長寿社会高齢)社会」を課題にし、「こども庁」とともに「 長寿社会庁 (高齢者庁)」の設置を議題にすべきときなのです。

 緊急に対処すべき「社会の高齢化」の課題は山積しているのです。
「生涯現役」が叫ばれて高齢者の25%が就業している現実、高齢者起業、高齢社会にふさわしいモノやサービスづくり、居場所・通い場所の設置、生涯学習のしくみ、「世代交代」ではなく「世代交流」による「地域共生社会」の形成、介護を含む地域での「支え合い(互助)」、ユニバーサル・デザインの行き届いた街や安全な移動・・そのほか多々あるのですが、政権党には対応の準備も構想もないのです。
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 なぜか、どうすべきか。 
 たしかな理由がわからずに全国一斉にコロナ感染者が激減して、10月1日に全国一斉にコロナ感染 「緊急事態宣言 」が解除されました。そして全国民が参加する総選挙が14日解散・19日公示・31日投開票で行われます。これをその機会とすべきなのです。総選挙では各選挙区で無党派層の参加で投票率をあげること、「こども庁」とともに「長寿社会庁(高齢者庁)」の設置に賛同する候補者を選出して国会に送り出すこと。
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 子どもに関する「こども庁」を設置するとともに、「長寿社会」づくりを国家目標に据えて「長寿社会庁(高齢者庁)」を設置する。専任担当大臣を置き、内閣府で専任の官僚が課題を統括しながら支えて、人口の4人にひとり3600万人に達してなお増えつづける高年世代が安心して過ごせる政策を展開する。世界初のモデル事例にすることが国際的に期待されているのですから。

 9月20日の「敬老の日」に自民党の青年局と女性局が主催する総裁選候補者の公開討論会が開かれましたが、ここでも「少子化対策」は課題になりましたが「高齢化対策」はありませんでした。3640万人の高齢者のほとんどが元気で地域で暮らして「生活圏」の様変わりが起きているというのに、「高齢化社会」を論じないでは「国民政党」とは」いえないでしょう。高齢者が保持している知識、技術、資産、人脈といった潜在力を活かした「世代交流」がキーワードなのに、まだ「世代交代」を叫んでいる。「地域共生社会」をコロナ後の政策としないで、全国民的な力を結集した抜本的改革などできるわけがありません。 

*2021・10・4 ~
新世紀20年、「途上国化」と 「愛痴化(バカ化)」がすすむ

 新世紀の20年、この国では若者を中心に「世代交代」が叫ばれて、「若者化」「女性化」「IT化」「バカ化(愛痴化)」がすすんで、世情は様変わりしました。街を歩いたり、テレビ画面を見るとよくわかります。とくに政界ではトルネード(竜巻)によって、「小泉チルドレン」・「小沢ガールズ」、二世・三世議員を輩出させて、顔ぶれを一変させました。
 
 一方、国際的には国連は、新世紀の潮流を平和のうちに「高齢化」がすすむと見定めて、1999年を「国際高齢者年」とし、10月1日を「国際高齢者デー」と定めて、世界中の高齢者が自立して「すべての世代のための社会をめざして(towards a society for all ages))」活動に参加するよう呼びかけたのでした。「社会の高齢化」の進展のためには「世代交流」が必要ですが、この国では前記したように「世代交代」が時流となったために、「世代交流」は底流とならざるをえませんでした。 

「コロナ禍」という「国難」を克服して、その終息後の「命と暮らし」を守るために、3600万人の高齢者(65歳以上)の知識・技術・資産・人脈を活かした「世代交流」による「地域共生社会」づくりの潮流を巻き起こさねばなりません。本来は政治の役割ですが、 「高齢社会」 を主要課題として論じない現状では期待できず、高齢者みずからが立たねばならないのです。総選挙はその機会です。

 高齢者のみなさんが同時多発の国民的活動として、無党派層として投票率を上げること、各選挙区から「こども庁」とともに「長寿社会庁(高齢者庁)」の設置に賛同する議員を国会に送り出すこと、コロナ第六波に対応できる「地域共生社会」づくりに参加すること。日曜は一日だけにしてご活躍ください。
国連の「高齢者5原則」は自立・参加・ケア・自己実現・尊厳)

2021年9月記事

*2021・9・27~
内閣府に「長寿社会庁(高年者庁)」の設置 を

(前出再録) 9月29日に自民党総裁選がおわって岸田文雄氏が選出され。10月4日に第100代新内閣が成立しましたが、実質的には何もかわらないことが明らかになりました。
本稿の立場からすれば、「生涯現役」が叫ばれて高齢者の25%が就業している現実、高齢者起業、高齢社会にふさわしいモノやサービスづくり、居場所・通い場所の設置、生涯学習のしくみ、「世代交代」ではなく「世代交流」による「地域共生社会」の形成、介護を含む地域での「支え合い(互助)」、ユニバーサル・デザインの行き届いた街や安全な移動・・そのほか「高齢化社会」の課題は多々あるのですが、政権党の側には何の対応の準備も構想もないのです。

 どうすべきか。 
 全国一斉のコロナ感染 「緊急事態宣言 」の解除後に行われる総選挙をその 機会とすべきな のです。総選挙では各選挙区で、「こども庁」と「長寿社会庁(高年者庁)」の設置に賛同する候補者を選出して国会に送り出す機会とすべきでしょう。

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内閣府に 「こども庁」 とともに「長寿社会庁(高年者庁)」を 
(前出再録) 子どもに関する「こども庁」を設置するとともに、「長寿社会」づくりを国家目標に据えて「長寿社会庁(高年者庁)」を設置する。専任の担当大臣を置き、内閣府で専任の官僚が課題を統括しながら支えて、人口の4人にひとり3600万人に達してなお増えつづける高年世代が安心して過ごせる政策を展開する。世界初のモデル事例になるような。 [ 本会の活動e から]

自民総裁選に「高齢化社会」の論議なし
9・20「敬老の日」に自民党の青年局と女性局が主催する総裁選候補者の公開討論会が開かれましたが、ここでも「少子化対策」は課題になりましたが「高齢化対策」はありませんでした。3640万人の高齢者のほとんどが元気で地域で暮らし「生活圏」の様変わりが起きているというのに、「高齢化社会」を論じないでは「国民政党」とは」いえないでしょう。
 高齢者が保持している知識、技術、資産、人脈といった潜在力を活かした「世代交流」がキーワードなのに、まだ「世代交代」を叫んでいる。「地域共生社会」をコロナ後の政策としないで、全国民的な力を結集した抜本的改革などできるわけがありません。この国をどこへ導こうとしているのでしょうか。 

* 2021 ・ 9・20~ 
自民総裁選の公開討論会から
9・18 立候補した4候補が日本記者クラブで公開討論会をおこないました。が、コロナ対策では説明不足、後手に回った程度の反省しかなく収束にむけてどうするかの提案、熱い訴えはなし。新しいことばと表現で変革を予感させる議論もなくて、この人たちは国民が求めている政治リーダーではないことが見てとれました。ぬくもりを感じさせたのは、野田さんの子どもをめぐっての発言くらい。

 9・17 自民党総裁選が17日に告示、河野太郎(58)、岸田文雄64)、高市早苗(60)、野田聖子(61)の4氏が立候補した。29日に投票。団塊世代の菅義偉首相(73),、尾身茂博士(73)から10歳ほど若返ることに。  

*2021・9・13~
無党派層の高齢知識人が動いて 
総選挙の潮流をつくるとき  
 安心して暮らせる願望を国会議員に託すことができる総選挙が近づいてきました。ここ まで新世紀20年、若者の新しい社会を熱望する「世代交代」のトルネード(竜巻)がつづいて、若者化・女性化・愛痴化(バカ化)がすすんで、世相は様変わりしました。
 新世紀の国際潮流とされる「高齢化」は底流に追いやられて、高齢者の生活感性に合った「ものづくり」「居場所づくり」「しくみづくり」は後まわしにされ、知性派高齢者は活動の停滞を余儀なくされてきました。

 政党支持より多数派である無党派層にはそういう街なかの知性派高齢者が多くいて(大隠といいます)、「国難」とされるコロナ禍のあと、自衛(家族)とともに自衛の共有(地域共生社会)のために、日ごろ温存し保持している知識や技術を活かす機会を待っているのです。
 総選挙はまたとない機会です。とくに野党は無党派の高齢者層に訴えること。訴え手は若手ではなく、菅首相、尾身博士と同じ戦後(団塊)世代がいい。 

*2021・9・6~
9・30 コロナ感染第五波対策 が解除に

9・9 「緊急事態宣言」 実施。東京・沖縄・大坂・神奈川・埼玉・千葉・茨城 ・ 栃木 ・ 群馬 ・ 静岡 ・ 京都 ・ 兵庫 ・ 福岡・北海道・岐阜・愛知・三重・滋賀・広島の19都道府県を延期、期間は9月13日~9月30日。
9・9 まん延防止等重点措置。石川・福島・熊本・宮城・ 岡山・香川・鹿児島・宮崎の8県を延期、 期間は9月13日~9月30日。

コロナ感染第五波

7・14 東京都のコロナ感染者感染者数が1149人。2月ぶり4ケタに増える。 ~
8・13 東京都の感染者数5773人。 過去最多  5908人。10・29修整
9・1  東京都の感染者数3168人。 国内感染者 20031人。  
9・8  東京都の感染者数1834人。 国内感染者 12396人。
9・12 東京都の感染者数1067人。 国内感染者  7212人。
9・16 東京都の感染者数 831人。 国内感染者  5702人。
9・20 東京都の感染者数 302人。 国内感染者  2224人。
9・29 東京都の感染者数 267人。 国内感染者  1986人。
10・4 東京都の感染者数  87人。 国内感染者   602人。
10・6 東京都の感染者数 149人。 国内感染者  1126人。
10・14東京都の感染者数  62人。 国内感染者   619人。

9・5 TOKYOパラリンピックが閉幕
”ARIGATO” は国際語 に

コロナ感染者の激増時だった8・24にはじまった「TOKYOパラリンピック2020」は 世界中から障害のある約4400人の選手が参加。15%の障害者(WeThe15)が差別されない社会「共生社会」へのはじまりであることを訴えて閉幕しました。76年間の「平和」(非軍事・反格差)を保ってきた日本でしかできない国際イベントであることを実証して。閉幕のことば ”ARIGATO” はそのために共有する国際語となったといえるでしょう。

9・3 菅義偉首相が自民党総裁の再選出断念 29日投票に。それを受けて岸田文雄、高市早苗、河野太郎の3氏が立候補

2021年8月記事

*2021・8・30~
コロナ感染リバウンドは全国各地に

現政府では「コロナ後対処」が不可能

 大都市圏から始まったコロナ感染リバウンドは全国に広がり、感染数が各地で過去最多となり日に2万件をこえました。日本は「第五波」によってコロナ感染列島になりつつあります。次々に全国の首長から対策を求められても、政府にはもはや先手で打つ手がないのです。医療の逼迫から、死ななくても済んだはずの患者が命を落とす事例が各所で発生することになるでしょう。「国難」であるコロナ禍を乗り切る対策を現政府に求めることができないことがはっきりしてきました。菅総理は国民の支持を得られず、 9・3自民党総裁選への出馬を断念 しました。理由はコロナ対策に専任するためということですが。
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 現政府が「国難」に当たって、構想を持ちえない理由は明らかです。全国民を代表できていないことにあります。思い出してください。前回の48回総選挙(2017年10月)の投票率が53%で、そのうち自公で約半数でした。参加していない無党派層が多数なのですから、とても全国民を代表して「国難」に対処できる国会議員ではなく、内閣ではないのです。それだけの構想力も人材も持ち得ていないのです。コロナ禍がそれを知らせてくれているのです。
  しかしそうしたのは国民です。 それを知るべきでしょう。
 どうしたらいいのでしょうか。

8・28 内閣支持率26%、不支持率66% 毎日新聞世論調査。

* 2021・8・23~
「国難・コロナ禍」に当たるために
 
総選挙を活かすのは無党派層の参加
 国民として「国難」に当たるために、声なき声をあげて総選挙を求めるときでしょう。
  若年層の投票率の低さがいわれますが、「国難」のここでは 「コロナ国会」を成立させてコロナ撲滅の可能な政府を呼び覚ますこと。そのためには高年世代3600万有権者のうちの無党派層が動くこと。政党支持のない無党派層が積極参加して、若者を巻き込んで、60%以上の有権者が意思表示をする総選挙を行うことが肝要なのです。

「国難」に当たるために、各選挙区ごとに会派を問わず「コロナ国会」にもっともふさわしい人を選んで送り出すこと。定数465ですからおよそ500人の新議員が、各地域を代表しながら国政の場で「コロナ・コロナ後」対策のグランドデザインを討議し、新政府はそれを集約して国民に提示する。国民は「いのちと暮らし」を守るために全面的に支援するはず。民主国家であることを自証し、国際貢献となるジャパンミラクルを起こすこと。
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 国民全体を視野に入れることができず、その意向を反映できない政党主導の政治からの脱却こそがコロナ・コロナ後に対処する「国民」の最良の選択です。
 このたびの総選挙は今までのような政党主導で推移させるわけにはいかないのです。
 地域での「命(医療)」を守る活動を支援し、「暮らし(経済)」の基盤となる「新しい日常(ニューノーマル)」の形成をみずから始めること。自衛(家族)と自衛の共有(共生社会)の先にコロナ後の姿が見えてきます。
 (この項はご賛同のうえお仲間に転送ねがいます。)

* 2021・8・16~
全国民が「コロナ感染者」という意識で
家族感染を防止
 いまのコロナ感染列島はどうしたらいいのでしょうか。
 リバウンドを繰り返さないためには、昨年最初のときのようなすべての国民にむかっての「緊急事態宣言」の再発出です。背水の陣でのそれを受けて、国民は最初のときとは違って、これまでに得た知見をもとに、可能なかぎり感染した立場に身を置くことで「一億総感染」を前提にすること。感染者としていっせいに2週間の「自宅療養」に耐えること。 ウイルス感染者でないことを証明できる人びとによる経済活動を支えつつ、可能なかぎり感染者の立場に身を置くことで家族感染を防止して、見えない強敵ウイルスの移動を閉ざすこと。
 
 これまで七〇年間、世界に事例のない「平和・民主」国家を志向してきた国民の一人ひとりには、それを可能にする国民意識としての「強制なき自粛」が自得されており、ウイルス撲滅を実証することができるのですから。
 都市封鎖など強権によることなく、各首長は県民・市民・町民に訴えて、「自宅収束」することでジャパンミラクルを実現してこそ、国際貢献といえるのです。

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8・26 27日から北海道・宮城・岐阜・愛知・三重・滋賀・岡山・広島の1道7県追加。 期間は8月27日~9月12日。8・20  「緊急事態宣言」 実施。東京・沖縄・大坂・神奈川・埼玉・千葉に加えて茨城 ・ 栃木 ・ 群馬 ・ 静岡 ・ 京都 ・ 兵庫 ・ 福岡の7府県を追加し、期間は8月20日~9月12日。
8・20 「まん延防止等重点措置」。北海道・石川・兵庫・京都・福岡・福島・茨城・栃木・群馬・静岡・愛知・滋賀・熊本に宮城 ・ 山梨 ・ 富山・岐阜 ・ 三重・ 岡山 ・ 広島 ・ 香川 ・ 愛媛 ・ 鹿児島の10県を追加、期間は8月20日から9月12日まで。
8・26  まん延防止等重点措置。 27日から北知・佐賀・長崎・宮崎を追加。 期間は8月20日から9月12日まで。

 菅内閣は7月8日、東京都に「緊急事態宣言」(第四回、22日まで)の発出。度重なる「緊急事態宣言」と「まん延防止等重点措置」によって、国民であり都民である一人ひとりの意識に、その効果への期待が失われています。おそらく都の感染者数は減ることがないでしょう。

*2021・8・11
先人の営為に習う四字熟語 連載・円水社+ より
「十室九空」(じっしつきゅうくう)  
 戦乱や災害や黒死病(ペスト)などで、人びとが死亡、避難、離散してしまい、村落の十家のうち九家までが無住となることを「十室九空」(『抱朴子「用刑」』など)といいます。歴代、幾度となく繰り返された荒涼とした情景です。命からがらもどっても知り人がいない「挙目無親」に。愈には「殺傷疾患、十室九空」(『韓昌黎集「黄家賊事宜状」』から)の記載がみえます。戦乱の例が多く怨嗟の声が聞こえるほどにいたましい情景です。
 
 一方に髪が白くなった老人すら人生に一度も戦争に出会わなかったという幸運を伝えることばに「戴白の老も干戈をみず」があります。歴史は、戦乱が途切れず平和で「安居楽業」が許される時がいかに少なく短かったかを伝えています。 
 いまわが国は戦禍のあと七六年、平和を得て戦後生まれの「団塊」のみなさんも古希に達して「戴白の老」となり、度重なる災害にも迅速に対処し、国難といわれるコロナウイルス襲来に遭遇しても最良の治療を受けて、「寿終正寝」ができるジャパンミラクルのときを過ごしているのでしょう。

2021年7月記事

   
*2021・7・25~
無観客で「TOKYOオリパラ」を開催

7・23  「TOKYOオリンピック」開会式
8・8    「TOKYOオリンピック」閉会式
「東京オリンピック」大会は「緊急事態宣言」下で、無観客で実施。それでも「世界で40億人が心をひとつにして映像で観戦する」ということで。コロナ禍での後手後手の失策をさておいて、出場選手は毎日検査を行ってウイルスの国内流入を徹底して防ぎますというのですから、主催者としての覚悟がどこまであるのかを疑わざるをえませんが。国際協調が優先されねばならないときですから中止の選択はありえないでしょう。
「TOKYOオリンピック」 日本メダル獲得数 金27 銀14 銅17 合計58
 
 感染者増と病床逼迫のなかで「TOKYOパラリンピック2020」は無観客で開催されることになります。8・24~9・5


*2021・7・5~
ワクチン接種をおえた高齢者は
やれやれこれでひと安心
 国産が間に合って当然のコロナ・ワクチン。海外製品を買い集めて、コロナ弱者である高齢者から接種がはじまりました。無事に外国製の貴重なワクチンの2度目の接種をしおえた高齢者のみなさんは、やれやれこれでひと安心。
 国際協力への謝意は、まずは率直に「TOKYOオリパラ」に海外からやってくる選手・関係者を歓迎することでしょうか。市民の国際協調が際立つことがなによりです。東京がそのまま国際舞台になっているのですから、その場で自然にふるまうことで参加していることになりますから。

 さらにこれから大切なことは、接種後に自宅閑居をつづけて自衛するだけではなく、地元のなかまと声を掛け合ってコロナ後の自衛の共有(共生社会)の場を水玉模様のようにこしらえること。先行している自治体に設置されている「地域協議体」に参加できれば、生涯にわたる「命の安心」につながります。国民であるとともに市民・町民・地域住民であることが重要になってきますから。

*2021・6・28~
7月は国際的に際立つ時期に
リーダーのズレた行動・発言が重なる

「コロナ感染」を現場で必死におさえ、決めた「TOKYOオリパラ」の安全安心の推進を海外に発信しなければならないこの瞬間に、わが国のリーダーはどうしてこうもズレた選択・発言をするのでしょう。
 ここからというときに都知事が過度の疲労で入院して不在に。このまま大会を開催することに「反対」58%、「賛成」30%という世論調査がでる。都の新規感染者が増加に転じて、医療の専門家から大会と「第5波」が重なるという指摘。そんななかで西村担当大臣は、情勢によっては止めたばかりの「都の緊急事態宣言」もまたありうると発言。そして菅総理は「高齢者から若者へワクチン接種をつなげてコロナを収束させ、経済を回復させる」とばかりいう。これでは日本経済は動かない。ボーナスは出ても暮らしも経済もうまく回りようがない。
 コロナウイルスの感染拡大につながるという不安が解消されないまま、日本は熱い7月を迎えようとしています。

*2021・6・21~
「TOKYOオリパラ」成功は「ジャパンミラクル」で

 6月20日に沖縄を除く9都道府県で「緊急事態宣言」が解除されましたが、政府のちぐはぐな「緊急事態宣言」の発出・解除は感染リバウンドを繰り返すだけ。7月の東京は、客不在の「TOKYOオリパラ」を迎えざるを得ないでしょう。

 ここで日本の総理は、政治生命ではなく天命(政界の”天の声”)を感じて日本国民に訴えるべき時なのです。
 まずは「TOKYOオリパラ」開催の決定。
 これは本稿も指摘してきたように、ぎりぎりのこの時期の開催決定は正しい選択です(国民の”天の声”)。あとはコロナ禍のもとでのオリパラを覚悟して来日する選手とともに反対論を押し切って開催する熱気です。

 重ねてわが国が昨年の「第一波」で意図せずになしとげた「ジャパンミラクル」と呼ばれる対策の再現です。国際的に際立って少ない犠牲者で、二週間余ですみやかに終息させうるのが「ジャパンミラクル」です。
「第一波」のそれの再現を熱く国民に訴え、同時に都知事は「オリパラ」の開催・成功を宣言する。このふたつの宣言を6月末に合わせおこなって、後の2週間余を耐えぬいて、「日本の7月全面開放」を勝ち取ること。これが天命を感じた日本の総理の歴史的判断といえるでしょう。国民の側にできないことではないのです。とくに4人にひとりの高齢者はその意味を納得してムリなく再現してみせるでしょう。

*2021・6・14~
イギリスG7では日本が際立つとき
菅首相に絶好のチャンス

 いまの日本から発出するふたつの同時宣言は、平和を愛し国際協調をすすめるわが国の在り方を国際的に認知させる衝撃力をもつことになるでしょう。6月11日の党首討論はその絶好のチャンスでした。が、残念なことに現役政治家の視野があまりに狭く浅くて・・。
「2021東京オリパラ」は、国になおコロナ禍の残る中ででも東京は安全安心に行う準備を整えています。必要に応じた変容は起こっても「TOKYOでなければできない」という評価が得られる大会は可能でしょう。都知事はいま都民にそう熱く訴える時期なのですが、小池さんは疲労休養で都知事として逆の状態に。

「G7」(6月11~13日、イギリス)の直前に実現できていたら”歴史”になったでしょう。日本からの首相は、世界の首脳たちから拍手で迎えられたでしょう。ワクチンの数がそろったから全員接種と海外支援ではなく最少限のワクチンによって封じこめる。戦後70年の間に日本国民が習得し体現している「強制なき自粛」による国際協調「ジャパンミラクル」の手法での「日本の7月全面開放」作戦でした。
「まん延防止等重点措置」を残しての6月20日の中途半端な「緊急事態宣言」解除は効果の薄い逆の政策です。都知事の休養と合わせて、ここで上記の”歴史的事業”は反転してしまいます。 惜しいかな、哀しいかな日本。

*2021・6・7~
コロナ禍に対する「強制なき自粛」が 
「ジャパンミラクル」という国際評価に 

 思い返せば先の大戦後に「平和と平等(非軍事・反格差)」を基底にもつ新憲法を掲げた敗戦国日本。その戦禍からの復興に戦勝諸国は「平和と国際協調」の将来を託したのでした。
 パンデミック(世界的大流行)を起こした「コロナウイルス」を、日本的「強制なき自粛」によって「医療と経済(命と暮らし)」を守ることになります。一方の「TOKYOオリパラ」はまさに平和と国際協調を表現するスポーツの祭典です。これまでの経緯はともかく、今や国民全員が成功を希望する国際行事なのです。
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「ジャパンミラクル」は私たちとっては、とくに戦禍を記憶する高齢者が覚悟をすればできること。首相が国民全体に 訴えられないというのなら、65歳以上3600万人の高齢者がワクチンを待たされながらでもやれること。人間同士が争った前世紀の世界大戦の遺産である平和を願う国民意識が、いま猛威をふるう人間の敵「コロナウイルス」をすみやかに最少の犠牲者で収束させることに活かされる。歴史に残る事業です。そして若者たちに日本の役割を世代伝授する機会ではないですか。なぜそうできないのか。

2021年5月記事

*2021年5月の「四字熟語の愉しみ」は
「風華正茂」「叫苦連天」「民和年豊」「尊年尚歯」を書きました。
ホームページの「茶王樹・四字熟語」欄をごらんください。

*2021・5・31~
コロナ収束プロセスは自治体が担う

 コロナ感染の現状を、政府はひたすら楽観的にみようとしてきました。”コロナ禍”を総体として国難として正確に認識し議論し乗り切るプロセスを提示できる能力がありません。いまはひたすらワクチン接種を急ぎ、自衛隊を投入し企業の参加を求めています。国民の支持を失っている政府はそれを率直に認めて、各界に広く支援を求めるとともに、自治体の主導に任せるべきでしょう。大都市で繰り返し手こずっているあいだに、感染のリバウンドは限りなく地方へ拡大しているのです。

「緊急事態宣言」は国が解除の検討をしても実効性がなく、逆に10都道府県に拡大して6月20日まで延長しました。他府県の対応も全国の自治体それぞれの主導にまかせたことになります。いまの政党政府では無党派層まで巻き込んだ国家政策がつくれないのです。
 ここからは「命と暮らし」を守るために、国民としてではなく市民・地域住民として対応していくことになります。とくに3600万人の高齢者は、国民として自粛してなんとか感染を避けて、7月末までにワクチンを打って、もとのような日々を過ごせるようになるまでガマンしようと思って暮らしているのでしょうが、そうなるのかどうか。
 市民・地域住民として、「強制なき自粛」の立場を保持しつつ、家族・お仲間とともに自治体の活動に注目し、「地域共生社会」づくりに参加していくことになります。

*2021・5・24~
コロナ大津波の全国伝播は覚悟せねば

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「緊急事態宣言」(三回目)の効果は
「緊急事態宣言」(三回目)が4月25日に東京・大阪・京都・兵庫の4都府県から発出され(~5月11日まで17日間、途中5月7日に5月末まで延長に)、5月12日から愛知・福岡を、さらに16日からは北海道、広島、岡山も追加、23日沖縄を追加して10都道府県に。。28日,、6月20日まで期間延長に。一方、知事が重点都市を指定できる「まん延防止等重点措置」は、4月5日から大阪、兵庫、宮城の3府県で先行施行され、その後、千葉・埼玉・神奈川、三重・岐阜・愛媛、沖縄、さらに群馬・石川・熊本の10県へと広がっています。実情に応じて解除されますが、重点都市の数は増えつづけています。 

*2021・5・17~
コロナ第一波の収束は
ジャパンミラクル」の評価


 昨年4月7日から5月25日までの49日間の「緊急事態宣言」の期間(第一波)には、一億人の人口をもつ国としての死者865人は「ジャパンミラクル」として評価されました。
 生命をまもる戦い方として、戦後70年のあいだに新憲法のもとでだれもが習得した国民意識「強制なき自粛」によって、感染者一人ひとりを治癒しつつ「クラスター(集団感染)」を抑え込む手法で極少の犠牲者で収束を迎えることができました。これは国際的にも注目され、WHO(世界保健機関)をはじめとする海外の評価はインクレディブル(信じられない)・レベルであったのです。
 個々人が納得して耐えて得た成果であり、その成果は一人ひとりの国民がわが身に感じたところです。

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東京都知事はひたすら「ステイホーム」の訴え

 とくにTOKYOは国際的サンプル都市でありわが国の医療対応のシンボル都市です。ところがその「強制なき自粛」ゆえの限界(亀裂)から「コロナ余波」が東京都庁足元の「夜の街」から若者によって発出することになりました。主因は店舗というより訪れた若者の側にあります。症状がない若年層の一部は、高年者層のようには「強制なき自粛」に耐えられないのです。ですから外出する若い人をつうじてコロナ感染リバウンドが繰り返されることになります。

 都の要請で、夜の東京からネオンが消えました。小池都知事は「緊急事態宣言のあいだは東京に来ないでください」というばかり。繁華街の飲食店は8時時短ではなく休業が目立ちますが。都知事のひたすらな「ステイホーム」の訴えにもかかわらず、人流が昨年よりも多いとなれば、昨年のような結果は望みうすなのです。

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海外メディアが日本の対応失敗を伝える

 憂慮されていたように連休明けには東京の感染者数が1000人台に拡大しました。
 わが国の死者が1万人(4月26日に。重傷者898人)を超えました。海外に比べてPCR検査が少ない、ワクチン接種の遅れ、重症者病床の逼迫、最長寿国でありコロナ弱者である高齢者が多い国として、ニューヨークタイムスなどは日本の対応は失敗かとさえ伝えはじめています。収束に至る筋道が疑問視されているのです。そのプロセスが海外からは分からないからです。オリンピック開催への風当たりもつよくなっています。選手を派遣できない国が出てきているからです。「安心・安全」が疑われているのです。 

ほりちゃんへ
2021・5・10 記 閑話一題
ちあきパパより

いつもトマトをありがとう。
きょうはお返しに小玉の玉ねぎをお届けします。
せんだって電話でお話ししたことですが、
白子町のオータニ・ファームで丹精して育てられて、
それでも小玉の玉ねぎ(小さくても熟成品なんだって)です。
コンソメだけで味付けしたスープは神品(絶品のうえが神品)です。
引き締まった身がとろけるように煮つまったところで、
温かいまま、母上に差し上げてくださいね。
冷えてもおいしいけれど。
噛むひつようのない優しいとろり感覚。
あといくつ重ねられるかしれない母上の
季節の旬の形見のために。

*2021・5・3 
「非軍事平和」憲法100年での国際祝典

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憲法論議が拡がる
 今はヒトがウイルス(COVID19)と闘っていて犠牲者300万人+、かつてはヒトとヒトが争って犠牲者6000万人+(WW2・第2次世界大戦。日本310万人)でした。
 コロナ禍中にあってステイホームが為政者からの強い要請でしたので、5月3日の「憲法記念日」は、例年のような改憲派・護憲派の集会は催しづらく、双方とも静かなオンライン会議で過ぎました。そして5月6日には、「憲法改正の手続きを定めた国民投票法の改正案」が衆議院憲法審査会で自民、公明、立憲民主各党などの賛成多数で可決。11日の衆議院本会議を通過しました。コロナ後には憲法論議が拡がる気配をみせています。

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国際性と偏務性が重要な論点
日本国憲法」の論議は内向きではなく、国際性と偏務性を論じなければ本質に迫れないでしょう。
 国際性というのは世界大戦終戦の直後に敗戦国日本で制定されたという経緯から、「日本のもので日本のものでない」という事情。偏務性というのは敗戦国日本が世界から託された平和への願望の芯として「非軍事平和の九条」が掲げられたこと。非軍事平和に徹するという偏務性を守って国づくりする日本、それを守るのはアメリカをはじめとする連合国の軍事力であって、勝利側各国は日本が自主を称して自衛を超えた軍事力保持に改めようとする芽を常に監視し抑止せねばならない歴史的国際的立場にあるのです。人類の恒久平和のために。

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「非軍事平和」に徹した国際モデル
 日本国の役割は、偏務としてひたすらに「非軍事平和」に徹した国際モデルとしての国づくりにあります。この偏務を日常としてきた日本国民は、兵役がなく戦禍からの復興・高度成長・九割中流の社会で過ごして70年、「戴白の老も干戈をみず」という長い戦無期を体感してきたのです。その証しである人びとが去り、平和を日常とする人びとに置き換わっていきます。 内に平和の体感しかない国民が外にそれを守る軍備を保持しようとすることで「非軍事憲法」は、制定の歴史を黙止して内向的変改にむかうことになります。「九条」に自衛隊を明記するという極論を言い出すのです。自衛隊は偏務として非軍事平和に徹するこの国を守る重要なしくみですが、九条に書き込むのは暴挙。九条はそのまま6000万犠牲者が残した心火として、次世代の全世界の平和指向の市民が共有し引き継ぐ聖火だからです。

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青少年に「成立の経緯」を世代伝承
 この時期に憲法論議はおおいに展開すべきで、世界大戦の戦禍と憲法成立の経緯を知らない国民に世代伝承することによって、21世紀の国際平和を守る層を厚くする機会とすること。軍事力誇示による覇権主義は、見えざる究極の兵器(電磁波など)によって人類滅亡すら予感させるだけで将来に意味をなさないこと。これはのちの機会に論じることにして。
「平和と平等」を趣意とする憲法によって培われた国民意識「強制なき自粛」が、コロナ禍収束に発揮されてジャパンミラクルの成果が証かされるとともに、人類救済の平和の灯として「九条」の趣意を聖火リレーとして平和を希求する各国の市民に訴えること。

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国際的に「 日本国憲法 100年記念祝典
 広く国際的に共有して、世界的な市民のスタンディング・オベーションを受けて、2047年に「日本国憲法100年記念祝典」を国際的におこなうこと。それを主宰するのは、平和の証として「100歳人生」を達成する戦後世代(本稿の平和団塊)のみなさんでしょう。菅義偉総理(昭和23年、72歳)も感染症対策の尾身茂医学博士(昭和24年、71歳)も、コロナ禍収束の次は平和憲法によって国民を守る事業の先頭に立ってくれるでしょう。

[ 本会の活動g ] 「日本国憲法100年記念国際祝典2047」
26年後をめざした国際プロジェクト。第二次世界大戦の戦禍(被災死者6000万人+とも)を繰り返さないという“国際信義”を具現化するのが「非軍事平和」をかかげる「日本国憲法」の趣意です。その精神を先人から引き継いで施行から1世紀100年保持して、2047年に各国市民とともに「100年記念祝典」を共催する。これはわが国主導の世紀最大の国際的平和運動となるでしょう。主宰者は100歳を迎える戦後(平和団塊)世代のみなさんです。

2021年4月記事

*2021年4月の「四字熟語の愉しみ」は
「前無古人」「一飽耳福」「厚古薄今」「存而不論」を書きました。
ホームページの「茶王樹・四字熟語」欄をごらんください。

*2021・4・26~
優先すべきは「こども庁」より「高齢者庁」

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「こども庁」を自民党女性議員が提案
 4月25日の北海道・長野・広島の衆参3補欠選で全敗した自民党にとって、ことし秋に迫った衆議院選で勝利をもたらす重要な課題となってきたのが「こども庁」の設置です。子どもに関する行政を一元的に担う「こども庁」の創設に関する党内女性議員からの提言を受けて、自民党内には選挙で当選の花を添えられるテーマとして賛同の「第一波」が拡がっています。
 ことに女性議員の発議に弾みがついていることに着目して、菅総裁はさっそく党内に関係機関を設け、具体的な検討を行うよう指示し、政府が夏にまとめる経済財政運営の指針「骨太の方針」に盛り込める案づくりを急いでいます。公明党も後追い。衆議があって成立するなら選挙の争点であることに支障はありません。

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子どもに関する行政の一元化

 これまでに子どもに関する行政の一元化は何度も機を逸した末に、女性優先の「多様化」の追い風を受けて、周回おくれの提案が女性議員から出てきたというところなのです。遅くとも就学前の教育(文科省)と保育(厚労省)の分離を現場で解消する「認定こども園」(2006年)がはじまったころには実現すべきだったでしょう。内閣府、文科省、厚労省のタテ割り行政の解消もさることながら、急激な人口減の到来への危機感が根っこにあるのでしょう。

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市区町村ごとに「こども会議」
こども庁」を内閣府に置いて厚生労働省や文部科学省などから関係する実働職員を移管する。児童虐待への対応を強化するため児童相談所を「こども支援センター」に改組して人員や施設数を増やす。子どもをめぐる諸課題を子どもたち自身が議論する「こども会議」を市区町村ごとに設けることも盛り込んでいます。自民党の「こども・若者」輝く未来創造本部が中心になって、令和4年度中に「こども庁」設置法などを含む「こども基本法」を来年の通常国会に議員立法として提出することをめざすとしています。
 少子化は積年の課題となっており、「こども庁」の創設で子育て期にある女性に格差と負担を生じない子細な支援が可能になることはたしかです。子どもたちはお母さんの姿を他と比較しながらみて育っていくのですから。

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「長寿社会庁(高年者庁)」こそが目前の課題

[ 本会の活動e ]  内閣府に「長寿社会庁(高年者庁)」を設置
 子どもに関する「こども庁」を設置するとともに、「長寿社会」づくりを国家目標に据えて「長寿社会庁(高年者庁)」を設置する。専任の担当大臣を置き、内閣府で専任の官僚が課題を統括しながら支えて、人口の4人にひとり3600万人に達してなお増えつづける高年世代が安心して過ごせる政策を展開する。世界初のモデル事例になるような。

・・・・・2021・4・19
新三密活動」で温かな交流をとりもどす(提案)

「どうしてる?」
 一人がひとりと生きることの尊さを確かめあい、お互いの願いを認めあい、誰に対しても温和に接して、長寿社会で暮らしている者同士が共生の絆を太くすること・・。
「ステイホーム」している高齢者だれにもできるのが「tel&mail(テレ&メール)新三密活動」です。屋外の「三密(密閉・密集・密接)回避」で街なかで失ってしまった「密による価値(温かな交流)」を屋内からの活動で社会的にとりもどし、あわせて家庭内の「新しい日常(ニューノーマル)」を形成する契機にしようとするものです。
 同年輩のお仲間とはもちろん、とくに孫世代の若者たちとの連携を密にすること。
 ここでは「新三密」(親密・綿密・内密といったところで、ご自分が納得できるものに)としたいところですが、「元三密があって新三密ではいささか過密?」というご意見もあって、「新密は親密」一筋ということでいい。
 コロナ感染の「緊急事態宣言」のもとで黙して耐えるのではなく、「tel&mail(テレ&メール)新三密活動」によって、「密による価値(温かな交流)」を屋内から展開する。これは世界初の新戦術です。

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地域での「命(医療)」を守る活動

 外出する若い人をつうじて繰り返されるコロナ感染リバウンド。「緊急事態宣言」を発してもこれまでと同じ外出自粛の要請連発では効果が薄くなるばかり。次の波に見舞われます。そこで感染すれば重症になりかねない高齢者から若者たちへの熱い語りかけです。知事の要請に加えたジージのひとことは感染予防にとっての実効力を高めるにちがいありません。
 感染に留意しながら保持している知識・技術・人脈を活かして、地域での「命(医療)」を守る活動を支援し、家庭では依然と違うコロナ以後の「暮らし(経済)」の基盤となる「新しい日常(ニューノーマル)」の形成をみずから始めることになります。自衛(家族)と自衛の共有(共生社会)の先にコロナ禍の収束が見えてきます。(この項、ご賛同のうえお仲間に転送してください)

[ 活動c2 ]  高齢者の居場所・通い場所をつなぐ
「三密回避」によって街なかの「密の価値(温かな交流)」が失われていきます。コロナ禍で閑居している高齢者が自衛(家族)するとともに、自衛を共有(共生社会)すること。仲間と協力して展開している“泉眼”のような一つひとつの居場所・通い場所を「tel&mail」でネットワークすることで、みずからを豊かにするとともに、「新三密」(親密・綿密・詳密)によって屋内からの「密の価値(温かい交流)」の創出をすすめます。

*2021・4・12~
自衛(家族)と自衛の共有(共生社会)から

 コロナ感染の全国的なリバウンド(再拡大)では、大都市ばかりでなくこれまで数人だった町村へも浸透し、自粛要請やまん延防止措置では抑えられない状態が迫ろうとしています。自治体の首長が必死で緊急事態を訴えても効果は薄いでしょう。
 どうしますか。
 国民の総意を代表しているといえない政府の後手後手政策への批判に対して、菅総理は「コロナに奇策はない」といいます。奇策を弄する要はないでしょうが、しかし政府だけに頼らずに、国民がお互いの信頼を取り戻す良策はあるのです。

 緊急ゆえに結論からいいますと、コロナ禍を収束させて「医療と経済(命と暮らし)」の双方を守るには、高齢者が国の用意するワクチン接種を待つのではなく、地域に自衛(家族)と自衛の共有(共生社会)ができる地域に根ざした”泉眼”型の「新しい日常(ニューノーマル)」形成の場を起こすことにあります。見えない敵コロナウイルスを攻めるには、地域ごとの無菌者全員参加型の対応にしか手立てがないところにきているのです。これは永田町や霞が関からは見えない手法なのです。

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無菌者同士が新しい日常」をつくる
 こういう地域ごとの全員無菌者参加型の場の発想は政界のどこからも出てきません。国会での議論はご覧のとおり感染のまん延防止とワクチン接種のことばかり。コロナ弱者の高齢者には「不要不急の外出」を避け、優先的に用意する「ワクチン接種を」というばかり。4月12日から高齢者へのワクチンの接種が始まり、政府は6月の終わりまでには高齢者が2回接種できるワクチンを自治体に供給できる見込みとしています。

 こと”国難”に当たって、4人にひとり3600万人の高年者が収束にむけて参加するグランドデザインが見えてこないのです。一刀両断すれば、「世代交代」を叫んで議席をえた国会議員諸氏には地域発出の「一億総参加」型のコロナ対策は構想できないのです。家庭と生活圏での「世代交流」(青少年・中年・高年の三世代)による全住民参加の対策が求められているときに。

*2021・4・5~
「まん延防止」に罰則(過料)は逆効果

「まん延防止」とは「まん延防止等重点措置」のこと。コロナ感染の「第一波」(昨年4月)、「第二波」(同年8月)は国民の「強制なき自粛」で乗り越えて国際的にも評価されましたが、2021年に入って「第三波」の感染リバウンド(再拡大)が止まらず、予測される「第四波」への拡大をなんとか食い止めようというのです。が、1年余にわたる自粛疲れの国民へ「自粛の連発」ではもはや対処できない事態が起きているのです。

「まん延」の主な要因とされる夜間の飲食店に強制力をもつ罰則(過料)をつけて客から客への見えないウイルスの感染を防止しようというのです。4月5日から大阪、兵庫、宮城の3府県で先行して12日から東京・京都・沖縄を加えて6他府県で実施されましたが、さらに他県へと拡大しています。元はといえば国のコロナ感染対策が国民に信頼されていないことが原因ですから、身を切るような自治体での成否の責任は政府にあるのです。先に指摘したように、全国民から賛同が得られるような対策を構想し訴える能力がない政権であることに気づかねばならないのです。このままでは日本列島は手が付けらないコロナ大津波の到来を覚悟せねばならないでしょう。

2021年3月記事

*2021・3・29~
桜花満開のひとときマスク姿の人の波

 桜花満開のときを迎えて、名所はどこもマスク姿の人の姿でにぎわっています。感染は都内で日にわずか400、わたしが当たるわけがないという安心感が共有されて。見えないコロナウイルスに立ち向かうわが国の対処法は「強制なき自粛」一筋なのですが。
 一人ひとりの自主的な対応によって、第一波(2020年3月下旬・4月ピーク・5月初旬)、第二波(同年7月下旬・8月ピーク・9月初旬)を乗り越えてきました。

 そして第三波(同年10月下旬・年内拡大)の感染が鈍化し、ワクチン接種とあいまって収束に向かうならひとまず安心できます。とくに国際的なサンプルでもある「TOKYO」の収束ができるなら。諮問する尾身茂さん(医学博士、団塊・71歳)の憂い顔を残して・・。
「春山如笑*」の晴れやかな風物をぬってオリンピック聖火がリレーされ、プロ野球が開幕、ひととき、「緊急宣言解除」ができた地域でご苦労されていた医療従事者のみなさんも静かにお花見ができるとよいのですが。(「*」はweb「円水社+」を参考に。「春山如笑」2013・5・1)

*2021・3・22~
「コロナ感染第四波」がやってくる

 とこうして「コロナ感染第四波」は必ずやってきます。
 一都三県の緊急事態宣言が21日までで解除。埼玉県がなおきびしく東京都の感染数が400台まで増加はしているものの、自粛疲れの住民側の解除期待(春の外出とくに飲食の)に押される形で、政治的判断が込められた解除決定がされました。年初からつづいていた外出自粛を緩和するということで、「三密回避」はそのままでのお花見・外出、謝恩会・歓迎会などが春爛漫の時期に開放されるように催され、その結果として「第四波」は必ずやってきます。
 そのとき、政府は統一した新宣言が出せず、自治体ごとの対処がはかられるでしょう。感染者は「外出したあなたが(運が)悪い」とされて対処を受けることになります。家庭内感染ともなれば、立ち直りには想定外の労苦をともなうでしょう。
 そのあと、「新しい日常」にかかわる国をあげた論議が展開されることになります。

*2021・3・15~
現政府では”国難”からの復旧はムリ

 国の緊急宣言解除と自治体の緊急宣言発出が混在しています。
 こんなチグハグナな対策状況で、このままコロナ感染の「第三波」 が収束に向かうなら、新世紀20年の「社会の高齢化」による「新型日本社会」への推移を仔細に見据えてきた本稿の観察と訴えかけは杞憂だったということになります。
 先の”国難”だった戦禍のあと、焦土に立ちつくして、だれもが粒粒辛苦して「平和で平等(非軍事・反格差)」な国づくりにつとめて、一億総中流の国をこしらえて去っていった先人の営為(記憶に刻まれている)に比べて、尋常とはいえこの程度のプロセスでは”国難”からの復旧ははかれないのではと危惧しつつ、自粛要請の連発と持続のための資金支援で「医療と経済(命と暮らし)」の双方が確保できるとする現政府の楽観的無策ぶりに暗然とするばかりなのです。

*2021・3・8~
社会の高齢化」では”延滞ジャパン”

「コロナ感染」では8000人を超える死者が出ていますが、国際的には極少に抑えられ、一人ひとりの患者は最先端の治療を受けられています。これは「医療・福祉」は西欧の先進諸国と比較しながら進めることができ、同等あるいは一歩進んだ成果を収めてきているからです。
 ですが、新世紀の国際潮流である「社会の高齢化」は「高齢化率」(65歳以上の人口比率28%+)世界1位にあるわが国が、西欧の高齢化途上国(イタリアが23%+で2位)と同レベルにとどまっていることは、“ディレイド(延滞)ジャパン”である証しになるのです。
 専任大臣を置き、国策として遂行できる新たなしくみをつくって、「高齢化先進国」に見合った独自の姿を示して、最先端・最新のクールジャパンとして参考にされるような事象と成果を実現していなければならない時期なのですが。
 しかし残念ながら世相は「社会の若者・女性化」であって、どうみても「社会の高齢化」が進んでいるとはいえません。このままでどうやって国民総参加の「新しい日常」の基底にかかわる論議ができるのでしょう。

*2021・3・1~
「長寿を喜びの中で迎え」が目標

「長寿をすべての国民が喜びの中で迎え、高齢者が安心して暮らすことのできる社会」の形成を目標とする「高齢社会対策基本法」は1995年に制定(村山富市内閣)され、中長期的政策の指針となる「高齢社会対策大綱」は1996年に閣議決定(橋本龍太郎内閣)されて、わが国は国際的にみてもいいスタートを切ったのでした。1999年の「国際高齢者年*」には、国と自治体で1084事業を実施しています。

 新世紀にむかって国連が見通した国際的潮流は「平和裏の高齢化」でした。ところが、国際的な「平和」は早くも2001・9・11の「アメリカ同時多発テロ」で吹き飛んでしまい、国内での「社会の高齢化」は新世紀とともに時流となった若者・女性優先の「世代交代」トルネード(竜巻)によって、底流に封じこめられてきているのです。(「国際高齢者年*」については「月刊丈風」2016年2月号にまとめ。 1999年「国際高齢者年」

2021年2月記事

*2021・2・22~
「高齢者社会」は「 高齢化社会」でない

 新世紀20年の経緯としては「高齢者社会」であって「 高齢化社会」とはいえない実態が、暮らしの実感として顕著になっています。
 際立つ理由は、増えつづけて4人にひとりに達した高齢者(65歳以上)がみずからの生活感性にふさわしいモノ・サービス・しくみの創出に参画できていないことによります。旧来の現役世代による「経済成長」とともに新たな高年世代による「経済伸長」がなされていないのです。これは超がつく実感です。

 政策の指針「大綱」は5年ごとに学者・専門家(清家篤氏が中心に)の検討をうけて改定されていますが、実現する高齢者の積極参加が見込めないまま自然渋滞を生じているのが現状です。これは明らかな政治不在の連鎖です。対策の見直しは本来は「高齢化率」の進展にそって高齢者と専門家が議論して内容を固めていくべきですし、コロナ禍からの脱出と新しい日常の形成には、3600万高齢者層の「強制なき自粛」に重ねた「自制ある参加」による一億総参加の「新型日本社会」の構想と創出がなければ展開ははかれないのです。 

*2021・2・15~
「世代交代」と「世代交流」に両断する

 唐突ですが、唐代の賈島の詩「剣客」は「十年一剣を磨く」の首句で始まります。こつこつと十年をかけて磨きあげた一剣。その「霜のような刃」をもつ名剣を「未だかつて試みず」、試みる相手も機会もなかったと剣客はいい、モノの「品格」が理解されずヒトの「人格」が衰えていく時代を「十年一剣*」の先に見ています。1970年に三島由紀夫が割腹自死したときにも、霜にも似た太刀の刃を辞世の歌に認めています。賈島の詩を「推敲」したのが韓愈(本会のホームページに写真)でした。

「十年一剣」におよばずとも、新世紀「二十年」の社会変化を仔細に見定めてきた一刀で、コロナ禍をその機とみて「世代交代」と「世代交流」とに両断いたしました。暮年をかけた覚悟の上での真剣なひとふりなのです。(「*」はweb「円水社+」を参考に。「十年一剣」2016・11・9)

*2021・2・8~
赤信号をみんなで渡って20年

 ご記憶にあるように、新世紀とともに政界あげてのトルネード(竜巻、大リーグ野茂の投法)になったのが「世代交代」でした。世代交代を叫んで登場した「小泉チルドレン」や「小沢ガールズ」や二世・三世議員(自民党は半数)やその流派の人びとがいまや政界の主流になっています。

 コロナ禍という”国難”に遭遇しても、「一億総参加」という対策構想を掲げることが不可能なのです。世紀はじめに時代の先方に新たな社会(羊)を求めて、路を急いで(赤信号を)みんなで渡って20年、いまや政界の先方には求めたはずの日本社会の姿は見えず(多岐亡羊)、行き止まりが見えているのに気づけないのです。現政府はコロナ禍に対する施策が後手どころか全体構想ができないでいるのですから、このままでは感染リバウンドを止める手立てがないのです。

*2021・2・1~ 
国のトップリーダーの覚悟はこれ

 国のトップリーダーである首相は、先の大戦の戦禍以来といわれる国難「コロナ禍」に遭遇して、どういう姿であるべきでしょうか。
 官邸に「三更半夜*」(午前さま)まで陣取って、関係閣僚や官庁の幹部から内外のコロナ情報を収集して内閣としての意見を集約し確定して、あす朝の自治体や省庁への首相指示を整え終えてから灯りを消す。わが家へは「過門不入*」の覚悟で帰らない。
「不眠不休」で重症患者をかかえて働いている医師・看護師の現場の姿を思えば、それではじめて国民は納得し、国難に当たる内閣を支持できるのです。

 豪奢な会食をし、魂の抜けた作文の棒読みを指摘される菅首相(72歳)には覚悟が足りません。コロナ弱者である高齢者の代表ではなく、600万人の健丈な「団塊世代」の仲間に「命と暮らし」をまもる活動への参加を呼びかけること。そうしてはじめて一億総参加の意志と態勢が整うのです。(「*」はweb「円水社+」を参考に。「三更半夜」 2013・12・4 「過門不入」2019・4・24)

*2月以前の記事はNEWSのあとにつづきます。

NEWS(コロナ禍・高齢化を中心に)

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*2019・12・8 中国・武漢市で「新型コロナウイルス」による感染症が発出
*2020・1 年明けて中国全土に、その後、東アジア・ヨーロッパに拡散
*2・3 クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」が入港。乗員・乗客3711人、うち感染者712人、死者13人に
*2・11 国際的に「新型コロナウイルス」はSARS-CoV-2、感染症はCOVID―19と命名
*3・9 「三密(三つの密) 密閉・密集・密接」は厚労省の専門家会議が感染を避けるための条件として提案。のち官邸や厚労省や東京都が標語として用いて広まる。対策をまとめた標語としては「手洗い、マスク、三密回避、ソーシャル・ディスタンス」が定着 
*3・11 WHOが「パンデミック(世界的大流行)との認識を発表
*「布マスク」(アベノマスク)各戸2枚に466億円(本稿6・1~)
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*4・7 政府が「緊急事態宣言」~5・25 7週間・49日、犠牲者865人で収束
*わが国の「コロナ第一波」がPCR検査数が少ないまま犠牲者も極少で収束できたのは「クラスター」(感染集団)を生じさせなかったためとされ、国民の「強制されない自粛」(本稿8・3~)の成果が国際的にも評価される
*4・7 GoToトラベル、GoToイートは観光・外食事業の回復をめざした経済政策「GoToキャンペーン」で1兆6794億円を充てて閣議決定。「医療と経済の両立」を目的にしたブレーキとアクセルを同時に踏んだ政策とされる
*4・25~5・6 ゴールデンウイークを「STAY HOME」に 
「PCR検査」 武漢市は5・15から9日間で全市民の8割以上900万人の検査をおこない198人の陽性者を見つけて隔離した。ニューヨーク市ではいつでもどこでも何度でも無料で受けられる体勢で対応
*6・2 「東京アラート」(アラートは警戒)を発動 ~6・11。キャバレー・ライブハウスも18日に全面解除。感染発生源とされる繁華街(歌舞伎町など)も(本稿8・3~)
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*7・20 「犠牲者」1000人に。8割強が70代以上(本稿8・10~)
*8・28 安倍晋三首相が辞任、在任7年8か月 9・15、菅義偉内閣が成立(本稿9・21~)
*ワクチン不在の時期にコロナウイルスの撲滅が不可能なことから、コロナとの共存「ウイズコロナWith Corona」(本稿9・14~)がいわれる。医療だけではなくウイズコロナを前提とした暮らし方が「新しい日常」として摸索される
*9・15 「老人の日」 厚労省の発表で100歳以上の高齢者数が8万450人に(うち女性が7万975人) 21日、「敬老の日」 総務省の推計で65歳以上の高齢者が3617万人(高齢化率28.7%で世界一位。二位はイタリア23.3%)(本稿9・28~)
*9・29 世界のコロナ犠牲者が100万人を超える
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*10・1 国際高齢者デー 中秋名月「風月同天」(本稿10・5~)
「ロックダウン(都市封鎖」はコロナ感染の拡大を抑制するために政府や自治体が法的に強制的に人の移動や企業活動を制限すること。ロンドン・パリ・ベルリン・ニューヨーク・北京など主要都市で実行されているが、東京の「東京アラート」は自粛要請で
*10・26 菅首相が臨時国会で所信表明(本稿11・2~)
コロナ感染の第三波
 第一波 3月下旬・4月ピーク・5月初旬 4・10 708人感染
 第二波 7月下旬・8月ピーク・9月初旬 8・3 1998人感染
 第三波 10月下旬・11月・12月拡大? 12・23 3271人感染
*11・3 米大統領選投票 7日、国際協調のバイデン(民主党)が自国優先のトランプ(共和党)にせり勝つ 
*11・16 来日中のIOCバッハ会長が東京オリ・パラ大会の実施を確認
*11・22 日本の犠牲者2000人に 12・22 3000人に
*12・1 小池都知事が菅首相と会談、GoToトラベルにつき基礎疾患のある者と65歳以上の高齢者は控えるよう要請することを表明 14日、菅首相がGoToトラベルを全国一斉に停止すると表明。12・28~1・11
*12・21 日本医師会など9団体が「緊急事態宣言」 
*12・27 コロナ感染者・死亡者 世界(15:00) 感染者8035万人 死亡者175万人  日本(23:59)感染者22万1381人 死亡者3274人
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*2021・1・7  東京都のコロナ感染者数が過去最多の2447人に
*1・8  一都三県に「緊急事態宣言」発出。~2・7 
*1・13 加えて栃木・岐阜・愛知・京都・大阪・兵庫・福岡の7府県に宣言地域を拡大
*2・2  「緊急事態宣言」を栃木県を除いた10地域でひと月延期に ~3・7
*2・26 首都圏を除いた6府県の「緊急事態宣言」を2月末に解除
*3・5  首都圏の「緊急事態宣言」を21日まで2週間延長に
*3・18 菅首相が一都三県の「緊急事態宣言」(21日まで)の解除を発表
*4・5  「まん延防止等重点措置」が大阪・兵庫・宮城の3府県で施行される.。以後、東京・京都・沖縄、埼玉・千葉・神奈川・愛知府県に拡大
*4・25 .「緊急事態宣言」が東京・大阪・兵庫・京都の4都府県に発令
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2021年1月記事  『月刊丈風』記事つづき

*2021・1・25~日々更新・月曜掲載
「ジャパンミラクル」で収束する

 ヒト同士が争った世界大戦の犠牲者は8000万人+とされます。いま猛威をふるう人類の敵「コロナウイルス」の感染者が1億人、犠牲者は220万人といいます。日本は感染者38万人、犠牲者5600人。収束への兆候はみえませんが。
 思い返せば大戦後に「平和と平等(非軍事・反格差)」を基底とした憲法を掲げた敗戦国日本。その再興に戦勝諸国は「平和と国際協調」の将来を託して収束したのでした。戦後70年間に日本国民が習得し体現している「強制なき自粛」による独自の手法で、いまパンデミック(世界的大流行)にある「コロナウイルス」を撲滅して「医療と経済(命と暮らし)」を守ることになります。

 コロナ弱者とされる高年者が中心になって、家庭と地域に「新しい日常(ニューノーマル)」を確立して、国際的に最も少ない犠牲者で収束する「ジャパンミラクル」を証さねばならないのです。
 その鍵をにぎっているのが同じエリアで暮らす健丈な高齢者と若者です。地域では市中に隠れて「大隠*」ぐらしをしている「市中宰相」といった敬愛すべき人たちを呼び戻すこと。それも国にではなく「地域共生社会」づくりの現場にです。(*「大隠*」についてはweb「円水社+」の「大隠朝市」2019・8・21を参考に。)

*2021・1・18~
「新しい日常(ニューノーマル)」を模索する

 東京都の広報では「新しい日常」は、新型コロナウイルスとの長い戦いを見据え、暮らしや働く場での感染拡大を防止する習慣を「新しい日常」といい、「一人ひとりが実践していきましょう」と呼び掛けています。習慣として実践していくうちにそれぞれの暮らしの常態(ノーマル)ができれば、それが実効ある「新しい日常(ニューノーマル)」の成立であことは確かです。「TOKYO」の実証はコロナ禍後の日本社会の姿を見定める貴重な契機となるはずのものです。

「new normal」という概念は、リーマン・ショック(経済危機)後のアメリカ経済が元の水準にもどらず新たな局面を迎えるという認識を示すものでした。
 本稿がここで「新しい日常(ニューノーマル)」に強い関心を寄せるのは、大戦後これまでにわが国がたどってきたプロセスから(いまの高齢者の体験の中から)、「ノーマル」とするにふさわしい基底を見出して共有する必要があるからなのです。
 全国の自治体で展開されている「地域協議体」や「地域支援コーディネーター」づくりはコロナ禍を乗り越えて住民の「命と暮らし」をまもる砦となるでしょう。高齢者の参加する事業は次々世代に負債を増やさないことが実務であり責務なのです。

*2021・1・11~
豊かさを共有した「一億総中流」のころ

「貧しさをともにし豊かさを分かち合いながら力を尽くして、みんなが安心して暮らせる国をつくろう」という戦禍のあと先人が選んで目標とした「日本的よき均等性」の成果が「一億総中流(九割中流)」でした。曲折はあっても、社会生活に「みんなが等しく豊かに」(近似大同社会)という実感が共有されていた時期が長くつづきました。内閣府の「国民生活に関する世論調査」は生活意識を「上」「中の上」「中の中」「中の下」「下」で回答をもとめており、「上」「下」が1割を切ったところを「総中流」と呼ぶとすると、およそ1970年代~90年代が含まれます。

 高齢者が胸中に深く留めているその人生体験は、過去(歴史)ではなく語り合うことで呼び覚ますことができる「新しい日常(ニューノーマル)」の泉なのです。去世した先人の叡智と努力に感謝しつつ活かす道は、コロナ後の「地域共生社会」の基底をその時期に求めて回帰することにあるのです。重ねていいますが、これは新世紀20年の「高齢化」の経緯を仔細に見据えてきた本稿からの警鐘であり、未来の子どもたちの社会のための礎として提示しているものです。 

*2021・1・4~
米国発出の「新型経済クライシス

 中国発出の「新型病毒コロナウイルス」。それを追うようにして迫るアメリカ発出の「新型経済クライシス」。「杞人憂天」ならばよいのですが、アメリカをはじめ各国が近代の歴史から学ぶことができなければ、歴史は繰り返すことになります。歴史的にも現実的にも米中両大国を隣国としてかかわりをもつわが国には、医療の第二波・第三波のあとに経済の第二波・第三波がやってくるというシビアな覚悟のもとで、もっともシビアな対策を講じなければならないときなのです。

 ですが、前触れでしかない株価の高騰に大衆株主は安堵し、危機意識に乏しい政府は後手ばかりでまともな総合対策ができない。わが国コロナ対策の国際的シンボルでもある「TOKYO」がアブナイのです。東京の高齢者がアブナイのです。都民の「自制ある参加」の正念場なのです。
 アメリカで国際協調をすすめるバイデン氏が一国優先のトランプ氏に勝って1月20日、大統領就任式を迎えたことでひとまず政治危機はまぬかれましたが、コロナと経済はなお渦中にあります。自国優先のアメリカ経済の行方に要注意です。


令和3年 2021年の年賀状

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辛丑」  しんゆう。かのと・うし。 
百折不撓」  ときには挫折があっても本筋では意志堅固にして屈服しないこと。乱世の後漢末期に、蔡邕は「太尉橋玄碑」にみずからの立場を重ねて記す。人生百年の座右に。
G型ライフサイクル」  Gerontology(老年学・加齢学)に依り高年期に配慮した人生プロセス。エリクソン以来のものが成長期・途上国型に対して成熟期・先進国型のもの。 
晨星期」  暁に輝く星のように次の世代・時代に影響を及ぼす時期 
高齢者五原則」 21世紀の国際的潮流を「平和裏の高齢化」とみる国連は1999年を「国際高齢者年」とし、10月1日を「国際高齢者の日」とし、「高齢者五原則」を指針とするよう提案した。

2020年~ 2021年

コロナ後の「ニューノーマル」の姿を求めて
タテ型トラベル「華胥之夢*」で得たもの
・・・・・2020・12・28~
「地域共生社会」で命と暮らしを守る

 割引もおカネもいらないタテ型トラベル「華胥之夢*」の旅(2か月。11・2~12・28)から戻ってきました。コロナ禍で「TOKYOがアブナイ」というときに。本稿への報告は、新世紀20年のあいだ「世代交代」を急がずに「世代交流」でまちづくりをしてきたY郡眉雪町からのものでした。コロナ禍のもとで「命と暮らし(医療と経済)」をまもるには、地域での一人ひとりの体験を活かした「新しい日常(ニューノーマル)」による「地域共生社会」づくりがかかせません。いまがそのときなのです。(「*」はweb「円水社+」を参考に。「華胥之夢」2020・3・25)

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「夢の 中のまさ夢」で、同時代人として活躍され去世されたなつかしい方々(昭和人。生年順)にお会いしました。
三浦朱門 今村昌平 勅使河原宏 石牟礼道子 堤清ニ 北杜夫 加山又造 兼高かおる 小島功 古橋広之進 土井たか子 小沢昭一 仲谷昇 松下圭一 新珠三千代 平山郁夫 野坂昭如 大岡信 高倉健 富田勲 大島渚 遠藤実 岩城宏之 三遊亭円楽 浅利慶太 永六輔 池内淳子 平幹二朗 大橋巨泉 黒川紀章 井上ひさし 筑紫哲也 堺屋太一 蜷川幸雄 立川談志 阿久悠 赤瀬川原平 緒形拳 平尾昌晃 加藤剛 梅宮辰夫 島倉千代子 田部井淳子 津川雅彦 大鵬幸喜 松方弘樹 米長邦雄。2020年に去世された宍戸錠(86) 梓みちよ(76) 野村克也(84) 志村けん(70) 大林信彦(82) 山本寛斎(76) 渡哲也(78) 坂田藤十郎(88)さん。なかにし礼(82)さんとはすれ違いに。

華胥之夢」の旅 6
 最後の砦は自治体(地域共生社会)にある

・・・・2020・12・21~
Y郡眉雪町で見られる「新しい日常」
 Y郡眉雪町で見られる「新しい日常(ニューノーマル)」を列挙して紹介いたします。
 町議会の構成は、クオータ制による「高年3、女性3、青少年3、中年6」の15人体制です。5・15・25日の月例市の立つ日に開催され、要請に応じて区長会、婦人会、老人クラブ、福祉協議会、地域協議体、生活支援コーディネーター、各団体からの意見をていねいに聴いて行政に反映しています。シニア・女性・IT青年による「SWIT会議」や百歳をめざす「八十路の会」の活動も活発です。地域通貨、おたがいさま謝礼ポイントも活用。
 衣食住での基本的な日用品の自給率を高めることと災害時食料の備蓄が町民こぞっての活動。ペット飼い主の会、夏祭り協力員、町内運動会協力員、イベント会場整備員、ひとり暮らし見守りネットワーク、学校登校下校見守り隊・・。
 24時間営業の「地域流通スクエア」を中心にした三世代四季型商店街。空き店舗を利用した高齢者の居場所・通い場所・集い場所、実家の茶の間、孫とジージがいる勉強部屋、麻雀・碁・将棋サロン、手作り実演・即売店。戦後歌謡曲を歌い戦後の食を体感するカラオケコーナー・・。
 暮らしの場面での「新しい日常(ニューノーマル)」は、24時間体制の昼夜間パトロール。困りごと相談。買い物送迎、ごみ出し、電球交換、洗濯物取り込み、お弁当・おかずづくり、庭掃除、枝おろし、墓掃除、子ども会支援、葬儀手伝い、ポスターづくり、軽トラ利用の出張店舗、重い荷物運搬、参加費500円の講習会・ライブ。体操教室、健康相談。一人一食300円ランチ。地域教育と生活支援コーディネーターの協働。さまざまな地域住民ワークショップ。AI支援隊、地域活動推進員・・。

 羅列しましたが、いずれ仔細にご報告いたします。12・28には「華胥の旅」から帰ります。世界コロナ戦のシンボルのひとつ「TOKYO」があぶないと聞いたからです。

華胥之夢」の旅
自治体リーダーの覚悟とはなにか

・・・・2020・12・14~ 
町アラート」はなおもつづく
 Y郡眉雪町役場の夜は、職員宿直室と町長室に灯りがともっています。
 5月25日に「緊急事態宣言」が解除された後も、眉雪町は「町アラート」を解いていないのです。「町民に犠牲者が出ればそれはわたしだ」といって、町長は夜間(三更半夜)に幹部と内外のコロナ情報を集め、翌朝に職員に細かな指示を出し、町民には自制ある行動を求めています。「住民の命と暮らし」(医療と経済)を守る最後の砦が自治体であり、役場と職員であるという信念は堅く、医療の第二波・第三波のあとに必ず経済の第二波・℉第三波がやってくるという予測をもとに、そのときのための態勢つまり「新しい日常(ニューノーマル)」をつくらねばならないというのが持論です。このコロナ禍からの脱出への町長の強い願望は、とくに同世代である団塊世代の住民を中心に共有されているといいます。近づく「25年問題」も自力で持ちこたえようという対策とともに。
 渡辺・加藤さんと町長にお会いしました。町長室はやや密になりましたが。戦後の地元の回復と発展に尽くして去った歴代町長の写真が飾られていて、だれもがいい顔をして町の発展を信じて並んでいます。先人たちに査定され励まされながら現役町長はここで日々のしごとに励んでいるのです。その中に現町長の祖父の姿もあって。
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住民の暮らしと直結して
 クオータ制を採り入れた「高年3、女性3、青年3、中年6」という15人体制の町議会は、町民各層の意見をていねいに集約する機能を果たしてしているといいます。そして何より「地域包括支援センター」が医療・介護に、「生涯学習センター」が大学校の経営に、「シルバー人材センター」がまちづくり活動の人材を管轄して、三センターがそれぞれ公助・共助のしくみとして、町民個人の「体(からだ)・志(こころざし)・行(ふるまい)」という暮らしの活動と対応しており、それをつなぐ助け合い組織として社会福祉協議会や地域協議体が多彩なしごとを担っています。
 具体的な活動は「三世代会館」を活用して企画され実施されていますが、とくに中学校と大学校をつないだ青少年+高年者による「地域カリキュラム」が活発です。伝統行事の継承、地産品づくり、古道づくり、AI格差の解消、男子は防災・女子は福祉の現場支援にも・・。
 住民の暮らしと直結した事業活動の集積から「新しい日常(ニューノーマル)」は形づくられていくのでしょう。

華胥之夢」の旅 4
商店街の中心に「地域流通スクエア」

・・・・2020・12・7~ 
四季折り折りの風物豊かな古道
 Y郡眉雪町は町のどこからでも部落(区)から部落をつないだ古道をゆっくり歩いて30分ほどで町の中心にある眉雪神社や門前商店街やJR駅や小学校や役場にたどりつきます。途中には集会場やよろずや商店や農作物販売拠点(100円均一・無人)やベンチがあって。「四季の風物を活かすまちづくり」が定着しています。
 特に先人が上陸したとされる浜辺と丘の辺の眉雪神社を結ぶ「かんの道(神の道)」は両側の生垣が整備されていて目にやさしい。秋には眉雪神社から出た神輿がこの「かんの道」をたどって海辺で浜降り神事がおこなわれ、町民が一体化します。海辺から渡辺さん、神社総代の加藤さんと歩いてみました。季節がら山茶花と柑橘の実しか目立つものはありませんでしたが、個人のお宅の庭には果樹や花樹が見えて四季折り折りの盛時の姿が想像されます。
 国道沿いには「三世代四季型商店街」をキャッチにした「門前商店街」があります。四季折り折りの風物を織り込んで春(3~5月)・夏(6~8月、中元)・秋(9~11月)・冬(12月~2月、歳末・新年)の四回、季節ごとの装飾をほどこしています。「お中元を長くし、歳末売り出しを早くするのでは、街の活性化にはならないですよ」と渡辺さん。
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「安歩」でおとずれる門前商店街
 Y郡眉雪町では高齢者に一日1時間の「安歩(ゆっくり歩く)外出」をすすめています。「安歩当車*」というのは、ゆっくり歩くことは車でゆくより勝れているということで。地元資本が参加する駐車場完備のスーパーもありますが、24時間営業の「超(スーパー)・スーパー」機能をもつ「地域流通スクエア」(略称スクエア)があって、豊富な地産品、地元住民が必要とする商品と情報、公共機関・施設をネットでむすんだ「中心街の中心核」として機能していて町民は夜も安心です。歩いておとずれる街なかの「道の駅」といったところ。
 健康のために「安歩」しておとずれて、知人と会い買い物をする。空き店舗もありますが、商店街は元気です。和菓子店、ケーキ屋、茶舗、薬店、文房具・書店には喫茶コーナーや休憩コーナーが設けられています。空き店舗を活用した高齢者向けの「居場所・通い場所」があって、だれもが時に暖や冷をとったり、粗茶で談笑したり。仲間が制作した日用品(大学校での制作品も)の展示・即売もしています。実演もしています。
「地域の特徴を活かしたまちづくり」に沿って「ニシキ族」より「キキョウ族」が増えているのはうれしいですね、と和菓子店の店主でもある加藤さん。お茶と和菓子で長々と話をしましたが、その間外から親しげに挨拶をする町民がとぎれませんでした。

「華胥之夢」の旅 3
地域ごとの「三世代交流」が土台に

・・・・2020・11・30~ 
「三世代交流会館」を運営
 新世紀にまき起こった「世代交代」のトルネードにのって国政に躍り出た政治家に、「世代交流」による地域づくりを期待するのはムリでしょう。緩やかでも自治体独自の「三世代交流」の活動はすすんでいて、「三世代交流の集い」や「三世代交流フェスタ」が各地で開かれていますし、すでに「三世代交流館」「三世代交流会館」「多世代交流館」「三世代ふれあい館」「三世代ふれあい交流館」「三世代交流センター」「三世代交流プラザ」「三世代交流サロン」・・といった三世代の交流をささえる施設も登場しています。
 高年者サイドから積極的に参加する「地域三世代会議」といったしくみが住民に支持されれば、そこから分野別・世代別の課題を実現するための施設「三世代交流会館」がすぐ先に見えてきます。将来はどこの自治体にも常設されて、長寿時代の「三世代参加のまちづくり」の拠点として機能することになるでしょう。モノづくり、まちの歴史・文化の継承、趣味などのテーマごとに三世代の代表が交流する場としての「三世代会館」が常設され運営されるようになれば、お互いを理解しあいながらの支え合いが可能になります。「地域共生社会」の登場です。持続可能な推進力は「世代交代」にではなく「世代交流」にあるのですから。いま全国の自治体に形成されつつある「地域協議体」の芯を強固にする重要なベクトルです。
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「眉雪町三世代交流会館」
 地震・津波などの大災害時に備えた頑強なつくりの3階建て「眉雪町三世代交流会館」。1階は事務室と駐車場。2階には町立図書館が収まっており、高齢の職員も管理にあたっています。所蔵の書籍は、子ども、学生、家庭、一般、高齢者(園芸・陶芸・書道・絵画・音楽・健康という生涯大学校の学科別コーナーも)に整理されています。新聞・雑誌室、パソコン・ネット室、語り合えるラウンジもあって。3階は大小の会議室と展示室。災害時には避難所や介護所になります。展示室には各世代の制作品や「四季の花と安歩の路」地図。大型の町内地図には各区集会所やベンチや自家農産品販売地点などがスポットされていて、見ていてY町の躍動感が伝わる楽しい地図。
「四季の花を眺めながらゆっくり歩く安歩が長寿のもと。直線でない町内の古道は車も歩くんです」と「三世代女性会議」のメンバーである80歳代の新井さん。「三世代は、青少年・成長期~30歳と中年・成熟期~60歳とそれ以後の高年・円熟期です。四季のまちづくり・伝統行事・安歩の路づくり・ユニバーサルデザイン化などで若者と高齢者の交流が盛んです」
 地図をみながら新井さんから説明をうけたあと、会議が始まるまでたっぷりラウンジで話を聞くことができました。

「華胥之夢」の旅 2-2
高齢期に必要な技術・知識を習う

・・・・2020・11・23~ 
「眉雪町生涯大学校」の習学科目
 全国にも例の少ない設立から20年の経緯をもつ「眉雪町生涯大学校」。現校長である永田さんは大学校創設の初めからのメンバーであり、これまでの経緯をもっともよく知る人でもあります。その話をまとめますと・・
 個別に習う「基礎学科」は生涯にわたって熱中して楽しめる「園芸(農芸)」「陶芸」「書道・日本画」「絵画(油絵)」「音楽」「健康運動」の6学科。「個別に楽しみ、クラスみんなで楽しみ、町民みんなを楽しませる」がモットー。そして全員共通の「教養講座」は「町の歴史」「伝統行事」「地域産業」「病と薬」「食生活」「高齢者と法律」「時事問題」・・。年間30週(午前学科・午後講座で30回)。町内15区・企業・一般応募からの習学生は、60歳~2クラスで60人、3年間。75歳~1クラスで30人、1年間。年間90人。費用は1万5000円。講師は町でいちばん詳しい(相応しい)人が少額の講師料で当たっています。「基礎学科」はもちろん、「教養講座」も「町の歴史」はわたし、「伝統」は神社総代、百年企業の当主が「地域産業」を担当しています。特別セミナーには知名人を口説いて。会場はここ以外に小学校や中学校の空き教室を利用して。子どもたちとの交流もあります。100年の歴史がある小学校の廃校は惜しいですね。
・・・・・・・・・・・
修了後の高齢期活動のすがた
「高齢化」が課題であった「平成の大合併」のころに文科省にこういう構想がなかったはずはありませんが、財政逼迫の救済に関心が強かった自治体の多くは、高齢者対象の大学校による高齢社会の人材養成に準備がなかったでしょう。それでも先駆的な自治体には市(県)立「地域生涯学習大学校」(呼称はさまざま)が設立されていて地域発展の人材を養成していましたから眉雪町は参考にしています・・と永田さん。
 Y郡眉雪町は古い社前町であり農漁業物産の集散地であり観光拠点であり江戸いらいの企業や商店・問屋が国道沿いに集まっていたこともあって、生涯現役が当たり前とされる町民気質があって、「高齢化」時代に「世代交代」でなく「世代交流」での対応を町是としてきました。
 修了生は、町内15区・企業で、学科ごとのクラブに所属して活動しています。もちろん自由意志によります。大学校としての年間活動は、通常講座のほかクラブ活動、特別セミナー、文化祭市(制作品の販売も)・賀寿の祝い・見舞い・葬送があって、町の高齢者情報が蓄積されています。農工祭市と同時開催の「文化祭市」(秋の文化祭とは別)は交流の場としてにぎわっています。修了生は1500人を超えて60~80歳に広がっています・・。
 永田さんは町にひとつの眉雪町中学校の校長をつとめた人であり、同校同窓会の会長でもあり、さまざまな経営のエピソードを語ってくれました。

「華胥之夢」の旅 2-1
「地域生涯大学校」がまちづくりの拠点に

・・・・2020・11・16~ 
新たな「地域高齢者コミュニティ」
 渡辺さんからいただいた「眉雪町生涯大学校」の資料にはこんな記載があります・・。
 ・・市町村合併の大義のひとつに「人材」の養成がありました。「明治の大合併」のときにはわが村の「村立尋常小学校」が設立されて新時代の村民教育にあたりました。(300~500戸規模。戸籍、徴税、教育、土木、救済など。7万1314町村が39市1万5820町村に。明治21=1888年~明治22=1889年)。
 そして「昭和の大合併」のときにはわが町の「町立新制中学校」が設立されて敗戦後の国づくりの人材を育成しました。(8000人規模。新制中学、消防、保健衛生など。昭和28=1953~昭和31=1956年。9868市町村が3975市町村に)。
 では「平成の大合併」では? 平成11(1999)年3月にあった3232の市(670)町(1994)村(568)は一段落した平成18(2006)年3月には1821の市(777)町(846)村(198)になりましたが、「少子高齢化」が課題であったにもかかわらず全国の新しい合併自治体は人材養成の「公立生涯大学校」をつくり出せませんでした・・。
・・・・・・・・・・・
高齢者対象の生涯学習施設
 新世紀になって世代交代よりも世代交流を町是としてきた眉雪町は、合併の課題でもあった高齢化対応として「眉雪町生涯大学校」を設立しました。平成の人材養成の必要は子どもたちよりも増えつづける健常な高齢者層にあったからです。趣旨・経営主体・施設・対象・科目・修了後の態様など、県レベルでは兵庫県の「いなみ野学園」、市レベルでは「成田市生涯大学院」、区レベルでは東京都江戸川区「総合人生大学」などを参考にしたようですが、Y町独自の歴史と伝統を活かしたカリキュラムを組んでいます。
「生涯大学校」のそれぞれの学科で「基礎学科」を学び、さまざまな「教養講座」を共通して学んだ高齢者が、これまでのコミュニティと重なりながら新たな「地域高齢者コミュニティ」を成立させることになりました。この修了後の地域活動のありようが「社会の高齢化」に資するものであり、総体的にみた姿が「日本高齢社会」につながり、国が政策として期待する「個性ある地域の発展」となる。年々増加する健常な高齢者の社会参加なしには安心した「高齢社会」も安定した「地域社会」もありえないからです。リカレント学習や公民館生涯学習が個人の生きがいづくり中心なのに対して、60歳以上の住民を対象とした「生涯大学校」の設置によって、地域特性を活かしたまちづくりや生涯にわたる学友づくりが可能になりました。

「華胥之夢」の旅 1
「三同同住宅街区」のあるまちへ

・・・・2020・11・9~ 
100年先を見据えるまちづくり
 ・・長いトンネルを抜けるとそこは青い空と松林のひろがる明るい海辺のまちでした。ホームに若い女性の姿はなくて、友人が連絡してくれていたので、Y郡眉雪町町会議員をつとめる高齢の渡辺さんが迎えに出てくれていました。「三代先100年を見据えるまちづくり」「寿退社とM字型就業にかわって高齢まで一文字にしごとに専念できる女性社員(町民)を増やす三同同住宅(三世代同等同居住宅)」についてがこちらの要望でし たので、渡辺さんはまずは20年を経た「三同同住宅街区」にある自分の家を見ながらお話しましょうという提案をしてくれました。
 高齢化がすすむ「百歳時代」は女性中心の社会です。ですからモノもしくみも暮らしの拠点になる住宅も女性優先というのがY町の実施哲学です。大都市住いの女性は20世紀的シュウトメ忌避のウサギ小屋からハチの巣ケア付きマンションへという自立人生を歩んでいますが、「三同同住宅」は21世紀的小都市での三世代同居による女性主導の長寿暮らしの実現です。
 先人が新世紀を世代交代ではなく世代交流ですすめてきたY町のおのずからの帰結。地元の力量ある工務店と信用金庫と百年企業と住民と町の支援という民・官協業です。わたしはその企業体の責任者ということでと渡辺さん。
 センチュリー(一世紀)住宅をいう企業があるように、部材は百年・三世代にじゅうぶん耐える地元製品材です。基本費用は個人負担960万円。調整がつく人は家族で、希望する順に10人で10年の「10口無盡」を組んで、これがその資料ですと渡辺さん。
 新世紀20年を経た「三同同住宅街区」にはゆったりした家並み・街並みが形成されつつあるようです。
・・・・・・・・・・・
三世代同居のわが家「三同同住宅」
 渡辺家。吹き抜けのある中央の居間、そこから上階の「三世代」それぞれのプライベート・スペースへ。祖父母と孫との接点をもつ動線。母娘が共有するキッチンへの動線・・。
 わたしの家族は、ぶらさがり団塊世代の妻と妻の両親と息子と娘の2+2+2の典型的な三世代です。サザエさん一家でいえばわたしはマスオさんの立場ですがずっとツッパリがありますよと渡辺さん。
・ぶらさがり団塊世代の女性戸主:わたしはしごとに専念して子どもは祖父母にまかせています。まだ高校生と中学生ですけれど、娘が結婚して引き継げるまでのしくみができているので安心です、と。
・喜寿の父:家全体としては機能的な洋風ですが、和室の八畳間は通常は客間に用いていますが、実はわたしの「寿終正寝」の場なのです、と。
・古希の母:「近居」よりも「隣居」よりもこの「三世代同居」によって、女系のつながりを活かした生活感の継続や孫たちに「わが家の暮らしの知恵」を伝えられるメリット。次世代との生活知識の共有には計り知れないものがあります、と。
・喜寿の父:「うちのジージがね」といって、ジージから教わった暮らしの知恵や悪知恵をなかまに自慢するジュニアが四人にひとりはいないと伝統が途切れてしまいますよ、と。
 お急ぎの旅ですか? じっくりゆっくりの旅ならここにお泊りいただいて、あす三世代会館と町立生涯大学校をご覧になってはいかがでしょうと渡辺さん。
 そう決めて、渡辺さんとは三更までさまざまなディテールを話し込むことができました。

菅新内閣に高齢者活用の発想なし
割引ゼロでゆくGoTo トラベル

・・・・2020・11・2~
団塊の菅首相に可能な「一億総参加」  
 菅義偉総理の臨時国会での「所信表明演説」が10月26日に行われました。菅さんは安倍さん(昭和29年生まれ)より6年年長の昭和23年生まれ72歳の団塊世代の高齢者です。安倍内閣の引き継ぎですからムリとは思いながらも、本稿が関心をもつ高齢社会対策に限って発言を聞きました。
 みずからを含む「団塊世代」については、2022年には「75歳以上の高齢者に」といいましたが、触れたのは医療費の見直しだけ。また「人生百年時代を迎えて」といいながら、「予防や健康づくりを通じて健康寿命を延ばす取り組みを進める」とだけ。あとはコロナやインフルエンザで「重症化リスクが高い高齢者」に対してワクチン接種を無料で優先して行うといっただけ。
 みずからを含む「高齢者」(3617万人)層に呼びかけて、その潜在力を活用するという発想の転換こそが当たりの「有的放矢」なのですが。アクティブ・シニア層の力を活かさずにどうやって「一億総参加」の社会ができるのでしょうか。
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割引ゼロの「華胥之夢」の旅
 Go To キャンペーンのトラベルは、「延べ2500万人以上が宿泊し、感染が判明したのは数十名」ということで継続するようですが。先が見通せないコロナ感染を避けて外出もままならない高齢者は、これぞ人生にまたとないチャンスとして、長くてよい(良い好い善い)夢の旅に出ることにしましょう。割引がなくともお金に余裕がなくとも出かけられる夢の旅。ヨコ型ではなくタテ型トラベルの旅へ、歴史の中で親しいヒトと出会い、先達に教えを乞い、将来の姿を夜に昼をついで夢に見つづけること。終生夢の中にも求めて奮闘していた「夢寐(むび)以求」(茅盾「聯繋実際・学習魯迅」)の人であったと茅盾が魯迅を評しています。
 中国治世の祖とされる黄帝は、治世に悩んだとき政事をはなれて3か月、ひたすら夢をみて過ごしたといいます。善なる人が神遊してたどり着いたのが華胥(かしょ)氏の国。「華胥之夢*」(列子「黄帝」)から覚めた黄帝は、それ以後夢にみたような国づくりに努めたといいます。
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本稿も「華胥之夢」の旅に出ます
 孔子は生涯かけてその時世を目標とした周公を夢に見つづけ「夢見周公」(論語「述而」)だったといいますし、荘子は夢で胡蝶に「物化」して「荘周夢蝶」(荘子「斉物論」)により存在の根源が”生命”であることを証しています。『詩経』の「周南・関雎(かんしょ)」の歌のように、さめてもねても窈窕の淑女を追いつづける「寤寐(ごび)求之*」もいいでしょう。
 いまはコロナ感染を避けて自粛をつづけるしかない高齢者層。おそらくはワクチンが開発されてだれもがウイルスにうち勝てる抗体を体内に保持できるときまで、重症化しやすいコロナ弱者として活動を控えてベンチを温めることに。
 そこで発想を転換、「タテ型トラベル」ーー長くてよい(良い好い善い)夢の旅に出る。割引なんかいらないし、お金に余裕がなくとも出かけられるタテ型トラベル・・必ずやってくるコロナ戦後の回復事業に活かす叡智・方策を得るために、優れた先人たちに会いに・・
 新世紀の20年、世代交代ではなく世代交流によって「地域共生社会」を成立させているまちがあるという。本稿はそのまちに先人の叡智・方策を求めて、「華胥之夢*」(2か月)の旅に出ます。週ごとに途中報告をしながら。(*の四字熟語はweb「円水社+」を参考に)

コロナ閑居の高齢者にできること
高齢化先進国の「高齢社会」づくり

・・・・2020・10・26~ 
高齢者の感性を活かすモノづくり
 9月の「敬老の日」に公表された総務省人口統計では、65歳以上が3617万人、高齢化率28.7%に達しています。もちろん世界最速で最高です。第2位がイタリアで23.3%ですから、人口の4分の1を超えているのは日本だけ。実感はなくとも日本の高年世代の経験が世界を先導していることになります。成立している「高年世代」にはその潜在力もボリュームも整っているのです。ないのはリーダーである政治家の構想力です。
 新世紀後の「高齢化」対応でのわが国の経緯は、「高齢者対策」(医療・介護・福祉・年金など)では欧米に劣らない成果をあげてきましたが、「高齢社会対策」(モノ・しくみづくりなど)では際立った先導的成果を残しておりません。それは当事者である高年者層が4人にひとりになっても、65歳から「定年余生」という前世紀以来の社会通念に従っているからで、そのために「毎日が日曜日」などと若者にヤユされる始末なのです。高齢社会にふさわしいモノづくり構想が見えないからです。
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家庭用品「一品三種」化が内需の支え
 ことに「三世代同居」のみなさんにその役割があります。お宅で家庭内用品の三世代コーディネートが可能だからです。食事のお茶碗や書籍や洋服などはおのずからそうなっていますが、これは子どもたち(孫)用品、これは現役夫婦用品、そしてこれはこれまでなかった自分たち高齢者用品と「一品三種」(女性対応があれば一品四種)の世代別の利用しやすい用品を考え、製品化を発案することができるからです(本稿2・5など)。 
 その知識と技術をもつ「引退余生」期の高齢熟練技能者のみなさんが、暮らしの場をじっくり見直して三世代用「一品三種」(女性対応があれば一品四種)の日用品を発案し、社友として企業の後輩高年社員と協力して、自社の新たな高年者向けの製品を工夫して制作して発売すること・・。
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やや高でも優良な新ブランドOPG
 また企業レベルでは引退社友が集う「定年者懇親会」。集まってお互いの長寿と健康をねぎらい合うだけでなく、高齢者層が用いて納得するわが社モノ(仮 Older Person’s Goods OPG)を考案して、後輩の現役社員に要請して自社の新ブランドOPG製品として制作して発売する・・。
 だれもなにもしないで待っていて「高齢社会」がやってくるわけがありません。だれかが考えて発案し、だれかれがモノやしくみとして実際にこしらえるのでなければ。
「やや高でも優良」な国産・地産品がさまざまな分野に登場し、わが国の生活感性の高い消費者にモニターされた Made in Japan のOPG製品が輸出品に。そのときわが国の「高齢社会」は、実質的に国際的高齢社会を先導していることになるでしょう。

・・・・2020・10・19~ 
総力をあげる「国際協調」が日本の役割

 いま日本国の首相は、首相官邸にどっしりとかまえて、「コロナ第二波・医療と経済」をめぐって刻々変化する内外の感染拡大と経済活動情報をキャッチすること。ことにアメリカ発出の「新型経済クライシス」の大津波の到来を予期したうえで、国民の「命と暮らし」の双方に配慮した対策を合議し、各省庁と自治体に的確な指示を出し、国民に正確な情報を提供して自制ある対応を求めること。日夜、命がけで執務する首相であることを国民に示すこと。菅新首相は、命がけで「コロナ第二波・医療と経済」の闘いの先頭に立つ首相の姿は見せてくれるでしょう。(本稿9・21ほか)
 その上で、いまわが国は各界の総力をあげて対外的な活動を展開すること。その歴史的国際的な役割が日本にはあるのですから。アメリカと中国の両軍事・経済大国に対しては、自国優先ではなく共有する人類的課題として「コロナ撲滅と経済」作戦を展開するよう訴えつづけること。世界の国際組織を通じて国際協調によるワクチンの開発と供給、ヒトの交流と貿易の確保などに努めるよう呼びかけつづけること。
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歴史的国際的片務「恒久平和」を体現して
 現在進行中のコロナウイルス「パンデミック(世界的大流行)」の犠牲者が100万人に達しましたが、先の6000万人+の犠牲者を出して収束した「第二次世界大戦」の戦禍のあと、大戦後の片務として歴史的国際的に託された「恒久平和」という国づくりを、70年にわたって実現してきた日本国民として。もう二度と戦争(国際紛争)は起こさないという人類の願望を、「平和と平等」(非軍事と反差別)を核芯にすえた「日本国憲法」を旗じるしとして掲げて。
 その日本の国民がこのたびのコロナ世界騒乱で示した「強制なき自粛」とそのあとの「自制ある参加」という日本的プロセスが、「コロナ撲滅」への国際的希望のプロセスとして注目されているのです。ことに70年余の「国際平和」と「高齢社会」を体現している3500万人余の日本高齢者の自制閑居のみごとさにおいて。

・・・・2020・10・12~ 
「四季の風物」を再生・創出する

 前回に「中秋名月」(10月1日)のことを記したばかり、10月初め(中秋)だというのに、もう丑年カレンダー、日記帳、令和三年暦それに年賀状印刷やおせち料理の申し込み・・など、歳末から次年にかんする事物・情報が前倒しに早まって、街頭・店頭に並んでいます。これから実りの秋を味わう「晩秋行事」を迎える前に、歳暮商戦が露骨に際立っています。せめて立冬(11月初旬)を待ってスタートするほどの商慣習の反省と自制があっていいのに。
 自国の特徴を見失って国際観光はなく、春・夏・秋・冬の風物を四重奏(カルテット)のようにすることで、客人は4度訪れる愉しみをもつことになり、狭い国土を4倍?に活かすことにもなります。 
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風土を活かす「双暦馴致」が有用
「守ろう高齢者」とひとくくりに「コロナ弱者」にされて「温存隔離」されて、閑居(ベンチ待機)しているあいだになすべきことのひとつ。ひとことでいえば、失われてしまった「地方(地域)の四季」を呼びもどすこと。
 わが風土の特徴は、春・夏・秋・冬折り折りの風物があざやかに際立って展開することにあります。俳句の季語にも見るように。それらが失われてゆく理由のひとつは、ここ150年間(明治5年12月3日を1582年開始の西暦に合わせて1873年1月1日を明治6年1月1日としてから)の洋風に感化されてのものもありますが、ズルズルと自ら崩しているものも多々あります。要は西暦・和暦の双方を活かす「双暦馴致」が歴史的にも風土的にも有用なのです。
 ここ70年の経緯を知る地元の仲間(PCR陰性高齢者)と語り合って、具体的な「地方(地域)の四季」の再生・創出の方策を案出して共有しておくこと。近くかならず実用になるときがきます。家庭内では高齢者自身が季節ごとの生活感性をたいせつにすることによって。

コロナ第二波・医療と経済」に備える
それぞれの「新しい日常」(ニューノーマル)

・・・・2020・10・5~ 
10・1国際高齢者デーと中秋名月
 かつて上代に、仏教移入につとめた長屋王が「山川異域 風月同天・・」と袈裟1000着に16字の偈語(詩)を刺繍して遣唐使にもたせたとき、新たに中国から伝わった「中秋名月」を愛でる風流を体験してのことだったのでしょう。今年の春、コロナ感染が発出した武漢市に日本から贈られた支援物資の箱に添え書きしてあったこの8字が、中国国内のSNSで話題となりました。日々過ごす風土は異なっていても見上げる月への有情は同じという「風月同天」は、窮地にある遠方の友人を助け合うという意味合いの四字成語として全土に知られたようです。
 2020年10月1日が旧暦八月一五日。「中秋名月」は傍らに火星を従えてゆっくりとコロナ禍にあえぐ人間世界を見下ろしていきました。中国・武漢市は全土一の観光地です。国慶節連休中(1日~8日)は夜間開放された名勝・黄鶴楼からは「風月同天」の名月が見られたことでしょう。実は今年の満月は2日(月齢14.7)でした。それを知って雲影のない秋晴れの夜空に上ってくる特大の満月を待って迎えたわが国の風流人は、かけがえのない「風月同天」の記憶を刻んだことでしょう。
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「三世代平等長寿社会の日」に
 10月1日は「国際高齢者デー」でした。国連は1999年「国際高齢者年」に10月1日を「国際高齢者デー」と定めて、世界中の高齢者が自立して「すべての世代のための社会をめざして」活動に参加するよう呼びかけました。いまコロナ感染を避けて閑居している世界中の高齢者は、100万人を超えた犠牲者を悼みつつ静かに「生命の尊厳」を体感しつつ、健常に過ごしえた1年を自認していることでしょう。「10・1 国際高齢者デー」は、高齢者のだれもが後人から敬愛され、日また一日を充実して過ごしえた1年を祝い祝われる国際的記念日なのです。
 本会はこの日を一人ひとりが「三世代平等長寿社会の日」として祝うことを提案しています。家庭で社会で青少年成長期・中年成熟期・高年円熟期の三世代三期を意識しつつ人生の三期目をすごす。それぞれが保持する知識・技術・資産・人脈を活かして高年期にふさわしい新たなモノ・サービス・しくみをこしらえて享受して暮らす。10月1日はみんなで進める三世代平等化の成果を、「風月同天」の思いで国際的に確認し合う一日として迎えて過ごせればいい。

・・・・2020・9・28~ 
「敬老の日」を「コロナ弱者」として迎えて

 9月21日「敬老の日」に発表された総務省の推計で、65歳以上の高齢者は3617万人(高齢化率28.7%で世界一位 二位はイタリア23.3%)に達しました。4人にひとりを超えて世界初の「高年世代」(青少年世代・中年世代とともに)が成立しているのです。
 高齢者3617万人の大多数は元気であり、それぞれに知識・技術・資産・人脈を保持して暮らしているのですが、社会のしくみの「高齢化」が遅延(政治の無責任連鎖)して2世代+α型のままであるために、「引退余生」の暮らしを余儀なくされているのです。それに加えて「対コロナ戦」ではひとくくりに「コロナ弱者」としてベンチスタートです。動かずに座して病毒を避けていてほしいという「現役世代」の善意からの弱者隔離ですが。せっかくの「老人の日」や「敬老の日」ですから、高齢者として後人から敬まわれるだけでなく、自分たちの1年が健常であったことを確認して仲間とともに喜びあう日とし、1年の活動の「社会の高齢化」としての成果を公開して、みんなで祝う日にしたらどうでしょう。
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「オリンピズムとコロナ」
 東京都の要請は「防ごう重症化 守ろう高齢者」です。ひとくくりに「コロナ弱者」とされている高齢者(65歳以上、3617万人)。感染すると重篤化し死亡率も高いため、自宅閑居(毎日が日曜日の公的要請?)を余儀なくされている4人にひとりの高齢者。戦後復興・高度成長・九割中流の社会をつくった功労者として”温存”されてはいても、年金では足りず貯蓄を切り崩してつましく暮らして、みずからの人生の先行きを憂慮しながら、ひたすらに社会の安定のために自粛につとめています。戦禍のあと先人から託された「平和と平等」(非軍事・反格差)の社会を堅持する事業の体現者としても。
 いま「コロナ世界戦」という歴史の回り舞台が、現役長生型の日本高齢者の登場を求めているのです。9月22日、IOCのバッハ会長が「オリンピズムとコロナ」というメッセージを関係者に送って、コロナウイルス影響下でも東京オリンピックは開催するという強い意思表示をおこないました。東京都のコロナ対策と大会への準備と意気込みを評価してのことです。国際的舞台として、若者のオリンピックとともに国際潮流である「平和裏の高齢化」の活動が同じ国際的五色のライトに照らされているのです。華やかなオリンピックの陰に東京都の自宅異常死が年間5000人以上(65歳以上)いることを知られるのはなさけないことですが。

・・・・2020・9・21~ 
首相は命がけで「国難」に臨むとき

 9月15日、菅義偉内閣が成立しました。そこにいたる政治プロセスで示されたのは、安倍政権の踏襲による目前の”安心感”という腰の引けた現状維持の体勢です。現状を保つことは重要ですが、前のめりくらいの”推進感”がないと「国難」である「対コロナ総力戦」を闘い抜くことはできないでしょう。
「第二波・医療と経済」をめぐって刻々変化する内外のコロナ感染・経済情報を把握し、「命と暮らし」の双方に配慮した対策を合議し、各省庁と全国の自治体に対して実情に即した的確な指示を出せる内閣閣僚と、命がけで執務する首相を登場させられるかどうか。それなくしては「国難」の前途に立ち向かう国民の全面支持が得られないからです。
 菅さんへの期待はひとつ、戦禍の傷跡の残る昭和23年生まれの「平和団塊」世代だということです。70年の平和国家づくりでいま政治がなにをなすべきかを肝に銘じているはずだからです。首相就任から組閣までの発言からは新しい潮流までは感じさせませんが、日々、命がけで国民の命を守る闘いの先頭に立つ首相の姿は見せるでしょう。 
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「一億総活躍」構想の実体の欠落
 お気づきとは思いますが・・。安倍政権での「人生100年」も「一億総活躍」もそして「コロナ対策」も、どれもが4人にひとりに達した「高年世代」が支持し参加することによって実体をもつものになるのです。目前のコロナ感染拡大阻止をはじめ「国難」に総力で立ち向かう構想の欠落は、1999年の「国際高齢者年」に国連が21世紀の国際的潮流として訴えた「平和裏の高齢化」、その予見(達見)を世界一の高齢化先行国として世界初の国民的課題として論じる「世代交流」の場を持ちえなかったことに起因しているのです。
 新世紀を迎えたころのこの国の政界は、ご記憶にあるとおり、猛烈な「世代交代」のトルネード(竜巻)に見舞われていたのでした。「世代交代」は小泉チルドレンや小沢ガールズの登場によって政界で際立って推進されて、ありうべきだった全員参加の「高齢化社会」(本稿では「三世代平等長寿社会」)は論じられずに、とくに安倍政権下では「若者・女性化社会」が潮流となりました。新世紀の20年、本流である「高齢化」は底流・傍流となり、「若者・女性化」が時流・主流となって経過してきたのです。

・・・・2020・9・14~
「コロナ前社会」にはもはや戻れない

 コロナ感染をゼロにできないゆえに、「With Corona」(コロナウイルスとの共存)という持久戦に。「ウイズコロナ」が医療の現場でも経済活動の現場でも納得されて、手洗い・マスク・「ソーシャル・ディスタンス」が市民の暮らしに定着したとき、求めても努めてもこれまであった社会(コロナ前社会)に戻るのはむずかしいでしょう。「コロナ騒乱」には収束の出口が見えず、経済には見定めえない影響をもたらすと想定されるからです。
「新型コロナウイルス」襲来時には、明確で頼れる「国の構想・指針」が示されないなかで、国民は49日間の「緊急事態宣言」(4・7~5・25)のあいだに世界に例をみない「強制なき自粛」によって「第一波」収束という成果を得たのでした。その成果を実感したところから、今度は市民として「自制ある参画」によって、みずからの暮らしの確保に動き出しているのです。一人ひとりの「自制ある参画」の先に総体としての「新しい日常」と新しい社会が次第に顕れてくるでしょう。助け合いながら暮らす日常が生活圏での「地域共生社会」づくりの姿なのは確かです。
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「新しい日常」(ニューノーマル)が基本

「ニューノーマル」(New Normal新しい常態)は、リーマンショックでアメリカに現出した経済上の時代認識として用いられていますが、このたびの「コロナ禍」のわが国でいえば、三密を避けたデジタル化によるテレビ会議や在宅勤務などが経済上の「ニューノーマル」といえるのでしょう。
 ここでの「新しい日常」(ニューノーマル)は、社会像として高齢者層が保持している「ノーマル(常態)」としての「モノ」「サービス」「居場所」「しくみ」を「地域共生社会」の形成の場で活かすこと。高齢期の「新しい日常」を仲間とともに生活感性にふさわしい姿につくりかえること。のちに詳述しますが、「コロナ第二波・医療と経済」の大波から命と暮らしを守る最後の砦である自治体を強くすることになるからです。「地域(支援)協議体」が成立している自治体では官民連携の緊急事業になるでしょう。「対コロナ総力戦」は国家ではなく地域ごとに主戦場があるのです。
「コロナ弱者」としてベンチスタートになった高齢者。「日曜は1日だけ」という現役長生タイプのアクティブシニアが、仲間で議論して「新しい日常」(ニューノーマル)での社会参加に踏み出すこと。静かに発想の転換を図って、ひとりで可能な一歩ずつでいいのです。

・・・・2020・9・7~
ああ惜しい哉! 失われてしまった20年!

 若者の「成長力」と女性の「多様性」による「経済成長」に期待しつづけてきた安倍政権。プラスして高齢者の「成熟力+円熟力」による「経済伸長」がありうるなど”想定外”で政策化のしようがなかったのでしょう。といって先進諸国から先例を得られないのは当然で、最速で「高齢化」がすすんでいるわが国が先例をこしらえる立場にあるのですから。
 ああ惜しい哉! 失われてしまった20年!
 この期間に優れた知識・技術・知見を有したまま、この国の将来を憂慮しつつ亡くなっていった先人の姿が偲ばれます。「高齢化」に対する「世代交流」という国民的議論が20年淡々とつづいてあれば、そこから導き出された「成長力+成熟力+円熟力」による新たなモノやサービスやしくみが発想され創出されていたでしょう。
 高齢者はみずからの生活感性にふさわしい良質な国産・地産品にかこまれて過ごし、先人に感謝し後人に敬愛されて、活き活きとエイジング期(円熟期)を過ごすことができていたはずでした。
 ああ哀しい哉! 失われてしまう20年!
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「今ありうべき日常」としての課題
 人生は「成長が根源」という「若者と女性」が中心の世相に対して、コロナ禍に遭遇して「生命の尊厳」という本源の存在を明らかにする活動として「高年世代」がノーマルとする社会像を顕在化させることでいいのです。それが21世紀の国際的本流である「平和裏の高齢化」につらなることが予見されているのです。
「高年世代」の保持する知識・技術・経験・資産・人脈といった潜在力を「地域生活圏」で活かすことがコロナ後のこの国の「本来ありうべき社会」をつくる根につながるのではないか、これが「日曜は1日だけ」とするアクティブシニアの人びとの発想であり、市民としての「ノーマル」な社会参加への道として自覚されているのです。
 ここでは「今ありうべき日常」のひとつとして、1999年の「国際高齢者年」以来、この国の「高齢化」(社会像)を見据えてきた本稿の立場から、コロナ後の「命と暮らし」を守る自治体が担うふたつの課題を緊急提案とさせていただきます。地域の同憂の士とともに可能な半歩を踏み出してください。
 ① 日用品の地産化(made in japan)による内需の復活
 ② 三世代のみんなで支え合う「地域共生社会」の創出
 唐突に思われるかもしれませんが、20年の考察の裏打ちがありますから実現にむけて活動されて大丈夫です。かならず成果を残せます。

ヒトの命のもろさを知る
病毒」との闘いは助け合うこと

・・・・2020・8・31~
安倍首相は政治生命をかけて闘えず

 いま「一国の総理になる」とはどういうことでしょう。国民の命があやういときには命を賭して闘う姿を示すことで国民の信をえて国家を安んずることができるのでしょう。中国発出の第一波「新型コロナウイルス」襲来のあと、第二波としてアメリカ発出の横流「新型経済クライシス」が想定されるいま、「医療と経済にかんする国難」に政治生命をかけて闘う首相の姿が国民の前にあって当然のときなのです。
 この時期この国の首相として国民の生命と財産をまもる命がけの姿勢、安倍首相にはそれが期待できませんでした。8月6日、広島で49日ぶりに臨んだ記者会見では、コロナ感染拡大、豪雨災害、GoToトラベル問題などの課題になぜ率先して対応しないのかを問われて、「担当大臣と官房長官が日々話している」といい、「節目、節目において会見したい」と述べて終えたのでした。そして8月17日、東京・信濃町の慶応大病院で受診。3日間の休暇をとって通常任務”にもどりましたが、23日に連続在職日数2798日で佐藤栄作首相と並んで歴代最長になったあと、8月28日には持病の潰瘍性大腸炎の再発を理由に辞任したのでした。
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「新しい日常」を総力戦でつくるには
「新しい日常」を総力戦でつくるには、政治は新しい政策と人材を”在野”から呼び起こさねばならず、潜在力をもつ高年者の参加を求める発想の転回が必要なのです。新世紀になって「世代交流」をはからずに「世代交代」をすすめてきた政界にはそれができかねるでしょう。
「コロナ禍」という生命にかかわる「国難」を乗り切るために、国民に呼びかけつつ、政治が動こうとしています。国の将来の姿を示して、総力(一億総活躍)で「新しい日常」をつくれるようにしなければならないからです。国民の側は、「第二波」に対しては市民として「自制ある参画」によってそれぞれの暮らしを守ろうとしている時なのです。
「7年7相」のあと7年8か月、長期にわたった安倍政権はデフレ脱却をかかげて若者の「成長力」と女性の「多様性」に際立って期待をかけて「若者・女性化社会」を現出させました。一方、高齢者の「成熟力・円熟力」がはたす「高齢化社会」での経済伸長は”想定外”で言及もなし。ですから7年余の「アベノミクス」は、社会の「高齢化」によって高齢者が実感できるような際立った進展をもたらしませんでした。

・・・・2020・8・24~ 
「PCR陰性エリア」の確保

 新しい感染者が「夜の街」から「職場」や「会食」や「家庭内」へと広がると、自粛するだけでの拡大阻止はもはや不可能です。全市民1000万人すべてにPCR検査を行った武漢市(300人が陽性・隔離)は例外としても、ニューヨーク市のようにいつでもどこでも何度でも必要ならPCR検査が受けられる体制を整えることによって、陽性者を把握し隔離するしかない状況を迎えています。東京・世田谷区が率先して試みているようですが。要は「PCR陰性エリア」をどう確保するかです。
「自制ある参画」によってできることは、一人ひとりがみずから「二週間隔離」をおこなって「陰性」を自己確認することです。とくに同じ地域内で暮らしている青少年(成長期)と高齢者(円熟期)は「自己隔離」が可能です。「自己隔離」によって「陰性」を自認した住民同士が、自治体のなかに「PCR陰性エリア」を確保して上記の課題②「地域共生社会」(生活圏)の形成をめざす議論と活動を進めることができるでしょう。さまざまな分野の「世代交流」をおこなって「新しい日常」(ニューノーマル)をリードする拠点づくりをすること。「コロナ第二波」撃破のための強力な堡塁づくりです。
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世代交流で「地域共生社会」をめざす
 世代交流はまず同じ地域でエイジング期をすごす日ごろ親しい青少年と高齢者が取り組むのがいいでしょう。地域の伝統はなにか、それを活かした地域産業をどう発展させ、施設をどうつくっていくか、災害にどう取り組むかなど、これまで進まなかった世代交流をいまこそ成立させ、地域の将来の姿を共有して、上記の課題①「特性ある地域の発展」につなげること。ここから「新しい日常」(ニューノーマル)は、地域でヒトとモノにかかわって一歩二歩と形成されていくにちがいありません。
 かならずやってくる「コロナ第二波」に対して自分と家族や近隣の住民の命と暮らしを守るには、青少年(学生)、中年(子育て夫婦)、高年(健常者)が中心になって、それぞれの立場で検討したうえで「三世代合同会議」を開いて、地域住民の「生命・生活・生業・生計・・」を守る最後の砦としての「地域共生社会」づくりを展開すること。地域の特質を活かしたモノづくり、地域づくりをどう進めるかは、自治体ごとに競って取り組むべき課題なのです。「第二波」の到来を想定すれば、時は切迫しているのです。「新しい日常」(ニューノーマル)への最初の一歩は、高年者がみずからの人生をかけて踏み出すことになるのでしょう。

・・・・2020・8・17~
若いきみたちに(亜起良のつぶやき)
「現役学生」であるきみたちに

 漢語の「現役」の原義は兵役に服していること、軍務についている人のことです。ですから「現役学生」といえば兵役にかかわっている学生のことを意味します。ただし国際的偏務としてひたすらに「非軍事平和国家」をめざすわが国では、積極的に「平和の国づくり」にかかわっている人という意味になります。6000万人+の犠牲者を出した世界大戦の戦禍のあと、歴史の反省として国際的にわが国に託された偏務事業が「非軍事・恒久平和」の国づくりでした。この偏務のゆえに兵役がない日本では「現役学生」の意味合いが異なるのです。
 青年時に国家・国土・国民のありようを知る「兵役」に符合するのが「公役」でしょうか。「兵役」義務のないわが国の青年が一時期、平和裏に国を守る意識を共有するための「公役」として、男性はおもに地域・災害のために、女性はおもに介護・福祉の活動をすることで、国家・国土・国民のありようを体験しておくことは「緊急事態(国難)」に対処する国家保持の義務(教育)としてあっていいでしょう。
 今でも「現役学生」として国際的に稀有な「非軍事平和国家」を実証する学生として、自主的に「公役」のプロセスを選んでいる若者が数多くいます。災害地ボランティアはその実例の姿です。次世代にこういう準備と活動があれば憲法に「緊急事態条項」など不要でしょうし、仮想敵国を攻撃できる武力の保持を議論することもないでしょう。
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 国際的な「恒久平和」を託されているわが国にも「自衛力」としての軍備は必要です。「恒久平和」の国づくりだからといって軍備を持たないことは非現実的です。仮想敵国を想定した「再軍備」ではなく、とくに中小の平和同盟国を守る最新鋭の軍備を常備しなければ、国際平和が守れないからです。
 小惑星に飛行体を衝突させる平和利用の技術は、「平和軍事」技術として敵国の心臓部を個別に正確に認知して破壊できる軍事的抑止力であることを「平和軍備」として公開せねばならないのです。原子力発電の技術も分子利用の医療技術も「平和軍事」の到達点として常備し推進し公開せねばならないのです。それは国際平和をすすめる日本の現実的な「自衛と軍備」といっていいのです。 
「平和軍備」部門には、最高レベルの科学者・技術者が参加せねばなりません。アメリカの原爆製造にかかわる「マンハッタン計画」は、砂漠での実験を公開して「抑止力」を機能させることまでで、広島・長崎に投下することはなかったのです。

・・・・・2020・8・10~
「感染余波」が全国の高齢者に迫る


「コロナ感染」は若者が感染しても重症化しない、重症化するのは高齢者や既往症のある人という特徴が知られて、一部の若い人に自粛のゆるみが生じていることはたしかです。感染源は「夜の街」から「職場」「会食」「家庭内」へと広がるとともに「コロナ弱者」である高齢者の感染も増えていきます。
 若者は自分が感染すれば身近な高齢者が一人感染して重篤化して苦しむ姿を想像して率先して「自制ある参加」の姿を示すべきでしょう。それがこれからやってくる「医療と経済の第二波」から国民をまもって身構える若き戦士としてのファイテング・ポーズです。新種のビールはたしかにうまいなどといって騒いでいる日常ではないのです。
 WHOのテドロス事務局長は7月31日、「新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)は百年に一度の公衆衛生危機であり、今後何十年にもわたり影響を及ぼす。・・最悪期を乗り越えたと思われていた多くの国がいまや新たな流行に見舞われている」と指摘しています。感染者ゼロだったベトナムでも発出し、冬にむかうオーストラリア・メルポルンが再びロックダウンしています。本格的な流行はこれからです。
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犠牲者1000人に。8割強は70代以上
 もしやの危惧がまさかの現実になりました。「新型コロナ感染症(COVID19)」による日本の犠牲者数が少しずつ増えつづけて7月20日ついに1000人を超えたのです(クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」乗客13人も含めて)。そのうちの84%が七〇代以上の高齢者といいます。高齢者は重症化のリスクが高いのです。一人の入院期間も長くなり医療負担も増えます。
 東京の「夜の街」で若者から起こった「余波」が地方へ高齢者へと広がっています。今回の東京都庁足元の新宿・歌舞伎町からの感染拡大は「第二波」ではなく「強制なき自粛」ゆえの限界として予期されていたもので、「東京アラート」の亀裂から発した「余波」のうちです。東京の若者の危機意識がゆるくては感染のひろがりは止めようがありません。各地の観光地で暮らす高齢者のみなさんはとくに、都会暮らしの人も「STEY HOME」での閑居をつづけて個人的アラート(警戒)を保つ必要があるようです。ひたすらに感染を避けること。新たな犠牲者はわたしかも知れずあなたかも知れず、「命あっての物種」です。

未知の敵との遭遇ゆえの錯誤も
例のない「強制なき自粛」による勝利

・・・・・2020・8・3~
「強制なき自粛」による成果と限界
 見えない未知の敵「新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)」に襲われたとき、われわれは生命をまもる戦い(PCR検査陽性で二週間)のプロセスとして「強制なき自粛」を選びました。4月7日から5月25日までの49日間の「緊急事態宣言」の期間を通じて、感染者一人ひとりを治癒しつつ「クラスター(集団感染)」を抑え込み、1000人以下(865人)という極少の犠牲者で収束を迎えることができました。これは他の後追いができない「日本方式」として国際的にも注目され、WHO(世界保健機関)をはじめとする海外の評価はインクレディブル(信じられない)・レベルであったようです。個々人が納得して耐えて得た成果であり、その成果は一人ひとりの国民がわが身に感じたところです。
 ところがその「強制なき自粛」ゆえの限界(亀裂)から、「コロナ余波」が東京都庁の足元の新宿・歌舞伎町の「夜の街」から若者によって発出することになりました。主因は店舗にではなく訪れた若者にあります。
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コロナ対策の国際シンボル都市・東京 
 コロナ対策のシンボルとしての東京都は、「第一波」では独自の感染予防で最後まで闘いぬきました。6月11日に「東京アラート」が解除され、さいごに残されていたキャバレーやライブハウスなども適切な感染予防策を前提に18日に解除されて休業要請をすべて終了しました。しかし先に収束を宣言していた韓国や中国での再燃が報告されており、都民は個人的な警戒(アラート)を解くわけにはいかなかったようです。
 東京都が「東京アラート」を解除したのは、おひざ元の新宿・歌舞伎町などで少数の感染発生がつづいても都民の納得した対応が得られてクラスターを抑えることができ、対応を引き受ける医療体制も整ったという状況判断があったということでしょう。
 コロナ禍による「東京崩壊」ともなればオピンピック中止が確定してしまいます。にもかかわらず「GoTo トラベル・キャンペーン」を強行し、国会を閉じたままの安倍内閣に、国民からはコロナ撲滅への「命がけ」の闘いの姿勢が見えないのです。「医療と経済の世界大戦」が叫ばれるさなかで、時々刻々、内外の情報を集めて討議し迅速で的確な指示を発するべき国の「戦略本部」が不在では闘いに勝てるわけがないのです。

・・・・2020・7・27~
「医療」重視のままでの「経済」との両立 

 対コロナ戦略は初期の「医療」重視のままで「医療」と「経済」の両立をはかる時期を迎えています。ところが安倍内閣の「GoTo トラベル・キャンペーン」は、観光にかかわる「経済」への優先策であって感染拡大を阻止する「医療」への配慮を欠いています。両立を指向するのではなく、阻害する要素のある対策を行おうとしているのです。7月23日からのありえたオリンピック4連休(7月24日が開会式予定日)での実施をだれが立案したにせよ、決定したのは政府です。直前になって東京は除外したものの地方への感染拡大は避けられないでしょう。アクセルとブレーキは同時に踏めません。それを承知のうえでのトラブル覚悟の実施ということになります。
 決定前の意見聴取の会議で、感染の少ない地域同士から始めるよう提案した県知事からの声は尊重されませんでした。いまや正解の施策は国よりもそれぞれの自治体にあるという事例として記録し記憶しておかねばなりません。
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性急すぎる「変わらない日常」への回帰
「医療」優先の初期の施策から「医療」を重視しつつ「経済」との両立を課題として政治が介入し出したあと、もとの「変わらない日常」へ性急に戻ろうとしていたのがテレビ画面ではなかったでしょうか。お笑いと食べものと若者ごのみのお笑番組のラインで、広告もそのままでつづけることで、制作者も常連出演者も早期の“コロナ収束”を印象づける演出をしていたように推察されます。
 闘いの前線で精いっぱい勤めつづけている「医療従事者の日常」に配慮した画面づくりに踏み込まず、「新しい生活様式」を考案し提案する「収束後の日常」づくりに番組内容を振りむける意欲もみせなかったのです。出ずっぱりの出演者のうちには出演をしばらく控えてもらいたいような人も見受けます。背後から経済活動再開への強い要請を受けており、コロナ撲滅ではなくと共存するという「ウイズコロナ」が時代の要請であることを見抜いたマスコミとしての対応だったのでしょうか。
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「医療と経済にかんする総力戦に
 見えない未知の敵「新型コロナウイルス」の襲来に対するわが国の撲滅作戦は、世界に類のない「強制なき自粛」でした。それによって「緊急事態宣言期間49日」と「犠牲者1000人以下」で収束を迎ええたことは、政府の要請に納得して耐えてきた日本国民の誇るべき成果でした。
 昨年11月中旬に中国・武漢に発出した「新型コロナウイルス」による感染症は、今年1月中には中国全土に、そのご東アジアやヨーロッパに拡散し、3月11日にはWHOが「パンデミック(世界的大流行)」との認識を発表しました。「医療と経済にかんする世界大戦」の勃発です。各国は国境を閉じるとともに地域を丸ごと封鎖する「ロックダウン(都市封鎖)」などの強制手段を用いて対処してきました。国の威信をかけた総力戦です。しかし日本だけはそれによらず、世界にまれな「強制なき自粛」という個々人の自覚をもとにしたプロセスによって闘いに臨んできたのです。
 これから海外から第二波がやってきます。とくにアメリカからの大津波に襲われます。「医療と経済」にかんする総力戦として迎え打つ覚悟が必要です。

近代の歴史と先人から学ぶもの
アメリカからは「新型経済クライシス」

・・・・2020・7・20~
「世界大戦」から託された闘い方
 わが国の「コロナ禍」対策についてここで確認しておきたいことがあります。
 ウイルスに対する国際的な知見を有する「専門家会議」による日また一日の対策提案と、日に夜を継いだ医療従事者のみなさんの献身的な活動と、そして何より国の主体者として「強制なき自粛」に応じて耐えた個々人の存在があります。衛生意識や国民性とともに命をまもる闘い方として、前世紀に犠牲者6000万人以上(新型コロナは50万人)を出した人間同士のいたましい世界大戦のあと、争いから命を守る国際的反省のシンボルとして敗戦国日本が託されて制定したといえる「平和と平等(非軍事・反差別)」の憲法が70年余にわたって養育してきた国民による「強制なき自粛」だったからです。4人にひとりの高齢者はわがこととして自粛を実行し実感していたはずです。
 この誇るべき成果を確認し、発信すべき日本政府とマスコミがその役割を果たしていないことは惜しむべきことなのです。その確認は若者も含めて共感し共有することにより、若者からの「感染余波」を抑制する強い防壁になったことでしょう。
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記憶すべき「国際高齢者年」のこと
 21世紀の国際的な潮流として平和をまもりつつ迎える「平和裏の高齢化」を見通して、国連は1999年を「国際高齢者年」(International Year of Older Persons)と設定し、10月1日を「国際高齢者デー」と定めて、新世紀には各国の高齢者が自立して「すべての世代のための社会をめざして」(towards a society for all ages)活動に立ち上がるよう呼びかけたのでした。
 国連の掲げた国際的な「高齢者のための五原則」は、「自立(independence)・参加(participation)・ケア(care)・自己実現(self-fulfilment)・尊厳(dignity)」です。世界最速で「高齢化」がすすんでいたわが国は、時の総務庁をフォーカルポイント(窓口機関)として対応して全国展開をしています。全国の自治体の関連事業は1083件に及び、民間団体を結集した高連協(高齢者年NGO連絡協議会、いま高齢社会NGO連携協議会)は、9月15日に「高齢者憲章」を発表し今にいたる活動の指針としています。
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20年間の「若者・女性時代」の果て
 1999年当時、みなさんはおいくつだったでしょうか。
 活動の中心を担ったのは福祉関連の団体・企業の60歳代(還暦期)の人びとでした。いま80歳代(米寿期)になり、なおお元気でこの国の「高齢化」のありようをみずからの人生のありようとして示しておられます。当時50歳代の働き手で「高齢化」にも「高齢者年」にも関心がなかった「団塊世代」の人びとがいまや70歳代(古希期)になっているのが現状です。
 そして20年間の「若者・女性化時代」がつづいて、テレビ画面にはスーツが似合うハンサム若手アンカーとスプライト系の美女アナが登用される「若者・女性化」の一方で、違和感がある熟年高齢出演者は画面に現れなくなりました。時代の姿を反映するはずのテレビ画面は、国際的「高齢化」社会とは逆行しているのです。
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10月1日は「国際高齢者デー」
 記念すべき「国際高齢者年」1999年10月1日には、「高齢者年全国大会」として東京厚生年金会館ホールで記念式典が開催されました。主催者を代表して挨拶をしたのはこの年の春に都知事に就任した石原慎太郎知事であり、記念講演をしたのが堀田力高連協代表でした。その後、石原さんは高齢社会問題に関心を示さず、いま曽野綾子さんと共著で『死という最後の未来』(幻冬舎)を発表して、「死」は虚無であり天国も地獄もないなどと個人的蘊蓄を語っていますが、高齢化社会には発言がありません。一方、堀田さんはさわやか福祉財団理事長(いま会長)としてこの20年、福祉の立場から「高齢化社会」形成の活動を継続してこられて、「地域包括支援センター」の設置と充実のあと、いままさに自治体の支え合いのしくみとなりつつある「地域支援コーディネーター」と「地域協議体」の設置と展開のために全国を走り回っておられます。
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第二波」の横流は「コロナ+経済」として
 先行各国の「コロナ対策」は「医療と経済」を両立させながら「第二波」にどう対処するかに移っていて、国境を閉ざして自国内の感染防止と経済活動の両立をめざしています。わが国も海外からの「第二波」の襲来にそなえて、その前にモノやしくみといった暮らしを支える「新しい生活様式」をどう形づくるかが議論され、「ウイズコロナ」の経済活動を「新しい日常」として組み込もうとしています。大規模な補正予算も組まれています。
 第二波については、「コロナウイルス第二波」にとどまらず、経済の横流を重ねて覚悟しておかなければならないのです。とくに海外からの大波はアメリカ発現の経済的横流としてやってきます。
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アメリカからの「新型経済クライシス」
「新型コロナウイルス」は中国から発出し、「新型経済クライシス」はアメリカから発出して世界に拡散しようとしています。今のまま「アメリカ・ファースト」のトランプ大統領による自国優先政策がつづけば、自国ばかりか世界経済を大混乱に陥れることになりかねません。間をおかずその大津波に襲われるのが日本の経済と社会です。
 反国際協調・自国優先という国際的環境の変化の下での歴史的悪夢「大恐慌」の再来すら想起させるのです。アメリカが歴史から学ぶことができず、再来を抑止する国際社会のしくみが不全ならば、歴史は繰り返すことになります。今はとくにアメリカでのコロナ対策と経済の経緯を注視しておく必要があるのです。その先ぶれとしてアメリカ産品の値上がりと現地日本企業へのと影響が起こります。海外からの大津波の襲来から住民をまもるために、各自治体は国に頼らずにそれぞれのやり方で身構えなくてはならないのです。

「高齢化対策」の片肺飛行がつづく
高齢者対策は成熟、高齢社会対策は半熟

・・・・2020・7・13~
「高齢化対策」の片肺飛行がつづく
 ここで高齢者の立場からその前提になる先人の配慮を共有しておきたいと思います。
「長寿をすべての国民が喜びの中で迎え、高齢者が安心して暮らすことのできる社会」(前文)をめざすとして、村山富市内閣が「高齢社会対策基本法」を制定したのが1995年11月でした。そして翌年の1996年7月には、橋本龍太郎内閣が中期目標としてなすべき事業を掲げた「高齢社会対策大綱」を閣議決定しています。新世紀を迎えるにあたって、1999年の「国際高齢者年」を前にして、国際的にみてもいいスタートを切ったのでした。
 その後「大綱」は5年ごとに見直されており、小泉純一郎内閣(2001年12月)、野田佳彦内閣(2012年9月)、安倍晋三内閣が2018年6月に改定しています。どの改定も有識者による検討会議の報告を受けて内閣府官僚が実務に当たってなすべき課題は繰り返して列挙されていますが、実現は先延ばしされてきたのです。
「基本法」「大綱」のスタート(歴史)地点からみると、20年、何もしないか間違った路に迷い入ってしまったかにしかみえないでしょう。 事業は「高齢者意識」「健康・福祉・年金」「家族形態」「就業・所得」「学習・社会参加」はもちろん「高齢者ネットワーク」「モノ・サービス」「居場所・通い場所」「住居」など生活環境、「移動」「ユニバーサルデザイン施設」「高齢化に特化した施設」などまちづくり・・など多岐にわたります。
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高齢者を功労者として温存し優遇

 高齢者側としてここで見落としていけないことは、「基本法」と「大綱」の制定当時は高齢者は支えられる被扶養者であり、「大綱」の実行者は政治の側であったということです。底流しているのは、戦後の企業戦士として働いて繁栄の時代をつくってきた功労者を慰労し敬意をもって生涯にわたって温存し優遇しようとする政治家や官僚や学者や関係者の「善意」であったということです。
 それゆえに国のなすべき「高齢化対策」事業はまず増えつづける高齢弱者に対する医療・介護・福祉・年金といった「高齢者対策(ケア)」が主となり、「大綱」に取り上げられた目標としての諸事業は進んでこなかったのです。まだ少数であった健常、健丈な高齢者に将来構想を伝えて「高齢社会対策(参加)」を共有できなかったことで「高齢化対策」は片肺飛行となりました。それが年々継続してゴムヒモを伸ばすような「+α」の対策に終始し、なすべき社会の基盤づくりがなされてこなかったゆえに「社会保障」財政だけが年々雪だるまのように赤字を拡大しつづけてきたのです。「赤い大雪だるま」など子どもの絵にも出てきません。
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「高齢者の温存」が「高齢者を軽視」に
 一人ひとりの高齢者は、長年にわたってみずから努めて培ってきた「健康」「知識」「技術」「経験」「人脈」「資産」をたいせつに保持して暮らしています。みずから努めてきて得たものですから、その総体は本人にしか分からないところです。外からは見えず、本人にしか知られない「熟練技術」や「専門知識」や独自の「構想」などは、多くは退職して「余生」を過ごすあいだに社会的に活かされることなく失われつづけているのです。20年を経て「基本法」にこめられた「先人温存」が、いつしか「若者・女性」優遇の時代に「先人軽視」になってしまいかねないのです。先人が蓄積してくれていたさまざまな余沢がコロナ禍で無くなってしまうということもあって。東京都の財政調整基金の例でもわかるように。
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高齢化対策の「基本法」と「大綱」から25年
 本稿が見据えてきた憂慮を繰り返しますが、わが国の「高齢化対策」には明らかな政治不在の経緯があり、「高齢者対策(ケア)」では長寿世界一にみるように欧米を越えるほどの成果をあげている一方で、独自の施策である「高齢社会対策(参加)」は手つかずといっても過言ではなく、「高齢化対策」は25年にわたってなお片肺飛行がつづいているのです。
 いまコロナとの闘いに勝つことは「生命の尊厳」の回復の証しです。その成否は政治の側にではなく国民の側4人にひとりの高齢者の側にあります。「コロナ弱者」とひとくくりされている高齢者が、暮らしの生活圏で自身の人生と重ねてどう立ち向かうかが問われているのです。
 一人ひとりが自分の命をまもる活動を通じてコロナ禍を乗り越えるとき、総体としてのジャパン・ミラクル(日本の奇跡)が可能になるのでしょう。次回はそれを論じてみたいのです。

アジア諸国の日本化と日本の途上国化
民衆の暮らしの豊かさに貢献

・・・・2020・7・6~
日本企業の海外活動への評価
「新しい生活様式」で必要とする日用品の調達は、国際的な自国優先の時代になれば、これまでのように海外の途上国に全面的に依存するわけにいかなくなります。そこで地域で必要とするものは地域にある中小企業や住民が保持している知識・技術を活かして地元でこしらえることになります。「マスク」はいうまでもありません。肌着だってくつ下だって電球だって電池だって、日用品は国産品のほうが優れていて、丈夫で長持ちで使っていて安心でした。前世紀の末に「列島総不況」の際に失った“内需”が復活する機運が、体に感じられるほどの地鳴りとして地域に戻ってきていることに気づきませんか。
 この国に高度成長をもたらした日本企業は、アジア途上諸国の民衆の暮らしの近代化(日本化、豊かさの共有)のために、ヒト・モノ・ノウハウ・資金を移出して海外展開してきたのです。その「百均時代」(日本ブランド製品の劣化と日本の途上国化)が終わろうとしているのです。現実に現地に出て苦労した末に赤字を負って戻ってきた企業にとってはこういう鳥瞰的歴史的表現は許されないのでしょうが、非軍事・反差別の平和・平等の憲法の趣意のもとで日本企業が成し遂げた事績は、21世紀初頭の東洋史に賛辞をもって記述されるでしょう。
 先へゆく前にここでひとこと、新世紀20年の日本企業の海外活動を褒めすぎでないよう評価しておきたいのです。
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日用品の「made in japan」製品で内需を復活
 ひるがえって今、日本の地域はどうあるべきなのでしょうか。「今ありうべき日常」として、前回、本稿が20年にわたってこの国の「高齢化(社会像)」を仔細に見据えてきた立場から、自治体に対してふたつの課題を要請としてあげました。
①日用品の「made in japan」製品による内需の復活
②みんなで支え合う「地域共生社会」(生活圏)の創成
です。「高齢化先行国」としてこのふたつの事業の成功プロセスは、のちに多くの中小国が後追いするモデル事例となり、後代の人びとからはこの時期になされた事業として熱く謝意をもって評価されるにちがいないのです。
 ここでは ①日用品の「made in japan」製品による内需の復活 のほうをまず取り上げさせていただきます。もちろん旧来のそのままではなく、意匠はニューモードに変え、こども・おとな・おとしより用に一品三種のコーディネートも取り入れて。製作者には有能な引退職員や引退社員の参加も得て、オール官民協働で立案して製品化することです。自治体同士が横比べで地域特性を競い合って展開することで、それが内需拡大の潮流をつくることになります。
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地域活動の主役としての中小企業
 日用品「made in japan」の新たな製品化で生産現場を引き受けるのはどこも同様に、地域ごとの中小企業の熟練高齢者と多様な知識・技術をもつ高齢者のみなさんです。国難ともいわれる「コロナ禍」のあとの「新生活様式」を支える各種の日用品、その製品化のための知識も技術も資金も意欲も人脈も持ち合わせている当事者として、地域活動の主役として住民から拍手で迎えられて登場する場面が訪れているのです。
 地元にあって何代もの家業を継いできた職人や商店主とともに、異なる分野の知識・技術をもつ高齢者仲間が5人、7人と集まって論議するところ。それが原点(泉眼)です。そこから湧き出る「モノ」や「サービス」の発想が地域の特色を活かした新産品への契機となり、住民が利用する地産地消の動きのなかから全国展開ができる特産品が出てくるでしょう。時代を画する「令和の和風開化」として「made in japan」製品の盛時を迎えることになるでしょう。それらは地域の後人にとっての資産となり、国難の「コロナ禍」で積み上げた負債を減らす「一億総活躍」の事業になるでしょう。能力があるのにこんな歴史的事業に加わらずに終わる人生では惜しまれます。
 地域の特性を活かした特産のブランド品を保持するためには、直接に担う職人や企業のたゆまぬ努力とともに、なによりそれを支える地元住民の日ごろの関心と支援を必要としています。みなさんに親しい全国版「地産ブランド品」が数多くありますが、築きあげてきたその伝統の上にさらに新たな特産品づくりが全国で展開されていくことになります。
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伝統をまもりつつ新展開する特産品
 将来への転回を想像・構想するために、ここで全国版「地産ブランド品」の例を少しあげてみましょう。(食品を除いて)
 北から南へ。アイヌ民芸品、津軽塗、津軽こぎん、南部鉄器、鳴子こけし、仙台たんす、曲げわっぱ、秋田八丈、紅花染、会津漆器、笠間焼、益子焼、結城つむぎ、日光彫、鹿沼土、桐生銘仙、藤岡瓦、川口鋳物、秩父銘仙、狭山茶、房州うちわ、黄八丈、鎌倉彫、小千谷紬、富山家庭薬、加賀友禅、九谷焼、輪島塗、越前竹人形、山梨ワイン、岐阜提灯、静岡茶、瀬戸焼、彦根仏壇、西陣織、京友禅、丹後ちりめん、清水焼、宇治茶、堺緞通、灘清酒、出雲石灯籠、備前焼、備後表、萩焼、赤間硯、阿波鏡台、今治タオル、博多人形、久留米がすり、八女茶、有田焼、伊万里焼、球磨焼酎、豊後表、大島紬、芭蕉布、沖縄泡盛・・。
 50点余を例として上げましたが、まだ限りなくありますが。酒・茶以外の食品除いたのは無視・軽視ではなくむしろ多様な変容を重要視しているからです。これらの製品が伝統をまもりつつさらに新たなどんな展開をしていくのか、これからどんな製品が全国征覇(世界制覇)にむけて勝ちあがってくるのか。そしてそれが国際的な評価をえて新たな特産品に育って、日本産輸出品「made in japan」として世界に知られ求められることになります。ものによっては初めから世界制覇をめざしているものもあるようです。
 日本の中小企業がもつ生命力・潜在力をかけた地域防衛の正念場といえます。それを支えるのは地域住民でありそれによって支えられるのは地域住民の暮らしです。すべての活動の基本は砦としての自治体が地域住民の暮らしの安心と安全をまもることにあります。
 すべてを国に頼ることはできません。賛同いただいたみなさんは、ご自身が暮らしている自治体のようすをよく知るとともに、ご友人や関係者にこの一章を転送してください。

「新しい生活様式」 
「今ありうべき日常」(社会像)について

・・・・・2020・6・29~
国際協調から自国優先への潮流
 このたびの「パンデミック(COVID19世界騒乱)」を機にして、変容する国際情勢を的確に見通し、近代の歴史からも正確に学んだ「新しい生活様式」について、国民から指針を求められて、どこの国の首脳も自国優先の立場で政治生命をかけて対応しています。
 わが国でも、暮らしぶりを緊急事態宣言の前にもどしながら「新しい日常」づくりが進んでいます。「コロナとの共存(ウイズコロナ)」である手洗い・マスク・三密忌避やソーシャル・ディスタンスといった直接的な行動は、他国に例をみない“強制のない自粛”に応じて耐えてきた個々人として身につけたとしても、これから迫ってくる国際情勢(国際協調から自国優先への潮流、とくにアメリカから)による影響を受け入れながら、みずからと家族の命と日々の暮らしを守るためにどう「新しい生活様式」を予測し納得し構築していくかには未知の道に踏み込むような不安があります。
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全面解除後はじめての週末の人出
 わが国の安倍首相は、営業自粛の全面解除に当たって、「コロナ禍」を100年に一度の国難と位置づけて、新たな社会像・国家像を大胆に示すと声高に語りかけましたが、緊急事態に対してみずからの命がけの指針を示しませんでした。国民として政府の指針をどこまで信頼していいものか、政府の対策が「布マスク(アベノマスク)」で明らかなように、命を守るためには頼りにならないことを国民は骨に刻み心に銘じてしまいましたから。全面解除後はじめての週末には全国で60~70%ほどの人出がもどり、だれもが久しぶりの解放感にひたりましたが、これが束の間の日差しであることを予感している人びとは少なくありません。
 感染予防のマスクにしても、本来であればそれぞれの自治体に訴えて、地元で暮らしている高齢者のみなさんに手作りをお願いすれば、地元で必要とするほどの枚数はすみやかに確保できたでしょう。独自に遠慮がちにすすめている自治体があるようですが、いまや自治体こそが住民の命を守る砦として、確固とした方針を示して先導すべきときなのです。
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 今世紀20年不在の「高齢化」社会
 以下のふたつの課題は、1999年の「国際高齢者年」(ご存じでしたか?)以来、本稿が今世紀に入って20年、国際的に先行するこの国の「高齢化」(社会像)を仔細に見据えてきた立場から、住民の命を守る砦として自治体に期待する「今ありうべき日常」なのです。
 ① 日用品の「made in japan」製品による内需の復活
 ② みんなで支え合う「地域共生社会」(生活圏)の創成
です。サプライズではなく、20年の欠落を納得していただければいいのです。
 このつかず離れずの関係にあるふたつの課題のプロセスを「高齢化先行国」として成功させることができれば、必ずのちに多くの中小国が後追いするモデル事例となり、後代の人びとからはこの時期になされた国民的事業として熱く厚い謝意をもって評価されるにちがいありません。
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国難に立ち向かう自治体
このたびの国難に立ち向かうのは、国ではなく自治体であることは明白です。自治体にあって上のふたつの課題を成し遂げる当事者は、各地各界の中小企業の生産現場にいる高齢熟練技術者(職人)であり、各自治体の関係部課にいる現役職員と先輩職員のみなさんです。ここから心をこめて熱い檄(エール)を送らせていただきます。
 そして緊急宣言期間49日間を「コロナ弱者」として一括して社会参加を閉ざされて過ごしていた健常で健丈な高齢者のみなさんにも。
 高齢者のみなさんに決して無理は申しておりません。これまでも「毎日が日曜日」(引退余生の老人)ではなしに「日曜は一日だけ」(現役長生の本稿の丈人)として活動されている健常で健丈なみなさんがおりますから。くれぐれも医療・介護を受けている人やフレイル(日常生活に支障がある)状態にある人、自己実現にひたすらな人、定年で社会参加は終わりであとは余生と決めて過ごしている人・・それぞれにそのままでご随意に。
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ありえた「(仮)全国高齢者協議体」
 健常で健丈な高齢者を自負するみなさんはこんな情景を思ってみてください。
 年々増えつづけて全国3580万人(65歳+)に達した高齢者。いまや4人にひとりの「高年世代」(青少年世代~30歳。中年世代~60歳とともに三世代)を形成しています。そのうち健常で健丈なみなさんが7~8割、半数の人が働いているか何らかの社会活動をしています。ですから生活圏で100人にひとり全国で30万人ほどが知識や技術や経験を活かして支え合いや地産品製作のリーダーとして生涯現役で活躍しているといっていいすぎではないでしょう。それに重ねて自治体で1000人にひとりが高齢者代表として「(仮)全国高齢者協議体」といった全国組織を形成していたら、いまや3万人余の代表がそれぞれの自治体に属して全国で活躍していることになります。
 その形成の機会は確かにありました。新世紀はじめの「市町村合併協議」に際してです。まことにまことに残念ながら、「少子高齢化」は重要課題でしたが、”支え手の高齢者”が活躍する社会(これこそが高齢化社会)は議論されませんでした。市町村合併時にあった3200余の自治体から自薦・他薦で代表を送って組織化して、全国各地で高齢者の存在感を担って立っている。組織の形についてはさまざまありえますが、もっとも単純な形としてそれでよかったのです。
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「高齢社会対策担当大臣」の無策連鎖
 この「高齢化」を見据えた組織(高齢化の見える化)の不在は、明らかに政治リーダーと官僚の構想力のなさゆえであり、今あるべきでない結果を生んでいるのです。この不在の責任は、1999年「国際高齢者年」のあと小泉首相から七年七相期を含めて安倍首相までの政治リーダーである歴代首相にあり、直接的には歴代の「高齢社会対策担当大臣」の無策連鎖の結果であることに疑いの余地はありません。政界の「世代交代」のトルネード(竜巻)のなかで「多岐亡羊」というべきか、探す羊(正解)のいない路を選んでしまったのです。
「(仮)全国高齢者協議体」のもとで、増えつづける健常で健丈な高齢者によるさまざまな活動が進んでいたら、「毎日が日曜日」という高齢者への揶揄も「生涯年金」2000万円不足という事態も起こらなかったでしょう。この高齢者代表の組織の不在が、いままさに各自治体ですすんでいる「地域支援コーディネーター」や「地域協議体」の成立をむずかしくしているのです。その成立をしっかり支えながらリードしていく高齢者代表の存在。1000人にひとりの大丈夫(人生100年を生きる気概と風格をもつ男性)、女性なら「だいじょうぶ?」「だいじょうぶ!」という心優しい激励が似合う方々が、全国各地に3万人いたらどうだったでしょう・・。

「新しい生活様式」の構築 
地域を支える健丈な高齢者が動くとき

・・・・・2020・6・22~
ジャパン・ミラクルでの収束
 ヒトの命を奪うことも、ひとつの市を封鎖(ロックダウン)させることも、国境を閉じさせることも、そして人類を滅亡させることすらできる“見えざる敵対者”。
 それが人間ではなく見えざる「コロナウイルス(COVID19)」であることを、わたしたちはそれぞれの命への対策(感染防止)をつうじて知りました。ひとりの人間として、そして住民として、市民として、国民としても。  都市としての東京都は感染予防で最後まで闘いぬきました。6月11日に「東京アラート」が解除されて、12日から都内のカラオケ、ネットカフェ、パチンコ店、ゲームセンターなどが営業を再開、さらに残されたキャバレーやライブハウスなども適切な感染予防策を前提に18日に解除、19日には全面的にコロナ感染予防のための休業要請は終了しました。
 しかし先に収束に成功していたはずの韓国や中国で「第二波」が発生しており、個人的な警戒(アラート)を解くわけにはいかないようです。
 ここで突発災害であった「コロナ禍」についてもう一度確認しておきたいこと。
 国際的な知見を有する専門家会議による日また一日の対策提案と、日に夜を継いだ医療従事者のみなさんの献身的な活動と、何より「東京プロセス」を柱軸とする“非強制の自粛に応じて耐えた個々人の存在。それらがなくしては7週間・49日での全面解除はありえなかったでしょうし、全国で極少の1000人以下という犠牲者での収束はありえなかったでしょう。
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「今ありうべき日常」(社会像)について
 このたびの「パンデミック(COVID19世界動乱)」を機に、暮らしぶりを緊急事態宣言前にもどしながらの「新しい日常」づくりが進んでいます。が、「コロナとの共存(ウイズコロナ)」である手洗い・マスク・三密忌避やソーシャル・ディスタンスなどといった対策に終わることなく、これから迫ってくる国際情勢(国際協調から一国優先への潮流の変化)を見通して、暮らしを守るために「新しい生活様式」を構想し構築していく必要があるのではないでしょうか。以下のふたつの課題は、本稿が20年にわたってこの国の「高齢化」を仔細に見据えてきた立場からの「今ありうべき日常」(社会像)なのです。
 ① 日用品の「純正made in japan」製品による内需復活
 ② 地域のみんなで支え合う「地域共生社会」(生活圏)の創成
です。このふたつのプロセスを成功させることによってのちに多数の中小国のモデル事例になりうるものなのです。そして後代の人びとからはこの時期になされるべき事業なのです。
 ここで声量をあげて、そのさきがけとなる各地各界の中小企業の生産現場と自治体の関係部課にいるみなさんに檄(エール)を送っておきましょう。そして緊急宣言期間49日間を「コロナ弱者」として一括されて過ごしていた高齢者層のみなさんにも。
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「日曜は一日だけ」として社会参加
 ご無理はいいません。「毎日が日曜日」ではなしに「日曜は一日だけ」として社会参加で活動されている健常で健丈なみなさん(本稿の「現役長生」である昭和丈人層。100人にひとりで30万人)で十分なのです。医療・介護を受けている人やフレイル(日常生活に支障がある)状態にある人、自己実現にひたすらな人、定年で社会参加は終わりあとは「引退余生」と決めて過ごしている人・・それぞれにご随意に。
 100年に一度の国難といい、新たな社会像・国家像を示すと安倍首相にいわれても、政府の指針をどこまで信頼できるのでしょう。変容する国際情勢に的確に対応し、近代の歴史からも正確に学んだうえでの「新しい生活様式」について、各国の首脳は自国優先の立場で政治生命をかけて対応しているのです。わが国はの政府の対策が頼りにならないことは、「布マスク(アベノマスク)」で明らかです。
 マスクにしても本来であれば、それぞれの自治体が地元で暮らしている高齢者のみなさんに手作りを要請すれば、地元で必要とするほどの枚数はすみやかに確保できたでしょう。独自に遠慮がちにすすめている自治体があるようですが、いまや自治体こそが住民の命を守る確固とした方針を示して先導すべきときなのです。自国優先の時代の潮流のなかで、国是としての「国際潮流」をまもるには、国民が住民として暮らす地域で、みんなで支え合う「共生社会」をこしらえなければならないにです。
 そのためにはとくに高齢者住民のうちの1000人にひとり(全国で3万人余。合併前の3200自治体でそれぞれ10人ほど)の”大丈夫”を自負するみなさんが、自治体の「地域支援コーディネーター」や「地域協議体」をしっかり支えながら、前記のふたつの課題の達成をめざすこと。男性には大丈夫としての気概と風格を求めますが、女性なら「だいじょうぶ?」「だいじょうぶ!」と心優しい激励が似合う方々も同志です。
 ここで一息いれて、住民としての、市民としてのご自分の姿を実装してみてください。

日用品の「made in japan」製品への復活
多様な知識・技術をもつ高齢者層が担う

・・・・2020・6・15~
「地域協議体」の新しい連帯感
 政権の中枢に本当の「一億総活躍」への構想力がないために広く知られないのですが、ここ数年のあいだに自治体ごとに住民主導で「地域支援コーディネーター」と「地域協議体」が設置されています。ご自分がその推進メンバーである方もいるでしょうが、ご存知なければ確認してほしい。設置と展開に遅速を生じているのは、相も変わらぬタテ割行政と煩雑な内部手続きのためで、地域が保持する潜在力を横比べで活かせないのです。住民が必要とするモノやサービスをみんなで整えて支え合うしくみとして、既存の組織とともに動き出しているのです。支え合って担えるしごとは多岐にわたっています。
「コロナ用マスク」ばかりか住民が「新しい生活様式」で必要とする日用品の調達は、これまでのように海外の途上国に全面的に依存するわけにいかなくなります。そこで地域で必要とするものは地域住民や地元企業が保持している知識・技術を活かしてこしらえること。前世紀末の「列島総不況」の際に失った“内需復興”の機運が地域に戻ってきていることに地域ごとに注目すべきなのです。
 アジア地域の途上諸国の民衆の暮らしの近代化(日本化)のために、ヒト・モノ・ノウハウ・資金を海外展開してきた「百均時代」(日本ブランド製品の劣化。日本の途上国化)が終わろうとしているのです。現実に現地で労苦した末に赤字を負って戻った企業にはこういう鳥瞰的歴史的表現はゆるせないでしょうが、かつて先人が武力をかざして遂行しようとした事業を、非軍事・反差別の平和・平等の趣意のもとで成し遂げた日本の事績は、21世紀初頭の東洋史に特記されるでしょう。
 ひるがえって日本の地域での課題は、かつての丈夫で長持ちする優れた日用品「純正made in japan」製品の地産地消化による内需の復活です。官民協働(引退職員も引退社員も参加)で企画立案して、自治体同士が横比べで地域特性を競って展開する時期にあるのです。
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国際潮流の変化を先取り
 日用品の「純正made in japan」製品化は、国際協調から一国優先への国際潮流の変化を先取りする地域現場での最重要な対応です。このたびの内需復活をさきがけとして生産を引き受けるのは地域ごとの中小企業の現場の熟練高齢者と多様な知識・技術をもつ高齢者層のみなさんです。日用品「純正made in japan」製品のための知識も技術も資金も意欲も人脈も持ち合わせている当事者として、地域活動の主役として登場する場面が訪れているのです。
 まずは自分たちが暮らしやすい「地域生活圏」づくりに仲間とともに潜在力を活かすチャンスなのです。地元にあって何代もの家業を継いできた職人や商店主とともに、異なる分野の知識・技術をもつ高齢者仲間が3人、5人と集まって話し合うところ。それが原点(泉眼)です。そこから発想される「モノ」や「サービス」が地域の特色を活かした新産物への契機になり、そのなかから全国展開ができる特産品が出てくるでしょう。それらは地域の後人にとっての資産となり、コロナ禍で積み上げた負債を減らす歴史的事業になるでしょう。そのうえで青少年・中年・高年の三世代の合議による「まちおこし」事業が展開されることになります。
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「高齢者のための五原則」
 国連は21世紀の潮流として平和をまもりつつ迎える「高齢化」を見通して、1999年を「国際高齢者年」(International Year of Older Persons)とし、10月1日を「国際高齢者デー」と定めて、高齢者が自立して「すべての世代のための社会をめざして」活動に立ち上がるよう呼びかけたのでした。国連の掲げた国際的な「高齢者のための五原則」は「自立(independence)・参加(participation)・ケア(care)・自己実現(self-fulfilment)・尊厳(dignity)」です。
 世界最速で「高齢化」がすすんでいたわが国は、総務庁をフォーカルポイント(窓口機関)として対応して全国展開をしています。全国の自治体の関連事業は1083件に及び、民間団体を結集した高連協(高齢者年NGO連携協議会、現在の高齢社会NGO連携協議会)は9月15日に「高齢者憲章」を発表し今にいたる活動の指針としています。当時、活動の中心を担ったのは福祉関連の団体・企業の60歳代の人びとでした。いま80歳代になり、当時50歳代の働き盛りで「高齢者年」に関心がなかった団塊世代の人びとがいまや70歳代になっているのが現状です。
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海外でコロナ再発がつづく
 コロナ以後に備えるためには、何よりも海外からの第二波(とくにアメリカ発現の経済的横流)の時期に対応する地域社会の安定が最優先課題です。そのためには「地域支援コーディネーター」と「地域協議体」の活動が核芯になります。一人ひとりのアクティブ・シニア(健丈な高齢者層。日曜は毎日ではなく一日だけに)が知識・技術・経験を活かして、青少年(成長期)や中年(成熟期)とともに円熟期にある高年者として「地域共生社会」の形成に参加するとき、その総体が「日本高齢化社会(三世代平等長寿社会)」形成の姿となり、国際的にも先行する「高齢化」のモデル事例となりうるものなのです。コロナ後のこの好機を活かせなければ、日本の「高齢化」事業は、「高齢者対策」としては成果を残しながら「高齢社会対策」には渋滞し失墜するという片肺飛行をなおつづけることになります。
 6月11日に「東京アラート」が解除されて、12日から都内のカラオケ、ネットカフェ、パチンコ店、ゲームセンターなどが営業を再開、残されたキャバレーやライブハウスなども適切な感染予防策を前提に18日に解除を決定、全面的にコロナ感染予防の休業要請は終了します。しかし収束に成功していた韓国や中国で再発しており、個人的な警戒(アラート)を解くわけにはいかないようです。

「緊急事態宣言」の収束 3
「コロナ弱者」の高齢者が動くとき

・・・・2020・6・8~
地域の安定と活性化に動く
 100年に一度の国難といいながら、新しい国際情勢に見合い、歴史を変える「新しい生活様式」についての政府の指針や対策が頼りにならないことは、「布マスク(アベノマスク)」で明らかです。
「コロナ用マスク」ばかりか「新しい生活様式」で必要とする日用品の調達は、これまでのように海外の途上国に全面的に依存するわけにいかなくなります。地域で必要とするものは地域住民や中小企業が保持している知識・技術を活かしてこしらえること。・・
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20年前の1999年に始まって
 国連は21世紀の潮流として平和をまもりつつ迎える「高齢化」を見通して、1999年を「国際高齢者年」(International Year of Older Persons)とし、10月1日を「国際高齢者デー」と定めて、高齢者が自立して「すべての世代のための社会をめざして」活動に立ち上がるよう呼びかけたのでした。国連の掲げた国際的な「高齢者のための五原則」は「自立(independence)・参加(participation)・ケア(care)・自己実現(self-fulfilment)・尊厳(dignity)」です。・・
 世界最速で「高齢化」がすすんでいたわが国は、総務庁をフォーカルポイント(窓口機関)
 コロナ以後に備えるためには、なによりも一国優先主義に対応する地域社会の安定が優先課題です。そのためには「地域協議体」の設置と活動が核になります。一人ひとりのアクティブ・シニア(本稿の丈人層)が知識・技術・経験を活かして「地域共生社会」の形成に参加するとき、その総体が「日本高齢化社会(三世代平等長寿社会)」の姿であり、国際的にも先行する「高齢化」のモデル事例となりうるのです。2020・6・8

「緊急事態宣言」の収束 2 
世界にまれな極少の「コロナ犠牲者」

・・・・2020・6・1~
都心の街頭に人群れがもどる
 都心の街頭に人群れが戻ってきましたが、みなマスク姿です。ウイルスが街のどこかに潜んでいるという警戒感は解いていないようです。密にならざるをえない満員電車での通勤は心配にちがいありません。
 ひとりのヒトの命を奪うことも、ひとつの市を封鎖させることも、国境を閉ざさせることも、人類を滅亡させることすらできる“見えざる敵対者”、それが人間ではなく「コロナウイルスCOVID(19)」であることを、わたしたちはそれぞれの対策(闘い)をつうじて知りました。ひとりの人間として住民として市民としてそして国民としても。
 ここでもう一度確認しておきたいこと。国際的な知見を有する専門家会議による日また一日の対策提案と、日に夜を継いだ医療従事者のみなさんの献身的な活動と、「東京プロセス」を軸とする“非強制の自粛”に応じて耐えた個々人の存在。それらなくしては7週間・49日での全面解除はありえなかったでしょうし、1000人以下の犠牲者での収束はありえなかったことでしょう。WHOをはじめとする海外からの評価はインクレディブル(信じられない)・レベルであったようです。きょう東京で30人をこえる感染者が発生して「東京アラート」が発令されましたが、都民は十分に納得できる対応を見せてくれるでしょう。
 ここまでの経緯の「ジャパン・ミラクル(日本の奇跡)」といっていい成果の要因として、高い衛生意識や国民性とともに他に例をみない「平和と平等(非軍事・反格差)」の憲法のもとで養育された日本国民の存在を特記しておかねばならないでしょう。コロナ感染の発現地中国・武漢市の1000万全市民へのPCR検査実施という現実との対比において。
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”内需復興”へのチャンスとして 
「新しい日常」についての国の指針や対策が頼りにならないことは「布マスク(アベノマスク)」で明らかです。安倍政権がわたしたちの暮らしの実情に疎いことは、ウイルス対策の「布マスク」にかんして各戸2枚配布(費用466億円+検査費用)という発想しか持ちえなかったことに現れています。論外であり残念なことです。
 本来であれば、それぞれの自治体が地元で静かに暮らしている高齢のみなさんに手作りをお願いすれば、地元で必要とするほどの枚数はすみやかに確保できたでしょう。政権の周辺に熱意がないために広く知られていないのですが、ここ数年の間に自治体ごとに住民主導で形成されている「地域支援コーディネーター」や「地域協議体」が担えるしごとなのです。なぜ任せることができないのか。相も変わらずのタテ割行政で地域が保持する潜在力を活かせないのです。
「コロナ用マスク」にかぎらず、ほかにも「新しい生活様式」で必要とする日用品の調達は、これまでのように海外の途上国に全面的に依存するのではなく、地域の住民や中小企業が確保している知識・技術を活かしてこしらえること、前世紀末の「列島大不況」で失った“内需復興”の機運が戻ってきていることに注目すべきです。
 ここは、社の存続をかけて利益を求めて海外に出ていき現地で労苦した末に赤字で戻ってきた企業の立場からはいえないところですが、アジア開発途上国の民衆の暮らしを近代化(日本化)するために、ヒト・モノ・ノウハウ・資金を提供してきた数十年をへて、「百均時代」(安かろう悪かろうの日本製品の劣化。日本の途上国化)が終わろうとしているのです。かつての丈夫で長持ちする優れた日用品(純正のmade in japan製品)の地産地消化を官民協働で摸索して、自治体が横比べで競って進める時期にあるのです。アジア地域の近代化という歴史的課題を、軍事力をかざさずに「平和と平等」を推進力としてなしとげたわが国企業の経済的貢献は21世紀の成果として歴史に記されるでしょう。
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自治体ごとの「地域協議体」を活動の芯に
 どれほどの高年の人びとの賛同を得られるかはわかりませんが、このたびの”内需復興”のためのしごとを引き受けるのは、引退余生で“温存”されて「毎日が日曜日」といわれてきた高年者層のみなさんです。医療介護を受けている人や日常生活に支障が出はじめているフレイル期にある「高齢弱者」を除いた健常なみなさんには、高齢ゆえに「コロナ弱者」とされて現実社会から遠ざけられながら過ごしていた期間、時間にも意欲にも余裕があることを確認していたにちがいありません。やっと主役で登場できる場面になったのです。丈夫で長持ちする優れた日用品(純正のmade in japan製品)の地産地消化のための知識も技術も資金も意欲も持ち合わせている「高年世代」のみんなが暮らしやすい「地域共生社会」づくりにその潜在力を活かすチャンスなのです。それは地域の後人のために社会的資産を残し積み上げた負債を減らす歴史的事業になるでしょう。
 各自治体の「地域協議体」(支え合い会議)は、そのために立ち上がった新たなしくみであり、この活動の芯となって住民の潜在力を動員して、地域の特徴を活かした地域にふさわしい「新しい生活様式」のモノとしくみを形づくっていく役割を担っているのです。その活動のなかで人生の自己実現を果たして存在感を示していくのが、アクティブ・シニア(本稿の昭和丈人層)のみなさんです。仲間みんなで参加して一歩を踏み出せばいいのです。それが総体として「コロナ第二波」対策でのジャパン・ミラクル(日本の奇跡)の達成となるのです。2020・6・1

緊急事態宣言」の収束 1
高年世代と「新しい生活様式」

・・・・2020・5・25~
「非常事態宣言」が全面解除
 5月25日、未知の「コロナウイルス」感染に対する国の「非常事態宣言」は、首都圏・北海道を最後に全面解除されました。4月7日に始まった“見えない人類の敵”との闘いは、7週間・49日にしてひとまず休戦状態になりました。第二波を予見する医療・研究者の側から「 ウイルスとの共生(共存)」という表現がなされています。医療の実態としては正確なのでしょうが、犠牲者を出した国民の立場からすれば違和感をぬぐえません。先陣で闘うとくにファイテングポーズが必要な政治家においておやです。闘いは闘いとして継続しているのです。
  前回に記したことのまとめですが、「パンデミック(世界大流行)」の最中にわが国は「東京プロセス」をモデルとする他国に例をみない対処法、日また一日の“非強制の自粛”をつうじて収束にこぎつけました。何よりも犠牲者を1000人以下の極少にとどめたジャパン・ミラクル(日本の奇跡)として、WHOをふくめて海外で評価されています。これは日本人の衛生意識の高さと国民性の現れとして説明されていますが、70年余にわたって「平和と平等」(非軍事・反差別)の憲法をかかげて養育してきた一人ひとりの生命と人生の尊厳を認め合う国民があって可能な手法なのです。あってもそういう評価が聞こえてこないのは、あって当然の日本自身にその意識が希薄なせいでしょう。
・・・・・・・・・・・
経済的横流がアメリカから襲
「コロナ騒乱」は各国とも第二波にどう対処するかの課題に移っています。わが国も第二波の襲来を前提にして、モノやしくみといった暮らしを支える「新しい生活様式」を国内でどう形づくるかが議論され、第二波に対する第二次の補正予算が組まれています。
 第二波については、国内での「コロナ第二波」にとどまらず、海外からの到来が懸念されています。第二波としてわが国を襲うのはアメリカ発現の横流です。それは「新型経済クライシス(恐慌)」を憶測させます。反国際協調・一国優先という国際環境下での歴史的悪夢「大恐慌」の再来を想起させるのです。アメリカは歴史から学ぶことができず、歴史を繰り返すのではないか。今はとくにアメリカでの経緯を注視しておく必要があるのです。一国優先「アメリカ・ファースト」の大統領トランプによるコロナ対策は、自国ばかりか世界経済を大混乱に陥れることになりかねません。時をおかずその津波に襲われるのが日本経済です。危惧が杞憂であればそれでよしとして、すでに自分だけは安全な丘の上に避難しおえている指導者がいることは知っておいたほうがいいでしょう。
・・・・・・・・・・・
「新しい生活様式」に高年世代が参加
 日本政府の「100年に一度」という第二次補正予算の“大盤振る舞い”からその危惧を察知しておかなければなりません。危惧が杞憂でおわればよし。そこまでの海外からの横流到来がなくてすんだとしても、おおかたは復旧への予算出動であり、「第二波」の防備となる「新しい生活様式」の構築へむかっていない(構想がない)ことで、後人への負債を積む”失政”となることは避けられないでしょう。
 これ以上に後人の負担を増やさないためには、どうすればいいのか。「第二波」の防備となる「新しい生活様式」の構築には、どうすればいいのか。国際的な一国優先の大津波は必ずやってきます。それに耐えうる「新しい生活様式」をそれぞれの地域主導で構想して実現せねばならないのです。次回に詳しく述べますが、20年の考察を経た結論から申せば、それぞれの地域の特徴を活かした生活圏の創出、暮らしをともにしている地域の三世代のみんながすごしていける「地域共生社会」をこしらえることにあります。世界で初めて史上で初めて成立している「高年世代」えお中心として、ジャパン・ミラクル(日本の奇跡)を創出せねばならないのです。(止)2020・5・25

「 緊急事態宣言」のもとで 4
「コロナ第二波」と「新しい生活様式」

・・・・2020・5・18~
日本独自の「パンデミック」対応 
 中国発現の「新型コロナウイルス・パンデミック(世界大流行)」。これに対してわが国は「東京プロセス」を代表とする他に例をみない日また一日の”非強制の自粛”をつうじて、ひとまず成功のうちに収束にこぎつけようとしています。何よりも死者を極少にとどめたジャパン・ミラクル(日本の奇跡・1000人以下)として。
 国際レベルの知見を有する専門家会議の仔細で正確な判断と医療従事者のみなさんの命がけの献身的な作業があったればこそと特記しておかなければならないでしょう。拍手でもって讃えましょう。
 これは日本人の良き国民性の現れと説明されていますが、それとともに70年余にわたって「平和と平等」(非軍事・反差別)の憲法をかかげて養育してきた国民があって可能な手法なのです。このままスムーズに「東京オリンピック・パラリンピック」開催につなげられれば、わが国の「国際協調」は世界に冠たる”純金の金メダル”に値するものとなるでしょう。そうなることをだれもが望んでいるのですが・・。
「コロナ騒乱」は各国のウイルス閉じ込めによって凪のときを迎えており、各国とも「第二波」のクラスターを押さえた後にどう対処するか、次の課題に移っています。「第二波」の到来を前提にした暮らしを支えるモノやしくみといった「新しい生活様式」を国内でどう形づくるかが問われています。
「新しい生活様式」は、三密を避けたり、ソーシャル・ディスタンスを取り入れたり、マスクや手洗いといったウイルス対策で済むことではないのです。国内の楽観的な希望に反して、反国際協調・一国優先という国際的横流が襲ってくることを想定せねばならないからです。国の「緊急事態宣言」の全面解除後はやれやれといったひとしきりの凪であり、元の暮らしにもどれるという安易な収束にはならない状況をみておく必要があるのです。(「断雨残雲」、なお暗雲が垂れ込めている憶測を含みます)
・・・・・・・・・・・
第二波は「新型経済クライシス(恐慌)」
 これもまたわが国が発現地ではありません。第二波としてわが国を襲うのはアメリカ発現の横流です。アメリカでの経緯を注視しておく必要があるのです。
 憶測は「新型経済クライシス(恐慌)」です。
 一国優先の「アメリカ・ファースト」のトランプ政権による自粛対策は、中国敵視を強めながら国内の経済活動を縮小化し弱体化して失業者を溢れさせます。その結果、自国ばかりか世界経済を大混乱に陥れることになりかねません。時をおかずその津波に襲われる日本経済への影響はどうなのか? 細部の論立ては専門の方にお願いしますが、歴史は衣装を替えた二流役者によって繰り返されようとしているのです。その兆候はWHO総会に表出されています。
 杞憂ですむならば、よし。わが国は「緊急事態宣言」の全面解除とともに晴れて自粛から解放されて「東京オリンピック・パラリンピック」への準備も再開されるでしょう。「コロナ第二波」としてこういう国際動向も見据えたうえで、どう「新しい生活様式」に取り組むのか、「コロナ弱者」として静観してきた四人にひとりの「高年世代」、われわれの課題でもあるのです。
 1999年の「国際高齢者年」以来、この20年の「高齢化」の動向を見据えてきた本会や同様の視座をもつ団体や個人にとっては、いよいよ来たぞと身構えればいいことですが、安倍政権下で豊かさにまみれて遊び戯れてきた人びとにとっては「晴天霹靂」に感じられるにちがいありません。
「高年世代」のわれわれは、現役世代のようにコロナ感染直前の暮らしに戻ろうとするのではなく、列島総不況になる前の「一億総中流」といわれた全国1万4000か所の商店街が賑わっていたころにまで遡って、何を失ってきたのかを、「新しい生活様式」のモノとしくみを模索するきっかけにする必要があるのです。みずからが現役だったころの街のようすを想いかえしてみてください。 ここからは「雨過天青」、地域での安定した暮らしの構築を提案いたします。 2020・5・18

「現役学生」であるきみたちに
偏務である「非軍事平和」の継承を望む

・・・・2020・5・11~
「戦禍」を世代伝承しなくては
 憲法論議は若い世代が憲法成立の経緯を知り、その国際性と偏務性を活かす意識と行動を先人から引き継ぐ機会とすること。70年余り「非軍事平和」を守りつづけてきた「戦禍」を知る先人から「戦禍」を世代伝承しなくては、「平和」しか知らない世代としてこの国の「平和」を保持しつづけることがむずかしいからです。20世紀の「戦禍」を21世紀の「平和」につなげるために、平和の証として長寿人生を享受している「戦後世代(本稿の平和団塊)」のみなさんがその任に当たることになるでしょう。
 漢語の「現役」の原義は兵役に服していること、軍務についている人のことです。ですから「現役の学生」「現役の会社員」「生涯現役」といえば兵役にかかわっている学生、会社員、高齢者のことを意味します。ただし「非軍事平和国家」であるわが国では、「平和の国づくり」に積極的にかかわっている人びとの意味になります。世界大戦の戦禍のあと、歴史の反省としてわが国が国際的に託された偏務事業が「非軍事平和国家」の創出でした。この偏務としての「平和国家づくり」ゆえに兵役がない日本では「現役」の意味合いが異なるのです。
・・・・・・・・・・・
自主的に「公役」を選ぶ
 青年時に国家・国土・国民のありようを知る「兵役」に符合するのが「公役」です。「兵役」義務のない国の青年が、成年を前にした一時期、平和裏に国を守る意識を共有するために男性はおもに地域・災害のために、女性はおもに介護・福祉の活動をすることで、国家・国土・国民のありようを体験しておくことは「緊急事態(国難)」に対処する国家保持の義務(教育)の一環としてあっていいでしょう。
 こういう「現役としての学生」として、きみたちは国際的に稀有な「非軍事平和国家」の学生として、自主的に「公役」のプロセスを選んでもいいのです。次世代にこういう準備があれば憲法に「緊急事態条項」など不要でしょう。ましてや「九条」に自衛隊を書き加えるということは、世界史のなかの日本の21世紀の役割と輝きを抹消してしまうほどの暴挙なのです。2019・9・3~2020・5・9

「緊急事態宣言」のもとで 3
「東京プロセス」をジャパン・ミラクルに

・・・・2020・5・4~
国境を閉ざして国ごとに対応 
 1月に中国武漢に発現して全世界に広がった「新型コロナウイルス感染」。各国は国境を閉ざして時期を異にしながら「パンデミック(世界大流行)」を迎えたあと、国ごとに異なった対応で防御作戦・出口作戦を展開しています。すでに中国、韓国、ニュージーランドなどは自粛解除の出口に達し、万余の死者を出したヨーロッパ諸国も2次感染を憂慮しながらも自粛を解いています。7万人を超える犠牲者を出したアメリカと日本(死者600人余)が先が見えない警戒地域と解除地域とをかかえながら推移しています。
 日本の場合、特定警戒地域である13都道府県のうち、なかでも「東京プロセス」の成否がすべての評価につながります。その渦中で目立たず騒がずに73回目の「憲法記念日」を迎えましたが、「日本国憲法」がもつ国際性と偏務性の評価が今回の自主民主によるコロナ感染自粛に込められていることを見落とすわけにはいかないのです。ジャパン・ミラクル(日本の奇跡)が「東京プロセス」の成果にかかっているのです。
 目下の国際的時流は国別ウイルス作戦ですが、これまで大戦後に本流であった国際協調に反する動きとして、自国優先の潮流が強まっていることに注目しておく必要があります。とくにアメリカ国内でのコロナウイルス発現元である中国への疑惑と反発は“真珠湾攻撃”(トランプ発言)に比するところまでエスカレートしているのです。
・・・・・・・・・・・
「強制なき自粛」が国際協調の
「コロナ騒乱」のさなか5月3日は73回目の「憲法記念日」でした。護憲派、改憲派とも大衆集会を開かずに静かな映像メッセージになりました。改憲派のオンライン集会にビデオメッセージを送った安倍首相が憲法を改正して「緊急事態条項」を設ける必要性を力説したことが「私権の制限」として対立議論を呼んだ程度でした。
 安倍首相は5月4日には「新型コロナウイルス感染」の緊急事態宣言の終結にかんして、5月6日を5月末まで延長して、こちらでは強制力によらない国民の自由意思(私権の表現)による終結への期待を述べています。こういう自主民主的な自粛が可能な国民は70年余の「平和と平等」(非軍事・反差別)を掲げる憲法のもとで形成されてきたはずなのですが。
 内向的議論より「日本国憲法」が成立時の事情から付与されている国際性と偏務性を論じることがいま重要です。「非軍事平和」条項は、国際的に関心を寄せて守るべきは、歴史的にはアメリカばかりではなく戦勝国の側の偏務であり、「九条」を掲げた敗戦国日本の偏務は「非軍事平和」に徹した国際モデルの国づくりです。それが8000万余の戦争犠牲者への歴史的反省の証しです。30万人弱のウイルス犠牲者を出している現代の戦略に、わが国はいまこそ「東京プロセス」を通してジャパン・ミラクル(日本の奇跡)を示して、「出口作戦」の好事例を残すときでしょう。非軍事平和国家としての国際協調主義を明らかにするためにも。全国からの支援を東京に集中して成功例をつくってみせなければならないのです。 2020・5・4 

「緊急事態宣言」のもとで 2 
「高齢者」はすべて「コロナ弱者」ですか

(・2020・5・1~3)
エンタテイメントも自粛を
 今回の「パンデミック」(世界的感染大流行)は、しばらく耐えれば元に戻るといった楽観的なものではなく、まったく異なった「新しい生活様式」(専門家会議の提言)のものになると想定されます。
「緊急事態宣言」の5月31日までの延長は、テレビのニュース番組に、もっと仔細に市民生活の実態を伝える役割への変容をもたらすでしょう。他の番組も今のままでは耐えられなくなるでしょうし、とくにお笑いで優遇されてきたエンタテイメント系の出演者は入れ替わらざるをえない状況になるでしょう。なにより重要な「東京プロセス」が小池都知事の「STEY HOME」のお願いの繰り返しや学者の解説ではすまなくなり、さまざまな立場の人びとの具体的な情報が求められるからです。
・・・・・・・・・・・
四人にひとりの高齢者の役割
 常連のテレビ出演者はだれも言い出しませんが、高齢者のみなさんはお気づきのことと思います。「新型コロナウイルス」の感染者は20~50歳代が多く、死亡率は70歳代から急上昇するという数値が示されたことで、若手コメンテーターは「高齢者」はすべて「コロナ弱者」として扱っているのです。若者が潜伏期間に知らずに媒介して高齢者に感染を広げてしまうので濃密接触しないようにというのです。善意の即断です。しかしこれで全国の3500万人の高齢者は「コロナ弱者」となり日ごろ病院機能の限界をつくったうえに病院崩壊の元凶とされているのです。緊急期間の延長は子どもと親の介護の負担を現役世代に負わせる場面を想定させます。
 本来であれば、ひと月も学校が休みになるときにこそ、実家のおじいちゃんおばあちゃんのところに孫を避難させるのがなによりなのですが。都民がマイカーでドア・ツー・ドアで「三世代の出会い」のために郷里へ走ってこそソーシャル・ディスタンスであり、「STEY HOME」だったのではないでしょうか。家族内の安全確保をすれば地方でクラスターが起きる心配はほとんどないでしょう。「不要不急」による1000万人の「東京封じ込め」ではなく、4月7日の「緊急事態宣言」までに行動を起こせた人もいたでしょう(お金持ちの別荘逃避でなくとも)。もちろん電話でも映像ででも「三世代の交流」は可能です。そういう場面をもっと放送していいはずなのです。
 強制力によらない民主自主自粛による「東京プロセス」ははじまったばかりです。黙止されている高齢都民の生活感が「新たな生活様式」にかかわってくることはたしかです。(つづく) 2020・5・1~3

「緊急事態宣言」のもとで 1
「東京プロセス」が「世界コロナ戦」のシンボルに

・・・・2020・4・27~
黄金週間は「STEY HOME」
 中国武漢に発生して世界に波及した新型コロナウイルスによる「感染パンデミック」(世界的大流行)については、国際的にもなお収束の予測がつきません。別項の四字熟語「毛骨悚然」で述べましたが、だれもがわが身への感染のおそろしさに立ちすくむ思いで暮らしています。
 東京都は、ゴールデンウイーク中(4月25日~5月6日)の2週間を「STEY HOME」(小池都知事)として、家庭から動かないで過ごすことがわが身と他者を感染から守る唯一の予防策として、都民に自主自粛を要請しています。
 ですが、病院関係者はわが身を危険にさらしながらも日夜従事せざるをえません。患者増がつづき病院内感染による医療崩壊がおこれば、国内コロナ戦での「東京プロセス」の失敗をもたらし、日本型戦略の敗北を証し、先の大戦後に保持してきた日本の国際的信頼の失墜を招きかねません。
 強制力によらない日本独自での「新型コロナウイルス争乱」への民主自主作戦ははじまったばかりです。
・・・・・・・・・・・
各国が独自の戦略で対処
 とくに注意すべきことは、この「世界コロナ戦」が、これまでの国際協力の強力な絆のもとでではなく、アメリカからはじまった逆流の一国優先主義の国際潮流のもとで、それぞれが他国を排除しながら独自にすすめていることにあります。
 感染源についての情報にも「毛骨悚然」が生じています。当初は華南海産物市場とされましたが、そこから三〇キロほど離れた「中国科学院武漢病毒(ウイルス)研究所」がかかわっているという情報が出たからです。SARSやエボラ出血熱のような感染力が強く危険なウイルスのコントロールも可能という世界トップレベルの研究施設なのですが。死者数が5万人を超えて世界最大の被災国となり「パニック」状態に陥っているアメリカはこの研究施設がかかわっていると主張し中国に賠償まで求める構えを示しています。
 温暖化による急速な環境破壊、拡大する原水爆保持、危険をはらむ原発の増設、AIの人類知能凌駕そして重ねて一国優先主義の逆流のなかでの究極の「細菌・ウイルス戦争」・・見えざる戦場での見えざる敵との対峙は、一人ひとりの人間の実存にかかわっているのです。ひしひしと迫ってくるものがあります。
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日本型民主主義の優位性を証明
 先の大戦ののち70年余り、「軍事と格差」を排して「平和と平等」の国づくりを国際的に託されてきた日本が、21世紀の今回の「世界コロナ騒乱」の舞台で、「東京プロセス」を成功させることによって、日本型民主主義の優位性を証明して危機を脱出し、晴れの国際的舞台である「東京オリンピック・パラリンピック」を迎えることが、国民全体の願いであり努めでもあります。
 とくに先の戦争を生き抜いた先人とともに「1964東京オリンピック」を晴れやかに迎えた高年者層のみなさんは、後人のために「2020東京オリンピック・パラリンピック」を支えて成功裏に残すべき立場にあります。そのために、まずは「STEY HOME」の期間を、保護されるどころか現役長生の「高年世代」としての存在感を示して、「三世代家族」が安心して過ごせるように努めるべきでしょう。安倍政権7年の「若者・女性」主導の経済社会文化のありようを具体的に現実的に変化させて、「三世代平等社会」の存在をそれぞれのご家庭の内で明確にする好機とすべきときなのです。(つづく)2020・4・27

高年期の暮らしやすい地域づくり 4
エイジング期が重なる高年者と青少年

・・・・2020・4・20~
「三世代交流」活動の現状 
 多くの高年者は、しごとを終えて後の20年余りの「円熟期」(人生の第三期)を、そしてほとんどの青少年は、地元の子ども園・小学校・中学校・高等学校にかよって20年弱の「成長期」(人生の第一期)を、同じ生活圏で過ごしています。「三世代同居住宅」への支援ほどには自治体による世代間交流の活動は進んでいないようです。
 成長期の子どもからすると、街なかやスーパーでお年寄りが増えたという印象なのでしょう。スーパーで、車の運転と食材買い集めが役目の「大腹便便」のよそのおじいちゃんがカートいっぱいにして揚々とレジに向かうかたわらで、おかあさんが一つまたひとつ小計を繰り返しながら買い物をするのを、子どもたちは見ています。うらやましそうにカートを見送るのです。おじいちゃんは街なかでも時折り出会う少年にやさしい目線で会釈を交わして去っていきます。日々はそうして過ぎていきます。次世代との世代交流を考慮しなければならない時期とはわかっているのですが、なにをどこからどうやったらいいのか。
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「三世代交流会館」の現状
 自治体の「三世代交流」活動はどうでしょうか。「三世代交流の集い」や「三世代交流フェスタ」は全国各地で数多く開かれています。継続させるためには高年者側がモノづくり、まちの歴史・文化、趣味などのテーマをもってリードする「地域三世代会議」といったしくみが必要になるでしょう。そこから分野別・世代別の課題を実現する「三世代会議」のための常設の施設「三世代交流会館」がすぐ先に見えています。将来はどこの自治体にも常設されて、「三世代参加のまちづくり」の拠点として機能することになるでしょう。これも高年者(本稿の丈人層)による先手必勝の課題です。
 すでに「三世代交流館」(大洲市、須賀川市、秋田県藤里町)、「三世代交流会館」(大仙市半道寺)、「多世代交流館」(三田市)、「三世代ふれあい館」(土岐市)、「三世代ふれあい交流館」(田村市)、「三世代交流センター」(滝川市)や「三世代交流プラザ」(上越市)、「三世代交流サロン」(新宿区落合)など、三世代の交流をすすめる施設での活動がみられますが、三世代の代表がそれぞれを代表して参加して「まちづくり」を合議する場としての「三世代会館」が常設され運営できるようになれば、お互いを理解しあいながらの「世代交流」(世代交代も)による新しい支え合いが可能になります。三者合同の集会や文化事業の拠点としても有効に機能するでしょう。現在の自治体の課題は「世代交代」ではなく「世代交流」なのですから。
 遅速はあっても、全国の自治体に形成されつつある「地域協議体」によるまちづくりの重要な課題ですし、日ごろの居場所に5人7人の同志が集えば核のひとつになるでしょう。 (止)2020・4・15

高年期の暮らしやすい地域づくり 3
中学校区に地域生涯学習大学校を創設

・・・・2020・4・13~
独自に地域カリキュラム 
 4月7日、新型コロナウイルスに対する「緊急事態宣言」が発出されました。感染騒動は激しく厳しい時流ですが、本流として底流している「高齢化」問題への対応を遅延させるわけにはいきません。先行高齢化国であるわが国の対策でもっとも遅延しているのが、高齢期の学習対策です。高齢化で先行しているのに先進諸国と同じレベルのリカレント教育ではすでに遅れているのです。
 わが国の自治体が時代の要請に応じてこれまでに設立した教育施設としては、明治の「尋常小学校」、大戦後の昭和の「新制中学校」のあと、就学前の幼児保育・教育のための平成の「認定子ども園」があります。
 そしていま高齢者が4人にひとりという長寿時代を迎えて、高齢者層を対象とする令和の「地域生涯学習大学校」の設立が急務となっているのです。海外に前例を探して得られるものではありません。われわれが模索しつつ初めて設立するのですから。
 以下は先駆的事例を参考にしつつ新世紀20年という考察期間を経て得た提案です。
 中学校区単位で学習施設「地域生涯学習大学校」を設けて、60歳~の地域住民を対象にして、独自に地域カリキュラムを組んで、地域活性化のための高年者人材を確保するとともに受講者には25年+の高年期の生きがいと生涯の学友を得る機会を提供します。
 察するところでは、優れた構想力をもつ文科省の現役官僚から同趣旨の事業として提案が出されても、厚労省との調整が必要であり、学制の変更であり、直接の国家事業ではないので、実際にはリカレント教育どまりに。国際的に前例がなく、リスクばかりが多いこんな大胆な教育創出の実務を背負える人物が現われないのでしょう。結局は先駆的な自治体の事例から習って独自に構成することになります。
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先駆的な自治体の事例に習う
 各地(自治体)の地域再生・創生のための高年者人材を養成し確保する施設として全国的な展開が必要です。リカレント学習や公民館学習が個人の生きがいづくり中心なのに対して、60歳以上の地域住民を対象にする施設とすることで、高齢期25年+に必要な知識や技能を習得でき、地域特性を活かしたまちづくりに参画でき、生涯にわたる学友を得ることが可能になります。
 検討を要する課題としては、学校名・運営者・所在地・連絡先・創立年月日・入学資格・修業年・経費・講座内容・卒業後のようす(まちづくり)など。
 先駆的事例として特徴のある「大学校」の例としては、兵庫県いなみ野学園、成田市生涯大学院、江戸川総合人生大学、世田谷区生涯大学シニア・カレッジなどのほか、シマネスクくにびき学園(島根県高齢大学校)、明石市立高齢者大学校あかねが丘学園、姫路市好古学園大学校、橿原市まほろば(高齢者)大学校、千葉県生涯大学校・・などがあります。本会の重要課題として特に力をそそいでいます。議論を起こしましょう。(つづく)2020・4・7

高年期の暮らしやすい地域づくり 2
「居場所や通い場所」の設置

・・・・2020・4・6~
「安歩当車」が最良の健康法
 自主的で独創的な高齢者むけの「居場所・通い場所」が各地に形成されています。みなさんの街にはいかがですか。自治体・団体・個人を問わず、さまざまなそれらの活動の中心にいるのは、地元を愛する高齢者の仲間です。想像力や構想力を働かせて、モノづくりにせよサービスにせよ、地つきの可能性を活かしながら仲間と協力して経営しています。一つひとつの”泉眼”からのようにこんこんと湧くようにして創り出された独自の成果を伝え合って、みずからを豊かにするとともにみんなが楽しめる「居場所・通い場所」をつなぐのが本会の活動のひとつです。みなさんが毎日歩いて通っている「居場所・通い場所」を紹介してください。つないでいきましょう。
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「安歩当車」が最良の健康法
 歩いて日々通うのは地元の高齢者です。その姿を「安歩当車」(『戦国策「斉策四」』など)といいます。「安歩」はゆっくりと歩行すること、「当車」は車で行くのに勝っているということ。古代から貴族は外出にあたって車を用いましたが、一般の者は従容として歩くことで負け惜しみとともにその楽しみと効能を享受しました。貧富にかかわりなくゆっくり歩くことが最良の健康法であることを自得したことばです。「緩歩代車」ともいいます。時代が変わって車が変わっても、「安歩当車」が最良の健康寿命の延伸法であることに変わりがありません。2020・4・3

高年期の暮らしやすい地域づくり 1
「高齢者意識」の醸成

・・・・2020・3・30~
「社会参加」と「世代交流」
 いまみなさんが暮らしている地域の課題になっているのが「地域共生社会」づくりです。共生には男女平等とともに三世代平等があります。ここで「三世代」というのは、「青少年(~30歳・成長期)・中年(~60歳・成熟期)・高年(~90歳+・円熟期)」の三世代三期のことで、とくに2015年に「高齢化率」(65歳以上の人口比)が25%を超えて史上初めての「高年世代」が成立しているわが国では、「高年者層の社会参加」と「世代交流」が新たな社会形成のかなめになってきているのです。
 にもかかわらず、最近の世情では若者と女性が優先・優遇されているために、多くの「引退余生」期の人びと(老人層)は、元気であっても社会参加の機会に乏しく「高齢資産3金」(年金・貯金・退職金)をたよりにして不本意ながら「毎日が日曜日」と評されるような暮らしをしています。少数派の外向的な「現役長生」の意識をもつ人びと(本稿の丈人層)が、これまでなかった自分たちの生活感性に見合った「もの・サービス・社会のしくみ(居場所など)」をこしらえて、「三世代平等長寿社会」の創出にさきがけ的な役割をはたしているのが現状です。2020・3・27
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「現役長生」タイプの高年者が支える
 みなさんの自治体では「高年者層の社会参加」と「世代交流」はいかがでしょうか。
 これまでの支援が必要な高齢者のための介護・医療を中心にした「地域包括支援センター」に加えて、元気な高齢者の暮らしやエンディングを含む地域での「支え合い(互助)」のしくみとして、それぞれの自治体に新たに「生活支援コーディネーター」(地域支え合い推進員)と「地域協議体」が設置されています。既存の社会福祉協議会や老人クラブや民生委員のみなさんととともに地域の「高齢化」にかんする課題をはじめさまざまな住民のニーズに対処しようというのです。この新たな地域生活圏の形成を推し進める活動の主体者として、「現役長生」タイプの健丈な高年住民の参加が要請されているのです。地元の「生活支援コーディネーター」(地域支え合い推進員)を激励してください。
 一人ひとり静かに思い起こしてください。若いころ、1980年ころの地域では当たり前だったお互いさま意識での助け合い、「夜、戸を閉じず」(大同社会の証し)という安心感で満たされていた「一億総中流」のころの地域のありようを経験している高年者のみなさんですから身構える必要はないのです。自治体としては新たな「地域共生社会」づくりに参加してもらい、その経験を再現して世代交流などの場で活かしていただきたいというのが要望なのです。「高年世代」として地域の再生創成を支援しながら、将来の「三世代平等長寿社会」の基盤をつくるという歴史的快挙なのです。
 新型コロナウイルス騒乱は収まるようすがありません。国際的には自国優先がすすみ国際協調が後退し、国情としても「個人優先と格差」が強まる時流のなかで、本流として底流するのが「地域共生社会」づくりです。あの大戦の戦禍のあと70年余り、「平和と平等」を体現してきた高齢者として、自治体が横比べですすめる官民協働の「地域共生社会」づくりの一隅を引き受けて、みずからの「安眠」の場を守る取り組みに参画しようということなのです。2020・3・29

高齢者参加による共生社会づくり 2
参加して具体的な課題に取り組む

 ・・・・2020・3・23~
 高年期の「時間と資産」を3分割する
高年期にあって「時間と資産」を3分割(自分・家族・社会)して暮らしているアクティブ・シニア(3580万人のうち350万人ほどか)のみなさん。保持している潜在力(「老人力」に対比した本稿の「丈人力」。別項)を結集して、いま全国の市区町村で横比べで進められている「地域共生社会」づくりの事業活動を住民として支援することが最重要の課題となってきました。
 各自治体はこれまで新世紀の20年、「高齢化対策」としては医療・介護・福祉・年金などの「高齢者(ケア)対策」を必死で進めてきましたが、その上に人口の4人にひとりを超えた高齢者層のための「高齢社会(参加)対策」が急務になっているのです。
 ここ数年のあいだにそれぞれの自治体に「生活支援コーディネーター」(地域支え合い推進員)と地域協議体が設置されてきましたが、この新たなしくみを推進する主体が地域住民とくに健丈な高齢者です。具体的な課題の優先順はそれぞれの自治体によって異なりますが、以下のような課題は共通していますので、ここにまとめてみます。
 どうか知るだけではなく、ひとつでも(いくつでも)参加してください。
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自治体による「地域共生社会」事業活動
1 高齢者自身の「参加意識」の醸成、これが基本中の基本です。
2 暮らしや介護やエンディングを含む地域での「支え合い(互助)」。
3 「居場所や通い場所」の設置。(課題の共有。仲間づくり)
4 「生涯学習活動」(地域大学校)のしくみづくり。(高齢人材の確保)
5 「世代交代」ではなく「世代交流」。(同じ地域での三世代構造)
6 「安全な移動」のためのユニバーサル・デザインのまちづくり
7 街なかの並木や生垣や植栽を活かした緑のまちづくり。
8 住区から住区への小路をつないだ「歩く小路」の整備。
9 地域の特色を活かした「モノやサービスづくり」。(就業・所得)
10 安定した家並みをつくる「三世代同等同居」住宅の優遇補助。
 次回から個別具体例の検証・検討をいたします。(止。この項をお仲間へ転送をお願いします)2020・3・21

高齢者参加による共生社会づくり 
暮年の人生の充実のための「共生の文化」

・・・・2020・3・16~
「共生の文化」を育てよう
 みんながそれぞれに「平和と平等」(戦禍を胸の奥に)に努めて日々推移して“安居楽業”の社会をこしらえてきた日本が、70年余にしてまた「軍事と格差」の潮流に襲われようとしています。その波頭が個々の地域に迫ろうとしている今、それを体験している高齢者が危機意識をもって保持に動かなければ守れない時が迫っているのです。国際協調から一国優先への逆流は、新型コロナウイルス騒動でいっそう際立とうとしています。
 この”村難”を回避するには、各地域での「共生社会」の創成が急務です。その核芯になる「地域支援コーディネーター(地域支え合い推進員)」と地域協議体が自治体ごとに設置されていて、遅速はあっても横比べで地域の特質を活かした「地域共生社会」の創出が住民活動として進んでいます。その活動の支援のための健丈な高齢者層の参加が必要になっているのです。このまま座して黙止するわけにはいかないのです。
 この「地域共生社会」の創出活動を担っている「さわやか福祉財団」の堀田力会長は、その基となる「共生の文化」についてわかりやすくこういいます。
「『共生の文化』というのはどういうことか。中身に即して簡単にいえば、定年退職をして家に籠っている、外へ出ても行く場所は居酒屋程度、家族で旅行はするけれどもご近所とのつきあいは一切なく、通りで顔をあわせれば目礼するだけ。こういう暮らし方は『恥ずかしい』とみんなが感じる、それを『共生の文化』と呼びたいと思います」(2014年7月29日、内閣府主催「高齢社会フォーラム in 東京」)
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「地域共生社会」づくりが急務
 地域の高齢者が参加協力して、介護者ばかりでなく子どもでも障がい者でも困った人を支え合い助け合うという「共生の社会」が、新しいしくみとして「生活支援コーディネーター」(地域支え合い推進員)と地域協議体を中心にして、通い場所や活性化の核になるワークショップづくりなどで実現しています。とくに日々定まったしごともなく「毎日が日曜日」といった暮らしに慣れ親しんでいる引退余生期の男性層に対して、堀田さんは「月月火水木金金」といった忙しさで全国各地の自治体をまわりながら、暮年の人生の充実のための「共生の文化」による「共生の社会」の創出を説いているのです。
 対応は切迫しています。遅速はあっても自治体ごとの住民に着実に「共生の文化」の意識が醸成され、それを共有した人びとによって「共生の社会」は根づき萌芽し形づくられていこうとしているのです。その達成のために健丈な高齢者層のみなさんに問います。このまま座して黙止するのでしょうか、それとも立って参加するのでしょうか。(つづく)2020・3・15
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「高齢社会(参加)対策」の実現へ
 支えが必要な高齢者に対する「高齢者(ケア)対策」だけでも国・自治体にとっては並大抵の事業ではなかったのですが、加えて健常な高齢者が増えて「高齢社会(参加)対策」の課題が重なってきているのです。「高齢社会(参加)対策」は社会のしくみにかかわりますから、自治体によって事情が異なります。それゆえに独自の対策が可能ですし必要になりますが、なによりも参加意識をもった高齢者の参加の有無が成否にかかわってきます。
 国は「高齢社会対策大綱」(1996年橋本内閣閣議決定)を用意して実現をはかりましたが、参加意識をもった高齢者層の登場がない時期での実現は進みませんでした。小泉内閣(2001年)、野田内閣(2012年)、最近の安倍内閣(2018年)で大綱は見直されていますが。
 ですから地域住民である高齢者自身の「参加意識」の醸成、これが基本中の基本です。厚労省が中心になって、さわやか福祉財団や社会福祉協議会や生協などの民間団体のリードによって「地域支援コーディネーター」と地域協議体の設置が全国各地で進められており、その活動の中心核になろうとしています。みなさんの自治体はいかがですか。健常な高齢者の出番なのです。(つづく)2020・3・12
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自治体の「高齢化対策」の欠如
「高齢化対策」には、介護、医療、年金(高齢者3経費)のような高齢者個人にかかわる「高齢者(ケア)対策」とともに、両翼として社会のしくみにかかわる「高齢社会(参加)対策」があります。そのうちの「高齢者(ケア)対策」のほうはこの新世紀の20年、急増する高齢者(支えられる側の弱者)に対応して財政上の負担に苦慮(「社会保障」関連費用)しながらも年々充実させてきました。これはだれもが身近に体験してきたところです。
 とくに1961年にスタートした「国民皆保険」、2000年にスタートした「介護保険」、医療面での各診療科の施設・医療の充実などは高齢者はだれもがその恩恵を受けており、その上で2004年には「100年安心の年金」がいわれました。最近では自治体ごとに「地域包括支援センター」が設けられて、住民が高齢期を安心して暮らせる体制が形づくられています。繁栄社会をつくった功労者として高齢者はその敬愛の対象としてたいせつに扱われており、そのために努めている多くの関係者の誠意・熱意は実感しているところです。
 この成功例とともに、高齢化の進展とともに増えつづけている「支える側の高齢者」の人生にかかわる「高齢社会(参加)対策」として社会のしくみの改革を実現せねばならない時期がやってきているのです。(つづく)2020・3・11
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消費税は「高齢者3経費」の目的税
 いま政府は全世代型の社会保障ということで高齢者を温存から軽視する方向への政策をとろうとしています。高齢期に特化した社会保障を軽視することに沈黙しているわけにはいかないのです。
「高齢化対策」というとき、みなさんは何を思われますか。まずは医療や介護、それから福祉とか年金とか・・。その財源のためにのみ使われる目的税が「消費税」です。この国に平和で平等で格差の少ない豊かな「一億中流」社会をこしらえた功労者である高齢者。その晩年に報いるために「高齢者3経費」(高齢者介護・高齢者医療・年金)としての目的税としてそれ以外に使えないようにしたのは、1999年の自自公政権の宮沢(喜一)大蔵大臣でした。予算編成の土台となる予算総則に「消費税収は社会保障の3経費に充てる」と書き込んでくれているのです。
 それが消費税のはじまりで、3経費に民主党が力を入れた子育て支援を加えた4経費を消費税収の使途と定めたのです。この基礎年金、高齢者医療、介護など社会保障経費の財源に充てると定められた消費税を、何にでも使える一般財源と同じように扱おうとするのがいまの政府の「消費税政策」です。高齢者は温存されていたこれまでから軽視されるこれからに沈黙しているわけにはいかないのです。(つづく)2020・3・10

平和団塊(戦後)世代が「古希」に 
950万人による史上初の役回り   

・・・・2020・3・9~
「古希」を迎える団塊世代
 ご存知のように敗戦後の1947(昭和22)年~1949(昭和24)年に生まれた人びと「団塊の世代」(1976年発刊の堺屋太一『団塊の世代』から)は、教育現場や就職、結婚などで、600万人余(平成30年625万人)というボリュームゆえの社会的影響が指摘され納得されてきました。勤めて高度成長を支えて世紀をまたいで高齢者となった「戦後ベビーブーマー」のみなさんが次々に「七十古希」に到達しています。
「古希期」2020年 七〇歳~七四歳 人口は平成30年10月1日統計局推計
生年  干支・年齢 人口(男・女)万人 流行語・流行歌
1950 昭和25 庚寅70 94・9 102・1 朝鮮戦争特需 金へん糸へん 「白い花の咲く頃」
1949 昭和24 己丑71 103・0 111・7 ニコヨン 「青い山脈」「長崎の鐘」
1948 昭和23 戊子72 100・9 110・6 斜陽族 ノルマ 「湯の町エレジー」「異国の丘」
1947 昭和22 丁亥73 94・8 104・5 不逞の輩 ゼネスト 「鐘の鳴る丘」
1946 昭和21 丙戌74 57・9 65・4 象徴 タケノコ生活 「東京の花売り娘」
参考:
1945 昭和20 乙酉75 60・8 70・5 敗戦 ピカドン 一億総懺悔 「リンゴの唄」
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2043年に「憲法100年」を祝う
 本稿で用いている「平和団塊の世代」には、同じく200万人を越えて生まれた1950年と少数とはいえ本稿の課題である「平和」を論じる場では決して存在を無視できない終戦翌年である1946年生まれの人びとを含んでいます(平成30年945万人)。
 この戦後5年間の「平和団塊の世代」が2025年に75歳問題を経てなお「人生100年」をめざして創出する長寿社会(本稿の「三世代平等長寿社会」)の達成が、ニッポン発21世紀オリジナルの「高齢化」モデル事業なのです。2019・12・1修正再録
「平和団塊」の人びとは、ご両親から「平和」のたいせつさを骨身に刻みこまれ、みずからの長寿人生が「平和」の証であり、普遍的な国際的価値であり、そのための「平和憲法」の保持は欠くことのできない条件であることを体感として理解している人びとです。
 1995年に「長寿をすべての国民が喜びの中で迎え、高齢者が安心して暮らすことのできる社会」(前文)をめざす「高齢社会対策基本法」が制定された50歳のころには実感はなかったでしょうが、いま70歳に達して納得のいく文言として理解されていると思います。
 ですから「平和団塊」のみなさんは、国際社会に平和を訴える「憲法第九条」と、尊厳ある長寿社会を希求する「高齢社会対策基本法」というふたつの旗印を先人から引き継いで、2043年の「憲法100年」記念祝典をめざして歴史的聖火リレーの途上にあるのです。本稿も熱い思いでその歴史的創造的ステージを見守っているのです。修整再録2020・3・9

「平和団塊」のみなさんの横顔

 ここで「ニッポン発21世紀オリジナル 三世代平等長寿社会」の主役をつとめる「平和団塊」のみなさんの横顔を紹介しておきたい。新聞・TVなどから選ばせていただきましたが、どうか掲載をお恕し願います。

一九四六(昭和二一)年生まれ・七四歳に。
鳳蘭(俳優) 松本健一(作家) 宇崎竜童(歌手) 美川憲一(歌手) 北山修(歌手) 新藤宗幸(政治学) 柏木博(デザイン) 岡林信康(歌手) 堺正章(TVタレント) 坂東真理子(官僚) 田淵幸一(プロ野球) 菅直人(政治家) 秋山仁(数学教育) 藤森照信(建築史) 倍賞美津子(俳優)・・

一九四七(昭和二二)年生まれ・七三歳に。
橋本大二郎(政治家) 衣笠祥雄(野球評論) ビートたけし(TVタレント) 尾崎将司(プロゴルフ) 西郷輝彦(歌手) 鳩山由起夫(政治家) 津島佑子(作家) 千昌夫(歌手) 上原まり(琵琶奏者) 荒俣宏(作家) 中原誠(将棋棋士) 小田和正(歌手)  北方謙三(作家) 金井美恵子(作家) 西田敏行(俳優) 森進一(歌手) 池田理代子(漫画家) 布施明(歌手)・・
一九四八(昭和二三)年生まれ・七二歳に。
高橋三千綱(作家) 毛利衛(宇宙飛行士) 里中満智子(漫画家) 赤川次郎(作家) 五木ひろし(歌手) 赤松広隆(政治家)  江夏豊(プロ野球) 都倉俊一(作曲家) 沢田研二(歌手) 上野千鶴子(女性学) 井上陽水(歌手) 橋爪大三郎(社会学) 糸井重里(コピーライター) 由起さおり(歌手) 舛添要一(都知事) 菅義偉(政治家) 谷村新司(歌手) 内田光子(ピアニスト) ・・
一九四九(昭和二四)年生まれ・七一歳に。
村上春樹(作家) 鴨下一郎(政治家) 林望(国文学) 海江田万里(政治家) 高橋真梨子(歌手) 平野博文(政治家) 武田鉄矢(歌手) 高橋伴明(映画監督) 萩尾望都(漫画家) ガッツ石松(ボクシング) 矢沢栄吉(歌手) 佐藤陽子(バイオリニスト) 堀内孝雄(歌手) 森田健作(政治家) テリー伊藤(演出家)・・
一九五〇(昭和二五)年生まれ・七〇歳・古希に。
残間里江子(プロデューサー) 舘ひろし(俳優) 和田アキ子(歌手) 坂東玉三郎(歌舞伎俳優) 東尾修(プロ野球) 中沢新一(宗教学者) 池上彰(ジャーナリスト) 姜尚中(政治学者) 八代亜紀(歌手) 辺見マリ(俳優) 塩崎恭久(政治家) 梅沢富士男(俳優) 岩合光昭(写真家) 綾小路きみまろ(漫談家) 神田正輝(俳優)・・

 だれもが等しく貧しかった戦後に生まれ育った子どものころの記憶を共有している人びと。そこからそれぞれに個性的な人生をつくりあげ熟成期をすごしている「平和団塊」のみなさんです。2020・3・9

・・・・2020・3・2~
高齢期を悔いなく過ごすために

長寿時代ライフステージ「賀寿期5歳層年表

別男女別人口 流行語・流行歌 
人口は平成27年10月1日現在。国勢調査 

長寿時代のライフステージ「賀寿期5歳層 」(2020年基準)
還暦期(六〇~六四歳) 昭和35~31年 還暦六〇(一)歳
禄寿期(六五~六九歳) 昭和30~26年 禄寿六六歳
古希期(七〇~七四歳) 昭和25~21年 古希七〇歳
喜寿期(七五~七九歳) 昭和20~16年 喜寿七七歳
傘寿期(八〇~八四歳) 昭和15~11年 傘寿八〇歳
米寿期(八五~八九歳) 昭和10~ 6年 米寿八八歳
卆寿期(九〇~九四歳) 昭和 5~ 元年 卒寿九〇歳
白寿期(九五~九九歳) 大正14~10年 白寿九九歳
百寿期(一〇〇歳以上) 大正9年以前   百寿一〇〇歳
「人生七十古来稀なり」(杜甫の詩「曲江」から)といわれた「七十古希」はいまやだれもが祝える賀寿となりました。新たな目標である「百齢眉寿」(虞世南「琵琶賦」から)まで、「体・志・行」(生命の三元)に配慮しながら仲間とともに活き活きと暮らす姿が「高齢社会」の姿です。 2020・3・2修整再録

これより「高年期」(六〇歳代)(2019年基準) その1
「還暦期」(六〇歳~六四歳)
生年   干支・年齢 人口(男・女)万人 流行語・流行歌
1959 昭和34 己亥60 *   *  ご清潔でご誠実で がめつい奴 「黒いはなびら」
1958 昭和33 戊戌61 73・2 75・7 団地族 ハイティーン イカす 「港町十三番地」
1957 昭和32 丁酉62 71・6 72・4 神武景気 よろめき 「有楽町で逢いましょう」
1956 昭和31 丙申63 74・2 75・4 もはや戦後ではない 太陽族 「ここに幸あり」
1955 昭和30 乙未64 74・6 80・4 ノイローゼ 三種の神器 「南国土佐を後にして」
 ・60歳に達して「還暦」を迎えた人びと。戦後10年、「もはや戦後ではない」といわれ、神武景気がはじまったころに生まれました。
「禄寿期」(六五歳~六九歳)
生年   干支・年齢 人口(男・女)万人 流行語・流行歌
1954 昭和29 甲午65 78・3 78・1 ビキニ死の灰 空手チョップ 「五木の子守唄」
1953 昭和28 癸巳66 82・2 84・6 家庭の事情 八頭身 「街のサンドイッチマン」
1952 昭和27 壬辰67 84・9 90・3 血のメーデー 黄変米 ワンマン 「芸者ワルツ」
1951 昭和26 辛卯68 90・1 93・8 平和条約 逆コース 「高原の駅よさようなら」
1950 昭和25 庚寅69 96・8 102・8 朝鮮戦争特需 金へん糸へん 「白い花の咲く頃」
 ・太平洋戦争の戦禍の残るなか朝鮮戦争が起こり特需に沸く。
 
これより「高年期」(七〇歳代)(2019年基準) その2
「古希期」(七〇歳~七四歳)
生年   干支・年齢 人口(男・女)万人 流行語・流行歌
1949 昭和24 己丑70*104・6 111・3 ニコヨン 「青い山脈」「長崎の鐘」
1948 昭和23 戊子71 102・6 111・0 斜陽族 ノルマ 「湯の町エレジー」「異国の丘」
1947 昭和22 丁亥72 98・3 104・2 不逞の輩 ゼネスト 「鐘の鳴る丘」
1946 昭和21 丙戌73 59・0 67・3 象徴 タケノコ生活 「東京の花売り娘」
1945 昭和20 乙酉74 62・6 70・1 敗戦 ピカドン 一億総懺悔 「リンゴの唄」
 ・1945年8月15日、無条件降伏。1947~49年生まれ「団塊の世代」
「喜寿期」(七五歳~七九歳)
生年   干支・年齢 人口(男・女)万人 流行語・流行歌
1944 昭和19 甲申75 75・6 86・6 鬼畜米英 学童疎開 「同期の桜」「お山の杉の子」
1943 昭和18 癸未76 73・2 83・8 撃ちてし止まん 学徒出陣 「若鷲のうた」 
1942 昭和17 壬午77*73・3 86・5 欲しがりません勝つまでは 「南から南から」
1941 昭和16 辛巳78 70・9 84・1 八紘一宇 国民学校 「めんこい仔馬」「里の秋」
1940 昭和15 庚辰79 63・9 74・3 月月火水木金金 「暁に祈る」「紀元二千六百年」
 ・1941年12月8日太平洋戦争勃発。
 
これより「長命期」(八〇歳代)(2019年基準) その3
「傘寿期」(八〇歳~八四歳)
生年   干支・年齢 人口(男・女)万人 流行語・流行歌
1939 昭和14 己卯80*52・4 65・5 複雑怪奇 靖国の母 「上海の花売り娘」
1938 昭和13 戊寅81 54・6 68・4 対手とせず 大陸の花嫁 「麦と兵隊」「支那の夜」
1937 昭和12 丁丑82 54・4 71・2 国民精神総動員 「別れのブルース」「海ゆかば」
1936 昭和11 丙子83 51・9 70・1 今からでも遅くない 「ああそれなのに」
1935 昭和10 乙亥84 46・8 65・6 人民戦線 暁の超特急 「二人は若い]「野崎小唄」
「米寿期」(八五歳~八九歳)
生年  干支・年齢 人口(男・女)万人 流行語・流行歌
1934 昭和 9 甲戌85 42・3 61・6 明鏡止水 「赤城の子守唄」「国境の町」
1933 昭和 8 癸酉86 40・7 59・0 転向 ファシスト 「東京音頭」「島の娘」
1932 昭和 7 壬申87 36・6 55・6 話せば判る 欠食児童 「影を慕いて」
1931 昭和 6 辛未88*31・7 54・5 生命線 酒は泪か溜息か 「サムライニッポン」
1930 昭和 5 庚午89 27・8 47・5 エロ・グロ・ナンセンス 「祇園小唄」「酋長の娘」
  
これより「長命期」(九〇歳代) (2019年基準) その4
「卒寿期」(九〇歳~九四歳)
生年   干支・年齢 人口(男・女)万人 流行語・流行歌
1929 昭和 4 己巳90*24・5 44・7 大恐慌 大学は出たけれど 「東京行進曲」
1928 昭和 3 戊辰91 20・9 41・4 狭いながらも楽しい我が家「波浮の港」「君恋し」
1927 昭和 2 丁卯92 17・3 37・9 何が彼女をさうさせたか 「ちゃっきり節」
1926 昭和 元 丙寅93 14・5 33・8 文化住宅 モガ・モボ 「ヨサホイ節」「この道」
1925 大正14 乙丑94 11・9 28・5 軍教 ラジオ放送 円タク 「あの町この町」
「白寿期」(九五歳~九九歳)    
生年 干支・年齢 人口(男・女)万人 流行語・流行歌
1924 大正13 甲子95  8・9 24・2 憲政の常道 メートルデー 「からたちの花」
1923 大正12 癸亥96  5・6 19・8 大震災 流言蜚語 「船頭小唄」「復興節」
1922 大正11 壬戌97  4・5 17・3 恋愛の自由 民衆芸術 赤化 「馬賊の唄」「砂山」
1921 大正10 辛酉98  3・7 13・7 悪家主 プロレタリア 「七つの子」「赤とんぼ」
1920 大正 9 庚申99* 2・4 11・4 国調 示威運動「聞け万国の労働者」「叱られて」
◇これより「百寿期」(一〇〇歳~)
生年   干支・年齢 人口(男・女)万人 流行語・流行歌
1919 大正 8 己未100* 1・7  7・1 デモクラシー サボ 「背くらべ」「靴が鳴る」
1918 大正 7 戊午101 1・1 5・6  平民宰相 米騒動 赤い鳥 「浜辺の歌」「宵待草」
1917 大正 6 丁巳102  0・78  4・2 きょうは帝劇、あすは三越 「さすらひの唄」
1916 大正 5 丙辰103  0・56 3・0 民本主義 是々非々「サンタルチア」「電車」
1915 大正 4 乙卯104  0・88 6・17 御大典 「恋はやさし」「乾杯の唄」
1914 大正 3 甲寅105 ―― ―― 大正琴「カチューシャの唄」「朧月夜」「故郷」
1913 大正 2 癸丑106 ―― ―― 薩閥 新しい女 「鯉のぼり」「海」「早春譜」
1912 大正 元 壬子107 ―― ―― 大正維新 閥族打倒 「都ぞ弥生」「春の小川」
100歳以上
男 0・88 女 6・17 計7・05万人(2015年10月1日 国勢調査)
男 8331 女 61454 計6万9785人(2018年9月15日 厚労省)
平成30年度「老人の日」の記念行事 百歳高齢者表彰 お祝い状と記念品(銀杯)
男 4442  女 27746   計3万2188人 (前年比144人増)
改元
明治45=大正元 1912・7・30 大正15=昭和元 1926・12・25
昭和64=平成元 1989・1・8  平成31=令和元 2019・5・1 
 制作・堀内正範  2020・3・2 止

「 山川異域 風月同天」
詩句を添え中国へ支援物資を送る

・・・・2020・2・25~
上古時代に長屋王が遣唐使に託す
 新型コロナウイルス(新型冠状病毒)の感染拡大で全人代が延期され、発端となった湖北省武漢市はなお交通網遮断による封鎖がつづきます。
 渦中にある武漢市をはじめ各地に日本の交流関係の団体からマスクほかさまざまな支援物資が送られています。その中で中国語検定試験のHSKを行っている日本青少年育成協会が湖北省の湖北高校などに送った物資の箱に記した「山川異域,風月同天」(『全唐詩「巻732長屋」』から)の詩句がネット上で話題になっています。というより政府ができない民衆の不満救済の役目を果たしています。風土は異なっても見上げる中天の月への有情は同じであるというもので、日本をはじめ防疫物資を送ってくれる異域の国々が世界中に広がって、中国の民衆は襲来した「病毒」の封じ込めを、命運を共にする山川異域の人びととの闘いであり、世界はひとつという意味で支援する側と心情を共有しているのです。
 この「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」の偈(詩)は上古時代に仏教移入をめざした長屋王が、遣唐使に託した1000枚の袈裟に刺繍させたもので、1300年前に鑑真和上はこれをみて仏縁を感じ日本への渡航の心を固めた(『唐大和上東征伝』から)といいます。
「春回大地」とはいえまだ凍てつく日がつづきますが、元宵節(最初の満月)を終えると次第に春めいてきて「春暖花香」の季節がやってきます。桜の花見は中国にもあって武漢大学キャンパス内の500mほどの桜花大道が有名です。「風月同天」の桜のころまでには病毒騒動が収束することを祈るばかりです。

還暦から百寿まで8段階でたどる
「賀寿期五歳層」のライフステージ
(2020年基準)

 65歳で定年になったころは天寿まではまだ遠いし、しばらくは「毎日が日曜日」で暮らしたいと願い、エンジンをL(ロウ)まで落として暮らしてみたものの、2~3年もすると将来が気になりはじめるようです。健康には不安がないのですが、培ってきた知識や技術が錆びつきだすのに気がつくからです。といって65歳から95歳までの30年の余生をどう過ごしていいのかわからない。日々が空すべりしていきます。
 人生の円熟期である「高年期」(65歳~)の日々を充足して過ごすには、ここに提案する「賀寿期五歳層の8ステージ」の考え方が有効に働くでしょう。
 先人は見定めえない人生の前方に次々に「賀寿」を設けて、個人の長寿を寿いできました。90歳の「卒寿」に達した老師を、白髪になった学生たちが囲んで、お礼やお祝いを点々適々に述べあうのは人生の節目の快い情景です。多くの同年代の仲間とともに励まし合いながら8つのステージを一つまた一つ着実に過ごして百寿期を目指すことになります。みなさんにはあといくつのステージがありますか。

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長寿時代のライフステージ「賀寿期5歳層」(2020年基準)
還暦期(六〇~六四歳) 昭和三五~三一年 還暦六〇(一)歳
禄寿期(六五~六九歳) 昭和三〇~二六年  禄寿六六歳
古希期(七〇~七四歳) 昭和二五~二一年  古希七〇歳
喜寿期(七五~七九歳) 昭和二〇~一六年  喜寿七七歳
傘寿期(八〇~八四歳) 昭和一五~一一年  傘寿八〇歳
米寿期(八五~八九歳) 昭和一〇~ 六年  米寿八八歳
卆寿期(九〇~九四歳) 昭和 五~ 元年  卒寿九〇歳
白寿期(九五~九九歳) 大正一四~一〇年  白寿九九歳
百寿期(一〇〇歳以上) 大正九年以前    百寿一〇〇歳
「人生七十古来稀なり」(杜甫の詩「曲江」から)といわれた「七十古希」はいまやだれもが祝える賀寿となりました。新たな目標である「百齢眉寿」(虞世南「琵琶賦」から)まで、いくつになっても仲間とともに活き活きと暮らす姿が「高齢社会」の姿です。 2020・2・21

内閣内でまったく存在感がない
「高齢社会対策担当大臣」

 みなさんは「高齢社会対策担当大臣」がだれだかご存知ですか。そんな大臣っているの?という人も少なくありません。高齢者(65歳+)が4人にひとり、3500万人に達した新たな社会が到来しているのに、「高齢社会対策基本法」(1995年制定)から25年、対策担当大臣がこれほどまでに存在感をなくしてしまっているのです。
 第四次安倍第二次改造内閣(昨年9月から)では衛藤晟一(せいいち)参議院議員が「一億総活躍・領土問題・沖縄及び北方対策・消費者および食品安全・少子化対策・海洋政策」と併任しているのです。
 内閣府内でも主要な職務として扱われなくなって久しいのです。内部の扱いは「共生社会政策」の一分野として、内閣府政策統括官(共生社会政策担当)が担当しています。「高齢社会対策担当」の参事官や政策調査員がいるにはいますがこれも併任ですから、「高齢社会対策」を担う太い導線が内閣府内に整っているとはいえないのです。
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腰の据わった専任担当大臣を
「長寿をすべての国民が喜びの中で迎え、高齢者が安心して暮らすことのできる社会」(基本法前文)を形づくるためには、まずは内閣府内に専任の大物担当大臣を据えて、「高齢社会対策」を担当する部局に人材を配置して太い導線を形成して、事業推進の総括をせねばならないでしょう。「人生100年」の世紀を通じた国際評価につながる対策を講じるべきときなのです。にもかかわらず安倍総理の施政方針に言及がなく、若手の野党議員からは質問すら出ない。国会はその重要性に気づこうとしないのです。
 3500万人の高齢者は全国の津々浦々から声をそろえて衆口一詞、「内閣府に高齢社会対策の専任担当大臣と強力な部局を!」と叫ばねばならないのです。地元選出の議員をとらえて説得して国会に及ぼすのが次の一手です。  2020・2・19

月見草の野球人
野村克也さんが84歳で去世 

 プロ野球人の愛称「ノムさん」野村克也さんが虚血性心不全で去世(1935年6月29日~2020年2月11日。84歳 )しました。
 高校野球では無名の京都府立峰山高校出で1954年に南海にテスト生で入り、捕手として一軍に。戦後初の三冠王、年間本塁打1位の52本、通算打席数1位(1万1970打席)、ベストナイン19回・・。
 同じ時期に常勝巨人で活躍していた長嶋茂雄さん(2月20日に84歳)や王貞治さん(79歳)に比べて下積み苦労人であったことから、「花の中にヒマワリもあれば、人目につかずにひっそりと咲く月見草もある」とみずからいい、「月見草」が野村さんの代名詞となりました。
「ID(important data)野球」は野村さんの創意によるもの。とくにキャッチャーのデータをもとにした判断が試合を左右することから。ヤクルトスワローズの古田敦也捕手はその実現者に。
 奥方より表方の妻「サッチー」沙知代さんあっての野村さんといわれた「婦唱夫随」ぶりが有名で、先立たれて2年2カ月で後追いしてしまいました。2020・2・17

施政7年の安倍総理の脳裏に
高齢者の実人生の姿がない 

 高齢者のみなさん、安倍内閣総理大臣の第201回国会における施政方針演説(2020年1月20日)を聞いて、なにかご自分の胸に響く発言を感じましたか。
”7年7相”があって以来7年の長期政権で、一貫して無視・軽視・黙視してきたもの、それが3500万人に達した「高年世代」の実人生の姿です。配慮がないのでなく、脳裏にないのです。
 施政方針演説で安倍さんは、
「高齢者のうち、8割の方が65歳を超えても働きたいと願っておられます。人生百年時代の到来は大きなチャンスです。働く意欲のある皆さんに、70歳までの就業機会を確保します」
 と、人生100年時代を言い、70歳まで働く機会を確保すると言っても、姿が脳裏にないものですから具体的な内容についての構想が示せないのです。史上新たな「三世代(高齢化)社会」には新たなモノやサービスやしくみが求められています。その創出のための知識や技術は、高齢者自身が培って持っており、それを活用した事業・活動が施政方針の中心として、国会で国民に呼びかけられなければならない時なのです。

・・・・・・・・・・・
地方改革についても

「若者が将来に夢や希望を持って飛び込んでいくことができる地方創生の新しい時代を」
と言っても、いま同じ地域でともに暮らしている若者と高齢者の世代交流についての言及はありません。地方創生のためにはエイジング(成長期と円熟期)をともにする住民の協力がベースです。全国津々浦々での特徴を活かした創生は、実態の見えない総理の美辞では動きません。
 その一方で、「年金、医療、介護全般にわたる改革」を進めますと言います。高齢者の実人生がまるで見えない首相の全般にわたる改革に期待することはできません。予算委員会での質疑も“桜を見る会”ばかり。安倍施政の偏りと欠落はもっともっと大きいのです。
 安倍総理ばかりか国会の審議にも、
「長寿をすべての国民が喜びの中で迎え、高齢者が安心して暮らすことのできる社会」(1995年「高齢社会対策基本法」前文)
 へ向かう姿勢が感じられないのです。
 テレビの画面から社会を支えて活き活きと活動しているアクティブ・シニアの姿が消えてから久しくなります。2020・2・15

「一億総活躍」による内需で
丈夫で長持ちする地産日用品が再登場

 青少年も、中年も、高年者も、ともに活き活きと活躍していなければ「一億総活躍」にはなりません。「安居楽業」といいますが、おだやかに暮らせて楽しいしごとがあることが庶民の人生のしあわせです。「非正規雇用」で働くことも「毎日が日曜日」で過ごすことも、しあわせな人生とはいえません。
 健常な高齢期を「安居楽業」で過ごすには、まず泉眼のようにこんこんと湧出する発想をたいせつにすること。家庭や地域の暮らしの中で、「これは」という自分の生活感性に見合ったモノやサービスやしくみを発見・発想・発案したとき、そのままにしないこと。製作が可能な企業(自社でも、本会でも)や個人を探しあてて製品化を要請することです。ひとしきり受け入れてきた「百均商品」に代わって、品質の優れた丈夫で長持ちする地産日用品の再登場の時期なのです。地域を超えた人気用品がつくり出せれば、地域の発案者は名望と実益を得ることになります。今はそういうwin-winが可能な時節なのです。高齢者参加の「一億総活躍」の時代なのです。
 高齢期にある自分の暮らしを快適にすることが、3500万人の高齢者みんなの暮らしを快適にし、それがのちのち“経済伸長”に通じるのだと確信することです。

・・・・・・・・・・・
製作者で消費者である高齢者

 いまあるしくみに身を細めて付き合うのではなく、これまでにない新たなしくみを「高年世代」としてこしらえること。そのために高齢者が自分たちの生活感性に見合ったモノやサービスやしくみを発見・発想・発案して要請し実現すること。その製作のための技術や知識や経験をもつ企業や個人は必ず地域に存在していて、必ず要望に応じてくれるはず。もしなければ起業まで考慮してもいい。
 製作側のほうは定年延長した熟年社員や引退した社友も参画して成員みんなで愛着をもって新たな自社ブランドの「成熟+円熟」製品OPG(Older Person’s Goods)をつくって世に送り出す。一つひとつは些細・仔細ですが、みんなが横比べで努めることで、ほどなく総体として内需による「一億総活躍」の経済社会を創り出す展開となるでしょう。歴史になかった高齢者主導の社会改革です。
 日本発“高齢製品OPGルネサンス”の幕開けです。
 すでにそういう方向に進んでいる業種としては、コンビニ、配食、介護(ロボット)、ヘルスケア、住宅・不動産、自動車、食品・外食、家具、電気製品、ペット、衣料、化粧品、旅行、スポーツ・フィットネス、出版・・などが知られます。2020・2・13

総不況による「日本途上国化」を終えて
OPG(Older Person’s Goods)で経済伸長 

「建国記念の日」を祝うにあたって、国の将来の姿として祝いたいのにないもの。「三世代」が協力しながらそれぞれに自立して暮らしを楽しむ姿です。
 家庭内や地域の生活圏で、増えつづけた高齢者とともに高齢社会を際立たせる国産品・地産品が、途上国産の「百均商品」と入れ替わって存在感を示していないのです。品質の優れた新たな「成熟+円熟」製品OPG(Older Person’s Goods)が暮らしの中で際立って、史上で初、国際モデルともなるべき「三世代平等長寿社会」の姿へと確実にむかっているはずの時期なのですが。そのための知識も技術も持ち合わせているのですが。
 ひとしきり、アジア地域の途上各国の「日本化」のために引き受けた「日本途上国化」によって「足踏み」(総不況)をしていた各地各界の生産者が、優良OPG新製品の開発に取り組む体勢を整えて、生産者であり消費者である高齢者が長く保持してきた能力を活かしてその一隅を担う。成員みんなが愛着をもって新たな「成熟+円熟」製品OPGをつくって世に送り出す。それを待って享受するのも自立した意識をもつ高齢者層(本稿の丈人層)。そうしてやっと「三世代平等長寿社会」へとむかう姿が見えてくるのです。将来を見据える「一億総活躍」の躍動的な姿を祝いたいのです。

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「平和と平等」でのアジア地域のリーダー

 これまでは途上国時代からつづいてきた若者・中年や女性中心の「成長力」による“経済成長”でした。が、先進高齢化国ではそれにプラスして壮年・高齢者の「成熟力+円熟力」を活かした良質な国産・地産品による“経済伸長”(成長といわない)を展開すること。これは最速で高齢化率25%に達した日本が最初の試行国となるでしょうし、産物は将来の輸出品でもあります。
 いずれは「成熟+円熟」製品OPGがGDPを拡大することになります。そうしてはじめてアジア地域の「グローバル化」のために「足踏み」(総不況)をして待っていたわが国が、「平和と平等」のもとでのアジア地域のリーダーとして歴史的・国際的役割を果たすことになります。各地各界の中小企業が中核になって動き出し、優良新製品の製品化に挑む体勢を整えること。それが水玉模様のように広がったとき、この国の「高齢化社会」の総体が見えてくるのです。
 平和裏での「高齢化」を新世紀の目標に掲げる国連がもっとも期待する国際活動となるでしょう。わたしたちの小さな一歩が世界平和につながっているのです。(賛同される方はこの項をお仲間に転送してください。ねずみ算を信じて。2020・2・11

世代伝承する「戦禍の記憶」
クールジャパンとしての「高齢社会」

 未曾有の戦禍のあと、「平和と平等」を掲げて始まった大戦後の新たな社会づくり。
 1945・昭和20年当時20歳から34歳だった大正生まれの人びとは友人を戦場で失い、焦土に立って、若手としてその担い手となりました。
 両親が大正生まれの戦後っ子「平和団塊」のみなさんは、両親から肌に触れて熱っぽく「戦禍の記憶」を世代伝承されています。いま歴史に新たな「高齢社会」のしくみを創出しようとしている65歳から75歳の人びとです。一人ひとりが史的に国際的にライトを浴びているのです。
 先輩とともに「一億総中流」を成し遂げたみなさんが新たにこしらえる高齢者のための居場所、通い場所、施設、サービスなどは、おのずから「平和と平等」をバックボーンとして持つしくみとして形成されています。これらは、その後の格差が許容される時代に生まれた後世代の人が、格差社会で苦しみもがいた後にたどり着いて、ほっとする肌合いの温かいしくみとしてつくり出されているはずです。それゆえにこれらは時をへて、「平和と平等」を保持するしくみ・施設として、訪れる外国の人びとにクールジャパンとして評価される質と経緯をもって伝承されていくでしょう。2020・2・9

「月月火水木金金」から「毎日が日曜日」へ
「高齢資金3金」に一喜二憂して 

「月月火水木金金」というのは、国家のために休日なしではげむ日本海軍の艦隊勤務のようすを歌った軍歌のタイトル。戦時中に発売されて戦後も休日返上で働く国民のあいだで広く使われました。
「毎日が日曜日」というのは、読売新聞に1975・昭和50年に連載された城山三郎の小説のタイトルで、高度成長期を支える終身雇用の企業戦士と勤務しながら老後の個人の暮らしに備える人物といった企業中心の人生と個人中心の人生のありようを描いたもの。昨今の高齢化時代に、国家から企業へさらに個人の自己実現へと人生の目標を移した国民の暮らしぶりをいうようになり、社会に関心がうすい定年後の高齢者の生き方を、正社員になれず休日なしに働く若年労働者から実感をこめていわれます。
「高齢資金3金」というのは「貯金・退職金・年金」の高齢者をささえる生活資金のこと。「毎日が日曜日」の日々の家計を実質的にささえており、この個人差が暮らしの格差を生んでいます。
 わが国の高齢者は、戦後75年を「月月火水木金金」から「毎日が日曜日」へ、そのあいだに歴史に稀有な格差の少ない「一億総中流」期を体感して生きてきて、歴史的にも国際的にも稀有な長寿人生を「一喜二憂」しながら過ごしているのです。2020・2・7

高年者が保つ知識・技術を活かして 2
「一品三種」の三世代用品づくり

 高齢者(65歳+)が年ごとに増えつづけて4人にひとりに達して「高年世代」(25%+)が形成されたのが2015年です。新世紀のこの期間に高齢者になった人びと3580万人によって、みずからの生活感性にふさわしいスグレモノ(サービスも)が各地域・各分野でなぜ創出できなかったのでしょうか。知識も技術も人材も資金もあったのに。日常品は次々に途上国製の粗悪品に場を奪われてしまって。
 医療や介護で増えつづけた「支えられる高齢者」とともに増えつづけていた「支える側の高齢者」の人生を軽視してきた政界のリーダーたち。自分たちの世代交代に忙殺されて、将来の社会の姿を見通せなかった歴代政権の無策連鎖が原因なのです。こう指摘されても自分の責任だったと思う政治家はおそらくいないでしょう。高齢社会対策担当の特任大臣でさえも。こちらから名指しはできますが。

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家庭内の三代コーディネート

 そんな失政の犯人探しよりいま急いで有効なのは、モノによる暮らしの充実です。
 ソビエト崩壊後のグローバル化と呼ばれたアメリカ一極集中の自由経済への転回。東西ドイツを中心とするヨーロッパが主でしたが、アジアでは途上諸国の「日本化」が潮流となり、日本企業は資金・ノウハウ・人材を投じて対応することになりました。「日本の途上国化」です。現地での自主生産が可能になれば多くの企業は海外からもどってきます。
 職種にもよりますが、定年延長した高年社員と社友とが協力して、既存の自社ブランドのノウハウを活かして、新たな高年者向けの製品を発想・工夫して製品化すること。既存の売れ筋の青少年(成長期)用、中年者(一般)用に合わせて高年者(成熟+円熟期)用を加えて三世代用の「一品三種」(女性対応があれば四種)の製品化を実現することになります。家庭内の三代コーディネートがテーマです。
「これはわたし(パパ)の、これは家内(ママ)の、これは子ども(わたし)の、そしてこれは孫(Bちゃん)の」。流通経路も可能なかぎり歩行生活圏である旧商店街に確保して。2020・2・5

高年者が保つ知識・技術を活かして  1
品質の優れた国産・地産品の再現 

 ここは本会の事業・活動の芯柱です。どうか眼裏の塵を払って読み考察ねがいます。
 高齢期の暮らしを豊かにする「モノの高齢化」である品質のいい国産・地産製品づくり、高齢者向けの“made in japan”製品づくりに、熟練高齢者が保持している知識・技術が活かされるときがきました。体内に冷凍されてたいせつにときを待っていたはずです。
 高齢者となった人びとによって、みずからの生活感性にふさわしい新たなモノやサービスがなぜ創出されなかったのでしょうか。
* アジアで一国先進国化に成功していた日本の企業は、経済のグローバル化で起こった「途上国の日本化」で海外進出せざるをえなくなり、国内企業は「日本の途上国化」による総不況で足踏みを余儀なくされました。
* 「高齢化」に対する政治的な対策が、「高齢者はすべて被扶養者」という固定的な意識で「支えられる高齢者」のための社会保障のみが対象とされたこと。
* そして肝心の「支える側の高齢者」が、「退職金・貯金」に加えて100年安心の「年金」という「高齢資金3金」に支えられて「毎日が日曜日」と評される生活パターンに入ったからです。

・・・・・・・・・・・
 一度下げたエンジンをLからMに

 丈夫で長持ちする品質のいい国産・地産製品ができていれば、だれもが肌ざわりのいい良質な国産・地産品に取り囲まれて過ごし、後人や外国人にうらやましがられて、活き活きとエイジング期を過ごすことができていたはずでした。日用品の途上国化によるわが国の中小企業の停滞からの回復には高齢者向けの製品構想が求められます。
 高齢者向けモノとサービスをつくるには、足元から内需を安定させて経済を地域から持続可能(サステナビリティ)にする枢要なエンジンの働きが必要です。始動者はいうまでもなく実現しようとする構想力の旺盛な高齢者です。一度下げたエンジンをL(ロウ)からM(ミドル)にすることで始まります。
 この課題の成果は、日本オリジナルであるとともに国際的に先行する成功事例として「高齢化途上国」が次々に追随してくるにちがいありません。(つづく)2020・2・3

東洋の原理は「生命の常在」 1a
「人生100年」の先方を見通す

     再掲 2019・11・30他よりまとめ
 だれもが納得できる東西文明のありようです。
 西にむかった西洋文明の、「存在」についての原理(西洋の原理)は、「モノと心(神)」の二元論です。2千年紀のあいだ地上に秩序をもたらしましたが、いまや見える存在である「モノ」に関する「進化論」と見えざる「GOD」の複数存在によって、見えざる神同士の対峙と最終兵器の出現によって、人類滅亡の予兆さえもたらしています。とても「人生100年」の先方は見通せません。
 これに対して東にむかった文明の「東洋の原理」は、仏典が明かすように「生命の常在」であり、「ヒト」は「体・性・相」という「三身」(三元論)の存在として認識されています。
 インドの仏陀(ゴータマ・シッダールタ)は、80歳のときに王舎城を出て生地ルンビニーへ向かう途中、クシナーラーで「涅槃」を迎えています。そのとき同行していたいとこの阿難(アーナンダ)に「輪廻」を伝えています。「生命の常在」です。
 中国の孔子は「快力乱神を語らず」と言い、「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」とも言い、「現存する生」の中に歴史も未来も含まれるという立場ですし、荘子は世界は人間のみのものでないことを「万物斉同」として示しています。わが国の「八百万(やおよろず)」の神々は、生を受けたものはみな等しく、お互いの生を認めあうことの表象として存在しています。
「人生100年」は足下から遥かにつづいているのです。2020・2・1a

東洋の原理は「生命の常在」 1b
「健康寿命」(ケア三元)を伸ばすには

 ここではヒトの「生命の常在」を、「体・志・行」の「存在の三元」と表現しています。この三元のほかに人間存在はないというのが「東洋の原理」による生命観で、本稿ではそれをわかりやすく「からだ」と「こころ(ざし)」と「ふるまい」としています。
 これは生活者の立場でいえば「健康」「知識」「技能」の暮らし三元。医療の立場でいえば「疾病」「認知症」「介護」のケア三元となります。
 東洋の原理では、「ヒト」の生命(人生)は「からだ=体」「こころ・こころざし=心・志」「ふるまい=行」という三元の活動としてありつづけるということ。「人生100年」は足下から遥かにつづいています。西洋の原理である「モノ(進化論)と心(神)」の行き止まりに対して。
 ぜひ自得してください。かけがえのない「健康寿命」は、この三元のバランスによって命の躍動としてもたらされることになります。2020・2・1b

地域の特性を活かした形
家並み・街並みとしての住まい

 住まいは「高枕無憂」であること、「安眠」できることが何よりも幸せです。
「住宅」についての最近の実情からみると、国土交通省も各県レベルでも、住民みずからが所有して居住している「三世代同居」住宅を増やすよう努めていることに気づきます。自治体も子どもを安心して育てられる環境整備の手段として、世代間の助け合いを図るための「三世代同居」を促進していますし、税制上の軽減措置が図られています。世紀初めの骨太の方針「特性を活かした地域の発展」が底流になっているようです。ところが”七年七相”の歴代政府が地方政策として掲げて後押ししなかったために、全国の自治体の横比べ事業になっていないのです。
・・・・・・・・・・・
 三世代住宅への公的支援の不足が民間の「高齢者ホーム」建設の趨勢を助長しているのではと推測されます。健丈な高齢者の潜在能力を活用することなく、高齢期の可能性を押し込めてしまう「高齢者ホーム」(蜂の巣部屋)。それをふやさないで、家並み・街並みとして安定した「三世代同等同居」型住宅(家族の城)を積極支援する方向にむかうべきでしょう。高齢者100年の能力を地域で活用する明確な方向性は、地域100年の変容として姿をあらわすことでしょう。
 人生の終わりの時期に社会的な「自己実現」(国連五原則の一つ)を果たして、後人に敬愛されて、「尊厳」(国連五原則の一つ)をもって「寿終正寝」の姿で最期を迎えられるなら、わが家は最良の「終(つい)のすみか」といえるでしょう。2020・1・31
*参考論考2019:「三世代平等長寿社会」をつくる 第三章 ニッポン発二一世紀オリジナル 家庭・「三世代同等同居」型住宅に住む

1世紀仕様の「三世代同等同居」住宅 
わが家三代の暮らしの知恵をつなぐ

「三世代平等長寿社会」を豊かにするための苗床が「三世代同等同居」型住宅です。次世代の成長を見守るシニアがいて、高齢者をたいせつに思うジュニアが育つ家庭。中年世代の女性がM字型の寿退社なしに一文字就労ができる家庭。お互いのプライバシーを確保しつつ家族として絆を強くしながら、わが家三代の暮らしの知恵をつないでいく「三世代同等同居」。
 
三世代がそれぞれ家庭から外に出て、それぞれ個性ある住民活動を繰り広げる基盤となる「三世代同等同居」型の住宅が、1棟でも多くあるような「家並みづくり」に自治体は配慮すべきでしょう。「高齢化(長寿)の時代」でありその能力を有する高齢者がいる時期の地域対策として、家庭内で保持する個人の能力が外で発揮できるステージをもつ「街並みづくり」を横比べですすめることで、安定した家並み・街並みづくりにも一役をかうことになるでしょう。
 三世代(青少年・中年・高年)が三期(成長・成熟・円熟期)をそれぞれに享受できる家族プライバシーの確保された「三世代同等同居」型の住宅、大柄で堅牢で個性的なセンチュリー住宅が、1棟また1棟と増えていき、子・孫の時代の日本標準住宅になるよう努め合う時期にあるのです。2020・1・27

「終(つい)のすみか」について 
うさぎ小屋から蜂の巣部屋へ

「終(つい)のすみか」については、さまざまな個人的事情があり希望もあることでしょう。背後に時代ののっぴきならない特殊な状況もありますし。
 本稿はここで親・子・孫((例:80・50・20歳)の「三世代」で暮らし、保持している能力を活かしてそれぞれに「自己実現」を果たし、最期は自宅で家族に見守られて去世する「寿終正寝」のできる「三世代同等同居(三同同)」型住宅を提唱しています。
 それと対極の近くにあるのが「ケア付き高齢者ホーム」です。大都市周辺で急速に大型マンション建設がすすめられ、入居も順調で高齢者がもつ資金の流動をつくっているようです。まだ健康なうちに将来の「介護」にも不安のない日々を先取りして、独りで暮らしてだれにもケアの負担をかけずに静かに暮らして終わる人生。かつてうさぎ小屋と揶揄された一戸建てでそれでも幸せに暮らして子供を育てて、最期は蜂の巣ワンルームで独居して静かに終わる人生。同じリタイア仲間と慰め励ましあいながら日また一日を送り、時折りたずねてくる家族や友人に会う。「支えられる側」への思慮を先行させた高齢期投資です。生活のあれこれの利便性に配慮がなされています・・。2010・1・25

「平和と平等」から「軍事と格差」へ
転回を拒めるか「平和団塊」の人びと

・・・2020・1・20~
 ご自分は「高齢期」に達していると自覚しているみなさん、とくに先の大戦の戦後に生まれた「平和団塊」(1946~1950年)のほぼ1000万人のみなさんを中心に訴えます。「青少年時代」(~30歳、成長期)は、戦禍からの復興期に先輩とともに貧しくともみんなで豊かになろうと努めました。「平和と平等」指向の国づくりです。それあって30年後、史上にまれな「一億総中流」の社会を現出したのでした。
「中年時代」(~60歳、成熟期)」は、米ソ冷戦の終結、バブル経済の崩壊、途上国の追い上げによる日本の渋滞があり、非正規雇用、百均商品・・。
 そして「高年時代」(65歳~90歳+、円熟期)は、「七十古希」に達して「毎日が日曜日」と揶揄される余生・・。
 新世紀にはいってアメリカ主導の「一国優先主義」が国際協調を逆転回させ、国内では「平和と平等」に代わって「軍事と格差」が拡がる兆しをみせています。「高齢者率」(65歳以上の人口比率)が28%を超えて成立した「高年世代」が存在感を示して「軍事と格差」への芽を摘み、「平和と平等」を体現しつづけて、「三世代平等長寿社会」を創出することが急務です。その拠点のひとつが「a三世代平等長寿社会を達成するみんなの会」であり、高齢期を共有し信頼し合える仲間の集結が必要です。2020・1・20

「三世代平等長寿社会」(論考)

  2020・1・1~1・20 まとめ
  目次
1 だれが「平等」を体現するか(序論)
  「社会の高齢化」が遅延
 「余生」を安眠して暮らせるか(経済)
  一品三種の国産・地産品づくり 
3 国連の「高齢者五原則」が指針(国際)
4 「高齢者対策」と「高齢社会対策」(政策)
  高齢者を温存でなく軽視
5 犍陀多(カンダタ)の話(格差)
6 平和と平等」から「軍事と格差」へ(歴史)
7 後の世代に負債を残さない(将来)
  大地から湧き出るように

1 だれが「平等」を体現するか(序論)
 改元の初年をつつがなく過ごしおえて、新たな年を迎えているみなさんのこの一年に期待して訴えます。とくに高齢期にいると自覚しているみなさんに。
 こと改まって訴えるのは「三世代平等長寿社会」の創出についてです。
 ここで「三世代」というのは、「青少年世代(成長期)」「中年世代(成熟期)」「高年世代(円熟期)」を指しています。あいまいな言い方のようですが、だれもが自分が人生の三期のどこに属しているかは実感としてわかるもの。身近でわかりやすい例としては、孫・子・自分の三代のそれでしょうか。長寿の時代ですから孫・子・自分・親という「四世代平等長寿社会」を想定する人もあって、このほうが問題意識がよりはっきりしていてタイトルとしても刺激的かもしれません。

 たとえば七〇歳の「古希」を迎える“ぶらさがり団塊”のAさん(一九五〇年・昭和二五年生まれ)は、敗戦の戦禍の残るさなか自分を産み育ててくれた九四歳の母(一九二六年・昭和元年生まれ)が健在でおり、団塊ジュニアとともに就職氷河期をかいくぐってきた四五歳の子ども(一九七五年・昭和五〇年生まれ)がおり、これから二一世紀を生きぬく二〇歳の孫(二〇〇〇年・平成一二年生まれ)がいるという四世代同居の一家です。「わたる世間・・」ふうのドラマができそうな家族です。
 とはいえ目下の主要な課題は「三世代平等長寿社会」の達成にあります。「三世代が平等である社会」を、「高齢化」が進行し高齢者が増えている時に合わせて、みんなでそれぞれの家庭と周りの生活圏で達成する。それによってゆくゆくは同時代をともに生きるだれもが安心して暮らせる生活環境を整えようというのが、この表題の趣意ということになります。とくに高齢期を自覚している人には現実に動いている「平等でない社会」の存在が意識されているのでは。

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「社会の高齢化」が遅延
 これまでは「人生六五年」、これからは「人生一〇〇年」というのは、いずれも世にいう人生の到達目標に対する政府の見解です。両者のあいだには明らかな意識の転回がありますから、それに対応しながら本論考の筋書きのほうに視点を動かしてみると、
「二世代(二〇+四〇)+α」型から「三世代(三〇+三〇+三〇)+α」型へ
 という一気の転回になります。
 世代の年数は基準値ですからご自分の実情に合わせて足し引きすればいいでしょう。ただし六五歳から一〇〇歳へと一気に跳んでしまった原因は、新世紀二〇年のあいだの政策不履行の連鎖にあったことは肝に銘じておいてください。
 世にいう「お年寄り」というのは七〇歳からのようですが、七〇歳については、遠く一二五〇年前に五八歳で去世した唐の詩人杜甫が詠んだ「人生七十古来稀なり」(曲江)から七〇歳が「古希」と呼ばれて、長いあいだ賀寿のひとつとされてきました。
 が、いまやだれもが「古希」にたどり着ける「長寿(高齢化)の時代」であることは、スーパーの売り場を眺めても実証されます。課題はそれに見合ったさまざまな場での変容が追いついていないことにあるのです。「人生一〇〇年」で見えてきたことは、より現実的な「七十古希」のみなさんの暮らしに見合う「社会の高齢化」の遅延です。

2 「余生」を安眠して暮らせるか(経済)
 令和(後平成)二年には、一九五〇年・昭和二五年生まれのみなさんが七〇歳の「古希」に、そして終戦の一九四五年・昭和二〇年生まれのみなさんが七五歳の「後期高齢者」に到達します。その間の「団塊世代」を含む戦後生まれのほぼ一〇〇〇万人の人びとが、稀れどころかみんな「丈夫で長持ち」で品質の優れた“made in japan”の日用品よろしく元気に暮らしているのです。
 それぞれが”自己実現“のために日また一日を工夫して多様多彩な人生を送っている「平和団塊」のみなさんです。「一億総動員」した戦争が終わって、「安眠」ができるようになった「平和」の時代に生まれて七〇年余を生きてきた証しとして。
 本来なら、いま日々を過ごしている地域の生活圏で、長年かけて培ってきて今でもたいせつに保っている知識や技術や人脈や資産などを活かして、高齢期の生活感性にふさわしい新たなモノ(サービスも)を製品としてつくり、商品として流通させ、家庭にはいって生活用品として利用しているはずでした。

 そういうモノの変容があってはじめて高齢期のみんなの暮らしを豊かにすることができるからです。ところが日本の一国先進国化にアジア諸国が追随して、途上国の日本化とともに日本の途上国化が「グローバル化経済」のアジアでの潮流となり、心地よい国産・地産製品が息づく和風のわが家とはならずに、いわゆる「百均商品」に囲まれた家庭内途上国化が割って入ったのでした。
 何もなかった敗戦後や復興期の暮らしを知る者としては、遅れて豊かになろうとしている途上国産のやや粗雑な製品に不満はいえませんが、日本ではひととき、品質の確かな国産・地産品に囲まれて、歴史の上で理想とされる「大同社会」の姿である「夜、戸を閉じず」のままでセキュリティなど気にせずに「安眠」できた「一億総中流」の時期を体験しているのです。
 その故あって、高齢者は敗戦後の社会を復興・発展させた功労者として、みんなの善意によって分け隔てなく“被扶養者”として温存されてきたのでした。今も高齢者はだれもが労苦しないですむ「余生」が約束されていると信じて暮らしているのです。ところが新世紀一九年にして、二〇〇〇万円もの生涯生活費の不足が他ならぬ財務省から漏れて出てきているのです。

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一品三種の国産・地産品づくり
 高齢者の暮らしを豊かにするモノの「高齢化変容」である国産・地産製品。品質のいい“made in japan”製品は復活・再生ができるのでしょうか。
「失われなかった二〇年」――高齢者が年々増えつづけて高齢化率二五%(二〇一五年)に達して「高年世代」が形成されたこの期間に、高齢者となった人びとによって、みずからの生活感性にふさわしい新たなモノやサービスが各地域・各分野で創出できていれば、だれもが肌ざわりのいい良質な国産・地産品に取り囲まれて過ごし、後人や外国人にうらやましがられて、活き活きとエイジング期を過ごすことができていたはずでした。
 繰り返しは老齢特性ですから何度もいいますが、新世紀に入って増えつづけた「支える側の高齢者」の人生を軽視してきた政治リーダー。その失政の連鎖が原因なのです。こう指摘してもご自分の責任だと言う政治家はおそらくいないでしょう。こちらから名指しはできますが。

 そんな失政の犯人探しよりいま有効なのは、意識した高齢者の一人ひとりが、あたかも泉眼のようにこんこんと内発する発想をたいせつにすること。
 職種にもよりますが、可能な企業なら高年社員と社友が協力して、既存の自社ブランドのノウハウを活かして新たな高年用の製品を発想・工夫して製品化すること。既存の青少年(成長期)用、中年者(一般)用に合わせて高年者(円熟期)用を加えて三世代用の“一品三種”(女性対応があれば四種)の製品化を実現することにあります。
「これはパパの、これはママの、これはわたくしの、これはBちゃんの」という家庭内用品のファミリー・コーディネートが主要テーマです。
 これまでは途上国とも競い合う若者や女性の「成長力」による“経済成長”でしたが、先進高齢化国ではそれにプラスして、高齢者の「成熟+円熟力」を活かした良質な国産・地産品による“経済伸長”(成長というとまぎらわしい)をどういうふうに展開するかが、企業の実情に合わせた急務となってくるのです。これも日本が最初の試行国となるでしょう。将来の輸出品づくりです。
「高齢者向けモノとサービスをつくる」ことは、足下から内需を安定させ拡大させて経済を持続可能(サステナビリティ)にする枢要なエンジンの働きです。実現者はいうまでもなく、自立し参加し自己実現しようとする高齢者のみなさんです。
 この課題の解決の成果は日本オリジナルであるとともに、国際的に先行する成功事例として「高齢化途上国」が次々に追随してくるにちがいありません。

3 国連の「高齢者五原則」が指針(国際)
 両世紀をまたぐころには世紀の幅でいろいろな議論がなされました。
 そのとき国連は、二一世紀の潮流として国際平和を保ちながら迎える「高齢化」を見通して、一九九九年を「国際高齢者年」(International Year of Older Persons)とし、一〇月一日を「国際高齢者デー」と定めて、高齢者が自立して「すべての世代のための社会をめざす」活動に参加するよう呼びかけたのでした。
 国連の掲げた「高齢者のための五原則」は「自立(independence)・参加(participation)・ケア(care)・自己実現(self-fulfilment)・尊厳(dignity)」です。
 当時わが国は国際的「高齢化マラソン」の先行国グループのなかで、アジア唯一のそれも際立ってスピード・ランナーとして注目されていました。国民の関心も広がって、総務庁をフォーカルポイント(窓口機関)として全国展開をしています。全国の自治体の関連事業は一〇八三件に及び、一〇月一日には東京都庁で記念式典が行われて、就任したばかりの石原慎太郎都知事があいさつをしています。民間団体を結集した高連協は「高齢者憲章」を起草し、九月一五日には東京・大隈講堂で、堀田力代表が報告をしています。憲章は以後の活動の指針となっています。
 国際的にダントツで「高齢化」で先行するわが国は、それから二〇年、先進的な「高齢化対策」のモデル事例を期待されながら、「高齢社会対策」を自然渋滞させてきたのです。世界に先例がないゆえにわがこととして自立・参加して体現する「高年世代」が不在の時期には、対策構想(「高齢社会対策大綱」、一九九六年~)は準備したものの実質的な進展をみませんでした。国際的な指針としての「国連・高齢者五原則」のうち、実感できているのはわずかに「ケア」だけというのが実情なのです。

4 「高齢者対策」と「高齢社会対策」(政策)
 わが国は「高齢化」が世界一という速さで進んで、六五歳以上の高齢者が人口に占める「高齢化率」が二八%を超えました。そこで「高齢化対策」というとき、急増する「支えられる高齢者」を対象にした「高齢者(ケア)対策」のほうはこの二〇年、財政上の負担に苦慮しながら暦年の予算を継いで、国際的レベルを保持してきました。
 ところが一方で同時に急増している「支える側の高齢者」を対象にした「高齢社会(参加)対策」は、一九九六年に「高齢社会対策大綱」として閣議決定(橋本内閣)したものの実現に向かいませんでした。小泉内閣、野田内閣でも見直しは行われていますが、高齢化率七%ごとにといった実態からではなく、機械的に五年ごとの義務付け見直しですから、緊急性うんぬんもいわれて、際立った進展をみませんでした。
「高齢者(ケア)対策」だけでも国・自治体にとっては並大抵の事業ではなかったのですが、加えて「高年世代」の登場とともにこれまで延滞してきた「高齢社会(参加)対策」の課題が重なってきているのです。

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高齢者を温存でなく軽視
「高齢社会(参加)対策」は社会のしくみの変容にかかわりますから、自治体によって事情が異なりますが、それゆえに独自の対策が可能であり必要になります。
 地域で増えつづける元気な高齢者のみなさんが参加しないでいては「少子高齢化」の進行とともに地域活動は萎縮するばかり。多様性(ダイバーシティ)がいわれて女性は八面六臂の活躍ですが、一方で高齢者は「毎日が日曜日」と揶揄されています。自治体の独自の「高齢社会(参加)対策」によって、「労働力減少」ではなく「労働力変容」を成し遂げることができて持続可能な地方経済の伸長が見込まれるのです。
「高齢者(ケア)対策」と「高齢社会(参加)対策」は両翼なのですが、この二〇年は「高齢者(ケア)対策」のみの片肺飛行がつづいているのです。若者と女性の活動による“経済成長”のみに期待し、地域で暮らす元気な高年者のもつ“成熟+円熟力”による“経済伸長”を軽視してきたのです。功労者である高齢者を温存するところが軽視しつづけることになった政策によって、高齢者は世情の逆風にさらされる状態になっているのです。
 かつてみんなが豊かになることをめざした「一億総中流」のために、個人的な預金にまわさず貯蓄ゼロをいとわなかった推進者(中小規模の企業主には借入が残る)が高齢期になって「下流老人」と呼ばれたりしています。社会の内部に亀裂がおこり、「格差」が生じているのです。

5 犍陀多(カンダタ)の話(格差)
 芥川龍之介の『蜘蛛の糸』は一九一八年・大正七年の作品ですから一世紀前のことになります。子ども向けの雑誌『赤い鳥』の創刊号に書いた童話で、お釈迦さまがおいでになる極楽とその対極である地獄との間で、一筋の蜘蛛の糸にすがっている犍陀多が主人公です。もちろん天上が極楽ですから、蜘蛛の糸は極楽から地獄へと垂れていて、犍陀多はその糸にすがって極楽へとむかう途中にいます。
 本人は覚えていないのですが、悪党だった犍陀多がかつて一匹の蜘蛛を踏みつぶさずに助けてやったことがあって、そのことからお釈迦さまは仏界から一本の蜘蛛の糸を下ろして、地獄であえいでいた犍陀多を救ってやろうというのです。上へいけば極楽へたどりつき、落ちればまた地獄という中間で、犍陀多が下をみると、蜘蛛の糸にすがって蟻のように後から後から罪びとたちが昇ってきます。
 極楽へつながるのは一筋の細い蜘蛛の糸。たくさんの人がぶらさがっては重さに耐えきれずに糸は切れてしまう。悪党ですからとっさに自分の下で糸を切ることくらい思いついたとしても不思議ではないのですが、作家は犍陀多にそんなことをさせるいとまを与えません。犍陀多は地獄に落ちていくことになります。

 じつは芥川のこの『蜘蛛の糸』の話には元ネタがあって、鈴木大拙が訳したポール・ケーラス著『カルマ(因果の小車)』からモチーフを得ているのです。やはり仏陀に「この糸を便りて昇り来たれ」といわれて、犍陀多は極楽へとむかいます。が、同じように後から後から糸にすがって昇ってくる人びとに気づいて、「去れ去れ、この糸はわがものなり」と絶叫するところで糸が切れて地獄へ落ちていきます。
「自分だけは」と願ったゆえに地獄へ落ちていく犍陀多を見る大拙と龍之介とが感じていたところは同じではないでしょう。大拙が関心を持つのはひとりの凡夫としての犍陀多の心の動きであり、芥川が「極楽と地獄」という対極を明確に示したのは、おそらくは当時、鋭敏な作家の眼前で広がりつつあった「格差」を表現したかったからにちがいないからです。

6 「平和と平等」から「軍事と格差」へ(歴史)
 極楽は『蜘蛛の糸』で芥川が表現するように、単調でつまらなそうに思えます。自分を理解してくれるような仲間はいなそうで。地獄から極楽までたどる途中に他に何か別の世界があるはずで、できることならそこで下からくる連中に糸をくれてやって塗中下車してもいいと思った人もあることでしょう。
 そののち「天災=地獄」である関東大震災(一九二三年・大正一二年)に遭遇して、芥川は東京下町のふるさとが焼尽する「地獄」をみ、「唯ぼんやりした不安」に襲われます。のちの時代の「人禍=地獄」となる「大東亜戦争」(日中戦争・太平洋戦争)がどこまで予見されていたかは知れませんが、「唯ぼんやりした不安」に襲われたまま一九二七年・昭和二年七月に自死してしまいます。犍陀多の糸を切ったのです。将来に自分が生ききれない時代を予見していたことは確かです。 
 いままた「二〇一一・三・一一 東日本大震災」の後遺症が癒えない世の中に、「平等」よりさまざまな「格差」が露出するなかで「平和」を危うくする自衛隊の中東派遣、日米同盟強化など「軍事」が動く気配があります。信頼するにほど遠い政治指導者。それを感じて「将来の不安」に襲われている多くの国民。

「平和と平等」という大戦後七〇年余を支えてきた未来指向から「軍事と格差」を容認する風潮が広がっていく現実。衣装を替えて現れる国民の性向(悪癖)。
「自分だけはなんとか」と願いながら、極楽へゆくこともままならずに地獄に落ちていく現代の犍陀多。それでも自分の糸がいちばん遅くに切れることに一縷の望みをつないで。
「戦場」を体験した大正人。胸中に戦禍を収めて外界の「平和」を保った昭和人。「平和と軍事」という存在の多重性の間を行き来した平成人。そして胸中の「平和」を守るために外界に「軍隊」を要請する令和人。いままた「平和から戦争へ」そして「平等から格差へ」と時代の振り子が戻ってゆく気配。
 人生に「一〇〇年」という長い期間を得ても、将来への「不安」を抱えて過ごさねばならないのは酷な話。そのなかで「自分だけはなんとか」という思いで暮らすのも罪な話。酷でもなく罪でもない穏当な人生を送るにはどうすればいいのでしょうか。 

7 後の世代に負債を残さない(将来)
 見出しとしては唐突すぎるので経済の欄では控えましたが、「一〇〇〇兆円超の国の負債を負う」というものです。まだ見ぬ子孫に大きな負債を残さないようにできるのは、「高齢化(長寿)社会」達成のプロセス以外にはないというものです。
 三五八〇万人に達して「高年世代」を形成し、家計黒字(一四〇〇兆円超)の大半を有し、培った知識と技術を保ち、働く意欲を持っている高齢者は、いまある社会の隙間を埋めるようなしごとをしていないで、みずから新たな「社会の高齢化」を構想し実現すべきであること。高齢者がもつ潜在力によって時代の転回が可能な機が熟していると感じている人が数多く湧出している今がその好機であると、二〇年来仔細に観察してきた本稿がここに声高に訴えているのです。成熟力・円熟力を活かせる人びとの総力による「高齢化(長寿)社会」(三世代社会)の形成です。
 暦年の政府の年度予算の立て方では何年かかっても負債は年々じわじわ増えるばかり。重圧になるような負債を負ってこの国に生まれてくる子どもはかわいそう。子どもが生めない責任は若い人にはありません。
 ではだれがどうやって?
 ここが発想の転回点です。

* * * * * * * * * * *
大地から湧き出るように
 一九九九年の「国際高齢者年」からこのかた二〇年、「高齢化(長寿)」の当事者である高齢者はどうしてきたのでしょうか。
 一九六一年にスタートした「国民皆保険」、二〇〇〇年にスタートした「介護保険」の充実、そして最近では自治体ごとに「地域包括支援センター」が設けられて、住民が高齢期を安心して暮らせる体制が形づくられてきました。
 周りを見てわかるように、大方の高齢者は身の丈いっぱいの貯金と、ほどほどの退職金と、一〇〇年安心の年金の受給を得て、労苦しないですむ“余生”を過ごしてきたのではないでしょうか。繁栄の時代をこしらえてくれた先人(功労者)に対する後人の慰労の善意によって支えられて。
 それゆえに現役の時に培った知識も技術も活かすことなしに。これが将来問題になるとは気づいても、世代交代の渦中にあった政界からはだれも言い出せないで推移してきたのです。
 二〇年間に活用されずに先人の去世とともに失ってしまった知識や技術や経験や構想などの総体は、実に膨大なものとなっています。失った生命は二〇年のあいだに二三〇〇万人を数えます。
 わかりやすくいえば、失ってしまったかけがえのない先人の潜在力は、この間の社会保障費を相殺し、国家の負債となっている一〇〇〇兆円超の過半の負担に堪えるほど膨大だったのです。

 善意で始まったとはいえ、今までのような「余生」がいつまでも許されるほどに先人が蓄えてくれた国力に余裕があるわけではありません。その上に歴史に学ばず戦禍を知らない世代の政治リーダーは、先人がこしらえてくれた公的な基盤の上で、私的な仲間うちでサクラを見る会を催したり、中東へ自衛隊を送ったり、必要とあればお札を刷り増して戯れに興じているのです。先人が労苦して育てて実らせた果実を「秋収冬蔵」せずにわがもの顔に消費しているようにしか思えないのです。
 戦後の「平和と平等」の社会をこしらえてきて今なお勝れた知識と技術と見識をもつ高齢者が、みずからと後人のために、もうひとしごとをしてから去る覚悟をしなければならないようです。
 活かせれば可能な潜在力によるモノやサービスや居場所やしくみづくり。成熟+円熟期にある人びとが保っている生活感性に、知識・技術・資産・人脈を活かして地域生活圏での日々に新たな暮らし方を提供しみずからも実感して。
 そういう自立した生き方が日本オリジナルの「高齢化(長寿)社会」を形成するプロセスの源泉であり、一人ひとつの泉眼なのです。内から湧き出る発想とその実現。それが見渡すかぎり水玉模様のように重なって広がって大地を覆いつくすとき、総体としての日本社会の「高齢化」が達成されることになります。
 上からではなく大地から湧き出るように 。 止
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20年の片肺飛行がつづく  
「高齢者(ケア)対策」と「高齢社会(参加)対策

・・・・・・・修整して論考へ
「高齢化」が世界最速で進んで、「高齢化率」が28%を超えたわが国で、「高齢化対策」というとき、みなさんは何を思いますか。まずはご自分の人生にかかわる医療、介護、それから福祉とか年金とか・・。
「高齢化対策」には上記のような高齢者個人にかかわる「高齢者(ケア)対策」がありますが、それとともにモノ・サービスや居場所づくりといった生活環境にかかわる「高齢社会(参加)対策」があります。そのうち「高齢者(ケア)対策」のほうはこの20年、急増する高齢者を対象にして財政上の負担に苦慮しながらも年々充実させて、国際的レベルを保持してきました。これはだれもが身近に経験してきたところです。
 とくに1961年にスタートした「国民皆保険」、2000年にスタートした「介護保険」の充実、医療面での各診療科の施設・医療の充実などは日進月歩でしたし、最近では自治体ごとに「地域包括支援センター」が設けられて、住民が高齢期を安心して暮らせる体制が形づくられてきています。だれもがその恩恵を受けており、そのために努めてきた多くの関係者の誠意は実感しているところです。
 これだけでも国・自治体にとっては並大抵の事業ではなかったのですが、加えて「高齢社会(参加)対策」の課題が重なってきているのです。2019・12・25
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「高齢社会(参加)対策」は社会のしくみにかかわりますから、自治体によって事情が異なりますが、それゆえに独自の対策が必要になります。
 まずは急増している高齢者の「参加意識」の醸成、これが基本中の基本です。
 その上で就労の延長や高齢起業による高齢社会にふさわしいモノやサービスづくり、居場所・通い場所の設置、生涯学習のしくみ、「世代交代」ではなく「世代交流」、暮らしや介護やエンディングを含む地域での「支え合い(互助)」、ユニバーサル・デザインの行き届いた住居、安全な移動・・そのほか「高齢社会(参加)対策」の課題は多々あります。
 地域で増えつづける元気な高齢者のみなさんが参加しないでいては「少子高齢化」の進行とともに地域活動は萎縮するばかり。「高齢社会(参加)対策」によって、「労働力減少」ではなく「労働力変容」を成し遂げることができて持続可能な「高齢化経済」の伸長が見込まれるのです。これは地域だけではなく企業でも重要な課題です。
「高齢者(ケア)対策」と「高齢社会(参加)対策」は両翼です。この20年は片肺飛行がつづいているのです。2019・12・27

「非軍事平和」をどう保つのか 2
「憲法9条」を100年保持して国際祝典を主宰

「人生100年」の長寿をめざす目標のひとつとしての提案です。
 8000万人を超える被害者(死者)を出した第二次世界大戦のあと、連合国側も枢軸国側もともに当事者として、戦争のない世界を希い求めたのでした。最終兵器とされる原子爆弾の被災をうけた敗戦国日本の「非軍事平和」による復興と国づくり。それは戦後の国際社会にとって、“人類の信義”において「戦力の永久放棄」の条項が刻まれた新憲法のもとでの国家再建として、わが国は国際モデル事例の達成をゆだねられているのです。
 その形成プロセスは時を経て、全世界のとくに中小国の平和志向の市民層に広く支持されることで、「憲法9条」の保持は原爆の完全廃棄とともに21世紀を貫く運動になり、1947年5月3日の施行から100年を経た2047年に、21世紀最大の国際平和行事「日本国憲法100年記念祝典」が開かれることになるでしょう。全世界の平和志向の市民のスタンディング・オベイションを受けて。これは日本の高齢者層にとって、なる事業ではなく、なす事業としてゆだねられているのです(「半藤一利・藤井裕久対談」から。2018・6・5)。
 もちろん論ずるまでもなく、独立国であるかぎり、自衛のための軍備は国際環境に配慮しつつ保持するのは当然ですが。 2019・12・19
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 大戦後つづいた国際協調から反転する逆流がまたアメリカから生じています。トランプ大統領の「一国優先主義」は米中の経済摩擦を契機にして国際的な潮流となり、経済の「一国優先主義」による通貨切り下げ競争となり、それに影響を受けた世界経済の変調が世界不況という人禍の再来すら危惧させるのです。国際的に歴史が繰り返される恐ろしい光景です。
 歴史探検家の半藤一利氏は反省をこめて「国家の品格(公益)は平和を守ること」(上記対談から)といいます。「憲法9条」はわが国が世紀を越えて掲げる国際協調の旗印(聖火)であり、とくに中小国の平和を願う市民に訴えて「9条」の趣意を共有し、2047年に「日本国憲法100年記念祝典」を世界各地の市民とともに行うこと。その主宰者は平和の証として100歳に達するわが国の「平和団塊」(戦後世代)の代表です。長寿をめざし、それを覚悟として生きてほしいのです。一人またひとり。2019・12・21(本会の課題・活動 「平和憲法100年記念国際祝典2047推進会議」 )

「非軍事平和」をどう保つのか 1
敗戦国日本のなすべき片務(偏務)

 戦場こそ知らないけれども戦禍を知る戦後生まれの「平和団塊」(1946~1950年生まれ)のみなさんの髪もおおかた白くなったことでしょう。「一億一心総動員」まで叫ばれた先の大戦の敗戦のあと、「戴白の老も干戈を見ず」(白髪になった老人も戦争を知らない。中国宋代のことば)という史上まれな長期間の平和社会をつくりあげてきた大正・昭和生まれの日本人。それぞれの戦禍の記憶を胸の奥に収めて、先人・同輩とともに「非軍事平和」の国づくりにたずさわって70年余り。
 戦争の火は消えず、戦場は朝鮮半島、ベトナム、中東へと移りましたが、わが国内では「平和と平等」の社会と「九割中流」の経済を成し遂げました。20世紀後半の奇跡とまで評される”近似大同社会”(夜不閉戸)に、世界からの関心が向けられているのです。「クールジャパン」です。アジアで際立つノーベル賞各分野の受賞はその評価の証しです。そして平和の明しである「憲法9条」は、世紀をこえて日本人一人ひとりが高く掲げて海外をめぐる聖火です。増えつづける訪日外国人による「クールジャパン」のダントツが「平和と平等」による日本の確認であって当然なのです。2019・12・15
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 いままた「一億総活躍」をいうなら「一億総懺悔」をした敗戦後の原点に立ち返っての国民的論議が必要です。「戦禍」の記憶を、高年者は胸の奥を探って確かめ、中年・青少年は新たに胸の奥にとどめるべきときだからです。胸の中に「平和」だけを持つ次世代に「平和」は守れないからです。胸の中の「平和」を守るために外に軍隊を必要とするからです。
 第二次世界大戦の終結に際して、敗戦国日本が内発的な反省をこめると同時に、勝利者である連合国(とくにアメリカ)もまた国際的視野から武力を“人類の信義”において「永久に放棄」した日本国憲法の成立を希って関与したことは明らかです。「非軍事平和」による徹底した国づくりが日本の片務(偏務)であり、それを守る片務(偏務)としての軍事の役割は、威嚇し行使できる武力を保持する連合国側(とくにアメリカ)にあります。日本の軍事力に期待するトランプ発言は歴史的暴言です。
 根がその歴史の深みにまでとどかず、「第2項に自衛隊を明記する」などという底が浅く内向きな現役政界人の自主憲法論議。それによる憲法改定は歴史的暴挙です。対して身をもって「平和と平等」を体感し体現しながら活躍した中村哲医師のような高年者の存在。「武器を用いずに平和を具現化できるのは9条があるから」ということばは、「日本国憲法」がもつ国際的片務(偏務)についてのかけがえのない遺言として、原点に立ち返っての国民的確認が必要なのです。一人またひとりの。(つづく)2019・12・17

犍陀多(カンダタ)の話 2 
われあとに地獄へ落ちるとき

改稿 論考へ
『蜘蛛の糸』で芥川が表現するように、極楽は単調でつまらなそうに思えます。自分を理解してくれるような仲間はいなそうで。地獄から極楽までたどる途中に他に何か別の世界があるはずで、できることならそこで下からくる連中に糸をくれてやって塗中下車してもいいと思った人もいることでしょう。
 芥川はそののち「天災」である関東大震災(大正12・1923年)に遭遇して、東京下町のふるさとが焼尽する「地獄」をみ、「唯ぼんやりした不安」に襲われます。鋭敏な作家にのちの時代の「人禍=地獄」となる「大東亜戦争」(日中戦争・太平洋戦争)がどこまで予見されていたかは知れませんが、「唯ぼんやりした不安」に襲われたまま昭和2・1927年7月に35歳で自死してしまいます。犍陀多の糸を切ったのです。将来に自分が生ききれない時代を予見していたことは確かです。そのあと引き起こされた「軍国主義」による「一億総動員」の戦争・・。2019・12・11
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 いま「2011・3・11 東日本大震災」のあと、世にさまざまな「格差」が広がるなかで「軍事」が動く気配を感じて「不安」に襲われている多くの庶民。信頼するにほど遠い政治指導者。大戦後70年余をすごしてまた「平和と平等」への指向から「軍事と格差」を容認する風潮が広がりつつある現実。衣装を替えて現れる国民の性向(悪癖)。「自分だけはなんとか」と願いながら極楽へゆくことができず地獄に落ちていく現代の犍陀多。それでも自分の糸がいちばん遅くに切れることに一縷の望みをつないで。
 胸中にそれぞれの戦禍を収めて外界の「平和」を保った昭和人、「平和と軍事」という存在の多重性の間を行き来した平成人。そして胸中の「平和」を守るために外界に「軍隊」を要請する令和人。いま「平和から戦争へ」「平等から格差へ」と時代の振り子が戻ってゆく気配・・。
「100年人生」という長い高年期を得ても、将来への「不安」を抱えて過ごさねばならないというのは酷な話。そのなかで「自分だけはなんとか」という思いで暮らすというのも罪な話。酷でもなく罪でもない穏当な人生を過ごすにはどうすればいいのか。「平和と平等」への個別の回答を自得することが本会の課題ですが。2019・12・13

犍陀多(カンダタ)の話 1 
「平和と平等」から「軍事と格差」へ

改稿 論考へ
 芥川龍之介の『蜘蛛の糸』は大正7・1918年の作品ですから、ちょうど一世紀前のことになります。子ども向けの雑誌『赤い鳥』の創刊号に書いた童話で、お釈迦さまがおいでになる極楽とその対極である地獄との間で、一筋の蜘蛛の糸にすがっている犍陀多が主人公です。もちろん天上が極楽ですから、蜘蛛の糸は極楽から地獄へと垂れていて、犍陀多はその糸にすがって極楽へとむかう途中にいます。
 本人は覚えていないのですが、悪党だった犍陀多がかつて一匹の蜘蛛を踏みつぶさずに助けてやったことがあって、そのことからお釈迦さまは仏界から一本の蜘蛛の糸を下ろして、地獄であえいでいた犍陀多を救ってやろうというのです。上へいけば極楽へたどりつき、落ちればまた地獄という中間で、犍陀多が下をみると、蜘蛛の糸にすがって蟻のように後から後から罪びとたちが昇ってきます。
 極楽へつながる一筋の細い蜘蛛の糸。たくさんの人がぶらさがっては重さに耐えきれず糸は切れてしまう。悪党ですからとっさに自分の下で糸を切ることくらい思いついたとしても不思議ではないのですが、作家は犍陀多にそんないとまを与えません。
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 じつは芥川のこの『蜘蛛の糸』の話には元ネタがあって、鈴木大拙が訳したポール・ケーラス著『カルマ(因果の小車)』からモチーフを得ているのです。やはり仏陀に「この糸を便りて昇り来たれ」といわれて、犍陀多は極楽へとむかいます。が、同じように後から後から糸にすがって昇ってくる人びとに気づいて、「去れ去れ、この糸はわがものなり」と絶叫するところで糸が切れて地獄へ落ちていきます。
「自分だけは」と願ったゆえに地獄へ落ちてゆく犍陀多を見る大拙と龍之介とが感じていたところは同じではないでしょう。大拙が関心を持つのはひとりの凡夫としての犍陀多の心の動きであり、芥川が「極楽と地獄」という対極を明確に示したのは、おそらくは当時、鋭敏な作家の眼前で広がりつつあった「格差」を表現したかったからにちがいないからです。(つづく)2019・12・9

非軍事平和の憲法9条のこと
中村哲さんの殺害訃報があって

 12月4日、アフガニスタンのジャララバードで、人道支援で活動中だった中村哲医師(73歳。1946年9月15日~*)が凶弾を受けて死去しました。ご本人は襲撃の情報を得ていたものの、自然体でいることが何よりの安全策という日本人としてのクリスチャンとしての信念を貫いてテロの銃弾を受けて倒れたもの。まことに哀しい知らせです。
「憲法9条」について中村さんは、民族の理想であり、世界の理想であるとし、「9条が活動を支えてくれている実感がある。海外で武器を用いずに平和を具現化できるのは9条があるから」と9条の保持を訴えていました。非軍事平和の憲法の理念を、海外で身をもって示しつづけた中村さんは、終戦直後の昭和21年9月の生まれ。
 本稿のいう「平和団塊」世代の中には中村さんのような人が数多くいることを信じていますし、本稿のアクセス・メンバーにも会員としても数多く参加してくれることを願っています。2019・12・7

「団塊」から「平和団塊」の世代へ 3
2047年の「憲法100年」祝典を主催

「平和団塊」の人びとは、ご両親から「平和」であることのたいせつさを骨身に刻みこまれ、みずからの長寿人生が「平和」の証であり、普遍的な国際的価値であり、そのための「平和憲法」の保持は欠くことのできない条件であることを体感として理解している人びとです。
 1995年に「長寿をすべての国民が喜びの中で迎え、高齢者が安心して暮らすことのできる社会」(前文)をめざす「高齢社会対策基本法」が制定された50歳のころには実感はなかったでしょうが、いま70歳に達して納得のいく文言として理解されていると思います。ですから「平和団塊」のみなさんは、国際社会に平和を訴える「憲法第九条」と、尊厳ある長寿社会を希求する「高齢社会対策基本法」というふたつの旗印を先人から引き継いで、2047年の「憲法100年」祝典をめざして歴史的ひのき舞台に立っているのです。本稿も熱い思いでその歴史的創造的ステージを見守っているのです。2019・12・3

「団塊」から「平和団塊」へ 2
「平和団塊」世代のみなさんの横顔

 ここで「ニッポン発21世紀オリジナル 三世代平等長寿社会」の主役をつとめる「平和団塊」(1946~1950年生まれ)のみなさんの横顔を紹介しておきたい。新聞・TVなどから選ばせていただきましたが、どうか掲載をお恕し願います。

一九四六(昭和二一)年生まれ・七三歳に。
鳳蘭(俳優) 松本健一(作家) 宇崎竜童(歌手) 美川憲一(歌手) 北山修(歌手) 新藤宗幸(政治学) 柏木博(デザイン) 岡林信康(歌手) 堺正章(TVタレント) 坂東真理子(官僚) 田淵幸一(プロ野球) 菅直人(政治家) 秋山仁(数学教育) 藤森照信(建築史) 倍賞美津子(俳優)・・

一九四七(昭和二二)年生まれ・七二歳に。
橋本大二郎(政治家) 衣笠祥雄(野球評論) ビートたけし(TVタレント) 尾崎将司(プロゴルフ) 西郷輝彦(歌手) 鳩山由起夫(政治家) 津島佑子(作家) 千昌夫(歌手) 上原まり(琵琶奏者) 荒俣宏(作家) 中原誠(将棋棋士) 小田和正(歌手)  北方謙三(作家) 金井美恵子(作家) 西田敏行(俳優) 森進一(歌手) 池田理代子(漫画家) 布施明(歌手)・・

一九四八(昭和二三)年生まれ・七一歳に。
高橋三千綱(作家) 毛利衛(宇宙飛行士) 里中満智子(漫画家) 赤川次郎(作家) 五木ひろし(歌手) 赤松広隆(政治家)  江夏豊(プロ野球) 都倉俊一(作曲家) 沢田研二(歌手) 上野千鶴子(女性学) 井上陽水(歌手) 橋爪大三郎(社会学) 糸井重里(コピーライター) 由起さおり(歌手) 舛添要一(都知事) 谷村新司(歌手) 内田光子(ピアニスト)・・

一九四九(昭和二四)年生まれ・七〇歳「古希」に。
村上春樹(作家) 鴨下一郎(政治家) 林望(国文学) 海江田万里(政治家) 高橋真梨子(歌手) 平野博文(政治家) 武田鉄矢(歌手) 高橋伴明(映画監督) 萩尾望都(漫画家) ガッツ石松(ボクシング) 矢沢栄吉(歌手) 佐藤陽子(バイオリニスト) 堀内孝雄(歌手) 森田健作(政治家) テリー伊藤(演出家)・・

一九五〇(昭和二五)年生まれ・六九歳に。
残間里江子(プロデューサー) 舘ひろし(俳優) 和田アキ子(歌手) 坂東玉三郎(歌舞伎俳優) 東尾修(プロ野球) 中沢新一(宗教学者) 池上彰(ジャーナリスト) 姜尚中(政治学者) 八代亜紀(歌手) 辺見マリ(俳優) 塩崎恭久(政治家) 梅沢富士男(俳優) 岩合光昭(写真家) 綾小路きみまろ(漫談家) 神田正輝(俳優)・・

 みんな等しく貧しかった戦後に生まれ育った子どものころの記憶を共有している人びと。そこからそれぞれに個性的な人生をつくりあげ、熟成期をすごしている「平和団塊の世代」のみなさんです。2019・12・3

「団塊」から「平和団塊」へ 1
1000万人の「戦後っ子世代」の人生

 ご存知のように敗戦後の1947~1949年に生まれた人びと「団塊の世代」(1976年発刊の堺屋太一『団塊の世代』から)は、教育現場や就職、結婚などで、約650万人というそのボリュームゆえの社会的影響が指摘され納得されてきました。勤めて高度成長を支え、世紀をまたいで高齢者となった「戦後ベビーブーマー」のみなさんが次々に「七十古希」に到達しつつあります。

 本稿で用いている「平和団塊の世代」には、同じく200万人を越えて生まれた1950年と少数とはいえ本稿の課題である「平和」を論じる場では決して存在を無視できない終戦翌年である1946年生まれの140万人の人びとを含んでいます。この戦後5年間の「平和団塊の世代」が2025年に75歳に達しなお「人生100年」をめざして創出する長寿社会(本稿の「三世代平等長寿社会」)の達成が、ニッポン発21世紀オリジナルの課題なのです。(つづく)2019・12・1

「東洋の原理」による生命観
健康寿命を伸ばす「三元ケア」

「ヒト」の存在については、仏典が「三身」(体・性・相)として説いていますが、この三元のほかに人間存在はないというのが「東洋の原理」による生命観なのです。本稿ではそれをわかりやすく「からだ」「こころ(ざし)」「ふるまい」と表現しています。
「からだ」「こころ(ざし)」「ふるまい」というのは、漢字で書けば「体」「心・志」「行」で、これが「東洋の原理」である「存在の三元論」です。「心」はその発現である「志」に含んで「体・志・行」ということになります。
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 生活者の立場でいえば「健康」「知識」「技能」の暮らし三元。ケアの立場でいえば「疾病」「認知症」「介護」のケア三元となります。
 ここでまとめますと、「ヒト」の生命(人生)は「からだ=体」「こころ・こころざし=心・志」「ふるまい=行」という三元の活動としてありつづけていること。「健康寿命」というのは、日々の暮らしで意識するこの三元のバランスによってもたらされることになります。ぜひ自得してください。2019・11・30

還暦から百寿まで8段階でたどる
「賀寿期五歳層」のステージ

 人生の円熟期である「高年期」(65歳~)の日々を愉快に迎えて過ごすには、「賀寿期五歳層の8ステージ」の考え方が有効に働くでしょう。先人は見定めえない人生の前方に次々に「賀寿」を設けて個人的長寿のプロセスを寿いできました。90歳「卒寿」に達した老師を白髪になった学生たちが囲んで、点々滴々のお礼やお祝いを述べあうのは人生の節目の快い情景です。長寿時代には多くの仲間とともに励まし合いながら8つのステージをのぼって百寿期を目指せばよいのです。(2019年基準)

還暦期(六〇~六四歳) 昭和三四~三〇年 還暦六〇(一)歳
禄寿期(六五~六九歳) 昭和二九~二五年  禄寿六六歳
古希期(七〇~七四歳) 昭和二四~二〇年  古希七〇歳
喜寿期(七五~七九歳) 昭和一九~一五年  喜寿七七歳
傘寿期(八〇~八四歳) 昭和一四~一〇年  傘寿八〇歳
米寿期(八五~八九歳) 昭和 九~ 五年  米寿八八歳
卆寿期(九〇~九四歳) 昭和 四~大正一四年 卒寿九〇歳
白寿期(九五~九九歳) 大正一三~ 九年  白寿九九歳
百寿期(一〇〇歳以上) 大正八年以前    百寿一〇〇歳

「人生七十古来稀なり」(杜甫の詩「曲江」から)といわれた「七十古希」はみんなが祝える長寿時代です。新たな目標の「百齢眉寿」(虞世南「琵琶賦」から)まで、いくつになっても高年者が仲間とともに活き活きと暮らす姿が「高齢社会」の姿です。2019・11・21

最年長時は「長命期・晨星期」
次世代へメッセージを送る賢人

 本稿では第三世代である高年期を「前期高年期(65歳~)」・「後期高年期(75歳~)」そして「長命期・晨星期」(男性は85歳~、女性は90歳~)の三期として述べていますが、個人差がありますからご自分でご随意に3分割してください。
 2020年には90歳は1930(昭和5)年生まれ。それより年長のとくに大正生まれの男性は戦中・戦後を耐えて生き抜いて、高度成長を成し遂げた頑強で自立心が強く「百折不撓」の方々です。新しい時代の暁を迎えてなお輝きつづける「晨星」として、次の時代の後人へかけがえのないメッセージを送りつづけておられる懐かしく敬愛すべき存在なのです。
 本稿の高年期にいわゆる「余生」はありません。「長命期・晨星期」をそう呼んでもかまいませんが、おまけの人生なぞありませんから避けています。「三世代平等」をみずから証す「高年世代」の現役として、日また一日をどこまでも生ききる人生に賛同するからです。2019・11・19

「2世代+α」型から「3世代平等」型へ
第3千年紀に形成される社会の姿

 平和がつづいて高齢者がふえて、どこの国でも「高齢化」問題が深刻な課題になっています。とくにわが国は最速で65歳以上の高齢者人口が4分の1を超えた「高齢者国」(2015年)の魁(先駆け)になりました。そこでこれまでの「二世代+α」社会でのα(アルファ、余生)としてではなく、自立した高齢者として社会参加して、自分たちにふさわしい新たなモノ・サービス、居場所、しくみをこしらえながら「三世代平等」社会を形成する役割を担うことになりました。「高年世代」として意識して、保持している知識・技術・資産・人脈を活かして、着実に存在感を示すことができて初めて、「長寿社会」が実感されることになるでしょう。
 それが他国に先駆けて「人生100年時代」を迎えている日本から国際発信する「高齢化社会」へのプロセスであり成果であり、おそらくは「高齢者4分の1社会」に到達した国々が後追いして、21世紀から第3千年紀を通じての国際的基準として成立するはずのもの。現代の一人ひとりの体現がそのまま歴史的国際的な貢献になるのです。2019・11・17

東洋の原理は「生命の常在

 インドの仏陀(ゴータマ・シッダールタ)は、80歳のときに王舎城を出て生まれた地ルンビニーへと向かう途中、クシナーラーで「涅槃」を迎えています。そのとき同行していたいとこの阿難(アーナンダ)に「輪廻」を伝えています。「生命の常在」です。
 中国の孔子は「快力乱神を語らず」と言い、「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」と言い、現存する生の中に歴史も未来も含まれるという立場ですし、老子は人間存在の奥底に流動する「玄之又玄」を悟り、荘子は世界は人間のみのものでないことを「万物斉同」として示しています。
 わが国の「八百万(やおよろず)」の神々は、生を受けたものはみな等しく、「和」をもって互いの生を認めあうことの表象として存在しています。人もまた常在を示すべく「すめらみこと」(天皇)は「おほにへまつり」(大嘗祭)をおこなって生命としての継承を証し、伊勢神宮で「とようけのおおみかみ」に報告(新謁の儀の参拝)します。
 人だれもが生命を遠古から引き継いだ「各有千秋」の存在であり、「生命の常在」を意識して未来へ生存の希望をもつ人びとによって、新千年紀の文明の中心は東洋に遷ることになるでしょう。わたしたちの温和な日々のくらしがそのまま国際的な平和に連なっているのです。2019・11・15

大正生まれ(100歳)へのオマージュ(賛辞)3
母さんは許さない

 大正生まれの男たちは「富国強兵」教育の下で育てられて、大陸や太平洋の戦場に送られて戦って命を落としました。終戦の昭和20年=1945年には20~34歳。生き残った男たちはこんどは「企業戦士」となって、死んだ者、傷ついた者の分まで働いたのでした。
 女性たちは「良妻賢母」教育で育てられて、良い妻として銃後をまもり、父や夫や兄弟を戦地で失い、戦後は賢母として子どもを養育し、戦禍の記憶を胸の奥深くに閉じこめて身をもって平和を支えてきました。子どものころに中国東北で「自ら生きよ」と放り出され、いままた年老いて一人暮らしで「自ら生きよ」と二度も放り出された人もいます。
 力をつくして戦後の復興・高度経済成長を成し遂げた大正生まれの人たちは、昭和50年=1975年には50~64歳でした。歴史にまれな「九割中流」という平等社会を築き上げた功労者です。
 憲法の平和条項に自衛隊を書きこむなどという、また戦争という事態を想定させる動きをみせる男たちに対して、生命を生み育てる女性の側からの告発として、「かあさんは許さない」と老母はいうのです。(止)2019・11・13

大正生まれ(100歳)へのオマージュ(賛辞)2
「大正生まれ」の歌 

  2019・11・11
「大正生まれ」は1976年にテイチクからレコードが出されています。作詞者の小林朗(こばやし・あきら)さんは大正14年生まれ。2009年2月2日に亡くなりました。

「大正生まれ」 小林朗作詞 大野正雄作曲
♪大正生まれの俺達は 明治の親父に育てられ
忠君愛国そのままに お国の為に働いて
みんなの為に死んでゆきゃ 日本男子の本懐と
覚悟は決めていた なぁお前…略(ダウンロードしてください)

「大正生まれ(女性編)」の歌は1979年にテイチクからレコードが出されています。
「大正生まれ(女性編)」 小林朗作詞 大野正雄作曲
大正生まれのわたし達 明治の母に育てられ
勤労奉仕はあたりまえ 国防婦人のたすきがけ
みんなの為にとがんばった 
これぞ大和撫子と 覚悟を決めていた ねぇあなた…略(ダウンロードしてください)

大正生まれ(100歳)へのオマージュ(賛辞) 1
「九割中流」の功労者を「下流老人」とはなんですか

 これからの「100年人生」へのつぶやきのあとは、いま「人生100年」の人びとのこと。100歳ですから1919年・大正8年の生まれです。先の大戦の敗戦(戦禍)を26歳で迎えて、みんなして貧しさを分かち合い、亡くなった人や傷ついた人の分まで合わせて三人分も働いて、みんなして等しく豊かになろうとした人びと、自分のための貯蓄など考えもしなかった人びと。そんな戦後復興の功労者に対して、貯蓄がないゆえに「下流老人」と呼び「老後破産」と評するとは何たること。そんな風潮に憤りを覚えます。
 戦禍のあと「ほどほどの赤字人生が男の生きざま(美学)だよ」といって貯蓄するよりは周りの人びとへの心づかいにおカネを使ってきた人びとに貯蓄がないのはあたり前。そういう人びとが多くいて、みんなの暮らしに差が生じないことを優先したからこそ、史上にまれな「九割中流」の平等社会がつくれたのです。ですから、後人にどういわれても自分の「人生100年」に誇りこそあれ後悔はないでしょう。

「下流老人」と呼ばれようと、一日100円ででも生き抜く覚悟があり自負があり、ひもじさと貧しさからはじまって最後にまた貧しさとひもじさにもどった人生を、わが人生として受け容れて、いまさら国や自治体からの救済なんか求めない人びとなのです。それが「100年人生」を生きる「大正人」の心意気なのです。(つづく) 2019・11・9

「はじめに生命体ありき」が東洋の原理
「見えざる創造主」は存在しない


「東洋の原理」は、「はじめに創造主ありき」あるいは「はじめにモノありき」という西洋の原理(二元論)とは異なります。「はじめに生命体ありき」です。「存在」の初めからの存在として「生命体」があり、その不断に変容するありようとして地上に現存する「ヒト」がいて「モノ」があると説いています。

「生命体」は常に変容変化する形として「ヒト」や「モノ」になりますが、新たに生じるものではなく、最初から在るものなのです。「ヒト」も「モノ」もすべての存在は「生命体の現存の形態」であり、時空のなかで不断に変容し「転生」をしつづけているのです。「ヒトとして生まれた生命体」は、ひとしきり「ヒト」として生きつづけて命を終えていくのです。ですから仏教では「ヒト」として生まれることのむずかしさを説いています。ここには「見えざる創造主」は存在していません。
 これから千年紀の人類の依るべき原理として、「はじめに生命体ありき」という「東洋の原理」を根底に置いて広く活かすことで、地上にあらたな千年紀の沃野が見えてきます。一人ひとりの「人生100年」はその上に成り立つことになります。2019・11・7

異文明への違和感
「神」と「孔子」についての米中対立

  再掲
 ことし2019年の中国の小学生むけ教科書から、外国文学作品の中の「神」や「聖書」といった表現が削除されました。たとえば『マッチ売りの少女』では「星が流れ落ちる時、魂が神様のもとへ行くのよ」というセリフが「星が流れ落ちる時、人がこの世を去るのよ」に変わったといいます。『論語』にも孔子の言として「子、怪力乱神を語らず」(「述而篇」から)や「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」(「先進篇」から)とあって、来世の「神」の存在を認めない「宗教事務条例」にかかわってのことなのでしょう。
 一方、アメリカでは「孔子学院」の活動への制限があります。孔子学院は孔子の名を冠していますが儒学教育機関ではなく、海外の大学などと提携して中国語や中国文化の教育および宣伝、友好関係の醸成を目的とした政府の機関で、各国に500か所を超え、日本でも大学と提携して活動をしています。
 全米で同学院の閉鎖がつづき、政治や経済の対立とともに考え方やしくみにかかわる文化の領域でも、見過ごすことのできない対立が動き出しています。異文明への違和感が根底にあるのです。2019・9・7

一神教文明のもとで 3
極小と極大への原理追究のはてに

 近代の「科学science」の進歩として、「モノ」に向かった原理探究は、一方は極小の存在である原子・素粒子(量子)へと達し、一方は極大の存在である宇宙・ビッグバンにまで達して、なおも極小と極大へと際限なく展開しつづけています。
 その極小化の果てに到達した原理と技術によって、地上から人類が消去されるという“進歩の悪夢”が想定されるのですが、それは極大化された宇宙空間で起こる現象としては、何ほどでもない地球上の些細なできごとでしかありません。

 前の20世紀を通じて毎年、人類の進歩に貢献した人物の業績に贈られてきたノーベル賞は、ノーベルのダイナマイトがそうであったように、「人類による人類のための成果」という自然破壊への贖罪の証なのです。破壊と創造が常にそうであるように、善と悪とは同時同等の表裏の存在であることに気づいたとき、「西洋の原理」への信頼は崩れます。人類の進歩の究極が人類の滅亡に通じているからです。2019・11・5

一神教文明のもとで 2
「見えざる創造主」の存在をかけて

 現代の超大国アメリカの大統領は、就任宣誓の最後に「創造主によりて(BY THE GOD)」と誓います。国民を代表して「見えざる創造主」に対して宣誓して職務につきます。もちろんオバマ氏も、トランプ氏も、次の大統領X氏も。
 なぜ「すべてのアメリカ国民の代表」あるいは「人類の英知によりて」ではないのかという違和感があります。大聴衆のだれもがそれを当然のこととしていたように「見えざる創造主」は「西洋の原理」の中心として息づいています。そしてアメリカから戦場へ赴く兵士たちは十字を切って出立します。行く先はISなど別の「見えざる創造主」を支えとする人びとの地域です。

 哲学としての「西洋の原理」は、「唯物論Materialism」と「唯心論Idealism」の二元論によって説明されています。「モノ」に始まって「ヒト」に至る。進化論です。あるいは「ヒト」に始まって「モノ」に向かう。全能の創造主の存在論です。西洋文明は「見えざる創造主」の存在なくしてありえないのです。(つづく) 2019・11・3

一神教文明のもとで 1 
人類終焉の予兆

「人生100年」(一世紀人生)の話をしようとするとき、その期間を託す近未来100年、つまり21世紀の社会に安心が得られなくてははじまりません。これまで2千年紀のあいだにオリエントから発して西方へ向かって鯨呑し蚕食しつつ移っていった先進的文明地域。その到達点としての21世紀欧米社会を支えているのは、「見えざる神GOD」への篤く揺るぎない信仰です。
 その「西洋の原理」は、「見えざる神の国」に至ろうと努める者のみが永遠の命をえて幸せに生きられるというもの。西洋文明は「見えざる創造主」を絶対正義とする原理によって、不安定な地上に安定と安住と安眠をもたらしてきましたが、「見えざる破壊兵器」を出現させたことによって、絶対正義である「見えざる創造主」を守るために“罪深き人類”を地上から抹消するという帰結になり、それは人類の終焉を意味します。「西洋の原理」の先にはこんな恐ろしい情景すら予兆として露出しているのです。米軍によるISリーダーの殺害はその一例にすぎません。(つづく)2019・11・1

10・1「生涯現役の日」と「三世代平等長寿社会の日」

 21世紀を前にした1999年は国連が設置した「国際高齢者年」であり、その10月1日は初の「国際高齢者デー」でした。
 それから20年目の2019年10月1日は、「生涯現役の日」制定・普及委員会(議長:清家篤前慶応義塾塾長)が主催した初の「生涯現役の日」でした。当日、AP市ケ谷で「職業寿命」「社会活動寿命」「資産寿命」「健康寿命」の4寿命での意見交換会(交流フォーラム)をおこなって、この記念日の普及を通じてわが国の「生涯現役社会」の実現をめざそうというのです。
 どちらかというと「ゴムひも伸ばし」の対策に近く、国民運動による新しい社会構想ではないようです。 それに対して9月9・10日に大阪で開催された「いきがい・助け合いサミットin大阪」(さわやか福祉財団・堀田力会長)は地域でのシニア参加による共生社会づくりの実践報告であり、「高齢化」の新しい社会構想として注目すべきものです。本会のささやかな「10・1 三世代平等長寿社会の日」宣言は、後者に与するものです。2019・10・3

「10月1日 三世代平等長寿社会の日」宣言
日本丈風の会

 平和のうちに迎える「高齢化」が、21世紀の国際的な潮流となることを見通した国連は、新世紀まじかの1999年を「国際高齢者年」とし、10月1日を「国際高齢者デー」と定めて、世界中の一人ひとりの高齢者が自立して「すべての世代のための社会をめざして」活動に参加するよう呼びかけました。
 その日から20年、平和のうちに築いた「高齢化」において先行するわが国は、その先進的なモデル事例を期待されつつ、「医療・介護・福祉・年金」といった「高齢者対策(ケア)」においては公私をあげて対応して成果を収めてきました。
 しかしながらその一方の翼でありながら、先進国にも例のない「高齢社会対策」においては、わがこととして参加して実現する「高年世代」(高齢化率25%)が成立するまでは対策構想(大綱)は用意できているものの進展をみませんでした。
 いま2019年、世界最速で唯一、高齢化率25%(いま28%)に達したわが国は、これからの20年にむかって、新たに成立した「高年世代」(戦後復興・高度成長・九割中流をなしとげた人びと)が、青少年=成長期・中年世代=成熟期の人びととともに円熟期の知識・技術・資産・人脈を活かして、前人未到の「三世代平等長寿社会」を達成せねばならないのです。高齢者のだれもが後人から敬愛され、日また一日を安心し尊厳をもって生涯を送れる国際的モデル事例をこしらえて。

1 家庭で社会で、三世代を意識しつつ人生の三期をすごす。
2 高年期にそれぞれが保持する知識・技術・資産・人脈を活かして新たなモノ・サービス・しくみをこしらえる。
3 みんなで生活圏の三世代化をすすめる。
4 国のしくみとして内閣府に専任の高齢社会担当相を置く。
5 世界初の構想「100歳社会」グランドデザインを発表。
6 公共放送NHKに第三局として高齢・文化局を置く。
7 自治体に「包括支援ケア」「生涯学習」「シルバー人材」の3センターを設ける。
8 平和憲法100年の国際式典を2047年におこなう。主宰者は戦後生まれの平和団塊世代の代表。
9 人権として男女平等を掲げつつ意識として女尊男卑を優先する。
10 移動における三世代化。ハードの車、ソフトの道路やルールにおいて。
11 住居の三世代同等同居を標準化。
12 三元ケア・賀寿期五歳層・G型ライフサイクルを生活地盤に据える。
2019・10・1

世界で初の「高年世代」が登場
65歳以上の高齢者は3588万人                再掲
 毎年、総務省が9月15日(老人の日)に発表している高齢者に関する人口推計によると、65歳以上の高齢者は3588万人で、高齢化率(人口比)は28.4%になりました。2位はイタリアで23.0%、3位はポルトガルで22.4%。ということは最速で4人にひとりに達したのがアジアの日本が最初で、ヨーロッパの国々はゆっくりと高齢化を迎えているということです。

 4人にひとりということはボリュームとしての「高年世代」の成立を意味します。青少年、中年世代とともに「高年世代」が成立し、それに見合ったモノやサービスや居場所やしくみを新たに創出する必要があるのです。いまある社会で「二世代+α」として余生を遠慮がちに過ごすのではなく、みずからの知識・技術を活用して高齢者みんなが暮らしやすい生活圏をこしらえて、「三世代平等型」社会を達成すること。仲間とともに日復一日を楽しんで過ごしながら「人生100年」をめざすことになります。2019・9・15

金融庁が老後資産報告書を撤回
老後に約2000万円が必要
 金融庁は9月25日の金融審議会総会で、老後に約2000万円が必要とした報告書を金融相に答申しないまま、国民の資産形成に向けた議論を10月に再開すると決めた。報告書はホームページでは公開を続け、公文書として扱う。金融審の作業部会による今後の議論に生かす方向。

 高齢者家庭(家計)の生涯年金2000万円赤字(平均で月5万円、30年で)は金融庁(金融審議会市場ワーキンググループ報告書「高齢社会における資産形成・管理」6月3日公表)の審議会で検討して積み上げた数字に実感があり、撤回しても国民に納得されてしまっています。
 世紀初めには「100年安心」の年金が論議されていたはず。その後の歴代政府がグランドデザインを掲げて国民に訴えることをせず、「ゴムひも伸ばし」の政策をつづけてきたゆえの結果なのです。20年にしてこの体たらく。「ゴムひも伸ばし」の政策をやめ、政策不在の連鎖を断ち切って、新たな社会の姿「三世代平等型長寿社会」を掲げて国民に訴えるときなのです。2019・9・27

「日本長寿社会」へのパラダイムシフト

 史上初、国際的に先行する「日本長寿社会=三世代平等型社会」への世紀をまたいだパラダイムシフト(規範の変化)をみてみましょう。

20世紀後半期の社会   21世紀初頭の社会
国土の均衡ある発展     個性ある地方の発展
人生65年時代       人生100年時代
高齢化率(65歳以上の人口比率。国際的基準)
14%・1994年    21%・2007年 25%・2015年
ピラミッド型人口構成    釣りがね型人口構成
高齢化社会         高齢社会・超高齢社会・長寿社会
支えられる高齢者      支える側の高齢者
二世代+α型社会      三世代平等型社会
団塊(1947~49)世代  平和団塊(1945~50)世代
成長力の時代        成長力・成熟力・円熟力の時代
定年60歳         定年65歳+
余生・隠居         自立・参加・ケア・自己実現・
                尊厳(国連「高齢者五原則」)
還暦・古希・喜寿・・    賀寿期五歳層
自治体立小学校・中学校   自治体立生涯学習大学校
生きがい教育        地域カリキュラム
核家族二世代同居      三世代同等同居 
一人暮らし         地域包括ケア
シニア・老人力       アクティブシニア・丈人力
終末期病院で        終末期自宅で   2019・9・25

「100年安心」の年金が崩壊
2000万円の蓄えでもムリ
「人生100年」時代に60歳の人が95歳まで生きるとすると、年金以外に2000万円が必要という。世紀初めには「100年安心」の年金がいわれて、退職金と貯蓄を合わせて2000万円には届かなくとも、「長寿をすべての国民が喜びの中で迎え、高齢者が安心して暮らすことのできる社会」(1995年制定の「高齢社会対策基本法」前文)へ向かっていると信じていた国民は、それがわずか20年で崩壊していることを知らされたのです。

 本稿は1999年の「国際高齢者年」以来「ゴムひも伸ばし」の無策連鎖に警鐘を鳴らしつづけてきました。「ゴムひも伸ばし」の政策のまま貯蓄を奨励するのではなく、「三世代平等型」社会へとしくみを変えて、増え続ける高齢者が貯蓄がなくとも安心して暮らせる社会をめざすのが本筋だからです。
いま65歳の人の金融資産の平均保有額2252万円を公表の支えとしているのでしょうが、みなさんそんなに持っているのでしょうか。そしてこの発表に「自分は安心」と思える人がどれほどいるのでしょうか。2019・9・23

争いの「怒」を和かな「恕」に変えて
心の同じ場所からの異なった感情表現

 人名用漢字ですがあまり用いられない漢字に「恕」(じょ。ゆるす、思いやる)があります。傍らに身近な「怒」(ど。いかる)があり、このふたつの文字は姿からして心の中の同じ所から発する異なった感情を表現していると想定されます。ともに女性に起因しています。
「恕」については、門弟の子貢から「一言にして終身行うべきもの」を問われた孔子は「それ恕か。おのれの欲せざる所は人に施すなかれ」(『論語「衞霊公十五」』)と答えています。一方で老子は「聖人の道は為して争わず」(『老子「八一章」』)と言い残して去りました。「善く戦う者は怒らず」(戦いは怒りによらない)とも言っています。怒りは怒りを再生するからです。 胸中で勢いづく「怒」をゆるやかな「恕」に変えて発することで争いを回避・解消できこころに中で時使ってを怒を恕にかえてなだめてから発露することで、世の中はどれほど穏やかになることでしょう。恕子(ひろこ)さん、がんばってください。円水社+「恕己及人」(じょききゅうじん)より 2019・9・21 

「男女平等」よりひとまず「女尊男卑」
2000年間のしくみを変える
「男尊女卑」のさまざまなしくみが2千年紀もつづいてきました。なぜだったのでしょうか。ヒトの集団の場合は、男は戦い奪う性、女は産み守る性という偏務的な役割分担があったからです。男性が戦う外敵はヒトばかりではありません。他の動物や災害も相手でした。女性が守る対象は自分の子供ばかりではありません。親族・宗族・宗祖や伝統・財などでした。外敵としての他の動物はいなくなり、見えざる仮想敵国はなくなり、戦えば双方の滅失(人類の滅亡)が想定される事態になりました。

 安定したしくみへの偏務の解消のための男性の女性化、女性の男性化は過渡的な方法でしかありません。一気に「男女平等」とはいかないのです。さまざまな場面での偏務の修正は「男女平等」ではなく、意識の「女尊男卑」と行動によってすすめることにより、あらたなしくみの創出が可能になるのです。結果としての「男女平等」はその先に見えているのです。
 こういう事情を女性は喜んでばかりはいられません。自立した意識と努力で、男性を納得させる実力をつけねばならないからです。2019・9・19

日本百歳社会は女性社会
7万人の88%がじょせい
「敬老の日」の9月16日、世界最高齢の田中力子(かね)さん116歳を小川洋福岡県知事が訪れてお祝いしました。福岡市の老人ホームで迎えた田中さんは、周りの人から「これからやってみたいこと」と聞かれると、両手をひろげて「いま持っている力をみんなにあげたい」とこたえて、驚きと拍手につつまれました。1903年(明治36)に9人きょうだいの7人目として生まれた田中さんはギネスワールドレコード社から男女を通じて「存命中の世界最高齢」に認められています。男性は北海道足寄町在住の渡辺智哲さん112歳。

 9月15日に厚労省が発表した100歳以上の高齢者は初めて7万人を超えて7万1238人となりました。そのうち女性が88.1%。老人福祉法が制定された1963年には全国で153人でしたが、1981年に1000人を突破、1998年に1万人を突破し、その後も右肩上がりに増えつづけています。「日本百歳社会」は世界初の女性社会として成立しようとしています。2019・9・17

会員募集 特別半月間
(2019年9月15日~10月1日)
1999年・国連「高齢者年」から20年
1999年10月1日・国連「高齢者デー」から20年
1999年9月15日・高連協「高齢者憲章」から20年


「高齢化」という国際的潮流への対応として、これまでわが国と国民は
「高齢者対策」(年金・福祉・介護・医療)には力を尽くしましたが、
「高齢社会対策」(モノ・サービス・しごとづくり、居場所・しくみの形成、移動の安全)は構想のままで実現に達しておりません。
 これから20年、史上初、世界ではじめて成立した「高年世代」が中心になって、前人未到の「三世代平等型長寿社会」の達成をめざすこと。国際的に先行するわが国と国民の”世紀の課題”にむかって、本会はその先頭に立ち烽火を高く掲げ”ます。
 津々浦々の五百壮士、三千の同志は、 今ここに集合してほしい!!
 2019・9・15 記 堀 亜起良

世界で初の「高年世代」が登場
65歳以上の高齢者は3588万人
 毎年、総務省が9月15日(老人の日)に発表している高齢者に関する人口推計によると、65歳以上の高齢者は3588万人で、高齢化率(人口比)は28.4%になりました。2位はイタリアで23.0%、3位はポルトガルで22.4%。ということは最速で4人にひとりに達したのがアジアの日本が最初で、ヨーロッパの国々はゆっくりと高齢化を迎えているということです。
 4人にひとりということはボリュームとしての「高年世代」の成立を意味します。青少年、中年世代とともに「高年世代」が成立し、それに見合ったモノやサービスや居場所やしくみを新たに創出する必要があるのです。いまある社会で「二世代+α」として余生を遠慮がちに過ごすのではなく、みずからの知識・技術を活用して高齢者みんなが暮らしやすい生活圏をこしらえて、「三世代平等型」社会を達成すること。仲間とともに日復一日を楽しんで過ごしながら「人生100年」をめざすことになります。2019・9・15

「老壮青」バランスは政策内容で
 第四次安倍再改造内閣(9月11日)で、総理が提唱した「老壮青」バランスはどう実現されたのでしょうか。麻生太郎(78)副総理兼財務相を留任させ小泉進次郎(38)環境相を起用したこと、待機組の70代から6人と側近重用の50代から9人を入閣させて、働き盛りの60代を4人におさえたことで「安定と挑戦」への態勢が整ったと自賛しているようですが。

 改造人事とともに重要なことは政策内容での改造です。が、本稿が求めつづけている専任の「高齢社会担当相」設置への指向にとぼしく、健丈な高齢者を重用する呼びかけにも欠けています。「少子化」とともに課題とされる「高齢化」対策が進まないうえに、「全世代型社会保障」を検討することで高齢者層への財政的比重が軽くなることになります。
 そして何より緊急な施策が地方創生です。必ず訪れる国際的な経済変調に耐えられる内需型経済伸長。それを支えるのが、地域にふえた健丈高齢者層による暮らしやすい地域づくりです。三世代が暮らしやすい地域ごとそれぞれのモノやサービスやしくみづくりによる「三世代平等型」生活圏の創生。横比べの地域創生が急務です。2019・9・13

「和風・・」は民族特性の成果 
 日本文化は外来の文化を撚り合わせて総合して成り立っています。「漢字かなカナROMA字まじり」の日本語表記からしてまずはその証です。世界文化遺産に登録された「和食」をはじめとして和服も和風住宅も、そのほか移入した優れた文物を工夫してこの国の暮らしに取り入れさらに勝れた「和風」の成果として達成してみんなで享受しています。モノのありようは、国外からの技術の長所を融け合わせて統合を示しています。

 海外から優れたものを取り入れてこの国の風土に適したさらに勝れたものを作り出してきた民族特性。その特性を活かした21世紀・第3千年紀でのさまざまな分野での「和風」活動・事業は日本の国際的声価を高めます。20世紀世界大戦への反省としての国際的事業である「非軍事平和国家」づくりは、日本がなすべき21世紀最重要の「和風」事業です。偏務として敗戦国の日本は国際的モデルとなる平和国家づくりに専念し、軍事力を保持してそれを守るのはアメリカをはじめとする戦勝国なのです。2019・9・11

「クールジャパン」は来日外国人の愉しみ
 はるか遠い日に東に向かった文化の波は漢・韓(かんから)を通じて日本に達して開花し、西に向かった技術の波はローマ・西欧・北米を経て日本に至って開化し、到達して開花・開化しなかったものは宝石鉱脈となって浅く深く横たわっています。そういえる理由は、わずかな特例のほかこの国から西へも東へも出て行った形跡がないからです。
 これまでのそんな国際的歴史的な溜め込みを、国外から訪れた人びとは、さまざまな鉱脈として探しあてて「クールジャパン」として発見を楽しんでいるのです。そこで「21世紀のニッポンは国際的歴史的な文化・技術の鉱脈です」といえるのですが。クール(かっこいい)と捉えられているものが、日本の製品・サービス・アニメ・漫画・ゲームからファッション・食・観光まで多岐にわたるからといって、「クールジャパン戦略」と称して担当大臣までおいて国が展開するのは本来の「クールジャパン」とはかけはなれた事業です。「共感」をもって海外に知らせるのは来日した外国の人びとだからです。2019・9・9

「神」と「孔子」についての米中対立
 ことしの中国の小学生むけ教科書から、外国文学作品の中の「神」や「聖書」といった表現が削除されました。たとえば『マッチ売りの少女』では「星が流れ落ちる時、魂が神様のもとへ行くのよ」というセリフが「星が流れ落ちる時、人がこの世を去るのよ」に変わったといいます。『論語』にも「子、怪力乱神を語らず」(「述而篇」から)や「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」(「先進篇」から)とあって、来世の「神」の存在を認めない「宗教事務条例」にかかわってのことでしょう。

 一方、アメリカでは「孔子学院」の活動への制限があります。孔子学院は孔子の名を冠していますが儒学教育機関ではなく、海外の大学などと提携して中国語や中国文化の教育および宣伝、友好関係の醸成を目的とした政府の機関で、各国に500か所を超え、日本でも活動しています。
 全米で同学院の閉鎖がつづき、政治や経済の対立とともに考え方やしくみにかかわる文化の領域でも、見過ごすことのできない対立が動き出しています。2019・9・7

「現役」とは兵役についている人のこと
「現役」の原義は兵役に服していること、軍務についている人のことです。
 ですから漢字文化圏では「現役の学生」といえば兵役に服している学生のこと。兵役のない日本だから「いま学生という立場にある若者」の意味なのです。先の大戦の敗戦後にわが国に託された国際的偏務事業が、「非軍事平和国家」の創出でした。偏務としての「平和」の国づくりゆえに若者に兵役がありません。 しかし形成されてゆく「平和国家」を守る意識と活動は、この国の若者にとっても重要な役割になってきました。それは「兵役」に対峙する「公役」です。

「公役」として、若い一時期、平和裏に国を守る意識を共有するために、自主的に、男性はおもに地域・災害のため、女性はおもに介護・福祉の活動をすることで、国家・国土・国民のありようを体験することは平和国家のモデル(教育)の一環としてあってよい姿です。 2019・9・5 

日本国憲法がもつ「国際的偏務性
 憲法議論に、もっと「日本国憲法」がもつ国際性と偏務性を論じることが必要です。「非軍事平和」条項である「九条」を守るべきは、アメリカをはじめとする戦勝国であり、「九条」を掲げた日本の役割は「非軍事平和」に徹した国際モデルの国づくりです。自主憲法論は内向的で偏っています。議論は若い世代が憲法成立の経緯を知り、その国際性と偏務性を活かす層を厚くする機会とすること。

 歴史探検家半藤一利氏は、歴史的反省としての護憲活動として、中小国の平和を求める市民に訴えて「九条」の意味合いを国際的に共有し、「非軍事平和」の潮流をつくることだ、と訴えています。(「半藤一利・藤井裕久対談」2018・6・5から)
  20世紀の「戦禍」を21世紀の「平和」につなげるために、来る2047年に、「日本国憲法100年記念祝典」を国際的におこなうこと。その主催者は、永続する平和の証として100歳人生をめざしている戦後世代(平和団塊)の代表がつとめることになるでしょう。2019・9・3

「一国優先主義」のゆく
 国際的な歴史に学べないのはアメリカのようです。世界中に惨禍をもたらした第一次大戦のあと当事国の努力で成立した国際協調のかなめである国際連盟に加わらず、反転させて「一国優先主義」により国益を守ろうとした結果、アメリカの利益どころか大恐慌を現出したのでした。
 今またアメリカに生じた協調から反転への逆流。トランプの「一国優先主義」は米中の経済摩擦を契機に国際的な潮流となり、経済の一国優先主義による通貨切り下げ競争となり、それに影響を受けた日本経済の崩壊が世界不況という大震災の震源になることすら見えてきました。

 政界の名誉顧問として、藤井裕久氏は歴史から学べないアメリカの暴挙といい、歴史探検家の半藤一利氏は「国家の公益は非軍事平和を守ること」といいます(「半藤一利・藤井裕久対談」2018・6・5から)。わが国が歴史に学んで世紀を越えて掲げつづける国際協調の旗印は「憲法九条」であり、平和を願う各国市民に訴えて共有し、国際協調の強く太い芯柱とすべきでしょう。2019・9・1

余生(隠居)は「中隠」でいいか 
 高齢者(65歳+)のみなさんは、定年とともに年金(公的・私的)を得て、貯蓄と退職金を合わせて将来を見据えて、安心して「毎日が日曜日」といわれる余生(隠居)を送っているといわれています。
「大隠は朝市に隠る」と『文選』に載る王康琚「反招隠」詩にがあって、真の隠者はにぎやかな市中で暮らしているというのです。『文選』は平安時代からよく読まれて、小野岑守(篁の父)が言及していますし、のち『方丈記』の鴨長明の閑居には白居易の生き方が意識されています。

 白居易(字が楽天)は「中隠」詩で、大隠はやはり朝市に住むこと、喧騒を離れて丘樊(郷村、山中)に入るのは小隠で、「出づるに似てまた処(お)るに似たり」の中隠をよしとしています。しごとに留まっていても心と力を労せず、忙しすぎず閑でもない、飢えと寒さをしのぐ給与も得られるというもの。今いう「生涯現役」に近いですが、高齢者がみな小隠で25年+の余生を送ったら年金不足は起こって当然。中隠といわず社会参加する「大隠朝市」の人生を志向する時期にあるのです。2019・8・27

「七十古希」から「百齢眉寿」へ
「酒債は尋常行く処に有り、人生七十は古来稀なり」と詠った酒豪の杜甫の詩「曲江」から70歳を「古希」と呼ぶようになったといいます。
 杜甫が59歳で没したことから「七十古希」がいわれ、長寿の目標とされてきました。高級官人は70歳になるとどこででも使える杖をもらって「杖国」と呼ばれたといいます。「三笠の山の月」を想って客死した阿部仲麻呂(晁衡)は70を越えて生きましたから拝受したのでしょう。

「百齢」は百歳のこと。百歳はなおはるかに遠い願望だったでしょう。「眉寿」は老齢になると白い長毛の眉(眉雪)が生えて長寿の特徴となることから。同じ唐代の書家虞世南は「願うこと百齢眉寿」(琵琶賦)と記して百歳を願いましたが、80歳を天寿として去りました。「七十古希」の杜甫は59歳でしたから、長寿への願望は遠くに置いたほうがいい。「百齢眉寿」を目標にして日また一日を過ごすことをおすすめします。2019・8・25
これ以前は「現代シニア用語事典」に

  

茶王樹下 先人の営為に習う 四字熟語

木已成舟 (もくいせいしゅう) 2019・8・28 円水社+
 伐り出された木材はすでに加工されて舟となっているという「木已成舟」I(夏敬渠『野叟曝言(九・一四九回)』など)は、すでに事情が定まってしまって改めることができないこと、もはや挽回できないことにいいます。この比喩としてわかりやすい「木已成舟」は古い用例がなく、典拠としてやや後の李汝珍『鏡花縁「三五回」』などが引かれていることから清朝での新語のようです。近代にも巴金は『春「一五回」』の中で、封建時代の因習を打破する反逆の勇気を「木已成舟」として若者たちに託しています。
 木の用については、孔子が弟子の宰予を評した「朽木は彫るべからず」(『論語「公冶長第五」』)が古くから知られていますが、こちらは木の用としては否定的な用例です。
 トランプ大統領の登場による一国優先主義は、第二次大戦後つづいてきた国際協調を反転させ、アメリカの経済回復どころか大不況を呼んだ第一次大戦後の二の舞を演じようとしています。歴史に学べない国際的暴挙として「木已成舟」がいわれます。

「大隠朝市」(たいいんちょうし)2019・08・21  円水社+
 先の大戦の戦禍のあと、復興から高度成長そして繁栄期の日本をこしらえた功労者である高齢者(六五歳以上)のみなさんは、意識の上でも実生活でも「毎日が日曜日」といわれる余生(隠居)を送っています。やれやれと肩の荷をそれぞれにおろして。
 隠居については、『文選』に載る西晋時代の王康琚「反招隠」詩に「大隠は朝市に隠る」があって、真の隠者というものは、にぎやかな市中に暮らしているというのです。「令和」にちなむ張衡の「帰田譜」で見たように『文選』は上代からよく読まれていましたから、平安時代に小野岑守(篁の父)が空海にことよせて言及しているし、のち隠遁文学といわれる『方丈記』の鴨長明の閑居には白居居の生き方が強く意識されています。
 唐代の白居易(字が楽天)は「中隠」詩で、大隠・中隠・小隠の三とおりの生き方を記しています。大隠はやはり朝市に住むこと、喧騒を離れて丘樊(郷村、山中)に入るのは小隠で、「出づるに似てまた処(お)るに似たり」の中隠をよしとしています。しごとに留まっていても心と力を労せず、忙しすぎず閑でもない、飢えと寒さをしのぐ給与も得られるというもの。
 今いうところの「生涯現役」が近いのですが、やや忙しすぎるようです。三五〇〇万人に達した高齢者がみんな小隠では年金不足は起こって当然のことでしょう。中隠といわず「大隠朝市」の人生を志向する時期にあるようです。

◎「恕己及人」(じょききゅうじん)2019・8・14 円水社+
 人名用漢字ですがあまり用いられない漢字に「恕」(じょ。ゆるす、思いやる)があります。傍らに身近な「怒」(ど。いかる)があり、このふたつの文字は姿からして心の中の同じ所から発する異なった感情を表現していると想定されます。ともに女性に起因して。
「恕」については、門弟の子貢から「一言にして終身行うべきもの」を問われた孔子は「それ恕か。おのれの欲せざる所は人に施すなかれ」(『論語「衞霊公十五」』)と答えています。福沢諭吉も『福翁百話「八」』で「古聖人の教にして之を恕の道と云ふ」と認めています。一方で老子は「聖人の道は為して争わず」(『老子「八一章」』)と言い残して去りました。「善く戦う者は怒らず」(戦いは怒りによらない)とも言っています。怒りは怒りを再生するからです。
 胸中で勢いづく「怒」をゆるやかな「恕」に変えて発することで争いを回避・解消できるというのが「恕己及人」(葛洪『抱朴子「至理」』など)です。恕子(ひろこ)さん、あなたが平和の証です。日ごろみんなの「怒」を「恕」に変えて争いをなくしてください。言い過ぎていたらお恕しを。

◎「寥若晨星」(りょうじゃくしんせい)2019・8・7 円水社+
 東の空が明るんで暁の光が射すころになると、天空にあって数えられないほど輝いていた星が消えていきます。新しい朝の訪れです。新しい朝を迎えて最後まで輝いている星たちが「晨星」です。あけの明星(金星・啓明星)を最後にして。親しい友人や人材が次第に減っていくようすが「寥若晨星」(孫文『建国方略「二」』など)です。「寥落晨星」「落落晨星」ともいいます。
 魯迅も『書信集「致山本初枝」』に、上海の内山書店で「談論できる人が晨星のように少なくなって(寥若晨星)、寂寞の感に」と記しています。数が少なくなった意味合いで用いていますが、「晨星」はそれゆえに「鳳毛麟角」に比べられるほどにかけがえのない人びとなのです。鳳凰の羽毛と麒麟の角はどちらも貴重で希少なものにいわれます。
「人生100年」時代にいくつから「晨星」と呼べるかわかりませんが、戦禍から立ち上って史上に希な70年余の「平和と平等」の社会を創った先人の離世の報を聞くたびに、次世代に平和のメッセージを送りつづけていた「晨星」がまたひとつ失われる寂寥感とともに、新世紀の「三世代平等型社会」をともに生きた喜びを新たにするのです。

シニア用語(用文)NOW

「浮動票」ではなく「不動票」
7月21日の参院選を終えて

投票率5割を割る
 7月21日(日)の「参院選」を終えました。
 令和後の世情の動きを測る契機として待ってみて過ごしましたが、案に相違せず、投票率が下がって5割を切りました。48.80%。戦後最低になった選挙区が20もあったといいます。自民党の得票率は有権者全体の2割に及ばず、にもかかわらず、議席数38に「国民の信任を得た」という安倍首相。

 与野党を問わず、政治(家の発言)が国民(浮動票・不動票・無党派層・swing vote・・)の現実意識と離れている(いく)ことに意を払わず、議席を得たことで「万歳!」をする当選議員の浮薄で相も変らぬ固定意識・・。浮動票ではなくしっかりとした政治意識をもつ人びとの”不動票”の存在と改憲勢力を3分の2に届かせなかった国民の“隠善”ともいうべき正常な歴史感覚の実在が救いです。
 もうひとつ、わたくし個人の関心としては、87歳で東京地方区から立った元参議院議員であった野末陳平さんの得票数、その立候補の意気に感じて、高齢都民の票がどれほど動くのか、注目していました。91194票でした。7・25 akira

野末事務所に藤井裕久さんが激励に
華やぎのあるお二人の出会いと会話
 7月11日(木)10時30分に、藤井裕久さんが千代田区平河町の野末陳平事務所を訪れて激励・歓談をしました。お二人は同じ昭和7年生まれで87歳、野末さんが1月、藤井さんが6月生まれなので学年は野末さんが一年上、参議院での活躍は野末さんが1971年から、藤井さんが1977年からで、これも野末さんが先輩ですが、活動の期間が重なっており、「やあ、お久しぶり」と握手をし、「大蔵委員会では」といえば通じるお仲間のようです。
 経済を強くするには「円安にして輸出で稼いで観光でウハウハするのはバカなこと、円高で稼がなければ」、政治では「トランプはアメリカではない。安部はあんなやつの腰ぎんちゃくになっている。メルケルに学べ」で、高齢者(老人といわない)については「日本の建て直しをして世の中をよくしたのはいまの高齢者なのに、高齢者はお金がかかるといわれる。高齢者の不満も要求も役割も高齢者でなければわからない」と野末さん。藤井さんは「野末さんは凄い、偉いよ。高齢者の代表としてがんばてください。勝って万歳をやろう」と、終始華やぎのあるお二人の出会いでした。 7・11 akira

野末陳平通信 から
今日7月11日(木)は、午前中に溜まった書類など整理していたら、
何と、スゴイ訪問客。
元大蔵大臣の藤井裕久さんが、突如、この選挙事務所に訪ねてこられました。お仲間の、高校時代の後輩・山田哲司さん、中国文化研究者である堀内正範さん、三人の高齢者が勢揃い。偶然に来合せた旧友の福田さん含めて、皆さんいろいろな意見を語ってくれました。まさに高齢者のナマの声です。
「いまの日本は我々高齢者が、基礎を作ったんだ」と力説しておられましたが、まさにその通りなんですが、それを理解してくれる若者は少ないし、そういう高齢者の声も世間には届かないので、
「チンペイ君に、老人たちの代表になってもらう」という。
老人は古くさい、今は高齢者ですよ、なんて話になったりして、笑いも生まれた程、談論風発、あっという間に時間が過ぎていきます。
とくに、藤井元大蔵大臣は、官僚のレベル低下を嘆いておられ、
「日本は強い円(えん)がベストなんだ。円安で儲かる企業が、円安を歓迎してるが、弱い円なんぞ、いくら稼いでもイミがない」
と、かなり専門的な、突っ込んだ議論にも熱が入りました。
藤井さんはチンペイと同じ87歳で、ぼくより一期下の議員だったんですが、その記憶力のすごさ、戦時中の話まで及んで、ぼくはもうびっくり。
山田哲司さんや堀内正範さんも、高齢者の本音をいろいろ教えてくれましたので、ぼくの今回の選挙に大いに役立ちます。
遠い所から訪問してくれた、お三人の同輩に感謝します。

野末陳平さんが参院選に出馬
高齢都民が選ぶ「人生100年」時代の代表
 元参議院議員の野末陳平さん(昭和7年・1932年1月2日生まれ・87歳)が、第25回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から無所属で立候補しました。7月4日が告示日で、投票日は21日(日)です。野末さんは元議員、当選回数4、24年ぶりに。
 東京都選挙区は定員6で、現職の有力候補として自民党からは丸川珠代(48)、武見敬三(67)、公明党からは山口那津男(67)の各氏が出ています。野末さんは無党派で、いま高齢者の「ナマの声」を国政に反映させるには高齢議員でなければ、という覚悟で立候補を決めたといいます。
 最近の政治のレベル劣化や年金+「2000万円」自助の問題での与野党双方の対応にガマンしきれなくなった高齢者の声を国政に反映させようというもので、当選すれば「人生100年時代」のこの国の社会のシクミに大きな影響を与えることになります。心臓の不整脈に配慮しながらの覚悟の出馬に、都民4分の1の高齢者が熱く厚く応じることで、どこまで票を集められるか。都民でない同憂の士は、mailや電話で都内の知友の一票に思いを添えることで。本会は趣旨を同じくする野末議員の登場に熱く期待し支援の活動をいたします。7・4 akira

八七歳 華やぎのある多士済々 
昭和7年・1932年生まれ
●は去世者 

野末陳平(1・2 放送作家) ●二上達也(1・2 将棋棋士) 本多勝一(1・28 ジャーナリスト) 稲盛和夫(1・30 実業家) 高階秀爾(2・5 美術評論) 広岡達朗(2・9 プロ野球) 白土三平(2・15 漫画家) ●世良譲(3・10 ピアニスト) ●大沢啓二(3・14 プロ野球) 平岩弓枝(3・15 作家) 早乙女勝元(3・26 作家) ●大島渚(3・31 映画監督) ●富田勲(4・22 音楽家) 桂由美(4・24 ファッション) ●高井有一(4・27 作家) 樋口恵子(5・4 評論家) 黒井千次(5・28 作家) ●小田実(6・2 評論家) 藤井裕久(6・24 政治家) ●宇井純(6・25 化学工学) 内橋克人(7・2 評論家) ●遠藤実(7・6  作曲家) ●青島幸男(7・17 作家) 堂本暁子(7・31 千葉県知事) 岸恵子(8・11 俳優) 小林亜星(8・11 作詞・作曲) ●岩城宏之(9・6 指揮者) 杉浦康平(9・8 デザイン) 石原慎太郎(9・30 都知事・作家) 五木寛之(9・30 作家) 三浦雄一郎(10・12 プロスキーヤー) 森田実(10・23 政治評論) 渡辺美佐子(10・23 俳優) 田中那衞(11・23 俳優) 仲代達矢(12・13 俳優)

シニア用語(用文)NOW

「年金+2000万円」は政策ミス

「ゴムひも伸ばし」政策の破綻
歴代内閣の無策連鎖つづく

いまや人生を安心して暮らせる国民はどこにもおりません。
「預貯金が2000万円以上あるからわたしは安心」とひそかに思ったところで、乗っている船(国)が沈んでいくのだから安心などありえないのです。
 1995年の「高齢社会対策基本法」以来、1999年の「国際高齢者年」以来の「高齢化社会」形成への延滞に、本稿が警鐘をならしつづけてきた危惧が、わずか20年で現実味をおびてきました。世紀初めには「100年安心」年金が課題・話題になっていたはず。このままでは政府の「ゴムひも伸ばし」政策のすえに、新世紀の日本社会は「国際的失敗例」を残すことになります。新世紀になって以後の首相は、だれもこの国の新たな姿を国民に示せずに、だれもが成功例であった20世紀の遺産を食いつぶしてきただけ。政策不在の連鎖がつづいているのです。
「令和」のどこにこの国の将来像が見えるのでしょう。ことばだけは踊っていますが。

「言う者は知らず、知る者は言わず」(老子のことば) という実情は社会の末期の姿を示しています。20年来の本稿の「三世代平等社会」が論じられ実現にむかってはじめて、史上初、国際的モデルの日本社会が登場するのです。――

『「三世代平等社会」をつくる ~百折不撓の「人生100年」を体現して~』
(200ページ) 2019年版論考。

関連自著
『丈人のススメ 日本型高齢社会 「平和団塊」が国難を救う』

シニア用語(用文)NOW

ここまで来てしまった年金崩壊

年金+2000万円の蓄え
 1999年の「国際高齢者年」いらい本稿がこれまで「高齢化社会」形成への延滞に警鐘をならしつづけてきた危惧が、わずか20年で現実味をおびてきた。世紀初めには「100年安心」の年金が課題として議論になっていたはず。いま政府は「ゴムひも伸ばし」の政策を根本から見直すことの必要を、足元の金融庁が「審議会指針案」という報告書の形で悲鳴をあげて訴えていることに衝撃を受ける時期にある。これをつづけるかぎりではこうなるということで。いま65歳の人の金融資産が平均保有額で2252万円あるという統計上の数値を発表の支えとしているのだろう。年齢層として貯蓄の多いみなさんだが、だれもがそんなに持っているのだろうか。そしてこの発表に「自分だけは安心」と思うのだろうか。
 いま60歳の人が「人生100年」時代に95歳まで生きるとすると、年金以外に2000万円が必要という。月5万円の取り崩しを30年つづけるとして。現役にさえできない「貯蓄」を奨励するのではなく、貯蓄がなくともみんなが安心して暮らせる社会をめざすこと。1995年に「長寿をすべての国民が喜びの中で迎え、高齢者が安心して暮らすことのできる社会」(前文)をめざす「高齢社会対策基本法」を決定した。あれからわずかに20年でこの結果、国際的に先行し注目されている長寿国のだれもが安心して暮らせる社会へ向かっているとはとてもいえない。「高齢化社会」議論の基本的道筋へもどらねばならないだろう。
「高齢化社会」の形成に失敗しつつある日本が、G20で先進諸国にこんな報告と提案をするのは世界への恥さらし以外のなにものでない。akira 2019・6・8

現代シニア用語事典

「七十古希」から「百齢眉寿」へ
「人生七十古来稀なり」と詠った杜甫の詩「曲江」から70歳を「古希」と呼ぶようになったといいます。ですからすでに1200年余の経緯をもつことばなのです。それ以前のことはわかりませんが、唐代で古来稀れなのですからよほど稀れだったのでしょう。杜甫が願ってたどりつけなかった(59歳で没)ことから「古希」がいわれ、70歳が長寿の証とされてきました。
 そのころ長安は安禄山軍の侵入を受けたあとで、「国破れて山河在り、城春にして草木深し」(杜甫「春望」から)といったありさま。杜甫は意にかなわぬ日々を酒びたりで送っていたらしく、「酒債は尋常行く処に有り、人生七十は古来稀なり」(酒の付けは常にあちこちにあるけれど、あってほしい70歳は希にしかない)と有るものと無いものとを比較しているのです。いまは両方がある時代だからこの対比に味わいがなくなりましたが。杜甫自身は旅先で貧窮のうちに59歳で去世しています。高級官人は70歳になると国中どこででも使える杖をもらって「杖国」と呼ばれたといいます。日本にもどれず「三笠の山の月」を想って客死した阿部仲麻呂は70を越えて生きましたから拝受したでしょう。 akira 記

「百齢眉寿」
「百齢」は百歳のこと。2011年は大正百年(1912年が元年)でしたから、大正人が百寿に達しています。わが国では百歳以上の人が七万人(女性が88%)に達してなお増えつづけており、史上稀な長寿国になりつつあります。
 杜甫が「人生七十古来希なり」と詠ったことから「古希」がいわれ、70歳が長寿の証として納得されてきました。とすれば百歳はなおはるか遠い願望だったのでしょう。「眉寿」は老齢になると白い長毛の眉(眉雪)が生えて長寿の特徴となる。同じ唐代の書家で有名な虞世南は「願うこと百齢眉寿」(琵琶賦)と記して百歳を願いましたが、80歳を天寿として去りました。「七十古希」の杜甫は59歳、「百齢眉寿」の虞世南は80歳でしたから、長寿への願望は遠くに置いたほうがいい。
 白髪が増えると老いの訪れとして苦い思いで抜いたり染めたりしますが、眉に白いものが見えた時は長寿への証として喜んで残すほうがいい。人生100年時代。いまや稀でない「七十古希」を迎えたら、次には「百齢眉寿」を目標にして日また一日を過ごすことをおすすめします。 akira 記

茶王樹下 文温の絆 四字熟語の愉しみ

「銀海生花」(ぎんかいせいか)20190605 円水社+
「銀海生花」(蘇軾「雪后書北台壁 其の二」から)というのは、反射的な光線を浴びた時に眼にみえる花のことですから、だれでも経験していながら意識していない“わたしだけの花”のようです。「銀海」というのは唐代の道教の僧医であった孫真人の著『銀海精微』が眼科にかんする古典として知られて、いまでも眼科医むけの情報誌『銀海』が出ていますし、メガネの専門家を養成する日本眼鏡技術専門学校は銀海学園の経営ですから、「銀海」は眼あるいは眼科の意味合いでなお用いられている古語のようです。
 宋の蘇軾の詩は「凍合玉楼寒起粟、光揺銀海眩生花」というもので、王安石も「道書には肩を玉楼となし目を銀海となす」と解説していますからリアルには肩や眼をいうのでしょうが、「銀海生花」を詠った蘇軾には玉楼も銀海も花もそれとして見えていたはず。ぎんぎんぎらぎらと夕日が沈む日本海でつかの間の「銀海生花」に出合った人もあるでしょう。「眼花繚乱」で色に目まどうではなく、“わたしの花”をみてほしいのです。

6月生まれ シニア人名録(昭和元年~昭和20年)

田中克彦(昭和9・6・3 言語学) 津村節子(昭和3・6・5 作家) 山田太一(昭和9・6・6  脚本家) 柳田邦男(昭和11・6・9 評論家) 鎌田慧(昭和13・6・12 ジャーナリスト) 椎名誠(昭和19・6・14 作家) 伊東四朗(昭和12・6・15 俳優) 山本晋也(昭和14・6・16 映画監督) 高見山大五郎(昭和19・6・16 大相撲) 張本勲(昭和15・6・19 プロ野球) 鈴木忠志(昭和14・6・20 演出家) 石坂浩二(昭和16・6・20 俳優) 長山藍子(昭和16・6・21 俳優) 竹内敏信(昭和18・6・21 写真家) 野村万作(昭和6・6・22 狂言師) 妹尾河童(昭和5・6・23 舞台美術) 藤井裕久(昭和7・6・24 政治家) 司修(昭和11・6・25 画家・作家) 横尾忠則(昭和11・6・27 画家) 野村克也(昭和10・6・29 プロ野球) 倍賞千恵子(昭和16・6・29 俳優)

『月刊丈風 5月号』memo

茶王樹下 文温の絆 四字熟語の愉しみ

「游刃有余」 (ゆうじんゆうよ) 20190529  web円水社+
「游刃有余」(『荘子「養生主」』から)は、庖丁(ほうてい、料理人)の技術がすぐれていて、身のこなしも手さばきも軽く牛刀をあやつりながら骨と肉をやすやすと切り分けていき(桑林之舞)、あとに余地が残ることに。そこから比喩として経験が豊富で熟練した技術や知識で問題を解決するのにむだな力を費さないことにいいます。
目の前で庖丁が実にやすやすと牛をさばいていくのに驚いて文恵君(梁の恵王)が聞きます。庖丁はこれは技ではなく道だといいます。牛の骨と肉のつき具合をよく知って本来の筋目に従い本来のからだのしくみに従って調理するので骨に当たることがない。「腕のいい料理人でも年ごとに牛刀を替えるのは骨に当たるからで、わたしのは19年になり数千頭もの牛をさばいても研いだ後のように鋭利です」と答えます。「善きかな、言を聞いて生を養うを得たり」と恵王に言わしめています。
日本がF3を買って「借鶏下蛋」をねらうのも、アメリカ市場で中国製品が歓迎されるのも、「游刃有余」の結果だといいます。

現代シニア用語事典 同時代人

同時代人 昭和シニア人名簿  1926年~1945年生まれ 
2010年以後の ・去世者 を含む 2010・5・10~2019・2・18 制作 堀内正範

1930(昭和5)年

・内田満(1・4 政治学) 菅野昭正(1・7 フランス文学) 我妻堯(1・9 母子保健) ・三宅久之(1・10 政治評論) ・田中一光(1・13 デザイン) ・新珠三千代(1・15 俳優) ・東松照明(1・16 写真家)   不破哲三(1・26 政治家) ・大賀典雄(1・29 企業経営) ・小此木啓吾(1・31 精神医学) ・粕谷一希(2・4 編集者) 荒瀬豊(2・15 マスコミ史) 飯島耕一(2・25 フランス文学) ・日高敏隆(2・26 昆虫学) ・芝田進午(3・26 社会学) 松山幸雄(4・1 ジャーナリスト) 竹村健一(4・7 評論家) ・松永伍一(4・22 評論家) 秋山駿(4・23 文芸評論) 加藤秀俊(4・26 社会学) 坂根厳夫(4・27 科学評論) 高橋英夫(4・30 ドイツ文学) 半藤一利(5・21 作家) ・熊井啓(6・1 映画監督) ・和田勉(6・3 演出家) ・阿部進(6・11 教育評論)   ・平山郁夫(6・15 画家) 妹尾河童(6・23 舞台美術) ・深作欣二(7・3 映画監督) 秋谷栄之助(7・15 宗教家) 高島忠夫(7・27 俳優) ・芦田淳(8・21 服飾デザイン) ・竹内宏(9・13 経済評論) 有馬朗人(9・13 原子核物理) 石川喬司(9・17 評論家) ・東野芳明(9・28 美術評論)  佐藤忠男(10・6 映画評論) ・野坂昭如(10・10 作家) ・渡部昇一(10・15 評論家)  水尾比呂志(11・7 造形学) ・黒木和雄(11・10 映画監督) ・大庭みな子(11・11 作家) ・佐々淳行(12・11 安全保障) ・諸井誠(12・17 作曲家) 小田島雄志(12・18 演劇)

同時代人 昭和シニア人名簿  1926年~1945年生まれ 
2010年以後の ・去世者 を含む  2010・5・10~2019・2・18 制作 堀内正範  

1929年(昭和4)年

・三遊亭圓歌(1・10 落語家) ・神山繁(1・16 俳優) ・三木多聞(2・6 美術評論) 田沼武能(2・18 写真家) 西川杏太郎(3・9 日本美術史) 大塚正徳(3・10 薬理学) 三遊亭金馬(3・19 落語家) 犬塚弘(3・23 俳優) ・津本陽(3・23 小説家) ・小沢昭一(4・6 俳優) 永井一正(4・20 デザイナー) 加賀乙彦(4・22 小説家) 鈴木道彦(4・26 フランス文学) ・仲谷昇(5・4 俳優) ・板東三津五郎(5・14 歌舞伎俳優) ・奥平康弘(5・19 憲法学) ・高橋治(5・23 小説家) ・日野啓三(6・14 小説家) ・都筑道夫(7・6 推理作家) 栗田勇(7・18 フランス文学) 笹原正三(7・28 レスリング協会) 磯村尚徳(8・9 ジャーナリスト) ・早坂暁(8・11 小説家) ・松下圭一(8・19 政治学) サトウサンペイ(9・11 漫画家)  ・ 新井直之(9・21 ジャーナリズム論)  中江利忠(10・4 ジャーナリスト) ・志賀信夫(10・23 放送評論) ・高松英郎(10・24 俳優) 奈良岡朋子(12・1 俳優)

同時代人 昭和シニア人名簿  1926年~1945年生まれ
2010年以後の ・去世者 を含む 2010・5・10~2019・2・18 制作 堀内正範  

1928年(昭和3)年生まれ

大堀敦子(1・1 ピアニスト) 池田大作(1・2 宗教家)岡井隆(1・5 歌人) ・網野善彦(1・22 常民文化) 馬場あき子(1・28 歌人) 暉峻淑子(2・5 生活経済) ・増田義郎(2・17 文化人類学) ・上田哲(2・26 ジャーナリスト) 長沢和俊(2・28 東西交渉史) ・兼高かおる(2・28 旅行作家) ・小島功(3・3 漫画家) 田辺聖子(3・27 作家) ・菊竹清訓(4・1 建築家) ・古在由秀(4・1 天文学) 久里洋二(4・9 アニメーション) ・諸井虔(4・23 企業経営) 津村節子(6・5 作家) ドクター中松(6・26 実業家) ・蝋山道雄(8・11 国際政治) 唯是康彦(8・13 食糧経済) ・三浦文夫(社会保障・社会福祉) ・五十嵐喜芳(9・8 声楽家) ・古橋広之進(9・16 JOC会長) 羽仁進(10・10 評論家) 杉葉子(10・28 女優) 熊沢喜久雄(11・14 植物栄養学) 宮尾盤(11・27 地方財政) ・土井たか子(11・30 政治家) ・土本典昭(12・11 記録映画) ・佐藤慶(12・21 俳優)  

同時代人 昭和シニア人名簿  1926年~1945年生まれ
2010年以後の ・去世者 を含む 2010・5・10~2019・2・18 制作 堀内正範  

1927年(昭和2)年 生まれ

・一番ケ瀬康子(1・5 社会福祉) ・勅使河原宏(1・28  華道・映画監督) ・熊倉一雄(1・30 演出家) ・石牟礼道子(3・11 作家) 宮城まり子(3・21 ねむの木学園) ・堤清ニ(3・30 企業経営・作家) 無着成恭(3・31 教育評論) ・矢代静一(4・10 劇作家) ・北杜夫(5・1 作家) ・ジョージ川口(6・15 音楽家) ・芦野宏(6・18 シャンソン) 小原秀雄(7・2 動物生態学) 粟津則雄(8・15 文芸評論) ・祖父江昭二(9・3 近代文学) 伊東光晴(9・11 経済学) ・坂本義和(9・16 国際政治学) 緒方貞子(9・16 国際関係) ・加山又造(9・24 画家) 舛田利雄(10・5 映画監督) ・馬場のぼる(10・18 漫画家) 童門冬二(10・19 作家) 長谷川慶太郎(11・29 経済評論) 

同時代人 昭和シニア人名簿 1 1926年~1945年生まれ
2010年以後の ・去世者 を含む 2010・5・10~2019・2・18制作 堀内正範  

1926年(大正15年・昭和元)年生まれ

・早乙女貢(1・1 歴史小説) 森英恵(1・8 ファッション) ・森亘(病理学) ・三浦朱門(1・12 作家) ・松谷みよ子(2・15 児童文学) 青木光一(2・17歌手) 安野光雅(3・20 画家) ・加藤寛(公共選択) ・河野多恵子(4・30 作家) 渡辺恒雄(5・30 新聞事業) ・奧野健男(7・25 文芸評論) 石井ふく子(9・1 プロデューサー) ・今村昌平(9・15 映画監督) 小柴昌俊(9・19 物理学者) ・祖父江孝男(11・5 文化人類学) 鈴木孝夫(11・9 言語社会学) 中根千枝(11・30 社会人類学) 、

茶王樹下 文温の絆 四字熟語の愉しみ

江郎才尽」(こうろうさいじん)20190515  web円水社+
身近なスマホでも車でも、かつてナンバーワンといわれたものが衰退していく「江郎才尽」の感覚は、だれにもわかるのでよく使われます。 江郎は江淹(字は文通、444~505)のこと。南朝の宋、斉、粱の三代に仕えた文学者で、若いころは才気あふれる詩文を表して高い評価を得ていましたが、官をのぼり年をとるにつれて文思衰退して佳句を欠き趣きを失い、ついには枯渇して並みの詩文しか書けなくなって「江郎才尽」(『南史「江淹伝」』から)といわれました。いまなら認知症といわれるような病変によって起こる文思衰退を「江郎才尽」と名づけられて 当人としてそれを知って耐えていた江郎自身の悲哀の深さがこのことばを残しているのでしょう。
もの書きばかりでなく歌手にも名作の映画化にもいわれ、テレビに出づっぱりのタレントに実例をみかけます。また文才ばかりでなく、サッカーの花形選手にも、ブランド製品の劣化や国際モーターショーでの日本車が「江郎才尽」と評されたりもします。

シニア用語(用文)NOW

「人生100年」は「人生90年(65+25年)+」

「人生100年」 高齢化率 高齢者人口

「人生100年」は2017年11月の「所信表明演説」で、安倍首相が「人生100年時代を見据えた経済社会の在り方を大胆に構想し、わが国の経済社会システムの大改革に挑戦します」と明言したことから。
その検討のために設けられたのが「人生100年時代構想会議」で、同会議は2017年年末には中間報告をおこない、2018年6月には「人づくり改革基本構想」をとりまとめています。安倍内閣の政策である「三本の矢」に即した人選の有識者会議であり、教育無償化とリカレント教育、高齢者雇用までで、「人生100年時代」を拓く構想にはなお遠いものになっています。ひとことでいえば、会議員一人ひとりの「人生100年」の寄せ集めでしかありません。招請されて構想会議のメンバーに加わった英国のリンダ・グラットン女史が著書『LIFE SHIFT』の中で、日本の子どもたちが世界一の長寿で半分が107歳まで生きると予測として話題になりましたが。女史はみずからが属する中年時代にしごとが選択できる社会を構想し、そこでの多様で豊かな人生を想定しています。
「人生100年」を「人生90年(65+25年)+」という数式に置き換えてみます。65歳は国際的標準での高齢者。わが国では定年退職の年齢であり、年金支給年齢でもあります。わが国の高齢者人口は3515万人、総人口比率(高齢化率)で27.7%になっています。65歳以上人口のうち、「65~74歳人口」は1767万人(男性843万人、女性924万人)で総人口に占める割合は13.9%、「75歳以上人口」は1748万人(男性684万人、女性1065万人)で、総人口に占める割合は13.8%(平成30年版『高齢社会白書』)。そして「25年+」は健康寿命や平均寿命にかかわります。「人生100年」をひとからげにすることなく、一人ひとりがみずからの高齢期にふさわしい暮らしができるような対策で細部にふれていかなければ、実体もつかめず、国際的に評価されるような「高齢化社会」の実現はできないのです。 2019・5・10 akira

茶王樹下 文温の絆 四字熟語の愉しみ

「凡桃俗李」(ぼんとうぞくり)20190508  web円水社+
大地が温もった春に咲き、妍を争いあう桃や李の姿(李白桃紅)を、凡であり俗とみる「凡桃俗李」(王冕「題墨梅図」から)がいわれます。そこから俗人のすることや平凡な事物や実績のない政治についてもいわれます。
元末明初の画家王冕(おうべん、字は元章)の「凡桃俗李争芬芳、只有老梅心自常」が出典。氷雪の林中にいて一夜清らかな香りを発する白梅に出合った画家が、苦学した姿を思いつつ桃李を凡俗とみる立場には納得がいきます。
子どもの王冕が苦学するようすが小学生の教科書に「少年王冕」の話として載っています。貧農の子だった彼は、地主の牛の面倒をみながら村の学堂へいき、朗々と読み上げられる文章を記憶します。あるとき牛を忘れて帰って父に叩かれ、家を脱したかれは寺院にいき、仏像の膝に坐って灯明のあかりで借りてきた破れた本を読みました。結局、科挙には合格できず、各地を放浪して絵を画いてすごしました。
王冕の画は日本にも伝わり、信長の父織田信秀が所蔵していた「墨梅図」が宮内庁三の丸尚蔵館に保存されています。

シニア用語(用文)NOW

日本国憲法100年保持の国際的役割

2019・5・3 akira

日本国憲法」について議論するなら、国際性と偏務性から論じなければ本質に迫れません。
国際性というのは、制定の経緯から「日本国憲法は日本のものではあるが日本のものではない」ということ。「非軍事平和の九条」を守るのは日本ですが、日本に守らせるのはアメリカをはじめとする連合国であって、各国は日本が自主を称して破ろうとする芽を常に監視せねばならないのです。
日本の役割は、ひとえに「非軍事平和」に徹した国際モデルとしての国づくりなのです。 戦後70年、この偏務を当たり前としてきた日本国民、制定時の戦後を体感していた人びとがいなくなり、平和を当たり前とする人びとに置き換わっています。 内に平和の体感しかない国民が外に軍備をすることでそれを守ろうとする自主憲法は、制定の歴史を黙止した偏向であり論外なのですが、平和期を“戦間期”に染めかえる役割を果たそうとしています。
この時期にこそ憲法論議はおおいにやるべきでしょう。戦禍と成立の経緯を知らない若い世代がその経緯を知って新たに守る層を厚くする機会となります。昭和史に通暁する半藤一利・保阪正康氏の持論ですが、「非軍事平和」主義の「日本国憲法」の趣意を中小国の市民に訴えて意味合いを国際的に共有する。そして100年を保持して2047年に「日本国憲法100年記念祝典」を連合国市民との共催で国際的におこなう。それを支えるのは、兵役もなく平和の証として「100歳人生」をめざしている戦後世代(本稿の平和団塊)が主催することになるのでしょう。

国防・自衛について
「九条」への自衛隊記載は国際的には一国軍国化の証。周辺国からの反発は必至です。四囲が海の日本の国防は軍備では不可能です。“外敵”からは守りづらい国なのです。いま海岸には原発があります。ひとつ破壊されたらそれで終わりです。自衛の限界は国民が熟知するところ。国境紛争地域はわが国が平和裏に共同守備・共同開発を提案し実施することで、所有の国家主権の意味を実体としてなくすことでしょう。 平和立国での自衛としては、「兵役」義務のない青年たちは一時期、平和裏に国を守る意識を共有するために、「公役」として若い日にひとしきり、男性はおもに地域・災害のための活動、女性はおもに介護・福祉の活動をすること。そうすることで、国家・国土・国民のありようを体感することは、平和国家の保持の一環としてあっていい。 akira

シニア用語(用文)NOW

「令和」を「冷和」とするなかれ

2019・5・2 hori

「令和(後平成)」期は「三世代平等化」のチャンス 。
改元を機に、青少年(~30成長期)や中年(~60成熟期)のみなさんはさらに勢いづくでしょう。そのとき4人にひとりに達した「高年世代(65~円熟期)」はどうするのか。これまでどおり二世代+α型の「ゴムひも伸ばし」の高齢化政策に温存されて、いまある社会で身を細めて暮らすのでしょうか。
このたびの明仁天皇の生前退位は、展望を示せない政府の高齢化政策にみずから「ノー」をいわれて、高齢期の人生を確保されたもの。
本会は上皇になられてからの人生の期間を「令和(後平成)」期と呼び、3500万人の「高年世代」が支え合って「自立」をすすめて存在感を示して「三世代平等化」を達成するチャンスとして位置づけています。
そのためには「(内向的な)老人」としてではなく、日々外へ出て、保っている知識・技術・資産・人脈を活かして、仲間とともにみずからの生活感覚にふさわしいモノ・居場所・しくみをこしらえること。円熟期のみなさんには、経済を伸長(成長といわない)し、文化を深化し、新たな社会を形成する潜在力(本稿の丈人力)があるのですから。 hori

茶王樹下 文温の絆 四字熟語の愉しみ 

春蘭秋菊」(しゅんらんしゅうぎく)20190501  web円水社+

「平成」から「令和」への改元。青少年(~30成長期)や中年(~60成熟期)のみなさんは勢いづくでしょうが、4人にひとりの「高年世代(65~円熟期)」の人びとは、このままいまある社会で身を細めて過ごすのでしょうか。
このたびの明仁天皇の生前退位は、政府の「ゴムひも伸ばし」の政策に「ノー」をいわれて、みずからの高齢期人生を確保されたもの。本稿は上皇としての期間を「令和(後平成)」期と呼び、「高年世代」が「自立」をすすめて存在感を示す「三世代平等化」のチャンスとして期待しています。
「退位礼正殿の儀」(4月30日)を終えた明仁天皇の最後のおことばは、象徴としてのつとめを「国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは幸せでした」であり、「即位後朝見の儀」(5月1日)での徳仁新天皇のおことばは、上皇に学び「自己の研讃に励むとともに常に国民を思い国民に寄り添う」でした。
円熟期の上皇と成熟期の新天皇にはそれぞれに人生の春秋があります。「春蘭秋菊」(『楚辞「九歌・礼魂」』など)なのです。

『月刊丈風 4月号』memo

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「令和(後平成)」期と平和団塊の世代

 幸せにも、幸せにも、戦後の「平和」のもとで生まれ、ともにひもじく貧しい時期に育ちはしたものの、競って学び、勤めて高度成長を支え、先人の余沢によりなにほどかの貯蓄を得て、世紀をまたいで高齢者となった「平和団塊の世代」の人びと(一九四六~一九五〇年)が、「七十古希」に到達しつつあります。
先の第二次世界大戦のあとに生まれた「戦後ベビーブーマー(戦後ッ子)」が各国にいて、「団塊」としてひとくくりに呼ばれるボリュームとはうらはらに、多彩で個性的な人生を送っています。両親から「平和」であることのたいせつさを骨身に刻みこまれ、「長寿」は人生にとって普遍的な価値であり、そのための「平和」は欠くことのできない条件であることを体感として理解している人びとです。

一九九五年に「長寿をすべての国民が喜びの中で迎え、高齢者が安心して暮らすことのできる社会」(前文)の形成をめざすとして制定された「高齢社会対策基本法」のことを知っていたとしても、働きざかりの五〇歳のころでしたから実感はまったくなかったでしょう。七〇歳に達してはじめて納得のいく文言として率直に理解できて、先人の先見性に感謝している事でしょう。 ですからわが国の高齢者とくに「平和団塊」の人々は、国際社会に「非軍事平和」を訴える「憲法第九条」と、尊厳ある長寿をめざして社会改革を訴える「高齢社会対策基本法・前文」というふたつの歴史的旗印を先人から引き継いでいるのです。 国際的な関心と期待を受けて、「人生一〇〇年」という実質的な活動期間をライトを浴びて舞台に立つ「平和団塊」のみなさんに、本稿もまた熱い思いで注目し、その歴史的ステージを見守っているのです。
 
ここで「ニッポン発二一世紀オリジナル」の主役をつとめている「平和団塊」のみなさんの横顔を、ほんのすこしだけ紹介しておきたい。新聞・TVなどから勝手に選ばせていただいた方々ですが、どうか掲載をお恕し願います。

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戦後世代「平和団塊」人名録(昭和21~25年)
一九四六(昭和二一)年生まれ・七三歳に。
鳳蘭(俳優) 松本健一(作家) 宇崎竜童(歌手) 美川憲一(歌手) 北山修(歌手) 新藤宗幸(政治学) 柏木博(デザイン) 岡林信康(歌手) 堺正章(TVタレント) 坂東真理子(官僚) 田淵幸一(プロ野球) 菅直人(政治家) 秋山仁(数学教育) 藤森照信(建築史) 倍賞美津子(俳優)・・

一九四七(昭和二二)年生まれ・七二歳に。
橋本大二郎(政治家) 衣笠祥雄(野球評論) ビートたけし(TVタレント) 尾崎将司(プロゴルフ) 西郷輝彦(歌手) 鳩山由起夫(政治家) 津島佑子(作家) 千昌夫(歌手) 上原まり(琵琶奏者) 荒俣宏(作家) 中原誠(将棋棋士) 小田和正(歌手) 北方謙三(作家) 金井美恵子(作家) 西田敏行(俳優) 森進一(歌手) 池田理代子(漫画家) 布施明(歌手)・・

一九四八(昭和二三)年生まれ・七一歳。
高橋三千綱(作家) 毛利衛(宇宙飛行士) 里中満智子(漫画家) 赤川次郎(作家) 五木ひろし(歌手) 赤松広隆(政治家) 江夏豊(プロ野球) 都倉俊一(作曲家) 沢田研二(歌手) 上野千鶴子(女性学) 井上陽水(歌手) 橋爪大三郎(社会学) 糸井重里(コピーライター) 由起さおり(歌手) 舛添要一(都知事) 谷村新司(歌手) 内田光子(ピアニスト)・・

一九四九(昭和二四)年生まれ・七〇歳「古希」に。
村上春樹(作家) 鴨下一郎(政治家) 林望(国文学) 海江田万里(政治家) 高橋真梨子(歌手) 平野博文(政治家) 武田鉄矢(歌手) 高橋伴明(映画監督) 萩尾望都(漫画家) ガッツ石松(ボクシング) 矢沢栄吉(歌手) 佐藤陽子(バイオリニスト) 堀内孝雄(歌手) 松崎しげる(歌手) 森田健作(政治家) テリー伊藤(演出家)・・

一九五〇(昭和二五)年生まれ・六九歳に。 残間里江子(プロデューサー) 舘ひろし(俳優) 和田アキ子(歌手) 坂東玉三郎(歌舞伎俳優) 東尾修(プロ野球) 中沢新一(宗教学者) 池上彰(ジャーナリスト) 姜尚中(政治学者) 八代亜紀(歌手) 辺見マリ(俳優) 塩崎恭久(政治家) 梅沢富士男(俳優) 岩合光昭(写真家) 綾小路きみまろ(漫談家) 神田正輝(俳優)・・
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いかがでしょうか、個性的で頼りがいのある人びとでしょう。みんなが等しく貧しかった戦後に育った子どものころの記憶を共有している人びと。そこからそれぞれに個性的な人生をつくりあげて、熟成期をすごしている「平和団塊の世代」(日本の戦後ッ子)のみなさん。この約九五六万人の一人ひとりを、敗戦後のきびしい生活環境の中で育ててくれたご両親の「平和」への思い。それを想い起こして国際平和を体現する「平和団塊の世代」と呼んで、本稿は注目しているのです。「団塊」では即物すぎて、「平和」では理念すぎて、いずれも収まりづらいかもしれませんが、あわせて「平和団塊の世代」と呼ぶのをお許し願います。

世界大戦の当事国となった先進諸国の戦後には同じ経歴のベビーブーマーの人びとがいます。その人びととともに、わが国の「平和団塊の世代」が、それぞれの地で穏やかに高齢期をすごせる社会をみずからの力で形成し、長寿を全うすること。それが「平和に生きる」こと、「非軍事平和の日本国憲法」の理念であり共有する社会の姿にちがいないからです。それはまた次の世代へ、途上諸国の人びとへと先行モデルとして伝わることになるでしょう。一人ひとりが世紀をまたいで平和のうちに長寿を体現する。こんな役回りは願っても求めても得られるものではないのです。(論考:『史上初の「三世代平等社会」~百折不撓の「100年人生」を体現して』~から) 2019・4・30 hori

シニア用語(用文)NOW

「平和団塊の世代」が長寿モデルに

やや失礼とは知りながら、敗戦後の一九四七~一九四九年に生まれた人びとを、ここでも「団塊の世代」と呼んでいます。ご存知のように一九七六年に作家の堺屋太一さん(2019・2・8去世83歳)が『団塊の世代』を書いて、そのボリュームゆえの社会的影響を指摘して以来の呼び名であり、教育の現場や就職、結婚などでみんなが納得して用いることで流行語になったのですが、カタカナの「戦後ベビーブーマー」では実感においてとてもかなわない。いまでも約六五〇万人というボリュームを保持しています。
ですが、本稿では「平和団塊の世代」と呼んでいます。 同じく二○○万人を越えて生まれた一九五○年と、少数とはいえ本稿の課題である「平和」では決して存在を無視してはいけない終戦翌年である一九四六年生まれの一四〇万人の人びとを含んでいます。

この戦後五年間の「平和団塊」世代は、二一世紀を迎えたとき一○三七万人(二〇〇〇年一〇月)で、いま約九五六万人(二〇一七年一〇月)を数える戦後ッ子の人びとを指しています。 このアクティブ・シニア、高齢者ニューフェイスの「平和団塊」の人びとが、二〇二五年に七五歳に達して、なお「人生一〇〇年」をめざして創出する史上初の平和裏の長寿社会、本稿の「三世代平等型の長寿社会」が、ニッポン発二一世紀オリジナルの重要な「和風」事業なのです。 「平和団塊」の人びとは戦後七〇年余のあいだ、強直で骨太の先輩に引きまわされながら精いっぱいに生きてきて、おおかたの人の髪は白くなりました。「戴白の老」です。

「戴白の老も干戈を睹(み)ず」 というのは、髪が白くなった老人すら人生に一度も戦争に出合わなかったという幸運な人生を伝える良いことばです。それはいかに歴史上に「戦乱」のときが多く長く、「平和」が少なく短かったかを伝えています。 戦後七○年、「平和団塊の世代」のみなさんが「干戈を睹ず」に暮らしてきたことは確かです。二〇世紀後半の日本がそういう歴史的に稀有な平和な時代であり、そこに生まれあわせて過ごしてこられたことをなによりの幸せと感じられるのがこのことばです。二〇一八年一二月二三日の明仁天皇の天皇としての「最後のおことば」にも「平成」期が「平和」を守りえた安堵を述べておられました。そのためには「戦禍の記憶」をのちの世代に語り継ぐことが何よりも必要であると言い添えて。

内に「戦禍」を秘めて外に「平和」をもとめた先人が次第に少なくなり、胸中を占める「平和」を守るために外に「軍備」を必要とする後人が多くなります。戦後七〇年と「平成」の改元とはその折り返し点、つまり新たな「戦前」へと移る折り返し地点を予感させます。政治的軍事的な隣国からのゆさぶりそそのかしを受けて、世論はいきおい「軍国化」に傾きます。平和から戦争へ(戦間期)と振り子意識が働いてゆくのは、歴史の繰り返しと知りながら同じ道を選ばざるを得ないからです。

次の「戦前」へとリピートする予兆。 そういう日本国内に生じる芽を未萌のうちに摘みつづけるためには、「戦禍の記憶」を世代伝授しつづけること。とくに「平和団塊」のみなさんが、先人として胸中に保持する「戦禍の記憶」を後人の胸中へと伝え継ぎながら、みずからは「人生一〇〇年」を目標としつつ、二〇四七年の「非軍事平和憲法」制定一〇〇年記念の祝典まで護持していく覚悟を固めるしかないのです。 「昭和の日」は、それを確認するための祝日なのです。 (論考:『史上初の「三世代平等社会」 ~百折不撓の人生を体現して』~から)2019・4・29  hori

シニア用語(用文)NOW

元号「令和」について

漢籍と国書双方を典拠とすべし

「春笋怒発」(四字熟語からのごあいさつ)
新元号「令和」の選定者(安倍首相)は、国書『万葉集』が典故であることをひたすら強調し誇りとしています。しかしながら下記したように、実情からいえば漢籍と国書の双方を典故として説明すべきだったでしょう。これまでの恒例であった漢籍と新たに国書を合わせて典故とすることで、“漢字文化圏”の広がりと豊かさを歴史的事実として示せたはずだからです。残念ですが、首相の脱中国の自国意識の過剰さと教養のなさが際立った一件になりました。

元号「令和」について異論はないのですが、連載中の「四字熟語の愉しみ」に3回にわたって書いたように、漢字文化圏に配慮せずに歴史を削いでしまった選定者の発言の偏りによって、古典にむかう国民の意識にズレを生じます。外来の優れたものを採り入れてより勝れたものにするという民族特性「和風」として語れれば、中国の知識人も納得できて、日本の首相としての令姿を示せたでしょう。昨今、際立つ外国人による「クールジャパン」は、歴史的ジパングの「和風」鉱脈さがしなのですし、何よりいま最大の「和風」事業は、世界に例をみない「非軍事平和国家」の実現と継承なのですから。  
以下おつきあいください。2019・4・21 hori


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連載「四字熟語の愉しみ」web「円水社+」 http://www.ensuisha.co.jp/plus/ から
◎「風和日麗」(ふうわにちれい) 2019年4月17日
前回みたとおり「令和」の典拠になった『万葉集』(天平2年、730年)の「初春令月、気淑風和」の八字は、王羲之「蘭亭集序」の「天朗清、恵風和暢」と『文選』にある張衡「帰田賦」の「仲春令月、時和気清」からの化用(借用)がいわれます。が、もうひとつ唐代高宗のもとで文学の発展に寄与した宰相薛元超の「諫蕃官仗内射生疏」の文にある「時惟令月、景淑風和」が最も似た表現として指摘されます。当時、遣唐使が持ち来った新渡来の文献のなかからふさわしい表現として化用したことが想定されるのです。 日本語が「漢字かなカナROMA字混じり」であるように、外来の優れたものをより勝れたものにする日本文化の「和風」の多重性こそが民族特性なのです。「和」の意味合いは「平和」「昭和」「大和」「風和」で異なりますが、ここでは現憲法の国際的片務である「非軍事平和」が最大の「和風」事業であることに思いをいたしつつ、改元の年の五月の風暖かく陽光明るい「風和日麗」(沈復『浮生六記「二巻」』など)の休日を過ごすことに。

◎「令月嘉辰」(れいげつかしん) 2019年4月10日
新元号の「令和」が大化(645年)から248番目で初めて国書『万葉集』から得たことで、令(よ)き大和民族の特性「国風」に語りつないだ安倍首相の発言に対して、日中双方から漢字文化圏の豊かさを削ぐべきでないとする意見が出ています。優れたものを採り入れてより勝れたものにする特性「和風」を言えれば首相は令姿を示せたでしょう。 江戸期の契冲『万葉代匠記』には「梅の花の歌三十二首并序」は王羲之「蘭亭集序」の筆法を模したもの、「初春令月、気淑風和」の八字は張衡「帰田賦」の「仲春令月、時和気清」から、「気淑」は杜審言の詩から、「鏡前之粉」は宋武帝女寿陽公主の梅花粧から、「松掛羅而傾蓋」は隋煬帝の詩に負うなどの指摘がなされています。それらを借りて「和風」にするのが民族の特性といえるもの。「令月」にちなむ四字熟語に「令月嘉辰」(『大慈恩寺三蔵法師伝「巻九」』など)があって、令月はいい月、嘉辰はいい日で、あわせて「吉日」をいいます。『和漢朗詠集「巻下・祝」』に「嘉辰令月歓無極」が見えます。

◎「恵風和暢」(けいふうわちょう)2019年4月3日
新元号が「令和」と決まりました。安倍首相は漢籍でなく国書『万葉集』が典故であることを強調し誇りとしましたが、実情からいえば漢籍と国書の双方を典故とすべきだったでしょう。大宰府の自邸で、王羲之の蘭亭の宴に似せて梅見の宴を開いた大伴旅人が、『万葉集「巻五」』に載る「梅の花の歌三十二首并序」に「初春令月、気淑風和」の八字を記すにあたって、王羲之「蘭亭集序」の「天朗気清、恵風和暢」と張衡「帰田賦」の「仲春令月、時和気清」を念頭において、前者から「気」と「風和」を、後者から「春令月」と「和気」を得ており、後者は「令和」の典故でもありえます。それを知る提案者は、漢籍と国書を合わせて典拠とすることで漢字文化圏の豊かさを示そうとしたのではなかったでしょうか。 「風和」について。日本では「雪月花」ですが中国では「風花雪月」です。柔らかい風が人を温かくつつむ「恵風和暢」からの「風和」には書き手の教養が示されています。東風に感じて白梅が花開く令月(二月)の大宰府天満宮の賑わいが想像されます。  

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