現代シニア用語TODAY 「長寿時代」のライフサイクル「賀寿期五歳層」のステージ「体志行」三つのカテゴリー

「長寿時代」のライフサイクル 
これまでライフサイクルというと「乳幼児期」「少年期」「青年期」「壮年期」「老年期」という五つのステージ(年齢階層)として説明されてきました。だれもが経験的に知って納得していることですから間違いというわけにはいきません。しかしこの階層の分け方は二五歳までに三つの階層があることからも知れるように、「発達心理学」からの階層分けであって、高齢期を暮らす人に配慮したライフサイクルではありません。高齢時代には「加齢学」的な観点から、逆に高齢期に三つを配するといった階層分けを考慮する必要があります。ここでは二五年間ずつ三つのステージを「三世代」に等しく割り振りながら、高齢期を暮らす人の実感に配慮したライフサイクルを提案しています。学問的にうんぬんするつもりはなく、実感として納得していただければいい。
青少年期   〇歳~二四歳 自己形成期
バトンゾーン 二五~二九歳 選択期
中年期    三〇~五四歳 労働参加・社会参加期
パラレルゾーン 五五~五九歳 高年期準備・自立期
高年期    六〇~八四歳 地域参加・自己実現期
長命期    八五歳~   ケア・尊厳期
(自立・参加・自己実現・ケア ・尊厳の五つは国連の「高齢者五原則」)
上の階層分けが、高齢者がみずからを顧みて納得できる「長寿時代のライフサイクル」といえるでしょう。
「バトンゾーン」というのは個人の特性によって生じる幅であり、青少年期にいれるか中年期にいれるか、モラトリアム期として過ごすかは個人が選択すればいい。
「パラレルゾーン」というのは「パラレル・ライフ」(ふたつの人生)期にあることで、「高年準備期」です。窓際族なんかでヒマつぶしをしている時期ではなく、二五年の高年期を自分らしく生きる(自己実現)のための模索(自立志向)期でけっこう多忙なはずなのです。
「定年後は余生」などとぼんやり考える旧時代の「老成」タイプの高齢者意識が、長寿時代にはいっているこの国の「高齢社会」形成に自然渋滞をもたらしているのです。「高年期」での地域参加・自己実現の二五年をどう体現して暮らすかの工夫が人生の豊かさの差をつくることになります。と同時に社会を活性化させることになります。もちろんその活動は高齢世代みずからのものであるとともに次世代のためのものであり、可能な範囲でなお中年・青少年を支援するものとなります。別のところでも引用しいていますが、「自分がその木陰で憩うことがない樹を植える」(W・リップマンのことば)という配慮は常に意識して暮らすことが肝要です。
「賀寿期五歳層」のステージ
これは「長寿時代」を前向き(パイオニア)に暮らすための指針であり、本稿の創見のひとつです。知ると知らないとでは高齢期人生に雲泥の差が生じますs。 本稿が提案している「長寿時代のライフサイクル」の「高年期」(60歳~)と「長命期」(85歳~)を、ひとつひとつの「五歳層」に分けて、その年齢階層らしく迎えて過ごす。なだらかな丘を同年層の仲間といっしょにゆっくりとマイペースでトレッキングするような爽快感があればいい。
「定年退職」のあとを「余生」と決めて、孤独な不安にも耐えて生きるのが男の美学というならそれでもよい。いつかは訪れる死はひとりのものだからです。中年期のしごとがつらかったから遊んで暮らしたい、人間関係に疲れたからひとりになりたいという人の自由を奪うことなどできません。
先人は見定めえない人生の前方に次々に「賀寿」を設けて個人的長寿のプロセスを祝福して楽しんできました。いまも「何何先生の米寿の会」「おばあちゃんの卆寿の会」は個人の「賀寿の会」としてそれぞれに祝われています。しかし六〇歳以上の約三九〇〇万人(六五歳以上の約三〇〇〇万人)の高年者が多くの仲間とともに暮らしているのだから、同年齢同士が励まし合いながら百寿期を目ざすのもいいのではないでしょうか。
還暦期(六〇歳~六九歳) 昭和二七年~昭和一八年
古希期(七〇歳~七四歳) 昭和一七年~昭和一三年
喜寿期(七五歳~七九歳) 昭和一二年~昭和八年
傘寿期(八〇歳~八四歳) 昭和七年~昭和三年
米寿期(八五歳~八九歳) 昭和二年~大正一二年
卆寿期(九〇歳~九四歳) 大正一一年~大正七年
白寿期(九五歳~九九歳) 大正六年~大正二年
百寿期(一〇〇歳以上)  大正元年以前
2011年には日野原重明さんが百寿期に達して話題になりました。2012年は新藤兼人さんが到達しましたがゴールして亡くなりました。卆寿期には瀬戸内寂聴・水木しげる・鶴見俊輔さんがいます。傘寿期には樋口恵子・堂本暁子・岸恵子さん、石原慎太郎・五木寛之・仲代達矢さんと多士済々です。そして古希には小泉純一郎・小沢一郎・松方弘樹・松本幸四郎・青木功・尾上菊五郎さん。七〇歳になったからといって老成することはないでしょう。仲間といっしょに人生の新たな出会いを楽しむ日々が待っているのですから。
「体志行」三つのカテゴリー
高年期にある人ならだれにもこれまで過ごしてきた「青少年期」と「中年期」の五〇年余の間に積み重ねてきた経験や知識や健康や有形・無形の資産があります。
それらを六〇歳からの「高年期」を意識した「からだ(体・健康)」と「こころ・こころざし(心・志・知識)」と「ふるまい(行・技術)」のそれぞれにしっかりとバランスよく活かして暮らすこと。
この三つ以外に人間(人生)としての存在はないというのが、東洋の哲学が持つ人間(人生)観なのです。そういう意味合いが納得できるのは、やはり「からだ(体)」のどこかに故障を生じる高年期になってからのことで、ここから「体・志・行」に配慮した「高齢期の人生」が始まります。人生を通じて右片上がりの能力をたいせつにする「丈人(別項)」であることを意識して、この三つをバランスよくすごすことによって、外面的に「老人」としてではなく「丈人」としての「健康・知識・技術」に配慮した暮らしが表現されることになります。この三つをバランスよく働かせた暮らしをしている人が、敬愛すべき「現代丈人」のみなさんです。スポーツ界では「心技体」として認識されているのは、スポーツでは心の構えが技・体の差をつくるからです。