友好都市・風土が絆-環日本海の「面」の交流

環日本海の「面」の交流

新潟市とハルビン市(黒龍江省) 

ハルビン、中国語では哈爾浜。

その名は白鳥(満州語)からとも、平地(モンゴル語)からともいわれる。わが国の近代史では、一九〇九年にハルビン駅頭で、伊藤博文(当時枢密院議長)が安重根によって暗殺されたことで知られる。一九世紀末のロシアによる鉄道敷設で開かれ、ロシア風のまちづくりがすすんだ。いまもロシア風の建物が見られる国際都市。シンボルとして残る聖ソフィア大聖堂は博物館となっている。 

ハルビン市は、中国東北地区の経済・文化の中心であり、黒龍江省の省都である。松花江が市内を流れる。平均気温は三・八度。新潟が「水の都」に対してハルビンは「氷の都」と称される。機械、医薬、ハイテク産業が盛んで、農産物は大豆やジャガイモが特産である。ロシア語や日本語教育で実績のある黒龍江大学は有名。人口は約九四八万人。

新潟市は、信濃川河口に位置する日本海側最大の都市である。新幹線で東京へ二時間。九八年に定期航空路が開設されてハルビンまでも二時間である。古くから米どころの港町として発展してきたが、とくに安政の通商条約(一八五八年)で外国に対して開かれた五港のひとつに指定されたことで海外との交流が進んだ。ロシアのハバロフスク市、ウラジオストク市とも姉妹友好都市関係を結んでおり、とくに環日本海地域での「面」の交流の拠点都市として成果を蓄積してきている。都市と農村が調和した「田園型政令指定都市」をめざす。人口は約八〇万人。

中国との友好都市提携にあたっては、戦前に多くの新潟県人が黒龍江地域に渡ったこと、戦後にも同省の土地改良事業に協力してきた関係などから、黒龍江省の省都であるハルビン市との提携が模索された。そして一九七九年一二月一七日に、新潟市にハルビン市友好代表団を迎え、文敏生市革命委員会主任(市長)と川上喜八郎市長とによって友好都市提携の議定書の調印がおこなわれた。日本海側都市では初、全国では一四番目だった。 

両市の友好交流として、新潟市は市民病院や水道局、環境対策課、国際課などへ研修生を受け入れてきた。いまや新潟市で学んだ医学研修生が医療技術協力の第一線で活躍するまでになっている。八九年の一〇周年記念にはハルビン市内に「ハルビン・新潟友誼園」が建設されたが、その際には市民募金も展開した。ハルビン物産展や九七年以降は毎年「ハルビン経済貿易商談会」に新潟ブースを出展している。小・中学生の相互交流、市民レベルではハルビン市の「氷彫刻・雪像コンテスト」への参加、太極拳交流など多彩である。九八年に両市間の定期航空路が開かれ、新潟・ハルビン・ハバロフスク三都市を結ぶ「三角航空路」が実現している。三市による「環境保護会議」(二〇〇一年から)では、共有する課題の意見交換をつづけている。二〇〇二年には、ハルビン市からライラック(市の花)の苗木の提供を受けて新潟市に「ライラック通り」が完成した。

二五周年の二〇〇四年には、今後の指針となる「覚書」を交わした。中国経済の急速な発展を受けて中国企業の日本進出誘致など新たな経済交流や観光ビザ緩和による中国旅行客の来訪といった観光での交流を強めることとなる。

〇五年一一月に新潟市で開催された見本市・シンポジウム「食と花の世界フォーラム・にいがた2005」へはハルビン市はじめ交流都市が参加した。(二〇〇八年九月・堀内正範)